デスクトップにぶら下がった森下くるみのおっぱいが捻じれて、木魚に
もなれない黒いキーボードを叩きながらひかえめな眠気が、日付のない
カレンダーのうえで足を滑らせていた。前田サムエルの出張覚書に目を
やると、ふわりちらりと朱色の篆書(てんしょ)が飛んで、しつもんを
何度もくりかえすものだから、仕方なく、ぼくらは耳をおさえる。嘘が
ひたひたに漬かるまでミルクを注いだコーヒーカップのなかで、ぺちゃ
くちゃと、女の子がおしゃべりしているみたい。おっぱいのサイズとか、
彼氏のキスがどうだとか、ぼくらにとって内閣改造くらいどうでもいい、
どうでもいいと、強がっていたい話をしているのかな。しらないうちに
入道みたく大きくなった眠気は、りょう手でおさえた耳を、無意識に澄
ませているのが分かったのか、まどの外では山のてっぺんがしろく消さ
れ、ぼくらは誰にも気づかれないうちに、涎を垂らして、
午後は、営業をサボって公園のベンチにすわり、味のなくなったチュー
インガムを噛みながら、夏の暑さに、ぼやけてしまった太陽のしたで、
しんぶんを読んでいた。登山家たちが、十七の日に、山に入ったようだ。
「一、九、十七かえらずの二十五日」は縁起がわるい、とこぼしては、
山の神にりょう手を擦り合わせて、一先ず、アメ色になるまでじっくり
と念仏を唱える。それでも夜になると、どこからともなく谷のしたの方
から声が聴こえてくる。オーイ、オーイと誰かが呼んでいる、オーイ、
オーイと。登山家たちは、そのオーイ、オーイという声を追いかけてい
ってかえらぬ人になる。そうして、何十年もかけて風にくしゃくしゃに
丸められた真実が、ひねもす空をころりころりところがって、はばたい
て拡散するあいだずっと、ぼくらは森下くるみとセックスのことばかり
考えていたんだけど、それがしあわせというものなんだ、と連行されて
ゆく殺人犯に、やさしく説教された。
今日も風が吹いて、薄いひつじが音もたてずに落ちる。一枚、また一枚
といつまでも落ち続け、百枚落ち、千枚落ち、いつまでもいつまでも、
何年、何十年も、何百年、何千年とぼくらは、それをぼうぜんと眺めつ
づけ、眠っている。
<参考>『黒部の山賊 ― アルプスの怪』伊藤正一著
選出作品
作品 - 20080806_717_2941p
- [優] だから、ぼくらは眠っている。 - はらだまさる (2008-08)
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だから、ぼくらは眠っている。
はらだまさる