選出作品

作品 - 20070419_791_2010p

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しろひげ

  宮下倉庫


安心してほしい。おまえの成長を顕微鏡越しに見ている。おまえは
毎日数ミクロンずつ成長して、やがて俺の中を駆ける極小の兵隊に
なり、最後は革命に殉じるのだろう。たまったものじゃない。

牛乳が未だに届けられる。新聞屋にもリフォーム屋にも宗教屋にも
断りの電話を入れたが、牛乳屋にだけはなぜか連絡がつかず、こう
して今朝も牛乳瓶が2本届けられる。死んだはずの母が奥の部屋か
ら現れ、牛乳は毎日飲みなさいじゃなければ大きくなれないわよと
、いつも牛乳瓶を傾けながら話すものだから母の口からはだらだら
と牛乳が零れて顎を伝い、まるでしろいひげを蓄えたかっこいいお
じいちゃんみたいだ。ところでおじいちゃんは奥の部屋でくろこげ
になっている。そして1本目の牛乳は一滴も俺の口に入ることなく
しろい水溜りになり、牛乳瓶の中には干からびたへその緒が残され
ている。父の顔を俺は知らない。

顕微鏡を欲しいと思ったことは一度もないのに、プレパラートの上
の俺は超一流だった。であるからして、眼医者に行っても歯医者に
行っても俺は標本扱いなのだ。そして俺がシナプスの極小の間隙を
抜ける度、奴らは地団駄踏んで悔しがったものだ。しみだらけの尿
道のような路地を駆けて家に戻る。すると母は2本目の牛乳をだら
だらと零し続けていて、しろい水溜りは始原の海の風景を現しつつ
ある。俺はほんの数ミクロンの成長のために膝を壊し続けている。
誰か父の背中越しの風景を俺に教えてやってほしい。

禁忌は奥の部屋で犯される。俺の体臭は女のそれだ。顕微鏡で仔細
に眺めると、海岸線は向こうの岸壁でとぎれ、岸壁は幾星霜をかけ
て穏やかな波に洗われ続け、女の腰から肩にかけてのごときカーブ
を描いている。それで欲情すると、奥の部屋からおじいちゃんが現
れてはシングルなスタンダードで俺を殴りつけ、その度に俺はあか
いひげを蓄えて革命を誓うのだった。安心してほしい。もう始まっ
ている。