選出作品

作品 - 20081201_939_3179p

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終わらない詩

  丸山雅史

十七歳の時 はじめ君がインターネットの「丸山雅史のホームページ」という個人サイトで偶然見つけた「終わらない詩」は 幾らスクロールして下げ続けても延々と続く詩であった はじめ君は最近 プルーストの「失われた時を求めて」や ジョイスの「ユリシーズ」や 栗本薫の「グイン・サーガ」などを誰よりも早く読破して得意になっていたのだが それら三つの作品よりも ─まるで拡大し続ける宇宙の直径よりも─ 長い詩が存在していたことに大きな衝撃を受けた ─挙げ句の果てにそれはボードレールの「パリの憂鬱」ような散文詩の類だった─ はじめ君はその詩を観て思わず眩暈がした はじめ君は学校から帰ってくるとすぐにパソコンの前に座り 就寝するまで昨日の続きから詩を読むのだった 一年が過ぎ 二年が過ぎた しかし一向にスクロールバーは動かない とうとうはじめ君はその詩を読むのを断念した だがはじめ君の心の中には常に「終わらない詩」のことが引っ掛かっていた ─この詩を書いた人物とは一体何者なのであろうかという最大の疑問が頭から離れなかった─ が結局はじめ君は始めからスクロールをし読み直さなければならなかった

十年が経ち 二十年が経った その間に大学も卒業し 就職もし 高校時代の友人の紹介で女性と結婚もした 子供も三人つくり 一生懸命家族の為に働き 幸せな家庭も築いた ─だがその間も「終わらない詩」のスクロールは微動だにしなかった─ はじめ君は昔のように何度も挫折しかけたことがあった ─だけど自分の人生が終わるまでに読み終わることが不可能であると悟っていても─ 決して読み続けることを止めなかった 自分には文才がないので膨大な語句や多彩な表現能力が身に付くことは無かったが 「終わらない詩」を読み進める速さは歳を重ねるにつれて増していった

そんな様子をはじめ君の三人の子供達は小さい頃からずっと見て育った はじめ君が初めて「終わらない詩」を読み出してから六十年が経ったある日 はじめ君は突然倒れ 脳溢血で亡くなってしまった はじめ君の葬儀の時 久々に顔を合わせた三人の子供達は生前に遺しておいたはじめ君の遺言状を開いて見てみると “「終わらない詩」を父さんの代わりを引き継いで読んでくれ” とあった 三人の子供達は協力して「終わらない詩」を読み継ぐことを固く誓った

はじめ君が「終わらない詩」を読み始めてから百年が経った頃になると はじめ君の三人の子供達のそのまた子供 ─つまりはじめ君の孫─ がまだ「終わらない詩」を読み続けていた それははじめ君の子孫達の伝統となり はじめ君の子孫達だけではなく 時が経つにつれて「終わらない詩」が世界中の何千 何万の学者にも知れ渡るようになると 彼らもまた参加して分担して読み進めた しかしそんな膨大な数と量を掛け合わせて読んでも スクロールバーは百年前と同じように微塵たりとも動かなかった

「終わらない詩」がはじめ君によって読み始められてから千年 一画面の詩を一ブロックとして全世界の人々一人一人に送り 読み終わったら自動的に続きの詩が配信されるようなシステムが開発された 「終わらない詩」を人々が生涯に読む量は既に生まれた瞬間に決まっていたのだが 人々は毎日のように就寝前に欠かさず「終わらない詩」を読み 家族や恋人 兄弟等とその内容を語り合って眠った 人々は「終わらない詩」をいつしか「聖書」ならぬ 「聖詩」と呼ぶようになった 結局「丸山雅史」という人物が本当に実在していたのかということは決して解明されなかったが 世界中 いや 全宇宙中の人間達が唯一共有しているものが 「終わらない詩」であることに 人類はあらゆる差異を超えて強い誇りを感じていた