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メッセージ |
平川綾真智
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.10.26 (Thu) 11:32 |
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作品を批評する際に、どうしても作品に関してではない部分で討論したい点が浮かぶ!
相手もおそらく討論したい。
でも、明らかにこの作品への返信ではない。
どうしよう。
そんな時に、此処で意義の有る討論をされて欲しいです。
作品第一と考えて、投稿掲示板では作品(作者も内包すると前提の上)について話して欲しい。
文学極道は詩作品向上の場であって欲しいとの願いから、このトピックを立ててみます。 |
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平川綾真智
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.10.26 (Thu) 13:56 |
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さて、例も含めて書き込みしておきます。
http://bungoku.jp/ebbs/20061016_120_1611p
で指摘された点について明記しておきます。
私が良作、秀作だと言っても、それに対して違うと思われるのは当然ですので、
皆さん自分の作品への物差しを信じて批評されてください。
作品に対しての私の批評は、あくまで私が感じた思った批評です。
よほどで無い限り、
私がこの作品を読むに当たって、このように感じたのですが、あまり気にされないでくださいね。当たっていないかもしれません。
とは書きません。
投稿された時点で、合評対象だと思っていますし、私も作品を批評されたいので、
発起人バトルに投稿しております。
いつか書き、掲載する予定のコラムにそのことも書こうかと思っています。 |
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ケムリ
Member


登録日: 2005.06.17
記事: 81
所在地: 札幌
グループ: なし
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日時:
2006.10.27 (Fri) 00:05 |
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折角討論場を作っていただいたので、ぼくも使わせてもらいます。
やっぱりね、どう転んでもあると思うんですよ。「発起人ども気にいらねえ」とかそれ以外にも「〜のレスは俺の美意識的に許せねえ」とか「ダーザイン調子こきすぎ」とかね。
そういうのの受け皿として機能してくれれば、まぁ便利だと思いますんで。投稿掲示板の異常なスレ伸びも防げますしね。(主に伸ばすのはぼくですが。自覚はしてるんですよ、こう見えて)
それでは、まずはポパイさんから。
>他の人のやりとりに僕をからめたのはあなたからでありそういうところは気をつかうべきじゃないかということだよ
ぼくの回答はシンプルです。「気を使うべきとは全然思えない」ってことです。今後一切、それもダーザインさんを筆頭にした発起人の方々や投稿してくださる皆様、それら全てに対して「気を使う気は一切ありません」という表明でもあります。ガンガン引き合いに出します。必要とあらば、ですけれどね。
どっちが「いかれて」いるかは、そりゃあ誰かに決めていただきましょう。フーコーもそんなことを言ってたような記憶がありますし。
それでですね、ついでに言いますが。超大上段から見てますよ。だってね、ぼくはやっと「書き手」と「読み手」の二重性から解放されたんですから。正直、今も結構しんどいけれど、今までもしんどかった。「書き手であり読み手である」ってことは、結構ツラいんです。読み手に対しての謙虚さ、つまり「クソつまんねえ」とか「下手糞」とか「キモい」とかそういう、論拠・根拠の付与されない批判に対して、ぼくは「全て受け止めるべき」という考えを持っていましたから。それに加えて、読み手としての批評・批判も行う。これって自己分裂的ですよね。だって、書き手の立場はどうしても考えてしまうし、書き手である以上純粋な批評なんて不可能だとぼくは思ってます。少なくとも同一の場では。(昔、この辺を回避するために、批評・批判は全て匿名で行うという掲示板もありました。あれは、一つのいいアイディアだと思ったんですが、これをやると、批評することへの責任が失われてしまうんですよ。難しいもんです)
もちろん、これには注釈がつきます。「創作物」と「書き手」は別物であるということです。ポパイさんが、テクストと作者の一体性を現在でも信奉されてるとしたら、ここで解り合うのは無理かもしれませんけれど。
いつだか、葛西さんの創作物に対して、「セクシャリティーってのはそれほどに重要なものか?」という批評がなされたことがあり、ぼくはそれに噛み付きました。これは、何を題材にするか、何を描くかは書き手の内側にあることであり、創作物を批判することは出来ても、書き手のパーソナリティーを批判することは出来ないと考えるからです。というか、そうすると話が大変にめんどくさくなって、収集がつかなくなりますよね。あらゆる火種を抱え込むことになる。女性観について詩を書けばジェンダーと戦い、政治思想について詩を書けば政治論争になる。死生観なんてもう、こんなの絶対議論しても無駄ですよ。そんなこと、無益だと思いません?何より、どれほどの時間とスペースがあっても足りない。そして(芸術団体にはしばしばあるように)ある特定の一色以外は排除されるようになる。解っていただけると思いますけれど。この辺でぼくはダーザインさんと意見を完全に異にします。多分、もうじきケンカするでしょう。機会を狙ってますし。
そういうわけで、まぁもう一回繰り返すと。ぼくは「いかれて」いるかもしれませんが、それを正す気は全然ないですね。これからも、どんどん引き合いに出すでしょうし、罵倒するでしょう。そういうわけで、そういう風にぼくを叩かれても困ってしまう。「そういう気持ちもわかるけど、それは仕方が無いことなんだよ」と言ってしまえば、ちょっと自分でもどうかと思うんですが。そういうことです。ご了承ください。
ikaikaさんへ
これは、徹底討論じゃなくてただの雑談です。
平和な雑談のつもりですが、激論に発展しても一向に構わないので、暇なら適当に付き合ってください。
>サルトル好きなら。ダイスをふれよ。びびってないで。自分を人生へ投げこんでいこうぜ。たしかね、人は自らをダイスをふるかのように人生に投げ込んでいく、ってサルトル自身がいっているからさ、ガンガンたたかれて行こうぜ。
これ、ぼくの座右の銘なんですよ。ですがね、ちゃんと実行できてるかはまた別の話で。難しいんですよね、こういうの。
サルトルは、日本でも一時はやったんですけど、構造主義に食われちゃったのかなぁ。ぼくは、構造主義と実存主義は二律背反的な位置関係にあるんじゃなくて、相互補完的なものだと思ってます。要するに、バランスの問題である、と。ぼくもikaikaさんもお互いに大分偏ってるとは思いますけどね。晩年のサルトルの社会主義傾倒については、あれはもう彼の誠実さの発露だと思ってますよ。ぼくは右翼だと度々言われますが、社会主義思想に傾倒したひと達の気持ちと、社会主義そのものにはそれほど否定的じゃないですし。
いつだかのケンカも、まさに実存と構造でのやりとりでしたよね。あるいは、共同体思想と個人主義か。懐かしい反面、思い出すとまだムカつくんですが。
いや、なんかムダに語ってますね。酔ってるってことで一つ。
ダイスを投げ込むように、やっていきたいとは思ってますんで、まぁ適当にひよってたら罵倒してください。気に入らなけりゃここで噛み付き返しますから。
いずれ、酒でも飲みながらケンカしてみたいと思うようになりましたよ、ikaikaさんとはね。これは、ぼくの成長なのかikaikaさんがひよったのか、どっちなんでしょうかね。
さて。
ぼくの座右の銘はもう一つありまして。
『「私にはそう見える」ということに価値をおかないというのならば、それは何と馬鹿げたことだろう』ってやつです。
フッサールの開き直り台詞で、突っ込みどころは無限にありますが、ぼくはこういう方針で批評・批判・罵倒をします。
そういうわけで、一つよろしくお願いします。 |
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klo
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.01 (Wed) 22:47 |
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Toatさんのいう「感性」というものがよく理解できませんでした。「ラベル」というからには、それは「感性」という語は、感受性があるように見せかけているだけだというふうに解釈していいのかもしれないが、「詩」が文字で構成されたものだけをいうのなら、「感性」は問題にならないと思う。なぜなら、ほんとうにその「作品」を「作品」としてみているのなら、「私」と「作品」とのあいだにしか成立し得ないはずの「感性」は、「読者」には認識されえないからだ(つまり「自分の闘い」を「読者」は考慮できない、「感性」は「書く」段階で「私」にしか認識されない)。 |
最終編集者 klo [ 2006.11.01 (Wed) 23:55 ], 編集回数 1 回 |
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Toat
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 00:12 |
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ども。よろしくお願いします。
なんかこっちだと気が抜けていいですねー。笑。
(えっと。流れがわからない方は三井 晶さん「檻空」への僕のレス以降をご覧下さいませ)
さて。
僕が言う「感性」を"作者の感性"という風に読み取った、のですね。
僕が言った「感性」は"読者の感性"です。僕の認識では、それは本来的には詩を読む「私」=読者に帰属するもので、"読む"という行為から派生する内面的な受容形式、とでも言えばいいでしょうか。たぶん。。
僕が「レールに"感性"という"ラベル"が貼ってある」と言った意味は、「レール=感性(読者のでも作者のでも)」という意味ではなくて。つまり、読者が詩を読んで、その詩が読者の中で"響く"ためには読者の中に何らかのものが必要になってくると思います。それは例えば知識であったり、(書く際ではなく受容する(読む)際の)言語センスであったり、リズムを感じ取る能力であったり、意味を理解する理解力であったり・・・・・・などなど。もちろん、一口に"知識"や"センス"や"理解力"と言っても、それらは個人によって固有な性質を有するものだと思う訳ですが。そういう多様なもので(あるいはそれらの複合で)読者は詩作品に"辿り着いて"いると僕は思います。そう考えた場合に、この作品は非常にそこの部分が限定的だと感じた訳です(つまりレールが一つしかない、と)。たとえ限定されてはいないとしても、その一つだけが非常に目立っている、と。そしてさらに、その一つのレールは、予定調和的な、作者の狙い(釣り)であり、読者のある種の"感性"のようなもの(つまりリテラシーのような)を最初から前提としていて(それで選別が生じる訳ですが)、そして何より、それが読者選別的であることを売りにしてさえいるように(これによって"わかった"読者に優越感が生じる)見えた訳です(これが僕の言った「そのような二極分化を積極的に呼び込むようなものになっている」というところの"積極的"の意味ですが)。
・・・・・・うまく言えてますかね。ズレてたりよくわからなかったりしたら言って下さってかまいません。。 |
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ケムリ
Member


登録日: 2005.06.17
記事: 81
所在地: 札幌
グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 02:25 |
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横レス、というか参戦しますよ。
Toatさんの感覚はよく解ります。実はね、結構。
ぼく自身も、「極道向け」とか「フォーラム向け」とか「そのほか」とか書いたりしますし。逆に、そういうラベルを貼ることでウケたりするのも事実だと思うんですよ。「この詩を理解出来るあんたは選ばれた人種だ」っていうね、そういう方向性でやってる人もいると思う。それは、読み手に与える満足感であり、一つの求めに対する要請だとぼくは考えてて、つまりはまぁ、「全然アリ」だと思うんです。
Toatさんは、恐ろしく鋭い。
ぼくの作品を強烈にクリティックしてくれる人で、正味「カンベンしてくれよ」と思わないわけでもない。だから、今回のToatさんの思ったことも、あれだけ嫌味を言いつつもなんとなく解るんですよね。そう感じるかもしれないなぁ、と。
でも、ぼくはそれでいいと思うんです。
どの層の読者を狙うか、ってのはありだと思う。市場と目標点、そういうものはありだと思う。ただ、そういうものを指摘するなら、toatさんはもうちょっと上手にやるべきかなぁ、と。正直、難癖に見えますよ、あれ。言いたいことはわかりますが。限られた場所で最大の評価を狙うのは当たり前のことですし。もうちょっと突き詰めれば、「ケムリ狙い」とか「ダーザイン狙い」なんてのも可能だと思います。変な話ですが。そこは批判ポイントなのか?ってことです。
詩を読みなれた、ある特殊な感性を持つ人。そういう人を狙って詩を書いてもいいんじゃないかな、と思います。少なくとも、ぼくは極道で詩を書く時はモロに狙ってました。もちろん、指摘としてはとても面白いんですが、それは「批判」になりえるのかなぁ、とふと疑問に思います。 |
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Toat
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 03:48 |
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あ、どうも、ケムリさん。ありがとうございます。よろしくお願いします。
少しだけ論点がズレているような気がしますが。(いや、ケムリさんのせいと言う訳ではないですが)
というのも僕自身、「限られた場所で最大の評価を狙う」という方向でやっていこうとしているのは確かで(まだ全然模索状態で、出来ていませんが)、別に悪いとは思っていないです。僕が気になったのは、その方向性があの作品では"目立った"ということです。目立たせてしまうとそれが鼻に付く読者が現れてしまうだろうから(そう思うのですが。いやそんな読者はいないのか??)、それはより多くの読者を獲得する妨げになるのではないかと思い、余計なお世話かもしれませんが、(作者にとって)有意義な指摘ではないかと僕なりに考えたので、わざわざ書いた訳です。もちろん、限定された読者でいいと仰るなら(僕はより多くの読者を獲得することも到達すべき目標の一部だと思うのですが)、無意味な指摘なのでしょうけれど。
>正直、難癖に見えますよ、あれ。
ショックですねー。笑。
うーん難しいですね、コメント書くのは。僕は鬱憤晴らしみたいな動機でコメントを書いている訳ではなくて(もちろん書きたいから書いているのは認めますが)、いつも、作者にとって(あるいはコメントを見る人にとって)有意義だろうと僕なりに思えて、かつ他の人があまり指摘してないようなコメントが書けそうだと思ったから、わざわざ(酷評であったとしても)書いているのですが。それが作者にとって嬉しいかとかそういう視点はここ極道では敢えて無視しています(実際、現代詩フォーラムなんかでは僕は賞賛のコメントしか書きません)。嬉しくなくても有意義なコメント、というのはあると考えるからです。でも実際問題として色々と問題を起こしてしまうのは、それを余計なお世話だと考えている作者が多いのでしょう、か(?)。一応、人を選ぼうとは思ってはいるのですが。。
>ただ、そういうものを指摘するなら、toatさんはもうちょっと上手にやるべきかなぁ、と。
ご忠告感謝します。でも、ちょっとニュアンスがわからないのですが、これは僕が損をするからということですか? それとも「余計な火種」になってしまうからということでしょうか?
後者なら、極道の存在意義を考えると、ちょっと僕は同意しかねますが。もったいなくないですか? ここが言いたいことを素直に言えなくなる場になるのは。(というか僕だけが棘があり過ぎるからもっと気をつけた方がいいということでしょうか・・・・・・それはありえるか・・・・・・わらぃ……)
うーん。むずかしいですねー・・・・・・。。。 |
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平川綾真智
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 12:13 |
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こんにちは。
最近、超絶に忙しく時間がないので、ほぼメモ状態ですが、誰に当てる訳でもなく今、
思っていることを書きます。
詩でとりあえず、傾向と対策みたいなのが出来てきたら、
嫌ですね。
書きたいというか、どうしても書かなければならなかったものを書きまくって欲しいです。
文学極道がどういう場であって欲しいか、という思いは人それぞれだと思いますが、
こういうのを書いたら優良賞が獲れる! みたいに書いて投稿するのは、
なんだか嫌です。
本当にメモみたいですね。
ではでは。
失礼します。 |
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Toat
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 12:37 |
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平川さんへ。
こんにちは。おつかれさまです。
僕の場合は、書きたい詩を書いてますが、書いた幾つかの作品の中から"どれを投稿するか"、という点では、ある程度極道という場を(これからは)考慮したいと考えています。それはそんなに変なことだと思いませんけれど。
その点でむしろ責任(というのも変な言い方ですが)が生じるとすれば、それは選考委員の方々が"多かれ少なかれ"偏った(好みを反映させた)選考をしていると投稿者に思わせてしまうのが原因なんじゃないでしょうか? もちろん、絶対的に公平な選考なんてありえないというのは理解していますが。それに極道の場合はコラム等でサイトの方向性をある程度明確に示している訳で。つまりむしろ進むべき(書くべき詩の)方向性を共有することが(強制でないにしろ)前提となっているんじゃないですか? それは実態としては、「傾向と対策」と大差ない事態を生んでも仕方がないと思いますけれど。
追記。
また、実際問題としてレスの数のバランスが全く取れていない、という点も、「傾向と対策」を生む原因になっていると思います。この点で投稿者を責めるのはお門違いかと思いますが。事情があるのでしょうから別に責める訳ではないですが、レギュラー講評者の方々の多くが評を付けていない、のが主な原因ですよね。なぜなら僕の実感としては、出来が悪い作品だからレスが付かない訳でも、出来が良い作品だからレスが付く訳でもないからです。実態は、派手な作品、インパクトのある作品、読み易い作品、指摘箇所の見つけ易い作品(良い意味でも悪い意味でも)、特に意味のない感情的なだけの賞賛を付け易い作品、そういったものにレスが付いている訳です。そういう状況で、「傾向と対策」のようなものが生まれない方が不自然だと僕は思いますが。 |
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平川綾真智
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 13:14 |
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| Toat wrote: | 平川さんへ。
こんにちは。おつかれさまです。
僕の場合は、書きたい詩を書いてますが、書いた幾つかの作品の中から"どれを投稿するか"、という点では、ある程度極道という場を(これからは)考慮したいと考えています。それはそんなに変なことだと思いませんけれど。
その点でむしろ責任(というのも変な言い方ですが)が生じるとすれば、それは選考委員の方々が"多かれ少なかれ"偏った(好みを反映させた)選考をしていると投稿者に思わせてしまうのが原因なんじゃないでしょうか? もちろん、絶対的に公平な選考なんてありえないというのは理解していますが。それに極道の場合はコラム等でサイトの方向性をある程度明確に示している訳で。つまりむしろ進むべき(書くべき詩の)方向性を共有することが(強制でないにしろ)前提となっているんじゃないですか? それは実態としては、「傾向と対策」と大差ない事態を生んでも仕方がないと思いますけれど。
追記。
また、実際問題としてレスの数のバランスが全く取れていない、という点も、「傾向と対策」を生む原因になっていると思います。この点で投稿者を責めるのはお門違いかと思いますが。事情があるのでしょうから別に責める訳ではないですが、レギュラー講評者の方々の多くが評を付けていない、のが主な原因ですよね。なぜなら僕の実感としては、出来が悪い作品だからレスが付かない訳でも、出来が良い作品だからレスが付く訳でもないからです。実態は、派手な作品、インパクトのある作品、読み易い作品、指摘箇所の見つけ易い作品(良い意味でも悪い意味でも)、特に意味のない感情的なだけの賞賛を付け易い作品、そういったものにレスが付いている訳です。そういう状況で、「傾向と対策」のようなものが生まれない方が不自然だと僕は思いますが。 |
震える詩だったら、とかくなんでも良いです。
レスが31付いても箸にも棒にも引っかからない詩は過去ありましたし。
レス0でも次点になった詩はありましたよ。
投稿者を責めてません。
詩を作る私も含めて、
詩に傾向と対策が生まれたら、
なんか嫌だと思うだけです。
詩が、好きです。
ああ、色々と書いてあれなのですが、15日まで超絶な忙しさなので、なかな書き込めないかもしれません。
これから次の書き込みまでかなり間があると思いますが、
Toatさん、ごめんなさい、ね。
本当すみません。
失礼します。 |
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Toat
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 13:29 |
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「投稿者を責めるのは」というのは失言でした。
別に平川さんが投稿者を責めてまでいると感じている訳ではありませんでした。
と、一応釈明を。
>ああ、色々と書いてあれなのですが、15日まで超絶な忙しさなので、なかな書き込めないかもしれません。
>これから次の書き込みまでかなり間があると思いますが、
>Toatさん、ごめんなさい、ね。
>本当すみません。
別に平川さんに僕の相手をする義務なんて全くありませんので(笑)、書きたい時に書きたいことを書く、ということでいいと思いますけれど。僕は特に気にならないので。お気遣いありがとうございます。
追記。
>震える詩だったら、とかくなんでも良いです。
こういうことを言うことも、「傾向と対策」に繋がらないでしょうか? と僕は思うのですが。「震えない」、地味な作品に、良い作品がないとは僕は思えません。芸術作品に"感動"ばかりを求めるのは(もちろん安っぽい「感動」のことを言っている訳ではないです)ちょっとどうかと個人的には思いますけれど。まぁこの辺は美意識の違いでしょうから、あまり強く言う訳でもないのですが。。。 |
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平川綾真智
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 15:27 |
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| Toat wrote: | 「投稿者を責めるのは」というのは失言でした。
別に平川さんが投稿者を責めてまでいると感じている訳ではありませんでした。
と、一応釈明を。
>ああ、色々と書いてあれなのですが、15日まで超絶な忙しさなので、なかな書き込めないかもしれません。
>これから次の書き込みまでかなり間があると思いますが、
>Toatさん、ごめんなさい、ね。
>本当すみません。
別に平川さんに僕の相手をする義務なんて全くありませんので(笑)、書きたい時に書きたいことを書く、ということでいいと思いますけれど。僕は特に気にならないので。お気遣いありがとうございます。
追記。
>震える詩だったら、とかくなんでも良いです。
こういうことを言うことも、「傾向と対策」に繋がらないでしょうか? と僕は思うのですが。「震えない」、地味な作品に、良い作品がないとは僕は思えません。芸術作品に"感動"ばかりを求めるのは(もちろん安っぽい「感動」のことを言っている訳ではないです)ちょっとどうかと個人的には思いますけれど。まぁこの辺は美意識の違いでしょうから、あまり強く言う訳でもないのですが。。。 |
取り急ぎ。
地味なら地味な良さの中に震えます。
震えるの感覚の差か、と。 |
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ケムリ
Member


登録日: 2005.06.17
記事: 81
所在地: 札幌
グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 16:25 |
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Toatさん
なんか、Toatさんに絡みモードですね、ぼく。
要するに。「そんなことは全然意図してない」「それの何が悪い」っていう、ダブル反論を呼んでしまうんですよ。全然意図せずに書いてた人からすると「どうやって改善すりゃいいんだ?」って話ですし、意図してた人からすると「それの何が悪いよ?」ってことになってしまう。
これこれこういう風にすることで改善の糸口があるかもしれないよ、あなたの作品は今より広範な読者層に対して波及出来るかもしれないよ、少なくとも自分はこうやって書いた方が良いと思うよ、と書き加えるとこの軋轢は大分解消される気がします。それが正しくてもそうじゃなくても。
こういう指摘は確実に不毛な論議を招くんですよね。例えば、あんまりいないと思いますけれど、「読み手を絞ることで私の詩は価値を得る」って人もいるかもしれなくて、こういう人とToatさんがぶつかると、「どっちが正しいか」って地平にご招待されてしまう。結論は絶対に出ないわけです。あるいは、全然意図してなかった人は「そんな意図は無い、邪推だ」って叫ぶかもしれない。そうすると、批判を加えた側としては「でも、そう見える」と言うしかない。これも結構不毛です。「そう見える」は主観的事実ですし、「意図していない」も事実ですから。それじゃあ、この結論は「こうしてみたらどうでしょう」「なるほど、参考にしてみます」って方向性へ持ってくのがベストだと思います。作者のありように対する批判ではなく、作品向上のための一手段を提示する、みたいに。
傾向と対策、については。
ぼくは100%肯定派です。だって、人様に読んでいただくのだから、最大限読んでいただけるように書くのは当然ですよ。勿論、そうやって微調整しながらも自分が書きたいものであるということはとても大事なんですけれど。
ぼくはもう投稿者じゃないですけど、レスを貰うのだって「技術的なクリティックを受ける」っていう意味合いの他に「何が求められているか読む」って要素もあると思っています。そういう意味で、勉強である、と。書きたいことを、「読み手に届くように」書く。こういうスタンスをぼくは取ってます。もちろん、他人のスタンスをどうこう言うつもりはありませんけれど。どうこう言えるのは作品に対してだけです。 |
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Toat
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.02 (Thu) 16:50 |
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僕は議論したい訳ではないんです。自分の意見を他人に強制しようとか、正しいと思う! と押し付けたい訳でもなくて。正にケムリさんの仰るように、
>作者のありように対する批判ではなく、作品向上のための一手段を提示する、
そういう意図で書いている訳です(あ、でも手段提示ではないか・・・・・・と追記)。僕の書いたコメントから、作品向上のためのきっかけを得てもらえたら、書いた側としても嬉しい、それで十分だ、と。つまり酷評する場合は、対立する意見を言うことで、作者が今まで考えていなかった(かもしれない)点を意識化させて、別の可能性も模索して欲しい、と。
僕のコメントは、批判が目的ではなく、インスパイアさせることが目的な訳です。
ただ、そういう風に全然見られないのでしょうね。何となくわかります。
でも、僕の意見だ、としつこいくらいに(笑)書いているんですけどねー。つまり、「だから侵害しませんよ」というニュアンスだったのですが。一笑に付してくれても全くかまわないんです。僕は他人と何かを簡単に共有できるだなんて思っていないので。 |
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klo
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.03 (Fri) 00:36 |
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| Toat wrote: | | そういう多様なもので(あるいはそれらの複合で)読者は詩作品に"辿り着いて"いると僕は思います。そう考えた場合に、この作品は非常にそこの部分が限定的だと感じた訳です(つまりレールが一つしかない、と)。そしてさらに、その一つのレールは、予定調和的な、作者の狙い(釣り)であり、読者のある種の"感性"のようなもの(つまりリテラシーのような)を最初から前提としていて(それで選別が生じる訳ですが)、そして何より、それが読者選別的であることを売りにしてさえいるように(これによって"わかった"読者に優越感が生じる)見えた訳です(これが僕の言った「そのような二極分化を積極的に呼び込むようなものになっている」というところの"積極的"の意味ですが)。 |
私が↑を十分に理解しきれなかったので、どう解釈したか↓。
�‘票圓郎酩覆鯑匹爐箸�に「内面的な受容形式」を適用している。
�◆崙睫姪�な受容形式」は、それぞれの読者の認識の深さ(素朴な感じ方、自分に生かす読み方)によってまちまちだ。
�F票圓�、認識の高さをある作品を感じるために必要とした場合、それはその作品の書かれ方が読者の認識の高さを前提としているからであり、したがって、その作品が何を前提としているのかをわかった読者は優越感を感じる。
↑の感想↓
�〆酩覆�認識の深さを前提とすれば、その作品が「広さ」を獲得するということは理解できたが、それは作者と作品の問題であって(私はその部分を批判することは、高さを批判するという点で的を得ていると考えますが)、読者と作品の関係の読みからそういうことが出てくるのだとすれば、そういった感じ方は、書くという受容形式を持った読者のものであり、toatさんの読者のモデルも実はそういった書く読者と考えられ、toatさん自身もある認識の高さから別の高さを批判しているのではないでしょうか。したがって、ある不特定の作者にtoatさんが評をつけた場合、その評は、評を受けた作者には刺激になりうると思います。しかし、「読む」(「読む」と「書く」という二重性を持つ”読む”の高さを還元した)の側からすれば、toatさんの読み方は疑問だ。ここは詩作品向上の場であるから、当たり前かもしれないが、そういった”読む”からでてくる「広さ」は、単なる妄想ではないでしょうか、結局のところこうあってほしいという思いではないでしょうか。
�⊇颪�人しか一般に詩を読まないという事実は、あるいは読まずに書く人に読めというのは、”読む”ということが、結局のところ芸術家という階級の存続とってのみ有意義であるということだと思います(名前しか知らないけど、そんな感じの読まれ方をされた詩人として、マラルメ?)。それは、詩の書き方がそういった”読む”を前提としているからであって、もっと別の「読む」と「書く」があるのではないかなと思います。だから”読む”という読まれ方をされない書き方があるのではないかということです。無論、そいうった書き方を誰かが見つけたら、”読む”読み方で解釈しているので、意味がないですが。やはり無意識のうちに適応していくしかないのでしょう。未来の詩はこうなる、とわかってしまったら、それでおしまいなんだと思います(なんだかかなりズレてしまった)。 |
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Toat
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.23 (Thu) 01:01 |
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kloさんこんばんは。
ごめんなさい。言い訳ですが、ちょっとした頭脳労働を抱え込んでいた為に、論理的な議論をするのが億劫になっていました。時機を逃したなぁ、と思っていたら、ご投稿なさっていたので、いい機会なので簡単ですが少しばかり感想を。
誤読しているかもしれませんけれども、一応仰っていることは理解できたように思います。
「妄想」という点については、結構思うところがありました。
結局のところ、広い読者を得るようにとか、読者を選別するとかしないとか、そういった読者を前提とした議論にどれほどの意義があるのかというと、ほとんどないのかもしれませんね。広い読者を獲得できたとしても、詩というジャンルを考えると、それはあくまでも限定された中での「広さ」なのでしょうし。そう考えると、わかる人にだけわかればいいとか、仲間内だけで読み合うとかいう「閉じた」ものであっても、そんなことはあまり問題にはならないのかもしれません。
たぶん僕がこの点にこだわっていた理由は、本当に個人的な倫理観から来るものだったのでしょう。無意味か有意味かは置いておいて、僕は詩を書く上での自分の倫理的スタンスを、意図せず自然とではあっても、とにかく定めなければならないと思っています。それは、広い読者を得たいとかそういうことでは恐らくなく、突き詰めれば、単に僕自身が自分のスタンスに納得しておきたいというそれだけのことなのでしょう。つまり僕がそういうスタンスを取っていられれば、僕は自分の詩作を少なくともその点では否定せずにいられるので。
応えになっていないかもしれませんが、そんなことを思いました。
別にレスなくてもいいですので。
放置してしまって申し訳ありませんでした。 |
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相田 九龍
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.27 (Mon) 16:24 |
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平川さんが仰るのはここのことですかね?
それともここ以外でも議論されてるのでしょうか?
このフォーラムの全体像が表示的に掴みにくく、よくわからないです。
とりあえずここに乱入します。
平川さんの批評について。
>損だ
という言い方が、とりあえず「投稿に対して後ろめたく思え」という意味をどうしても含んでしまってる、と初心者は感じました。
そういうおつもりはないのでしょうが、まぁひとつの主観として。
では、果たしてどのような作品が後ろめたく思うべきなのか?
どのような作品が作って損があるのか?
それは置いといて。初心者に対して(さっきのは謙遜で、この初心者には自分を含みませんが)どういう対応、批評が必要なのか?
という部分ですが、常連しっかりしてくれよ、というのが率直な気持ちです。
平川さんとケムリさんに対しては「さすがだな」と感じるところが多々ありました。
で、まだ、他の批評家さんたちに比べて視野の広いと思われるみなさんでも、それでもまだ、批評の目線が狭い気がします。
(関係ないけど僕が震えやすい詩は言葉言葉の機能美らしいです。)
勿論、自分の作品に限らず、他のすべての作品の批評について思います。
広く広くなんて言ってると、いい悪いが言えなくなる訳で、批評をする際は一度広く見て、意図的に狭くする必要があると思います。
残念ながら極道には意図的に視野を狭くした、と思われる批評があまり見受けられません。始めから、前提として、狭い。
僕はここの方に是非トップレベルを自称していただきたいので、
批評力の躍進を求めます。一方的に。身勝手に。
(個人のことは言ってません。平均のことで、そう思ってます。) |
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平川綾真智
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.27 (Mon) 19:21 |
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| 相田 九龍 wrote: | 平川さんが仰るのはここのことですかね?
それともここ以外でも議論されてるのでしょうか?
このフォーラムの全体像が表示的に掴みにくく、よくわからないです。
とりあえずここに乱入します。
平川さんの批評について。
>損だ
という言い方が、とりあえず「投稿に対して後ろめたく思え」という意味をどうしても含んでしまってる、と初心者は感じました。
そういうおつもりはないのでしょうが、まぁひとつの主観として。
では、果たしてどのような作品が後ろめたく思うべきなのか?
どのような作品が作って損があるのか?
それは置いといて。初心者に対して(さっきのは謙遜で、この初心者には自分を含みませんが)どういう対応、批評が必要なのか?
という部分ですが、常連しっかりしてくれよ、というのが率直な気持ちです。
平川さんとケムリさんに対しては「さすがだな」と感じるところが多々ありました。
で、まだ、他の批評家さんたちに比べて視野の広いと思われるみなさんでも、それでもまだ、批評の目線が狭い気がします。
(関係ないけど僕が震えやすい詩は言葉言葉の機能美らしいです。)
勿論、自分の作品に限らず、他のすべての作品の批評について思います。
広く広くなんて言ってると、いい悪いが言えなくなる訳で、批評をする際は一度広く見て、意図的に狭くする必要があると思います。
残念ながら極道には意図的に視野を狭くした、と思われる批評があまり見受けられません。始めから、前提として、狭い。
僕はここの方に是非トップレベルを自称していただきたいので、
批評力の躍進を求めます。一方的に。身勝手に。
(個人のことは言ってません。平均のことで、そう思ってます。) |
相田さん、お答えします。
ゆっくりですが。
1、損だ
とのこと。私は、読んでいて得るものがほぼ作品から感じられませんでした。ので、そう書きました。
後ろめたい気持ちは飛び越えての作品が欲しいです。読みたいです。選考も相当な覚悟でやっていますので。
文学極道では投稿作品が全て明示されています。その中からの選考ですから、相当な覚悟で読み込んでいます。
私も初めて、文学極道に投稿したときは相当緊張しました。相当、罵倒も来ましたし。けれども、勉強になりましたし、今、自身の作品に活かすことが出来ていると自負しています。
2、批評について
批評に関してですが、相田さんの批評、解るんですが、いまいち説得力が無い。
理由は明白で、まだ傑作を書いていないからだと思います。
時間掛かられても良いので、月間優良賞獲られたりすると一気に説得力も上がる気がします。
私は、相田さんの批評にもあまり読み込んで書かれているイメージを持てないので。
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=1648
この作品への返信とかは、浅井作品を読んだことが無いように感じてしまいました。
読んでの上でしたら申し訳ありません。
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=1650
後、この作品で相田さんが熱く語られていることですが、過去ログでも読んだら、馴れ合いは無いことが解るはずです。いまいち熱さが空回りして有意義に働いているように思えませんでした。
相田さんの批評も解りますが、自身の作品をまずは磨かれて、大成長して欲しいです。
自分が読ませたいように書くことも、行間を広げることも、どれも重要だと思います。
批評力に関しては、伸びなければな、と私も思っています。自分の詩作品向上を第一として、私は頑張っていきます。
批評に関して頑張ります。
ありがとうございます。 |
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相田 九龍
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.27 (Mon) 21:05 |
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丁寧なお返事ありがとうございます。
説得力と実力がどうこうってのは権力主義的で嫌いです。
1対1で、人間同士の話がしたいです。できないならいいですが。
>私は、読んでいて得るものがほぼ作品から感じられませんでした。ので、そう書きました。
>後ろめたい気持ちは飛び越えての作品が欲しいです。読みたいです。選考も相当な覚悟でやっていますので。
選考のために投稿しているわけではないので、その面の気遣いが足りなかったかもしれません。
平川さんが得るものがなくても、何か作品としての価値があるかもしれない、と考えれば「損だ」という言い方はでないのではないかなあ、と思いました。
ひとつの表現について言ってますが、目線の広さ、高さと繋げて考えていただければ。
>理由は明白で、まだ傑作を書いていないからだと思います。
もう、ただただ単純に傑作を書けるような批評をレベルの上の人間がしてないし、求められる作品を書かなければ傑作と呼ばれない、というジレンマがあります。僕は外で好き勝手しますが。
まず批評で視野の広さの提示がなければ、自由な飛翔はこれからも削いでゆくことになるのではないでしょうか?
ぇと、平川さんがそれほどいい詩を書いてるかわからない僕に実力うんぬん言われても・・・・
その他の意見なしで話をすれば、お互い相手の詩を理解できてないって部分で、対等じゃないですか?飽くまで他人の意見なし、という条件下ですが。
というか、月間優良賞をもらってる詩は長すぎて好みじゃないです。個人的に、冗長な詩に詠む価値をあまり感じません。好き嫌いとして。
あそこで熱く訴えたのは、発起時の発起人の情熱を試したかっただけです。それだけが目的です。それはしっかりみなさんの助力もあり、自己解決しました。ご迷惑おかけしました。 |
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平川綾真智
未登録ユーザー

グループ: なし
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日時:
2006.11.27 (Mon) 21:44 |
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| 相田 九龍 wrote: | 丁寧なお返事ありがとうございます。
説得力と実力がどうこうってのは権力主義的で嫌いです。
1対1で、人間同士の話がしたいです。できないならいいですが。
>私は、読んでいて得るものがほぼ作品から感じられませんでした。ので、そう書きました。
>後ろめたい気持ちは飛び越えての作品が欲しいです。読みたいです。選考も相当な覚悟でやっていますので。
選考のために投稿しているわけではないので、その面の気遣いが足りなかったかもしれません。
平川さんが得るものがなくても、何か作品としての価値があるかもしれない、と考えれば「損だ」という言い方はでないのではないかなあ、と思いました。
ひとつの表現について言ってますが、目線の広さ、高さと繋げて考えていただければ。
>理由は明白で、まだ傑作を書いていないからだと思います。
もう、ただただ単純に傑作を書けるような批評をレベルの上の人間がしてないし、求められる作品を書かなければ傑作と呼ばれない、というジレンマがあります。僕は外で好き勝手しますが。
まず批評で視野の広さの提示がなければ、自由な飛翔はこれからも削いでゆくことになるのではないでしょうか?
ぇと、平川さんがそれほどいい詩を書いてるかわからない僕に実力うんぬん言われても・・・・
その他の意見なしで話をすれば、お互い相手の詩を理解できてないって部分で、対等じゃないですか?飽くまで他人の意見なし、という条件下ですが。
というか、月間優良賞をもらってる詩は長すぎて好みじゃないです。個人的に、冗長な詩に詠む価値をあまり感じません。好き嫌いとして。
あそこで熱く訴えたのは、発起時の発起人の情熱を試したかっただけです。それだけが目的です。それはしっかりみなさんの助力もあり、自己解決しました。ご迷惑おかけしました。 |
1対1の話しだったらメールください。
一応、月間優良賞の作品で、例えば原稿用紙1枚で収まるものっていくつもありますよ。
相田さん、私も書き続けているので、連絡くだされば作品送りますし。
本当に1対1で話すのであれば筋が違うと思いますが。
私は投稿者の熱い気持ちがこのサイトでは一番重要に思えますし、発起人は作品に応えていると思います。
私個人として、足りないのであれば、もっと頑張ります。
よろしくお願いします。 |
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