汚れた指で、
鳥を折って飛ばしていました。
虚ろな指輪を覗き込むと、
切り口は鮮やか、琺瑯質の真っ白な雲が
撓みたわみながら流れてゆきました。
飛ばした鳥を拾っては棄て、拾っては棄てた、
正午の日曜日、またきてしまった。
雨ざらしの陽の剥製。
屋根瓦、斑にこびりついた鳥糞。
襤褸を纏った襤褸が、箆棒の先で
鳥糞の塊を、刮ぎ落としていました。
あれは、むかし、家に火をつけ、
首をくくって死んだ、わたくしの父ではなかったろうか……。
手の中の小さな骨、
不思議な形をしている。
羽ばたく鳥が陽に擬態する。
わたしは何も喪失しなかった。
一度だけだという約束の接吻(狡猾な陽よ!)
わたしの息を塞いで(ご褒美は、二千円だった)
頽(くずお)れた空に、陽に溺れた蒼白な雲が絶命する。
──だれが搬び去るのだろうか。
壜の中の水(腹のなかの臓腑(はらわた))
水のなかに浮かび漾う壜の中の水の揺れが
わたしの脳も、わたくしの頭蓋の中で揺れています。
わたしのものでない、
項(うなじ)の上の濃い紫色の痣(その疼きに)
陽の病巣が凝り固まっている。
あの日、あの日曜日。
わたしは陽に温もりながら
市庁舎の前で待っていました。
花時計の周りでは、憑かれたように
ワーグナーの曲が流れていました。
きょうも、軒樋の腐れ、錆の染みが、瘡蓋のように張りついています。
窓枠の桟、窓硝子の四隅に拭き残された埃は
いつまでも拭き残されたまま、ますます厚くつもってゆきます。
陽は揺り駕籠の中に睡る赤ん坊のように
──わたしの腕の中、腕枕の中で睡っていた。
二時間一万六千円の恋人よ、
だれが、おまえの唇を薔薇とすり替えたのか。
だれが、おまえの花瓣に触れたのか。
さはつてしまふ、さつてしまふ。
拭き取られた埃が、空中に抛り投げられた!
陽の光がきらきらと輝きながら舞い降りてきた。
──陽が搬ぶのは、塵と、埃と、飛べない鳥だけだった。
嬰兒(みどりご)は生まれる前から跛(びつこ)だった(この贋物め!)
口に炭火を頬張りながら、ひとり、わたしは、微笑んでいました。
噴き上がる水、散水装置、散りかかる水、
煌めくきらめきに、花壇の花の上に、小さな虹が架かる。
水の届かないところでは、花が死にかけている。
痙攣麻痺した散水装置が象徴を花瓣に刻み込んでいます。
かつて、陽の摘み手が虹色に印ぜられたように
──わたくしも、わたしも、その花の筵の上を、歩いてみました。
垣根越しに骰子が投げられた!
陽は砕け、無数の細片となって降りそそぐ。
、 、 、 、 、 、 、
、 、 、 、 、 、
、 、 、 、 、
貫け、陽の針よ! 貫け、陽の針よ!
陽の針が、わたしを貫いた。
市庁舎の屋根の上に集(すだ)く鳥たちが
一羽ずつ、一羽ずつ、陽に羽ばたきながら
陽に縺れ落ちてゆく。
コンクリートタイルの白い道の上に
骨の欠片、微細片が散りかかる
散りかかる。
陽の初子は死産だった。
わたしは手の中の骨を口に入れた。
わたしは思い出していた。
あの日、あの日曜日、
わたしがはじめて
陽を抱いた
日のこと
を──
そうして、
いま、陽の亡骸を味わいながら
わたしは、わたしの、息を、ゆっくり、と、ふさいで、ゆき、まし、た、
*
三月のある日のことだった。
(オー・ヘンリー『献立表の春』大津栄一郎訳)
死んだばかりの小鳥が一羽、
樫の木の枝の下に落ちていた。
ひろい上げると、わたしの手のひらの上に
その鳥の破けた腹の中から、赤黒い臓腑が滑り出てきました。
わたしは、その鳥の小さな首に、親指をあてて
ゆっくりと、力を込めて、握りつぶしてゆきました。
その手触り……
そのつぶれた肉の温もり……
なぜ、わたしは、誑(たぶら)かされたのか。
うっとりとして陽に温もりつづけた報いなのか。
さやうなら、さやうなら。
粒子が粗くて、きみの姿が見えない。
死んだ鳥が歌いはじめた。
木洩れ日に、骨となって歌いはじめた。
──わたしの口も、また、骨といっしょに歌いはじめた。
三月のある日のことだつた。
(オー・ヘンリー『献立表の春』大津栄一郎訳、歴史的仮名遣変換)
木洩れ日に温もりながら、
縺れほつれしてゐた、わたしの眠り。
葬埋(はふりをさ)めたはずの小鳥たちの死骸が
わたくしの骨立ち痩せた肩に
その鋭い爪を食ひ込ませてゆきました。
その痛みをじつくりと味はつてゐますと、
やがて、その死んだ鳥たちは
わたしの肩の肉を啄みはじめました。
陽に啄ばまれて、わたくしの身体も骨となり、
骨となつて、ぽろぽろと、ぽろぽろ
と、砕け落ちてゆきました。
陽の水子が喘いでゐる(偽りの堕胎!)
隠坊(おんばう)が坩堝の中を覗き見た。
──陽にあたると、死んでしまひました。
言ひそびれた言葉がある。
口にすることなく、この胸にしまひ込んだ言葉がある。
何だつたんだらう、忘れてしまつた、わからない、
……何といふ言葉だつたんだらう。
すつかり忘れてしまつた、
つた。
死んだ鳥も歌ふことができる。
空は喪に服して濃紺色かち染まつてゐた。
煉瓦積みが煉瓦を積んでゆく。
破れ鐘の錆も露な死の地金、虚ろな高窓、透き見ゆる空。
わたしは、わたしの、死んだ声を、聴いて、ゐた。
水甕を象どりながら、口遊んでゐた。
擬死、仮死、擬死、仮死と、しだいに蚕食されてゆく脳組織が
鸚鵡返しに、おまえのことを想ひ出してゐた。
塵泥(ちりひぢ)の凝り、纏足の侏儒。
隠坊が骨学の本を繙きながら
坩堝の中の骨灰をならしてゐました。
灰ならしならしながら、微睡んでゐました。
*
樹にもたれて、手のひらをひらいた。
死んだ鳥の上に、木洩れ陽がちらちらと踊る。
陽の光がちらちらと踊る。
鳥の死骸が、骨となりました。
白い、小さな、骨と、なり、ました。
やがて、木洩れ陽に温もったその骨は
手のひらの上で、から、ころ、から、ころ、
から、から、から、と、ぶつかりあいながら
輪になって舞い踊りはじめました。
わたしは、うっとりとして目をつむり
ただ、うっとりとして
死んだ鳥の歌に、
じっと、耳を、傾けて、いま、した。
*
何を見ているの?
──何を、見て、いたの?
何も。
嘘!
窓の外。
見ちゃだめだよ。
──ぼく、連れてかれちゃうよ。
えっ?
振り返ると、シーツの上には、
残り香の、白い、小さな、骨が、散らばって、いま、した。
*
──羽根があれば、天使になるの?
そうだよ。
でも、いまは、毀れてるんだ。
──その腕に抱えてるのが、翼なんだね。
そう、抱いて、あたためてるんだよ。
つめたくなって、死にかけてるからね。
──でも、ぼく、そのままの、きみがいい。
そのままの、ぼくって?
──優しげな、ただの、少年だよ。
そして、天使は、腕をひろげて
もうひとりの、自分の姿を、抱きしめました。
選出作品
作品 - 20120109_820_5800p
- [優] 陽の埋葬 - 田中宏輔 (2012-01)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
陽の埋葬
田中宏輔