選出作品

作品 - 20090720_733_3657p

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金色の月

  野々井夕紀

<<白い猫が一匹、三叉路の真ん中に横たわっている。
雲は忙しく夜空を廻り、外灯の伸びた先に貼りついている月は笹の葉たちのお喋りにも耳を貸さず、ぼんやりとうなだれて、何だかを考えているようだった。
すう、と息を吸っては、すうう、と再び息を吸ってしまったり、それはもう、不自然な様子なのだった。
心配したトモルは、大きな雲の群れが行き過ぎたのを確かめて、月に精一杯声を張って呼びかける。
「おうい、お月さんよう。そんな風にしていたらもう、ぐんにゃりとしてしまうぜ。顔だって蒼白じゃあないか。」
月はトモルに気付き、首をどうにかもたげて顔をその方向へやる。
「ああ、トモルか。こんばんは。いや何ちょっとね、考え事をしていたんだ。」
云ったあとにしばらく口の周りをまにまにと動かして、また、すううう、と息を吸った。
「どうしたって云うんだい。明日にはきっと金色に光るぞ、と昨晩は溢れんばかりに張り切っていただろうに。キエルだって、もうすぐ来ちまうよ。」
「それだって仕方がないさ、考え事ばかりしているんだから僕は。」
月はもう黙ってしまい、体ごと丸めて頑なに息を吸う。
ワルツのステップを見せてやってもレンゲ草の踊りだす周波数を教えてやっても、これならどうだ、とアルミニウムの真似をしてみせても、どうにも返事をしない。
トモルはすっかり見放してしまいたい気持ちをこらえて、吐いてしまいたい息をこらえて、とかげが三百匹入るくらいの、四角い銀色の缶ケースをごそごそやった。その中の底の方からやっと真っ黒いジーンズを引っ張りだし、高々と翳してやる。
「何だい? それは。」
月は訝しげな表情をしておずおずと、トモルの広げた布地を覗きこむ。
「これはな、ジーンズって云うんだ。足の二本のやつが履くのさ。格好いいだろう。」
「ほう、ジーンズと云うのか。遺伝子とは何か関係があるのだろうか。」
「全くとは云いきれないが、大方関係のないはずだろうよ。」
「ほう、ないのか。しかしなるほど、こいつは全く素晴らしい夜だなあ。」
「ああ、とてもへんてこだろう。」
月は嬉々として、ほう、この編み目はなかなかどうして、ほっほーう、と幾度も感嘆し、いろんな角度からジーンズを眺めた。
顔をうかがってみると、どうやら血色が良くなってきたようである。感嘆したことで、息をまた吐けるようになったらしかった。
やれやれ、という風にトモルはうつむき首を振る。
「もう充分見ただろう。そろそろ、しまうからね。」
すると月は大変慌てた様子で
「そんな待ってくれ、あと少し見せてくれないか。ジーンズとやらを見ている間は不思議と考え事を忘れておられるのだよ。お願いだトモル。」と懇願した。
「おれだって、そうしてやりたいが広げているのだってくたびれるのさ。それに君はもう、今りっぱに金色だよ。水溜まりに映してみるといい。」
「いや違うんだ。実を云うと僕は金色なんかじゃなくていいと思っているんだ、もしくはトモル、君が僕の考え事を代わりに考えてくれないだろうか。図図しい頼みだとは分かっているが、もう大変くるしくっていけない。代わってくれるのなら僕はたっぷり金色でいよう。」
トモルはほとほと困り果ててしまって、でもお月さんがずっと蒼白でる方が皆(キエルもじきに来てしまうだろうし)、「ほとほと困り果ててしまう」だろうと思い、考え事を受け取った。
それから月は、ああほんとうにすっきりしたという風に伸びをして、ぴかぴかと金色に輝きはじめた。
すう、と息を吸い、ふう、と息を吐く。ほう、正しい呼吸というものは考えるまでもなく、生まれたときに既に、自然と出来ていたものであったなあ! と喜んでぴかぴかした。
はてさて、と考え事を受け取ったトモルは、手に余るほどの考え事をどうしたものか、頭を悩ませた。
そうして悩んだあげく、仕方なしに食べてしまうことにした。
噛み砕き、胃へ運んでしまえば酸が自然と分泌されて、やがてなくなってしまうのではないか、という期待もまた、ほんの少しあったのだ。
おそるおそる口に運ぶ。
なかなか美味しいものじゃないか、と胸を撫で下ろして、もそもそ食べはじめる。口に含む瞬間はハッカのような心持ちで、味は九官鳥、歯ざわりは固めなのだが、喉を通るときにはぬめっとした、滑らかな感触である。
しかし、しばらく食べても、はたまた食べても一向に減らない。
きゃっきゃっと噛み砕く音が夜に響く。腹ばかりがまんまると膨れて、消化する気配はない。満腹にもならない。
どうしてどうして、と思いつつそれでも黙黙、粛粛と食べ続けていると、空はもうゆっくり、ガーゼを捲っていくように薄く、するすると明けていってしまった。(ああもう間に合わない、キエルが来ちまうよ!)北の方角にある林から、ほくろうの声が聞こえる。梨もようよう熟れる頃だろう。
トモルは空の編み目を眺め何故だか涙がとまらず、顔をぐしゃぐしゃに崩しながら考え事を口へときゅうきゅう詰め込んだ。
やがて入りきらなくなった考え事を唇から溢れさせ、そこでようやく意識はなくなり、トモルはぱたりと、倒れてしまった。
矢印のように折れ曲がった尻尾のとなりには真新しい夜がきちんとたたまれていて、月は輪郭がぼやけながらもその真っ黒を見るとやはり、ふう、と生温い息を吐いてしまい、トモルの滑らかな毛並みは月の吐いた息に心地よく、高原に吹く南風のように、波打つのだった。>>