精霊迎えの鐘が鳴り ぼくのかたわらにぬるい風が降りてきた。
そこにいたのは赤い浴衣の十歳くらいの女の子。
ああきみだったのか 憶えているよ。
きみのほうこそ よくぼくのことがわかったね。
きみが幼児で ぼくが高校生だった頃
ぼくはうどんをふうふうして きみの小さな口に運んだことがあった。
それ以後ずっと会うことはなかったのに よくぼくのこと憶えていたね。
「おんぶしてもらっていいですか?」
女の子は迦陵頻伽(かりょうびんが)の声をひびかせた。
その声はぼくの胸の底なき底に反響し 夜の海の立ちあがってくるのが予感されたけれど
それは予感に留まって 井戸からからい水の溢れてくることはなかった。
かがんで女の子に背中をさしだすと やわらかい重みがぼくの肩に来た。
ぼくの全身に夏の終わりがじんわりひろがった。
十四日、十五日、十六日、とゆるやかな坂をぼくはのぼっていった。
この世の大きな夏はすこしずつこわれていった。
坂の上には西方浄土の涼しい風が吹いていて
同じような歳頃の同じような赤い浴衣の女の子が待っていた。
「ここまででいいです」
迦陵頻伽の声がして ぼくの背中は軽くなった。
待っていた女の子はぼくにぺこりとお辞儀をしてから、
護法童子の黒目がちのくりくりした眼で ものめずらしそうにぼくを見詰めていた。
そしてふたりは二ひきのりゅうきんになり 宝珠をころがすような笑い声を立て
ぷるぷるぷるっ、ぷるぷるぷるっ、と身をふるわせながら消えていった、
観音さまの手によばれ、無量光の胎内の暗い水のなかへ。
選出作品
作品 - 20070119_664_1783p
- [佳] 六道の辻 - すなめり (2007-01)
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六道の辻
すなめり