選出作品

作品 - 20121103_354_6447p

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やぶ蚊の群れ

  一洋

抹茶フラペチーノを啜りながら立ち上げたウィンドウズからアクセスすると、脳髄のシンボルと一緒に『文学極道』というタイトルが飛び出してくる。文学極道は、ここカナダのコンピューターからでもアクセスできるのが特徴だ。「投稿の際は、必ず各掲示板の投稿規定をお読みください」という指示に従って、投稿規定のページを開ける。「芸術としての詩を発表する場、文学極道です。糞みたいなポエムは貼らないでください」から始まるこの投稿規定に関して、特記すべきことは三つ。一つ、作品は一人につき、月に二度までしか投稿できない上、同じ週に二つの作品を投稿することはできない。二つ、毎週日曜日は合評促進との名目で、一切の投稿が出来ないことになっている。三つ、投稿前に既存の作品にレスポンスを返さないといけない。この三つのルールを守るのは意外と難しい。例えば、土曜日に夜遅くまでタイプし続け、ようやく完成した作品を投稿しようとしたら、もう夜一時を過ぎていたために二つ目の規定に引っ掛かり弾かれた、そんなことが何度もあった。僕は、それら三つの項目の重要性をマークするために、「一人につき月に二度まで(同じ週には一度まで)、月曜〜土曜日の間」から「既存の記事への返信投稿」までを、ドラッグして反転させる。教科書に引かれたラインマーカーのように、白地を青く染め上げて、文字色を反転させる、そしてまた別の箇所をクリックすると、青地が消えて白地に変わり、薄っすらと灰色掛かった文字が再び現れる。この行為には別にこれといった意味合いはないのだが、字を白くする機能だけになれば、雪原のように真っさらな白を生み出す、そのときあらゆる強調的性格は失われ、もはや規定は規定としての意味をもてなくなってしまう。そうこうするうちにフラペチーノの容器が空っぽになり、そのクリームの白さと甘さが、攪拌され野草の青色に混じっていったのを思い出すのだ。

ところで忘れがちなことと言えば、機能メニュー、新規投稿フォーム、返信フォームなどに直接つながったショートカットキーが設定されていることだろう。記事を探しながら自分がどこにいるのか分からなくなったときは、これらのキーを利用すればいつでも自分の行きたい場所に移動できるので便利だ。僕はこの箇所も同じようにドラッグで反転させようとするが、マウスのカーソルがどこにも見当たらない。マウスのカーソルが自分の場所を指し示すのに、それが時々どこに行ったか分からない。仕方なく、マウスをぐるぐると回して、自分の居場所を探し出してやらねばならない。思えばネットの世界だけでなく、実際の生活でも、僕という人間は大変な方向音痴だ。授業の質問のために哲学棟に向かったとき、そのあまりに広大な大学敷地のために、何度も道に迷ったものだ。一番最近道に迷ったとき、地面という地面に雪の降り積む中を、グレーのフリースを身に纏い、あまりに長いこと凍えながら彷徨い歩いた。マウスカーソルに、自分が道に迷っているという意識はない。彼は、全く自分の居場所が分からないままだから、見失った自分の道を再び僕に見出してもらうために、画面上をやぶ蚊のように煩わしく旋回しているだけなのだ。そのうちにカーソルは幾つもの方向に分散し始め、この文学極道という空間を過っていった幾億のマウスカーソルの亡霊までもが、視界に現れる。砂嵐のように画面全体を隈なく覆い尽くすカーソルの群れ。今にも画面から溢れ出して、自分の位置を聞き尋ねて来るんじゃないかと、僕は恐ろしくなる。ああ。僕だって、自分の居場所なんか、少しも分かりやしないというのに。

もはやどうしようもなく、茫然としてそのコンピューター画面を眺めていると、そのカーソルの動きに、ある規則が見られる。彼らは、「迷い子」というキーワードを反転させ、それを強調するようにその周囲に群がる。次に、「冬の軌道から逸れていく」を青く染め上げて、白文字に変えてしまう。「レール」「束」「雪」を選択し、それぞれ、レールの切断面であるイニシャルIの字形、束ねられた花、降りしきる雪を、カーソルの群れが纏まって、その形態を丁寧に模写をする。「つばさ」では、海辺に見たカモメを、「骨」では髑髏を、擬態する亡霊たち。最後に、詩中に現れる一連の光景を、マウスカーソルの白と黒とが再構成していく。海沿いを走っていく列車、線路上に置いた、砕けた団栗を取り去る栗鼠たち、その列車と栗鼠を含む島、島が沈んでいく様子、それを写真に撮ったiPad、島の映る写真を指差すiPadの上の指先、その指先が拡大する虹の輪、そのiPadの上に降ってきた雪の結晶。すべては雪に覆われ、沈む、水底の栗鼠の骨、そこから伸びてきた水草の茎。それからチロチロと水が流れ出して、空っぽになる水槽。その水槽を入れた室内で響くチェロの音。それらすべてが、マウスカーソルの集合によって築き上げられている。そこで強烈なインスピレーションを得た僕は、AltとNを同時に押し、投稿ボタンまで限りなく漸近する。無数のカーソルが、ただ一つ僕のマウスカーソルへと収束し、藪蚊の群れが一瞬で死滅し、画面は閑散としている。ここは芸術としての詩のサイト、Artに限りなく近くまで行き届かねばならない。投稿ボタンをクリックして、空間へと昇華していく僕の詩篇は、『冬の虹』というyukoさんの詩を押し退け、その上に鎮座した。コンピューターの電源を落とし、僕は立ち上がる。一つのマウスポインタが、スタートメニューの終了をクリックする。画面が明滅を始め、シャットダウンする瞬間、画面上には誰の眼差しもなく、抹茶フラペチーノの空容器が、ゴミ箱の中で静かに光っている。


(文学極道の『掲示板のつかいかた』、yuko『冬の虹』より部分引用)