#目次

最新情報


一条 - 2005年分

選出作品 (投稿日時順 / 全16作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


鴎(かもめ)

  一条

海には人がいつも溢れている。カモン、カモンと鴎は空を飛び交っている。海の青は、カモン、カモンと空の青に混ざりこみ、鴎はいまだ完全には混ざりきらない二つの青の間を、行ったり来たり彷徨いながら、新しい青の侵入を待っている。ぼくが新しい青になれるなら、その可能性があるなら、ぼくは新しい青になって、カモン、カモンとあの空と海に混ざりこむだろう。

海には、海には、海には。鴎が、白い。青い空が、海と鴎に混ざり、茫洋と薄れてゆく陽光は、女の名前みたいにうつくしく、彼女は実在しながら、姿はなく、黒人は、砂浜に足跡を残し、誰かの助けを待っているのだが、なく、海に流され、黒人の腐乱した死体に、白い鴎が群がり、鴎は黒く、同時に青く、ぼくは、そんな光景を見ていた。見ていると、海が溢れ、彼女は実在せず、海は人であふれ、冬に近い季節の海に誓い、背中に釣竿を背負った男は、黒人だった。白人だった。

それから、黒人が海に飛び込んで、一瞬で空に落ちる様態を見届けたあと、白人は海に飛び込んで(黒人と一寸の狂いもない同じ地点に!)、黒人よりも随分緩やかに、空に落ちる白人は、中空で、先に空に落ちた黒人を追うように、落ちていった。白と黒が、青に。ぼくは、「白と黒が、青に」の少し上あたりを、しつこく飽きるまで眺め、それに飽きてしまうと、海に飛び込んで、空に落ちた。中空で、ぼくが青に。「ぼくが青に」の少し上あたりに、鴎が飛び交い、一瞬で青がはじけた。白が消えた。


ふっとう

  一条

音が水にひたされている
どこからながれてきた水なのか
こんなところであぶくのはれつにすいこまれてしまった
こんなところでてのひらにすくわれてしまった
だれのてのひらにすくわれたのか
すくわれたぼくはだれなのか
しょうたいのわからない
水がながれ
音がきえ
てのひらのすくうぼくがきえた
冬のしっぽが
春らしく
ちぎれながら
そのすべてがあっけなくうもれてしまった音にすべてのあっけなさにあぶくがたった
つぎのあぶくがたった
ふっとうですかと声がきこえる
どうにもならなかったぼくがふっとうをこばみつづけるどうにもならなかったぼくを
ふっとうさせるのですかと
そういう音が水にひたされている


出産

  一条

妻が出産に備え里帰りした
いつもは少し窮屈な我が家だが
妻の不在が幾分の余裕を与えている
居間に面した小ぶりの庭に咲く、種類のわからない花たちが
花弁を寂しげにぼくに向けている
そんな何気ない場景に心がうごくのは
ここに生まれた新しい空白のせいかもしれない


朝、目覚めるとぼくの妻は隣にない
仕事からの帰途、
同じ外観の家が密集する住宅地に、一軒灯りの点らないぼくの家がある
ぼくの家から灯りが消失することで
ぼくは自身の消失に頓着せずにいられるのかもしれない

(いや、それは正しくない
 ぼくは妻の不在に関係なく、いつも消失していたのだ!)


電話越しの妻の声は
実家で暮らす安堵感に出産間近の興奮が混ざりこみ
いつもとはどこか調子が異なっていた
「ちゃんとごはんは食べているの」
「庭の花に忘れず水をあげてね」
ぼくたちには、いくつか事前の決め事を確認するだけの少ない時間しかなく
出産の日が近くなるにつれて
妻との関係は、ますます希薄になっていくような気がした


妻のない休日、庭先に置いた木製の古い座椅子にぼんやりと腰掛けていると
一匹の猫が迷い込んできた
首輪も見当たらず
どこかで飼われている猫ではないようだが
親しげにぼくになついてきた
あいにく与える餌を持っていなかったので
何度もやさしく撫でてやったのだが
やがて気が付くと
彼女の姿はどこにもなく
どうやらぼくはまたここに
ひとり取り残されてしまったようだ


ある日の深夜、妻が無事出産したとの連絡が妻の母からあった
「みんなで待っているから早く見に来て頂戴ね」
たったひとつの小さな生命の誕生が
これまでの家族のうねりを倍加させ
ぼくを飲み込もうとする
ぼくはたまらず電話を切って
とにかく眠ろうとした
だけども
明日の朝早く(みんなで)
電車に乗って(待っているから)
どこへ行けばいいのだろう(早く見に来て頂戴ね)
頭の中におぼろに浮かぶ二つの地点がどんなに苦心してもつながらない
ぼくは
今、どこにいるのだろう


(その時、猫の鳴き声がひとつ、ニャンと
 外から聞こえてきた)


ニンゲン

  一条

団地の昼下がりはいつもと何ら変わりがない。芝生で寝そべる老夫婦が一組、どうやら誰の知り合いでもないらしい。二人の手は握られている。集会は退屈でしたね、あら、そうかしら。駐輪場の自転車にはどれもサドルがない。ぼくは最後の扉を開けた。数々の便器が空に宙に散逸する。同じ穴ぼこを失った男と女。そいつらが老夫婦になるにはいくつものハードルがある。ハードルを越えた先に、穴ぼこがある。だけども実際に突っ込まないとそれが穴ぼこなのかどうかわからないらしい。市バスが急停車した。その音は始まりというよりは終わりに近かった。握る手を探していると、夕が暮れた。

トカゲノシッポギリ、トカゲノシッポギリと娘は唄う。半ば狂っている。新しい圧力鍋がやってきた。ぼくはそれを使いこなす自信がない。警官が発砲した。撃たれたのは老夫婦で、血を流しているのは穴ぼこを見つけたばかりの、ぼくと同世代の男と女のペア。彼らはやがて枯葉となってぼくたちの踝を埋めた。それは意味のない記号で、だからその存在はやがて薄れてゆく。誰も文句など言えないし言うつもりもない。最後の扉を開けたっきり、ぼくはまんじりとも動けずにいた。歩道は乳母車で渋滞している。先頭を行く派手な装飾の乳母車が燃えて立ち往生している。ぼくにはこの歩道がどこに繋がるのかなんてわからない。

眼前の鉄橋。風に煽られ、ゆうらゆうら。上下左右S字型にくねるそれはもはや橋なんかではない。やっとこさ、市バスが急発進した。なぜ急発進してしまったのかはわからない。ゆるやかに発進すべきだったと思った時には乗客はそんなことを忘れていた。運転手は不平を垂れる乗客を急停車によって一掃していたから安心して急発進した。発砲する警官を発砲する警官。老夫婦は走り出す。ぼくは走り出さない。駐輪場でラッパを吹いた。娘は半ば狂っているという。右側のエレベータが故障しているというのは初耳だった。

テニスコートの白線を不意になぞる指の先っぽ。最後の扉は開けっ放しだ。娘はトカゲになった。駐輪場でシッポを切った。ぼくは半ば狂っている。起源なんてものは宇宙の果てにある極微小の宇宙塵に過ぎない。ニンゲンの犯したささやかな失策は運悪く初期値鋭敏性に囚われた。アダ無とイ無は偽物だったのだ。さあ、定刻だ。君が誰かは知らないが、シッポばかりを死ぬほどあげるから、ぼくたちに相応しい食用ニンジンを気の済むまでご馳走してくれないか。


ベロベロ

  一条

二枚目の舌を おととい切られちゃいました
ないことを あるように言っちゃう舌が 切られたのですから
いよいよ降参するしか なさそうですね
ところで おとといというのが 明日のことなら
私たちは万事休す かもしれません
そんなこんなで 乗り越しちゃいましたが
その吊革で 首をお吊りになるつもりですか
もしくは ぐるりと回転できますか
ぐるりじゃなくて ぐりぐりとネジをしますから
そっち側から腰をくねくね してみたらどうでしょう
そうしないと ネジは馬鹿になりますが
私たちは いち早く馬鹿でしたから
二駅ほど向こうに 乗り越しちゃいましたね
慌てて飛び降りましたが
そこで 新しい二枚目の舌を見つけたのは 誰かの仕業に違いありません
せっかくなので この舌で 今から私はべろべろと嘘つきますから
なかったことは あったことになりますよ 
で ネジは なるべくゆるくして下さい
なんだか私たちは ゆるい感じに慣れちゃいましたから


マクドナルドは休日

  一条

娘をつれて、休日、マクドナルドに行くことが、多くなった。おれは、どうにも苦手なのだが、娘の希望を最優先するのが、親の務めだろう。と、勝手に思った、娘は、ハッピーセットを、おれは、なんでもいいから、適当に、メニューで目に付いたセットを、頼んだ。愛想のいい店員は、笑顔で、おれを見てくる、おれは見ない。その、輝きのあふれた笑顔は、どこで覚えたのだろう。と、待つことほんの数分、ふたりのセットが用意された。ついでに、空いているテーブルに誘導された、が、ちょっと窮屈、しかも、隣の若いカップルは、いやな感じだった。足を組んでいる、女のパンツが、見えそうで見えない。娘は、バーガーを、ぱくつく。見えそうで見えない、娘は、ぱくつく。男は、どうやら、別れ話を、女に切り出された様子。男は、半泣きで、バーガーを、ぱくつく。娘は、ぱくつく。おれも、ついでに、ぱくつく。女は、男を残し、店を、出て行った。結局、見えそうで見えなかった。今、おれの隣で、一組の男と女が、別れた。と、娘は、おれを、ちらと見る。そして、最後に、ぱくついた。その、娘の仕草が、キュートだ。おれは、馬鹿だ。おれは、結局、何も、見なかった。見えそうで見えなかった。女が、出て行った後の、休日のマクドナルドの店内は、少し混んでいた。おれと、男は、残りのバーガーを、残りのバーガーを、残りのバーガーを。ぱくついた。娘には、見えたに違いない、残された男の悲しみと、残される男の悲しみの、両方が。娘は、それも、ぱくついた。おれは、平日のマクドナルドのことを、少しも知らない。


ミドリガメと父親

  一条

 飼育していたミドリガメを排水溝に誤って流してしまったのは、父親が家を出た翌日だった。お父さんは事情があってもう二度と帰ってこないのよ、と母親に言われた後、ぼくがミドリガメの事故について報告すると、あら、そうなの、悲しいことね、と気のない返事を母親はくれたのだが、母親にとっての両者の重大性を考慮すると、その気のなさは当然だった。

 だけども、ぼくは、父親の事情とミドリガメの事故を天秤にかけ、結果、ミドリガメのために泣いてみた。ミドリガメのために流した涙を、母親は父親のために流した涙と思い込み、ぼくを慰めながら母親も泣いた。そのすれ違いがあまりにも可笑しくて、ぼくは心の中で「父親の事故、ミドリガメの事情、父親の事故、ミドリガメの事情‥」と連呼した。そうやると、全ての事情が飲み込める気がした。

 父親に名前があったのと同様、ミドリガメにも名前があった。ぼくは、父親の名前に格別思い入れなどなかったが、ぼくが名付けたミドリガメの名前には少しだけ特別な感情が残った。

 母親が言うには、ぼくたちの「上の名前」がもうすぐ変わるらしい。きゅうせいにもどる、のだそうだ。ぼくは「きゅうせい」を「救世」と勘違いした期間だけ、文字通り救われているような気がした。救世に戻るんだぜ、と友達に自慢したりもした。

 そう言えば、ぼくはミドリガメに「上の名前」というのを与えなかった。それが結果的に良かったのかどうかわからないが、少なくとも、次の場所でミドリガメは「上の名前」を変える必要はないだろう。手続きが一つ減るというのは、素晴らしいことじゃないか。


祖父はわっかにつかまって

  一条

さっきから父は猫を裏返している。母の土鍋が猫を煮込んでいる。さあ、召し上がれと寝込んでいる僕を起こし、母は玄関から勢いよく駆け出していった。父は庭で猫を焼き、テレビのチャンネルが低速転回している。おい、猫が焼けたぞと祖父が九畳の和室で悶々。落語は中断され、積み上げられた座布団の上で母は若い男性にもてあそばれている。おや、いつの間にと猫がニャンとも媚びた声を上げ、父はいよいよ白と黒の段だら縞になってしまった。ところが、母はすっかり丸裸になってしまい、猫は焼け、青白い煙がいくつものわっかになった。父はわっかに見惚れ、祖父は巨大なわっかにつかまり飛んでった。僕はこれ以上の足掻きを断念し、翌年の誕生日に欲しい物を紙に書き下駄箱に隠した。また来て頂戴と母は若い男性を見送り、さあさあ、ご飯にしましょうと裸の上にエプロンをつけ、台所で鼻歌を歌っている。包丁が猫を刻み、土鍋が猫を煮込んだ。おれの猫を知らんかと父が一人で騒いでいる。あっはんとチャイムが鳴り、母は勢いよく玄関に向かった。押し売りの訪問はもう懲り懲りだと独白している祖父にわっかの欠けらも見当たらない。母の手に紙が。あら、つたない字ねと猫料理を食卓に並べながら母は僕をちらと見る。僕はやけくそになり、煮えたぎる猫料理を口の中に放り込んだ。一体紙には何て書いてあるんだと父が新しい猫を裏返しながら騒いでいる。祖父はテレビの映りを調整していた。もう裏返す猫がなくなったぞと父が喚き散らしているが、僕たちには裏返すべき猫なんて最初からなかった。おい、もっと巨大なわっかを持って来いと祖父が地団駄を踏んだ。ついに母は僕のつたない字を読み上げた。あら、犬が欲しかったのねと母、なんだ、おまえ犬ころが欲しいのかと父、そして、一体どうニャっちゃうんだと言わんばかりに猫が咽び鳴いている。あれ、おじいちゃんはどこ行っちゃったのと僕が口にした時、祖父はわっかにつかまり空を。


ユーフラテス

  一条

わかって欲しい
ぼくはシャッタルアラブの星
泳げるヤツは
溺れないらしい
右手の金を掴む、髪の梳かれたギャールの愛
チグリスは栄養のある女性だった
だけどヤツの売りさばく金融商品がハイリスクハイリターンであることを
誰も知らないなんて
ならば奪え!出来るだけ運動をさせたまま
鎮魂を握り締めた左の右は
そんなふうに、シャッタルアラブの星が降る
頭を上手に使えないヤツに告ぐ
逆転のチャンスならさっさと忘れて欲しい
そこのおまえ、ぼくの声が届く場所を知っているか
ケルベロスの首を洗うのは希望みたいなのをゆるく感じた朝がいい
そこには窓があるから
覗かれる窓を剥き出しにして、ぼくたちは
きっと夕方のアニメを見る
母親の帰らない
懐かしいあれを
鮮明に思い出せ!


ローリング・ストーンズ

  一条

職場で世話になってる
先輩の家行ったら
やすっぽいCDラックがどかーんとあって
ローリング・ストーンズのCDがたくさん並べられてんやけど
ローリング・ストーンズ好きなんすかって先輩に訊いたら
そや、好きや言われて、よっしゃ、お勧めの曲かけたるわって
よう知らん曲聴かされた
ま、ローリング・ストーンズの曲そんなに知らんから
よう知らんのはおれだけかもしれんけど
そないかっこええ曲でもなかったから
どや、ブルージーやろって言われても
はあ、そうっすねって生返事して
そのおれのよう知らん曲が終わった頃に
先輩のお母さんが部屋入ってきて
あんた、財布から金抜いたやろ、って先輩の頭はついた

パコーンってええ音がして
あんた、なんぼ抜いたんやって歩み寄られて
知らんがな、って先輩しらばくれてるけど、知ってる顔や
かなり居心地悪いな、おれ、やから、もいっかいローリング・ストーンズの
先輩お薦めの曲かけたら
今度は、なんやさっきと違うて
えらいええ曲に聴こえてきた
なんか心にしみってくる
あんた、その金で何買うたんやって言われても、どうせしょうもないことに使うたに
決まうてるから、先輩黙っとるわ

はよ、仕事行けやって先輩足蹴しながら
お母さん追い出して
な、ええ曲やろ、っておれの方振り向いて、ええ顔してんで
先輩、よう金抜くんすか、って思わず訊いたら
おう、金ないと欲しいもん手にはいらんやろって
ああ、ええ曲ですね、この曲なんていうタイトルですか
知らんねん、英語はさっぱりや
でもええ曲やろって
それから、化粧したお母さんがまた部屋入ってきて
あんた、私の結婚指輪どこやったんやって
まさか、先輩って思ったけど
先輩、あっさりと、あれ、売ってもうた

ほんで、それから
よう知らんけど、なんやかっこええローリング・ストーンズの曲を聴きながら
知らん間に、おれ、寝転がってて
隣で先輩、ちっこい寝息立てて寝てんねんけど
起こしたらかわいそうやな
先輩、このCD借りていくで言うて、EJECTボタン押して
CD生でポケットに入れて
部屋出た
ら、お母さんが、ちょうど仕事から帰ってきよって
お邪魔しました、って挨拶したら
めちゃくちゃええ笑顔で、また遊びに来たってな
言われて
なんや知らんけど、おれ、めっちゃ涙出たし
外出たら、とっくに朝で
しょんべんくさい街抜けて、家帰った


サマーソフト

  一条

店内は、静かな音楽が流れているかのような場景であったが、実際は誰の耳にも音楽など聞こえていない。テーブルには、赤と白の格子模様のごわごわした布地のテーブルクロスが掛けられ、店の正面口の方向から、客の出入りのたびにそっと潜り込む風に、テーブルクロスの垂らされた一部分が規則正しく揺れ動かされている。男はいなかった。テーブルには、食べ残された料理の皿が無造作に、あるいは規則的に並べられ、女は男の不在について少し前から考え始めた。店内には静かな音楽が流れているかのような雰囲気のみが漂い、男は正面の壁に掛けられた絵画を眺めながら、自分の不在については特に何も思わず、女の話に相槌でも打とうかと考え始めたのは、今よりも数時間も前のことであるが定かではない。テーブルには、赤と白の格子模様のテーブルクロスが掛けられ、テーブルから垂らされた一部分が風に揺れ動き、数時間前もしくは数分前に確かにそこに男と女が座っていた。それは、ほんの数秒前の出来事かもしれないが、数分後には誰の記憶の中にもない。


あほみたいに知らない

  一条

ビルは「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」を熱唱しながら、あやまってテッドのポケットに手を突っ込んだ。遅れてやってきた弓子の機嫌が幾分よろしくない。弓子とは初対面のテッドが、弓子に向かって軽く会釈をするが、その方向にすでに弓子はいなかった。の〜ふゅ〜ちゃ〜、と歌い終わったビルが、テッドのポケットから手を抜き出して、分厚いソングブックをめくった。あたしにも何か歌わせて、って弓子がビルからソングブックを奪い取り、別の曲のイントロが流れ、佐藤がビルから奪い取ったマイクを握り直し、だけども、握り直したマイクが、佐藤の手からするりと抜け落ちた。

弓子は酒に酔い、店員に絡みはじめ、ビルはビルで、あやまってテッドのポケットに手を突っ込みながら、ぼくはぼくで、佐藤とにらめっこしながら、カラオケ屋を後にした。海に行きたいと言い出した弓子、そして、ビルが指差した方向には、車が停まっていた。ビルの運転はひどく乱暴だったけど、ぼくたちは、よく知らない、あほみたいな海になんとかたどり着いた。途中、犬ころを何匹も轢き殺したり、大幅に道をはみ出したりしたけども。ぼくたちは、あほみたいに騒いだ。海は、とても静かで、夜の空の星が、あほみたいな映画みたいに輝いている。

そして、ぼくはあやまってビルを爆破してしまった。閃光が海面を跳ね、爆音がぼくたちの耳をつんざいた。何事かが起きてしまったのだけど、何事が起きたのかは、まるきり誰にもわからないような意外性を伴ってビルは爆破された。なんてことだろう。ぼくのくだらないジョークのせいで、ビルは爆破されてしまった。でもさ、ビル、こんなことは誰にでも起こりうることなんだぜ。あっちを見て、と弓子が指差した方向には、真っ白いしゃれこうべが転がっていた。それはまぎれもなくビルのしゃれこうべだった。しゃれこうべの周りを囲みながらぼくたちは、あほみたいに何も喋れなかった。

夜がうっすらと明けた。海の向こうは、アメリカなんだよな。佐藤の言葉を各自が反芻しながら、ぼくたちは、海の向こうを見た。それから、おもむろに立ち上がった佐藤が、おれさ、昔野球やっててさ、ピッチャーだったんだよねって言いながら腕をぐるんぐるん回した。おれが、ビルを故郷に帰してやるよ。佐藤は、ビルのしゃれこうべを抱きかかえた。アメリカまでどれくらいあんだろ、知らない、100万キロメートルくらいじゃない、100万キロか、ふうーーーーーん。それから、佐藤は、振りかぶって、投げました。ひゅーーーーーーーーーー、おーすげえ、ーーーー、アメリカに届いちゃうんじゃねえか、ーーーーー、なにも見えなくなった。ビルのしゃれこうべが消えた。本当にビルのしゃれこうべはアメリカまで届いたのかもしれないな。海の向こうを黙って、黙って見つめながら、ぼくたちは、黙って見つめた。しばらくして、さっき、ぽちゃんって音がしたよって、弓子が言った。

そもそもビルがアメリカ人かどうかすら、わからなかった。ビルがアメリカ人じゃなかったら、一体テッドはナニ人なんだよ。だけど、今さら、ビルがナニ人だろうとそんなに大切じゃない。ビルはぼくたちの大切な仲間だ、じゃんけんに負けたぼくが帰りの運転を任された、ぼくには運転免許がなかったけど、一番大事なことは、車の中にガソリンがどれほど残されているかということだ。気がつくと、佐藤も弓子もテッドも全員寝ていた。途中、何度か、犬ころを轢きそうになったり、道を大幅にはみ出したりしたけども、元の場所になんとか戻ることができた。ぼくは車を置いて解散するつもりだった、だけど、それからアクセルを踏み込んだ時の気持ちは覚えていない。

ここ、どこ、って一番最初に目覚めた弓子が、寝ぼけながら辺りを見回した。知らない、知らない街さ、ふうーーーーん。ラジオって、どうやってかけるんだろ、ってそこいらのスイッチを弓子は手当たりしだいにいじっている。佐藤はあやまってテッドのポケットに手を突っ込みながら、すやすや眠っている、ラジオから、知らない曲が流れた、知らない曲か、知らない曲さ、ふうーーーーーーん。弓子は、その知らない曲を口ずさんでいる、あほみたいに眠る佐藤とテッドを車に残して、ぼくと弓子は外に出た。弓子は口ずさんでいる、ぼくもつられて口ずさんでいる、ぼくたちは、どこへも行きたくない、ところで、ビルってナニ人だったんだろうねって弓子が笑っている、知らない街の空には、雲がいくつか浮かんでいて、それはまるでビルのしゃれこうべみたいだ、とぼくは口ずさみながら、ぼくたちは、このまま、何が起こっても永遠にやぶれない


黒い豆

  一条



百足のスパゲッティの茹でる夏
無常のからまりが
ラの音をソのように鳴らしながら
すべてのメロディの半音を下げている

ぼくが受信する
一日に百を超える得たいの知れないアラートは
プログラムされた奇妙な音声を
繰り返している

「色は二歩へと」

「色は二歩へと」

「色は二歩へと」


**


ある日
白球の高く舞い上がるグラウンドの
中央で
ぼくたちはどうにも落ちてこない白球を待った

いつまでも落ちてこない白球に
観客は呆れ
やがて審判はゲームセットをコールしていなくなった
しかしぼくはあれが落ちてくるのを待つしかなく
テレビはコマーシャルばっかりで
ぼくはいつもアウトだった



ある日
公衆電話のボックスの前で
ぼくは待った
中では恋人同士がいちゃついている
ぼくはやはり待つしかなかった

やがて恋人同士は疲れ果て
ぼくには愛想もくれず
ボックスを後にした
ぼくはいそいそとボックスの中に入り
濡れ濡れの受話器を手にした
そして全国に散らばるぼくの縁戚者に
片っ端から電話した
だけども誰にも繋がらず
テレホンカードがピーピーっと
鳴り止まない



百足のスパゲッティの茹でる夏のある日
爆発するレコード屋の
レコード針を買いに
久しぶりに市場へ出かけた
そこでぼくが目撃したものは
花を売る少女が大人たちに
次々と買われ
道端のあちこちに置き去りにされた花
なぜかぼくは空腹を感じ
ぼくにふさわしいランチが食える食堂を探した
お子様にふさわしいお子様ランチが
いくつも陳列された店の前で
ぼくは立ち止まり
雨が落ちてくるのを、待つしかなかった


そして

無限に近い時間が過ぎ

無数の黒豆が

落ちてきた

ぼくが待たされ続けた世界の

閉ざされた

天上から

 
  black beans are falling from the ceiling..black beans are falling from the ceiling..black beans are falling from the ceiling..black beans are falling from the ceiling..black beans are falling from the ceiling..black beans are falling from the ceiling..black beans are falling from the ceiling..black bea


おしっこ

  一条


教会はおしっこで浸水しているのにオルガンを演奏する日曜日は消えなかった。ぼくは学友の傷ついたひざ小僧を手当てする遊びに興じ、突き当たりの三角公園にてアイスキャンディの溶ける甘い水溜りを作った。赤組は赤い帽子を目深に被っている。日当たりの悪いアパートに住む年老いた夫婦は倒壊したビルディングの残骸が地面を叩く音に、覚醒した、紫色の野菜を朗らかに齧りながら愉快に口笛を鳴らしていた。白い帽子を目深に被った白組はどうやら苦戦しているようだ。赤か白の子供たちが日射され、ばたばたと転倒する。ぼくは追いすがるトラックの車輪に轢断された、ハンドルを握りしめた、ついでに正確に乗算された円周率を誤解した。あらゆる走路は妨害されている。日当たりの悪いアパートの南側の窓に貼られたステッカーを剥がす時、ぼくの滑稽を遠望する馬が馬らしくステップした。ぼくは投げやりにアップルパイを焼いている。失禁しているぼくの近くで鞭はしなりながら、乳母が赤子をぐるぐる巻きにした。目深に被った赤か白の帽子からは黒煙が立ち、やがて子供たちは全員窒息死する、トラック野朗が乗り捨てたトラックは高速道路を快調に走り抜けている。あらゆる走路は妨害されているのに。倒壊したビルディングの付近では様々な格好にコスプレした年老いた夫婦の集団が互いのアイスキャンディを舐め合っている。世界は真暗闇だ。ぼくは赤いボールペンを分解し元通りに組み立ててみたが、どうにもハンドルが握れない。オルガンの鳴っている遠くの教会を浸水しているのはきっとぼくのおしっこに違いない。じょろじょろじょろじょろ。


血みどろ臓物

  一条

あたしは、公園の滑り台の上に突っ立っている。中指は半分隠されて、連中の具体的な財産を狙っているバイク野郎は、ヘルメットを違うふうに被って、日差しがあいつらの横に大きな影を作った。長い時間が来ると、あたしの国は、白髪の紳士に骨抜きにされるんだけど、その頃にはとっくに、なんだか新しくて、あたしたちに変わる生き物が、あたしたちを支配しているんだって、あたしのママが言ってた。暴走族はバイクを乗り捨てるし、乗り捨てられたバイクが都市開発のあおりを食ってゴーストタウン化した街の入り口と出口付近で、自主的に衝突してるって話は、都市伝説の一種に過ぎないんだけど、そんなことより、いつの日か、あらゆる利便性があたしたちの個性を追い抜いていく。あたしがここにいる、という確かな実感が、確かな確からしさを無邪気に担保するのは、あたしがここにいる、という実感でさえここじゃないどこかに保管されているということ、に置き換えられてしまっている。あたしは、なんだか、夢中になって、片っ端から与えられた書物のページをめくった、それで、あたしがあなたに与えることが出来るのは、ページがめくられるたびに生起する風の音だけ。そうやってれば、いつかどこかに辿りつくと思ってるの。そうやって、ひたすらページをめくってれば、どこかに保管されているあたしに辿りつくと思ってるの。あたしの脳みそに最新の電極をぶっこんで頂戴。Aの次はB、Bの次はCだから、あたしは、公園の滑り台の上に突っ立っているから。あなたの腕は、まぬけな男みたいで、白髪の紳士が骨抜きにした淑女みたいで、その腕にからまって身動きがとれなくても、ママは、そこらにケチャップをぶちまけて、気の違ったやり方でくちびるに口紅を塗りたくっている、ママは、巡回セールスマンとの乱交の白昼夢にびっしょりだけど。あたしが育った街に、あたしが生まれた面影はない。公園の滑り台の上に突っ立っているあたしは、いつの日か、暴走族になっているの。あたしは誰よりも速い暴走族になって、ストライクを三つ見逃して、いなくなる。あたしが、いなくなっても、あなたはあたしのこと、覚えていてくれる?


改札

  一条

改札口でおまえは
熟した果物が落下するダンボール箱を見る
そこには数々の物が閉じ込められ
空港から市街地へ向かうバスの中
リクライニングシートにおまえは沈み
やがてバスは橋の上で立ち往生し
乗客は窓から飛び降りる
会議は休憩後に再開され
それぞれが円形のテーブルに座る
あたかもそこには中心というのがなく
ありふれた意見に賛成するしかなく
そもそも議題はなく
しかしこれはどこかに通じているのだ
奇妙な手品でおまえは人々の足を止め
犯罪者がうろつく物騒な通りで
おまえの仲間がチョメチョメを勧誘する
少しの美しさに安住する者たちが
円形のテーブルに座り
ところがどいつもこいつも
おれたちの交換可能性については言及しない
そしていつだって雨樋を流れていきそうなおれたちは
蓄熱性に優れたホットプレートの行列が
紋首台へと続くのを
さっきから眺めている

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.