選出作品

作品 - 20060517_997_1268p

  • [優]  NO TITLE - ケムリ  (2006-05)

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NO TITLE

  ケムリ

 五月の雨の片隅を、ヘッドフォンつけたまま、俺は歩いていく。
役目を終えた言葉の群れが、街並みを走り抜けて死んでゆき、雨
はただ強くなり続けている。アルカリ電池の切れ掛かったノイズ
を、回遊道路の光の群れが揺らし、乾いた赤ん坊の指先のように
五月の雨は俺を撫ぜる。

ねぇ、リンパに転移があったの。
ステージスリーって言うらしいんだけど

 真っ赤なスーパーカブの単眼の灯火が、二つ目の巨大魚をすり
抜けていく環状線のほとりで。レインコートの小さな子どもが俺
の小指をこっそり掴んでいる空想と連れ立って。携帯電話の電源
を入れられないまま、俺は歩いていく。誰のせいでもなくオルタ
ネイトピッキングはつまずき、誰もがFのコードを押さえ損なう。

お医者さん、はっきりモノを言わない人なんだ
それで、辛いこととか、ない?

 コンビニエンスストアの庇の下へ、二人乗りの自転車が駆け込
んでいく。星はただひとつも見えず、掻き回されるシュガーシロ
ップの断層へ俺は歩き続けている。眺め疲れた月が落ちたビル群
に強すぎる光が群れて重なり、太陽のたてがみが軒先で乾いてい
る。笊に積まれた金柑は甘く腐り、肺の中へととろけていく。

例えば、何か一つ提案してよ
それで、きっとなにもかも上手くいくはずなんだよ

 指先がちぎれるくらい、その空想の小さな、何もかもを掴もう
とするてのひらで。街並みのすみっこに、それとも四番バス停の
暗がりに、ひょっとしてショールームの光の中に。家に帰りたい
なら、まずポケットの中を探って、そこに鍵があったらもう、あ
なたは幸せなんだよって。

 そして、雨は降り続ける。赤茶けて錆びた街灯を痛むように。
俺が見下した世界の、遥かな、高みから。