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破片 (hahen) - 2013年分

選出作品 (投稿日時順 / 全2作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


まだ生きている人に向けた四章

  hahen

Green tea.

 友人の父親が死んだ。脳腫瘍だった。はじめは、ドカタの、現場仕事をしていて足場から落下したのだと。そこで彼は鎖骨を折り、CTだか、MRIだかの診断画像からその腫瘍は発見されたのだと。ぼくはその友人と長く、親子ぐるみでの付き合いもあった。悪性か良性かと、誰にともなく問うと、三日後に悪性だと知らされた。ぼくは怨嗟を口にしたと思う。それは何に対して? わからない。
 彼は、ぼくが見舞いに訪れる度、人間でなくなっていくようだった。人間としての機能の内、まずは挨拶を失う。ぼくが誰だか思い出せなくなった。稀に思い出すのに成功した時だけ、彼はぼくらの知る人間性を再現した。一度快復の兆候を見せて退院したらしい。ぼくの母親が「家族だけでゆっくりさせてあげなきゃ」と言って、ぼくらは友人の父親が帰還している間、声も聞かなかった。次に再び入院暮らしを始めて、ぼくが顔を見せに行った時、つい数か月前まで同じ人間として接してきた彼が、最早別種の生物となっていた。何人かの患者が同居するその空間には、脳疾患特有の大きな、おおきな、鼾だけがあった。
 友人の父親が死んだ。父親を失った友人は、父親に倣ってラークを好んで吸うようになった。ぼくは彼の通夜で「ミチオ」と呟いた。誰もかれもが啜り泣く空間で準備されていた緑茶の味を、ぼくは忘れない。それは甘くて、しっかり人間の中で認識され消費されていったのだから。ぼくや、友人は煙草を吸える年齢になった。それを告げるために棺の中にマルボロの吸殻を放り込んでおくのを忘れたのが、心残りだ。脳腫瘍の人間に、意思や言葉は通じるだろうか、ぼくはそれでも伝えてやるべきだったと、後悔する。出された緑茶を飲み干せなかったのは、多分、ぼくが人間だったからだ。

Umbrella,umbrella.

 新宿でぼくは知らない人に声を掛けられた。煙草の煙が不自然なほど少ない街で、あらゆる人種がいる多民族国家で、人工と清潔と雑踏とが、鬱蒼と生い茂るジャングルで。「Excuse me」はじめの一言はこうだったと思う。二人組の日本人ではない誰かで、それでも男性だとわかる人たちが。彼らは目の前にある賃貸情報の張り出された掲示板のことについて質問してきた。ぼくは英語で会話をしたことなどなかったが、中学英語や高校英語は得意だったので、拙いながらも会話が成立した。「Excuse me」だなんて、本当に使われる言葉だったのだ、ということがぼくの関心事だった。二人組の内の一人の、鼻から毛が飛び出していたとかそういうことは意識しなかったと思う。
 時々、予め脳に障害を持って生まれてきた人や、後発的に能力を欠いた人、そういう人たちの中の、ぼくらが通常使う言語が全く通じない人に出会うことがある。ぼくがスーパーマーケットでアルバイトをしていた頃、染髪料の空き箱を持ってぼくに接触してきた老婆がいた。声を発するのは聞こえたが、凡そ、ぼくの知り得る言語には聞き取れなかった。手に持つ空き箱から、同じ商品を買い求めに来たのだとわかったが、それを手渡しても何かが満足しなかったらしく、必死に言葉を紡いだ。でもそれはおそらくどの国へ行っても、どの言語体系に則っても伝わらない幻の発語だ。無力だった。ぼくは人間としてその老婆に恐怖し、また自らの弱さ、至らなさに泣いてしまいそうだった。アルバイト中だったので心を殺していたのが幸いした。
 外出先で予想しない降雨に見舞われて、ぼくは安物のビニル傘を購入する。普通の人ならこうして、家に傘が一切ないという状況とは無縁となるのだろうが。降りしきる雨を避けるため、購入した傘を差して屋外に出る。そろそろ電車に乗らなければ。夜に友人宅で麻雀をする予定があった。友人の家に辿りつく。雨は上がっている。ぼくはいつも、その友人の家に、購入してから一日も経たない真新しい傘を置いて帰る。そろそろ、新しい傘の供給がないぼくの家から、一本の傘もなくなるかもしれない。しかしそれについて危機感らしきものはない、と感じる。昨日。今日は残り二本の、一本を持って外に出たら、スーツを着た日本のサラリーマンみたいな風体の外国人が、「ワォ!」とか言いながら駆けていって、彼の足が散らした水飛沫を、腰の曲がった老婆がものともせず、濡れ鼠になって歩いていたから、持っていた傘を思わずあげてしまった。「傘はどうされたんですか」と尋ねると「突然の雨で……あなたはいいの?」なんて言うものだから「ぼくんち、それなんですよ(真後ろを、親指で)。もう一本持って来ないとな、それじゃ、行ってらっしゃい」と言い捨てて踵を返した。多分老婆は笑っていたと思う。ぼくはこうやって傘を失っていく。最後の一本を如何にして失うのか、願わくば言葉の通じない渡し方を。あんぶれら、あんぶれら。発声さえない。

Dead flower.

 ぼくが仕事に疲れると、誘うようにして十歩先に現れる女の子がいるという話。女の子は花畑を探している。ぼくは先導するふりをして、実は彼女の行く先に追従する。花畑でなくても、路傍に咲くタンポポやイヌノフグリに笑みを零す素敵な女の子。フラウ、とぼくだけに呼ばれる女の子。自身が花のようなフラウ。幼い女の子。
 風を一つだけ捕まえてあげる、といって、たった一つの風を三分間もぼくと彼女自身にぶつける。彼女といる時だけぼくは人間として、表皮のさっぱり乾いた、健康で十全な心持ちを得る。十分おきに鳴るぼくの携帯電話をフラウは不思議そうに見る。ぼくはそれを無視する。彼女の声さえ聞いていればいいのだった。
 ぼくは、同僚の女性とセックスする。買い置きしたスキンが乾く暇はない。恋人を作る気もまた、ない。翌日の仕事が憂鬱になる。それでもぼくは女性を抱く。今日は上司に少しだけ厳しく叱られた。そしてぼくは軟らかい乳房を揉む。ぼくは根性があって、見込みがあるらしい。直属の上司からの評価。その後ぼくは縋りつくようにして女性の毛を口に含む。ぼくがしたいことだけを女性の身体に行う。多分ぼくはセックスが下手だ。くたくたに窶れながらぼくはその後仕事をする。そんな日に限ってフラウは現れない。そうして必ず次の日には細い肩を怒らせて、のしのしと、前方からやってくる。ぼくは仕事をほっぽり出す。フラウがぼくをしゃがませて、ぼくの口の端を抓る。ぼくは苦笑いで謝辞を連ねる。
 経血の薄汚さを知らない少女。女性として不完全な、異質の存在。ぼくはきっとフラウとセックスしたいとは思っていない。彼女もそれをまだ望まない。道端に咲く花へ直向きな喜びを向けている間、彼女に初潮はやってこない。それは死んでいる花。幼い少女はまだ生きていない。花のような可憐な少女、いつかぼくが性徴の少しだけ遅れた彼女に性愛を向ける時が来たら、死んでしまおうと思っている。しみや乾燥知らずの滑らかな頬も、軟らかくないだろう乳房も、細すぎて危うい腰も、一切の飾り気のないだろう性器も全てが愛おしい。まだ人間の女性として不十分であり、だからこそ人間ではない、フラウ、まだ神様になれない少女、誰にも見つからず咲こうとしている、これから生きる死んだ花。

Beautiful world.

 世界はとても美しい。ぼくの乗る電車が人身事故で、もう一時間、運行を停止している。ニコチンの欠乏した頭で、人が死んだということについて想う。一個の肉体とその内に詰め込まれた血液や生理液とが、バラバラに四散する。アナウンスされる救助活動、実際に行われる回収作業。世界はとても美しい。そんな日に雨を降らせてくれるのだから。そんな時に、人々が心を止める朝と、あらゆるものを隠す夜とを、用意してくれるのだから。
 一人の健全な男性が無知な童女に性愛を向ける。屋外のある場所に棲みついた猫のために餌を出してやる。自らの鬱憤を晴らすためだけに仕事上の部下に罵声を浴びせる。杖を片手にだだっ広い道路と対峙する老人の手を取り連れ立って横断する。歩き煙草を楽しみ道端に投げ捨てる。自らが出したゴミを完璧に分別する。世界はとても美しい。たった一人の人間にこれだけのことをさせるのだから。
 人が人を殺す時、その方法如何はあるにしろ、きちんと後悔する。世界はとても美しい。その後悔を失ってしまった、あるいは最初から持って生まれなかった人間には、相対した人が申し訳なくなるほど、社会生活、社交の場で礼儀正しく、また心配りと挨拶の能力を持たせるのだから。ぼくは職場での些細なミスを後悔したりしない。シリアルキラーやサイコパスが殺人を後悔しないからといって、人間として異常なことなどないのかもしれないと思う。人間が人間でなくなるときとは? 世界はとても美しい。
 最近頭痛が酷い。胃の調子が悪い。動悸もする。快晴の空の下を歩く。世界はこんなにも美しい。仕事を休んで良かったと思う。初夏の午前、世界は遍く照らし出され、清々しく、穏やかに、自らの身体を意識することを忘れさせて、空の向こうでは住宅の屋根が連なる、その向こうに柔らかく膨らんだ雲があって、さらに遥か彼方にまた青空があり、目の前をキアゲハが横切り、どこまでも飛んで行こうと身を投げ出し、ぼくは煙草に火をつける、表出しない死を、穏やかな気持ちで、あるいは知らないまま手繰り寄せている。世界はとても美しい。


空白

  破片

 都庁の高い建物が、曇り空を支えていた。私の手は届かない。目の前にかざしてみた手は、あのビル群に触れているようで、けれど実は、遠い虚空を隔ててビルと手とが同じ直線上に坐しているだけにすぎず、決して触れるなんてことはない。三十八階の窓の脇、その外壁に指先が届いたら、私たちは少しの間だけヒトでない存在になることが、出来るかもしれない。

 そのコーヒーは青かった。緑とも青とも、ごった煮の黒とも、そして透明とも言える。でも多分私が見る限り「青」が一番近いので、友達と協力して淹れたそのコーヒーは青い。信じられない色彩の飲み物はクソ不味くて、今すぐ発がん性を持つ何らかの物質に生命を削られてしまうのではないかとわたしは思った。「捨てようか」と少し挑発的な表情で友達は言う。そしてわたしが答える。「いいさ、死ぬわけじゃなし」二人の声が「一度くらいこんなのを飲んでも良い」青空みたいな不安な色の液体に溶ける。

 たとえば私は、東京スカイツリーや通天閣といったとてつもなく高い建物の、天辺から見る普段の世界がどうなっているのかを一切知らなかった。それを知るひとたちは、わたしたちが発明した青のコーヒーを美味しく飲めるような、そんな種族なのだと思う。六百メートルもの距離を隔てても、ひどく強引で、わかりやすい手段を使ってその空白を埋められるひとたち。煙草の吸殻が一つも落ちていない道を行く人々は、あまりにもサムそうな目でそれを見ている。

 ちょっとした小道や路地の方へ入っていけば、コーヒーの豆を売っている処などいくらでもある。私たちの作るコーヒーは何も特別なものは使っていない。ただグァテマラだとか、キリマンジャロだとか、マラコジッペ、知らないなりに聞き覚えのある豆を焙煎機にぶち込んで、ゴリゴリ挽いて作る。都庁45階にある展望台から見たスカイツリーの中腹は、そういえばコーヒーを作る時のように、堂々とした中に忙しなさを感じさせる速度で回転していた。そこでは行きつけの珈琲屋が見えなかったことが、わたしを最も感動させた。

――大学の窓から飛び降り自殺。
 私は、友達のバイト先にいる同僚がいかにクソな人間かということを語り尽くすのを聞いている。ちょっと綺麗な女を見ると舞い上がる、調子に乗る、笑顔になる、偉そうにする、自分の顔を鏡で見た方が良いですよ、といつか言ってやろう、そうだそれがいいと、私が笑い転げる。
――都内のコンビニでアルバイト。
 それを知るのがあと一時間早かったなら、私たちは何を語っていたのだろう。私はその事実を知った時、とてつもない失望感と、羨ましさを覚えた。死ぬこと、死んだことに対して、ではなく、「死ぬことが出来たこと」に対して。死んでしまった彼は私たちの淹れたコーヒーに、口をつけさえしなかったくせに。
 私たちはそれから丁度五分を数えた瞬間、同時に吹き出し、大笑した。私たちの語った彼は、もう世界にはいない人物だったという認識。どうしようもない時間軸のズレ。何か圧倒的な転倒。知人を喪ってしまった喪失感や、悲嘆、そういったものがあるから、私たちは笑う。「死んでいたって、どういう事態さ」「大学の窓からか、色んな人間に見られただろうな」「どうせなら都庁からってのは――」「それいいな。あ、でも展望台は嵌め殺しだぞ」「何とかしてさ」「何とかするか」私たちは病みつきになってしまった青いコーヒーを啜りながら笑い続ける。格好つけの彼は、私たちが笑い続けている限り、多分生きている。自分の肉体を護りながらヒトでない存在になるのは難しい。私たちは都庁や東京スカイツリーの天辺から、何百メートルも隔てた虚空を飛び降りて、空白を握り潰して、生き残ろうと画策している。指先がそこへ届くように。コーヒーは少しずつ私たちの身体に馴染んでいる。彼が火葬されて骨になる時、わたしたちは小春日和の高すぎる空を見上げて、都庁の麓の住宅街を散歩している。

文学極道

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