#目次

最新情報


樫やすお - 2006年分

選出作品 (投稿日時順 / 全14作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


冬の雨

  樫やすお

猫は町に行く途中に殺されるであろう
雨後の漁港に繋がれて
少女に手を引かれながら殺されるであろう

私はガードレールの下で歩き疲れて長い間眠っていた
日本海に目を瞑った深夜だった
地下茎は凍てついて
再構成される記憶の中で
今夜も夜行列車が新潟に向うな、と
レールの軋みが聞こえて目を覚まし
列車がフミキリにさしかかると
眠りの中に、
ぼそぼそと低く呟きながら揺すられる人々が現れる

ぼやけた私たちは海底のゆるみに走り書きされた
港町に住む少女のピアノ線は
明け方に張りつめて、
膨らみあう両目を向け
水平線を押し殺そうとしている
少女ははらはらと熱を重ねて
誰にも見られないように舌を噛み切った

なにげなく小刻みしている波頭に
しなだれていく私の影も何度も死んだ
次々と思いに換えられてしまう
沖に奪われてしまった
ガラスのような色

何かを残されていったような気がして
私はたくさんの貝殻を蒐集した

電柱の重い骨格だけが空にかかり
ベランダに隅なく日が射した
海浜をめぐる裸足が
曙光を踏み分けて進むと
猫は強熱にうなされて
今朝、
工場のドラム缶の上で轢死した


驟雨

  樫やすお

冷たい雨滴を吸い、縁の下には昔のままにスニーカーが投げ捨てられてある。苔むした石畳の崩れ目に落ちていた懐中時計は私の耳朶に鈍く縋りつく。
その秒針の音の底澄みに、凍えた男の濁声が執着していた。彼女の足音だけが鋭く露を刺し、頬から多くの瞬きが零れた。

私はそわそわして木の皮を梳っている。

橋桁のそばで捨て犬が鶏の脚を銜えて佇んでいた。暗闇に、その双眼の潤いが脆く像を繋ぎとめ、空獏を見つめている。

公衆トイレの窓
堀の中に飛び込んだカラスが
溺死し
月は揺する
極度に緊張して柔軟性を失い
舌が
闇の中で湿りつく

墓石は空間に重くある。
人々は知らず顔で、トタン屋根の貸家をとり壊すことにいつまでも夢中だった。夜風の中に、剥がれた茜色の塗料は川面を底深く沈み、貧しげなフナに呑み込まれて重量を失った。

土臭い残雪にぽつぽつと
足跡を辿ると
カーテンのほつれ目に
青白くヒヤシンスが湧き出した

私はその軒下で雨止みを待っている

夏にできたつばめの巣には、生きなかった卵が残っていた。その一つを手にとって握り潰すと、枯れた粘液が硬い手首を伝って、袖口から私の体温を貪った。


よく陽のあたる場所にて

  樫やすお

朝霧のなかを
葉のさきをすべる つめたい
雫のように
流れた 
天井の水 あれは私の
カナリアの飲み水だ

ぶわぶわとふくれだした
トースターのうらの
ものの影から
カナリアは死んだ
床のうえで
あわの実がちらばって
あなたは羽を焼かれ
カナリアは
うすい翼のさきに風をうけて
明けきった空に鈴の音を聞いた
あのときも

あなたは露で身をぬらし
古い土に寝ころがっていた
瀬のきわでは蛙たちはもつれあい
一匹は石のうえでないていた
私は私で昔のオルゴールのぜんまいを回し
なんだかうれしくなっていった

あなたはとても重く 
籠の中でぼそぼそと
ちいさな影を揺すって
しゃらしゃらと目でわらう

鈍く漂っているように
籠の底にしがみついていて
もう昔のあなたのようには
うつくしくない

たたみのうえに糞をして
陽の中で死んだ
あのときのあなたのようには
うつくしくない


無常の

  樫やすお

公園のトイレのガラスのない窓で
固い土に生えた松がゆれ
一羽のカラスが枝を越え
ボートを押した浅瀬
私はそこで足を止め
糸雨を浴びる
目をぬらし
捨てられた傘がばたばたと動くので
動くので、私は足を止め
追い立てられたように
顔を赤くする

 ★

踏み固められた地べたの
ブランコの下
が見えた
リボンは夜闇に赤く
もっと長くのびる
便器で圧された尻
を這うギョウチュウ
白い生き物の巣を一つ抱えた
窪地が 木が
不思議に怖かった

 ★

(ばばに乳を吸わされた)
箪笥のつめたい錠前を舐めた舌で
御前の傷口にキスして
やろう
引き出しの十円玉は
御前に全部
呉れてやる

 ★

仏壇の障子に穴を開け
空は明け
薄い窓のモザイクを漏れた
それは夕日
赤ん坊のようにして
足を止め
黒い金具ばかり見つめ
私はたしかに
死んだひいばばの声を聴いていた

私はすぐに襖を開けて返事する
「なにー」
 ――聞こえますか?
「なにー」
 ――聞こえますか?

ワタシノコエハキコエマシタカ?

 ★

なにが聞こえます 残響は
ピアノを弾いているのは
私です とどめることは
できません 
叩きつけられた音で
河畔がゆらめいて見えるのは あれは
私です とても長いあいだ枯れ葉に
圧されているのです

 ★

身をゆすり そうしてあなたは
世界のなかを
閉じました 私の傍へきて
たちなさい

――響きは、
  聞こえますか?

 ガラスのない ガラ
 スのない窓で松がわれわかれ私は
 死んだひいばばの声を聴いていた
 
 ボートを押した浅瀬
 私はそこで足を止め
 糸雨を浴びて
 目をぬらす


黙契

  樫やすお

人の影が
また私を迎えた朝だった

「さようなら」

朽ちたベンチが
おまえの居場所だ
だがそうやって目が覚めたときに
おまえがいつもそこにいた


(ここから消えてしまえ)
おまえはもはや肉声しか聞こえない
鉄柱をこする陽の音がする
おまえの行く先もまた
反転し続ける


(外部ではなくて内部から)
すがりついてくる肉声が
水上でわれた
それまでの視線から逃れでた私が
すでに包まれていた
それまでのほんの数瞬の間を穏やかな陽にあたり
おまえは
池の底に身をたくわえている魚類の皮を剥いでいた


(それは銃声だ)
足跡にそっと触れる 
地べたでもがきそこなった人間が互いの背中をさすりあっている
おまえを呼んで
皮だけでかろうじてつなぎとめられていた右手がぼたりとおちた熱を
おまえは感じた
ほらそこに おまえの足許に
窓の床がある
尾びれを
木陰で休ませてあげなさい


(わずかな位置をずらしあい)
吹き消された
水面に静もる雪のように
覆いかぶせてくる森の
繁殖がたまる
雨にぬれた羽がほぐれたときに
それもまた陽にあたる
葉をふるう薄靄の中を歩く
土にこぼれおちた何もないようなひしめきが
やさしいステップを踏んでいた


ほころぶひとみ

  樫やすお

ペダルを返してく
橋の下で車輪が転がって
そのままうろうろと水草が揺れているあたりまではまりこむ
固い手すりにこすれた手でもちあげようとしても
あがらない
水辺が日と移り
絶え間なくマンホールに転ぶひとたちが
朝に
私んちの木を折ってった
水がしみてきて
これもまた
立ちあがろうとしなかった


(古い牛乳瓶を拾う)


そのかすれた緑色の文字は
夏に歯を見せあって
私の知らない遊びが
ぶちわっているオタマジャクシの
目のない顔を
少しだけわらい
思いがけず集められた河原でながいこと
殴りあっていた


(ペンキのしたの廊下でぽしょり)


すたすたと歩く先生の跡から
ふるえている
土管のなかでのように輝くしずくを点々と
しぼり
すべて干されてしまうまで
音がする

見送った


(夜が近づいているよと言われた)


胸がすっと
風にのり おくれ
遠くのガレージで
シャッターのしまる高い「音がする」

私がハッとして
見ていた


地の船

  樫やすお

地底はあつく盛りあがり覗きこむようにしていた
船室のカーテンがどのようなリズムで揺れるのかそれだけが心配だった
うずしおを手の中でまるめ
私は更地にこぼされた砂粒をふみつけた

まあたらしいジャブローの水を
爪の先にあてがっておくと
ひとりのゆるがしたまなざしが
遠くもってゆく
もちこたえて
泥から与えられた尖った指先が
水上に描かれた文字がこぼれるとき映しとるほどに
精密な「水浴」について
囁きかけていた

私は線上に転覆してゆく船腹の横に隠れて息を継いだ
そのときは見つめ返すだけだったから
色の抜けた水面がうち混じれて
重なり合ってくる
空と空
に耳を傾けて落ちていた

額に息を吹きかけるように
めくれあがる葉のうらの一枚一枚が
流れにひたされて
魚類の粘液がその気孔から洩れている
私の虹彩にすりこまれてくるこれらの残像が後からするすると抜け出して
波の上を濁らせた

複眼レンズで捉えられた穴のない裸体のようなものが浮かびあがり
喫水線を呑みあげて
粗い光がその隙間を埋めている


(わるい思い出でなければいいのだが)


もう動けないくらい私は足を地面に差し入れて
たなびいている桃色の花弁を
鼻先に吸いつけた
新聞紙が燃えつきてゆく速度で滝を啜る遺伝が私に与えられ
ほんとうにそういうものがあればいいのだが
いまはそれも洩れてしまうから仕方ない
いつかの浜辺に打ち上げられていたまだ腐肉のついている鯨骨がそのときに現れて
その眼の在った部分が赤くひん曲がり
私をよこめで睨みつけて
風の中に消え去った

こうしてテレパシーというものがレールの軋む音の後に感じられ
私のような受体に垂れ流されてくる
これらの喚声が
次々に波の上を濁らせた
それらは黒い浮腫のように水面で詰まり
時折森の鳥たちが啄ばみにやってきた


(めずらしい歌声を持っているな)


鳥たちの囀りに気づくまで
私は立ちつくしていたのだが
いつしかこのうすい胸の動物を強く握り締めたいと思いだし
一足毎に重心を移動させていた
そのたびに土塊が植物を纏いつけてえぐりだされ
私の叫び声の代わりに喉の奥から多くの原油が溢れ出した


 *


鳥たちの眼は黒い沼のように吸い込まれている
憔悴した後の足がさらさらと水をたどり
樹木のようになった私は
鳥たちの屍を上空に繁らせた


「インスタントクラブ」と記されたチラシ

  樫やすお

(車輪をつめてゆく土手で)

水面を繊毛が波うっている
よく見ればそれは日に焼けて日だまりをすいすいと持ち上げて
後ろからついてくる
船べりは岸辺に乗り上げてしまって
「腹減ってない?」と独り言を私は言った
このとき地元の青年団は結婚式を終えたばかりで
豊満な黒目から
たのしみがつきないように
少しずつ残されてきた男たちをあやし
立派な箱に入れられた杯をうけとらせていた

 *

これでもう安心立命大丈夫
地表から払いのけられたのだな私
すこしでも
「わらいたいところだが」
こんなことだったらそそくさと筋骨隆々たる男たちをつれてきて
殺すために持って行かせればよかった

(スカートにこびりついているよ塩が)

大写しにされた塩が
何かひとつでも疑問をもちかけてくると
私はふんふんと頷いてやった
電信柱に貼られてあるこれらのチラシには
電話番号と時間が記載されており
ほんとうのことは教えない

ちょっとでも郊外に出て行くと通過して行く
自動車は無数に
尽きることがない
スニーカーに泥がこびりついていて
私はそのことも知らずに橋桁のそばにしゃがんでほおっと上を向いていた
陸橋の上を細い腕があらわな女たちが素通りし
船底を抜けてくる海水みたいな音がして
私は落ちていた雑誌を傘の先に引っかけて手繰り寄せていた

顔をあげると背骨がぱきぱきした
隣にいたまだ若い男が降ろしたザックからガスコンロを引っぱり出してお湯を沸かしはじめ
石と石のあいだの雨水が溜まっているペットボトルにぽつぽつと
再び雨が降り
それはどこまでも足をのばして


「死んだか死んでないかはわからないけどさ(と男は会話する
  明日のこの時間には
  単独登攀するんだ
  俺もどこまでもついてくよ
  だからおまえにもとっといてほしい(と男は私のしゃがんでいるそばにコーヒーを置いた


「最後くらい軽やかに決めてくれ(と私は橋の裏を仰ぎながら言っていた


いつしか私たちは浮かばれるんだろうか
と聞かれ
私は頷いた

(それはいつなのかわからない、時間との約束だった)


蝶々

  樫やすお

また私の、悲しい試みが笑われたそれは私が
ちゃくせきしていると僅かな沈黙を隠すため
に仕方なくわき起こるものなのだが私はそれ
に耐えなければならなかった、沈黙に
                 遠く及
ばない地点から海がはじまっている」そこか
ら水源までの距離を踏査しつくしたものは誰
一人としていないしかし「かつての地上」か
らそれを絵に納めようとした何人かの見知ら
ぬ友人たちが歩きはじめたのもあるいはこの
地点であったかもしれない。


見つからない
      一つの木陰ががやつれた私には
必要だったのに/(多くの時間を費やして蹲
っている最果てで)結局むすばれることのな
かったむなしい宙を埋める試みに「沈黙であ
ったがゆえに」跳梁する私たちは電線に引っ
かかっていた……


「朝起きたときにはもう朝は過ぎていて、そ
の日の朝刊にはたくさんの事件のことが載っ
ているのだが私は構わない何が起ころうと、
私を助け出すか他人を助け出すかそれはどち
らもふさわしく思われるのだが、」何より大
切であったのはこの蝶/ここを自由に行き来
する

  
羽音に合わせてりんぷんが部屋に満たされた
私の呼気はやがて高まってベランダでたばこ
を吸っていた見知らぬ友人が砂を一握り下さ
った。


ニナ

  樫やすお

わたしには子供の頃にニナという
アメリカ人とニホン人のハーフの友人がいました
目の色はつやのない青灰色に曇っていて
虹彩の形が黒くくっきりとしていました

ある日ふたりでシーソー遊びをしていると
日が暮れて
公園の木の上にはたくさんのカラスが舞い戻ってきました
自転車に乗ったひとが大勢やってきて
彼らはわたしたちをじろじろと見つめて
肩で息をしていました

ガラスに夜のにおいが沁み込んでいました
わたしたちの手は
鋭いガラスの破片を握り締めていました
わたしたちはただ茫然と
たくさんのひとの前に立ち尽くしていました

「帰ろうっ」とニナが言いました
すると
大勢のひとの胸が突然戦慄きはじめて
わたしたちを捕まえて
殺そうと、
機会を窺っていました
さらに多くの自転車が
3本しかない公園の電灯に照らされながら
わたしたちの前に停まりました

ニナの顔が水中でのように青白く膨らんで
脱脂綿に血が滲んでゆくように
わたしたちの視界からぼやけてゆきました
「やめてぇ!」とわたしは叫び声を上げました

誰かの首筋に鎖が耀いていました
ニナはその鎖を手繰り寄せるとそのひとに
そっと微笑みかけました
ニナはまるで天使のようでした
やがて彼女は目を瞑ると
アスファルトの暗い淵へと
静かな灰となって消えてゆきました


オートマティック

  樫やすお

昨日と今日という区別はくだらない
ただのっぺりとしたものに彼らは乗っていて
そうしてどこまでも全自動で
いけると知っている

ぼくは黒板に目を向けたとき
必要なことすべてをやってのけていた
ただし緑色の粉が水槽に落ちたとき笑っていたものは
たいていが死んでいるか
死にかけているものだった
死すらも劇的だ
ぼくは彼らの性愛にも見飽きたら
成人式の後の残滓ともども彼らが
プロペラに挟まって死ねばいいのに
と強く願うことになるだろう

粉々になった剥き出しのガラスでも
それが風に吹かれていれば
誰も痛みを感じない
それと同様に
少なくとも彼らだけは
自分たちだけで何かをやっているとは
まったく信じていなかった
それでやたらとわめきたてるというわけだ
その馬鹿さ加減を身をもって
表現することが狙いだったのだ
感動的なんだ
きもいしね

美しく生きるということが
ありうるとしたら
成り行きのほかにはないのかもしれない
それが奇跡かどうかなんてぼくにはわからない
でも破れたビニール傘をさし
星の光をよけて眠る不思議な夜が幾夜かあっても
ぜんぜん困らない
役にたたないしね


  樫やすお

わらうふりはやめろ
内部の閃光へと
むなしい風のこがれは身を散らす
苦い胚乳があったから
木が真っ先に倒れて
おれは厚い炎に包まれる

おまえの言葉には終わりがないから
聞き飽きた
風のように頭をぶん殴ってやる
痛みをとがった角膜に溜めておけ
おれたちは地底で殴りあう

 *

ぎしぎし鳴らして生まれでた
するとあらゆるものがマグマを呑んでいる
水が根を浸せば空にも枝がのびるのか?
はじめから枯れているものはもう見るな

骨を燃やしたら
空気には毛が生えた、誰もこたえない
背骨のなつかしい時間帯
遠い、
何度も訪れた見知らぬ地名を口にすると
おれのヘッドランプは
ちょうど電池が切れそうになっていた

 *

おれの手が土を握ると
触れたところから鉄になる
おれの最後の言葉は
肉にしか刻めない


中心には風がない

  klo

星に駆けあがろうとするスカーフ
壊されたばかりで
まだレンガが燃えているのに
喉の禿げあがった鳥たちが舞い降りてくる
足跡はまだ温かい

ぼくは猫の腹を流れる川に耳をつけた

切れていく雨音、
倒れたドア
ぼくは目を閉じた
ぼくは目の奥に奪われていく

電柱には虫の影がぼろぼろになってくっついていた
七色の瞬きは死んだ人を流して
最後には空にぽんぽん投げ出してしまう
ぼくの舌は
喉にからまって煙をあげた
空が、
ぼくの肺で羽根が裏返る
草の恵みを
光が、焼き払ってしまう

残された街を
ぼくは揺れて
噛み切られた水平線の焦げたところから
まだ生きていないぼくを見つけた
風の重力と、
ハガキを燃やして
黒点が
細胞に紛れ込んでくる

ガードレールの下には川が流れた
ぼくはすでに
ぼくはロープを食べてしまった
ぼくには髭が生えてくる
ぼくは鉄の肺を手に入れて
夕日を浴びていた
まだレンガが燃えている
ぼくは
街の名前を、思い出そうとする
ぼくは
誰かの足跡を見つけた


洞窟

  klo

住宅地に立っていた
豪雪のために傾いたフェンスの奥から
ぼろぼろに凍りついた飼い犬が
わたしを見ていた

夏が終わってから
ろくに散歩にもつれていってもらえなくなった
冬になると弱った足を引き摺って
小屋の周りを歩き続けた
誰にも相手にされなくなっていた

いま
その飼い犬は
わたしの目の前で死のうとしていた
毛の抜け落ちた糞まみれの体が
雪を汚していた

飼い犬の死んだ瞬間が
わたしにはわかった
すこしだけ
犬の両目が沈み込み
結晶を流れていくような気がした

路上には
また別の犬が死んでいた
胴が自動車に切り裂かれて
動転していた

腸がはみ出して腐り落ちている
まだかすかに息づいていた
わたしは犬の胴を背負って
冷たい空気を吸い込んだ

背負った犬は
わたしの背後にすぐにしみこんだ
わたしは歩き始めた
路はどこまでも延びていた
その先は白くかすれてはいたが
わたしにはどこまでも続いているように思われた

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.