ムンクの舌のような月
それには直接
関係ないが
新宿のビル群の向うに
引き伸ばされた塗り絵みたいな夕陽がはり付いている
*
ホームレスといわれた男
はやりの言葉なら
ワーキングプア
自己責任
といった所か
名前を
持たない
鳥類を思わせる初老の男が
地下鉄出口の
階段のそば
縁石に腰を下ろして
通りを見ている
ぞろぞろ事象が溢れ出す雑多なものの光景を見ている
スタイリッシュな外車なのか
しり軽女なのか
奇蹟なのか
大都市の風が砂っぽく吹くのか
妻がいった
とても不安そうで
空気の動きにもびくびくして
少し
震えていたって
*
私はいう
かつてインドを旅したころの話
カンガーのそば
巡礼者がふり撒いていたピンクの花びら
黒い足裏が次つぎに踏みつけて
水辺では嗚咽する人もいて
けれども組合の
乞食の少年は
親方に
両手両足を切断されたからだで
ダルマみたいにもの凄く這いよってきて
涎をたらし
言語ではない唸り声を上げながら
ひとりひとりに
金銭をせびる
体温のような熱い
熱い
汚れた河が
その背景で厳かにかがやく
インドのあれが二十年前なら
日本にも中世はあった
一休和尚は
自業自得
見るも汚らわしい
つまり穢多
そういって棒切れを振り回し
気違いみたいに
はげしく打据し続けた
恐らく一生涯かけて
*
ホームレスが居る
ムンクの舌と
直接
関係のないあの
厳然と集合論的滑らかな手触りとしてある温い夕焼け
堕ちるのか
のぼるのか
のぼるのか
堕ちていくのか
*
世界の裏側で誰が
何にん死のうが知りようがない
たとえば今生
この地球のうらぶれた路上で
施政者や無為の小市民や
にく親が
どれだけ他人を苛もうが
私には何も分からない
飢餓にもさちの偏在にも
社会システムの人類規学的挫折にもインターネットにも
*
ホームレスが居た
それは
形而上の想像不安
いってみればムンクの舌などを持ち出してみた
書かれた
書きものの
表記や作者
対象や
比喩のあいだの乖離や肉薄と
まったく無関係な話だ
*
いま新宿三丁目の地下鉄の出口で
縁石にすわり込んでいたひょろ長い
影のような男が
コンビニ袋を左手に持ちかえ
陽も混沌もない終夜の活動期を目前にして
ビルや立体交差や
ひと混みや信号機の向う
惰性というほかない大都市の化学照明のさなかに
浮きあがるような心細さ
饐えた矜持のなお残るせわしさのまま
吸い込まれていく
しなびた顎鬚にはり付く
無言の履歴
それを参照する外部の話者も与えられず
輪廻転生や
宗教論的裏づけにすら言及されず
どうにもムンクの舌としかいいようがなかった月
なのか
塗り絵の名残であったか
遠のきうすくなる胸板の暗部
だぶだぶのシャツの継ぎめや綻びに
忍ばせたまま
*
ホームレスでも
ワーキングプアでも
滑稽でも
自己責任でもべつに構わない
そういって私は
妻を
恐らく怖い目で睨みつけたはずだ
選出作品
作品 - 20081204_018_3189p
- [優] 新宿三丁目で思うこと - 黒沢 (2008-12)
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新宿三丁目で思うこと
黒沢