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丘 光平 - 2005年分

選出作品 (投稿日時順 / 全30作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


回帰

  丘光平

窓の向こう
初春の風
花、緑、そして虫たちが
ざわざわ ざわざわ
わたくしへ流れてくる

あなたは
わたくしの蕎麦の枕で
音もなく
眠っている

あなたの素朴な肉体は
いつも
ひんやりとして
その引締まった肉体は
陽光の陰に照らされ
すこしずつ
固まってゆく

阿呆なわたくしと結ばれたばかりに
つましい暮らしは
あなたの肌に爪を立て
そっと触れたい
あなたのふくよかな肉体は
遠く
どこか 遠く
わたくしから見えないところへ帰り着いた

窓の向こう
初春の風
花、緑、そして虫たちが
ざわざわ ざわざわ
わたくしへ流れてくる

わたくしの無骨な掌から
この世の中で
一等うつくしい
砂流が
はらはらと
はらはらと降り積もってゆく

たとえば
あなたが
わたくしの母
あるいは 敵になったとしても
あなたが生きて
此処にいる
ただ
それだけで
わたくしは大地をぐっと踏みしめる
ぐっと踏みしめる

ああ
なれども
春は塩辛く

あなたは
わたくしの蕎麦の枕で
音もなく
眠っている

あなたの許しは
わたくしをちりぢりに
ちりぢりにとかしてしまいそうで
笑っていたい
その僅かなこころの傾きだけが
なにものか
高鳴るものへと
わたくしを向かわせてゆく


冬の詩人

  丘光平

街はゆうぐれ、息はつめたく
ふれあうものみな悲しいけれど
かなしいけれども
こころ引きよせるほのかな明るみに
女は
黒髪にその若さをしめらせ
いくたばの淡い詩集をたずさえながら
じっと
ありたけの想いはしずかに
病をひめた都会びとへ
おしみなく
生をささげる、真白なおまえの手のひら
その手のひらに
ただ
風はたわむれ、息もつめたく
ふれあうものみな切ないけれど
せつないけれども
なにものか想い高鳴るかすかな願いに
ひとびとは
ちらとむくいる刹那もしのんで
沈黙の背なをわすれがたみに
影、遠く
日々の暮らしへゆきすぎるのみ。
ああ冬の詩人よ
そのこまかにふるえる桃のくちびるは
あまりにたよりなく、そして
はかなげで
なげきの胸にゆらゆらと咲く
うすむらさきの花。

今宵、この街に雪は降るのだろう
あの手のひらに雪は降るのだろう
しんしんと しんしんと


垂直

  丘 光平

行って来ます


新たな
一日分の死を計りにかけると
私の朝は昇る



午前

世界の路上で
小猫は息を絶える
そのために
車は道路を走るのだ

私はおまえたちの文明を知っている
その文明の血は私にさえ流れている
見よ
われわれには
まだ 歩むべき足がない
われわれの足には摩擦がない


ただ
無実の死が
地球を赤く湿らせるとき
世界の中心は
おまえたちの文明を恥とはしない
私の無抵抗こそ恥とするのだ

そのとき
私は垂直する
恥もなく
死に触れたものとして


さあ
おまえたちが気に入らないのなら
ベルトコンベアーで運ぶといい
私の遺体を
このやっかいな不燃物を
垂直のまま
路上に突き刺しておけ



午後

世界の病室で
被害者は息を絶える
そのために
監獄のベッドは増えるのだ

私はおまえたちの法律を知っている
その法律の血は私にさえ流れている
見よ
われわれには
まだ 学ぶべき心がない
われわれの心には角度がない


ただ
無情の死が
地球を赤く湿らせるとき
世界の中心は
おまえたちの法律を責めはしない
私の無秩序こそ責めているのだ

そのとき
私は垂直する
責めもなく
死を汚すものとして


さあ
おまえたちの邪魔になるのなら
法廷から叩き出すといい
私の遺体を
このやっかいな不信物を
垂直のまま
病室に
突き刺しておけ



夕刻

世界の戦場で
民間人は息を絶える
そのために
兵士は靴を磨くのだ

私はおまえたちの平和を知っている
その平和の血は私にさえ流れている
見よ
われわれには
まだ 立つべき大地がない
われわれの大地には重心がない


ただ
無数の死が
地球を赤く湿らせるとき
世界の中心は
おまえたちの平和を咎めはしない
私の無邪気こそ咎めているのだ

そのとき
私は垂直する
咎めもなく
死を語るものとして


さあ
おまえたちの足手まといなら
手足を縛りつけるといい
私の遺体を
このやっかいな不純物を
垂直のまま
戦場に
突き刺しておけ



零時

低温な
一日分の死を計りからおろすと
私の夜は沈む


お帰りなさい


その
赤い瞳へ
世界の暗殺者は帰ってくる


乳房

  丘 光平

眠れなくて
台所の電気をつけると
女の乳房が転がっていた

そっとつまみあげ
くんくん匂いを嗅ぎ
その化石のような黄いろにかじりつき

歯形から
血のようなものがにじんでくる

とりあえず
冷凍室へ突っこみ
もう一回、奥へと仕舞いこむ

あれは、これから
かりかりに凍ってゆくのだ

僕は
赤い舌をうずくにまかせ
壁際に
少し傾く


窓辺の椅子

  丘 光平

扉を開けて
そっと 足を踏み入れる
次の瞬間
厚みのある匂いが鼻孔にからみつく

夏は夕暮れ

窓辺の
白い椅子に
蝉のような生きものが座っている
その 
爪ばかりがきりきりと伸びた指さきは
たまらず 求めてしまう


光 それは
まだ 家に帰りたくはない子供たちの頬を
薔薇色に染めてゆくのだろう


喉を枯らした僕は
生ぬるいソーダ水を飲み
外から窓を覗いていたことを
ふと 
思い出す

夏の終わり

椅子は 
音もなく 倒れている
夕焼けの窓辺に


  丘 光平


女は 
壁をみつめている


壁の中央に
黒の焦点がある
それは
僕の目に届かない声
僕の耳に写らない映像


いま
彼女は
流れるものが流れるようにごく自然に  
落ちるものが落ちるようにごく自然に
人間を辞める



僕は
歩いてゆく
彼女の
街へ
その街で 僕という体温は
現実と世界と事件という細切れの記号にさえならない
ただ
彼女が始まると
僕は終わる
僕が終わると
彼女は生まれる
彼女が生まれると
僕は帰ってくる
それは
回帰 あるいは始原
彼女と僕との輪廻の断崖ぎりぎりに
壁はある



女は 
壁をみつめている


壁の中央に
白の焦点がある
それは
僕の目に届く声
僕の耳に写る映像


いま
彼女は
人間を辞めることによって
人間を辞めることの出来ない
僕に
直接 触れる



彼女は
歩いてゆく
僕の
街から
その街で 僕という匂いは
虚妄と社会と偶然という細切れの記号にすぎない
ただ
僕が始まると
彼女は終わる
彼女が終わると
僕は生まれる
僕が生まれると
彼女は帰ってくる
それは
記憶 あるいは螺旋
僕と彼女との輪廻の断崖ぎりぎりに
壁はある

 

女は
壁をみつめている


その
壁の中央に
全ての焦点がある


ふと
僕の街に
レモンの酢えた香りが流れた


午後三時

彼女と僕は 
美しく
敵となる


椅子

  丘 光平

椅子が 倒れている


椅子は
なぜ倒れたのか僕は知らない
なぜ倒れたままなのかを僕は感じる
ただ
僕には椅子に触れるべき手がない
僕の手には重さがない


声が
聞こえてくる
僕の中へ
都市の
極寒から
極寒の
荒野から
荒野の
戦場から
その空へ
両手を突き伸ばす子供たちの枯れ木
この無数の枯れ木でさえ森と呼ぶ世界
まだ僕らがなんとか呼吸している世界
その焦点に


椅子が 倒れている


それは
主人を持たない椅子
倒れたままの椅子
ただ
僕には椅子に触れるべき手がない
僕の手には温度がない


枯れ木

  丘 光平

 高まりをなだめて
 冷却するその瞬間にさえ
 次なる波が襲いかかる封じがたい焦燥が
 まだ、おまえには隠されている

 冬空へと向かう
 その無数の触手は
 大気のいっさいの水分を吸収する渇きだ

 おまへの体内に流れている
 その理性はあまりに真っ直ぐで
 その感情はとても痛々しいけれども
 なぜか晴々と語りかけるその姿に
 おれは立ち止まり、嫉妬してしまう

 枯れ木よ
 見捨てられた悲しいものよ

 おまえの新たな産声を聞かせるといい
 たくましい命を見せつけるといい
 この軟弱な耳と目に、この枯れたこころへ


部屋と桃の実と彼女

  丘 光平


桃の実はふっくらと赤らみ
繊細な綿毛にくるまれ
桃の実をもつそのちいさな手のために
真白のテーブルクロスはある
いつになく
銀いろのナイフはものしずかに
かべの絵ざらはそっと耳をすませ
窓の光やわらかな
日曜日の魔法をかけられて
部屋と桃の実と彼女は待っていた
あのひとがやって来るのを
新しいうすももの洋服には
水玉のりぼんがむすばれ
その中央に赤いばらが凛と咲いている
彼女は時計をみないふりをして
そのひとさし指は桃の実をくるくると
くるくる くるくるといつまでも
窓の光やわらかな
日曜日の魔法をかけられて
部屋と桃の実と彼女は待っていた
あの青年画家がやって来るのを


合い席の女

  丘 光平

   その
   無意味な手は
   女の無意味な口へ
   もはや
   名前のない
   魚のようなものを放りこむ
   その魚のようなものには表面が見当たらない
   それでも
   表面のないものは止まることを知らないのだ
   なるほど
   はっきりとした形ではないけれども
   女のなかで
   いろいろなものになりながら
   暗がりの細道に押し合いへし合い
   あの
   いたっん落ちてしまえば最期の
   深い
   井戸へ

   ああ、
   影を取りもどす他になにがあるだろうか
   彼女はいま
   うっすらと
   笑う


風の吹くまに

  丘 光平


   冬の暁
   風の
   吹くまに 

   枯れ木が
   六時五分で
   止まっている

   封じられた
   おまえの
   呼吸に
   まだ 熱はあるか

   その
   熱に秘められた
   おまえの
   花と緑 そして 
   ことばも
   たかが詩人のおれにさえ
   奪われてしまう 

   ああ
   枯れ木よ

   封じられた
   おまえの
   呼吸に
   まだ 熱はあるか

   おれは 
   凛と 
   襟を正し
   明るみの東へ
   急いでいた


冬の蝶

  丘 光平

  一筋の光陰のなかへ
  去ってゆく 
  北のバスの後ろすがたは 
  どこか さびしい
  男の背なに似ていた

  今宵
  月の鏡をあおげば   
  白冴えの雪の花房が
  さくさくと舞いおちる この
  道は 
  名も知らぬ人びとの歩いた道 それは
  湖へ 
  遠い湖へと
  名も知れぬ私を届けてくれるだろうか 
  それとも 
  望んではならぬものを望んでしまった
  孤高のひとのように ただ
  胸に抱く一葉の
  湖の底に
  はかなく沈んでしまえるだろうか

  浅く開けた不眠の目
  そっと 深くとじてやれば
  黒の瞳があらわれ

   膝をおり 
   すこしうつむき
   手のひらにすくい 
   髪をとかし
   口ずさみ

  やわらかな呼吸の脚韻は
  頑なの心にさえ触れてしまう ああ

  匂い立つ
  りんごの香よ 
  その赤紫の香に引き寄せられ
  いとしさとくやしさの
  螺旋のように織り流れてゆく この
  道の
  奥へ ずっと奥へと
  音もなく深まりゆく 
  雪けむりに包み込まれていた

  湖よ 私だけに許された 
  藍の面に
  こまかに広まる波紋のひとつひとつが
  幾重にも淡い影をなし
  雪が凍える肩へ
  とけゆくほどに もはや 
  ふたつにひび割れることのない
  湖よ この失われてゆく私の
  枯れおちた左側から いま
 
  あの
  みずみずしい月の白い炎へ
  ひとひらの冬の蝶が
  旅立つ


真昼の月

  丘 光平


   八月半ばの
   真新しい朝と光と
   肉体
   その星の決まっていたものは
   もう汗をかくことはない
   それは過去という名の夜 あるいは
   地下の闇 私の位置からする
   時と空の喪失であるが
   もしかすると
   彼の向きからは
   こちらがよく見えるのかもしれない
   おそらく彼の瞳の白に
   境界線が映っている
   その境界線に 一本の枯れ木
   それはかつて呼吸と感情を持っていたが
   その皮膚をむしりとられたものは
   ふりむかない


     蝉が鳴いている
     蝉が鳴いている
     蝉と私はどこで別れたのか 


   蝉の命は
   七年と一週間 そのあいだ
   私の細胞はまた生まれ変わるという
   この生成と腐敗の焦点に
   針がある
   針一本通さない
   夏の膨張をきみは知っているか
   それはひとつの声
   針千本に焼かれた声
   さびしい匂いだ 冬にも等しい
   収縮への郷愁にさえ放棄された
   声 そこから蝉は 
   私へ帰ってくる
   ただ その声の主にはどこにも
   顔がない


     小雨が降っていた
     小雨が降っていた
 

   雨に浄化された夏空は
   子供のようにひどく美しい
   骨の焼けるあいだ
   私は独り
   まだ湿りのある広場で煙草をやっていた
   ふと 気がつけば
   羽虫がベンチの隣に座っている
   その青みの羽と透明の羽とが
   触れたり触れなかったりする
   汗の息遣いを感じたのか
   親子は
   羽音の静寂を残し
   並木道の明るみの向こうへ消えた 


     道はどこへ続いているのだろう
 

   私が振り返ると そこに
   名も知らぬ緑豊かな樹木の梢
   くゆれる白けむりの先にぼんやりと浮かぶ
   真昼の月をみた


 坂

  丘 光平

   坂をあるいた
   坂をあるいては休みまたあるいた

   途中
   名のない大きな木がある
   木のなかにおじいさんはいなかった

   少年のころ
   アカアシクワガタをつかまえた 
   翌朝
   クワガタのなかにいのちはいなかった

   なくなるものはいつもそこにあって
   見ることは罪になった
   見ないのはもっと罪になった

   空に正しさをもとめた
   天の海はつめたく波と波にあらわれ
   白は点々としたたかに
   母となる父となる

   ああ流れてゆくもの流れてゆかないもの
   風と雲と私と

   ひとつ ふたつ くしゃみをした
   冬のすこし向こうがわ
   いつかのおとこの子がいてこちらを向き
   かなしそうにわらった
   さようならとわらって

   坂をあるいた
   坂をあるいては休みまたあるいていた


静物 ― nature morte ―

  丘 光平

   
  たとえば
  六月の深夜の片隅
  大皿に横たわる果実の類
  あざやかな
  月光に磨きをかけられて
  彼らはつぎつぎと覚醒する
  それぞれ互いに
  噛みつき足りないのか 
  新たな交配に燃えつきるか
  飼い放たれた歌声は
  惜しみなく部屋中を駆け巡る
  ただ
  部屋の黒い中枢で
  さようならは一糸乱れず
  無造作に
  壁の磔となっていた
  白いブラウスの袖がすこし
  焦げている


砂浜

  丘 光平

  きっとなにかを置き忘れた気がして
  まだそこにあるかもしれないと
  砂浜へ

  砂浜に
  白日の私がいくつも焼きついている
  焼きついたままのそれらを踏み越え
  探して諦めてまた探して

  紺青の岩陰はるか
  ぼんやりと赤らむ時と空の境界
  あちら側の砂浜で
  だれかの気配が目を細めている

  そのひとの背なは鮮やかに透け
  その透けた背なの向こうへ
  私の知らない海が広がってゆき

  ふと
  一握りの砂をつかみ指し示すと
  夕映えと砂音の間にそのひとは消え

  低温な潮騒とともに
  もう二度と聞くことのない息遣いが
  すこし遅れて私を通り抜け

  影と風の間で私は
  ただ 頷くよりなかった


ヒロシマ

  丘 光平

   朝
   風は白いハンカチのようにゆれ
   ワタシの空は
   さよならといった

   張りさける悲鳴とともに
   熱と波の
   おおきな花火は
   かなしみを生むかなしみの花火は
   降りくだった


    そこから先をああワタシは覚えていない

   覚えているのは
   母たちは手を振っていたこと
   男たちは汗をながしていたこと
   こどもたちは
   目をこすりながら
   手のひらを帰りを待つはずだったこと


   ごらん
   陽は
   昇ることも落ちることもやめ
   ひとはひとであることを失い
   おんなじ色の形の影絵になってしまったよ

   ごらん
   涙を血をいのちを流すことさえゆるされず一瞬に焼かれた
   いくつもの
   いくつもの影絵に浮かぶ
   蛍を
   蛍たちの声なき灯火は紅の川になり
   川は川のなかに沈んでいったよ



    ワタシはそれらが
    昨日のようであり何十年も前のような気がする

   変わらないのは
   いまもなお
   母たちは手を振っていること
   男たちは汗をながしていること
   こどもたちは
   目をこすりながら
   手のひらを帰りを待っていること


氷塊

  丘 光平


   夏は夏になるのをやめようとする
   蝉が蝉の音をどこかへ置き去りにしたのか
   足元から広まってゆく冬は答えた
   ぼくの中の雪を降らす雪のせいだろうと

   陽にけむる
   あの真昼の月に触れたい
   空と空のあいだに立ちつくしているのは
   氷の鳥の群れ

   背後をとなりを目の前を
   悲しく溶けてゆく
   川になり雨になり水になったひとは教えてくれた
   地図に載らない海があると

   泳いでも泳いでもたどりつかない
   永遠と一日の地平線
   そこからぼくはまだ許されないのだろう
   夏のない氷塊のようにこの夜の果てで


垂直のトルソー

  丘 光平


   振り向けば死ぬだろう

   鏡の
   奥の奥から
   山と溢れる 壁

   壁の
   木乃伊たちは
   眉尻を上げている

   手当たり次第 
   女を広げマントに羽織り
   十一階を突き破り
   勢い駆け上がる

   おおブランコ
   白いブランコ
   おまえは今日も遠すぎる

   やや遅れて
   大地へ帰る垂直のトルソー

   降りくだる冬は
   青苦く
   アーモンドしている


冬のくじら

  丘 光平


   知っている
   朝を焼く音を あれは
   鳥たちの羽ばたき

   そして
   気づいている 
   羽を貫く冬を それがきみの
   最も正しい姿勢だ


     *


   屋根に降り積もる 雪
   私の中に降り続く 雪

   ならば
   雪に願いを立て
   雨と流れてゆけ


    *


   いたるところ
   息のけがれた雨はある
   息を枯らした川がある

   北行きの風に
   海のありかを尋ねたなら
   潮は来るだろう

    おお らおお らあ
    おお らおお らあ

   私はくじらだ
   波を伝ってゆけ


     *


   かつて
   海に閉じ込めた 母
   母を迎え入れた 海

   くじらは鳴いた
   救い出したなら
   帰ってよいのかと

   海はこたえた
   星たちとの語らいに
   陸の言葉はいらないと


     *


   時の頂きを泳ぎ
   星の海に羽ばたくものは 
   ふりむかない

   冬の最果て
   夜よ 
   白く咲いてゆけ


  丘 光平

                       いくつもの小さな
                       窓がささやかに灯
                       っていたいくつか
                       の小さな窓にかな
                       しみが灯っていた

         海ほどに深い月夜
         時はしんしんと降
         り積もる私はまる 
         で尋ね人のように
         中空を漂っていた

                  いずれ手ばなさな
                  ければいけないこ
                  の風景こそ物言わ
                  ぬものたちの詩あ
                  るいは沈黙の音楽

天に美しく吊るさ
れてるあの四人の
坊やたちはきっと
神さまと私の孤児
なのかもしれない

                     彼らの失った視界
                     が左右どちらかは
                     知らないただそれ
                     がどうして片眼な
                     のかを私は感じる

           いくつかの小さな
           窓がささやかに灯
           っていたいくつも
           の小さな窓にかな
           しみが灯っていた


一グラムの夜

  丘 光平

 紅茶の午後は
 ひとさじのブランデーと一枚のうたを添える


 となりの部屋で
 郵便配達がベルを鳴らす5分前
 忘れていた秋からの便りは届く



  画廊の中空にたゆたう湖
  若い女の氷が
  あざやかに燃えている

  名を呼びつづける
  森の恋びとは
  生まれて初めて
  朝のうしろ姿をみつめた



  K家具店では
  硝子の椅子がよく売れている

   ―主人には
    出来のいい双子の息子がいたね

   ―ひとりは
    一歩も外へ出ることなく
    行方がわからないんだ

   ―ひとりは
    占い師になって
    木曜日に美しく狂ってしまったよ



   ヒトイロ欠ケタ
   虹ハ
   旗ノヨウニ
   歌ッテイル

   ミツバチノ
   群衆ガ
   麦ノヨウニ
   指差シテイル



  屋根を持たない礼拝堂
  茎の折れた花嫁は
  石を胸に抱き乳を与えている

  束ねられた男たちから
  花のように
  こどもたちは帰ってきた



  終わらないカルタ遊び 
  薔薇のとげに
  蛍がしんしんと流れてゆく

  窓辺には
  踊りつかれた白いブラウス
  そして
  青い少女の音



 となりの部屋で
 二度ベルが鳴る5分前
 遅れていた秋からの便りは届く


 紅茶の午後は
 ひとさじのブランデーと一グラムの夜を添える


檸檬

  丘 光平

 ふれてくる これは
 耳の中の空が破れてゆく 声の
 においがくる あれは
 目の奥の時が燃えてゆく 影の

 冬 
 冬を降り積もらせる
 雪のまだ少ない旅だというのに私は       
 細く長い夜を追い越してしまうとそこは
 川 
 川よ せめておまえは
 ひとの胸の数だけあるという
 月の痛みを酔わせ               
 おまえらしく流れてゆけ この星の私の

 水 
 水を駈け昇ってくる
 銀の鏡のうらがわに異国の窓はある

  霧のピアノが灯っているよ そのために
  光を落としたのだろう          

  氷の絵筆が踊っているよ そのために
  歌を持たないのだろう         

 ああ
 いくつもの
 雪の手のひらが
 結び目をとかれた私の胸に
 ふれてくる 遠くから
 においがくる こちらへと

 朝 
 朝を切る羽ばたきに
 川の月の花びらが              
 ひとりしずかに枯れ落ちるころ         
 腹底の
 冬のこげ跡に私は感じる        
 こどものように鳴いて咲くひとかじりの
 赤らむ檸檬を


枯れ木

  丘 光平


 さがしているのか 鳥
 空とわたしのあいだを
 まわりつづける

 羽のきしみ それを
 かなしみと呼ぶのは 
 わたしが
 陸に生きることを選んだから

 やがて
 陽をつつむ羽ばたきに
 冬の声がにじむのは
 わたしのなかで
 水が水を追い越してゆくから

 この
 枯れたむらさきの手のひらで
 鳥が終わる そのとき
 地図に載らない
 森という森に倒れるものたちから
 いっせいに放たれる

 弓矢よ
 わたしのしらない
 空の鍵をまわすためなら
 幕をかけおろす
 ばらの肌をつらぬいてゆけ

 ひらかれてゆく
 夜を生む夜のまぶたから
 水は降りくだる ああ
 森をのみこみ
 わたしの呼吸を焼く それは

 海 海とは
 この星の感情なのだ と
 わたしはわたしの
 腕をおり足をきり
 鳥の歌の名残でゆわえた
 孤高のいかだとなって

 もはや
 水は水を
 歌が歌をあやめることのない
 風のみちびくところへ
 船出する


眠り

  丘 光平


  降りやまない霧の両腕にやわらかく抱かれ
  岸辺の草むらに浮かんでは消えてゆく
  秋桜の額に不吉な星がそっと灯るころ
  澄んだ水底から聞こえてくるいくつもの寝返りは


  初めから櫂を与えられていない小舟と
  帰る場所も行く当ても知らない川とが
  やがて互いに互いのなかへ織り流れてゆくその空を
  夜は吹き抜けてゆく何ごともなかったかのように


  きびしい星座の胸はやぶれ水と水はあふれ
  眠りようのない眠りを送り届けてくれるのだ
  そしてひとつの右手が紅の氷雪を受けとるだろう
  そしてひとつの左手が手渡すだろう地上の悲歌を


       


朝に満たない朝に

  丘 光平


空が不吉に破れてゆくのを聞いたことがあった
まだ朝に満たない朝に

私は知らない それがどうしてなのかを
しかし気づいている 
このすみれの咲く泉にも似てきりきりと澄みわたる場所に
冬の国があるということを 

そこでは
住人はみな延々と立っている 
高々とかかげた両手の器を凍らせ やがて出来上がるだろう 
樹氷の群れは

陽のかけらの数が足りないのか それとも
月の分け前をつかみ損ねてしまうのか  

いや彼らは
起こりうるすべてを引き止めようとする最後のくさびなのかも知れない
おとずれのない誰かを守り続けようとした墓標のように

そしていま
降りくだる霧雨はもの静かにその赤らみを増し
もはや遠く 
羽ばたきの定かでないあの白鳥たちの
足という足に焼きついた手形の答えはすべてこの私だ


朝の光の中へ

  丘 光平

私は立っている 夜と朝の波打ち際の
樹海の小さな家に倒れている
一本の老木よ

あなたの流すほんのわずかな熱いものを
あなたの羞恥と恐れとともに洗い流してくれるだろう
崩れた屋根から注がれる雨の光の中へ

そばで見届ける私は
かつて緑の陰るあなたに寄り添い苦しい胸を整えたあの男です
鮮やかすぎる真昼の月を浴びないように

そして
不平ひとつ漏らすことのないあなたの
硬くて薄いベッド 遠い故郷にひざまずくものたちにも似て
この褐色に湿る落ち葉という落ち葉は

やがて時は折れて
私があなたの少し乱れた胸の辺りに
あなたの節くれた手と手を重ね合わせたなら
ひとつの山脈が現れる朝の光の中へ

私は聞くだろう いっせいに立ち昇る
風の形をしたこどもたちを この谷という谷から 梢という梢から
羽ばたいてゆくきみたちは朝の光の中へ


饗宴

  丘 光平

ほどける栗色の巻き髪 舞い散る水の花しずく
もの静かなピアノで猫はかかとを小さく鳴らす
そして食卓からこぼれ落ちる白いハーブの一粒

窓の向こうへ ぼくらは庭を片足で飛び越え
れんが造りの街並みに坂道をくだってゆく
手のひらの小枝でいくつもの輪を躍らせながら

陽を眠らせ雨を降らせようとする夜のこどもたち
ぼくらの合図に彼らは一瞬で燃えるダイヤモンド
するとハープが母のようにやさしく鳴り渡った

たなびく風と風 ぼくらは楽園にそっと迷い込む
住人のねずみたちから甘いチーズをごちそうになり
貝殻のグラスで琥珀のぶどう酒を飲み干した

赤らむ夜空 筏にのって月の指揮者はやってくる
ぼくらはみなフルートやヴァイオリンを手に手に
奏ではじめる 風船のように頬を膨らませながら


ラベンダー

  丘 光平


眠っている空の鍵を
朝の指さきはそっと回してゆく

霧の肌のように
やわらかく降りてくる光の
こまかな粒と粒
すこしずつ丸みを帯び 膨らみを増し

高原の額に
たどりつくその手前で はじけ散る
光の水しずく 
ゆるやかに呼吸を匂わせるラベンダーの
内奥へと

引いては寄せる光と光
血脈のように波打つそのうすむらさきの
どこか不安な
それでいて快い痛みにゆれる
ラベンダー
彼女の愛しかたで朝を迎えようと

開かれてゆく花のちいさな手のひら
光の露が 一滴
音楽のように結ばれている


木と破片

  丘 光平


立ち続けている
かなしい女の形で
冬の木は。

暗い額の
うす皮のうらうらを
流れる水の
赤らみ、しんしんと。

そして
あられもない
素足のしたに咲き散る
雪の絵皿の
こまかな破片。

文学極道

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