ミシシッピ州からやってきた鰐がこちらを見ている。美しい鰐だ。愛している、という目で僕を見ている。いつか君を食べる時がきても、ゆったりとくつろいだ幸せな気分で、よく噛んで粗相の無いように食べます、とその目が言っている。それはいやだな、でも、もし逆に僕が君を食べることになったら、僕もよく噛んで食べることを忘れないようにしよう。黒々とした熱い鋳鉄の皿の上で、君の肉片は適度な大きさに切られ、焼かれているはずだ。落ち着いて、じっくり食べて、できれば食べながら声を上げずに泣こう。僕と鰐は愛し合っている。鰐の故郷、ミシシッピ川の丈高い草に覆われた川辺はとてもよいところだ。
僕らは今、薄暮の霞んだ月を戴いたユーラシア大陸の一画、平原に並んで立っている。僕らしかいない。春の草花が一面に揺れて、幽かな、しかし嗅覚を超越して深い匂いを放っている。僕らは愛に包まれて、つまり眠りよりも濃い安心感に陶酔しながら、これからこの草地を歩いていくだろう。草の隙間からしらしらと輝くものが見える。かつて城壁を構成していた石積みの名残だ。断面の凹凸も角も磨り減り、柔らかく崩れた石の塊が、草花に隠れながら、紫や青や赤や黄色が暗い緑の中からにじんで浮き上がる空間にちらりちらりと見え隠れしながら、延々と連なっている。
鰐よ、総ての喜びは記憶と、記憶にない歴史の隧道をたどってもたらされる。総ての苦しみは何も無い未来から光として流れ込んでくる。君とここにいるということは、その二つが無限の愛によって抱擁し合う場面を目の当たりにしているということだ。裸の肌と肌とが触れあって、冷たく燃え始める。赤い興奮が唇として重なり舌となって絡み合うと、その先は必ず充分な余裕を持って相手の核心に届いている。愉楽。射精は言葉をもたらし、受精はモノをもたらす。産まれてくるものは喜びの膣口と苦しみの肛門を突き破って足を伸ばし、その足が地面に触れるとソックスを生成し、スニーカーを生成し、下側から段々と日常のかたちを生成してそれは今僕として君とここに立つ。鰐よ、君と歩き始めようとしている。
生きている意味ってなんでしょうか?と鰐が僕に問いかけているようだ。生きているものを生きたまま食べる時、口中にしぶく血、その感覚が質問の起点です。鰐は僕に問いかけの意味を解説し、すっと目を閉じる。その瞼から金色の波紋がさやさやと広がり、徐々に地表を夜で浸す。僕は答える。鰐よ、意味は言葉によってもたらされるものだ。しかし、言葉は発せられた時既に固有の意味を背負っている。意味によって意味を語ることは堂々巡りに他ならない。僕たちが人生に苦しむのは、この堂々巡りが未来から光となって僕たちを照射するからなのだ。過去に注意を向けるといい。この春先、この花野に降っていた最後の雪にだ。生きることの意味は日の当たる土地に降り注ぎ、たちまち消えていく雪片だ。百億千億の意味があり、等しく光の中で輝いている。総て言葉ではなく、総て正しく、総て瞬時に消えていく。僕たちに与えられた生きる意味がそこにあった。今それは一面の花として、冥界からの残光に喜び輝いている。喜びは記憶と過去とからやってくるんだ。鰐よ、僕らは予兆としての苦しみと、記憶や過去でしかない喜びから絶えず産み出されている。そのみどり児だ。愛している。僕も君を愛している。
僕と鰐は古代の城壁に沿って延々と歩くだろう。歩くうちにもあちこちで積石は厚焼きビスケットのように割れ、割れ目から星が生まれ、意味は天に帰っていく。しゃりしゃりというかすかな音。絶えることのない美しさ。
選出作品
作品 - 20100105_662_4067p
- [佳] 鰐 - 右肩 (2010-01)
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鰐
右肩