選出作品

作品 - 20051228_006_862p

  • [佳]  発熱 - 川 英  (2005-12)

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発熱

  川 英

闇にまぎれる事もできるのに、輪郭をさらけ出してしまっている 孤を描くトンネルの向こうからあきれ返った地下鉄が、ホームの端へ進入した ゴゴゴゴゴゴゴゴ 車両の中の照らされた人々は、その瞬間だけストップモーションに支配され、高速でホームを押し流されていく 電車が連れてきた風がホームを吹きぬける 白線の内側の人々は、一陣の風に規則正しく揺れた 

「プシュー、いらっしゃいませ」 車両を見回し、僕は中東からやってきた男の横に腰掛けた 僕の舌だけがちろちろと赤くうごめいている 舌先で炎が燃えている 口をつぐみ、僕はむっつりとした風を装い、唾を呑込む

サンチアゴからやってきた男の背負う籠には、今摘んできたばかりのタバコの草がごっそりと山盛りだ。ウラジオストックからやってきた女は、僕のかぶってるハンチングが気に入ったらしく、しきりに視線を投げかけてくる。パプアニューギニアの男は、釣り針を磨くのに忙しい。アウグスブルクの女は、駐車場の図面を広げしきりに隣のブタペストからやってきた男と自動車の回転半径の大小について議論している。

やがて車両の反対側で、突然火の手が上がった ドゥバイからやってきた女が突然発狂し、ルラ、ルラウゥゥゥゥと踊りだした やばいかも 僕の体毛は逆立ち、非常口のありかを確認した 「今日も寒いけど、どこまで?」 となりの中東人が、まるで何事も無いように話し掛ける 「イギリス式庭園の風を見にゆくのです」「すると、あさっての方向ですね?」

その庭園は、まるきりあきれ返った四角だった。去年の今頃、僕は彼女の仕事が終わるのを待って、ぼんやりとフィッシュアンドチップスを頬張りながら、木立の奏でるその風の音を聞いていたのだった。その午後の方角だった。

「いえ、右斜めすこし4度の方角です」「溶解質ですね」「ええ」

女は、涎をたらしながら踊り続けている。髪は波打ち、白髪の混ざったソレは白濁して車両を満たし始めた。もう既に首の下まで満ちてきている。ナイロビから来た黒人が、ステレオのスイッチを入れ、ラップを流し始めた。すると、ドゥバイからやってきた女の座っていたブースの人たちまでがまるで何かに感染したかのごとく発狂する。
ウラウルラルガァ
  ルラルラアガルラァ

「今日はついていないですね」「ええ」「じきに私たちも感染するでしょう」
ウラウルラルガァ
  ルラルラアガルラァ
まるでとりかえしのつかないことのように中東からやってきた男は呟き、既に膝はリズムを取っている
ウラウルラルガァ
  ルラルラアガルラァ
あちらこちらから手拍子が鳴り始める やがてそれは一つの旋律を描きだし、線路をゆく車両の騒音をかき消していった 僕の身体は発熱しはじめ、汗が溢れ出す 「すいません」  そういうと、僕は一枚一枚、服を脱いでいった 熱い・熱い・アチィーあひぃーccぃぃx 僕が最後のパンツ一枚までも脱ぎ捨てると同時に、ナイロビから来た黒人のCDが轟音ともに炸裂した
ばちん!!
それを合図として、僕は発火していた 僕の身体は隠れる場所さえ発見できず、轟々と炎をだして燃え尽きた 黒い炭と成り果てた僕 聴覚だけはかろうじて生き残り、車両のさざめきが聞こえてくる

次の停車駅へ滑り込んだ車両の扉をこじ開けて入ってきた駅員が中東人へ尋ねる
「この人ですか?発火してしまったという人は?」「ええそうです。溶解質だそうです」「まるで呆れてしまいますね」「ええ、せめてマナーくらいは守って欲しかったですね」「ええ、本当に」

人々は口々に何かを囁き続け、僕を取り巻き、相変わらず恥ずかしげもなく蛍光灯に照らされたままだ 僕一人黒い輪郭をくすぶらせたまま、相変わらずブスブスと焦げ続けている