あなたが町のマーケットで買い物を済ませて、自転車で畑中の四つ辻まで戻ってきたころには、曇り空の底も丘をつつむ森も暗さを増して、もう夕方とよんでもよい時刻にさしかかったのだと知れる。
道の端に停めた自転車をおりて、フレアスカートの裾を整えてから胸の前で腕を組んで、風を受けてきたせいで冷たくなった半袖の二の腕を交互に摩ってみる。それから籠の中のペットボトルの水をひと口ふた口含んで、これから上っていかなければならないなだらかな坂道を視線でたどっていく。道がカーブして見えなくなっても半ば木立に埋もれた電柱の列がその在り処を示している。そのさき丘の中腹にあなたの住まいが見える。茶色い屋根と灰色の壁、ひとり住まいのあなたの帰りを待つ二つの窓。
自転車のかたわらに佇んだままあなたの視線はさらに昇っていく。獣の背のような丘の稜線、だんだら雲が空いっぱいに隙なく詰めこまれ、いや、そうではなかった、思いがけなく一ヶ所、布地を裂いたように雲が割れ青空が覗いていた。横長の平行四辺形の澄み切った青空。瞳から体のすみずみまで浸みこんでくる青空。見詰めつづけるあなたの唇がわずかに開いたのは、声というにはおぼつかない呟きのせいかもしれない。
「なにかすてきな意味を誘っているの?」と。
唇の両端がわずかに伸びたのは、それは微笑のせいかもしれない。
「そうね、あと二日三日、生きていてもいいよ」と。
そう遠くない自分の住まいを目指してふたたびペダルを踏みはじめる。もう少しすればあの二つの窓に明かりが灯るだろう、とあなたはかんがえる。ハンドルの前の籠には野菜や調味料といっしょに一枚の動物の肉が入っている。もう少しすれば、ガスコンロに乗せたフライパンの上で一枚の肉が焼けるだろう、とあなたはかんがえる。肉から滲み出た油が肉の縁にまとわりついてピチピチと黄金色の小粒の粒になって小気味よく撥ねていることも。
選出作品
作品 - 20120917_177_6349p
- [佳] 青空 - 鈴屋 (2012-09)
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青空
鈴屋