点の誕生と成長、そして死の物語。
点は点の上に点をつくり
点は点の下に点をつくり
点、点、点、、、、
はじめに点があった
点は点であった
ある日
王妃のところに
大点使ミカエルさまがお告げにこられました。
「あなたは点の御子を身ごもられましたよ。」
と。
王妃は
それまで不眠症で
ずっと夜も起きっぱなしで
ただ部屋を暗くさせて
目をつむって床についていたのでした。
暗い部屋で目をつむっていれば
寝ているときの半分くらいの休息にはなると
医学博士でもあり夫でもある王から言われていたのでした。
大点使ミカエルさまの姿はまぶしくて見えませんでしたが
お声だけは、はっきりと聞き取れたのでした。
王妃はすぐに
王の寝室に行き
王の部屋の扉をノックしました。
「わたしです、愛しいあなた。
起きてください。
いま、大点使ミカエルさまがいらっしゃって
わたしに点の御子を授けたとおっしゃるの。」
「なんじゃと。」
王はそういうと布団を跳ね除け
扉を開けて妻である王妃の顔を見た。
王妃の顔は、窓から差し込む月の光にまぶしく輝いていました。
「点の御子じゃと。」
「点の御子だとおっしゃいましたわ。」
「点、点、点、……。」
「ええ、点、点、点と。」
「いったい、どのような子じゃろう?」
「わたしには、わかりませんわ。」
「では、待つのじゃ。
点の御子が生まれてくるまで。」
そうして
王と王妃は
ひと月
ふた月
み月と
月を数え
日を数えて待っていたのでした。
ところが、いっこうに王妃のお腹はふくれてきません。
「どうしたものかのう。
なぜ、そなたの腹はふくらまぬのじゃ?」
「わたしには、わかりませんわ。」
「なにしろ、点の御子じゃからのう、
点のように小さいのかもしれんなあ。
いや、そもそも、点には大きさがないのであった。
それゆえ、まったく腹がふくらまないのかもしれんな。」
よ月
いつ月
む月たっても、いっこうに王妃の体型は変わらりませんでした。
ただし、不眠症であった王妃は
大点使ミカエルさまが姿を顕わされたつぎの日から
夜になると
ぐっすりと眠れるようになったのでした。
もう不眠症どころではありません。
ふつうのひとよりずっと多く眠るようになっていたのでした。
なな月
や月
ここのつの月が過ぎ
とうとう
と月目に入りました。
と月とう日目の夜
(TEN月TEN日目の夜)
月の光の明るい夜のことでした。
王妃の部屋から叫び声が聞こえてきました。
王は布団を跳ね除け
ベッドから飛び起き
自分の寝室から
王妃の寝室までダッシュしました。
「どうしたのじゃ?」
「あなた。
ああ、愛しいお方。
いま、生まれましたわ。
わたしの子。
点の御子が。」
王妃はカーテンをすっかり開けました。
窓から差し込む月の光の下で
ベッドの敷布団の上にあったのは
ただ
ひとこと
点としか言えない
点でした。
王の目と王妃の目が見つめ合いました。
*
王と王妃は
点のために誕生の祝典をひらく。
点は祝福をもたらすもの。
点は祝福をもたらす。
王宮じゅうが
点の誕生を祝福して
お祭り騒ぎ。
点は祝福をもたらす。
国民は
王と
王妃とともに
祝典をあげる。
*
点は、国家に興味がない。
点は、王にも興味がない。
点は、王妃にも興味がない。
だれが、どこで、なにをしているのか
だれが、どこで、なにをされているのか
点は、なにものにも、まったく興味を魅かれなかった。
王妃がひそかに主人である王の家来と密通していようと、していまいと
王が馬丁の男と禁じられた恋の行為をしていようと、していまいと
点には、まったく関心がなかった。
点にはできないことはなかった。
あらゆることが可能であるなら
そういった存在は
なにかを望むなどということがありえようか。
点には、あらゆることが可能であった。
点には、自身が点であることすらやめることができたのである。
また点であることをやめたあとに
点になって復帰することも可能であった。
なぜなら、点には時間が作用しないからである。
点は、あらゆる時間のはじまりにも、
あらゆる時間の終わりにも存在していたし、存在していなかった。
点は、あらゆる場所のはじまりにも、
あらゆる場所の終わりにも、存在していたし、存在していなかった。
点は、あらゆる出来事のはじまりにも、
あらゆる出来事の終わりにも、存在していたし、存在していなかった。
あらゆる時間と、あらゆる場所と、あらゆる出来事は、点だった。
点は、存在するものであり、存在しないものである。
点は、あらゆる存在するものでもあり、あらゆる存在しないものでもある。
*
点は、国家に興味がない。
点は、王にも興味がない。
点は、王妃にも興味がない。
国家のほうが、点に興味を持っていた。
王のほうが、点に興味を持っていた。
王妃のほうが、点に興味を持っていた。
だれもが、いつ、どこでも、どんなときにも、点に興味を持っていた。
だれひとり、点に興味を失うことはなかった。
だれひとり、点に関心を払わないわけにはいかなかった。
その点が、点が点である所以であったのであろう。
*
点は、王にも、王妃にも、ほかのだれにもできないことができた。
点は、本のなかの物語そのもののなかに入ることができたのであった。
点は、本のなかに描かれた草原で風の声に耳を傾けることもできたし
点は、王に反逆した臣下が捉えられて拷問されているときの悲鳴を聞くこともできたし
点は、さやと流れる川の水の音に耳を澄ますこともできた。
点は、嵐の夜の稲光を目にすることもできたし
点は、畑で働く農民の首に流れる汗に反射する太陽の光の粒に目をとめることもできたし
点は、終業間際の疲れた目をこする会計士の机の上に開かれた帳面の数字に目を落とすこともできた。
点は、氾濫して崩壊した川の濁流に巻き込まれることもできたし
点は、電話口でささやかれる恋人たちの温かい息のなかに入ることもできたし
点は、地球と月の重力がつり合ったラグランジュ点となることもできた。
ただひとつ、点にできなかったのは、音そのものになることだった。
ただひとつ、点にできなかったのは、光そのものになることだった。
ただひとつ、点にできなかったのは、熱やエネルギーや力そのものになることだった。
*
点は、存在し、かつ、存在しないものである。
存在するものそのものではない。
存在しないものそのものでもない。
点は、物質でもなく、光でもなく、音でもなく、
エネルギーでもなく、力でもない。
あらゆる存在するものが点だった。
あらゆる存在しないものが点だった。
点は、あらゆる存在するものだった。
点は、あらゆる存在しないものだった。
さて
ここで
「あらゆる」という言葉が禁句であったことに思いを馳せよう。
「あらゆる」という時点で、(時と点で)
その書かれた文章は
メタ化された次元で無効となる恐れがあるからである。
間違い。
メタ化された次元から見ると無効となる恐れがあるからである。
(ほんとかな? 笑。)
上に書かれた文章には、穴が、ポコポコと、あいている。
それも、みな点だけれど。
点には大きさがないということは
いくらあいてても
あいてないのか?
笑けるわ。
ぼくは
笑わないけど。
点は、存在し、かつ、存在しないものである。
*
点は、移動するのか?
点は、自身をも含むいかなる点に関しても対称な位置に座標をもつことができる。
点は、自身をも含むいかなる直線に関しても対称な位置に座標をもつことはできる。
点は、自身をも含むいかなる平面に関しても対称な位置に座標をもつことはできる。
3次元空間の自身を含む、いかなる位置にも転位可能である。
したがって、点は、この条件のもとでは
同時瞬間的に、あらゆる移動によって、点であることをやめることができる。
点であるかぎり、点であることをやめることができるのだ。
これが
点の第一の死の物語であり、
つぎの第二の生誕の物語である。
そのあいだの成長の物語を語り忘れていた。
この語り部の語りには、点のような穴がいっぱいあいている。
この語り部の語りは、点のような穴だけでできているのだった。
点は、移動するのか?
*
点は
点の物語を語っている作者に不満を持った。
「点のような穴」
と
この物語を語っている作者は
第一巻の終わりに書いていたのだ。
点は
「ぼく、穴ちゃうし。
穴が、ぼくともちゃうし。
ぼく、なににも似てないし。
なにも、ぼくには似てないし。」
とつぶやいた。
この物語を語っている作者の
頭のなかで。
「そや。
きみは点やし
その点で
きみは
なにものにも似てないし
なにものも
きみには似てへん。
そやけど
ふつうに使う比喩やろ?
使うたら、あかんか?」
「あかん。
点の名誉にかけても
あかんわい!」
そか。
点の物語を語っている作者は
さっき
うれしいことがあったので
阪急西院駅のそばにある立ち飲み屋の
「印」に行くつもりだった。
パソコンのスイッチを切ろうとして
マウスに手をのばした。
「ちょっと待て。
書き直さへんのか?
さっきアップしたやつ。」
「ごめんちゃいね〜。
これから、お酒を飲みに
行ってきま〜ちゅ。」
と言って
この点の物語を語っている作者は
その顔に、いかにも意地悪そうな笑みを浮かべて
この外伝を書き終えたのでした。
ちゃんちゃん。
行ってきま〜ちゅ。
*
場所が点を欲することがあっても
点が場所を欲することはない。
たとえ、場所が場所を欲することがあっても
点が点を欲することはない。
時間が点を欲することがあっても
点が時間を欲することはない。
たとえ、時間が時間を欲することがあっても
点が点を欲することはない。
出来事が点を欲することがあっても
点が出来事を欲することはない。
たとえ、出来事が出来事を欲することがあっても
点が点を欲することはない。
*
点は裁かない。
点は殺さない。
点は愛さない。
点は真理でもなく
愛でもなく
道でもない。
しかし
裁くものは点であり
殺すものは点であり
愛するものは点である。
真理は点であり
愛は点であり
道は点である。
*
点は、自分のことを
作者が、数学概念としての「点」と
横書きの文章に使われるピリオドとしての「点」を
ごちゃまぜにしていることに腹を立てていた。
まったく異なるものだからだ。
「なんで、ごちゃまぜにしてるねん?」
「ええやん。
そのほうがおもろいねんから。
あんまり、まじめに考えんでもええんちゃうかな?
作者も遊んどるんやし
あんたも遊んどき。」
「なんやて。
遊ばれとる、わいの身になってみぃ、
ごっつう気分わるいで!」
「わるいなあ。
かんにんしてや。
わるふざけがやめられへん作者なんや。
ごめんやで。」
点は、目を点にして作者を睨みつけた。
まったく異なる意味概念のものでも
何度も比喩的に同じ詩のなかで扱われていると
やがて、その意味概念がごちゃまぜになってしまって
意味のうえで、明確な区別ができなくなっていくのであった。
「どついたろか
思うたけど
わいには、手があらへんし。」
「てん
て
てがあるのにね〜、笑。」
「笑。って書くな!
なんやねん、それ?」
「直接話法に間接話法を取り入れてみたんや、笑。」
「ムカツク。」
「まあ、作者は死ぬまで
あんたをはなさへんやろな。
大事に思うてるんやで。」
「そしたら
もうちょっとていねいに扱え!」
「了解、ラジャーです、笑。」
*
フランシスコ・ザビエルも、その点について考えたことがある。
フッサールも、その点について考えたことがある。
カントも、その点について考えたことがある。
マキャベリも、その点について考えたことがある。
マーク・トウェインも、その点について考えたことがある。
J・S・バッハも、その点について考えたことがある。
イエス・キリストも、その点について考えたことがある。
ニュートンも、その点について考えたことがある。
コロンブスも、その点について考えたことがある。
ニーチェも、その点について考えたことがある。
シェイクスピアも、その点について考えたことがある。
仏陀も、その点について考えたことがある。
ダ・ヴィンチも、その点について考えたことがある。
ジョン・レノンも、その点について考えたことがある。
シーザーも、その点について考えたことがある。
ゲーテも、その点について考えたことがある。
肖像画に描かれた人物たちも、その点について考えたことがある。
文学作品に登場する架空の人物たちも、その点について考えたことがある。
神話や伝説上の人物たちも、その点について考えたことがある。
だれもが、一度は、その点について考えたことがある。
神も、悪魔も、天使や、聖人たちも、その点について考えたことがある。
点もまた、その点について考えたことがある。
*
無数と無限は違うということを知っておかなければならない。
しかし、この違いを知ることはできないものである。
無数の点が集まって線ができるのでもなく
無数の点が集まって平面ができるのでもなく
無数の点が集まって空間ができるのでもないということを知ること。
しかし、線は無数の点からできているということ
平面は無数の点からできているということも
空間が無数の点からできているということも知らなければならない。
点と点のあいだの距離は無限である。
いかなる点のあいだにおいてもである。
それが同一の点においてもである。
点と点のあいだの距離はゼロである。
いかなる点のあいだにおいてもである。
それがどれほど遠くにある点においてもである。
*
点は腐敗することもなく
侵食されることもなく
崩壊することもない。
*
点にも感覚器官がある。
点にも
目があり
耳があり
舌があり
皮膚がある。
点にも
ときどき
突然死があり
癌もあり
交通事故死もある
点は
感じもし
考えもし
行動もする。
というより
感じるものは、すべて点であり
考えるものは、すべて点であり
行動するものは、すべて点である。
線や面や空間は
感じもしなければ
考えもしないし
行動もしない。
あらゆる線は、点に収縮し
あらゆる面は、点に収縮し
あらゆる空間は、点に収縮する。
点は線となって展開することもなく
面となって展開することもなく
空間となって展開することもない。
ただ点は点であるということにおいてのみ
線と面と空間は一致する。
*
ある日
点が、王のお気に入りの奴隷の額に転移して離れなかった。
点は、奴隷の額の上から
奴隷が見ているものを見、
奴隷が聞いているものを聞き、
奴隷が嗅いでいるものを嗅ぎ、
奴隷が触れているものに触れていた。
点は、奴隷の額の上から
奴隷が感じたことを感じ、
奴隷が考えたことを考えてみた。
ある日
王は奴隷を縛り首にした。
その後
点は、さまざまのものの上に転移した。
転位するたびに
王は
着物を燃やし
壺を壊し
絵を破りすてた。
点は、さまざまな人間の額の上に転移した。
転位するたびに
王は
弟を殺し
妹を殺し
老父を殺し
妃を殺していった。
しかし
もともと額の上に
厚みのないほくろのある顔と見分けがつかなかったので
王は、額にほくろを持つ人間をつぎつぎに吊るし首にしていった。
ほくろには、厚みのある生きぼくろと、厚みのない死にぼくろがあったのだが
王は、とにかく、額にほくろのある人間をことごとく捕らえては殺していった。
宮殿のなかから、宮殿のそとから
つぎつぎとひとの姿が消えていった。
ある日
王が目覚めて
ひとりの奴隷が、湯を入れたたらいを持って
王の部屋に入ってきた。
その奴隷の叫び声とともに
湯の入った、たらいが、床の上に落ちる大きな音がした。
*
点外
点内
*
点も
虚無も
イメージにしかすぎない。
点より先に虚無が存在したのか?
虚無より先に点が存在したのか?
存在することも
存在しないことも
語に付与された意味概念によるのだから
概念規定の問題である。
であるのか?
点と虚無。
それはイメージにしかすぎない。
それに相当する現実の実体は存在しない。
しないのか?
脳髄は存在しないものを考えることができる。
ほんとうに?
脳髄は存在するものを考えることができる。
ほんとうに?
胎児
自分は姿を見せずにあらゆる生き物を知る、これぞ神の特権ではなかろうか?
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』榊原晃三・南條郁子訳)
神の手にこねられる粘土のように
わたしをこねくりまわしているのは、だれなのか?
いったい、わたしを胎のなかで
数十世紀にもわたって、こねくりまわしているのは、だれなのか?
また、胎のなかで
数十世紀にもわたって、こねくりまわされているわたしは、だれなのか?
それは、わからない。
わたしは、人間ではないのかもしれない。
この胎は
人間のものではないのかもしれない。
しかし、この胎の持ち主は
自分のことを人間だと思っているようだ。
夫というものに、妻と呼ばれ
多くの他人からは、夫人と呼ばれ
親からは、娘と呼ばれ
子たちからは、母と呼ばれているのであった。
しかし、それもみな、言葉だ。
言葉とはなにか?
わたしは、知らない。
この胎の持ち主もよく知らないようだ。
詩人というものらしいこの胎の持ち主は
しじゅう、言葉について考えている。
まるきり言葉だけで考えていると考えているときもあるし
言葉以外のもので考えがまとまるときもあると思っているようだ。
この物語は
数十世紀を胎児の状態で過ごしつづけているわたしの物語であり
数十世紀にわたって、
わたしを胎内に宿しているものの物語であり
言葉と
神の物語である。
*
時間とは、なにか?
時間とは、この胎の持ち主にとっては
なにかをすることのできるもののある尺度である。
なにかをすることについて考えるときに思い起こされる言葉である。
この胎の持ち主は、しじゅう、時間について考えている。
時間がない。
時間がある。
時間がより多くかかる。
時間が足りない。
時間がきた。
時間がまだある。
時間がたっぷりとある。
いったい、時間とは、なにか?
わたしは知らない。
この胎の持ち主も、時間そのものについて
しばしば思いをめぐらせる。
そして、なんなのだろう? と自問するのだ。
この胎の持ち主にも、わからないらしい。
それでも、時間がないと思い
時間があると思うのだ。
時間とは、なにか?
言葉にしかすぎないものなのではなかろうか?
言葉とは、なにか?
わからないのだけれど。
*
わたしは、わたしが胎というもののなかにいることを
いつ知ったのか、語ることができない。
そして、わたしのいる場所が
ほんとうに、胎というものであるのかどうか確かめようもない。
そうして、そもそものところ
わたしが存在しているのかどうかさえ確かめようがないのだ。
そういえば、この胎の持ち主は、こんなことを考えたことがある。
意識とは、なにか?
それを意識が知ることはできない、と。
なぜなら、袋の中身が
袋の外から自分自身を眺めることができないからである、と。
しかし、この胎の持ち主は、ときおりこの考え方を自ら否定することがある。
袋の中身が、袋の外から自分自身を眺めることができないと考えることが
たんなる言葉で考えたものの限界であり
言葉そのものの限界にしかすぎないのだ、と。
そして、
言葉でないものについて、
この胎の持ち主は言葉によって考えようとする。
そうして、自分自身を、しじゅう痛めつけているのだ。
言葉とは、なにか?
それは、この胎の持ち主にも、わたしにはわからない。
*
生きている人間のだれよりも多くのことを知っている
このわたしは、まだ生まれてもいない。
無数の声を聞くことができるわたしは
まだわたしの耳で声そのものを聞いたことがない。
無数のものを見ることができるわたしは
まだわたしの目そのもので、ものを見たことがない。
無数のものに触れてきたわたしなのだが
そのわたしに手があるのかどうかもわからない。
無数の場所に立ち、無数の街を、丘を、森を、海を見下ろし
無数の場所を歩き、走り跳び回ったわたしだが
そのわたしに足があるのかどうかもわからない。
無数の言葉が結ばれ、解かれる時と場所であるわたしだが
そのわたしが存在するのかどうかもわからない。
そもそも、存在というものそのものが
言葉にしかすぎないかもしれないのだが。
その言葉が、なにか?
それも、わたしにはわからないのだが。
*
数学で扱う「点」とは
その言葉自体は定義できないものである。
他の定義された言葉から
準定義される言葉である。
たとえば線と線の交点のように。
しかし、その線がなにからできているのかを
想像することができるだろうか?
胎児もまた
父と母の交点であると考えることができる。
しかし、その父と、母が、
そもそものところ、なにからできているのかを
想像することができるだろうか?
無限後退していくしかないではないか?
あらゆることについて考えをめぐらせるときと同じように。
*
この胎の持ち主は、ときどき酩酊する。
そして意識が朦朧としたときに
ときおり閃光のようなものが
その脳髄にきらめくことがあるようだ。
つねづね
意識は、意識そのものを知ることはできない、と。
なぜなら、袋の中身が、袋の外から袋を眺めることができないからであると
この胎の持ち主は考えていたのだけれど
いま床に就き、意識を失う瞬間に
このような考えが、この胎の持ち主の脳髄にひらめいたのである。
地球が丸いと知ったギリシア人がいたわ。
かのギリシア人は、はるか彼方の水平線の向こうから近づいてくる
船が、船の上の部分から徐々に姿を現わすのを見て、そう考えたのよ。
空の星の動きを見て、地球を中心に宇宙が回転しているのではなくて
太陽を中心にして、地球をふくめた諸惑星が回転しているのだと
考えたギリシア人もいたわ。
これらは、意識が、意識について
すべてではないけれど
ある程度の理解ができるということを示唆しているのではないかしら?
わからないわ。
ああ、眠い。
書き留めておかなくてもいいかしら?
忘れないわね。
忘れないわ。
そうしているうちに、この胎の持ち主の頭脳から
言葉と言葉を結びつけていた力がよわまって
つぎつぎと言葉が解けていき
この胎の持ち主は、意識を失ったのであった。
*
わたしは、つねに逆さまになって考える。
頭が重すぎるのだろうか。
いや、身体のほうが軽すぎるのだ。
しかし、わたしは逆さまになっているというのに
なぜ母胎は逆さまにならないでいるのだろう。
なぜ、倒立して、腕で歩かないのだろうか。
わたしが逆さまになっているのが自然なことであるならば
母胎が逆さまになっていないことは不自然なことである。
違うだろうか。
卵
ベーコンエッグは
フライパンを火にかけて
サラダオイルをひいて
ベーコンを2枚おいて
タマゴを2個 割り落として
ちょっとおいて
水を入れて
ふたをする
ジュージュー音がする
しばらくすると
火をとめて
ふたをとって
フライパンの中身を
ゴミバケツに捨てる
*
自分を卵と勘違いした男の話
彼は冷蔵庫の扉を開けて卵を置く場所に
つぎつぎと自分を並べていった。
*
卵かけご飯
卵かけ冷奴
卵かけバナナ
卵かけイチゴ
卵かけカキ氷
卵かけスイカ
卵かけルイ・ヴィトン
卵かけ自転車
卵かけベンツ
卵かけ駅ビル
玉子かけ宇宙
*
この卵は
現在、使われておりません。
*
波の手は
ひくたびに
白い泡の代わりに
白い卵を波打ち際においていく
波打ち際に
びっしりと立ち並んだ
白い卵たち
*
卵
終日
頭がぼんやりとして
何をしているのか記憶していないことがよくある
河原町で、ふと気がつくと
時計屋の飾り窓に置かれている時計の時間が
みんな違っていることを不思議に思っていた自分に
はっとしたことがある
このあいだ
丸善で
ふと気がつくと
一個の卵を
平積みの本の上に
上手に立てたところだった
ぼくは
それが転がり落ちて
床の上で
カシャンッって割れて
白身と黄身がぐちゃぐちゃになって
みんなが叫び声を上げるシーンを思い浮かべて
ゆっくりと
店のなかから出て行った
*
みにくい卵の子は
ほんとにみにくかったから
親鳥は
そのみにくい卵があることに気づかなかった
みにくい卵の子は
かえらずに
くさっちゃった
*
コツコツと
卵の殻を破って
コツコツという音が生まれた
コツコツという音は
元気よく
コツコツ
コツコツ
と鳴いた
*
卵が、ときどき
殻の外に抜け出したり
また殻のなかに戻ったりしてるって
だれも知らない。
*
卵に蝶がとまっていると、蝶卵か卵蝶なのか
それを頭にくっつけてる少女は、少女蝶卵か卵蝶少女なのか
その少女が自転車に乗っていると、自転車少女蝶卵か卵蝶少女自転車なのか
ふう、これぐらいで、やめとこ、笑。
*
吉田くんのお父さんは、たしかにちょっとぼうっとした人だけど
吉田くんのお母さんは、しゃきしゃきとした、しっかりした人なのに
吉田くんちの隣の山本さんが一番下の子のノブユキくんを
吉田くんちの兄弟姉妹のなかに混ぜておいたら
吉田くんちのお父さんとお母さんは
自分のうちの子と間違えて育ててる
もう一ヶ月以上になると思うんだけど
吉田くんも自分に新しい弟ができて喜んでた
そういえば
ぼくんちの新しい妹も
いつごろからいるのか
わからない
ぼくのお父さんやお母さんにたずねても
わからないって言ってた
*
一本の指が卵の周りをなぞって一周する
一台の飛行機が地球のまわりを一周する
*
透明なプラスティックケースのなかに残された
最後の一個の卵が汗をびっしょりかいている
汗びっしょりになってがんばっているのだ
その卵は、ほかの卵がしたことがないことに
挑戦しようとしていたのだった
卵は、ぴょこんと
プラケースのなかから跳び出した
カシャッ
*
湖の上には
卵が一つ浮かんでいる
卵は
自分と瓜二つの卵に見とれて
動けなくなっている
湖面は
卵の美しさに打ち震えている
一個なのに二個である
あらゆるものが
一つなのに二つである
湖面が分裂するたびに
卵の数が増殖していく
二個から四個に
四個から八個に
八個から十六個に
卵は
自分と瓜二つの卵に見とれて
動けなくなっている
無数の湖面が
卵の美しさに打ち震えている
どの湖の上にも
卵が一つ浮かんでいる
*
卵病
コツコツと
頭のなかから
頭蓋骨をつつく音がした
コツコツ
コツコツ
ベリッ
頭のなかから
ひよこが出てきた
見ると
向かいの席に坐ってた人の頭の横からも
血まみれのひよこが
ひょこんと顔をのぞかせた
あちらこちらの席に坐ってる人たちの頭から
血まみれのひよこが
ひょこんと姿を現わして
つぎつぎと
電車の床の上におりたった
*
卵をフライパンの上で割ったら
小人が落ちて
フライパンの上に尻餅をついて
「あちっ。」
*
空の卵
卵を割ると
空がつるりんと
器のなかに落っこちた
白い雲が胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくる回すと
雲はくるくる回って
風が吹いて
嵐になって
ゴロゴロ
ゴロゴロ
ピカッ
ババーン
って
雷が落ちた
ぼくは
怖くなって
お箸をとめた
*
パパ卵
卵を割ると
つるりんと
中身が
器のなかに落ちた
パパが
胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
パパはくるくる回った
*
ぼく卵
卵を割ると
つるりんと 中身が
器のなかに落ちた
ぼくはちょっとくらくらした
ぼくが胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
ぼくはくるくる回った
ものすごいめまいがして
目を開けると
世界がくるくる回っていた
*
空飛ぶ卵
本日の夕方4時過ぎに
空飛ぶ卵が、京都市の三条大橋の袂に出現したということです。
目撃者の主婦 児玉玉子さん(仮名:43歳)の話によりますと
スターバックスの窓側で、持ってこられたばかりの熱いコーヒーをすすっておられると
とつぜん目の前を、卵が一個、すーっと通り過ぎていったというのです。
驚いて、外に出て、卵が向かったほうに目をやると
その卵が急上昇してヒュ−ンと飛び去っていったというお話でした。
児玉さんのほかにも、大勢の目撃者が証言されておられます。
昨日から日本各地で空飛ぶ卵が目撃されておりますが
これは何かが起こる兆しなのでしょうか。
今晩8時より当局において特別番組『空飛ぶ卵の謎』を放映いたします。
みなさま、ぜひ当局の番組をごらんくださいませ。
スペシャルゲストに
UFO研究家の矢追純一さんと卵評論家の玉木玉夫さんをお呼びいたしております。
*
卵の日
ある日
卵が空から落ちてきた
片づけるしりから
つぎつぎと卵が落ちてきた
町じゅう
卵で
ツルンツルン
*
卵は来るよ
卵は来るよ
どこまでも
ぼくについて来るよ
いつまでも
ころんころん
ころがって
卵は来るよ
どこまでも
ぼくについて来るよ
いつまでも
ころんころん
ころがって
*
二つの卵
二つの卵は
とても仲良し
いつもささやきあっている
二人だけの言葉で
二人だけに聞こえる声で
*
ナタリーの卵
って、タイトルしか考えなかったのだけれど
なんか、タイトルだけで感じちゃうってのは
根がスケベだからカピラ
*
ナタリーの卵
ナタリーに卵
ナタリーは卵
ナタリーを卵
*
卵にしていいですか
*
猟奇的な卵
溺れる卵
2001年卵の旅
酒と卵の日々
だれにでも卵がある
卵の惑星
ロミオと卵
失われた卵を求めて
行くたびに卵
果てしなき卵
見果てぬ卵
非卵の世界ええっ
卵生活
卵の夜明け
卵の国のアリス
荒れ狂う卵
卵応答なし
卵の海を越えて
宇宙卵
卵の儀式
燃える卵
*
卵頭
指先で
コツコツすると
ピキキキキ
って
*
きみもまだまだ卵だからなあ
*
藪をつついて卵を出す
石の上にも卵
二階から卵
鬼の目にも卵
覆水卵に戻らず
胃のなかの卵
*
あ
まっ
いいか
卵は卵であり卵であり卵であり卵であり……
*
霧卵
どんなんかな
*
卵
この卵か
あの卵かと
思案するけれど
根本的なことを言うと
なにも
卵でなくってもいいのよ
まあね
でも
卵って
なんだかかわいらしいじゃない?
腹筋ボコボコの卵
*
顔面神経痛の卵
不眠症の卵
よくキレル卵
ホホホと笑う卵
卵
卵って
書くと
みんな
だんだん
卵に見えてくる
*
お客さん
セット料金 20卵でどうですか
いやあ 20卵はきついよ
じゃあ 15卵でどうですか
よし じゃあ15卵な
ううううん
*
コツコツと
卵の殻を破って
卵が出てきた
*
わたしは注意の上にも注意を重ねて玄関のドアをそっと開けた
道路に卵たちはいなかった
わたしは卵が飛んできてもその攻撃をかわすことができる
卵払い傘を左手に持ち
ドアノブから右手を静かにはなして外に出た
すると、隣の家の玄関先に潜んでいた一個の卵が
びゅんっと飛んできた
わたしは
さっと左手から右手に卵払い傘を持ち替えて
それを拡げた
卵は傘の表面をすべって転がり落ちた
わたしは
もうそれ以上
卵が近所にいないことを願って歩きはじめた
こんな緊張を強いられる日がもう何ヶ月もつづいている
あの日
そうだ
あの日から卵が人間に反逆しだしたのだ
それも、わたしのせいで
京都市中央研究所で
魂を物質に与える実験をしていたのだ
一個の卵を実験材料に決定したのは
わたしだったのだ
わたしは知らなかった
そんなことをいえば
だれも知らなかったし
予想すらできなかったのだ
一個の卵に魂を与えたら
その瞬間に世界中の卵が魂を得たのだ
いっせいに世界中にあるすべての卵に魂が宿るなんてことが
いったいだれに予想などできるだろうか
といって
わたしが責任を免れるわけではない
「これで進化論が実証されたぞ。」と
同僚の学者の一人が言っていたが
そんなことよりも
世界中の卵から魂を奪うにはどうしたらいいのか
わたしが考えなければならないことは
さしあたって、このことだけなのだ
*
きのうは
ジミーちゃんと西院の立ち飲み屋に行った
串は、だいたいのものが80円だった
二人はえび、うずら、ソーセージを頼んだ
どれも80円だった
二人で食べるのに豚の生姜焼きとトマト・スライスを注文したのだが
豚肉はぺらぺらの肉じゃなかった
まるでくじらの肉のように分厚くて固かった
味はおいしかったのだけれど
そもそものところ
しょうゆと砂糖で甘辛くすると
そうそうまずい食べ物はつくれないはずなのであって
まあ、味はよかったのだ
二人はその立ち飲み屋に行く前に
西大路五条の角にある大國屋で
紙パックの日本酒を
バス停のベンチの上に坐りながら
チョコレートをあてにして飲んでいたのであるが
西院の立ち飲み屋では
二人とも生ビールを飲んでいた
にんにくいため
というのがあって
200円だったかな
どんなものか食べたことがなかったので
店員に言ったら
店員はにんにくをひと房取り出して
ようじで、ぶすぶすと穴をあけていき
それを油の中に入れて、そのまま揚げたのである
揚がったにんにくの房の上から塩と胡椒をふりかけると
二人の目の前にそれを置いたのであった
にんにくいためというので
にんにくの薄切りを炒めたものが出てくると思っていたのだが
出てきたそれもおいしかった
やわらかくて香ばしい白くてかわいいにんにくの身が
つるんと、房から、つぎつぎと出てきて
二人の口のなかに入っていったのであった
ぼくの横にいた青年は
背は低かったが
なかなかの好青年で
ぼくの身体に自分の尻の一部をくっつけてくれていて
ときどきそれを意識してしまって
顔を覗いたのだが
知らない顔で
以前に河原町のいつも行く居酒屋さんで
オーストラリア人の26歳のカメラマンの子が
ぼくのひざに自分のひざをぐいぐいとひっつけてきたことを
思い起こさせたのだけれど
あとでジミーちゃんにそう言うと
「あほちゃう? あんな立ち飲み屋で
いっぱい人が並んでたら
そら、身体もひっつくがな
そんなんずっと意識しとったんかいな
もう、あきれるわ。」
とのことでした
で
そのあと二人は自転車に乗って
四条大宮の立ち飲み屋「てら」に行ったのであった
そこは以前に
マイミクの詩人の方に連れて行っていただいたところだった
で
どこだったかなあ
と
ぼくがうろうろ探してると
ジミーちゃんが
ここ違うの?
と言って、すいすいと
建物の中を入っていくと
そこが「てら」なのであった
「なんで
ぼくよりよくわかるの?」
って訊いたら
「表に看板で
立ち飲み
って書いてあったからね。」
とのことだった
うかつだった
おいしいなって思った「にくすい」がなかった
豚汁を食べた
サーモンの串揚げがおいしかった
生ビール
で
煮抜きを頼んだら
出てきた卵が爆発した
戦場だった
ジミー中尉の肩に腕を置いて
身体を傾けていた
左の脇腹を銃弾が貫通していた
わたしは痛みに耐え切れずうめき声を上げた
ジミー中尉はわたしの身体を建物の中にまでひきずっていくと
扉を静かに閉めた
部屋が一気に暗くなった
爆音も小さくなった
窓ガラスがはじけ飛んで
卵が部屋のなかで爆発した
時間爆弾だった
場所爆弾ともいい
出来事爆弾ともいうシロモノだった
ぼくは居酒屋のテーブルに肘をついて
シンちゃんの
話に耳を傾けていた
「この喉のところを通る泡っていうのかな。
ビールが喉を通って胃に行くときに
喉の上に押し上げる泡
この泡のこと、わかる?」
「わかるよ
ゲップじゃないんだよね。
いや、ゲップかな。
まあ、言い方はゲップでよかったと思うんだけど
それが喉を通るってこと。
それを感じるってこと。
それって大事なんだよね。
そういうことに目をとめて
こころをとめておくことができる人生って
すっごい素敵じゃない?」
立ち飲み屋で、ジミーちゃんが
鞄をぼくに預けた
トイレに行くからと言う
ぼくは隣にいる若い男の唇の上のまばらなひげに目をとめた
ぼくはエリックのひざをさわりたかった
エリックはわざとひざを押しつけてきてるんだろうか
シンちゃんがビールのお代わりを頼んだ
ジミーちゃんがトイレから戻ってきた
エリックのひざがぼくのひざに押しつけられている
卵が爆発した
ジミー中尉は
負傷したわたしを部屋のなかに残して建物の外に出て行った
わたしは頭を上げる力もなくて
顔を横に向けた
小学生時代にぼくが好きだった友だちが
ひざをまげて坐ってぼくの顔を見てた
名前を忘れてしまった
なんて名前だったんだろう
ジミーちゃんに鞄を返して
ぼくはビールのお代わりを注文した
ジミーちゃんもビールのお代わりを注文した
脇腹が痛いので
見ると
血まみれだった
ジミーちゃんの顔を見たら
それは壁だった
わたしが最後に覚えているのは
名前を忘れた友だちが
わたしの顔をじっと眺めるようにして
見つめていたことだった
*
教室に日光が入った
きつい日差しだったから
それまで暗かった教室の一部がきらきらと輝いた
もうお昼前なんだ
そう思って校庭を見た
卵の殻に
その輪郭にそって太陽光線が乱反射してまぶしかった
コの字型の校舎の真ん中に校庭があって
その校庭のなかに
卵があった
卵のした四分の一くらいの部分が
地面の下にうずまっていて
その上に四分の三の部分が出てたんだけど
卵が校庭に現われてからは
ぼくたちは体育の授業ぜんぶ
校舎のなかの体育館でしなければならなかった
終業ベルが鳴った
帰りに吉田くんの家に寄って宿題をする約束をした
吉田くんちには
このあいだ新しい男の子がきて
吉田くんが面倒を見てたんだけど
きょうは吉田くんのお母さんが
親戚の叔母さんのところに
その子を連れて行ってるので
ぼくといっしょに宿題ができるってことだった
吉田くんちに行くときに
通り道に卵があって
ぼくたちは横向きになって
道をふさいでる卵と
建物の隙間に
身体を潜り込ませるようにして
通らなければならなかった
そのとき
吉田くんが
ぼくにチュってしたから
ぼくはとても恥ずかしかった
それ以上にとてもうれしかったのだけれど
でもいつもそうなんだ
ふたりのあいだにそれ以上のことはなくて
しかも
そんなことがあったということさえ
なかったふりをしてた
ぼくたちは道に出ると
吉田くんちに向かって急いだ
*
桜玉子
近所のスーパーでLサイズの桜玉子が安売りしてるから
買ったら
あのアコギな桜玉子やった
ちょっと赤い色の殻のやつやねんけど
それが透明の赤いパックに入れてあって
ちょっと赤いだけのくせして
だいぶん赤いように見えるようにしてあって
アコギというよりもエレキなことしよるなあって思って
Keffさん的に言うと
えらい「赤福」やなあってことなんやけど
それとも「不二家」かな
あ
両方違うか
笑
それでも安いから買ってしもた
さすがに白い殻の玉子を
あの透明の赤いパックに入れて
桜玉子のフリはさせてへんけど
桜玉子にも
ふつうの透明のパックに入れてもらえる権利はあって
権利を主張することは玉子としてあたりまえのことである
こう電話でジミーちゃんに言うと
ジミーちゃんに
玉子が権利を主張せえへんのがあたりまえやけどなって言われた
ふんっ
*
視線爆弾
視線卵
声卵
時間卵
場所卵
出来事卵
偶然卵
必然卵
筋肉卵
心臓卵
*
きみは卵だろう
バスを待っていたら
停留所で
知らないおじさんが ぼくにそう言ってきた
ママは、知らない人と口をきいてはいけないって
いつも言ってたから、ぼくは返事をしないで
ただ、知らないおじさんの顔を見つめた
きみは卵だろう
繰り返し、知らないおじさんが
ぼくにそう言って
ぼくの手をとった
ぼくの手には卵が握らされてた
きみは卵だろう
待っていたバスがきたので
ぼくはバスに乗った
知らないおじさんはバス停から
ぼくを見つめながら
手を振っていた
塾の近くにある停留所に着くまで
ぼくは卵を手に持っていた
卵は
なかから何かが
コツコツつついてた
鶏の卵にしては
へんな色だった
肌色に茶色がまざった
そうだ
まるで惑星の写真みたいだった
木星とか土星とか水星とか
どの惑星か忘れたけど
バスが急停車した
ぼくは思わず卵をぎゅっと握ってしまった
卵の殻のしたに小さな人間の姿が現われた
つぎの停留所が、ぼくの降りなければならない停留所だった
ぼくは
殻ごと
その小人を隣の座席の上に残して立ち上がった
その小人の顔は怖くて見なかった
きみは卵だろう
知らないおじさんの低い声が耳に残っていたから
降りる前に一度けつまずいた
バスが見えなくなってしまうまで
ぼくはバスを後ろから見てた
*
約束の地
その土地は神が約束した豊かなる土地
地面からつぎつぎと卵が湧いて現われ
白身や黄身が岩間を流れ
樹木には卵がたわわに実って落ちる
約束の地
*
創卵記
神は鳥や獣や魚たちの卵をつくった
神は人間の卵をつくった
卵は自分だけが番(つがい)でないのに
さびしい思いがした
そこで、神は卵を眠らせて
卵の殻の一部から
もう一つの卵をつくった
卵は目をさまして隣の卵を見てこう言った
「おお、これこそ卵の殻の殻。
白身もあれば黄身もある。
わたしから取ったものからつくったのだから
そら、わたしに似てるだろうさ。」
それで、卵はみんな卵となったのである
*
十戒
一 わたしのほかに卵があってはならない。
二 あなたの卵、卵の名をみだりに唱えてはならない。
三 卵の日を心にとどめ、これを聖なる日としなさい。
四 あなたの卵を敬いなさい。
五 卵を用いて殺してはならない。
六 卵を用いて姦淫してはならない。
七 卵を盗んではならない。
八 隣の卵に関して詮索してはならない。
九 隣の卵を欲してはならない。
十 隣の卵のすることは隣の卵にまかせなさい。
*
モーセ役の卵が、空中に浮かんだ卵の光を
見ないように両手で顔を覆ったら
映画に見入っていた観客の卵たちも
みんな顔を両手で覆った
*
卵は
四角くなったり
三角になったり
いろいろ姿を変えてみた
卵は
男になったり
女になったり
いろいろ姿を変えてみた
卵は
霧になったり
砂漠になったり
いろいろ姿を変えてみた
*
卵とハム
卵とチーズ
卵とパン
卵とミルク
卵と檻
卵と梯子
卵と自転車
*
失卵園
卵曲
老人と卵
少年と卵
白卵
怒りの卵
卵の東
二卵物語
五里卵
千里の道も卵から
急がば卵
善は卵
卵は急げ
帯に短かし、たすきに卵
五十卵百卵
泣いた卵がすぐ笑う
けっこう毛だらけ灰卵
白雪姫と七つの卵
四つの卵
ジャニーズ卵
喉元過ぎれば卵忘れる
田中さん、最近、頭からよく卵抜けへんか?
*
ノルウェイの卵
星の玉子様
聖卵
老玉子
源氏物卵
我輩は卵である
デカタマゴ
徒然卵
御伽玉子
*
11個ある!
ブラッドベリだけど
萩尾望都のマンガの背表紙を見て
思いついた。
ブックオフのマンガのコーナーを見ていて
知らない作者の名前ばかりなのでびっくりしていた
で、本のコーナーに行っても
日本人のところは、ほとんどわからず
まあ、いいかな
それでも
卵らないからね。
*
卵を使った拷問の仕方を学習する
授業で習ったのだけれど
単純な道具で
十分な痛みと屈辱を与えることができるという話だった
卵を使ったさまざまな拷問の仕方が披露された
一番印象的だったのは
身体を動けないようにして
卵を額の前にずっと置いておくというものだった
額に十分近ければ
頭が痛くなるというもので
ぼくたち生徒たちは
じっさいに授業で
友だち同士で
額に卵を近づけて実験した
たしかに
頭が痛くなった
ただ
ぼくは先生に言わなかったんだけど
べつに卵でなくても
額に指を近づけたって
額が痛くなるんだよね
まあ
そんなこと言ったら
先生に指の一本か二本
切断されていただろうけれど
*
卵の一部が
人間の顔になる病気がはやっているそうだ
大陸のほうから
海岸線のほうに向かって
一挙に感染区域が拡がっていったそうだ
きのう
冷蔵庫を開けると
卵のケースに入れておいた卵が
みんな
人間の顔になっていた
すぐにぜんぶ捨てたけど
一個の卵を割ってしまったのだけれど
きゃっ
という、小さな叫び声を耳にした気がした
こわくて
それからほかの卵はそっとおいて捨てた
*
卵病
顔に触れた
頬の一部が卵の殻のようになっている
指先で触れていく
円を描くように
ふくらみの中心に向かって
やはり
卵のふくらみの一部のようだ
きのうお母さんに背中を見てもらったら
左の肩甲骨の辺りにも卵の殻のようになったところがあった
右手を後ろに回して触わったら
たしかに、固くてザラザラしていた
ぼくもお父さんのように
いつか全身が卵の殻のように
固くザラザラした
そのくせ
壊れやすい皮膚になるのだろうか
その卵の殻の下の血と骨と肉は
以前のままなのに
わらのような布団の上で
ただ死ぬのを待つだけの卵となって
*
戴卵式
12歳になったら
大人の仲間入りだ
頭に卵の殻をかぶせられる
黄身が世の歌を歌わされる
それからの一生を
卵黄さまのために生きていくのだ
ぼくも明日
12歳になる
とても不安だけど
大人といっしょに
ぼくも卵頭になる
ざらざら
まっしろの
美しい卵頭だ
*
あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないのは
それは
あなたがその卵を見つめている前と後で
まったく違う人間になったからである
川にはさまざまなものが流れる
さまざまなものがとどまり変化する
川もまた姿を変え、形を変えていく
その卵が
以前のあなたを
いまのあなたに作り変えたのである
あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないだけである
*
テーブルの上に斜めに立ててある卵があるとしよう
接着剤でとめてあるわけでもなく
テーブルが斜めになっているのでもなく
見ているひとが斜めに立っているのでもないとしたら
卵が斜めに立っている理由が見つからない
しかし、理由が見つからないといって
卵が斜めに立たない理由にはならない
なんとか理由を見つけなければならない
じっさいには目には見えないけれど
想像のなかでなら存在する卵
これなら
テーブルの上に斜めに立たせることができるだろう
接着剤もつかわずに
テーブルを斜めに傾ける必要もなく
見ている者が斜めに身体を傾ける必要もない
テーブルの上に斜めに立ててある卵がある
その卵の上で
小さな天使たちが
やっぱり斜めになって
輪になって
卵の周りを
くるくる回って飛んでいる
美しい音楽が流れ
幸せな気分になってくる
*
存在の卵
二本の手が突き出している
その二本の手のなかには
ひとつずつ卵があって
手をひらけば
卵は落ちるはずであった
もしも手をひらいても
卵が落ちなければ
手はひらかれなかったのだし
二本の手も突き出されなかったのだし
ピサの斜塔もなかったのだ
*
万里の長城の城壁の天辺に
卵が一つ置かれている。
卵はとがったほうを上に立てて置かれている。
卵の上に蝶がとまる。
卵は微塵も動かなかった。
しばらくして
蝶が卵の上から飛び立った。
すると
万里の長城が
ことごとく
つぎつぎと崩れ去っていった。
しかし
卵はあった場所にとどまったまま
宙に浮いたまま
微塵も動かなかった。
*
とても小さな卵に
蝶がとまって
ひらひら翅を動かしていると
卵がくるりんと一回転した。
少女がそれを手にとって
頭につけてくるりんと一回転した。
すると地球もくるりんと一回転した。
*
卵予報
きょうは、あさからずっとゆで卵でしたが
明日も午前中は固めのゆで卵でしょう。
午後からは半熟のゆで卵になるでしょう。
明後日は一日じゅう、スクランブルエッグでしょう。
明々後日は目玉焼きでしょう。
来週前半は調理卵がつづくと思われます。
来週の終わり頃にようやく生卵でしょう。
でも年内は、ヒヨコになる予定はありません。
では、つぎにイクラ予報です。
*
窓の外にちらつくものがあったので
目をやった。
*
卵の幽霊
幽霊の卵
*
冷蔵庫の卵がなくなってたと思ってたら
いつの間にか
また1パック
まっさらの卵があった
安くなると
ついつい買ってくる癖があって
最近ぼけてきたから
いつ買ったのかもわからなくて
困ったわ
選出作品
作品 - 20091211_141_4019p
- [優] CHANT OF THE EVER CIRCLING SKELETAL FAMILY。 - 田中宏輔 (2009-12)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
CHANT OF THE EVER CIRCLING SKELETAL FAMILY。
田中宏輔