| 投稿者 |
メッセージ |
右肩
Member


登録日: 2009.11.07
記事: 62
グループ:
[ Auths
]
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日時:
2011.06.12 (Sun) 11:09 |
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結論を先に言います。この詩の立場には反対します。
たとえ何人の方が認めようが、大詩人が認めようが、反対する人が僕一人でも反対。凍結前に書きたかった。
この詩や、この詩につけた山田さんのコメントを読んだとき、あまりのひどさに吐き気がしました。これは何なのか?
考えるだけで体調が悪くなりそうなので、あまり多くの言は費やしたくはありません。これを被災者の方が読んだらどう思うか、それだけ考えるだけでもいかに酷いものかはわかるはずです。
山田さんの主義主張を発表するのは自由ですが、ここは気心の知れた相手に対してくだを巻く被災地から離れた酒場ではありません。身内や知人を災害でなくした人はたくさんいます。被災地の方で家の片付けや瓦礫の撤去、亡くなられた方の後始末に追われている方もいらっしゃるかと思われます。
中には財産も職場も健康も総てを失って気力すらなくしている方もいるでしょう。そういう方、そういう方を間近に見ている人がこんなものを読んだらどんな気がするか。
山田さん自身も最後には気がついておられたようですが、確かに書かれたように人への批判に明け暮れてカネやものをねだるだけの人もいるかもしれません。しかし、そういう人は山田さんの言うとおり、被災地に限らずどこにでもいます。それをセンセーショナルに捉えて、全体の問題にすり替えてはいけない。
さらに気がかりなのは、どんな人の心にもグレーゾーンがあって、自責の念に苛まれている人もあるだろうということです。
それを一方的な倫理観で裁いて、しかも「わたす」だとか「ダッチワイフ」だとか「しまつ」だとか、下劣な言葉でせせら嗤うことが誰にできるのでしょうか?この詩には作者自身の持つ同じ暗部への言及すらありません。ツービートの差別漫才は、漫才という枠組みを意識して作られていて、しかも、横に突っ込み役のきよしがいて、その都度たけしの頭を叩いていました。
僕は常識に欠ける人間ですが、今回の詩を読んで、あたりまえの思いやりや常識がどんな場でも必要になることがあるのだ、と思い知らされました。芸術には常識や通念を覆すことで、新たな領域を切り開く一面も確かにありますが、それは配慮や思いやりを無視し、人を一方的に攻撃することとは次元が違います。過度な配慮はもちろん無用ですが、この作品は限度を越えている上に、表現として下手、不様です。反対者を懐に引き込む魅力にも覚悟にも欠けていることは一目瞭然です。
この詩が発表されるのを差し止める権利は誰にもありません。しかし、この詩を読んで疑問を感じた人たちは、ほとんど義務に近いものとして、否定の意志を表明しなければならないと思います。これを容認して、同じように嗤い楽しんでいる人たちが大勢いるなどと、被害を受けた方、その方々に同情できる心を持つ方に思わせてはいけないからです。
もう少し早く書き込みたかったのですが、あまりの怒りに書き込めませんでした。また山田さんに「あほう」だの「低脳」だのと罵倒されるのが辛かったというのもあります。彼の批評は、冷静に分析すると、ほとんど思い込みによる結論と、それを補強する罵倒語だけで構成されていますが、一見論理的に見えることもあるので、再反論に対して正しく再々反論するには手間が掛かる、という事情もあります。同じように根拠の見えない罵倒は返したくありません。
都合の悪い発言を全部消去した後で、一方的に消耗した相手に対して、余裕たっぷりに数行の罵倒を投げかけて勝利の雄叫びとして締めくくるような手法も、事情のわからない人を誤魔化すのにはまだ有効かもしれませんね。これを「文学極道」でごく当たり前の行為にしてもらいたくもありません。
彼の表現意図を彼の立場から汲み取って、その手法に一定の共感を示すコメントもあったようですが、これは読む人によっては、支持と受け取られかねないし、少なくとも「甘い」と思われかねないでしょう。
人間には嫌なことでも、関わりたくないと思っても、それでも看過できないことはあると思います。
それから、運営者の方にはせめてコメントや作品の削除の事実だけでも、それを残して頂きたい。できれば簡単に理由も明記して頂きたい、と重ねてお願いします。 |
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新貝 常
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 00:19 |
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右肩さん 。
あなたの倫理観も言っておられる事にも否定はいたしません 。
あなたがそのように感じられるのも自由です 。
たとえばテキスタイルにもっと違う視点から読みたくはならないでしょうか ? ことばの表面から離れて 。内面的な表層として 。
作者の意識を汲み上げられませんか ? 読んでいて 様々な意識が打ちつけられたことばになって飛び交いませんか ?愉快にはなりませんか ? そうですね 。被災者の方々を思うとき とてもそんな気にはなれないでしょうね 。 彼自身も言っていますが、では一言だけ 。 あなたは今回の地震津波、また原発の被害による被災者ではないでしょう ? |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 05:26 |
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| 右肩 wrote: | 都合の悪い発言を全部消去した後で、一方的に消耗した相手に対して、余裕たっぷりに数行の罵倒を投げかけて勝利の雄叫びとして締めくくるような手法も
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これはわたしのことを言ってるのか?
あまりふざけた出鱈目を敷衍しないでくれるか?
たしかにわたしは自分でコメントを消したことが何度かある。右肩くん、しかし、きみがほんとうにちゃんとウオッチしているのなら、
それがどういう場面であったか、少し考えればわかるはずだ。
何時間もうんうん頭を絞って考えた真面目なコメントを有無をいわさず理由もなく消されつづけたことがきみにはないだろう。
ところが管理権限者のどういう心の動きなのか、どういうモラルからなのか、一方的に真剣な文面を消されつづけたことがある。
わたしが自分で真剣なコメントを消して罵倒のみを残したのはそういうときに限っている。
真面目に考えたつもりのコメント投稿を不可解にも抹殺され、短文の罵倒コメントのみ残された、そういうときに限っている。
それならばということで相手の逆手をとって真面目なコメントを消し、短文の罵倒を残すという自虐的な対抗をやってみたことがある。
ところがなんと! それは消されなかった。
そういう、管理権限者の意図が不明な削除が頻発した場面でのみわたしは右肩くん、きみがいうように
自分で真面目な長文を消したことがあるだけだ。しかもそれは「都合の悪い発言」なんかじゃない!
わたしが自分の発言をそんなに信じていないとでも思っているのか! 人を侮るのもいい加減にしなさい。
てか、ダーザインもきみと同じようなことをわたしに言ったことがあるので、まったく理解に苦しんだが、
きみとダーザインは管理権限者とどこかで繋がっていて、管理権限者の裏方発言にタッチできる立場にあるのかね?
(もっともダーザインは当然だろうが、ダーザインが特定の管理権限者に吹き込まれたであろう「わたしが都合の悪い発言を消している」
という話はまったくのデマだ! 右肩およびダーザインに断固抗議する!)
あと、右肩くんのわたしの詩についての感想は幼稚すぎる。
人の詩を排除までしょうとするときは、字面のうわっつらだけでカンタンに済ませるな。世間的常識だけで裁断しようなんて傲慢すぎる。 |
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右肩
Member


登録日: 2009.11.07
記事: 62
グループ:
[ Auths
]
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日時:
2011.06.19 (Sun) 07:01 |
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山田さん。
右肩 wrote:
都合の悪い発言を全部消去した後で、一方的に消耗した相手に対して、余裕たっぷりに数行の罵倒を投げかけて勝利の雄叫びとして締めくくるような手法も
上の発言は「5118 : 水落ち 山田太郎 '11/04/04 01:57:40 *8」のときのこと。
このときの中盤での削除を僕は山田さんによる削除だと思って書きました。
しかし、その後の、管理者による山田さんの発言の一方的な削除には疑問がありました。
このフォーラム(文芸フォーラム)で、「コメントの消去について、その他」として、実際に問い合わせもしていますが、答えは貰えませんでした。
こう言っています。確認して下さい。「記事日時: 2011.05.20 (Fri) 22:57」の記事です。
> 山田さんの発言が最近頻繁に消去されているようです。
>僕は山田さんの中身のない傲慢な罵倒は場を荒ませていると言ってきました。今でもそれは変わりません。
> ただし、彼の発言に対して削除依頼をしたこともありませんし、もちろん僕が何らかの方法で削除したこともありません。
> 確か、以前山田さんは御自身で自分のコメントを大量消去したことがあったと思います。最近はそうではなくて消去されてしまっているのですね?
> 僕は管理者による一方的な消去には反対です。場を救うために、消去の前にすべきことはあると思います。
> どうしても消す、という結論が合議によってできたというのなら、本人への前もっての通知と、周りの人に、管理者によって削除されたことがわかるような処置は必要だと思います。運営に参加していない僕が言うのはあくまでも意見に過ぎませんが、この件に関してのみ、山田さんの憤りはもっともだと思います。
僕はサポートメンバーにはなっていますが、発言や作品の消去に関してはノータッチです。
「うつくしい日本の……」については、誘導のスレッドさえたてられていなかったので、ここは自分でたてました。
僕は山田さんを「排除」することには一貫して反対しています。
僕が「この場にいなければいい」と怒りにまかせて思うのと、実際に「排除」することとは違います。
山田さんの罵倒は、たぶんご自分が思っている以上に投稿者を萎縮させている、と僕は思っています。
だから、山田さんの詩に、僕と同じように疑問を持つ者は、堂々と書き込むべきだ、と言ったまでです。
「文学極道」での意見が両論併記のバランスを取るように、ということです。
今、山田さんは怒りの余り冷静なやりとりができない、と僕は思ってコメントを差し控えていますが(僕自身についても、その傾向は確かにありました)そこのところだけははっきりさせておきたいと思います。
山田さんは「文学極道」にいて下さい。現代の「オニ」のような、異界の存在として、僕自身の考え方とは関係なく、あなたの存在は大きく強いと思います。桃太郎のような一方的な価値観で「退治=追放」していいわけがありません。
今回の山田さんの掲示板への書き込み禁止についても、僕から直接ダーザインさんにお願いしたことはありません。僕の作品がトップに居座り続けると迷惑になるので、サポートメンバーとして、そこの凍結だけは依頼しました。しかし、それは山田さんの作品や、コメントの投稿禁止の依頼ではありません。
ダーザインさんの判断による山田さんの復帰にもまったく反対しません。
もちろん、僕も自分の意見は自分の意見できちんと言います。
山田さんの発言には、御自身もおっしゃるように、真剣なものと、罵倒に終始するものとが入り混じっています。
真剣な発言には大いに耳を傾けるべきところがあります。
個人的な要望ですが、できれば罵倒はもう少し控えて下さい。そういうものが嫌いな人もいます。
新貝さん。
返信はできませんが、ご意見は拝読して色々と考えさせられています。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 08:38 |
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| 右肩 wrote: |
僕は山田さんを「排除」することには一貫して反対しています。
(中略)
今、山田さんは怒りの余り冷静なやりとりができない、と僕は思って
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まず右肩くんは「排除することには反対しています」といってるけど、わたしにはそうは思えないな。
きみは最初から、だれもそんなことを言っていないのに「無条件で排除することが最善の方法とはおもえない」
と切り出している。
唐突に出てきたこの言葉。これはつまり(何度もいうように)条件がそろえば排除することが最善だということだ。
最初から排除があったんだよ。
今になって「排除に反対してる」などと言ったところで、あなたの行動や呼びかけが
それを念頭においたものであったことは文脈の流れからして否めない。
次に「怒りのあまり冷静なやりとりができな」くなっているとわたしを断定するが、
それは右肩くん、きみだよ。
あるいは黒髪くんだ。
わたしはいたって冷静だよ。
自分の投稿を弁明するのはあまりよくないのだけど、あえて釈明するならば、
まずわたしはこの詩を書くにさいして、ほんとうに腹の底から声に出したかったことだけを書いた。
だから一行一句ウソは書いていない。
わたしにいわせれば、被災者を慮った奇麗事の詩句やテレビ解説、芸能人たちの同情発言、
あれなどは、いい悪いは別としてすべてウソないしは宣伝、パーフォーマンスだ。
そして生活のため金品援助を必要としている被災者たちはかれらのウソを承知で迎合している。
つまりウソとウソがある目的のためにウソで野合し、ウソを演じている。
それが、これに限らず、この国の敗戦後からの成り立ちだ。
しかし被災者は、腹の底では金品援助慰めの言葉などのウソではなく、
ほんとうの言葉をじつは求めているとわたしはおもう。
いま、被災者をめぐる言説世界はあえていうならばニヒリズムだ。ほんとうの言葉とは必ずしもきれいな言葉ではなく、ウソのない言葉のことをいう。
わたしのこの詩(?)は、右肩や黒髪たちのように書斎の窓から震災を眺めている人たちの義憤を買っても、
震災当事者の半分以上の人たちは、ウソを書いていないこの「時事詠」wを読んでむしろ苦笑いしながらも、はじめてきちっと被災者に対峙しくれたことばのひとつとして
記憶してくれるものと思う。
だけど、現地に救援にかけつけた人たち、あるいはNPOだのマスコミだのは
烈火のごとく怒り出すだろう。
それはなぜか?
なぜ、被災者を批判する文章が、被災者を援助したり慮っていると広言するひとたちの怒りを買うとわたしがおもうのか?
当事者ではなく支援者が怒るのは、じつは被災者のためではないのだ。
それはもっと大きな制度や体制的な枠組みからの弾圧であり、ほんとうのことばの排除なのだ。
そこのところの分析は自分で冷静にやってごらん? 右肩くん。きみの大人度を見てみたいね。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1012
グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 08:41 |
  |
右肩さんの「この詩の立場に反対する」という意味が
ぼくにはまったく不明です。
詩とは、そのように立場を表わしていたり
その詩について「立場を反対する」ようなものなのでしょうか。
それは、山田さんがおっしゃってられた「詩の排除」
ひいては、「詩人の排除」につながります。
たとえ、対象となる作品がどのようなものであれ
ぼくには、排除の意思と実行は、芸術にとって、最大の悪だと思います。
ぼくは、「どのようなものであれ」と書いています。
きのう、楽天ブログに、詩論のひな型を書きましたが
楽天ブログでは、禁止ワードがあり、書き込めなかったので
その禁止ワードの一部を●にして書き込みました。
これにも、つい怒りを感じています。
下に、きのう、ツイッターに書いた言葉と、ミクシィに書いた言葉を引用します。
ミクシィでは、削除されませんでした。楽天の禁止ワードは精液です。
ですから、楽天ブログにアップしたものは「精●」となってます。
楽天ブログに貼り付けたけど、また、猥褻な言葉があると拒否された。仕方なく、その部分には、●をつかったけど、純文学とか、どうしてるんだろう。官能小説に興味はないけど、興味がない=どうでもいい、ではない。それは、けっきょく回りまわって、芸術のためにならないことだからね。規制は×だよ!
イヴ・ボヌフォワの詩を読んで、ルーズリーフに書き込むことのなかったメモ。
詩という作品は、読み手の魂と共有される部分が生じて、はじめて詩という作品の魂に生命が宿るのである。スイッチが入ってはじめて動く機械のように。電流が流れるまでは、それはただの金属やプラスチックの塊にしかすぎないのである。詩という作品は、書き手の魂の一部分と、読み手の魂の一部分が、共同してつくりだす音楽であり、絵であり、舞踏であり、演劇であり、映画である。いや、それらをもしのぐもの、それゆえ、その作品を詩というのであろう。
詩においては、言葉のひとつひとつが、血と骨と精液からできているのであり、詩は、それを絶えずほとばしらせながら、しかも絶えず新しい血と骨と精液の源となるものをあらゆる事物・事象から聚め、またさらに激しくほとばしらせるものなのである。助詞ひとつでも、血をしたたらせていないものはなく、名詞ひとつでも強固な骨を持ち、動詞ひとつでもよろずのものに受精させる能力があるのである。 |
最終編集者 田中宏輔 [ 2011.06.19 (Sun) 11:54 ], 編集回数 1 回 |
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黒髪
Regular


登録日: 2010.07.03
記事: 123
所在地: 岐阜
グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 10:25 |
  |
山田さん
1、どの私のコメントが、怒りのあまり冷静なやりとりができなくなっていると思われたのか教えて欲しい
2、>それは右肩くん、きみだよ。
>あるいは黒髪くんだ。
の、あるいはという言葉についてのあなたの意図がどういう物なのか、と言う点、私と右肩さんの両者に対する意見とはなっておらず、選択をさせる物言いにおいて印象操作以外の何物でもないように見受けられますが、その点、非常に失礼に思える。他者に対して向けられた態度ではないと思える。
以上の二点において、コメントをいただきたく思う。
田中さん
詩の排除と言うことについて、この作品が詩ではないという見方もあるが。詩として発表された物の、すべてが詩であるとはいえない。ただ、個別の文章があるだけだ。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
|
日時:
2011.06.19 (Sun) 10:30 |
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| 黒髪 wrote: | 山田さん
1、どの私のコメントが、怒りのあまり冷静なやりとりができなくなっていると思われたのか教えて欲しい
2、>それは右肩くん、きみだよ。
>あるいは黒髪くんだ。
の、あるいはという言葉についてのあなたの意図がどういう物なのか、と言う点、私と右肩さんの両者に対する意見とはなっておらず、選択をさせる物言いにおいて印象操作以外の何物でもないように見受けられますが、その点、非常に失礼に思える。他者に対して向けられた態度ではないと思える。
|
きみはそれでも一人前の大人かっ!
自分がやったことを振り返って少しは恥を知れ!
恥を知ってから書くべきコメントだ。それでもきみの幼稚であることは一寸も変わらん! |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 10:38 |
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[quote="Anonymous"]| 黒髪 wrote: | 山田さん
1、どの私のコメントが、怒りのあまり冷静なやりとりができなくなっていると思われたのか教えて欲しい
2、>それは右肩くん、きみだよ。
>あるいは黒髪くんだ。
の、あるいはという言葉についてのあなたの意図がどういう物なのか、と言う点、私と右肩さんの両者に対する意見とはなっておらず、選択をさせる物言いにおいて印象操作以外の何物でもないように見受けられますが、その点、非常に失礼に思える。他者に対して向けられた態度ではないと思える。
|
失礼。黒髪さん、どうも失礼しました。
心より謝罪します。上のコメントはわたしです。誤記でした。黒髪さんではなく
寒月でした。もうしわけありません。
いや、どうにもこんがらがってきまして。黒髪、寒月、右肩、の各氏はすべて二文字の漢字で
つい混乱してしまいました。まことにもうしわけありません。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 11:14 |
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| 黒髪 wrote: | | この作品が詩ではないという見方もあるが。詩として発表された物の、すべてが詩であるとはいえない。ただ、個別の文章があるだけだ。 |
個別の文章?
「詩」じゃない?
それについてはもう田中さんは書いているはずだ。
書き手と読み手とのあいだに通交が生まれたものが詩であると。
それ以前のものはただの文章であると。
ほぼそういうことを言っているはずだ。
そういう意味では「るるりら」や「右肩」くんたちに「吐き気」を催させたほどの
力がわたしの書き物にあったことに驚いているのだが。
他人の不幸は蜜の味って、あれ、ほんとうなんだな。すべてのひとたちが普遍的に
無意識にもつ気持ちなんだとおもう。
そこに触れたのじゃないか。そんな気がする。 |
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 |
田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1012
グループ: なし
|
日時:
2011.06.19 (Sun) 11:35 |
  |
黒髪さんへ
詩であるかどうかは
詩の定義が確定していないので
山田太郎さんの作品が詩であるかどうか、ぼくにはわかりません。
ぼくには、ぼくの思うところの美学を持っていないので
ぼくにとっては、詩ではありません。
しかし、それが、ほかの方にとっての詩であるかどうか
そんなことは、ぼくにはわかりません。
詩であると認めるひとが多くいらっしゃれば
ぼくには意外ですが、それはただ、意外なだけです。
また、詩と認めるひとがあまり多くいらっしゃらなければ
そうだろうなと思うだけです。
しかし、そういうこととは別のところで
山田太郎さんの言説行為に対して
抹殺的な印象を与える言辞を繰り出されると
言語表現によって芸術を営んでいるつもりのぼくは
ノンと言わざるを得ません。
いかなる言語表現も、ぼくは守られなければならないと思っています。
山田太郎さんが、いかなる表現をなさっておられても
その表現を削除したり、訂正するように要請することは
はなはだしい反芸術行為に思えます。
芸術の土壌が持たなければならない、ほとんど唯一の倫理だと思います。
(ぼくが思うところの芸術家が持たなければならない倫理については、
ほかの場所に書きました。)
きのう、新貝さんに、どちらかを選ぶという選択を迫ることは
正当な方便ではないと書きましたが
いま、もし、山田太郎さんか、右肩さんか
どちらの言語行為をとるかを選択するのならば
山田太郎さんの言語行為の方を選びます。
黒髪さん、あなたは、とてもおぞましいことを書いてらっしゃるのですよ。
お気づきになってらっしゃらないようですが。
これは、右肩さんのお言葉にもあてはまります。
しかし、そもそも、右肩さんが、被災者のひとの気持ち云々というところで
ひじょうに胡散臭いところが感じられます。
ナチスなど、民族虐殺を容易にさせたナショナリズムの喚起を思い起こさせます。
山田太郎さんの嗅覚は、どうやら、本物の本物であったようです。 |
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  |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1012
グループ: なし
|
日時:
2011.06.19 (Sun) 12:15 |
  |
あくまで、削除と訂正についてですよ。
助言や批評や批判や好き嫌いについては
述べることは自由だと思いますし、どんどんなされるべきだと思います。
ただ、「削除」と「訂正」は、とても危険な思想です。
「訂正」とは「正しい」という事柄があると想定しているのです。
文学や芸術において、「正しい」ということに
いったい意味があるのでしょうか。
いったい、だれの視点だけが正しいと言えるのでしょうか。
そのような視点が、存在しているのでしょうか。
と、こう書きつつ
このことを承認される方があまりいらっしゃらないであろうことに思い至りました。
ぼくもまた、少数者であることを、つい忘れていたのでした。
文学においてすら。 |
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  |
 |
新貝 常
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 12:48 |
  |
| 田中宏輔 wrote: | あくまで、削除と訂正についてですよ。
助言や批評や批判や好き嫌いについては
述べることは自由だと思いますし、どんどんなされるべきだと思います。
ただ、「削除」と「訂正」は、とても危険な思想です。
「訂正」とは「正しい」という事柄があると想定しているのです。
文学や芸術において、「正しい」ということに
いったい意味があるのでしょうか。
いったい、だれの視点だけが正しいと言えるのでしょうか。
そのような視点が、存在しているのでしょうか。
と、こう書きつつ
このことを承認される方があまりいらっしゃらないであろうことに思い至りました。
ぼくもまた、少数者であることを、つい忘れていたのでした。
文学においてすら。 |
わたしも削除という行為には反対の意を唱えたいと思います。
そもそもあらゆる受容を呈しない芸術なんてあり得ない 。
抹殺するなんて認識は芸術の持つ意義そのものを否定することになりはしないでしょうか 。
しかし看板には削除云々の項は掲げられています 。結局は一部の判断に委ねられます 。 あまりに低レベルだとかモラルに反するとか逸脱した応答とかの最低限の基準はレスの停止に止めておくくらいの寛容さは持って然りでしょう 。ましてやアク禁などの処置は何ら作品と関係のない行為で行われるべきだと思います 。このあたりは右肩さんも繰り返しておられる 。
ダーザィン氏もそれをわかった上で説明されていたが、行使の基準判断が曖昧で、自由な発言に対する後味のわるさだけが残る 。
非常に社会的な行為のように思えます 。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1012
グループ: なし
|
日時:
2011.06.19 (Sun) 14:17 |
  |
新貝さんへ
ぼくの上の見解は、あくまでも、「投稿された作品」の「削除」と「訂正」
あるいは、「削除」と「訂正」の要請についてのものです。
コメントに関しては、投稿規程に書いてある通りに、作品に関しないものは削除されても仕方がないと思っています。
しかし、自分のコメントが理由がわからないまま削除されたときには、
これからの自分のコメントの参考のためにも、理由を尋ねてみたいと思ったのです。 |
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黒髪
Regular


登録日: 2010.07.03
記事: 123
所在地: 岐阜
グループ: なし
|
日時:
2011.06.19 (Sun) 14:22 |
  |
上の私の文章ですが、単に私の考えにおける幼稚さが現れていただけのようです。
どんな言葉を選べば良い詩になるのか、ということで、自分の着ていく服も自分で選べない、破滅的なガキと言うことでした。
詩という概念と言葉が存在する以上、それを使って他人にアピールすることは、誰も禁止できないと言う点に、私が気付いていないことでした。
政治的なレベルの話では全くなく、単なる世迷い事であったのです。 |
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   ![[ 非公開 ] [ 非公開 ]](../fbbs/templates/fionefourocean/images/lang_japanese/icon_email.gif) |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
|
日時:
2011.06.19 (Sun) 14:51 |
  |
| 田中宏輔 wrote: | 山田太郎さんが、いかなる表現をなさっておられても
その表現を削除したり、訂正するように要請することは
はなはだしい反芸術行為に思えます。
|
わたしもこの意見に賛成だ。
このコメントはわたしの凡作を擁護したものではなく、詩の表現にまつわるなにか大切なものを
田中さんなりに守ろうとして発言したもので、その洞察と発言の勇気に賛意を送ります。
ほんとうなら勇気なんかいらないのだけど、田中さんが自覚されておられるように、
こんなあたりまえのことが、じつは日本の文藝世界では少数派になる。それも極少数派でしょう。
たとえばこんなことを現代詩フォーラムで発言すれば、モラリストたちからリンチを食らい、
なんらかの陰湿な手口を弄して書き込み停止にもっていかれるのがオチです。
もっとも田中さんは書けるからまだいいが、なぜか、この世界では書けない者への差別は
世俗の比ではない。w
ほんとうは書けなくても正しいことをいうこともあるのに、頭から、書けるものが正しいと。w
なにかそういう原理主義がまかり通っているので、ときどきわたしへのコメントでも、
「おまえごときが、あのお方に勝てるとおもうのか。月とすっぽんだ」という頭から見下したものが入る。
そういう意味では、ダーザイン氏の温情によってここでわたしが書かせてもらっていることは、
なかなかにめずらしいことであって、この文極は、ネット上の文藝媒体としては
むしろ開かれていることを今日初めて確認しました。
今後ともそのようなサイトとして発展されんことを陰ながら願っております。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1012
グループ: なし
|
日時:
2011.06.19 (Sun) 15:08 |
  |
山田太郎さんへ
「書けるものが正しい」などと、ぼくは思ったことがありません。
「書ける」というのは、「正しい」ことの証左ではないからです。
逆もまたしかりです。
「正しい」から「書ける」わけでもありません。
それに、「書ける」ひとが、ずっと「書ける」保証もありませんし
「書ける」ひとが「書けてない」こともしばしば、大いにあることですし
逆にまた、「書けてない」ひとが「書ける」ことも、ままあることだと思いますし。
けっきょく、作品は、だれにとって、大事なものになるか
ひとによって、ぜんぜん違っていたりすることがあるものですから
ぼくはやはり、ヴァリエーションが豊かであるのが、よい状態であると思っています。
たとえ、自分が読みたいと思えないような本が数多く並んでいたとしても
書店に本がたくさん並んでいるのは気持ちのいいものですし
いまの自分には読みたいと思えないような本がいつ読みたくなる本になるかもわからず
その書店に寄った折々に、目についた、気に行った本を選んで買って読む。
という、こういう生活が、ぼくには好ましいのです。
だから、詩のアンソロジーが大好きです。
じっさい、たとえば、ウォレス・スティーヴンズの詩って
昨年、ようやくよいものに思えましたし
ロバート・フロストの詩のいくつかも
再発見しました。
手元のアンソロジーで目を通していたのですが
若いときには、よさがわかりませんでした。
文学極道で、たとえば、きのう、おとついですか
摩留地伊豆さんの詩を読んで
とっても楽しい思いがしましたけれど
摩留地伊豆さんの詩のような作品を、ほかの場所では見たことがないのでした。
詩投稿掲示板、
とても貴重な場所であると思います。
豊かさ。
可能性。
そういった言葉が思い浮かびます。 |
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Q
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 15:50 |
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あほばかりですね。書けるから正しい、のではなくて、書けない奴はその正しさすら読まれる前に廃棄。書けるようになってからじゃないと、正しさなんてものは語れない。踊る大走査線といっしょで、正しいことをしたいなら偉くなれ、そうだと思うわ。
何も努力もせずに、「書けること」と「正しさ」をわけちゃうやつって、脳内理屈で積み上げているだけで、実際には、「かけなければ」、「正しい」ことを伝える媒体すらまともに与えてもらえないか、そもそも読者がいないわな。
そういう意味でも、山田は常に、読むことも、書くこともなめてんだよね。
つーか、普通さ、正しいこと、と、書く、書けない、なんてのは何の関連もないことは誰もがわかっているわけで、もっといえば、その辺で苦労したり、辛酸をなめたやつほど、「じゃ、自分が思う正しさを語るために、テクストの精度を上げる、読者を増やす」という努力をするもんだけど、すべてにおいて偽者の山田はしないというわけ。お前には信念がない。そして、お前には、努力が無い。お前には、せいぜい、自分の身を守るために反論に用いる「辛い経験」がある程度で、鼻で笑われておしまい。
右肩くんと違って、俺は山田は排除しちゃえばいいよ。信念も、努力もしないものはいらないでしょ。極道という掲示板にはいらないでしょ。
お前みたいな屑と違って、書く事に関しては、努力しているんで、そして何よりお前と違って、俺には信念があるので、山田は書くこと、読むことで、本当に苦悩するような辛い経験がないんでしょうね。だから、作品も読みも全部つまんない。吉本をよく引用するけど、お前さ、吉本の初期の詩集読んだことあんの?
あの人、「なぜここまで書くことが可能なのか」っていうぐらいに、抉り出してるよ。永遠の厨ニ病的な作品だけど、吉本は、お前なんか相手にならないほど、自分をずたずたに切りさくほどやってるよ。
山田は努力しない、努力しないのは信念が無いから、だから、テクストの質が向上しない。それは、書くこと、読むことに関してなめてるから。そんな奴は極道にいらないでしょ。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1012
グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 15:54 |
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「書けるようになってからじゃないと、正しさなんてものは語れない。」
詩が書けない評論家は、正しいことが語れないのだ。
ということか。
ばかばかしい。
演劇評論家は、演劇ができなくてはならないのかな。
音楽評論家は、音楽を創れないとならないのかな。
わけわからん理屈をこねるなよな。
まったくバカとしか思えん。 |
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Q
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.06.19 (Sun) 16:00 |
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実際には、その対立があるわけじゃない。だから、東なんかは批評の後に小説を書いたんでしょう。高橋源一郎が許されているのも「さようならギャングたち」があるからじゃない。そもそも、批評には対象が必要なわけで、対象がなければ成立しないじゃない。勿論、批評それ自体で完結しちゃうものもあるけど、初めには批評の対象が必要なわけジャン。其の時点で、小説にぶらさがる批評、っていう感じじゃないの。実際どうよ、批評家なんて、今の時代じゃもう知識人、教養人、文化人、という単語と同じで亡霊みたいなもんでしょうが(笑)。
とはいえ、別に批評だけでもいいよ。面白ければね。だけど、山田の批評って面白い?。柄谷とかアクロバティックだけど面白いじゃない。山田にはそういう面白さもなければ、かといって、地道なものを積み上げたような面白さも無い。
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