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尾田和彦 (ミドリ) - 2006年分

選出作品 (投稿日時順 / 全25作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


希望/運命

  ミドリ



目を閉じてみても
時の奥では
果てがないんだね
いつもそばに居てくれて
ありがとう

高すぎるビルディングに
だんだん僕らの背丈は
猿に近づいてくるようだ
潔くえっちしたいと
彼女に言おう
戦うことは
守ることだ

心が決まったら
運命が僕たちを飛びこえて
走り出してくるかもしれない
だからほらもっと
先へ走り出さないと

商店街を駈けぬけて
高崎さんちの垣根をこえて
公園のスベリ台でジャンプ
砂場の団地妻
703号室の女のキャミソールを
トゥーと跳びこえ
晴れわたった
君との約束で
運命を待ちましょうか

傘なんかいらないさ
雨が一番
僕らの優しい
希望なんだから


東京で暮らす君への手紙

  ミドリ



君は多分 いまキッチンで
3時間保温した炊飯器の中から
おばあちゃんが出てきたものだから
きっと驚いたことだと思う

しかもジャージ姿で
NHKの朝のラジオ体操を
踊りながら出てきたものだからね

それもそのはず
それはまだ君のよく知らない
君の父方に当たるおばあちゃんなのだよ

僕もおばあちゃんを
うっかり炊いたままにして置いたことを
君に謝るよ

しかし昨晩
君が和式のトイレに流してしまったものも
また君のよく知らない
君の母方の方に当たるおばあちゃんなのだよ

君はまたいつもの癖で
いま僕の手紙を
ハイライトに火を点しながら読んでいるここと思う
しかしいま
君の部屋の片隅に流れていった
あのベージュのカーテンの袖に隠れていった紫煙も
実はまだ君のよく知らない
父方のおじいちゃんなのだよ

そして君がこれからバイクで向かおうとしている
コンビニエンスストアの
駐車場にあるコンクリート製の車止めも
実は母方のおじいちゃんであることを
よく覚えていて欲しい

君が家賃4万円のアパートで
一人暮らしをしたいと言ったとき
僕はいつもそのことを考えていた

君が僕の家から出て行ったときに履いていた
あのスニーカーのゴム底で
いつもしっかりと
君の故郷を踏みしめていられるようにと

僕は東京タワーのてっぺんから
僕と君を生んだものたちの記憶について
まるでポリバケツでもひっくり返すみたいに
すっかりとばら撒いておいたのだよ


舞の涙

  ミドリ



老舗のホテルで寝ている舞は
魚みたいで
息もしていないのに
きれいに見えた

お互いどんなしくみで
そうなってきたのか わからないのに
仕方なくそう抱き合って
迎えた朝のような気がした

愛情に問題があったのか
人生に何かが足りなかったのか
とかく大きな問題を残して
迎えた朝のような気がした

ふたりはいつも真剣勝負で
まったく嘘のない世界にいたはずなのに
それが全然 息苦しくもなく
むしろ癒されている自分がいたりした

アフリカのどこかの部族では
女の子が生まれると
木彫りの男の形をした人形を
ひとつ与えるのだそうだ

そういえば昨晩
無神経にゆがんだような
舞の両腕の力が
僕の背中を彫刻刀のようにつかみ 握りしめ
そして彼女は自分自身の身体の中に
僕を押し込めようとしていたような気がした

それはとっても
時間をかける必要のあることのはずなのに
舞ってば 一分一秒をそれを急ぐように
何度も僕の背中に
力を込めていた

「痛いよ」と
僕が言って ふたりが身体を突き放すと
そこにはとても空っぽな
空間が広がっているような気がして
痛ましかった

形だけタオルを胸に巻いて舞は
太もものアザをさすりながら
この夏 最後の海だもの
うんとたくさん
あしたは泳がなきゃ
そう言って
テレビをパチンとつけて観ながら舞は
「うんうん」ってひとり 
頷いている彼女がいた

「舞はね
 昔からこの世界を知って
 生まれてきた気がするの
 ずっと不幸を
 背負ったまま死んでいくことも
 わかっているの

 でもね
 たったひとつだけ
 生きてきた証を残して
 死んでいきたいの

 ただそれを
 一緒に探してくれたり
 体験してくれたりしてくれる
 ボーイフレンドが
 欲しかっただけ」

そう言って
少し日焼けした横顔の舞は
顔も上げずに
肩をぐずぐずさせながら
浜辺を見下ろす海みたいに
泣いていた


「ラフ・テフ」の切符

  ミドリ



誰かが部屋のドアをノックしたのは
その町に引っ越してきて 3日目の日の朝だった
コンクリートで敷きつめられた 廊下に背の高いカンガルーが立っていて
「ラフ・テフ」行きの切符を 僕に差し出した

カンガルーはすぐに荷物を纏めるよう僕を促し
木製のドアにもたれて スモークを一本吸いだした
僕は図書館に勤める母に電話を入れ
カンガルーが「ラフ・テフ」行きの切符を持ってきたんだと伝えた
母は忙しいからと 折り返し「ラフ・テフ」へ直接連絡を入れると言って
「ガチャン」と電話を切った

すすけたキッチンを ぼんやり見つめていると
カンガルーがぴょこぴょこ部屋の中に上がりこんできて
僕のケツを蹴っ飛ばし
「グズグズするな」と尻尾をひん曲げながら言った

新しい町に引っ越してきたばかりで
これから彼女が部屋にやって来るんだと カンガルーに告げると
面倒みきれんなといった調子で 首を振り
30分だけ待ってやるよと言った

カンガルーはお腹のポケットから
スモークをもう一本取り出し
半開きのカーテンから差し込む 陽光に目を細めながら
プファーと煙たいものを部屋中に撒き散らした

彼女が部屋にやって来たのは
それから18分後のことで
「チャオー」なんて言いながら
いつもの調子でトートバックを ベットの上に放り投げると
「なんだお客さん?」と
愛らしくカンガルーを見上げながら言った

きっと いつもの習慣で
コンタクトレンズをし忘れているのだ

カンガルーは 横目で彼女を見つめると
「今からこの男を連れて行く」と僕を指差し
ドスの利いた声で言うと
「ほーお」っと彼女はカンガルーと少し 距離を置くように言い
「これからマイ・ダーリンと私はデートなのだ!」と 言うが早いか
コップとか皿とかトランプとかデッキチェアだとか
手あたりしだいにカンガルーの頭にぶっつけた

「オイ、このアマ!」と
カンガルーが体中でぶち切れた瞬間
僕の体中の血流がどこかへ流れ出し
重力に引っ張られていく感覚が神経を縛る

何分か後かにあとに
ゆっくりと目を開けてみたらば
きっと どこかの国の海辺に立つ
芝生のある大きな施設の庭の中にいた

庭では芝生でランチをとる
テリア犬やシャム猫や オウムやトカゲやなんかが居たりして
ハンバーガーやピザや チキンナゲットといった
ジャンク系の食べ物を
ひたすらパクパクと両手で口にしていた

僕の後ろの
すぐ背中の近くに立っていたあのカンガルーが
そっと僕の肩を掴まえて
「ここがどこだかわかるかい?」訊ねる
ゆっくりと 首を横に振ると
カンガルーは柔に笑い
「ラフ・テフ」だよと そう言い放った

「彼女はと?」
僕が刹那に彼に問うと
「探して見ればよいさ もし彼女が見つかれば”ここに居た”ということだ」
そんな謎のような言葉を残して
カンガルーは施設の入り口の
正面玄関のガラスの扉の中へと ひょこひょこと前つんのめりに
姿を消していった

ふと目を足元に落とすと
テリア犬のかかとが
僕のスニーカーのつま先の上に乗っかていた
そしてじっと彼女は
黒い眼差しで
僕の顔を覗き込んだまま正視している


「ラフ・テフ」という場所

  ミドリ



「ラフ・テフ」では みんな仕事を持っている

トカゲはアリンコを捕まえて
せっせと 袋詰めにする作業をしていたし
オウムはカフェバーで
カタツムリの背中にチョンと腰をかけ
一心不乱にジャズピアノを弾いていた

カナリナの店長が
厳しく従業員の動きに目を配っていて
ウエイトレスの文鳥が トナカイの紳士に粗相をすると
慌てて飛んで行って 一緒に頭を下げていた

シャム猫は海の写真ばかり撮っていたが
誰もそれについて咎めなかった

テリア犬は 僕のスニーカーをギュッと両足で押さえ込んで
「ここを離れないように」と
そんな目で彼女は訴えていた

太陽が西の方へ徐々に傾いていくと
芝生で被われた大きな施設も
周りは広大な 砂漠に囲まれていることが分かった

「日曜日はもう終わるのかな?」

テリア犬にそう訊ねると
彼女はぐっと僕の手首を引っ張って
海の方を指差しながら 付き従うようと
ぷいと首と尻尾を振って歩き出した

浜辺へ通じるブッシュ道の途中で ふいに歩みを止めたテリア犬が
楔をのように僕の目を見つめる

夜の浜辺に
マッコウクジラが尾っぽの付け根辺りから
砂浜に大きな胸を反らせて喘いでいる
「プシュー」と弱々しく何度も潮を吹きあげ
夜空をチラリと揺らすたび

このクジラと施設に暮らすどうぶつ達が
何かとても大きな秘密で関係しているような気がしていた
ブルブルと母から電話がケータイに着信する

「いまラフ・テフにいるよ」
僕はじっとテリア犬の目を見つめながら
少し上ずった声で 母にそう告げていた


滅びた小鳥の唄

  ミドリ




ダンボール箱に
セーターが届きました
それと靴下とTシャツと
滅びた小鳥の唄とです

いま欲しいものは
マフラーとトランプ
そして君の穿き古し下着が欲しい

いま僕は病院のベットで寝ている
でも君はこの時間もどこかで起きている
寝返りを打ちながら僕は
いつもそのことを考えてる

昨日200リットルの血が抜かれました
その血がいまどこかで保管されているのか
あるいはどこかへ流されてしまったのか

僕はなんだか
ぶよぶよの犬みたいになってくみたいで
困っています

看護婦さんに
天ぷらが食べたいと言ったら
首をすくめて
注射をもう一本打ちますよと 言われました

8月には君とブラジルへ行きたい
サンパウロの町をふたりで歩きたいんだ
僕はあきらめて
いつか偉くなるという野心も
いまではすっかりと切り捨てています

時間が欲しくて
泣きたいくらいですが
ただ寝っころがっているだけなのに

思うに
病室のベットに寝っころがりながら
社会のことを考えていたりする
そしたら体中がサボテンみたいになり
目に映るすべての事柄について
トゲトゲしい感情しか生まれません

でもいま君がここに居てくれたら
そっと手を差し伸べることができたなら
それらのことについて
和解することができると思うのに

この小さな手と足で
こんな味気ないものを掴み触るような
この病室のベットの湿ったシーツのことを
滅びた小鳥の唄と僕はそう呼んでいるのです


アンドロイドのアーリー

  ミドリ




晴れた午後の
プールサイドに僕らはいた

ここの海岸は砂が白く
夏の一時期
それなりに賑わうのだけれど
町には人が少ないのだ

仕事場にはチャリで通っている
いつも真帆ちゃんという
同僚を後ろにのっけて
急な坂道をうんと強く
お尻を上げ ぐいぐい踏み込んでいく

真帆ちゃんは35歳で
いつも浮かない顔をしていて
ときどき笑うときも
少し首をかしげる癖がある
でもその腫れぼったい目は
どうやらいつも 寝不足のようだ

仕事場には
アーリーという
マンチェスターのアンドロイドがいて
僕らはほとんどこの3人で
野菜の出荷をしている

真帆ちゃんはお昼休みには
決まって焼却炉の近くにある
クローバーの咲く場所があり
そこでいつも一人でお弁当を広げている

アーリーと僕は
近所のコンビ二までチャリで行き
お弁当とお茶を買い
海の見晴らせる高台で腰を下ろし
しばしそこで物思いに耽る

アーリーはお昼ご飯を食べた後
いつもタバコを一本吸い
そして仰向けになってぐぅぐぅ寝てしまう

僕は額のジトッとした汗を拭いながら
両腕に軍手をぎゅっと嵌める

そして持ってきたドライバーで
寝息を立ててるアーリーを分解し始めた
一つ一つネジをほどいていく
30分ほどでアーリーは胴体だけになった

肝心の首を取り外すのに
少し手間取りはしたが
一時間もすれば
アーリーはただの部品の
鉄くずの山になった

解体したアーリーを
リュックにぎゅうぎゅうに詰め込むと
僕はチャリに乗り
町に一つだけあるプールに向かった

夏の避暑地になっているこの町の
観光客とちらほら すれ違いはしたが
誰も僕に奇異な目を向ける者はなかった

プールに着くと
真帆ちゃんがいて
潮風に長いフレアスカートを翻しながら
セミロングの髪を押さえ
「ほら」って
四葉のクローバーを僕の鼻先にツンと差し出した

ガチャガチャと鳴るリュックを肩に担ぎ
真帆ちゃんの手を引っ張って
コンクリートのプールサイドを歩いた
僕ら汗ばんでいた
真帆ちゃんはなぜかしら空を見上げている

きっと失望よりも安堵にに近いんだろう
この町に存在する
最後のアンドロイドの アーリーを
真帆ちゃんとふたりで
もう使われなくなったプールの水底に
「ドボン」って
リュックごと思い切り沈めた

ブクブク泡立つ気泡が
水面に消えるのを待って

ふたりはチャリに乗り
再び仕事場に向かった

いつもよりうんと強く背中にしがみつく
真帆ちゃんの腕の力が
なんだか愛らしくってさ そんでもって
とっても痛かったよ


赤い傘の中で

  ミドリ




「あなたの体温計になってあげる」
そう言って彼女は 僕の脇の下の 隙間に入り込んできた布団の中
「37度5分」と 僕がそう言うと
ふたりは笑った

ふたりは服をするすると着て
雨の町の中へでた
赤い傘は彼女のもので
僕は彼女の耳元で
傘の柄をぎゅっと握り締める

なんの迷いもなかった
町は軽やかな心地よい刺激に溢れている

想像していた

彼女が僕の幸福のすべてだった
赤信号を無視して渡るとき
ぎゅっと手首を握り返して 怒っている彼女の顔も
駅の改札口で
切符をなくしたと
大袈裟にあわてて振り乱す彼女の髪も

”恋愛映画が観たいよ”
”いやホラー映画にしようぜ”と
断固対立するふたりの深刻な
価値の亀裂の狭間で
結局「ドラえもん」を観にでかけて
ポップコーンを食べながら
ラストシーンで泣けているふたり

家が欲しいと
彼女が言ったとき
僕はためらった
30年のローンを抱えながら
こいつのために まるで馬車馬のように働かされるのか?

あなたってやっぱり変よ
「おかわり」も「ちんちん」もできない子犬をたしなめるように
彼女は言った
「もうこれからは キスの仕方の巧いだけの 男じゃダメよ」と

赤い唇の彼女の口から ふわりと開く未来
まるでドラえもんのポッケのように
なんでも出てくるふたりの気持ち

「結婚しようぜ 君と同じ道を歩きたいんだ」
「はん なにそれ?また新しいギャグのつもりかい?」
冷たいコートの彼女を 両肩で抱きよせる街路樹の下
息をしていない ふたり

「笑っていいよ 今のは新しいギャグだから」と耳元で囁くと
笑えないし 泣きたくなるの 変なギャグだよって 彼女は言うんだ

雨の町の下の 赤い傘の中では
いつもこんな風な
ためらい合う愛や
未来をゆるし合おうとする とても小さな一歩たちが
肩を寄せ合い 今も抱き合っているんだ


職人とブタ

  ミドリ



湾岸を行く高速道路を 車で5時間くらい走っていた
後部座席ではブタが眠っている

100円ショップで買ったブタだが
カフェオレもトーストも 毎朝きちんと食べるし
寝巻きと着替えの服と 歯ブラシを
いつもリュックサックに入れている

海峡を横断するあたりで彼のケータイに着信があり
ちゃんとブタには彼女だっているのだ

しかしブタには帰るところがない

サービスエリアで トイレの脇にあるゴミ箱に
ブタを右手で深くつかんで 投げ捨てようとしたが
丸顔のくせにけっこうヤツは 恐ろしい目をして

「俺をそのゴミ箱に投げ捨てるのはいいが
 それにあたって俺にもさ
 ちゃんとした十分に納得する説明や
 それを受ける義務と権利がある
 つまり インフォームド・コンセントというやつだねと」

マルボロを吹かしながら ゴミ箱の上で
ブタは上目使いに僕を見上げながら言うのだ

サービスエリアのレストランで
僕らは向かい合わせになって昼食をとった

嫌な食べ方をする
ブタはまるでポリタンクだ

食後のコーヒーを飲んだ後
僕らは再び車に乗り込んだ

バックミラーでブタを確認すると
彼はヘルメットを被っていた
そこにはゴシック体の文字で
「安全第一」と そう書かれていた

160キロほど出ていた車のスピードを
アクセルを少し緩めると
彼は再びヘルメットを脱ぎ
ぐうぐうと物凄いイビキを立てて眠り込んだ

目的の街に着いたのは
予定より遥かに遅かった
陽はとっくに暮れていたし
メインストリームの商店街のシャッターも
ほとんど閉まっていた

車を止めると僕は眠っているブタを担いで
知り合いの工場に向かった

油のしみついた店の壁と
乱雑に転がるいくつものコイルのある工場
施盤やボール盤 グライダーや金型などがあり
立てかけてある壁の試作品

「すまんが コイツを”溶接”してくれないか?」
僕は担いでいるブタを 背中で揺らしながら
知り合いの職人の男に頼み込んだ

「不可逆的で絶望的で 世界との繋がりに遮断された断絶
 死の観念だけが残り 意思や感情が 完全に消えうせ
 信仰や疑いすらもない つまりそいつを俺に ”溶接”
 しろってことかい?」

僕はゆっくりとブタをコンクリートの上に下ろした
そしてブタの体に
愛や真実が この工場の中で
溶接され 溶かしこまれていく様を

深夜の2時頃に至るまで
横で一緒に 付きっ切りで見守っていた

仕事を終えた職人の男は
「明日の朝
 こいつが ブタが目を覚ますまで
 俺たちも少し眠ろう」

彼はうす汚れた軍手をギュッと脱ぎ捨てながら
こちらに顔や目さえ向けずに
僕にそう言い放った


「ラフ・テフ」の晩餐

  ミドリ



「オイ!お前 バナナを鍋に入れたのかね?」
カンガルーは僕に 偉そうに威張って尋ねた

いま厨房の隅っこで うずくまっているエプロン姿のメンドリが
彼女がさばいて入れたのだけど
「はい 入れましたよ」と 僕は答えた

すまないが俺も一緒に その鍋に入れてくれないかと
カンガルーは僕の目をまっすぐ見つめて言った

「構わないがアンタ 体重は幾つだ?」というと
カンガルーは目を伏目がちにして
自らフライパンの縁に足を掛けた

「ちょっとスマンが お尻を押してくれないか」と カンガルーが言ったので
僕はボンって カンガルーのケツを踵で蹴飛ばしてやって
鍋の中に押し込んでやった

バナナの皮に包まれたカンガルーは
サラダ油にまみれ グツグツと煮込まれて目を瞑っている

メンドリがコンロの傍にツタツタとやってきて
火力のつまみを右手でギュッと全開にひねった
ボウっと上がる火の前で
メンドリは僕の目をみて キュッとウインクしている

その晩
「ラフ・テフ」の住人たちに振舞われた料理は
「バナナとカンガルー」のソテーだった

「ラフ・テフ」の 大きな施設の中庭で
動物たちの歓談に 華が咲いている

僕は見ていた
アルマジロがカンガルーの背肉にナイフを
起用に差し入れて
パクリと口に運ぶのを

そして建物の中央玄関のガラスドアーの前で
メンドリとテリア犬が女同士 額を寄せ合って
何かをコソコソ 話ししているのを

カフェバーでピアノ弾きたちの椅子係を務めていた
あのカタツムリが
ノソノソと僕の傍にやってきて
耳たぶ裏側で 舌打ちのようにつぶやいた

「サイコーだろ 彼女って」
「へっ?」て 僕が振り向き 訊きかえすと
カタツムリはあの厨房で働いていた
エプロンのメンドリのあどけない顔を 遠い目で見つめながら
なんだか にやついていやがる

「妊娠してんだよ アイツ」と
カタツムリはそう言ったあと
少しうつむいて 「今の仕事じゃくっていけないんだ」と
奥歯をかみ締めるように 悔しそうに言った

建物の前で
メンドリと別れたテリア犬が
中庭の芝生を突っ切るように
まっすぐ僕に向かって走ってくるのが見える

僕の胸にボンって彼女はぶつかり 跳ね上がった
前髪を上げて「ごめん」って言った

「何だいって」僕が訊きかえすと

昨日のクジラのことと それからカンガルーのこと
まだ みんなに「シーっ」てしててほしいの

彼女は僕の顔も見ないで
複雑な瞳の中に照りかえる光の
中庭に一面に広がる 青い芝生を

瞼の裏側に閉じ込める様に じっと
少しも動かないで ずっと うつむいたまま
黙り込んでしまった

中庭の中央に目をやると
さっきのカタツムリがアルマジロに
グゥーでみぞおちあたりに 軽くボディーブローを入れる真似事をしている

「アイツ等 飲みすぎなきゃいいがなー」と
誰かが僕の後ろで 肩に手を置いてそう言った

振り返ると
あの背の高いカンガルーが スモークを斜に咥えながら
煙たいものを 僕の鼻の頭に 
プッハーと撒き散らすように吹きかけいく

カンガルーの
彼の目の奥の表情は 濃いサングラスの中で 何を見ているのかしれなかった
ただ お腹のポケットの端っこから サラダ油がヒタヒタと零れ落ちる音が
乾いた音で 芝生を鋭角にヒタヒタと叩きつけていた


「ラフ・テフ」番外編 ゆっこのキリン(プリントアウト用)

  ミドリ



シャワーの栓を戻し
前髪を上げ
ゆっこはコンタクトレンズを外した
ブラのホックも外し

彼女は浴衣を脱いで
素肌のまま布団に滑り込む
見知らぬ男の前で
裸になるのはこれが初めてだった

ホテルの一室は
まるで火袋を滲ませて浮かび上がった 
焼け爛れたソウルのようだった

ぼくは部屋の窓を開け
引絞った弓矢のように夜天に放たれて
漆黒の星屑を 蹴散らしながら跨いでいく とても大きな
キリンの滑空を見ていた

「きれいね」って言う
彼女の声で振り返ると
もう ゆっこは
布団を頭に深く被って
眠りに就いていて
うわごとでそう言っているのだ

真紅のベロアの椅子に腰を掛け
ぼくはタバコを吸っていた

もう窓の外に
キリンなんてみたりはしない

きっとあんまり大きな声で
それも寝言で
ゆっこが彼のことを何度も言うものだから
キリンはどこかへ隠れてしまったらしい

「キリン キリン」って
また彼女がまたうわごとで言う

一晩中 窓を開け放して
おきたい気分だったが
ゆっこが風邪を引くようなことが
あってはいけないと思ってやめた

その代わりぼくは
ホテルの部屋の南側の白い壁に
キリンの絵を描き始めた

それから バスタブや天井にだって
テーブルの上にも 湯のみ茶碗の裏っかわにさえ
腕の力がなくなるくらい
フェルトペンで描き殴った

朝 ゆっこをゆすった 夢の中でみていたキリンが
実在するんだって証明するために
ぼくは力の限り描き殴った

街ん中のビルとビルの隙間から
朝陽が差し込むころ

ひとつのベットの真ん中で
ふたりは部屋中に描き殴られた
キリンたちの絵を見て笑いあった

「アホやな 仕舞いにおこられるぞ!」
「でもほら あのキリン 目が三つもあるじゃない」

「主体の形成をめぐる 重大な露呈だな」と
ぼくがいったらば
ゆっこは僕の太股をギュッとつねる
「イテっ!」

「それは客観の形成をめぐる 重大な汚点だよ」と言って
ゆっこは ぼくの額を軽く小突く

彼女はベットの上にある
受話器を取り上げて
フロントへダイヤルをまわす

「すいません!アフリカのサバンナから
5匹もキリンがこの部屋に逃げ込んでいますっ
どうか・・・今すぐ・・」

すっぴんのゆっこの唇にぼくは指をさし伸ばし
唇を押し開け 人差し指でそれ以上しゃべれぬように
彼女の舌をギュッと押さえ込む

それからふたりは背筋と首をギュッといっぱいに伸ばして
とても高い木の上の 赤い実でもついばむようにして
抱き合った

「いま キリン居る?」
そう言ったゆっこの髪が ぼくの頬にさらりと触れて
胸ん中のとても堅いとこに
ドンドンって何度も 何度も

サバンナを駆けるキリンの蹄みたいに
土くれを蹴っ飛ばしてくる


一つ屋根の下

  ミドリ




星が普段どおりに頭上にあって
いつもと変わりのない夜だった

カモミール茶のために お湯を沸かしていると
キッチンで女が 後ろから抱きついてきた

「子供を産む」と 彼女は俺の背中で言った

南の島で出会ったこの女と
俺は自然に 終われればいいと思っていた

素朴な暮らしがいいと
ワラビーの目みたいにこちらを見つめ

女は
「もう お腹の中にいるかもしれない」と言った
彼女がいつも胸に突きつけてくる問いや疑問は
俺にとっちゃ いつもささいな問題であり

適当にあしらっておけば
その会話の流れは また自然な時間を見つけ出し
納得済みの日常へ
いつでも心軽く 帰れることができた

世界がきっぱりと
ある時点から変わることがある

女の体調がどうもおかしい
営業事務の仕事も休みがちになり
昼ごろまで布団に入っていることが多くなった

仕事が生き甲斐で
いつもきちんと部屋を片付けていた彼女が
ある日を境になにもしなくなった

部屋から出てこない
激しく吐くような嗚咽が
何度も部屋の奥から聞こえてくる

女は
これまで何を考え 思い生きてきたのだろう
とても辛かろうことや
人のにはとても真似のできないことを
易々とこなしていくような女だった

その彼女が
いま部屋から引きこもり出てこない

会話を交わすことさえ
困難になり
この先 人生をともに過ごすつもりもない女との
こうして一つ屋根の下での暮らしが
始まりを告げていった


この愛に満ちる星たちへ

  ミドリ



あの人の店のそばにあった
公園の緑の匂いがとてもつよく
茶色のオフタートルにジーパンの
彼女はいつも笑っていた

窓ガラスを揺らす
バスの後部座席にふたりで腰を掛け
曇った朝の日の通勤の
つよい風を窓の外にみていた

静かに沈んだ声で
「なに考えてるって」って
彼女が言うものだから

今日は会社をサボって
このまま海へ行きたいと言った

ちょうど私も
そう考えてたところって
ウインクで返す彼女は
ちょっとおませな
小学生みたいに見えた

5秒くらいぎゅっと手をつかんで
キスしたい衝動を抑えながら
僕らはバスを降りた

街に暗闇が落ちてきて
ポツリポツリと雨が降り出す
手を離すと
ふたりは離れ離れに
はぐれてしまいそうな気がして

サンドイッチみたいに肩を寄せ合い
傘を立てた

スクランブル交差点をすり抜け
街の頭上でヘリコプターの音がする
世界にぎゅっと詰まった力が
体中に押し寄せる

この星に愛が生んだ奇跡だと
ジンと体の奥で感じる

「海まで行ける」って
そう 耳元をそばだてる彼女の声と
ブラウスの袖をまくる
体温の弾んだ感触

僕らは街と海を結びつける
グレイの瞳を奥に引き締め
それぞれの職場に向かう

ワイングラスに
時の甘い声を響かせるような
ローヒールの彼女の足取り

街は恋人たちを遠回りさせ
孤独に押し込み 外の世界を
明るく照らし出す

それが僕らが生まれるずっと以前から
なにひとつ変わりやしなかった
ただ一つの メッセージ


リジーの農場

  ミドリ




農場のメンドリは 
疑いようもない事実で
彼女は家庭におさまるような タイプではない
タマゴの産み手としては一流だが
誰の助けも借りずに彼女は 一人でタマゴを産む

シンディという名前のそのメンドリに
メロメロになっているのがリジーだ

リジーはやたらと態度がデカくて
ヘビや昆虫を捕まえるのも 得意だったが
農場の責任者に就いたその晩
リジーはシンディーを酒場に誘ってプロポーズした

彼女は態度を保留し
その場で不用意な発言を慎んだが
リジーをじっくり観察していた

「まるで何事にも無頓着な ヒツジみたい・・」
シンディーは心の中でリジーの事をそう思っていた

リジーは農場の経営を
ライバル会社から守った手腕を買われ
異例の抜擢をされた

大手には出来ない事をやる
リジーはジンの入ったコップ強く握り締め
シンディーの目を見つめた


農場で深刻な問題が持ち上がったのは
効率的な経営の為の戦略づくりに のめり込むあまり
農場を営んでいく 本来の目的を忘れてしまったからだ

ある日の午後
労働省から来た役人と
リジーは接見した

農場で悪質な違法行為が行われていると
匿名の通報があったと 役人は語った
通報が事実であるとすれば
場合によっては重い処罰が科せられる事でしょうと
役人は重々しく言った

それまで一言も口を開かなかったリジーが
ソファーから立ち上がって言った
好いでしょう
全てをオープンにしますよと 両腕を広げて言った

気の済むまで農場を見て行って下さい
農場の経営は
法を遵守した上で
すみやかに行われています

彼は晴れやかな顔で
役人の目を見つめ返してそう言った


夕方 執務室のドアをノックしたのは昼間の役人だった
「ミスター 通報は全てデマだったようです
 大変 失礼しました」

リジーは役人のその言葉に背を向け
窓の外に 西日の集まる畑を見つめていた
「今度 もし どこかでお会いするご縁あるとしたら
 もっと 好い話をしたいもんですね」
役人は
恐縮して頭を垂れて 部屋を出て行った

リジーはすぐに内線で秘書のクィーニーと連絡を取り
全従業員を今すぐ会議室に集めるよう
指示を出した

リジーの机の上には バラの花瓶と一緒に
シンディーの写真が 一番目に届きやすい場所に置いてある

彼女は シンディーは
俺がどんなことをすれば 喜んでくれるだろうか
そしてあのプロポーズに
いつかその承諾を与えてくれるだろうか

彼の頭の中のドライブ回路が
ブンっと強く回転し始める

仲間と親しい人たちを守りたい
それがまだ 街のゴロツキに過ぎなかった頃からの
今も変わらぬ
唯一無二の リジーの信条だ


心の庭

  ミドリ



街を見下ろせる ガラス越しの喫茶店で
小さな椅子に腰をかけ
ふたりはよくそこで コーヒーを飲んでから仕事へいく
まだあどけない少女だった頃から
彼女を僕は知っていて

なんの変哲もない会話の中に
ふたりだけの小さな
緑に満ちた楽園があり
なにかしたことで笑いあったり
ちょっとした仕草を触れ合わすだけで
心のヒールに届くような
感情が生まれてくる

その滾々と湧き出る泉の中で
ふたりはコーヒーカップと 言葉のつぶてで過ごし
「時間だね」
そう言って 腕時計と互いの目を見つめ合わせて
店の扉を後にする

彼女が結婚したのは僕の知らない男で
とても背の高い
陽に焼けた青年だった

知らせをもらったとき
ふたりだけのあの小さな庭はもう
この世には存在しないのだと僕は悟り
でもそれは とても綺麗な顔をもった
世界から配達された手紙のような気がして

鉄の錠前のしっかり掛かったあの小さな庭を
僕は胸の中に閉じ込める 
きっとどこかしらに いつもそんな場所がたくさんあり
必ず交代で人たちは其処へやってくるのだろう

ビルとビルの隙間に
霞んで埋もれそうになっていても
人はそこに足を踏み入れずにはいられない
そんなポケットの深いところにぎゅっと心を突っ込んで

今日も雑踏の中の見知らぬ顔たちの
肩の間をすり抜けながら
人は道すがら帰るべきその庭へと 靴底を踏みしめていく


扉を叩く ゆっこの恋 (プリントアウト用パート2)

  ミドリ

荒っぽく玄関の扉を叩く
それは「事件」のはじまりだ

ゆっこの ブロンドに染めた髪も 胸のタトゥーも
アレストブレッヂのアパートメントも
日常的に吸引しているマリファナも
この街にある炭鉱用の
掘削用のタワーの残骸も
真冬にはマイナス30℃までに下がる
それはこの街に閉じ込められた
とても小さな物語だ

ダウンタウンから3キロほど離れた
農家の納屋で
日ごと行われるパーティーも
ほとんど家に寄り付くこともない
十代のジャンキーたちの溜まり場だ

最近 生まれてはじめて
ウェートレスのバイトをはじめたゆっこも
その溜まり場の一人だ

このパーティーに集まってくる 女の子たちの間でも
とびきり綺麗なゆっこが恋をした相手は
ピンドンバックとあだ名される
ボクシングをやってる
男の子だった

ゆっこは彼に
バーボンをラッパ飲みしながら訊いてみた
「人を殴って なにが楽しいの?」

赤い髪のピンドンバックは
マリファナを咥えながら
「本能だよ」と
軽く 弾けるように腰を回しながら
優しい笑顔でそう言った

「今度の試合 観に行ってもいい?」
ピンドンバックはそれには直接答えず
シュッ シュッと シャドーを何度も繰り返しながら

「テレビでも観ていてくれや」
知り合いが来ると手元が狂っちまう
リングの中央には神がいるんだ」

フォーリー フォーリーと
彼は笑いながらワン・ツーを突き出し
こうやって神と交信するんだとキュッととウインクしてみせた

サイドステップと
ウィービングで相手のパンチをかわす
まるでバイブルを読んでいるみたいに
ひどく 気持ちが揺さぶられるんだ
でさ
この時だって瞬間に
相手の死角に飛び込むんだよ

じっと息を殺して
マットに這いつくばった 相手の肢体を見下ろし
なにが勝敗を決めたかなんて
殴り倒した野郎の血の付いた
横っ面を見ていたって俺にもわからない

だからいつも
そいつを悟られぬよう
俺はコーナーポストに静かに戻るだけ

そんな話を聞いていると
ゆっこなんだか
胸が苦しくなって
涙が止まんなかった

扉が叩かれたのは
それは夜中の3時半
アパートに戻ったゆっこがベットの中で
キッチンをぼんやりと横目で見ている時

扉の前にピンドンバックが立っていて
照れながら彼はこう言った
「心の支えが欲しい
なんだかさ
あれからとても気になって
魂や精神を永遠に支えてくれる
バネのような支柱が欲しいんだ」

ゆっこは寝癖にパジャマのまま
ツカツカと枕をぎゅっと掴んで
彼の顔を目がけて思い切り投げつけた

「この野郎!ドラックの やりすぎなんだよ!」
 


ゆっこの乳母車(プリントアウト用パート3)

  ミドリ


僕らは知り合った
京都駅の構内
売店でタブロイド誌を買い

37歳 無職男性に誘拐された
子供の記事などを読み

眉間に皺をよせ
退屈そうに足を組み
人たちを乗せて揺れる 

京都駅発 奈良行きの電車の中で
アヒルを乳母車に乗せて
通路を歩く
ゆっこと出会った

「いい子にしていたよ
 今日は全然 おしゃべりしていないもん」

アヒルは乳母車の中で
首をいっぱいに後ろへひねり
母親のゆっこに話しかけると
ゆっこは肩をすくめ
アヒルの頭を撫でてやった

彼女はアヒルの腰を捕まえて
乳母車から降ろし
ひざ掛けの上に乗せると
胸の中で強く抱きしめた

みんながわたしたちのことを
まるで知っているみたいな顔でこっちを見ている
きっと君が
アライグマやペンギンだったとしても
そんな風に
みんな君を見るんだろう

この町で君は生きていかなければならない
ゆっこはアヒルの頬に耳を寄せると
もう一度強く抱きしめる

「ママ」って アヒルは小さくつぶやき
車窓の外側の空に
小さな雲をひとつ見つけると

「ほら見て 
 あの雲さ パパの顔にそっくりなんだよ!」
そう言って ゆっこの膝の上でポンポン弾むと

「ママの顔は どこにあるのかな?」
アヒルの顔に頬を寄せ
窓外を下から透かし見るように
空を見上げるゆっこに

アヒルは大きな口を尖らせて言うんだ
「ママの顔なんて どこにもないよ!」って言うんだ

僕らは知り合った
京都駅発 奈良行きの電車の中で

アヒルの大きな嘴からこぼれた
とても小さな声と
それを胸ん中で 必死に抱きかかえる
ゆっこと出会ったんだ


冬のデート

  ミドリ



わたしは子供を産む気はまったくなかったし
生理不順で婦人科の台にのって
股をひらいたことは一度だけあるけど

幸い恋人はあまり したがらない人だし
わたしもセックスが愛情のベースになってるなんて
考えたこともない

冬の京都で
恋人と「マ・ベーユ」というお店で向かい合って座っていた
ツナペーストをフランスパンにぬって
ふたりでホッとするあたたかいコーヒーと
手のひらの中の 立ち枯れのプラタナスとを
ふたりは肘をつき 窓の外に眺めていた

その晩 わたしは彼にホテルでレイプされ
血のついたシーツをみせて
「処女膜が破れちゃったよ」って言ったら
彼はタバコに火を付けて
ベットサイドからタオルを投げてよこした

その目のそむけ方や仕草で
めんどくさいって 言ってんのが伝わってくる

世間にはいろんな歪みがあって

例えばスーパーマーケットの パック詰めの肉は
お墓のない動物たちの 死体の群れだし
子供なんか 絶対産みたくないわたしは
子宮や膣を 大きな鍵でガチャンと閉じた
けっして母親になることのない女だ

街を歩いていて
お腹の大きな主婦を見て
妊婦なんてサイテーだって彼にそういったら
耳に触れてるわたしの髪に ツンっと鼻を寄せ
海のイルカの匂いがするねって 彼が言う

わたしはわたしが
イルカだってことは 十分ありうるな
なーんて 考えながら歩いていたら
横断歩道が青だよって
彼に背中をツンツンってせっつかれる

現実の時計の中にしか 彼の時間には流れがなくて
わたしには夢で得た 人生しかないんだ
そう思ったらちょっぴり

さっきの妊婦のぽってりとした
あの大きなお腹の膨らみに
甘いものが きちんと保たれている

なんて 思ったりも するんだよ


ランディの海

  ミドリ

生命のないものに
かたちが宿るというのは
とても不思議なことだ

夫はすでに会社に行ってしまっていて
私はパジャマのまま
ソファーに座っている

雨が目まぐるしく 窓ガラスを打ちつける
小骨の多い魚みたいに 私は部屋にいる

雨が少し小降りになると
玄関からのそっと
とても大きなクジラが入ってきて
私の居る部屋のソファーの隣に座る

「話し相手になってくれるのかい?」って
クジラに話しかけると
彼は甘い鳴き声を上げて
チェストの上に置いてあった
時計とか 鏡とかを
ぶるんっと振るわせた
彼の体の尾びれに弾かれて飛ぶ

とても手ごたえのある
そのとても男っぽい動きに
私はうっとりして
彼の肩に頬をのせた

「気にしないでいいの 壊れたものは
 また買えばいいのだから」って言うと

私は彼の大きな背中に抱きついて
この大雨のせいで
君もきっと
あの海からやってきたのね

私も去年
そうやってこのうちに来たの
だから一緒だねって言うと
彼の胸の中の
とても大きな鼓動がコトコトと
甘いラブソングみたいに聴こえた

そうだ!
これから君がやってきた
あの海へ行こう
車に乗って
これからドライブするんだよって
耳に囁くと
彼の男前の顔が
わずかに歪んだような気がした

雨の中
ぱっと傘を差し出し
ワゴンに彼のお尻をギュッと詰めこみ
窮屈そうな助手席の彼を尻目に
車のギアをドライブに入れる

ダシュボードの下に
ビスケットとチョコレートがあるから
好きなだけ食べてって
言うが早いか
彼はそれらをぺロっと一口に
平らげてしまい

あまりのその行動に
あきれた私の大きな丸い目を
キュッとかわいらしく見つめる彼の目

それから私は彼を
ランディと名づけることにした

車はとても底力があった
ドスンっと とっても重たい彼をのせて
よく走ってくれた
海に着いたのは 午後の3時前
そこは人気のない海辺で

わけのわかんない感傷にとらわれてる場合じゃないって
きゅっと眉を上げ
ギュギュっと彼の尾びれを引っ張り出した

車から彼を降ろすと
バイバイって
軽く手を振った

ほら
そこが君の帰る場所だよって 指をさすと
彼はずん胴の体をくねらせて
海の方へ向かっていく

その大きな肩と 背中とが
人で言う うなじの辺りとかが
なんだか
夫に似ているような気がして

私は思いきり
「バイバイ」って 手をあげて
つま先を持ち上げ ランディと海に向かって
思いきり叫んだんだ

バイバイって 
思いきり 叫んだんだ


センチュリーハイアットホテルとブタのブギ

  ミドリ

じりじりと陽にやけ付く夏の
車のフロントガラスに目を覚ましたとき
高速道路のパーキングエリアは
巨大なトレーラーで埋め尽くされていた

プーマのロゴでプリントされた
スポーツバックを肩に担ぎ
小ぶりのブタが
フロントガラスの真正面を横切る

下っ腹の出たそのブタは
缶コーヒーをグビっと横目であおると
ツカツカとこちらへ寄ってきた

ロックされたドアをガチャガチャと揺らし
「乗っけてくんない?」と
いわれなき言葉を僕に吐く

ウィンドーガラスをおろし
「どこまで行くの?」と訊くと
「ジャカルタまで」

冗談だろっ!

本気だよ
この車なら
この先にある30分ほどの
おり口から下りて
国道へ出ればいい

そこでルナって女を拾って欲しいんだ
ルナだよ 間違えないでくれ
「とりあえず後ろ? いいかい」

ブタはアシックスのシューズで
後部座席に踏み入ると
プーマのバックをポンっと放り投げ
どっかりと腰を下ろした

「何だか俺たち 笑えるよね」と
ブタは大きく背もたれに肘を掛けながらいった

「ハァ?」って
あきれた顔で振り向くと

ブタは葉巻を咥え
キューバ産だぜと
片目を瞑りながら
葉巻を挟んだほうの指を 軽くあげて見せて

さて
これからドライブだ
ルナとの待ち合わせは
センチュリーハイアットホテルの
スィートルームだ
もちろん
そのまま国道へ出てくれればいい

「悪いがブタ君 僕はこれから
 女の子を迎えに行くとこなんだ
 すぐに降りてくれっ
 今すぐにだ!」

ブチ切れた僕はブタの目を真正面から
見据えていうと

ブタは葉巻に火をつけて
とても静かな物腰でこういった

ここから日本海はとても近い
耳をすませば
海風をこの手でつかめる程の距離だ
ゴォゴォってさ
まるで絶滅した世界の果ての後
子供たちが互いに抱き合って
脅えたて泣き喚く声のようだよ

とりあえず5分くらいの力で
ブタの胸倉をブン掴んで
グゥーで殴り 気絶させたあと

センチュリーハイアットホテルへ向かって
車を走らせた

後部座席にクタッと
ブタは気持ちよさげに
眠っているかのように 目を瞑っていて

ホテルに着くとスィートルームには
ブタの名前ですでにチェックインはされていた
3時間くらい待ったが
ルナという女は
とうとう現われはしなかった

気絶したままのブタを
ふかふかのベットに寝かしつけ

センチュリーハイアットホテルを後にした
バックミラー越しに夜景の傾いていく
ブタと居たこの街を残して
僕は再びインターへと車のハンドルを切った

センチュリーハイアットホテル
そこは
ブタとスィートルームと
ルナとジャカルタの在る街だ


8月の海

  ミドリ


8月の海は穏やかな顔をもっていて
遠くのそらで潮騒が横切っていく

「いつもそこにあった海が
 いまもここにあるんだね」って
ポツリと彼が 隣でそういう

休日のドライブも遠出も
どこまで遠くへ行ったって
現実から離れられるほどの距離はない

ここはとても日差し美しい街だ
海の家やカラオケBOX
それに古い商店街とホテル

どこにでもありそうで
ここにしかないものたちが
この街にもある

遠くのそらを見つめながらアタイはいった
「夏はキライ」だと

彼はタバコに火をつけて
「わかるような気がする」といって
まっすぐに煙を吐いた

「でも少し隙間のあるくらいの
 こんな夏が
 人の温かみがわかってよい」と
彼はいった

違う違うと
アタイは大きく首をふって

「やっぱり夏はきらいなの
 だって空がたくさんみえて
 空気がきれいで
 まわりが明るくって
 はしゃいでて そんな夏が
 アタイはキライなの」

そういうと 彼は笑いだして
「変なやつだよ」といったきり
黙り込んでしまった

言外の言葉を読み取れないほど
彼は若くはない

アタイは冷たいものが食べたいといって
かれの手を引っ張った
その温かい手が
いつもと変わりのない強さで
アタイを握り返す

アタイの小さな胸の痛みを
ゆっくりと抱きしめるような
強さで


ポーたちの湖

  ミドリ


「ここらで動かなくちゃいけないね」

ポーはセバスじいちゃんのコップに
ポットの紅茶を
なみなみと注ぎながら言った

ふたりの乗った
ボートが沈みそうに たゆたっている
湖岸に繋がれた クジラたちの群れ

冷え切った湖の
ピンっと張りつめた静けさの中
ポーは じいちゃんの目を
じっと見つめていた

この湖畔にたつ街が
やがて暗闇に覆われると
ポーとセバスじいちゃんは
ボートを湖岸から離し
クジラたちの群れを誘導した

まるで怪物の中の
胃袋の中みたいだ

櫂を握り
ふたりは真っ暗な湖の
真ん中を 
力強く突っ切った

「クジラたちは 見える?」

ポーはセバスじいちゃんに訊いた

「あぁ ちゃんと後ろに居るよ」

街の人たちに
気づかれちゃいけない

舳先を跨いで
ポーは海に流れ着く 方向を探った
バランスを崩しそうになる

「ボートが熱くなってる!」
「なんだって?」

ポーはセバスじいちゃんに尋ね返した

「ボートがまるで生き物みたいに
 熱を持ってるんだ!」
「そんなバカな!」

バリバリという音と共に
ボートがムクムクと
怪物の毛に覆われていくのがわかる
ふたりの握った櫂は 手と足になり
舳先には吐息のように 白いものがくぐもって見える

「バフン」っと一発
ボートがくしゃみをした
ふたりは怪物の背の中で ひっくり返った

「バカな!」と ポーは言った

ボートは舳先で呼吸をし
櫂はその怪物の手足となり
体をのたうたせ自由に湖を泳ぎだしている

「ぼくらを案内してくれるらしい!」

目を大きく見開いたポーは
大きな声で叫んだ
セバスじいちゃんは腰を抜かし
ひっくり返ってしまった

首と顔をもったボートが
ポーの方へクルリと目を向けて
キュッとウインクしてみせた

怪物は大きな背中で ぐぃぐぃと
ポーとセバスじいちゃんを乗せ
クジラたちを引っ張っていく

薄暗がりの
湖畔の街を背にして
その小さな頭を前方に
くぃっと折り曲げ

一掻きごとに
クジラたちを率いて
怪物は 海を目指した


愛だろっ 愛かも?

  ミドリ


街中の子どもたちが
寝静まる夜半
夫婦は夜の営みをしていた

「アンっ トム!」と
妻が嗚咽をもらすと

夫は 俺はトムじゃない タケシだ!

「トムじゃないのね もっとも・・」と妻がいい
てんぱったタケシの腰の動きが
いや増して激しくなると

今度は「ボビー!」っと
妻は夫の背中に爪を立て
強く抱いて悦楽する

アホか!俺はボビーじゃない ミノルだ!

「ボビーじゃないのね ミノルなのね」っと
妻はまた冷静にいい
ミノルの舌の動きが
パチョんこにテクニカルになると

「あァ そこよホセ!」っと
妻は胸を反らせながら声を張り上げた

ボケっ!俺はホセじゃない ワタルだ!
頭にきたワタルが
激しく強くそして美しく 
妻の唇に舌を絡ませ 胸を揉むと

「クリストファー・・」と喉の奥を
しめつけるようにして
妻は背中をのけぞらせる

とうとう夫は怒り出した

「お前はガイジンばっかりかい?」

そこ 突っ込むとこなの?っと
妻がケロッとした顔でいうと
夫は
すまない 穴の位置を一個間違えてた
「すまない・・」

そういって夫は
ベットの上で正座をして
妻の目を見つめた

「トム」って
妻が小さく唇を尖らせながらいうと

「キャサリン」って
夫が囁きかえす

夜中の3時半
セミダブルのピンクのベット上に
ふたりは寄り添って

またたった一つの愛を
奪い合うようにして
ふたりはひとつになった


ピンクのリップ

  ミドリ


机に足を投げ出して
エスプレッソを飲みながら
ぼくはタバコを咥えてる

日曜日の夕暮れ
気だるい西日が ブラインドの隙間から
射し込んでくる

缶ビールをパキッと開け
キッチンの妻の姿を
ちらっと 横目で見つめる

6時を過ぎたが
彼女はまだ遠いところを踏み抜くような
冷たい床に
スリッパも履かぬまま
テーブルにうつ伏せになっている

黒猫のような
ペロンとした素材の
プリントのワンピースを着ている彼女

ピンクのリップをそばだてる
生温かい息が
彼女の肩から 唇から漏れている

ぼくは思う
ポットの中の保温された熱湯
冬の外気の
冷たく
ツンと鼻をつく匂いが
窓ガラスにへばりつく

いつも胸が痛くなって
帰ってきた後の
2人きりの
マンションの一室
ぼくらいつも繰り返す

真新しい白い靴下を履いている
彼女の足元で
ゴディバの箱がへしゃげてる

ひっくり返されたままの
つぶれたチョコレートにへばりつく
キッチンの床と
まだ真新しい彼女の 白い靴下


南極縦断鉄道 中央駅前 寿司バーにて

  ミドリ


フィットネスクラブの一室に設けられた部屋に
ペンギンの赤ちゃんが預けられていて
マナチンコを見たいあまり 胸の気持ちが抑えられなくなり
まなみはいつの間にか
ペンギンの紙オムツをといていた

前つんのめりに
揺りかごに頭を突っ込む まなみ
それはまるで煮込みすぎた肉じゃがのようであり

まなみは将来
きっと皇帝ペンギンのいっぱしの男前を捉まえて
この子のようなペンギンの赤ちゃんを 産みたいと思った

まなみの母親は言った
これからの時代
女の一生もやっぱり
自分の力でバリバリと切り拓いていった方が好いのだと

転勤願いはいつか 海外にしょう
できれば南極支局がいい

関西生まれの彼女は下町で育ち
渋谷の一等地に いま勤める彼女は思う
どうせ悲しいことや 辛いことがあるのなら
もっと楽しく過ごせば好いのに この人たちって
東京の人たちは
やっぱり 冷たいところがあるから

昨年買ったばかりのマンションに
仕事から帰ってベットに入るとき
どこか胸のあたりがズキズキとする

空気がうんっと綺麗な
ゼラチンの中のような南極で
皇帝ペンギンの彼と暮らし
広い庭には野豚や烏骨鶏を放し飼いにし

南極縦断鉄道 中央駅駅前の
小洒落た寿司バーで
まだ小さなペンギンの赤ちゃん連れて彼と3人で
トロやアナゴや セロリの軍艦巻きを食べながら
彼はこう言うだろう

やっぱ俺はチャーハンが好かったって
「帰ったら作ってあげるよ!ねっ」
なんて言うようなものなら 彼はきっとこういうだろう
「お前のチャーハンはマズいからな」って

大体
家にはフライパンもないじゃないかって
そしたら私はこう言うんだ
この間 ヒルトンホテル前に百貨店ができたんだよ
チラシが入ってたから
オープン記念セールで とっても安いんだよって

そしたら彼はそんなことに興味を失って
息子のハルとジャンケンをしている
ふたりはペンギンだから
グゥーとかチョキとかは出せないから ムリだから
ずっとパーばっか出し合って

「あいこでしょ あいこでしょ」って やってる

それが私には
「愛はこうでしょって」「愛はこうでしょって」
何度も胸のずっと奥でつんざくように 聞こえるんだ

文学極道

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