壁の裏側にいます
私は
いつもその壁の裏側にいるのです
あなたが生まれた時
片眼をひらいた時
まちがって 立ちあがった時
歩きはじめた時
戸口から薄い光が
さしていたあの時
夏の午後
小暗い台所の
こぼれた油の中で しずかに
蟻が死んでいた時
誰かが叫んだ時 血の流れた後に
女がやって来た時
みぞれの日
子供の泣きじゃくったその夜
ありふれた翌朝
皿が割れた時 ふたたび みたび
皿が割れた時 低く
咳のひびいていた週末
誰もいなくなった時 からっぽの部屋でラジオが
鳴りつづけていた時
途切れなかった時
十二月
あなたがまだそこにいて
寝床が軋んだ時
しばらく軋んでいて
やがて
もう誰の息もそこから
聞こえなくなった時
いつも私はその壁の裏側にいました
そしてもちろん 今も
ただひとつ これまでと違って
これからはあなたのいるそちらが
裏側なのですけれど
選出作品
作品 - 20091002_225_3832p
- [佳] 壁の裏側 - 岩尾忍 (2009-10)
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壁の裏側
岩尾忍