選出作品

作品 - 20081204_018_3189p

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新宿三丁目で思うこと

  黒沢

ムンクの舌のような月
それには直接
関係ないが
新宿のビル群の向うに
引き伸ばされた塗り絵みたいな夕陽がはり付いている



ホームレスといわれた男
はやりの言葉なら
ワーキングプア
自己責任
といった所か

名前を
持たない
鳥類を思わせる初老の男が
地下鉄出口の
階段のそば
縁石に腰を下ろして
通りを見ている
ぞろぞろ事象が溢れ出す雑多なものの光景を見ている
スタイリッシュな外車なのか
しり軽女なのか
奇蹟なのか
大都市の風が砂っぽく吹くのか

妻がいった
とても不安そうで
空気の動きにもびくびくして
少し
震えていたって



私はいう
かつてインドを旅したころの話

カンガーのそば
巡礼者がふり撒いていたピンクの花びら
黒い足裏が次つぎに踏みつけて
水辺では嗚咽する人もいて
けれども組合の
乞食の少年は
親方に
両手両足を切断されたからだで
ダルマみたいにもの凄く這いよってきて
涎をたらし
言語ではない唸り声を上げながら
ひとりひとりに
金銭をせびる

体温のような熱い
熱い
汚れた河が
その背景で厳かにかがやく

インドのあれが二十年前なら
日本にも中世はあった
一休和尚は
自業自得
見るも汚らわしい
つまり穢多
そういって棒切れを振り回し
気違いみたいに
はげしく打据し続けた
恐らく一生涯かけて



ホームレスが居る
ムンクの舌と
直接
関係のないあの
厳然と集合論的滑らかな手触りとしてある温い夕焼け

堕ちるのか
のぼるのか

のぼるのか
堕ちていくのか



世界の裏側で誰が
何にん死のうが知りようがない

たとえば今生
この地球のうらぶれた路上で
施政者や無為の小市民や
にく親が
どれだけ他人を苛もうが
私には何も分からない

飢餓にもさちの偏在にも
社会システムの人類規学的挫折にもインターネットにも



ホームレスが居た
それは

形而上の想像不安
いってみればムンクの舌などを持ち出してみた
書かれた
書きものの

表記や作者
対象や
比喩のあいだの乖離や肉薄と
まったく無関係な話だ



いま新宿三丁目の地下鉄の出口で
縁石にすわり込んでいたひょろ長い
影のような男が
コンビニ袋を左手に持ちかえ
陽も混沌もない終夜の活動期を目前にして
ビルや立体交差や
ひと混みや信号機の向う
惰性というほかない大都市の化学照明のさなかに
浮きあがるような心細さ
饐えた矜持のなお残るせわしさのまま
吸い込まれていく

しなびた顎鬚にはり付く
無言の履歴
それを参照する外部の話者も与えられず

輪廻転生や
宗教論的裏づけにすら言及されず
どうにもムンクの舌としかいいようがなかった月
なのか
塗り絵の名残であったか
遠のきうすくなる胸板の暗部
だぶだぶのシャツの継ぎめや綻びに
忍ばせたまま



ホームレスでも
ワーキングプアでも
滑稽でも
自己責任でもべつに構わない

そういって私は
妻を
恐らく怖い目で睨みつけたはずだ