選出作品

作品 - 20100429_327_4351p

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関東平野

  鈴屋

関東平野ではなく、人の皮膚について書いた。それは丘陵の斜面をたどる散兵隊をルーペで観察す
ることだった。
静脈と漂泊について書いた。男は故郷を捨てたあるいは市制都市の円筒型給水塔を設計施工したと
書いた。

雷鳴まじりの天気雨は梅雨明けのしるし
奥武蔵の山裾、自動車解体業の男が行方不明
廃業した事務所で内縁の妻は日がな笑って暮らし
私は関越沿いの南国風モーテルに彼女を連れ出し、抱く
ソバージュに指を差しこみ
真っ白に磨かれた乱杭歯に舌を這わせて

私の仕事は自動車中古部品販売の営業です
白いハイエースを駆り、緑に濡れ光る関東平野をカミソリのように縦横に切り裂く、狂える営業です

街道沿いにはタチアオイが並び咲き、薄紅、濃い紅
花はジグザグに連なって夏空に昇る
かつて、この私が子供だったという不思議
夏休みの校庭の隅で
たったひとりで見とれていた
同じ紅、灼熱の光り、花びらの翳り

関東平野ではなく、女の背中について書いた。それは筆跡としてのアスファルトの路面がざあざあ流
れていくことだった。
乳房と川について書いた。母は少年を捨てたあるいは鉄橋を渡るステンレスボディーの電車は4両編
成であったと書いた。

もちろん私は知っている
自動車解体業の男が溜池に沈んでいるのを
八月中旬、予定通りゴルフ場造成業者のブルドーザーが溜池を埋め尽くしたのを
廃業した事務所で私と女はウイスキーで乾杯
夜更けまで、鼻と唇を酒で濡らして
羽虫と一緒にくるくる回って
舌をしゃぶりあって
はしゃいで笑って乾杯
笑って済む話は笑うしかない
私と女と死んだ男のありふれた履歴
関東平野の北北西の隅のちょっとした凸凹、笑うしかない

パンタグラフが架線をシャカシャカ擦って、新幹線が北関東の山岳に穴をあける
平野を撫でれば、縦横に張り巡らされた高圧線が指に引っ掛かる
晩夏、傾く日は錆びつき、平野の緑は灼け、数本の川が河口からぬるい水を海へ押し出す
夜が来る、澱んだ闇が微細な生き物達に原始の夢をうながす
空が白めば夢はうたかた、ふつふつ割れては消え、やがて
朝日が昇る
関東平野がゴム引きのようにぬらっと光る

小さな町で女とスナックなどやってみようか
東北道沿いの営業の途中、小奇麗な居抜きの店舗を見つけたのだ
筑波の山が近くに座っていた
ハイエースのフロントガラスの向こうの
少し先の、心和む、そこそこの、私の人生

関東平野ではなく、初秋に出会った見ず知らずの眸について書いた。それは山稜に佇む銀色の美し
い一基の送電塔について語ることだった。