| 投稿者 |
メッセージ |
天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.14 (Sat) 13:24 |
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別のスレッドで、田中君が名作を読めといっているが、それには俺も賛同する。現在、文極に蔓延している包茎中学生どもは、ガンガンレベルの高い文章を読んで、きちんとした日本語を使えるようになるべきだろう。作品へのレスでも書いたとおり、数年かけてたくさんの外国語を習得したのち、さいきん思うのは、日本語という言語がいかに洗練されていて、世界にも類もみない、それ自体が「芸術」である、ということだ。その意味で、下手糞な文章を書くことは、それ自体、俺ら誇り高い「日本語」話者への面汚しになる。俺は。そう主張したい。
俺は美術批評に近いことをやってて、しかし田中君の言葉に少なからず危惧を覚えるのは、文学極道の作品批評が、テキストの内側で閉じて欲しくはない、ということだ。たとえば、現代美術の作品、メディアはなんであれ、その批評的価値が取りざたされるとき、リファレンスされるのは、過去の大家の平面作品であり、立体作品であったりするわけだけど、それ以上に、とくに同時代の作品の場合、大事なのは、作家や、作品解釈の周囲にあるアクチュアルな国際秩序の崩落や再構成であったり、特定の文化規範や言語的範疇に則った思考や行動のあいだにふかく横たわった溝や、ダイナミックな鬩ぎあいであったりするわけだ。カルスタの教科書みたいで嫌になるが。
詩の作品批評には、決定的にこれが足りない。テキストの外部にあるリアル、これがない。むろんポスト構造主義とか引っ張ってきて、外部という「実体」の空しさを言ったりするのは勝手だろうが、俺は文章を書くときでも、想定できない「全体性」や「外部」に向かって書く。それが触知しえない物であっても、その到達できない場に到達しようとする「方法」にこそ意義があるからだ。すくなくとも、「自分」の外にはリアリティという可能態で定義される「世界」がある。そう想定することなしには、自分が「書く」ことの意味さえも虚無に突き落とすことになる。どこぞやの汚い喫茶店の片隅で、文学ばかり読みふけって、うっとりしてる人間ばかりが集まって、この作品が好きだとか嫌いだとか、ぼくの文章はどれだけ上手だとか、そんな会話に専心している場面には吐き気すら覚える。
とりあえず詩を書くなら外国語の一つくらい習得しろ。「日本語」を対象化すらできない人間の文章は、俺は一字一句たりとも読みたくない |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.14 (Sat) 14:39 |
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音なんだろうなあ。
好きな本を原著で読むのは気持ちがいいから
ぼくも気に入った詩人の詩集や手紙をときどき原著で読むけど
詩はモノによってはむずかしいけど、手紙はだいたい中学生でも読めるぐらいやさしいと思う。
エミリ・ディキンスンの手紙って、すごくやさしかった。
まだぜんぶ読んでないけど。
ハート・クレインのもディキンスンほどじゃないけど
やっぱり手紙はやさしい。
気に入った詩人の詩集は、なつべく原著も持つようにしてるけど
翻訳してるひとの力がわかっていいし、
詩に貢献してることになるからいいと思うし
なにより、気になる詩句が原文では、どうなってるのか知りたいと思うほうやからね。
そんなに値段も高くないしね。
源氏物語の和歌の部分って、日本語より英訳のほうがわかりやすいし
ぼくのように日本語の古文が苦手なひとは英訳がいいかもしれない。
また、小説も翻訳のないものは原著で読むしかないしね。
きょねん、ハート・クレインの『橋』を原文で読んで
ずいぶんレトリックの勉強になったと思う。
まあ、英語って無生物主語が多いから、ふだんから
レトリカルに見えるんやろうけど。
ぼくはフランス語ができないのが、自分でももどかしいのだけれど
一応、辞書は5か国語もってて、それ以外の言語は
宗教学の先生や、東京の友だちに頼んでる。
友だちに頼るっていうのもいいね。
ぼくは、自分の詩を発表するまえに、
できるだけ友だちに見てもらうことにしてるけれど
そういうのもいいんじゃないかなあ。
外部って、まず、他者ってことだろうしね。
外部と接触を密にするのはいいことやと思うね。
刺激的やからね。
ぼくは職場に外国のひとがいっぱいいる環境だからよくわかるけど
言葉が違うって、感性も違うってことなのかな。
しょっちゅう、「ええっ!」って、びっくりしてる、笑。
あ、そんなのあたりまえか。
育った環境がぜんぜん違うものね。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.14 (Sat) 14:49 |
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THE CANTOS (EZRA POUND)
PATERSON (WILLIAM CARLOS WILLIAMS)
THE CHANGING LIGHT AT SANDOVER (JAMES MERRILL)
この3冊は、必読だと思う。
ぼくもまだ読み切ってないけど。
というか、チラ読みだけど。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.14 (Sat) 18:05 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.15 (Sun) 13:03 |
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天才詩人さんは、コントラさんかな?
違ったら失礼。 |
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かず
Regular


登録日: 2011.01.04
記事: 136
グループ: なし
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日時:
2011.05.15 (Sun) 18:42 |
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天才詩人さん
>「日本語」を対象化すらできない
この『「日本語」を対象化する』ことが、どういうことなのか答えて頂けますか。
単純に、外国語を習得するだけで、二つ以上の言語を選択することができるようになり、それによって日本語を対象化することができるという考えをお持ちなのでしたら、それで大いに構いません。それも一つの対象化ではあるからです。ただ、そうして捉えられた言語は、きわめて主観的なものであり、厳密に対象化されていると言えるのかどうかについて、私は疑問に感じます。
もっと言うならば、天才詩人さんの言語観に関して、この辺りの考えがどの程度まで深められているのかと、私は一番興味をもっています。主観/客観について考え始めると、言語はその二つの側面を合わせもつものであることが容易に理解されます。あなたの親しくしている人から、「私のお気に入りが聴きたい」という言われたとします。あなたはきっと、その人が好きな曲をいくつか選んで再生するでしょう。私なら、自分の箱から楽器を取り出して、"My Favorite Things"を演奏すると思います。前者は言葉通りの意味であり、後者は私に楽器の演奏を求める声になるのです。前者は言葉通りの意味、すなわち客観的な意味を読み取ったのであり、後者は明らかに主観的な(あるいは暗示的な)意味の取り方です。
誤解しないで頂きたいのですが、私は『「日本語」を対象化する』ということが、厳密な意味で可能かどうかを検証したいのではありません。「日本語」を徹底的に対象化するために、あなたの脳内に残っている日本語の表現と意味を、すべて一つの語彙集にまとめて取り出すとしましょう。これによってあなたが対象化したものは、あくまで「あなたの中の日本語」でしかありません。一方で、日本語の辞書を取り出して、それを「日本語」としてみるというのなら、前者の例でいう「"My Favorite Things"の演奏」を扱うことはできなくなります。この思考実験からも分かるように、言語は一概に主観/客観の枠組みで捉えることはできません。ですから、『「日本語」を対象化すらできない人間の文章は、俺は一字一句たりとも読みたくない』という表現に若干の齟齬があるのは、自明のことなのです。
それで少しあなたの文章を遡って読み取ると、「大事なのは、作家や、作品解釈の周囲にあるアクチュアルな国際秩序の崩落や再構成であったり、特定の文化規範や言語的範疇に則った思考や行動のあいだにふかく横たわった溝や、ダイナミックな鬩ぎあいであったりする」ということですから、天才詩人さんはそういった面を読み取り、批評して欲しいのだと私は思います。「日本語」とは、まさにこの辺りの要素、つまり世界を立ち上げるものとして、そこに与えられている。だから、本来的には不可能な「対象化」が可能となる。あなたが「日本語」と括弧で括ったのにはそのような意味があるのだと解しましょう。あまり憶測でものを言いたくはないのですが。
今日は疲れたのでこれぐらいにしておきます。おやすみなさい。
P.S.
齟齬があるという言い方をしたのでお怒りになられたかもしれませんが、私にはあなたを批判しようという意図は少しもありません。ただ、以前に見掛けた「読まないで読む」という表現と同様に、あなたの発言は厳密に読み解くことが難しいのです。今回も、どうしてわざわざ「対象化」などという表現を使ったのか、もっと優しく言い表すことはできないものかと感じます。そういう難しい言葉で語ろうとしなくともいいのではないか、と思わずにはいられません。 |
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草野
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.15 (Sun) 21:48 |
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草野が一時期暮らしていたパプアニューギニアには
730近い言葉があります。
それぞれの部族が、それぞれの言葉を持ち、「書く」ことのない
言葉です。
ちなみに、ここの絵描きや詩人は、生活能力欠如人間とみなされ
まったく相手にされていませんでした。
ダーザインの詩は、草野、とても好きです。
これからさき、かれがどういう物を書いてゆくのか
いちフアンとして、楽しみにしています。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.15 (Sun) 22:08 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 05:04 |
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メッセージだって一読すればどの程度の日本語が使えるかすぐにわかるものだよ。
天才詩人くんの「世界性うんぬん」というメッセージの文章、あまりにもひどすぎる。
きみはさ、まずは日本語をちゃんと扱えてからものいえよ。
日本語の「てにをは」にはうつくしく書くための法則性がある。
これはがっこーではあまり教えていないものだ。たとえば修飾語は長いものを先に書いて、
短いものはあとにする。すると、それだけでも日本語は見事に美しくなる。
意味内容や文法とは関係ないんだ。
たとえば次のような文章があるとする。
>赤い、とても分厚い、飯岡山のてっぺんにある木の葉が 散った。
これは×。
文字数の長さだけを基準にして単純に並べればいい。正解は、
>飯岡山のてっぺんにあるとても分厚い赤い木の葉が散った。
美しい日本語は自然に句読点を必要としなくなる。
この程度のことがきみの一般的な文章ではできていない。
ただし、詩のことばは別だがまずはきみのメッセージの
文章のあまりもの拙劣さに唖然としている。
修飾語の扱いひとつとってもこのような基本があり、
きみはそれすら知らない。
てか、きみの文章自体が拙劣だ。いくらでも指摘して批判できる。
とりあえず今日は小手調べ。w
頭も経験も技量もないくせにあまり背伸びするなよ。w |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 05:08 |
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ミドリ
Privileged


登録日: 2009.11.08
記事: 419
グループ:
[ Auths
]
[ Execs
]
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日時:
2011.05.16 (Mon) 07:33 |
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今ぼくがスタッフルームの方で提案しているのはこのサイトはもう閉鎖してしまいましょう。ということを言っているのですが、それはこの「文極」が当初掲げていた「理念」はもう終わったか無効になり、継続させることの意味がなくなったということです。
「天才詩人」さんはコントラさんだと思うのですが、「世界性」ということでダーザインさんと文学観共有されているようですけれども、ぼくにとっては一々ピンとこない話です。
「文極」を継続発展させる唯一の道は新しいシステムを一から構築して理念も掲げなおすことです。今そういうところを話しているんです。
だから、
「文学極道の「世界性」はどこに行ってしまったのか?」
とういう問いに対してはそんなもんどうでもいいわ!ボケ!多汗症ぬるいテッペンハゲがっ!(><*)/という返答になりますね。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 10:29 |
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それから天才詩人くん。
おれはきみなんか想像もできないほど質の高い文章に毎日洗われて生活しているよ。
人のことを知りもしないで余計なお世話だとおもうぜ。
たとえば、どんなものを読んでいるか、その一端をお見せしよう。
昨日、川岸の堤に腰掛けて読みふけったのが湯川豊の『イワナの夏』。
これは絶品だった。かけねなしの一級品。すべてが詩情にあふれた圭作だった。
こんな書き出しではじまる。
信濃川上へ行きはじめた頃は、きまって松田屋旅館に泊まっていた。旅館といっても田舎町の商店によくあるようなただの古ぼけた二階家で、看板が出ていなければとても旅館とは認めがたいシロモノだった。それに二階の庇の下の壁板いっぱいにかかっているその大きな横書きの看板というのが、文字も白い下地もペンキがボロボロにはげちょろけて、遠くから見ると一枚のネズミ色のブリキ板であった。そういえば、いぶつにゆがんだ輪郭をもつ家全体も、くすんだようなネズミ色だった。
さらに松田屋の親爺自身がくすんだようなネズミ色の感じだったのは、五分刈りの胡麻塩頭にようるところが大きかった。家のまわりで力仕事をしているときも、玄関兼帳場のような部屋でひとりつくねんと坐っているときも、松田屋は背中をまるめてうつむいていた。いつもそういう姿勢だったから、彼を見るときは、顔の表情ではなくまずその胡麻塩頭が目に入るのであり、そのネズミ色は家全体のネズミ色にほとんど溶け込むようによく調和していた。
松田屋は無愛想だった。それも徹底的に骨のズイまで無愛想だった。無愛想な表情の裏に、田舎の人特有の素朴な暖かさがあるなどという甘ったれた幻想を、彼はけっして抱かせてくれなかった。
どうです? この先が読みたいでしょう。想像を絶するようなドラマがこの先展開するわけだが、別に特別な事件は何も起きない。だけど、まるでふつうのまま、ぜんぜん知らない世界に、するすると引き込まれるわけだ、これが。
人が知らないし、めったに読まないけど、きららかに洗練されたこういう文章を毎日読んでいるおれがおまえごときの駄文を一刀両断にできないとでも思ったか。
わははは。 |
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かず
Regular


登録日: 2011.01.04
記事: 136
グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 17:08 |
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ミドリさん
>今ぼくがスタッフルームの方で提案しているのはこのサイトはもう閉鎖してしまいましょう。ということを言っているのですが、それはこの「文極」が当初掲げていた「理念」はもう終わったか無効になり、継続させることの意味がなくなったということです。
閉鎖なさるのはいっこうに構いません。一条さんが、「もうやめりゃいいのにと思いました。 」と言った頃から、もう閉鎖する覚悟はできていましたから。閉鎖して何かが変わるとお考えなのでしたら、どうぞ閉鎖なさって頂ければ、と思います。ですが、ここはあまりに人が通い過ぎた。メモリをリセットして、簡単にお払い箱にしてしまうのは、相当に無責任なことであると、あなた方も気づいておられるはずです。新しい体質にするといって色々やるのは構いませんが、それにはきちんとした説明が要るはずです――例え誰も求めていなかったとしても――。
立ち上げてから十年にも満たないこのサイトを、ここで終了させてしまうのは、私にとってとても惜しいことなのですよ。もちろんサイトを立ち上げるまでに相当な期間があったと思いますし、もっと掛かっていたかもしれません。それでも、詩の、しかも文学のサイトを立ち上げる、という挑戦的な運営方針で、計画されたときから失敗の恐れもあることが分かっていながら、六年も続いてきたことは、奇跡に近いのではないですか。文学極道が生まれてから、今に至るまでに、世界では色々なことが起こって、その間に、戦争の恐怖を垣間見た人も、災害を経験した人も、大切な人を亡くした人も、家族の誰かが失業した人も、皆集まって、今、何かできないかと苦悩し、もがきながら、何かしている。それでいいのではないですか。
一つサイトがあれば、その方針に従順な人、それに反対する人、どちらでもない中立的な人がいるのは、必然です。そういう人たちが集まって勢力をなし、褒め合い、貶し合いしている。それでも何かをもってここに来ている。そういう人の集まりに対して、理念はせいぜい広告の看板程度のものであって、理念を改めたところで、現状は何も変わらないと思いますよ。それなら、理念なんていらないのか、と言われそうですが、理念は要るものです。理念(=方針)が在れば、勢力が生まれる。勢力が生まれれば、その勢力間でやり取りがなされ、盛り上がるわけです。皆、何かをもってここに来ているのだから、サイトも、何かをもってここになければならない。何も変わらない「かもしれない」からこそ、続ける意味があるのだと、私は思いますね。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 19:10 |
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[quote="ミドリ"]今ぼくがスタッフルームの方で提案しているのはこのサイトはもう閉鎖してしまいましょう。ということを言っているのですが、それはこの「文極」が当初掲げていた「理念」はもう終わったか無効になり、継続させることの意味がなくなったということです。
これだけど、
理念ってのがクセモノだと思うんだよ。
「スタッフ」という差異化された詩書きと、それより劣位に属する一般投稿者たちという
構造を作っておきながら理念とは笑わせるじゃないですか。
あのカタノ養鶏場ですら、そんな差異化の構造はつくっていない。
そしてだ、その差別構造に一般投稿者という劣位の存在の側からの批判で
上級者の一人が穴をあけられそうになったら、もうやーめただ。w
あのさ、理念とかなんとかむつかしい単語を振り回す前に、自分たちがどれほど
おぞましいママゴトをやっているか、よく見極めてごらん? |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 19:11 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 19:51 |
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黒沢です。
山田さん、あんたの言説は時々痛快で、時々あまりに不当だけど、↑は、酷いほうの典型だわ。
>「スタッフ」という差異化された詩書きと、それより劣位に属する一般投稿者たち
ないですって、そんな構図(にが嗤い)!
文学極道の発起人やスタッフは、完全にボランティアなんです。報酬をもらっているわけでなく、いうまでもないけど、特権もない。ミドリさんの権威を目当てに、両手を超える数の女性投稿者が枕営業してくる、というような状況も、もちろん、ない。国民の税金から給料をもらっている官僚とかとは、根本的に違うんですよ。
100%ボランティアで、完膚なきまでに見返りが無いわけだから、自己犠牲なんですよ。そこは。月間選考の為に、うまい詩、下手な詩あわせて、月に70とか、毎月、定常的に読む/まされるのは、これは、ほとんど業苦ですよ。山田さんもやってみたらいい。数か月、きっと続かないでしょうから。
ぼくは発起人でも何でもない一投稿者だけど、ここに来るときは、ボランティアの行為によって維持されているプラットホームで、遊ばせてもらっている気持ちを持っていますよ。ここは厚生労働省の掲示板じゃないんだから、人権派みたいな立ち位置で、サイト荒らしのような行為をするのは、お門違いじゃないですか?
雑談ですけど、この前、ある新聞社の中堅の人と飲んでたんだけど、”人権派”っていうのは、もはや新聞社の中では鼻つまみ者の存在なんだって。団塊世代以上の、割と高齢の人に多いらしいんだけど、こいつらが、編集権を持っているのが問題なんだよね。権威vs被抑圧者みたいな構図で、自身がいかにも”善意の”被害者の立場から言説を行うのは、かなり相当に時代遅れなんだ。そもそもアメリカ国内で相手にされなかったエセ左翼のペテン師(今の2ch用語で言うなら、スイートだな)たちが、日本国憲法を創り、戦後の日本の言論の基盤を創ったというのは有名だけど、日本のマスコミとか、いまだに時計がここで止まってるからね。かなしい話です。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 20:32 |
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黒沢さん
つまらない返信だな。w
黒沢さん、あなたポイントをはずしてますよ。
わたしはこのサイトの発起人たちの考え方を説明したというより事実ありのままのシステムとして
「投稿作品を評価選別する者たち」と、「選ぶ者たちに選ばれる者」の差別化が
厳として存在すると指摘しただけ。
選ぶほうがどれほどしんどいだの、重労働だの、そんなことは何の関係も無い。
そういうシステムというのは出版雑誌社のシステムなんです。
そのシステムに救い上げられたものをわたしたちはプロよ呼ぶ。しかし残念ながら
そのようなシステムに救い上げられない者も出てくる。
ダーザイン氏とコントラ氏はおそらく既成出版雑誌社から否定された。
そこで自分たちでそのようなシステムを仮装したのですよ。それがネット上の投稿板です。
たとえば現代詩フォーラムにはそのような「選ぶ者」は存在しない。
だから雑誌社のシステムからは逃れている。
しかし、ここはダーザイン自らが否定するシステムを「ままごと」のように自らが
ここに仮構し、仮構のなかで自らを癒そうとした場でしかない。
だから、どうしょもなくダレた掲示板になったのは必然だ。
きみたち発起人が選別にいかほど苦労しようがしんどかろうが、話とはまったく関係ないことだ。
てか、頭悪すぎるよ。なにもわかってないな。わたしの書き方も悪かったのだろうが、
ふつうはピンとくるはずだが? |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 20:38 |
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追記
それとね、少なくとも現代詩フォーラムなみに公平で開かれたサイトをめざしているのなら
管理権限者がひとのコメントを平気で削除したり移したりするような
そういうガキの遊びのようなででたらめな掲示板にしてどうする。
こんなところ、なんどもいうように頭の悪い、才能のない連中たちが集まってつくった
出版社の「ままごと」サイトなんだよ。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 20:42 |
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再追記
>人権派みたいな立ち位置で、サイト荒らしのような行為をするのは、お門違いじゃないですか?
おれを人権派なんていったのは黒沢くん、あんたが初めてだよ。w
いったいどういう頭の構造をしているのかしらないが、親のすねばかり齧っているからそんなふうにものごとが見えなくなるんだよ。
きみは詩人には向いてない。公務員にでもなるんだな。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 22:26 |
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黒沢です。
現代詩フォーラムのポイント制の行きつく先は、これをいうと、また嫌われるだろうけど、直接選挙制による衆愚政治でしょ。一方、雑誌とかの選別が行っているのは、エリートによる元老院政治だよね。ぼくはどっちも、信用できないよ。文学極道ってのは、その間のところを行っていると思っていて、まあ、ある意味それは現実社会に似た大人のバランスだと思うけどね。一応、月間賞とかがあるけど、投降者も読者も、賞の発表の前に、自分の意見を表明できるからね。異議申し立ても、どんどんできるし、読者の評は、おそらく選抜者側にも間接的な影響を与えているんじゃないかな。それに、真っ向からここの権威を否定する山田さんが、抹殺されることも今のところないじゃない。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 22:38 |
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黒沢です。追記。
うーん、ここには月間賞とか、年間賞とかが勿論あるんだけど、掲示板における投降者同士の見識の交換(循環の無い相互羅列であってもいい)や、時折のバトルが、このサイトの本質であり、”見もの/メイン・ディッシュ”でしょ(それゆえ、参加者側に、なるべく高い見識が、きびしく”期待”されるべきだと、思うだけどね)。
だから、山田さんも、発起人も、実質においては同列だと思うな。対等だよ。ただ、あえて管理人側を差別化する点があるとするなら、やはり”見返りの無い労働(実際、大変なんだだと思う)”というところへの、やはり負い目のようなものなんじゃないかな。
個人的には↑のように思っているけど、きっといろんな意見があるだろうね。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.16 (Mon) 22:42 |
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織田和彦さんへ
文学極道の詩投稿掲示板は、すっごい魅力的だし
可能性もすごくあるし、つづけてほしいです。
もちろん、自分の作品が優良作品に選ばれたら、とてもうれしいし
佳作でも、うれしいし
選ばれなくっても、その理由を自分なりに考えることもできて
勉強にもなるし
いいところばっかりなんですけど。
以前は、ぼこぼこにへこまされたけど
それは、ぼくが気が弱かったからだけど
ここで鍛えてもらったおかげで
言い返せるようにもなったし
人生勉強もできて
いいことづくめだから
ぜひ、つづけてほしいと思っています。 |
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ミドリ
Privileged


登録日: 2009.11.08
記事: 419
グループ:
[ Auths
]
[ Execs
]
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日時:
2011.05.16 (Mon) 23:22 |
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山田さんが言うように、作品に優劣をつけるシステムと、発起人と投稿者の間にある種のヒエラルキーの構造を作る構図は、私も元々ナンセンスだというスタンスで考えてきたのですが、優れたものは詩であれなんであれ、やっぱり人の心を動かすものだと思います。
そしてそれを見出す(選別)システムを作ることは、別に批判を受ける類のものでもないし、世の中には、そういった場がより多く存在していい。それは創作者のモチベーションを高める為の「装置」です。
文極ではダーザインさんが掲げた「理念」があり。彼はそのアジテーターとして存在していたわけです。そしてそれはよく求心力を持ち、ちょっと類のない詩のサイトとして機能した。
しかしこういった「おぞましい、ママゴト」はさっさと終わらしてサイトを閉鎖すべきだという考え方は、私も全く山田さんと同じです。
ただ、閉鎖の件については(田中さん、黒沢さん)今のところ「保留」ということで。 |
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ダーザイン
Privileged


登録日: 2004.10.30
記事: 1373
グループ:
[ Admins
]
[ Execs
]
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日時:
2011.05.17 (Tue) 02:08 |
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また太郎が妄想症で因縁をつけているようだが、コントラさんは文学極道を見て初めて詩を書いた。俺は48年生きているが志向が合わない現代詩手帖には1回も投稿したことがない。詩学には3回投稿して1回落選する恥を味わっているが、もうあの雑誌末期のころ、即ち俺はとっくに有名人になっていた。詩と思想に一般投稿したことは一度もない。詩と思想に何度か俺の作品や檄文が載っているのはあちら様のご好意によるもので、土下座外交をしたわけじゃない。
ヒエラルキー全否定で良い物が人目に付くようにする方策を述べもせず、且つ、現代詩フォーラムの衆愚もダメ。それではメディアなんてどんな形でも成り立たない。
問題は、無賃労働であるにもかかわらず、たとえば平川さんは6年間一度も休まず採点していると言うこと。発起人が次々とばてて活動休止していったこと。私自身ずっと以前から毎月採点はできなくなっていて、去年の9月からはまったく採点をしていないどころか、投稿掲示板をたまに見に来るぐらいでフォーラムすらめったに見ていない。ミドリさん他今選考してくれている人に専業主婦や金満家など一人もいない。
そして肝心なのは、WEB技術の解る人間がゆうなただ一人しかおらず、彼のしてきた仕事をもしどこかの会社に依頼していたら、何百万円もかかる。それをずっとただでやらせ続けてきたと言うこと。
金=モチベーションの維持にはならないが(たとえば金を貰っても愚にもつかない作品ばかり読んでいたらモチベーションなんて維持できるわけない)、
発起人も生存のための仕事をするのが第一義であり、また自分自身の詩作や思索の時間もなければならない。
ここを維持する気があるのなら実力者を大量導入しての大規模な輪番選考委員制度、ゆうなの手助けをできるweb技術者の確保、これは必須だと思う。
世界性という理念が死んだ? はっきり申し上げて発起当初のイノベーションが今ないのはコントラさんと俺が後方に退いたからだとしか言いようがない。
世相を見るにモダニズムと世界性、それは今こそ必要なものじゃないのかね。ポストモダンとか言っている奴の気が知れない。
取り合えず今月分から選考に戻るが、一人選考に戻っても何も解決しない。外野で注文つけていないで自分が輪番選考に加われるかどうか、受賞歴があるような実力者の方々のには考えてみていただきたいです。
| ミドリ wrote: | 山田さんが言うように、作品に優劣をつけるシステムと、発起人と投稿者の間にある種のヒエラルキーの構造を作る構図は、私も元々ナンセンスだというスタンスで考えてきたのですが、優れたものは詩であれなんであれ、やっぱり人の心を動かすものだと思います。
そしてそれを見出す(選別)システムを作ることは、別に批判を受ける類のものでもないし、世の中には、そういった場がより多く存在していい。それは創作者のモチベーションを高める為の「装置」です。
文極ではダーザインさんが掲げた「理念」があり。彼はそのアジテーターとして存在していたわけです。そしてそれはよく求心力を持ち、ちょっと類のない詩のサイトとして機能した。
しかしこういった「おぞましい、ママゴト」はさっさと終わらしてサイトを閉鎖すべきだという考え方は、私も全く山田さんと同じです。
ただ、閉鎖の件については(田中さん、黒沢さん)今のところ「保留」ということで。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.17 (Tue) 05:57 |
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真っ向からここの権威を否定する山田さんが、抹殺されることも今のところないじゃない。
↑
罵倒コメントは削除されても仕方が無いとして、まじめに書いたコメントも
ことごとく削除されているよ。
おれの言葉ごときたしかにつまらないかもしれないが、他人のコメントを
平気で抹殺する神経がおれには唖然だな。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.17 (Tue) 08:48 |
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ダーザインさんへ
ぼくに輪番選考に参加する資格があるのかどうかわかりませんが
すべての作品を読んで評価することができます。
もちろん、ぼくの好みで、ものすごく主観的かもしれませんが。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.17 (Tue) 09:02 |
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[ダーザイン]
世相を見るにモダニズムと世界性、それは今こそ必要なものじゃないのかね。
↑
じつは「モダニズム」の意味も「世界性」の意味もよくわからなかったので、わたしの大学である(笑)wikiで語彙の意味を教えてもらった。
なるほどとおもう。ひじょうに勉強になった。
基本的に芸術家というものは「汝の成し得るところを成せ。あとは人のいうにまかせよ」(ダンテ『神曲地獄編』)でいいのだけど、せっかくだから付き合おう。
わたしにとって「世界性」とは「ふつー」という発語に代表されるものだ。
学校の体育を休んで木陰の下で文芸を読みふけっているひ弱な文学少年に向かって「おれたちはふつーでよかったよな」と揶揄するあの「ふつー」だ。。
イメージとしてはコンビニ、公団住宅、ホンダ、村上春樹、テレビ...etcだ。
つまりわたしの考える「世界性」とは広範な類的集団の存在を背景にもち、かつ、「モダン」な「現在性」の上に成り立つものだ。
だからそれらは古典には成り得ない。村上春樹の小説がいくら世界各国で読まれていようとも、かれの小説は「今」だけで、聖書やあるいはもっと小規模でいえば太宰のように、人類や、日本の若者が存続する限り読まれるような、そんなものにはなれない。なりようがない。それは、ダーザインのいう「モダン」な「世界性」というものが、あらかじめ時間軸を奪われているからだ。
では時間軸が呼び寄せる世界性なるものはどこから来るか?
わたしのみるところそれは「モダン」な「世界性」からではなく、それに背を向けた人間の孤絶性が呼び寄せるものだ。
人間の孤絶性とは何か? 矛盾するようだがそれは掘り進めていくとほんとうの意味で、現在性に左右されたない世界性に到達するもののことだ。
たとえば人間の孤独はだれにでも共通するひとつの世界性だ。
孤独や死や愛は「エイエン」を指し示すものだ。
「モダン」な「現在性」の一例として天才詩人があの「♯」という詩を投稿したのだとすれば、まさしくあの詩がもっている雰囲気は「モダン」な「世界性」であり、それは、別の言葉で言えば「資本主義の病い」とでもいうべきものだ。
わたしは伊達や酔狂で「精神科へ行け」といったのではない。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.17 (Tue) 09:03 |
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Q
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.17 (Tue) 12:03 |
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ダーザインが閉鎖するというなら話はわかるけど、何で、ミドリとか山田が言うわけ?お前ら、まともに作品もかけない上に、まともな批評もできないのに、お前らがそれをすることが可能であれば、サイトは成り立つんじゃないの。ダーザインはばかだけど、信念みたいなものはあるんじゃないの。そもそもミドリは、極道blogの所信表明なんかで、今まであった極道の理念を投げ捨ててるでしょ。ぬるい今はやりのスピリチュアリズムのTV番組みたいなことを書いているわけで、「誰にでも読まれる」ということをミドリの所信表明では、本当につまらない意味での「誰にでも読まれる」という意味に変換されてるし。
後、山田には、お前が言うな、それだけ、とりあえず、お前は、ろくに作品も書けないんだから。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.17 (Tue) 16:47 |
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Qだかなんだか知らないが、知ったかぶったことを書いて自分で恥ずかしくないのか?
突如躍り出たスーパースターのつもりか?
「すごぉ〜い分析、さすがQ!」とでもいってもらいたいのか?
たいした洞察でもないのに、ひとりで悦に入って身もだえしている特大のハンバーガ。
「天才詩人」がだれの真似をしてようと、出された作品の評価とは何の関係もない。
ダメなものはダメなんだ。
そもそもコントラの作品なんて、以前からまったくなってないし、ダーザインの作品もダメ。
それより語られた内容以前に、おまえのコメントから匂ってくるマッチョな腋臭のくささに自分で鼻が曲がらないか?
なんともはや、マンガのようなやつだ。おまえのようなマンガが出てくるシーンじゃない。
お呼びがかかるまで、とっとと失せてろ! |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.17 (Tue) 22:02 |
  |
Qってのに
おまえらって言葉でひとくくりにされる覚えはないんだけど
まともな作品書いてから言えよなって思うわ。
バカじゃないの、おまえ。 |
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ダーザイン
Privileged


登録日: 2004.10.30
記事: 1373
グループ:
[ Admins
]
[ Execs
]
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日時:
2011.05.18 (Wed) 01:15 |
  |
先ずは田中さんゲットだ。二言はなしでよろしく。
更に更に交代制でできるくらい人が必要だと思います。
きっぱりと分けて、選考に関わらない月の投稿は、創造大賞などの対象になる、
それが理想じゃないかと思うのだがいかがでしょうか。
今まで発起人・選者になると仕事ばかりあてがわれて報われることが何も無かった。
かく大賞受賞者だけではなくて、
月間優良作品入選常連者も輪番選者に含むべきと考えますがいかがでしょうか。
まず手を上げていただいたこと、敬服します
| 田中宏輔 wrote: | ダーザインさんへ
ぼくに輪番選考に参加する資格があるのかどうかわかりませんが
すべての作品を読んで評価することができます。
もちろん、ぼくの好みで、ものすごく主観的かもしれませんが。 |
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右肩
Member


登録日: 2009.11.07
記事: 62
グループ:
[ Auths
]
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日時:
2011.05.18 (Wed) 02:20 |
  |
僕は実はダーザインさんの詩と詩論はよくわかりません。
でも、このサイトを立ち上げて維持するに当たっての労苦が並大抵でないことは理解しているつもりです。
他のスタッフの方も含めて。
無償で、しかもサイトの維持を前提として、時には義務としてのプレッシャーを背負い込んで、よくぞ、と思います。
単に時間や労働量の問題ではなく、自分の文学を無防備に不特定多数の前に立たせて、時にはアジテーションも交えて論陣を張る。それも予定調和的な無理解と不寛容による相互不信に向かって、です。とてつもない苦行ですよね。
ここを使わせて貰って、無慈悲なまでの罵倒を繰り返す人も何人もいますが、嫌なら出て行って他で自分の流儀に合うサイトを作ればいい、単純に考えればそれだけで済みます。それだけのことですが、絶対にできない。
僕は今、地方の俳句の結社誌でほとんど誰も読まないような俳句の鑑賞文を月に原稿用紙4〜5枚くらい書いています。もう5年くらい続けていますが、全然締め切りは守れないし、もう毎月気が狂いそうです。やめたくて仕方がありません。やればやるほど慣れるどころか逆に苦痛になってくるものですね。
だから、時々賞も頂いていてご協力を、とも思うのですが、どうせすぐに幽霊構成員になってしまうに決まっています。まったく自分が信用できません。いや、ダメなところには自信があります。
田中さんは大丈夫かな、と心配です。ちゃんとした方がたくさん集まってくれたら安心なのですが。
ええと、時々ちゃんと言っておくべきことだと思うので、改めてダーザインさん始め、スタッフの方に平素のお礼を申し上げたいと思います。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
|
日時:
2011.05.18 (Wed) 05:53 |
  |
ダーザインさんへ
輪番選者の件
よろしくお願いいたします。
しかし、そのときでも
投稿はしてよろしいのでしょうか。
もちろん、自分が選者のときには
自分の作品は、ぼくは、はずします。
文学極道の詩投稿掲示板には
ほんとうに魅せられていますので。
しかし、他の選者の方に、優良作品にとか
佳作に選んでいただけることはできるのでしょうか。
と言いますのも
やはり、電子データがいつでも見れるという状態にしていただけることは
作者として、たいへんモチベーションが上がりますし
とても大事なことだと思っているからです。
選者のときの作品が、大賞・各賞の対象から外れるというところが
理屈がよくわかりませんが、そういう決まりなのですね。
その決まりについては、再考してくださればうれしいですが
しかし、自分が選者のときでも、月間優良作品・佳作に選べられれば
電子データが残りますし、いつでもその作品を見ていただける状態にあれば
そのことだけでも、ぼくにとっては、たいへん有り難いことです。
これからも、力のかぎり、自分のよいと思われる最良の作品を
投稿させていただきますので、なにとぞ、よろしくお願いいたします。
右肩さんの危惧は、体力でしょうか。
速読ができるので、難などありません。
大丈夫ですよ。
それに感想文、5枚なんて書きません。
駄作には一行ですみます。
ぼくの感想が簡潔なのは、すでにご存知でしょう。
それに、文章を書くスピードもひじょうに速いですしね。
ぼくの基準は、とても厳しいので
ぼくが言葉を費やして感想を書く対象になる作品は
おそらく月に数作あるかないかでしょう。
多くても、4、5作でした。
ぼくがこれまで読ませていただいての経験ですが。 |
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黒沢
Member


登録日: 2009.11.07
記事: 23
所在地: 神奈川
グループ:
[ Auths
]
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日時:
2011.05.18 (Wed) 07:33 |
  |
ダーザインさん、ミドリさん、輪番選考の件、昨日の夜にスタッフルームの方に書き込みをさせて頂きました。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.18 (Wed) 12:50 |
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南君
>もっと言うならば、天才詩人さんの言語観に関して、この辺りの考えがどの程度まで深められているのかと、私は一番興味をもっています。主観/客観について考え始めると、言語はその二つの側面を合わせもつものであることが容易に理解されます。あなたの親しくしている人から、「私のお気に入りが聴きたい」という言われたとします。あなたはきっと、その人が好きな曲をいくつか選んで再生するでしょう。私なら、自分の箱から楽器を取り出して、"My Favorite Things"を演奏すると思います。前者は言葉通りの意味であり、後者は私に楽器の演奏を求める声になるのです。前者は言葉通りの意味、すなわち客観的な意味を読み取ったのであり、後者は明らかに主観的な(あるいは暗示的な)意味の取り方です。(引用おわり)
なんか言語行為論みたいな話になってるけど、要は、発話は文脈とか
前後関係に依存する、という単純な話じゃないのかな。
日本語を対象化する、というのは、哲学的には難しい問題だよね。
俺が言いたかったのは、かつて浅井君へのレスでも書いたけれども、
「自分がユニバーサルな言語で発話している」、という虚偽の感覚を
対象化する、という。簡単にいっちゃえば、日本語で書き、
日本語で批評する、という「意味」を生み出す行為のあつまりで文学極道というサイトが出来上がってる。問題なのは、そのいろんな「意味」が、
日本語というシステムの内部で、自己言及的に再生産されるだけなのか、
それとも、外側(もしそれが存在するなら)と交渉を持つ「希望」が
あるのかどうか。詩や文章を書くのに「希望」を持つためには、
何が足りず、何がありすぎるのか。
というのも、
日本語は「地域内生産性」みたいのが高い言葉で
、それが戦後/ポスト冷戦の「地域的」国家のなかに入れ子
上に入っているから、日本という場で、日本語で「詩」を書くこと自体、
俺にはすでに二重の責め苦のように思われるのね。もちろん
この責め苦は、可能性でもあるんだけど、それを「可能性」
として認識するためには、上に書いたように、「対象化」
が必要となってくるわけさ。
解説しとくと、地域的というのは、中心と周縁とか高級と低級
宗教的なものと世俗的なもの、とかいうヒエラルキーが不明確で
宮台真司のいうような「郊外」がえんえんとつづく場所なき
場所、みたいなね。そんなイメージ。
だから、日本語を対象化する、ということは、日本語を通じた
意味産出行為が、ポスト冷戦・新自由主義時代の東アジアという文脈で
どこかに「介入」を果たしうるのか。まあ、僕はメソメソ
家に閉じこもっていないで、「介入」していきたいほうなのですよ。
何事にもね。コメントどうもありがとう。
南くんは希望を持って詩を書いているのか? |
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かず
Regular


登録日: 2011.01.04
記事: 136
グループ: なし
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日時:
2011.05.18 (Wed) 23:28 |
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ちょっと書き直します |
最終編集者 かず [ 2011.05.19 (Thu) 02:04 ], 編集回数 2 回 |
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ゼッケン
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.19 (Thu) 01:31 |
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サポーター制とか輪番選考とか、そんなパッチ当てたって革袋自体が古くなってるのに文極の脆弱性が解消されるだろうか? 現代表は文極の理念が死んだって言ってんだから。
ボランティア運営では馴れ合いを排すのはムリですって宣言やんか。善意は人を甘やかす。Qさんが言っちゃったけど、どんな罵倒も茶番でしょ? けっきょくすべて善意のプラットホーム上に構築されてるもんだから、なにも変えられないんですよ、相互信頼って相手の出方が予測できるってことなんだから。認識する安心より存在する不安を!
というわけで、世界性とはカネです。カネ見せたらみんなフレンドやがな。文極が儲かる場所になればええんや。それが世間とガチで向き合うってことやおまへんか? 数字の前にはなんの言い訳も通らんさかいな、ってミドリさんは考えてるよ。 現状、右肩さんだって地元のしがらみをネットの広がりより優先させてるじゃないですか。これ、選考一回で五万出すって言ったら引っ張り出せるかも知れませんよ。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.19 (Thu) 02:20 |
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南君
消す前に君のレスをざっと読んだが、とりあえず
「自分がユニバーサルな言語で発話している」、という虚偽の感覚
の意味を取り違えてる。あと、俺がどんなコンテクストで「希望」という
概念を持ち出しているのがどうか、俺も言葉足らずなことがあるかもしらんが
じっくりと考えてくれ。
以上。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.19 (Thu) 02:36 |
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ついでにゼッケン君
お金のない人にとっては、世界性とはお金だろうし、お金がある人にとっては
お金じゃない。ま、そんなとこだろうな。俺は金ないぜ。 |
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かず
Regular


登録日: 2011.01.04
記事: 136
グループ: なし
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日時:
2011.05.19 (Thu) 02:57 |
  |
天才詩人さんへ
>「自分がユニバーサルな言語で発話している」、という虚偽の感覚を
>対象化する
>これも、俺は、「忘却」ということを言いたかったわけね。ユニバーサルというか、誰もが理解できる普遍的な言語を話しているという虚偽の感覚は、忘れることの上にしか成立しえないから。
なるほど。ただ、「自分がユニバーサルな言語で発話している」という虚偽の感覚など存在するのかどうか、それが疑問ではありますね。その疑問に答える形で、あなたは「忘却」という語を持ち出す。簡単な推論によって、この感覚が実は相対的なものであることは導くことができます。他者と比較したときにそういう状態に陥っているのだ、という立場になってしまう。つまり、私たちが「日本語を話している」とすることなく、ただ「話している」という状況を見つけ出して、それを対象化することによって、忘却されていた事実を発見するのだ、と。それなら、「感覚」という語で言い表すには程遠いと思いますよ。感覚というよりは、むしろ状況や状態といった「陥ってしまうもの」に置き換えるほうが、自然ではないですか。
結局、「意味」を日本語というシステムの内部/外部の二項対立のうちにしかとらえることができないのは、言語に囚われた人間の宿命でありましょう。もしそれが存在するなら、と言うのは、いかに外部を語ろうとしたところでそれが存在しないのだ、と解します。逆にそういう状況下にありながら、日本という特殊な環境にあることを思えば、それが一つの可能性とも言えよう、ということですね。そうは言ったところで、日本語の「意味」を中心を可能性を見据えているわけだから、私はそんな可能性を希望とは思いませんが。意味を示すのは音声であって、ようやく紙の上の言葉に辿り着いたと思ったら、また意味に逆戻りしてしまう、そんな空しさばかりの可能性に、私は縋ろうか、縋るまいか。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
|
日時:
2011.05.19 (Thu) 13:47 |
  |
南君
内部/外部の二項対立は、その危険をじゅうぶん考慮に入れた上で仮説作業台として使ってる。で、なんか話が違う方向に言っちゃってるので戻すと、
俺はラカンの鏡像段階論とか、精神分析系はあんま興味ないのね。
南君は、結局人間=言語とか、アブストラクトな発想でしか物事を
考えてない気がする。
俺が「世界性」という言葉で言おうとしてるのは
具体的なもんだよ。それは2010年代の、折からの経済不況と
災害復興に苛まれる日本であり、90年代までのゲリラ抗争が市民を巻き込んで蔓延するLa violencia(暴力)の時代から、アメリカの多額な軍事援助を背景にしたウリベ政権の徹底的な掃討作戦で、やっと国民が安全に旅行できるようになった南米コロンビアであり。たとえば、コロンビアの都市文化ってのは発展途上国とは思えないくらいダイナミックだけれども、それはビオレンシアの時代に、都市の住民がそこを取り巻く危険な農村部に出ることできない、「包囲」状態にあった、という背景が関連してる(と思う)のね。
メデジンという人口数百万人を要する大都市からバスで2時間ほど北にいくと、アンティオキア地方特有の、ほんと昔から時間が凍結してしまったかのような小さな村に着く。いまでこそ週末に人が来るようになってるけど、数十年のあいだ続いた都市=農村のコミュニケーションの断絶ってのは、人々の思考様式や、行動の仕方に、微妙な齟齬をあたえてる。
俺は、世界各地:京都であれ東京あれ、ブダペストであれ、バンコクであれ
ダルエスサラームでもいいけど、WHMくんが少し触れているけど、詩人くんたちには、もうちょっとフィールドワーカーになったらどうなの?と言いたいわけね。
たとえば、昨日ちょっと読んでたけれども、田中君の作品に、新田辺で急行待ちしてた電車のなかでの話とか、「街を歩いてく」自分が、きちんと挿入されてる。そこは率直に可能性に満ちた試みだな、とか思うわけさ。「土地」に対する徹底的な固執。最終的に、俺はマルクスが好きなんだなとか自分で思ったりする。笑。
だから、日本語の話はもういい。日本語の話を持ち出したのは、外国語の習得ってのは、これまで書いたように、ある土地をフィールドワークするために必要なものであって、それ自体目的じゃないから。下手糞でも、間違ってても、相手の言葉で話そうとするのは、相手に敬意を表すときの、いちばん手近な手段だよ。
まあ、そんなところで。南くんは、南くんの、言語と人間のありかた、という
君自身のテーマを追求して、いつかコラムでも書いてアップしてくれたまえ。
そんな感じで。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
|
日時:
2011.05.19 (Thu) 14:16 |
  |
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 |
天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
|
日時:
2011.05.19 (Thu) 14:19 |
  |
いちおう言っとくと、俺が「世界性」と関連付けてるのは第四パラグラフの、
>僕は手にしたばかりの新聞をテーブルに放らなければならなかった。「ブッ>シュ」「バグダッド」という二語が、特大の活字になって逆向きにこっちを睨む。
とはまったく関係がない、ということだけ。この部分はあってもいいと思うけど、
作品にとって本質的ではないと思う。 |
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かず
Regular


登録日: 2011.01.04
記事: 136
グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 00:28 |
  |
天才詩人さん
>南君は、結局人間=言語とか、アブストラクトな発想でしか物事を
>考えてない気がする。
言語の側から問い始めたのですから、そう感じるのも当然と言えましょう。言語の側から見たときに人間の存在が立ち上がります。人間とは何か、という問いは、言語の枠組みの中だけでは考えられないでしょう。その問いに答えられるだけの人間を見てきたと胸を張る自信は私にはありません。その自信のない「私」の存在も、未だ解かれていない謎の宝庫です。
昨日のレスポンスに触発されて、言語と言葉は切り離すことができるのだろうか、という問いに答えようとしています。仮に切り離そうと試みたとして、その試みも言語の上で行われるのだ、とみることができるなら、同様に、言葉の上で行われるのだ、とみることもできます。言語と言葉との包含関係を見極めるためには、具体的なものへ向かうしかないのでしょうか。もうしばらく温めておくことにしましょう。
>下手糞でも、間違ってても、相手の言葉で話そうとするのは、相手に敬意を表すときの、いちばん手近な手段だよ。
天才詩人さんからこんな言葉が出てくるとは思いませんでしたよ。もちろん、文脈からして、この「相手の言葉」が、「相手が話す外国語」という意味合いを持つのは理解できます。それでも、天才詩人さんみたいにテクニカルタームを駆使する人が、「相手の言葉で」というのを聞くと、少し笑ってしまいますね。
>まあ、そんなところで。南くんは、南くんの、言語と人間のありかた、という
>君自身のテーマを追求して、いつかコラムでも書いてアップしてくれたまえ。
コラムは、文学極道の看板ですから、文章に癖のある人間が書くより、そうでない方が書くのがいいと思います。私はよく日記を書くのですが(これはblogなどとは異なる、ごく個人的なものです)、自分の言葉選びや言い回しの傾向に出会うことが多々あります。
それに私が言いたいことは、もはやコラムに書くまでもないことであって、そこかしこに散らばる私のレスポンスに反映されていますよ。私は投稿した後の文章を、何度も手直しますが、それは何度読み返しても自分の文章たることを超えないからでもあります。その意味では、文学極道は私の日記みたいなものです。文学極道を通じて深めた思索が、私には大きすぎました。
まあ、何とか機会を見つけて、外国に行ってみたいなあ。今が一番時間と余裕がありますから。それじゃあこの辺で。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
|
日時:
2011.05.20 (Fri) 05:13 |
  |
人のコメントをかってに消しておいて、きみたちは二人でなにを漫談をやってるんだ。うん?
聴衆に「うわー、すてき。すごいわ」とでもいってもらいたいか。いい加減にしてはどうか?
いまどきそんなメタ言語で、空すべりするような会話だれが読むとおもってるのか?
果てしなく幼稚で空疎な連中だな。
田中さん、やめときなよ、こんなところで選考係りなんかするの。
確実にあなたの詩がダメになるよ。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 07:14 |
  |
この二人のお話合いは空疎で中身のない
読む価値もないものだと思っています。
知識披露したい、知ってること書きたい症候群の人たちのやりとりでしょ。
山田くん、選考は、ぼくにとっては簡単ですよ。
読む価値のないものは見た瞬間にわかります。
電子データに残ってほしいと思う作品は
数作しかないでしょう。
たとえば、5月のきょうまでに出された作品で
電子データに残ってほしいと思うのは
ぼくにとっては、いまのところ、2作だけです。
あとの作品は、電子データに残らなくてもよいと思っています。
(ぼくのを除いてね、笑。)
それに、ぼくは他の選者と意見が違っても平気です。
選ぶ人が多様であれば、優れた作品のとりこぼしが少なくなるでしょうから。
選ぶ人には好みがあり、それは尊重されるべきものでしょうし。
むしろ、違うものが、ほかの選者に選ばれることが望ましいとも思います。
さまざまな傾向のすぐれたものが残るべきだと思っています。
多数決で決まると言うシステムだったでしょうか。
よいシステムだと思います。
ぼくの場合、選考には時間がかかりません。
毎日、いつも見てますもの、コメントも、笑。
ぼくの選考の基準は、たぶん、きわめて高いと思います。
ふだん読んでいるのが、第一級の詩人や作家のものばかりで
義理で送られてくる詩集や詩誌は、ほとんど捨てています。
あけた瞬間に読む価値がないのがわかるからです。 |
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  |
 |
田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
|
日時:
2011.05.20 (Fri) 08:01 |
  |
ちなみに、5月の優良作品あるいは佳作として
電子データでいつでもすぐに見れる状態にしてほしいと
ぼくが思った2作品とは
つぎのものです。(5月20日午前8時までの投稿分で)
右肩さんの『静物とは言い切れない一連の様態』
熊尾英治さんの『重曹博士とナトリウムの涙』 |
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  |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
|
日時:
2011.05.20 (Fri) 08:17 |
  |
山田くんへ
ぼくの作品がダメになるなら
とっくになってるよ。
ずっと読んでたんだから、笑。
心配してくれてありがとう。
うれしかったですよ。
ぼくが選考するなら
基準は高いけど
要求する点は少ない。
ぼくを驚かせるところがあること。
ぼくのこころを楽しませてくれるものであること。
この2点ぐらいです。
この2点は、ほとんど同じものだけど
ときどき違っている。
また、見たことのあるような作品は
出来がよくっても、ぼくは選ばないでしょう。
芸術には先取権があるからです。
よほど巧みなものを除いて。 |
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未登録ユーザー

グループ: なし
|
日時:
2011.05.20 (Fri) 08:28 |
  |
[quote="田中宏輔"]
右肩さんの『静物とは言い切れない一連の様態』
熊尾英治さんの『重曹博士とナトリウムの涙』
↑
この二つはおもいっきりいわゆる現代詩マニアたちの共感覚を要求するようなものでしょう。
わたしはこんなものはいっさいみとめない。
おそらくダーザイン氏がふだんから語っている言葉を信じるならばこんな作品を傑作であれ優秀作であれ文学極道のものとして出すならば、そこで終りだとわたしはおもいますね。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 08:28 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 08:50 |
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熊尾さんのは、ウォレス・スティーヴンズの「壺の奇譚」が
先行アイデアであると思うけれど
右肩さんの作品も、熊尾さんの作品も
いまユリイカや現代詩手帖の本欄に書かれているものより
(さいきん、読んだんだ、ひさしぶりに)
ずっと、ぼくにはおもしろかったよ。
山田くんの好みとは違ったんだね。
でも、違ってもいいんじゃない。
それが文化の豊かさの1つのあらわれだろうし。
ぼくはそう思うな。
わっ、もう出なきゃ。
これからお仕事に。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 08:53 |
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わたしはダーザインやコントラ氏を批判しているように見えるかもしれないが、
この二人が口にする詩の理念そのものはもの凄くまっとうだし、斬新だとおもっている。
ただ、この二人は、なぜかそれを口にしながら正反対のことをやったり、
言ったりしているから文句をつけているだけでね。
ただ、これまでの圭作や優秀作はそれなりの水準を維持している。だけど田中さん、
あなたがいまここで推した二作は「マニアの現代詩」というやつで、こんなもの
いまどきお歯黒詩人以外だれも読みませんよ。
少なくともわたしは全否定する。 |
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田中宏輔
Habitue


登録日: 2011.03.28
記事: 1021
グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 09:03 |
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全否定してもいいよ。
好みだもの。
違ってても、変じゃないじゃない。
いま、お風呂から上がった(はやいでしょ)
するとすれば、返信は午後2時すぎになります。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 12:35 |
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山田
物事がわからないときは、「わかりません」と素直に聞きゃいいだろ。
俺は天才のうえに親切でもあるから、謙虚に頼めば、
頭から指導してやるし、ついでに根性もたたきなおす。
事実、君らの頭の悪さでは、おそらく世界に起こってる出来事の85パーセントくらいは皆目見当もつかないくらい「理解」からは程遠いだろうが、
それは誰の責任でもない。
だが、その頭の悪さのせいで、投稿欄で、美裏さんをはじめ、数人が
これまで迷惑を被ってる。
わからないときは素直に、「教えてください」だ。
以上。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 12:57 |
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ああ、でも部分的には山田の言うとおりかもしれんよ。
君がいうような意味での「詩」は、おれは存在価値がないと
思ってる。いつだったか、文極にちょっとだけ顔出してた
阿部なんとかって批評家ね。ダーザインと激しく幼稚な口論を
して去ったけどさ。彼のサイトに、実は数日前行く機会があって、
すこし眺めてたけど。
要は、田中君とか君らのサークル(んなものがあるか知らんが)
が考える「詩」ってさかつての「テレホンカード」みたいなもんなんじゃないの?
もう公衆電話なんてどこにもないから、だれとも通話できない。
「陸の孤島」みたいなね。事実、阿部君とか、田中の言う「詩」を理解する
ためには、たいてい、俺はそうとう「お勉強」しなきゃなんない。
よくわからんけど、たぶん
estericな良否判断の「感性」「基準」みたいのがあってさ、
大半の日本人は、西洋人が、日本の「茶道」のこころを学ぶみたいに、一からやんなきゃなんない代物。でもさらに重篤なのは、やってる本人らが、その
esotericさを自覚してない。ぎゃくに、ユニバーサルなもんだという前提が
あって、そこを叩き台に文学とか、日本文化論とか一般に語っちゃう。
いい迷惑だ。
だから、こんかいの東日本だ震災のことなんかでも、「詩」自体がコミュニケーション不全でがんじがらめになってる状態だから、現実の何を語らせても真実味がない。
まあ、奴らはそれが「好き」なんだからほっとくか。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 13:02 |
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それから山田と田中。ここは俺が「世界性」について語るために
立てたスレッドだから、臭い息吐くんなら別スレたててやってくれ。
よろしくな。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 13:35 |
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念のため注記を。一箇所目はスペルミスね。失礼。
esoteric
【形】
難解な、深遠な、秘密の、秘伝的な、奥義に達した
【発音】e`səte'rik、【分節】es・o・ter・ic |
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Q
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.20 (Fri) 23:09 |
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じゃ、俺が超DQNなこといっちゃうよ。俺は、神秘主義者よりのDQNなんですけど、正直、コントラさんの言う世界性とかどーでもいいわ。そんなのはきょうみすらねぇわ。
それに、俺はそんなものを世界だとすらおもっていないという果てしないDQNですから、フィールドワークなど不要であるとすら思ってるよ。そんなことよか、世界の向こう側がいいんですよ。世界の奥行きがいいんですよ。そんな、社会学みたいな「世界性」とかどーでもいいですわ。そんな、ジャーナリスティックな発想の人は、詩にむいてねぇよ。 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.21 (Sat) 09:01 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.05.21 (Sat) 09:06 |
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天才詩人
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.10.31 (Mon) 11:50 |
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嫌味ったらしくここにも
改稿後新コラム
福島 "The Happy Island"
日本において日本語で詩を書き続ける選択肢はありえない。詩人はぜんぶ負け犬だ。その負け犬、いかいか的に言えば自らのどぶねずみ的な醜態を、自覚した上で、ゼッケンくんみたいにそれを戯画化していく。せいぜいその程度の抜け道しかないだろう。しかし俺は天才なので、その道は選べなかった。海外でのうのうとしやがって気楽なやつだといわれるかもしれないが、すくなくともおれはどぶねずみではない。いや、どぶねずみかもしれないが、少なくともどぶに住まねばならないという不幸は免れている。さっき、暇つぶしに福島市のホームページをざっと見てきた。外国メディアの報道で、福島市内はもはやチェルノブイリ周辺と同じかそれより悪い状態だというのが明白なのにもかかわらず、市当局ウェブサイトには市民に正しい情報を伝えようする誠意がみじんもない。日本酒3合飲んだら発ガン率は1.6倍だから、放射能これだけ浴びたのと変わらないとか、人をナメきった情報ばっかりだ。(注1)暗に、放射能はたいした問題ではないですよ、と言いたいにしてももっと頭をつかったお茶の濁し方があるだろう。ふざんけんな。さかんに議論されているので繰り返したくないが、あまたの政府機関を擁する福島市を閉鎖するとなると、東北以北への大動脈が遮断され、日本の経済活動に甚大な支障をきたすと言われている。YouTubeにある無数の映像ではNGOの活動家がインタヴューに対し、これだけ放射能汚染のレベルが高いのにもかかわらず、復興プロジェクトのすぐそのわきに、学校やオフィスの平和な日常生活が営まれているのは、シュールで不気味だ、と話していた。日本政府は見てみぬふりをする。市民は、何事もないと自分に言い聞かせながら、「そのまま」の日常を維持しようとする。ある南米出身の友人によれば、彼が関わるボランティアグループが福島入りしようとしたとき、地元のひとに「わたしたちはこのままでいいんだから」と現地入りを拒否されたという。この話の信憑性はよくわからないが、似たような話はよく聞く。地元の公開質問会などでも、手をあげて質問しにくい雰囲気があり(株主総会かよ)、母親が、うちの子のリンパ腺が・・と切り出せば、医者から「お母さん、あまり神経質になりすぎないように」とつっこまれる (なかには、こんな非常識な発言まで出回っている。注2)。たいへんな親日家である(しかし日本に行ったことはない)、ある南米出身の友人と福島のことを話していたとき、彼がいきなりヘンなことを言った。「これだから日本の文化はすばらしい。人々は生と死を超越した美学をいまでも生きてるんじゃないか」。思わず唖然としたが、福島市民の昨今の平静を、武士道や割腹自殺のメンタリティと結びつける、オリエンタリズムのコピーのそのまたコピーみたいな流言は、わりと見かける。南米の革命家エルネスト・ゲバラの有名な言葉に、Prefiero morir de pie que vivir de rodillas (腰をかがめて生きつづけるよりも、堂々と立ったまま死んだほうがいい)というのがあるが、福島の場合はまったく逆で、彼らは「座ったまま」死を待つ道を選んでいる。ともあれ、21世紀になっても、外国人(とくに非アジア人)のイマジネーションのなかで、日本人の行動が謎のベールに包まれてつづけている、というのは、自覚しておいて損はないだろう。
だが、底なしに冷徹な眼を持つ俺にいわせたら、福島の現状は日本の伝統的美学とかカミカゼ特攻隊とかとは、はっきり言って何の関係もない。そこに見ねばならないのは、戦後のアメリカ占領時の洗脳で、手塚治虫の漫画にでてくるロボットのごとく人造人間に改造された日本人、歴史的記憶を空白に還元され、東西冷戦下のマシュマロのような甘い繭のなかで消費立国として完成してしまった日本の、『現在』もとい「終わりなき日常」へのおそるべき執着である。日本は江戸時代からポストモダンだったと真剣に議論する学者もいるが、戦後のアメリカによる洗脳政策のトラップから抜け出せない現状を考慮して言えば、1945年以後の日本のポストモダンとは、白痴と同義である。そこには過去への視点や、未来へのヴィジョンなどあるはずもなく、社会学者ジェームソンがいみじくも「現在へのノスタルジー」と呼んだ世界にしがみつくほかはない。いまから考えたらあまりにも遠い昔だが、戦争終結後数年のあいだ、一部の知識人たちは、日本に革命が起きることを本気で期待していたという。だが、彼らの考えた「民主主義」「民衆」主義革命はあまりに頭脳的にすぎた。日本では、明治以降のトップダウン型近代化政策を経て、大正時代には文学や芸術のモダニズムが花開き、自己と社会、個人主義、そして日本の文化アイデンティティを自問した白樺派や、前衛芸術集団MAVOのようなグループも現れた。しかし、戦後になって、東西冷戦下の日本が直面した数々の社会問題―管理教育、環境汚染、家庭崩壊―に対処するとき、日本人は、おきまりの「民主主義」の未発達、産業化にともなう社会の「非人間化」、アーバナイゼーションによる自然景観の喪失とか、あまりにナイーヴな思想の枠組みを持ち出すことしができなったし、今回の福島のケースでも政府を「犯罪者」と呼んだり(それは感情の吐露としては正当だろう)、被災者の生きる「権利」「人権」を持ち出すくらいしか言葉を紡げず、日本人の思考がまったく進歩していないことを暴露している。大事なことだが、日本人は20世紀の初頭の大正時代に「モダン」を背負う主体として、すでに存在していた。何年前だったか、民主党のキャッチフレーズが『日本をあきらめない』だったが、われわれが諦める諦めないかとか、「歴史」はそんなおチャラけた発想とはまったくの別の次元で人々をインスパイアする。哲学のアポリアのひとつに、「誰もいないところで倒れた木は音をたてるか」というのがあるが、日本人は自らの歴史を、まさにその「木々」のように扱ってきたのである。
いぜん田中君とのバトルでも書いたとおり、俺はアメリカに住んで数年になるが、年が経つごとにこの国が嫌いになる。アメリカ人はスニッカーズやナチョスなどのジャンクフードで肥えさせられた家畜であり、鼻の前に人参をぶらさげられた豚のように、株式市場の成長とか、または神の意志のもとで、たえまなく「先」へと駆り立てられている「動物」である。だが、言いえて妙だが、『未来』を志向しているだけ、彼らは日本人よりもましなのだ。『未来』を志向するということは『危機管理』を怠らないことだ、と言い換えることができる。彼らは公私両方のレベルで、危機にどう対応するのか、誰を責任に問うのかを、いちおう了解していて(制度上、了解したことになっている)、自国が世界一洗練された危機管理システムを持っているとうことに、疑問をはさまない。アメリカが国連決議を無視してイラクに侵攻するのも、原爆を落とすのも、それが『危機管理』だというなら、ほとんど精神異常者の過剰防衛だが、そうした「危機管理」政策を公の場で、非難する人は少ない。それらはアメリカという国の「危機管理」のゆえに必要だと承認された以上、「民主主義」手続きで選んだ自国政府の政策を非難すると、人格矛盾をさらけ出してしまうからだ。民間や市政レベルで、廃墟と化したイラクやアフガンから難民を受け入れサポートすることはあっても、戦争の大義や外交関係はドライに割り切る。精神異常者や変態も、異常ななりに一貫してはいる、ということだ。一般化しすぎたが、少なくとも、「人殺しは倫理的に否」という子供でもわかる論理から、韓国や中国への戦後補償とか、国家と国家の問題にまでワンステップで飛躍してしまう戦後日本人の知力とは、横浜商科大学と河合塾くらいの偏差値の違いはある。戦後、ごく最近まで、日本人の多くは、国家さえもがマシュマロのように溶けてなくなってしまうことを望んできたが、予備校を卒業しても学歴には何の足しのもならない。だがしかし、おれはどうしてもアメリカがきらいだ。いま上で素描したような、日本の親米保守派が大好きそうなリアリスティックな防衛論に共感する、多くのアメリカ留学「経験組」のようになってしまうのには、俺は、あまりに経験を積みすぎていた。俺はアメリカ合州国に住む以前に、東南アジアや中東、中米、南米諸国などを時間をかけて歩き回り、多くの市井の人々や、ちょっぴり偉い人たちと出会い、彼らの多くが、心の底から親日的であり、アメリカ合衆国なんかよりも日本に、今後の世界を背負う覚悟決めてくれるのを期待しているのを、知ってしまった。俺はこれらの人々を鏡として、自分が日本人である、とういことの本当の意味を学んだ。パレスチナで、イランで、または南米コロンビアやミャンマーで出会った多くの人々の期待を裏切るわけにはいかないのだ。世界第二の経済大国は世界に対してそれなりの責任を負わねばならない。
言うまでもないが、世界が日本で注目するのは経済だけではなく、日本のアニメや漫画は世界の若者の共通言語となりつつある。5年ほど前に、ダーザインから、アニメはもはやサブカルチャーじゃない、れっきとした「文化」だという批判を受けたが、俺も、過去数年間現代美術の研究者として修行を積むなかで、アニメや漫画こそ、コンテンポラリーアートの最前線を思考していくうえで、欠かせないな出来事だというのを、人力車なみの遅れに恥入りなら認知してきたし、それが日本とアウターナショナルとの界面を交わらせていく「アツい」場になりつつあるのを、これも遅ればせながら覚醒させられた。じじつ、明治以降の、日本の現代美術史は、たいてい息のつまるような守旧的なヴィジョンで覆われており、フランスの印象派からキュビスム、フォーヴィズム、抽象表現主義までのモダニズムの運動を、アカデミックに骨抜きにしただけの作品しか生まれてこなかった。アニメの話はダーに任せて矛先を変えると、閉鎖的な日本の現代美術の流れにあって、例外的に「アツ」いのが、藤田嗣治である(1886-1968)。27歳でフランスに渡った藤田は、浮世絵や日本画を参照したハイブリッドなスタイルを独自に確立して、パリで超売れっ子になったが、それには飽き足らず、自らの足で中南米やアジア大陸を旅行し、貪欲にインスピレーションを吸収しようとした。女たらしで派手な生活をしたせいで日本の画壇からはさんざん叩かれ、無視されてきたが、彼の伝記を読むと、自分の祖国について、そして世界のなかの「日本」という問題について、彼が恐ろしく先鋭な意識で思考していたのが手にとるようにわかる。個人的には俺のアイドルだ。ポスト冷戦の90年代以降、アニメや漫画にインスピレーションを受けて、製作する現代美術家が増えているが、批評家のサワラギノイが言うように、彼らは、アウターナショナルな文化のすりきりに自らを投じていった藤田の軌跡をなぞっている、とも言えるわけだ。急に文学極道の話になるが、ダーザインのようにアニメや美少女に強い人間(もとい、変態)がトップにたったのはとてつもなく大きかった。俺は、ダーの20倍くらいは頭がよいが、世界レベルの政治や経済、カルチャーのフローを最先端までくまなく見据える彼のアンテナには敬服するほかない。俺は「詩」に興味は無いので、詩はもうどうでもいい。ただし、「詩」という元来メソメソした道教の陰陽論でいう、とことん「陰」(それは放射能がたまりやすい雨どいの下や、人の近寄らないくぼ地に住みたがる)であるメディアを武器にして、どこまで「アツい」ものができるのか(たぶんそれは無理だ)にちょっとだけ興味がある。
福島市は、一刻も早く全面閉鎖して、市民はすべて放射能の影響を受けない場所に避難すべく、手続きに移るべきだろう。日本には「未来」がなければならない。すくなくとも、アメリカの暴虐によって疲弊した世界のために、日本は未来を選び取らねばならない。その「未来」はアメリカが描く未来よりも、すくなくとも数倍くらいましだろうから。(予備校は、柔軟さが強みだろう。嫌になったらいつでもやめられるし、またもどってこれる、ケムリくん、おかえり)
俺のいうことが絵空事に聞こえるならば、お前はドブネズミだ、いや、お前はアフロだ。いますぐアウターナショナルに自分を放擲して3年くらい帰ってくんな。
(注1)http://shinsai.city.fukushima.fukushima.jp/wp-content/uploads/2011/10/329068e2cf1fcc9ba99b6e3bf98973ea6.pdf
(2)http://www.youtube.com/watch?v=6pZQbEIGkxA |
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未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.10.31 (Mon) 18:12 |
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ミミズ お天道様 公衆便所 太郎爺のキーワードに脱力 |
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ダーザイン
Privileged


登録日: 2004.10.30
記事: 1373
グループ:
[ Admins
]
[ Execs
]
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日時:
2011.10.31 (Mon) 22:13 |
  |
改定前も改訂後もたまんなくいいです。
どこかに「俺に掲示板を荒らす権限を与えろ」ぷぎゃーみたいなことが書いてあって、
海外生活が長くて日本語を忘れたのではないかと言う疑念を抱きましたが、
やはりたいした文人だわ。
2chなどでとぐろを巻いている連中が
視座の話であることを理解せず
海外での高みの見物が偉いのか世とか言っていますが
近視眼的で話にならない。
以下、9月に書いた日記より
向日葵の放射能吸収能力が低くて使い物にならず、
ブルドーザーで表土を削るしかないとのことだが、
ブルなんかで削ればまた大気中に放射能をもうもうとばら撒くことになる。
荒っぽいにもほどがある。
茸が良いと言っている人がいるが、
茸類はすぐに融けてまた放射能を撒く。
チェルノブイリの試行錯誤を参考に
菜の花なりなんなりどんどん試して欲しい。
フクシマではファシズムが横行しており、
放射能の授業をした先生が免職になったり、
校庭にながく居てはいけないと言った先生も免職になったそうだ。
福島の子どもを守るネットワークに入ると村八分になる。
福島の医者は
チェルノブイリの避難基準を大きく超えているにもかかわらず
放射能は大丈夫だというデマゴーグを流し、
危険を指摘する者は排除されてしまう。
これがファシズムでなくてなんだろう。
死の街は死の街に決まっている。
人間業で容易くどうにかできることだと思うのか、
気休めとデマは大概にしろ。
そこに仕事があるわけでもないのにしがみついて
子供すら避難させない若い親を見ろ、
放射能安全教信仰や精神の怠惰による、
子供の命への無責任、ネグレストに怒りを覚える。
死の街という言葉が嫌いなら、
ゾーンという言葉で呼ぼう。
半減期1万年のゾーンに巨大なツインタワーを建てたらどうだ。
その名をソドムとゴモラという。
放射能汚染残土を溜め込んで天に突き上げる塔を建てるのだ。
受益者負担ということを考えるのなら、
ひとつは首都圏で神に挑戦してもいい。
緊急雇用対策は、永遠に近い土建工事だ。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.11.01 (Tue) 17:19 |
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| ダーザイン wrote: | 改定前も改訂後もたまんなくいいです。
どこかに「俺に掲示板を荒らす権限を与えろ」ぷぎゃーみたいなことが書いてあって、
海外生活が長くて日本語を忘れたのではないかと言う疑念を抱きましたが、
やはりたいした文人だわ。
2chなどでとぐろを巻いている連中が
視座の話であることを理解せず
海外での高みの見物が偉いのか世とか言っていますが
近視眼的で話にならない。
以下、9月に書いた日記より
向日葵の放射能吸収能力が低くて使い物にならず、
ブルドーザーで表土を削るしかないとのことだが、
ブルなんかで削ればまた大気中に放射能をもうもうとばら撒くことになる。
荒っぽいにもほどがある。
茸が良いと言っている人がいるが、
茸類はすぐに融けてまた放射能を撒く。
チェルノブイリの試行錯誤を参考に
菜の花なりなんなりどんどん試して欲しい。
フクシマではファシズムが横行しており、
放射能の授業をした先生が免職になったり、
校庭にながく居てはいけないと言った先生も免職になったそうだ。
福島の子どもを守るネットワークに入ると村八分になる。
福島の医者は
チェルノブイリの避難基準を大きく超えているにもかかわらず
放射能は大丈夫だというデマゴーグを流し、
危険を指摘する者は排除されてしまう。
これがファシズムでなくてなんだろう。
死の街は死の街に決まっている。
人間業で容易くどうにかできることだと思うのか、
気休めとデマは大概にしろ。
そこに仕事があるわけでもないのにしがみついて
子供すら避難させない若い親を見ろ、
放射能安全教信仰や精神の怠惰による、
子供の命への無責任、ネグレストに怒りを覚える。
死の街という言葉が嫌いなら、
ゾーンという言葉で呼ぼう。
半減期1万年のゾーンに巨大なツインタワーを建てたらどうだ。
その名をソドムとゴモラという。
放射能汚染残土を溜め込んで天に突き上げる塔を建てるのだ。
受益者負担ということを考えるのなら、
ひとつは首都圏で神に挑戦してもいい。
緊急雇用対策は、永遠に近い土建工事だ。 |
おれの「美しい日本のフクシマのわたす」がどれほど先を射程において書かれたか、いまごろわかったか。www |
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ダーザイン
Privileged


登録日: 2004.10.30
記事: 1373
グループ:
[ Admins
]
[ Execs
]
|
日時:
2011.11.03 (Thu) 01:14 |
  |
2chにたむろしている馬鹿とは口をきかない。
2chの馬鹿は弁証法も福島の現実もまったく解っていない。
半減期一万年のゾーンをアウフヘーベンできるわけがない。
弁証法の過程に於いて止揚じゃなくて廃棄されざるを得ない現実がある。
今日東電が福島第二原発の再臨界、核分裂反応の確認を認めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111102-00000102-mai-soci
お前ら、寝言は寝て言え。
糞みたいなサッカー選手に国民栄誉賞などふざけんな、
たかが玉蹴り遊戯じゃないか。ゴミだ。
あの豚どもは補助金を減らされたことで腹を立てていたが、
芸術を志すものが、
「国が補助金をくれないので腹が立った」とかいいますか?
スポーツ馬鹿を養う税金は全廃しろ。 |
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笹川
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.11.03 (Thu) 16:02 |
  |
ラジオで和合がしゃべっているのを聞いた。ありぁーあほだ。
詩の朗読も聞いた。脳がくさりそうだったので、ラジオ消した。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.11.03 (Thu) 18:10 |
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| 笹川 wrote: | ラジオで和合がしゃべっているのを聞いた。ありぁーあほだ。
詩の朗読も聞いた。脳がくさりそうだったので、ラジオ消した。 |
以下は「六本木詩人会」にわたしがコメントしたものだが、あえてここにそれを再掲する。
和合氏はしきりに福島という「地元」を口にするが、「地元」など存在しないのです。
存在するのは放射性物質で脅かされた一人一人の人間です。
一部産業の利益と土地のイメージを一体化して、それを擬人化したもの、それが「地元」ということばです。
500ベクレルを上限とする農産物を売る市長は、人の命よりも、そのような「地元」を優先している。そんな市長を手助けする和合氏は、人命を軽視しているとしか言いようがない。
すでに福島県の原発周辺は東電の加害行為によって人が住めない場所になってしまった。加害者が東電であり、それによって土地が汚染されて危険な場所になってしまった現実を認めるところから出発しなければならない。
「福島の土地は生きている」「福島の土地を守ろう」という集合的生命イメージ。そのようなものは歴史的に見ると、いつも政治的腐敗と、もちつもたれつでやってきた。
一人一人の命を越えた崇高なる国家、地域、郷土といったイメージをうまく使って、一人一人の人間にとって悲惨なことをさらに繰り返すのだ。
土地はあくまでも一人一人の人間のためにある。土地が放射能で汚染されたのであれば、その土地はもう使えない。そこでは住めないし、そこでつくった農作物は人を殺す毒物になる。
大切なのは一人一人のかけがえのない命である。和合氏が叫ぶ「福島!」だの「日本!」だのといった、国境やら県境やらで線引きされた土地が擬人化されたイメージではない。
大切なのは一人一人の命である。
↑
そういう意味では福島に対するコントラ氏の原理的な発言をわたしは支持する。
かれの百年一日のごとき哲学思想はいただけないが、政治的な発言はあのように「原理的」でなければいけない。
だれかがコントラ氏の原発発言を批判していたが、まったくのバカ者だ。文学においてとは正反対に政治発言において個々の個別事情なんか問題にならない。原理的な発言しか意味がない。政治というのはそのようにブルトーザーのように数億の国民の思わくを蹴散らかしていかなければならない。
命を守るためにはそいうことも必要なのだ。 |
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ダーザイン
Privileged


登録日: 2004.10.30
記事: 1373
グループ:
[ Admins
]
[ Execs
]
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日時:
2011.11.04 (Fri) 01:41 |
  |
太郎はちゃんとした文章も書けるんだね。
子供一人ひとりの命だよ、一人の命の前では部落の存続などどうでもいい。
以下、2chとの掲示板越しの罵倒。
>191
死ねよこの馬鹿。朝日ですらマスゴミだ。どうしようもないなこの国は。
セシユウムを飲んでも大丈夫とか言っていた原発産業の御用学者はみんな逃げ隠れしている。
東大のアイソトープセンター長児玉先生も、京大原子炉研究所の小出先生も、
その手の御用犯罪者を徹底的に叩いている。
ユーチューブに動画があるからよく見とけ。
だいたいお前はとんでもないデマ野郎だ。セシュームしか放射性物質が飛んでいないという情報操作をしている。
政府の発表ですらもプルトニュームが飛散している。半減期一万年だ。
再臨界、核分裂反応検知を東電が認めたことすらお前は隠蔽している。
まさしく和合(「詩の礎」を読んだが筆力の欠片もない低脳児)の類だ。
俺の町北海道には沢山の福島県人が移住してきている。
北海道の食料自給率は200パーセントだ。
福島の子供はみんな来い。可愛がってやる。
お前はデマを流し続けて20年後に大量の白血病患者の責任を取れ、この権力のお先棒担ぎ。 |
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ダーザイン
Privileged


登録日: 2004.10.30
記事: 1373
グループ:
[ Admins
]
[ Execs
]
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日時:
2011.11.04 (Fri) 01:46 |
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>コントラさん、
×「掲示板を荒らす権利をくれ、プギャー」
○「blogを荒らす権利をくれ」
勘違いしてコントラさんが日本語を忘れたかと思いました、大変失礼いたしました。
尊敬申し上げる稀代の現象学者コントラさん、自由にblog記事書いてください。
登録してくだされば書き込み権限をつけます。 |
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ダーザイン
Privileged


登録日: 2004.10.30
記事: 1373
グループ:
[ Admins
]
[ Execs
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日時:
2011.11.04 (Fri) 03:03 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.11.04 (Fri) 14:39 |
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それはいいが、それより、2ちゃんねるでダーザインやコントラ氏の福島へての提言に薄汚い低脳な罵倒を投げかけた長文の主がケムリであることがわかっているのか? |
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ためいき
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.11.04 (Fri) 18:39 |
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久しぶりに極道のやり取りを見て愕然としたよ。
出世ごっこに理屈をつけてその差異で不毛な議論を続けるのはもういいかげんにやめたらいい。未だに天才かよ(苦笑)外国に行って自分の駄目さに直面できずナルシシズム(内なるナショナリズム)に走るのも、外国語は出来ないくせに中学生ぐらいの万能感と挫折を未だに対象化できないのも、同じじゃないのか?
それで人を嘲笑するならおまえらが何か言うのは恥でも罪でもない。ただの戯言だ。 |
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山田太郎
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2011.11.04 (Fri) 19:41 |
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| ためいき wrote: | 久しぶりに極道のやり取りを見て愕然としたよ。
出世ごっこに理屈をつけてその差異で不毛な議論を続けるのはもういいかげんにやめたらいい。未だに天才かよ(苦笑)外国に行って自分の駄目さに直面できずナルシシズム(内なるナショナリズム)に走るのも、外国語は出来ないくせに中学生ぐらいの万能感と挫折を未だに対象化できないのも、同じじゃないのか?
それで人を嘲笑するならおまえらが何か言うのは恥でも罪でもない。ただの戯言だ。 |
どうもよくわからないね。
外国へ行ったらどうして「自分のダメさ」に直面することになっているのかね?
日本人が外国に行ったらなにか「自分のダメさ」に気づく要素があるのかね?
それって、ひょっとすると、もともとあんたの内なる外国(とくに欧米)に対する劣等意識じゃないのか?
おまえのように外国へ行って言葉が流暢に語れないことに挫折をして(爆笑)
背の高さや、堂々とした態度に打ちのめされて帰ってくれば、それで何か「己のダメさ」に直面するって、
要するに、ただの毛唐に対する劣等感の発現てだけの話じゃないか。
ばかばかしい。もう少しはマシないちゃもんを付けてはどうだ。 |
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