蚯蚓
朝、目が覚めたら、自分のあそこんところで、もぞもぞもぞもぞ動くものがあった。寝たまま、頭
だけ起こして目をやると、タオルケットの下で、くねくねくねくね踊りまわるものがあった。まるで
あのシーツをかぶった西洋のオバケみたいだった。あわててタオルケットをめくると、パンツの横か
ら、巨大な蚯蚓が、頭だか尻尾だか知らないけど、身をのけぞらしてのたくりまわっていた。とっさ
に右手で払いのけたら、ものすっごい激痛をあそこんところに感じた。起き上がって、パンツを一気
にずり下ろしてみると、そこには、ついてるはずのぼくのチンポコじゃなくって、ぐねぐねぐねぐね
のたくりまわっている巨大な蚯蚓がついていた。上に下に横に斜めに縦横無尽にぐぬぐぬぐぬぐぬの
たくりまわっていた。一瞬めまいらしきものを感じたけど、ぼくは、すぐに立ち直った。だって、あ
のカフカのグレゴール・ザムザよりは、不幸の度合いが低いんじゃないかなって思って。ザムザは、
全身が虫になってたけど、ぼくの場合は、あそこんところだけだから。パンツのなかにおさめて、上
からズボンをはけば、外から見て、わかんないだろうからって。こんなもの、ごくささいな変身なん
だからって、そう思えばいいって、自分に言い聞かせて。情けないけど、そうでも思わなきゃ、学校
もあるんだし。そうだ、とりあえず、学校には行かなくちゃならないんだから。ぼくは、以前チンポ
コだった蚯蚓を握ってみた。いきなり強く握ったので、そいつはぐぐぐって持ち上がって、キンキン
に膨らんだ。口らしきものから、カウパー腺液のように粘り気のある透明な液体が、つつつっと糸を
引きながら垂れ落ちた。気持ちよかった。ずいぶんと大きかった。そうだ。以前のチンポコは短小ぎ
みだった。おまけにそれは包茎だった。キンキンに勃起しても、皮が亀頭をすっぽりと包み込んでい
た。無理にひっぺがそうとすれば、亀頭の襟元に引っかかって、それはもう、ものすっごい激痛が走
ったんだから。もしかすると、この新しいチンポコの方がいいのかもしんない。そうだ。そうだとも。
こっちのほうがいい。ぼくは制服に着替えはじめた。
電車のなかは混んでて、ぼくは吊革につかまって立っていた。電車の揺れに、ぼくのあそこんとこ
ろが反応して、むくむくむくっと膨らんできた。前の座席に坐ってる上品そうなおばさんが、小指を
立てた右手でメガネをすり上げて、ぼくのあそこんところを見つめた。とっさにぼくは、カバンで前
を隠した。そしたら、よけいに、ぼくの蚯蚓は、カバンにあたって、ぐにぐにぐにぐにあたって、あ
っ、あっ、あはっ、後ろにまわって、あっ、あれっ、そんな、だめだったら、あっ、あれっ、あっ、
あつっ、つつっ、いてっ、ててっ、あっ、でも、あれっ、あっ……
*
とっても有名な蠅なのよ。
とっても有名な蠅なのよ、あたいは。
教科書に載ってるのよ、それも理科じゃなくって
国語なのよ、こ・く・ご!
尾崎一雄っていう、オジンの額の皺に挟まれた
とっても有名な蠅なのよ
あたいは。
でもね、あたいが雄か雌か、なあんてこと
だれも、知っちゃいないんだから
もう、ほんと、あったま、きちゃうわ。
これでも、れっきとした雄なんですからね。
フンッ。
(あっ、ここで、一匹、場内に遅れてやってまいりました!
武蔵の箸に挟まれたという、かの有名な蠅であります。)
──おいっ、こらっ、オカマ、変態、
おまえより、おれっちの方が有名なんだよ。
あたいの方が有名よ。
──なにっ、こらっ、おいっ、まてっ、まてー。
(あーあ、とうとう、ぼくの頭の上で、二匹の蠅が
追っかけっこしはじめましたよ。作者には、もう
どっちがどっちだかわかんなくなっちゃいました。)
(おっと、二匹の蠅は、舞台を台所に移した模様です。)
──あっ、ちきしょう、こりゃあ、蠅取り紙だっ。
いやっ、いやっ、いやー、羽がくっついちゃったわ。
(そっ、それが、ごく自然な蠅の捕まり方ですよ。)
*
羽虫
真夜中、夜に目が覚めた。
凄々まじい羽音に起こされた。
はらっても、はらっても
黒い小さな塊が、音を立てて
いくつも、いくつも纏わりついてきた。
そういえば、ここ、二、三日というもの
やけに、羽虫に纏わりつかれることが多かった。
きのうは、喫茶店で、口がストローに触れた瞬間に
花鉢からグラスのなかへ、羽虫が一匹、飛び込んできた。
今朝などは、起き上がってみると
シーツの上に、無数の黒い染みが張りついていたのだ。
と、そうだ、思い出した。
ぼくは思い出した。
ぼくは、とうに死んでいたんだ。
おとといの朝だった。
目が覚めたら、ぼくは死んでいた。
ぼくは、ぼくのベッドの上で死んでいたのだ。
そうだ。
そして、ぼくは
ぼくの死体を部屋の隅に引きずっていったんだ。
あれだ。
あのシーツの塊。
ぼくは、シーツを引っぺがしに立ち上がった。
ぼくがいた。
目をつむって、口を閉じ
膝を抱いて坐っていた。
すえたものの、それでいて
どこかしら、甘い匂いがした。
それは、けっして不快な臭いではなかったけれど
腐敗が進行すれば臭くなるだろう。
ぼくは、ぼくの死骸を抱え運び
自転車の荷台に括りつけた。
ぼくの死骸を捨てにいくために。
(不連続面)
真夜中、夜になると
ぼくは、ぼくの死骸を自転車の荷台に括りつけ
自転車を駆って、夜の街を走りまわる。
真夜中、夜になると
ぼくは、ぼくの死骸の捨て場所を探しさがしながら
自転車を駆って、夜の街を走りまわる。
踏み切り、
踏み切り、
真夜中、夜の駅。
ぼくの足は、いつもここで止まる。
ここに、ぼくの死骸を置いていこうか
どうしようか、と思案する。
でも、必ず
ぼくは、ぼくの死骸といっしょに
自分の部屋に戻ってくることになるのだ。
*
あめんぼう
あめんぼうは、すばらしい数学者です。
水面にすばやく円を描いてゆきます。
*
蝶
夏の一日
わたしは蝶になりましょう。
蝶となって
あなたの指先にとまりましょう。
わたしは翅をつむって
あなたの口づけを待ちましょう。
あなたはきっと
やさしく接吻してくれるでしょう。
*
蟻
死に
たかる蟻たち
夏の羽をもぎ取り
脚を引き千切ってゆく
死の解体者
指の先で抓み上げても
死を口にくわえてはなさぬ
殉教者
死とともに
首を引き離し
私は口に入れた
死の苦味
擂り潰された
死の運搬者
私
の
蟻
*
蟻
髑髏山の蟻塚は
罪人たちの腐りかけた屍体である。
巣穴に手を入れると
蟻どもがずわずわと這い上がってきた。
たっぷりと味わうがいい。
わたしの肉体は余すところなく美味である。
じっくりと味わうがいい。
とりわけ手と唇(くち)と陰茎は極上である。
*
蛞蝓
真夜中、夜の公衆便所
消毒済の白磁の便器のなかで
妊婦がひとり、溺れかけていた
壁面の塗料は、鱗片状に浮き剥がれ
そのひと剥がれ、ひと剥がれのもろもろが
黒光る小さな、やわらかい蛞蝓となって
明かり窓に向かって這い上っていった
女が死に際に月を産み落とした
血の混じった壁面の体液が
月の光をぬらぬらと
なめはじめた
*
蝸牛
窓ガラスに
雨垂れと
蝸牛
頬伝う
私の涙と
あなたの指
*
自涜する蝸牛
ユダの息子オナンは、故意に己の精を地にこぼした。そのため主は彼を殺された。(創世記三八・九−十)
自涜する蝸牛。
屑屑(せつせつ)と自慰に耽る雌雄同体(アンドロギユヌス)。
人葬所(ひとはふりど)にて快楽を刺青するわたくし、わたくしは
──溶けてどろどろになる蝸牛。*
さもありなん。
この身に背負つてゐるのは、ただの殻ではない。
銅(あかがね)の骨を納めた骨壺(インクつぼ)である。
湿つた麺麭(パン)に青黴が生へるやうに
わたくしの聚(あつ)めた骨は日に日に錆びてゆく。
──死よ、おまへの棘はどこにあるのか。**
──わたくしの棘は言葉にある。
その水銀(みずがね)色の這ひずり跡は
緑青(あをみどり)色の文字(もんじ)となつて
墓石に刻まれる。
──死の棘は罪である。***
しかり。
罪とは言葉である。
言葉からわたくしが生まれ
そのわたくしがまた言葉を産んでゆく。
自涜する蝸牛。
屑屑(せつせつ)と自慰に耽る雌雄同体(アンドロギユヌス)。
両性具有(ふたなり)のアダム、悲しみの聖母マリア(マテル・ドロローサ)。
日毎、繰り返さるる受胎と出産、
日々、生誕するわたくし。
*: Psalms 58.8 **: 1 Corinthians 15.55 ***: Corinthians 15.56
*
祈る蝸牛
小夜(さよ)、小雨(こさめ)降りやまぬ埋井(うもれゐ)の傍(かた)へ、
遠近(をちこち)に窪(くぼ)溜まる泥水、泥の水流るる廃庭を
葉から葉へ、葉から葉へと這ひ伝はりながら
わたしは歳若い蝸牛のあとを追つた。
とうに死んだ蝸牛が、葉腋(えふえき)についたきれいな水を
おだやかな貌つきで飲んでゐた。
きれいな水を飲むことができるのは
雨の日に死んだ蝸牛だけだと聞いてゐた。
見澄ますと、雨滴に打たれて震へ揺れる病葉(わくらば)の上から
あの歳若い蝸牛がわたしを誘つてゐた。
近寄つて、わたしは、わたしの爪のない指を
そろり、そろりと、のばしてみた。
、わたしの濡れた指が、その蝸牛の陰部に触れると
その蝸牛もまた、指をのばして、わたしの陰部に触れてきた。
わたしたちは、をとこでもあり、をんなでもあるのだと
──わたしたちは、海からきたの、でも、もう海には帰れない……
わたしたちは、をとこでもなく、をんなでもないのだと
──魂には、もう帰るべきところがないのかもしれない……
この快楽の交尾(さか)り、激しく揺れる病葉(わくらば)、
手を入れて(ふかく、ふかく、さしいれて)婪(むさぼ)りあふわたしたち。
わたしたちは婪(むさぼ)りあはずには生きてはゆけないもの。
──ああ、雨が止んでしまふ。
濡れた指、繰り返さるる愛撫、愛撫、恍惚の瞬間
、瞬間、その瞬間ごとに、
わたしは祈つた、
──死がすみやかに訪れんことを。
*
蟷螂
蟷螂(たうらう)よ その身に棲まふ禍(まが)つもの おまへの腹はおまへを喰らふ
小学生のころに、道端とかで、カマキリの姿を見つけたりすると、ぼくは、よく踏みつけて、ぐち
ゃぐちゃにしてやった。踵のところで、地面にぎゅいぎゅいこすりつけてやった。ときには、そのほ
っそりとしたやわらかい胴体を、指で抓み上げて、上下、真っ二つにぶっちぎってやったりもした。
すると、お腹のなかから、気味の悪い黒褐色の細長いものが、ぐにゅるにゅるにゅるぐにゅるにゅる
と、のたくりまわりながら飛び出てきた。本体のカマキリのほうは、とっくに死んでいるのに、お腹
のなかに潜んでいたそいつは、踏んづけてやっても、なかなか死ななかった。バラバラにしてやって
も、しぶとく動いていた。ぼくは、そいつがカマキリのほんとうの正体か、それとも、もうひとつ別
の姿か、あるいは、もうひとつ別の命のようなものだと思っていた。そいつがハリガネ虫とかと呼ば
れる、カマキリとはぜんぜん別個の生き物であるということを知ったのは、中学校に入ってからのこ
とだった。そいつは、カマキリのお腹のなかに棲みつきながら、カマキリの躯を内側から蝕んでいく
というのだ。そのことを知って、カマキリを殺すことがつまらなくなってしまった。そしたら、とた
んに、カマキリの姿を目にしなくなった。見かけることがなくなったのである。不思議なものだ。そ
れまで、あんなによく出くわしていたというのに。
カマキリは、学名(英名とも)を Mantis といい、それは「巫」の意を表わすギリシア語に由来する
という(『ファーブル昆虫記』古川晴男訳)。たしかに、カレッジ・クラウン英和辞典で調べると、語
源は、ギリシア語のアルファベット転記でも mantis であった。神託(oracle)を告げるというのだ。
ぼくは夢想する。カマキリが、蝶の姿となったぼくの躯を抱きしめ、ぼくを頭からムシャムシャと
むさぼり喰っていく様を。まるで陸(おか)に上がったばかりの船員が女の身体にむしゃぶりつくよ
うに。その荒々しさが、ぼくは好きだ。二の腕に黛色の入れ墨のある若くて逞しい船員の、潮の匂い
がたっぷりと沁み込んだ、男らしいゴツゴツとした太い指。その太い指に引っ掻きまわされて、くし
ゃくしゃにされる女の髪の毛。それは、ぼくの翅だ。カマキリは、その大きなトゲトゲギザギザの前
脚で、ぼくの美しい翅をバラバラに引き裂いてゆくのだ。そのヴィジョンは、ぼくを虜にする。
蝶のやうな私の郷愁!(三好達治『郷愁』)。ぼくの目は憶えている。ぼくの美しい翅が、少年の
指に粉々に押し潰されたことを(ヘッセ『少年の日の思い出』高橋健二訳)。ぼくの目は憶えている。
その少年の指が、ぼく自身の指であったことを。ぼくの指が、ぼくの美しい翅を、粉々に押し潰して
いったことを。
*
虫
コンコン、と
ノックはするけど
返事もしないうちに
入ってくるママ
机の上に
紅茶とお菓子を置いて
口をあけて
パクパク、パクパク
何を言ってるのか
ぼくには、ちっとも聞こえない
聞こえてくるのは
ぼくの耳の中にいる虫の声だけだ
ギィーギィー、ギィーギィー
そいつは鳴いてた
ママが出てくと
そいつが耳の中から這い出てきた
頭を傾けて
トントン、と叩いてやると
カサッと
ノートの上に落っこちた
それでも、そいつは
ギィーギィー、ギィーギィー
ちっとも
鳴きやまなかった
だから、ぼくは
コンパスの針で刺してやった
ノートの上に
くし刺しにしてやった
そうして、その細い脚を
カッターナイフで刻んでやった
先っちょの方から
順々に刻んでやった
そのたびごとに
そいつは大きな声で鳴いた
短くなった脚、バタつかせて
ギィーギィー、ギィーギィー鳴いた
そいつの醜い鳴き顔は
顔をゆがめて叱りつけるママそっくりだった
カッターナイフの切っ先を
顔の上でちらつかせてやった
クリックリ、クリックリ
ちらつかせてやった
そしたら、そいつは
よりいっそう大きな声で鳴いた
ギィーギィー、ギィーギィー
大きな声で鳴きわめいた
ぼくの耳を楽しませてくれる
ほんとに面白い虫だった
選出作品
作品 - 20110606_578_5271p
- [佳] 虫、虫、虫。 - 田中宏輔 (2011-06)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
虫、虫、虫。
田中宏輔