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りす - 2006年分

選出作品 (投稿日時順 / 全15作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


中田島砂丘

  りす

海鳴りが聞こえると姉さんは踊りだす
白いソックスを脱いで両手にはめて
籠目籠目を調子っ外れに唄いながら
日めくりを無闇に破りはじめる
跳んできた婆さんが首根っこ押えて
騒がしい屋根に雷は落ちるんぞと叱るが
姉さんは体をよじって婆さんをほどき
縁側から跳びおりてサンダルをつっかけ
海に向かって一目散に走り出す

婆さんに急かされてゴム草履をはいて
姉さんの赤いサンダルを追いかけると
南の空にはもう黒い雲が集合している
叫び声のように曲がった松の防風林が
半島にある人柱塚へ向かう参列に見える
山村生まれの婆さんは段々畑がふるさとで
半世紀を海辺で暮らしても未だに海を疑い
防風林の向こう側はあの世だと思っている

道が果てて砂丘に入っても海はまだ遠い
散在する流木が這い出してくる腕のように白く
踏んづけても飛び越えてもぐにゃりと手招きする
日が落ちた何もない砂丘で海を目指すには
流木の間を蛇行しないで手招きに身をまかせ
地形の記憶など捨ててしまったほうがいい

不意に赤いサンダルがふたつ宙に舞って消えた
姉さんの背中が近づくにつれて潮の匂いが濃くなり
姉さんの肩に手をかけたとき波が足元を洗った
うしろの正面 だ、 あ、 れ、と低く呟いて
姉さんは振り向きもしないで海を見ている

海は石炭のように黒く冷たい腹を見せて横たわり
火を点ければぐらぐらと煮えたぎりそうにみえて
だから姉さんは赤いサンダルを海に放ってみたのかと
口に出しても仕方のない問いかけが喉元で燻っている
雷鳴と同時に竜のような稲妻が黒い空に走り
青光りの瞬間姉さんの白いソックスをはめた両手が
灯台のように空高く突き上がっているのが見えた
もうすぐ巨大な二本足が上陸するよ
姉さんは優しい声でささやいてじっと海を見ている
後ろを振り向くと遠くに婆さんの姿が見えた
拾った流木を杖にして砂の斜面を突つきながら
ゆっくりと海のほうへ近づいてくる


プロポーズ。

  りす

歩道橋が長すぎるので途中で諦めて、壊れた洗濯機の話をする。眼下を灯りのない貨物列車がいつまでも通り過ぎて行く。君は厚い眼鏡をハンカチで拭きながら熱心に相槌を打ってくれる。君の相槌の品揃えは、帝国ホテルのコンシェルジュみたいに完璧だ。僕の言葉は砂漠に降る雨のように、君の相槌に吸収されてしまう。だから僕は君の体内のどこかに、僕の名前を冠した瑞々しいオアシスがあるんじゃないかと常々思っているんだ。それにしても、今日に限ってどうも会話が食い違う。どうやら、僕は二槽式洗濯機について話しているのに、君の頭には全自動洗濯機しか浮かんでいないようなのだ。脱水槽が回転しない、という状況を理解させるのに、貨物列車が五本も通過していった。でもこの程度の食い違いは、君が眉間に皺を寄せて器量を損なうほど、深刻なことではないんだ。マーガリンとバターのように、片方を知らなければ、どっちがどっちでもいいような代物だ。そんな些細な錯誤はこの、長すぎる歩道橋に比べればたいした問題ではない。シェイプアップしたいの、と君が言うから、わざわざ歩道橋なんて前近代的な迂回路を選んだのはいいが、どうにも階段の数が多すぎはしないか。歩道橋の途中に自販機を置けばいいのに、という君の本末転倒な提案にも、そこそこの市場価値はあると思うよ。だけど、最初から踏切を渡れば良かった、なんて愚痴を言うつもりはない。君を見習って、これからは提案型の人生を送ろうと思ってるんだ。君は今、二槽式洗濯機の説明を求めている。説明なんて回りくどいことはやめにして、この際、結婚しようじゃないか。結婚して僕の洗濯機で、君が自分の下着を洗ってみれば、すべては一瞬に了解されるんじゃないか?だからさ、結婚しよう。僕が二槽式洗濯機の柔軟な使い勝手についてくどくど説明すれば、へえ、とか、ふーん、とか、むむむ、とか、君の相槌の訓練にはなるかもしれないが、最近わざわざ全自動洗濯機から二槽式洗濯機に買い換えた、うちの母親の気持ちは一生理解できないだろう。いや別に母親と同居してほしいと言ってるわけじゃないし、安易な文明化に警鐘を鳴らしているわけでもない。ましてや、洗濯と選択の掛詞で恋のボディーブローを狙ってる訳でもない。文明化、大いに結構。スローライフ、断固反対。ところで最近、やけに貨物列車が増えたと思わないか?気のせいなんかじゃなくて、実際に増えてるんだよ。この理由をくどくど説明すると、君のオアシスが溢れてしまうから止めておくけど、ほら、あそこに見えるのが越谷ターミナルだよ。あそこは、たくさんのコンテナがお迎えを待っている幼稚園みたいな所だ。そんな切ない場所だから、人目につかない田舎に貨物ターミナルはあるんだ。結局、僕が言いたいのは、この際、君の心を脱水槽に放り込んでしまったらいい、ってことなんだ。いつまで君は洗濯槽の中でぐるぐる回ってるんだ、ってことなんだ。そういえばこの間、眼鏡を縁なしに変えようか、なんて悩んでたよね。そんなの結婚しちゃえば、すぐ解決することだよ。ウェディングドレスに眼鏡は似合わないから、コンタクトにするしかないだろう?だから二人で二槽式洗濯機のある生活をしてみようじゃないか。踏切より歩道橋を選んでしまう君は、きっとすぐに気に入ると思うよ。でも、さっきも話したように、肝心の脱水槽が壊れているんだ。だから今しばらくは、君の体内のオアシスが枯れてしまわないように、遠回りするデートをこのまま、続けていくしかないと思ってるんだよ


二月の雨

  りす

縦列するハザードランプ
点滅して人影を探す
夕暮れ 二月の雨
傘が開いて灯る色

製紙工場の煙が南に流れる
南には錆びた海がある
岸に触れては戸惑う
波の指先

星座をあしらった傘の下
路地を曲がるふたつの焔
袖を引き合っては正していく
残雪へ踏み込むつま先

窓明かりが雪を蒼くして
わだちは線路のように繋がり
足跡は行き先を尋ねあう
傘は小さな星座を暖めて放つ

終業のサイレンが町を駆ける
工場の音が遠のいていく
マフラーの隙間から少し
鼓動が零れはじめる


花嫁

  りす

貸し出されたまま行方が知れない花嫁。
かつては箱詰めにし風呂敷に包み贈与され集落を循環していたが、やがて在庫の
滞留が起こり幾千ものコンテナに詰め込まれ港から貨物船へ運ばれ海を渡った。
船倉から夜通し聞こえる花嫁の華やいだおしゃべりは二段ベッドの船員たちを朝
まで眠らせなかった。花嫁は五大陸すべての港に上陸し、街角にあまねく行き渡
り全ての男子は母から生まれた途端に花嫁とすでに結婚していた。ショットバー
で隣り合わせた頭が良すぎて使い物にならない女は花嫁であり、遭難した雪山で
首を絞めてとどめを刺す救助隊は花嫁である。花嫁が巷の話題にもならなかった
のは、語り部たちが臆病なレトリックによって脱がすよりは重ね着させることを
使い捨てるよりは再利用することを街灯の下の薄闇から絶えずしたたかに説いて
いたからだ。食卓にそそぐ柔らかな光のように花嫁は家屋を侵し夜になれば一人
ベランダに立ち帰る場所があったかのような眼差をしている。花嫁は回収されな
ければならないが、期限を決めなかった契約は果たされるはずもなく、貨物船が
積んでくるのは花嫁が趣味で書いた遺書ばかりだ。遺書は花嫁から花嫁へチェー
ンメールのように繋がり、花嫁たちの感度を均一にならしていく。
             一斉にヴェールを脱いで世界を裏返す日のために。


斜面

  りす

青みはじめた土手
たぶん名前くらいはある草
いちいち葉をめくって
不安でも隠してないか調べる
何しろ ここは急な斜面だ

君は相変わらず眼鏡で
フレームだけが季節ごとに変わる
どうやら君にも春が来たらしい
レンズと瞳の間で
たくさんの蕾が揺れているよ

ダンボールのソリで滑るのを
頑なに拒む理由はなんだろう
珍しくスカートをはいているから?
珍しくパーマをかけているから?
それとも ありふれたことは悲しいから?

草を摘み取ってポケットに詰める
青い匂いを君に着せておく
緑に染まった爪 
太陽にかざして
ここに置き忘れていいような
たぶん名前くらいはある手


蓮華

  りす

夜の音を束ねた髪
指でとかして
わけ入って光を
つかむ、あれは
蓮華畑の、
クローバーの、
ふくらはぎの、
駆け抜ける午後
舞い上がる緑の虫を追って
青い堤防を刃渡りする少年
触れば鳴り出すような四葉を
見つけた土手から
少女は跳んで
落下傘のように着地するスカート
そこは
仰向けで空を見る場所
赤い屋根の水防倉庫が
ちぎれ雲を引きとめて
長い歌を聞かせている
裏返りそうな声を
空の重さでおさえて
ひとり言のような
長い歌を

少女の首を持ち去る
鋼鉄の首飾り
開きかけた襟元を隠し
しずくの喉を、
霧の汗を、
芽吹きの匂いを、
逃がさないまま夜に連れ去る
街灯の光を集めて
断ち切られた路地をつないで
夜の地図を作る少年
ちぎった四葉を落として
青い匂いを散らかす少女
カバンに閉じ込めた蓮華を
置き忘れるような仕草で
曲がり角に葬る
少年は地図を塗り潰して
余白の少ない路地を曲がる
鋼鉄の首飾りが街をくるんで
夜の終わりは明日へ
先回りしている

名前を呼んでも黒髪の闇
足首をつかむ蓮華の群れ
いつしか仰向けで見ている空
ちぎれ雲を剥がしても何かある青
空を見ながら作る首飾り
茎を束ねても鳴り出さない午後
鍵の壊れた水防倉庫
錆ついたドアのきしみ
すきまからすきまへ逃げる風の音
首飾りの中
丸い空に
ひとり言のように
走っている傷


夜の水槽

  りす

月明かりの夜だ
水のないプールで自転車を漕ぐ
湿った枯葉の上をゆっくりと回遊する
眠れない夜だ
飛込み台に立つ六本の白い影
かつて泳いだヒト
いずれ泳ぐヒト
水に抱かれた記憶をなくし
前傾
のまま固まって
車輪
カラカラ回って
潜れない夜だ
白い影を順番に
荷台に乗せて遊泳する
矩形 円形 八文字
交代してゆっくりと反復
終わった影から渦になって
排水溝に消えていく
ここは沈めないヒトが浮遊する水槽
地上に落ちた月面
満ち欠けの水脈を辿る二人乗り
冷たいペダルが発動して
明けてしまう夜


勤続

  りす

勤続十年で表彰された
女の子の
深海のような笑顔
頭上から降り注ぐ
「当社への多大なる貢献」は
すりきれたパンプスに踏まれ
窒息している

冬瓜のようなふくらはぎを走る
ストッキングの伝線
辿ってごらん
伝線を道なりに行けば
スカート 群青の丘を越えて
ブラウス アイロン皺を突っ切って
おかっぱ 掻き分けて再会する
「全社員の模範となるべき」
深海のような笑顔

タイムレコーダーのジジッ
ていう音が好きなの
いたずらっぽくウィンクした
永遠に勤続する
女の子


夜の転移

  りす

送電線を渡っていく黒い片肺
夜を濾過するために眠りを捨て
置いてきた片肺を遠い声で呼ぶ
のっそりと玄関から出てくる私
たわんだ電線の間に身動く文字が
震えて声になる唸りを呼吸する
思い出した腰の下が夜を歩きはじめる


バス停 電話ボックス 私
似たような三体の空洞は
似たような三つの夜を迎える
時刻表 電話帳 新鮮な後悔
その近似値に光がさせば
正しく平等な朝がやってくる
それまでは夜の偏った濃度を舐めて
喉を湿らすしかないのだ


鼓動にあわせて手折る鉄塔
硬い先端はすみやかに嗅覚の蕾となり
香ばしい心室を串刺す針となる
シャーレに落ちる予め赤ではない血
私の標本が街に散らばる展覧される
電線をだらり垂らした押し花
枯れないための枯れたふり
仮死
私は理科室を内包して貧しい


欄干に頬を寄せて聴診する
岸と岸が交わす伝心の波
佇む影が残した熱のありか
河を抱いて私を抱かず
水をいつくしむ橋を蹴る蹴り
蹴らなければ
金属は私のように眠らない
金属は私のように甘受しない
軋みながら馴れて離れて
しばらくは人肌になる金属と私


遠く河口をふちどる光の粒
清潔な夢が海に落ちる港
幾千の眠りがのぼりつめて裂け
胸骨の裏側へ出航していく
汽笛が鳴ったか 鳴らなかったか
誰が乗ったか 乗らなかったか
振ったり 振らなかったりする手が
指紋を飼育する手であったと
忘れずに
冷たい欄干に言い含めておけ


輝く痛点を繋ぐ架空線を走り
船は波を潰しながら沖に出る
凪いだ水面に垂らした糸は
深海魚が不意に接吻してくる
懐かしい触りに震えている
深海でひいたルージュは光を借りず
つまり過去を返さない者の唇の強さで
声の門番として発光している
回遊している

  今こそ
  水揚げ 

唇を割って 
何が、
何を、
震わせるのか
私の閉じて尖った唇は
知りたがっている


港の灯が消えれば闇の遊びもない
視線が滲む温度の蓄えも尽きる
河は送電線から溢れた唸りを喰らい
向き合う岸を裂いてたしなめる
背骨に残る肉片のように橋にはりつき
私はあした聞きたい声を橋に刻む
赤く錆びて隆起する声を


A・K  夏の椅子

  りす

子供があんまり見上げるので
座っていた椅子を踏み台に
ちょっと つま先立ち
夏蜜柑 ひとつもいで
白いブラウスの袖できゅっとひと拭き
A・Kは白が好きで
白を汚すのも好きで
「重曹かけて召し上がれ」
ツバキの垣根を越えて
夏蜜柑 ごろり
おっきいねえ
おっきいよ
すっぱいかねえ
すっぱいぞ
ジューソーカケテ メシアガレ

おかーさん、
ジューソーが必要だよ、ジューソー
ほらほら、夏蜜柑
あ、
あーあ、 重曹 ね。 しゅわしゅわ ね。
暗い戸棚の奥から小さな箱
ほんと 見事な夏蜜柑
これが あの、
うん これが あの、


カミキリムシ
蜜柑の枝から飛んで
黒と白が滲みあう硬い羽
カミキリムシ
A・Kの白に止まり 
羽に閉じ込めた あと さき
ブラウスの二の腕をのぼって

A・K
カミキリムシが、

呼びかけてもそよともせず
木を食べて暮らしてきた虫が
もう肩にまで迫って触覚が
白い首筋をくすぐりそうで
触れたなら A・K 笑うといい 
ギシギシと機械の音を鳴いて
ほら、カミキリムシ、侵入して、


A・K
眠って
いるのか。

初夏
夏蜜柑の白い花を無闇に摘んで
椅子の足元に敷きつめて踏んで
その香りたちのぼる
夏を隔離して ひとり
摘めば摘むほど
残された花は大きな実を
と知るまもなく
誰もが仰ぐ果実を
仰がないで
A・K
夏を椅子に仕舞ったまま


A・Kが椅子にいない日
ツバキの垣根を越えて
重曹の箱をポケットに
椅子を踏み台にして
ちょっと つま先立ち
届かない 
子供は
もう少し背伸び
椅子はよろめき
できない
夏蜜柑
届かない
A・K
夏の高さ


モモンガの帰郷のために

  りす

モモンガが森に帰る朝
謝るとは何を捨てることなのか
すまない。
わたしはモモンガにそう言ったのかもしれない
なぜ、謝る?
家内が君のことをずっとムササビと呼んで、
いいんだ、慣れてる


レガシーのサイドミラーに自分を映し
女生徒のように丹念に毛づくろいしている
長旅になるのだろう
モモンガは鏡が好きだ
モモンガは断言する
これが人間から学んだ唯一のことだ、と


餞別のつもりで
三日分のバナナチップスを渡そうとした
モモンガは現地調達で行くから心配するなと呟き
振り向きもせず毛並みを整える
長い距離を飛ぶのは久しぶりなんだ
そう言って薄い飛膜を朝陽に透かす
きれいだな、とわたしは言ったが
モモンガは相変わらず
きれい という言葉を理解しない
わたしは 現地 とはどこだろうと
気になったが尋ねなかった


たとえば、とモモンガは言う
例えば、あの人はムササビをなんて呼ぶと思う?
ムササビはムササビと呼ぶだろう
そこには モモンガ が抜け落ちている
まちがい、ではないんだ
ただ 抜け落ちているだけだ
あの人を責めてはいけない


コンクリートジャングル という言葉を
わたしは初めて理解した
電柱を飛び移るという行為を
わたしは想像したことがなかった
想像する前に実行する生き物もある

電柱を飛び移るとは
繁った枝に飛び移るような
曖昧な着地を許さない
モモンガはここ数ヶ月 猛練習をしていた
モモンガの目撃情報が
朝日新聞の夕刊にのったのはその頃だ
「大都会でたくましく生きるモモンガ君」
そんな見出しだった
「君」をつければ誰でも仲間になるのかい?
モモンガは皮肉も上手かった


飛ぶことよりも着地が難しいんだ、モモンガは言う
友人のANAのパイロットも同じことを言っていた
教訓のような 常識のような
モモンガの言葉は いつもそんな印象だ


妻がパジャマのまま庭に出てきて
あら、どっか行くの? と尋ねる
モモンガに言ったのか わたしに言ったのか
判然としないうちに
どっか行くなら、ついでに燃えないゴミ出してきて、と言う
妻が差し出す半透明ゴミ袋に わたしが手をかけると
いいよ、俺が持っていくから、とモモンガが奪いとる
すまない、わたしはまた謝る
いいんだ、慣れてる

モモンガはひょいと物干し竿に飛びのると
手足を伸ばし 飛膜をいっぱいに広げ
一番近い電柱に飛び移る
ムササビってお利口さんね、と妻が微笑む
そうだな、わたしは相槌を打つ
ゴミ袋をぶら下げて 
モモンガが電柱から電柱へと遠ざかる
せめて ゴミ袋ではなく バナナチップスを
持たせてあげたかった
いつも何か抜け落ちている
謝るとは何を捨てることなのか
すまない、モモンガ。


たべもの

  りす

ベイビーは寒天のなりすまし
プルプルふるえながら
五月のベランダに這い出して
毛布の毛羽立ちをつまんで 
ホイップのようにツンと立つ
空を見上げる
くしゃみでそう、くしゅん
春風にのって綿毛の精神で飛ばされて
鯉のぼりをくぐって 戦闘を組織する
血は流れなかったよ
ベランダの洗濯物に憑依してお茶の間へ
テレビの中は自然体な戦場で
兵隊は整列してテレビを見ている
ベイビーは整列して母を見ている
おかーさん、
エプロンに透明な血が、
大丈夫、
角砂糖なめて、生き残ろう


井戸の中で破裂した爆弾の話
知らない生き物がうようよ出てきて
眼鏡をはずせば たべもの に見えた
とりあえず捕まえてリアカーにのせて
姉さんが手拭いで首を絞めて殺めて
縁側にぶらさげて乾かして
ご飯にのせて食べたり
おつゆにして飲んだり
着物と交換したりして 一家団欒
たべもの とっても おいしかったよ
またいつか井戸に
爆弾が落ちるといいね


わしゃわしゃ
沢山のベイビー
わしゃわしゃ
沢山のおかーさん
わしゃわしゃ
ああ、こぼしちゃった
キッチンペーパーがベイビーを吸って
おかーさんがベイビーを流しで絞って
低温殺菌だから 死なない
燃やせないイノチに分類されます

急に雨が降り出して
おかーさんはブツブツ言いながら
五月のベランダに走り出して
洗濯物をフランスパンのように抱く
空を見上げる
するすると鯉のぼりが降りて
ベイビーがベランダに整列して敬礼する
おかーさんがフランスパンを構えて
鯉のぼりの口に砲撃する
やっぱり 血は流れなかったよ


刃こぼれさん

  三井 晶

夜光虫が満ち寄せて 青く燃えている海に
泳ぎだしていく、私たち
夜ごと よくわからない用事で 呼び出されて
堤防に整列して 背中を押され
私たち、泳ぎだしていく


私たち、服を脱がない
みんな同じ服を着ているから、脱がない
私たち、魚じゃないから
私たち、息継ぎするから


刃こぼれさん、に会っておいで
背中を押すひとたちはそう言って
光る海を指さす
片方の手は、もう
私たちの背中にまわって
やさしく 刃こぼれさん、と言って


刃こぼれさん、は 脱がすひと
服と体のあいだに滑り込んで
内側から ボタンをゆるめて はずして
アァ、スッパダカダネ、ワタシタチ
ウン、スッパダカサ、ワタシタチ
ヒカッテルネ、キラキラ、ヒカッテルネ、
ヒカッタラ、ツギ、キエルンジャ、 ナイノ?


私たち、魚じゃないから
私たち、息継ぎするから
帰れるね、帰れちゃうね
刃こぼれさん、私たち
だいぶ薄くなってきたみたい
あしたもまた来るよ


悪い癖

  三井 晶

バレッタを置き忘れる 悪い癖
髪が重たいので ワイパーを苛める 
長いバイパスと長い午後
ハナミズキの並木道が
ピアノの練習曲のように
終わりそうで 終わらない
悪い癖のように 息ばかり長くて
たぶん私 道に迷う


このあたりは確か
野蛮人がベランダから
小鳥をポトリと落としては微笑む
瀟洒な住宅街
子供たちは通学路で
小鳥を拾い 
少し食べて
少し残して
禁じられた部位を
家に持ち帰るので
美しい物語はいつも
この街の勉強部屋から生まれる

野蛮人がそっと覗くたびに小鳥が
小鳥と呼ぶには大きすぎる嘴で
子供をもてあそんでいるので
その様子を描写して記憶に留め
行き過ぎる前に小鳥を
廃棄するのが野蛮人の
古くからの習慣だった
確か そんな
習慣だった


髪が重たい
たぶん私 道に迷う
バレッタを拾った人
それが何を留める道具なのか
想像もつかない
そんなことがあったら
家に持ち帰って小鳥の
細い首をバレッタで
束ねてみてください
子供が寝ている 夜のあいだに


檻空

  三井 晶

飼育係に体を洗ってもらった日
私たちには 体を乾かすための
高さが必要だった


私たち
協力して 
尖った爪を
剥がし合い
屋上からぱらぱらと
落としはじめてまもなく
帰りがけの飼育係に見つかり
隠し切れない桃色の部分を見られ
途方もなく下品に笑ってもらったので
夕暮れには少し 楽になって
髪の毛を落とす
準備もできた


遠くで放課の鐘が鳴る
今日も手ぶらで吊り下がる
私たちの不様を
見咎めても 許してほしい
今日も私たち 無血だった
まだ洗いたての 肌色だった
体の中に風を走らせる
合図を待っているので
もう少し高さを
保ったままにする


飼育係は私たちが剥がした爪を
小さな瓶に詰めて
生活のために売っている
桜貝のように
指先で潰れる感じが良くて
手ぶらでは帰れない
心ある人たちが
貨幣と引き換えに
お土産にして
誰かに与え
誰かが喜ぶ
ここまでなら まだ
誰も憎まれてはいない


口寂しいからといって昔話する
湿った唇が塞がるように
指を一本貸しましょうか
関節の可動があなたに
優しいでしょう
爪のない桃色があなたに
美味しいでしょう
今日は私たちが暴れますから
あなたは離れでいい?
髪の毛は退けておきますから
ああ、その前に
性的な郵便物を
飼育係に預けて
明日投函してもらうと
良いでしょう

文学極道

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