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鈴川夕伽莉 - 2005年分

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ミドリンガル

  鈴川夕伽莉

(一)

窓の外には隣のアパートの
野ざらしの階段です。
寝静まる闇の囁くような轟音の
出所は隣の地下のライヴハウスです。
この街のちょっと有名な場所だと知ったのは
引っ越してきて数ヶ月の過ぎる頃でした。

半年に一度くらいは両親が訪れます。
休みの取れないわたしはほとんど相手をせず
両親は平安神宮やら北野天満宮やら
散策に出掛けては
さくらんぼ(左近の桜から落ちた)やら
梅の枝(道真公の梅園に落ちていた)やら
拾い集めては得意げに示します。
それらは国道四十一号線沿いの名もない里に運ばれ
うららかな風で呼吸するうちに
ひょっこり若い芽を吹いたりするのです。

おまえも、みどりがないのは寂しいに違いない。

そういって両親が持ち込んだのは
ポトスの鉢植えです。
両親が手塩にかけたものでなく
そこらのホームセンターの安売り品だったので
わたしは安心しました。

冗談じゃない、やっとみどりから逃れられたのに。



(二)

小学生の頃、クラスでめだかを飼っていました。
理科の授業の一環でしたので、水槽の掃除係は特に決まっておらず
そのうちものぐさなこども達によって放置されました。
ある日、ガラスに粘液にくるまれた卵がへばりついていました。
わたし達はそれらがめだかの卵であると信じてスケッチをしましたが
本当はめだかをさしおいて繁殖したタニシの卵でした。
それに気付いたわたし達は、水槽の掃除をしました。
そしてタニシをひとつひとつつまみあげ、
全部ベランダに叩き潰したのでした。

こまかい藍藻類の増殖も観察されました。
いわば水槽の雑草と言えますが、
それらは水中の酸素を奪うことで
水槽の動物の生存を脅かすのだそうです。

タニシを殺した空は雲ひとつありません。
地上は水の底であるべきなのかも知れません。
藍藻類の萌える。



(三)

こころは階段を踏み外し
ボタンを掛け違え。
段差に潜むくろぐろとした穴は
日に日に膨らみます。
ラピュタが来るのを待つため
空を見上げます。

北向きの窓の外には先ず水田
国道四十一号線のノイズ
以外の音をほとんど奪われて
隣の屋根とふたつ隣の民家
を越えたら山が連なって
まるで水槽の淵のように見えます。
切り取られ水面となって揺れる
青さに足許を掬われるのですが
実際のところ満足に
飛ぶことも出来ません。

ラピュタが来ないのなら
水槽の淵で死にたい。
蔦に絡まれ苔に侵され
土に埋もれたい。
最終的にきれいな空気になれれば
風も呼べましょう。



(四)

  窓の外の薄っぺらい鉄製階段を
  蟻ん子のように行ったり来たり
  せわしない足音が続きます。
  向かいのアパートの住人が
  引越しをするようです。

  遮光カーテンの外はどうやら
  うららかな日曜日。
  光合成に勤しみたいところですが
  この部屋の住人は
  私に水もくれずほっぽり出したまま
  朝も早よから仕事に出たきりです。

  ペパーミントの亡骸が
  やはり放置状態で
  私の隣にあります。
  彼女の父親が性懲りもなく
  また鉢植えを持ち込んだのですが
  私のような虐待に強い植物でなければ
  この部屋に棲息するのは難しいでしょう。

  彼女は自分の部屋を満足に掃除する
  余裕もありません。
  私のみどり色は
  彼女のささくれ立った神経を
  逆撫でするようです。


  ああ おまえはまだ いきているのだね。

  或いは

  ああ おまえはまだ いきていてくれるのか。


  彼女は帰宅してもこころの休め方を知らず
  張り詰めたまま暫く放心し
  突然折れるように眠りに就くのです。


  ああ きょうも みずをやらなかったね。
  ざんこくな わたしなど しんでしまえばよい。

  或いは

  ああ きょうも みずなどやるものか。
  そのまま いつまで いきていられるか。


  アートの窓の外が空に通じないのは
  彼女にとっては幸いなことでした。
  たとえ住人が引越してしまっても
  ただの空き家でも
  そこがみどりでなければ良いのです。

  取り敢えず今日は生きてみようかと
  思えるらしいのです。


剥製

  鈴川夕伽莉

うさぎの体表から柴が覗いている
短くて白い毛に混ざってびっしりと
柴箒だかタワシだかに似て

「どうしてですか」と問うても
うさぎは小馬鹿にするように
充血した瞳を光らすだけでした

昼には弟が帰ってきました
うさぎと話せるのは彼だけだというのに
奴隷のように押し黙り草刈るばかりです


夜になればきょうだいで肩を寄せ合い
裏の離れに寝ます
妹がようやく闇から帰ります

めずらしく「独りでは眠れない」と
重く伸び過ぎたマッシュルームボブに涙を滲ませる
私は落ち着くまでと抱き締めるのですが

彼女は一晩中叫び続けました
あああああああああ波が 来るんだよ
あああああああああみんな 死ぬんだよ

妹を抱く手に力を入れるほど
弟が怪訝な顔をしてこちらを睨みます
眠れないのはそいつだけじゃないんだ


私の念仏は子守唄でした
教えてくれた人はかつてこの家に居たのか
それとも認識自体が幻であるのか


潮騒の音で目を覚ますのでした
昨日まで田園風景の広がっていた
離れのぐるりを海が囲みます

黒潮だから黒い水なのだね
むこうの岩壁に打ち寄せては牙のように高く
波を躍らせ砕き散らすのです

それは当然の如くにこちらまで押し寄せ
昨日耕した畑もうさぎの食糧も離れの古びた畳も
ざらりと嘗めて向こうの用水路まで流れ込む

本当だね
あれだけ耕した畑も明日までに干乾びて
塩が噴出してしまうのだろうねえ


ふたたび昼が訪れると
うさぎの柴の謎が解けました
彼はずるりと脱皮をしたのです

柴が骨の役割をするので
即座に立派な剥製が
出来上がるのでした


雨の日

  鈴川夕伽莉


空の大きなバケツがひっくり返ったら
広いはずの世界も一度に水浸し
神様の大きな腕によって
洗い流されるべきものについて

あなたは数え上げるだけ無駄だと笑うけれども

雨が洗い流せるのは
せいぜい側溝に逃げ込んだ落ち葉くらいのもの
それすら鬱積すれば
水の流れを堰き止めるだろうと

あなたは傘を投げ出して行こうとするけれども

こんな日は偉大な循環について
考えるべきだと思うの
つまり
決して乾くことのない戦場から
せめて血液の匂いを洗ってやれないかと
バケツはひっくり返るが
水は一般市民の遺体で目詰まりした街から
流れることが出来ず
神様は次の手を打つ
わざとらしく雲を蹴散らして
血液もろとも蒸発させるわけ

それらを
少しも傷つかないふりをしている
街の空に降らす
つまり
平和ボケしたから次は戦争がしたいと
望んでいる人の需要を満たせないものかと

あなたの

口を開けて歩く癖が
直らなければいいと思っている


鯨幕

  鈴川夕伽莉

「お亡くなり」って
何で彼女の名前の枕詞なの?
同窓会のメーリングリストが
数年ぶりに来たと思ったら

翌日久しぶりの0番ホームに立つ
背後で訛った少女達がはしゃぎ
あの町の数年前まで引きずり戻される

一時間ちょっとで視界を奪われる
雪雪
雪雪雪
家家は肩を寄せ合い
それぞれの灯火にはそれぞれの命が
互いの距離感について
安堵なり憎悪なりを蓄積させている
のだろうか

吹雪の駅前ロータリーにて
シルバーのPOLOが辛うじて点灯
友達だ(この子は生きている)
こんなことでもなければ
三年だって五年だって会わないところだった

まずコンビニに寄る
ふたりともストッキングが伝線

今日ほど「久しぶり」という事実を
有難いと思う日はないだろう
「懐かしい」話題には事欠かないからね
でも到着すれば
こんなところに葬儀場あったんだねえって
そこだけ私達の世界は一新されたのだ

黒服の集団は同級生達
案内ありがとう
そうか私達の服装だってこの場にぴったりだ

ところで彼女に会いに来たのだよ
それなのに何故白粉なんかしてる?
普段彼女は化粧なんかしなかった筈だよ

あんたは彼女じゃない

とても冥福なんて祈れやしない日だ
明日も仕事だからもうお暇します

会話の中で同級生の名前を取り違えた
教授の名前を忘れていた
記憶は建て増しを放棄されるジェンガ
彼女については「死んでしまった」という
未確認の事実のみによって
辛うじて遺棄を逃れたというのか
友達にさようならを言う
駅前ロータリー
「ゆかりは変わっていないみたいで良かった」
そんな風に言わないでよ

老朽列車はふたたび夜を裂く
こんな時間だから家家の灯火まばらで
眠っているだけなのか誰も居ないのか
これが最終便だからもう確認出来ない


「架空」 #2

  鈴川夕伽莉

両親にマッサージチェアを贈った
家電屋が無料で配送してくれた
父母からのメールはひとしきり喜びを伝えたあと
「そういえば○○郡はもうないのだよ
これから間違えないように」と結ばれた

私が町を離れて7年目か8年目かに
○○郡は地図の上から姿を消したのだった
そういえば
今はわりと有名な温泉街の市名で呼ばれているのだが

私の中には
そんな場所で育った記憶は
ひとつも見つからない

変わってゆくものがあるとするならば
それは町そのものではない私自身だろう
両親は名前が変わっても
たいして中身の変わらないことを知っている
私にしてみれば
ふたたび住むことのないであろう町が
架空に飛んだらしい
おそらく

○○郡は
そう呼ぶ人間の居なくなってから
もと○○郡であった山間の空に
ラピュタのようにずしんと浮いている

ふたつの川がひとつに流れる橋のたもとには
夕暮れがまっさきに山の影を落とし
どこよりも早い夜が訪れる
今度町に帰る時があれば
ひんやりと蔦の這う道のりを
久しぶりに自転車で渡ろう
夜の中からむこうの夕方が
焼けていくのを眺め
その最後の吐息を聞き逃さなければ

スクール水着で川に浸かる私が
真っ黒な顔をきらきらさせながら
ラピュタの上から手を振るのに気付く

文学極道

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