選出作品

作品 - 20060311_171_1041p

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季節のスペクトル 〜果物〜

  望月悠


堕胎のあとの
肉のひろがりを
どうして揉み消すひつようがあろうか
樽にうかぶ
林檎や梨の色彩が
あられのように手に絡みつき
湿りけのあとの
出産のうぶごえが 
樽の響きの底から浮かんで
しまって

肉を掻きわけて
掻きわけて
わたしはなにを望めばよいのか
林檎にふれて
たちこめる香気に
樽が変容し
飛行船のように影の空を飛ぶ
そのプロセス
わたしはとうとう俯く

既婚の果物のもとに走った
かの人は
堕胎の悦びをあじわったのだろうか
樽のそこで
冷えた気配を隠し
しのび目でこえてきたこの日々
わたしはもうなにも
知らないというわけでも
なかった

そろそろ肉がはらはらと降りはじめて
果物のうえに降りつもり
不幸になることを
願うわたしは
堕胎のリズムをそこなうことなく
晴やかな足取りで
すすむ

人々は
そっと手をあてて
歯車をとめる
肉の海峡をこえてしまい接線がきわどい
降りつもった肉の山が
まえぶれもなく崩れ落ちると
透明な青空がみえた

幸せってなんですか


双子のよこで
ひっそりと息をとめると
果物の視力がなくなることがあります
手さぐりの影がうつろで
わたしは
寂しさをまぎらわせて
水を睨む
双子の義眼をもてあそび
視力を舐める
夕日が暮れていくのです
ぷかりと
義眼が水面上にうきあがってくると
双子のかたほう
おそらくは爆音をたてて崩壊する


林檎に抱きすくめられて
人工的な愛をはぐくむ 
あのとき
ふたりは手をつないで
どこまでもいけるものと
テンペラメントあふれる季節
握られた手は
果実のなかでつぶれるかのごとく
プラスティックの
冷たい
ぬくもり


肉をください
肉がなければといいながら
果実の首をしめる
あのとき西のそらに
大蛇の影がうかび
みなで涙をながすことになった
だから金勘定は
絵空事にとどめておけと
あれほど言い聞かせていたものを


桜のきせつ
そっとさしのべた手が
まえぶれもなく柔らかく崩れて
電鉄で南下している
ながいながい旅のとちゅうに
あのひとはいなくなってしまった
車窓でながれていく風景をみながら
額縁のように
記憶するわけでもなかった
桜はそれでもはかなく散っていく
さようなら
そっと叩いた名前が
固有名詞として働くうちに
あなたは
別の世界へと旅立ってしまった
もうなにもいらない
各駅停車の美しい風景に
額縁をあてる
冷凍蜜柑を買った駅に
そっと置いた手紙

雪の季節までのこっている


林檎のなめらかな体をなぞり
そっと影にたれこめる山脈にいきつく
その手つきをあらため
値札をはがした傷跡からは
果実の香りがたちこめる
ねえ
君は値札をはがした傷跡を
男の女の勲章だというけれども
君のような果実には
性別はないだろう
たとえばキュウイならば
雄木と雌木があるが
キュウイの実には
男も女もないんだよ
そういうと
果実はしばらくだまりこみ
いずれ季節の変わり目には
そっと自殺する


コタツに蜜柑
そうして日が暮れる


娘が着物をきこなすようになると
街道をあるく
父はそれをそっと見守る
そうして家にかえると
梨の実をもぎ
妻といっしょに食べる
夜には
野球中継をみてから
風呂に入り
歯磨きをして
寝る
しかし、ときどき
歯磨きをしないこともある
明日も
娘が着物をきこなして
まっしろな道をすすむ


インスピレーションが
林檎や梨を樽から呼びつける
雪は道路わきにかきわけられ
薄汚く変色する
肉のひろがりが
ひとりよがりで展開されて
幸せが音楽のように
ながれはじめる
つらいこともあるよ、と
人生の師がいったことを思い出して
方位磁石を握りしめる
わたしの方位は
狂っていませんか、と
林檎や梨に問いかけても
返答はなし
あのときから体から逃げていくものが
増えているような気がした

幸せって何ですか

もういちどあなたに聞く、ボイスも覚醒して
駅を歩きだす、



「なんなら各駅停車がいいナ…」