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atsuchan69 - 2018年分

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


見なれた顔

  atsuchan69

刎ねられた首の、落武者ヘアーの見慣れた顔がそこに在った。
所々に空いた障子の破れから庭の繁みを覗かせた薄暗い茅屋の畳のうえに
斑に変性菌類の付着した身体のない見慣れた鼠色の顔は飄々とした面持ちでごろりと転がっていた
女、子供らはその顔の間近へ卓袱台やら座布団だのを運んだが、
それは失われた日常を取り戻す儀式のためだけでなく実際に朝食の準備も兼ねていた
顔のない母親はひとりアルミの鍋や茶碗を運び、
小鉢の炭と皿に盛った千切った新聞紙を盆にのせて運び、
さいごに白木の飯櫃を運ぶと姿の消えかけている子供らを卓袱台のまわりに座らせた
父さんはいつまでもあんなだけど、おまんまがこうして食べるだけでもありがたいことなんだよ
おそらく母は身振り手振りでそういってみせたのだが、顔がないので口もない
身振り手振りでは到底伝わる筈もなく子供らはさっそく御飯茶碗を持って一斉に母へと向けた
白木の飯櫃には海の砂や貝殻や水色のビー玉、そして神社で拾ってきた玉砂利が入っていた
子供らは茶碗に盛った砂に雑じったビー玉や貝殻を嬉しそうに見つめながら、
同じように小鉢の炭や千切った新聞紙もときおりチラッと見ては愉快そうに笑った


雨の日は、腐敗した古畳の目から悲しみが滲んで濡れた
そればかりか歪んだ天井のそこかしこからも悲しみが滲みて、ポタリポタリと古畳を濡らした
ずぶ濡れになった母と姿の消えかけている子供らが見慣れた顔の傍らで寝そべっている
部屋中を靄のような悲しみが漂い、それでも見慣れた顔はただごろりと転がっていた


月明りの晩。
まるで大地が沈むかと思うほどの地響きにも似た激しい鼾が茅屋から聴こえる
鼾の音で揺れる古畳のうえを一匹の猫がやって来てしばらく光る眼をじっとさせた
眼の前にあるのは破れた障子からもれた淡い月影に染まる落武者ヘアーの見慣れた顔だ
無精髭の見慣れた顔は、突きだした唇をぶるぶる震わせて鼾の音ともに涎を飛ばした
その一滴が猫の額にとんだ瞬間、猫はニャアーと鳴いてとっさに退いたものの
あいかわらず鼾は怖ろしい地響きをたてて古畳、いや茅屋じゅうを揺らしていた
猫は右の前足で額のあたりを何度も拭きながら、
ふと部屋の隅に寄り添って無心に眠る顔のない女と姿の消えかけている子供らを見た
とたん、鼾が止まり落武者ヘアーの見慣れた顔が何かを話した‥‥なかずんば、すせろう、
意味不明な寝言をつぶやくと大きく見慣れた顔が右に傾いてごろりと転がった
そもそも動く物に猫は敏捷に反応する、猫パンチ! 転がる見慣れた顔へ猫パンチ! 
弾みをうけて見慣れた顔はどんどん転がってゆき、追う猫はさらに猫パンチを繰りだす
転がりながらも、すせろう、ともやもなるなればあさかなくべねやのうと寝言をつぶやく
‥‥すせろう、
そう言って、無精髭の見慣れた顔は大粒の涙をながして眼をひらいた
すせろうともまけじみれたまかしきおんなきうごめよなあ、すみまかしものよのう‥‥
眼のまえの猫を睨んで、ついに見慣れた顔は動きを停めた。口はしっかりへの字に結んでいる
よほどその形相が怖ろしかったのか、ふぎゃあ! 猫はたちまち逃げだした


正月、
あいかわらずの茅屋で畳も腐敗し変形菌類の発生が見られるほどであったが、
それでも顔のない女と姿の消えかけている子供らは晴れの日の着物を着ている
卓袱台の上には、ブルターニュ産の海泥で捏ねた見事な餅が置かれていた
さらに普段はとても口に出来ない金や銀の色紙や千代紙までが漆器に盛り付けられていた
見慣れた顔は髭を剃り、立派な兜をかぶって床の間に堂々と飾られている


神の名前

  atsuchan69

火の年に、
大水の声を描く
詩人は、
自ら指を燃やして、

轟く稲妻にも似た

 その声を、

陽に焼けて古びた愛と、
数々の秘密と背徳を埋めた土に
透明な色のインクを滴らせ、
尖った刃のような大人しくない言葉で

斃れた灰色の建物の壁に
地響きのような大水の声を描く

やがて神々しい声とともに
もくもくと立ちのぼる
白く巨大な原子雲の見下ろす、
かつては美しい街だったこの世の地獄

人々の営みはもうなかった

 それは、

インディアンたちにしたように
容赦なくベトナムで行ったように
イラクで大勢の人たちを殺したように
広島と長崎で女や子供たちを焼き殺したように

 平和を纏った狼どもが、街中に火をつける

台本通りの戦争のために
敵にも味方にも武器と弾薬が配られる
純朴な羊どもを戦わせるために、
さまざまな事件やテロを繰返した

 それは、まさしく残虐、非道だった
   


          ※


うたう声が、
彼処できこえる

その歌に、
大水の声が重なると、
力づよい音のひびきが
多くのことばと結ばれて
やがてそれは
異言でつづられた
祈りのハーモニーへとかわった

すべての思想や宗教が、
牢獄の足枷だということも
うたう人々は、
歌いながら自然に悟った
歴史は、
支配者にとっての
都合のよい嘘で固められていた

姦淫を行うのと
姦淫を行う者を殺すのと
いったいどちらが罪なのか? 
理解できる者は、手に持った石を捨てなさい

同性愛を行うのと
同性愛者を殺すのと
いったいどちらが罪なのか? 
理解できる者は、手に持った石を捨てなさい

神を信じないのと
信じない者を殺すのと
いったいどちらが罪なのか? 
理解できる者は、手に持った石を捨てなさい

 全地を統べる神々は、けして強大ではなかった

むしろ彼らの怯えが
「残虐、非道」だった

この世界に在るものが
一切、彼らの所有する財産ではなく
全人類が共有するものだと
世界中のすべての人々が知ってしまった時、
神々の支配はその効力を失う

 見よ、新しい天国が降りてきた
 煌びやかな宝石を散りばめた天国の門には
 「神の名前」が記されているという
 その名は――

 言葉にはできない

という意味の‥‥

文字通り、
とても言葉にはできない
涙で描かれた、
崇高な文字が記されている





引用:ヨハネによる福音書8章7、8、9節


ビンタ

  atsuchan69

大粒の涙‥‥いやそれは悲しみというよりまるで馬鹿げてるとしか言いようのないほどの荒く凄まじい憎しみの雨で草木の葉は低くうなだれ足元はたちまち泥の河となった白く靄の立つ密林を飛び石のように跳ねながらやって来る翅のある大鰻の群れとそれを追う三前趾足(さんぜんしそく)のビンタどもそして彼らが過ぎてしまうとまもなく雨は止んで今度はギラつく光が密林の濡れた木々の葉を照らした青空を覗かせる枝葉の隙間からもしも神を信じるならきっと神だろうそのものは天までとどくかもしれない虹の梯子をいくつも下ろして見せた鮮やかな緑の羽毛に覆われた一匹のビンタが鋭い嘴で黒と黄の斑の大鰻を喰らいそこへ別のビンタが餌を奪おうとやって来るなり争いをはじめた泥濘に血の色がまじり鶏冠(とさか)のあるビンタが鶏冠のないビンタから餌を横取りするとそのとき咽喉に槍が突き刺さって空を飛べない羽根をバタバタとさせた鶏冠のないビンタはクォケキックォオオと啼くとたちまち生い茂る草の葉をなぎたおして密林の奥へと消えた大鰻は大人しくなった鶏冠のあるビンタに頭を飲み込まれていたがまだ息をしていた首にいくつもの爪と牙を集めて吊るした背の低い男は腰にある短刀を抜いて静かに近づいたその後を槍を持つ男ども数人が付き添っていた鶏冠のあるビンタの目から涙が流れているビンタもまだ死んではいなかった短刀を持った男はビンタの胸のあたりに止めをさしたキヒィイイと漏れるような声で一度だけ啼いた美しく残虐な血の匂いを嗅いでさらに大型の肉食獣がやって来るかもしれない作業は迅速に行われなくてはならなかった男たちは羽根を切り裂き首も落とした焼いて喰うと旨い大鰻もこの場に残すより他なかったビンタを捌いたのち胸の肉と腿の肉をさらに切り分けて皆で塊を背負った帰り道はとても愉快だ村の女子供たちのよろこぶ顔がすぐ眼の前にある密林に夜が来るのはたぶんもう少し先かもしれない大粒の涙のあとはきまって笑いがやって来る男たちはとてつもなく単純にそれを信じて今日まで来たのだそのくりかえしだった密林で生きてゆくのは


戦艦パラダイス号

  atsuchan69

当時、カレーライスという料理はそれほど有名ではなかった。カムパネラが初めてそれを食べたのは海の上だ。それは「沈まない要塞」と呼ばれ、バロック調の広間や食堂を備えたとても戦艦とは思えないくらい豪華でお洒落な船だった。深紅の絨毯を敷きつめたとてつもなく広い食堂は、望むなら三千人の乗組員が同時に席に就くことが出来た。見上げると幾十もの馬鹿でかいシャンデリアが煌々と光を放っている。食事の前に艦長が席に就いたまま、「我らが神人陛下に感謝します」とはっきりとした太い声で言った。そして全員が「我らが神人陛下に感謝します」と復唱した。白いテーブルクロスの上に銀のスプーンと水を注いだグラスとカレーライスを盛った陶磁器の皿が並んでいる。カムパネラはそのうっとりするような香りを嗅いだだけでも思わず唾を飲み込んだ。こんなもの、たった今も戦争中の人間がよろこんで食べてよいのだろうか? しかしひと口、黄色がかったオレンジにちかい色のカレーを口に運ぶともうじつにあっけなく論理は崩れ去った。「美味い!」こんなもの、今まで食べたことがない。そしてカムパネラは無我夢中でカレーライスを口に頬張っていた。

幾百の夜がすぎて星は輝き、その夜空を一筋の軌跡をのこして星は燃え落ちた。タバコを咥えたカムパネラは人気のない船首付近の甲板にいた。敵国ダミラスは、男根を持った女性たちの国だ。彼ら、いや彼女たちの国は奴隷の青色人種と貧しい移民のストレート(異性愛者)たちの犠牲によって成り立っていた。しかし我が軍のなかにもアンドロギュヌス(両性具有者)は少なからずいる。そのこと自体が悪いというわけでもなかった。ただ、そもそもの火種は貿易上の双方譲らない利害関係から始まっている。特にナミダ油田の利権争いの際に空軍を使ってメノフチを空爆、ナミダの住民を殺戮したのはダミラスの同盟国サンテ・ドウだった。またナミダの住民の殆どが神人の血を分けたフンドシを祖とするストレートだったことも、戦争を始める側にとっては好都合だった。戦争を始める側というのは、つまり例の「死の商人オカア」率いる秘密結社アドンであるという噂はけっこう古くからある。事実、オカアはデラペニス火薬社のCEOであり、サンテ・ドウ国の王子とは懇意の間柄である。しかし報道各社は殆どオカアの息がかかっていて正しい情報はなかなか伝わってこない。それでも点と点をつないでおよその輪郭というものは見えてくるような気はするが、すでに戦争は始まってしまっているのだ。そしてダミラスの船には、殆ど奴隷の青色人種と貧しい移民のストレートばかりが犇めいて乗っていた。眼をつぶると、錆びたダミラスの船が浮かぶ。彼らは燕麦の粥を食べ、腐りかけた林檎を齧って一発500万キルビルの途方もなく高価な砲弾を撃ち込んでくる。

さすが「沈まない要塞」というだけに戦艦パラダイスの白い主砲にはどれもダイヤモンドやサファイア、そしてルビーが散りばめられている。この船での生活は、厳格な規律はあるものの全く申し分なかった。自由時間にはデッキでギターを弾き歌う者やプールサイドには水着のアンドロギュヌスたちもいた。カムパネラは読書が趣味だった。その多くはくだらない恋愛小説が大半だったが、たまに推理小説も読んだ。恋の成就と謎解きはどこか似ているような気がした。この船の存在理由は言うなれば海上における「主要陣地」であり、もしもこの船が沈むならその時はこの戦争が終わりに近づいたことをすぐさま知ることが出来るだろう。きっとカムパネラも顔が青くなるほど貧しくなってほんの一握りの両性具有者のために一生を奴隷として捧げることになるのだ。だがそんなことは、まずありえなかった。戦艦パラダイス号の艦首最下部には魚雷発射管付きの水中展望台があり、後方部にもまた同様のものがあり、海中からの攻撃にも十分対応することが出来た。そして艦載機はもちろん艦の付近には常時巡洋艦7隻と空母2隻が配置され、敵のいかなる攻撃にも対処していた。そうした硬いガードによって戦艦パラダイスの夜は華やかに幕を開く‥‥。まるで舞踏会さながら戦時下というのに仮面を被ったタキシードや燕尾服、そしてスパンコールの付いたドレスや鳥の羽根の帽子の女、そしてさまざまな色のイブニングドレスと扇、軽快な音楽が入り混じった。パーティー会場にはオカアの姿もあった。「宴もたけなわですが、さてみなさん。ここでデラペニス火薬社CEOのオカア氏に登場願います。この戦争に武器弾薬なくして勝利はありません。氏は、当軍の側にすべての武器弾薬の20%割引を承諾して下さいました」ここで「おお!」というどよめきと歓声、そこかしこで口笛も鳴った。「いいですか、ダミラスは我々よりも20%高い弾薬を使うリスクを背負うことになります。そこで我々は、ダミラスの土手っ腹に風穴を空け、さらに20%分よけい胸や頭にも向こう側の覗ける穴を空けてやりましょう。さらにさらにみなさん、オカア氏はもう一つの特典も与えてくれました。特典とは? フフフ‥‥。それはオカア氏自身から直接教えてもらいましょう。みなさん、オカア氏です――」ふたたびどよめきと歓声、小柄なオカア氏が壇上に上がった。「いやあ、親愛なるニギリメシ国の海軍、戦艦パラダイス号のみなさん。ご紹介に預かりましたオカアです。特典、今月かぎり‥‥すべての武器弾薬を50%割引とします」すると「嘘だろう」とか「まさか」という声が漏れた。「本当です、ただし今月限りですが。ここだけの話、私はニギリメシ国の味方です。もちろん、ビジネスはビジネス。いくらなんでもタダには出来ません、でも私の出来る最大限のご奉仕としてみなさんにプレゼントさせてもらいます。ぜひ受け取って下さい、使用量の制限は一切ありません」カムパネラは驚いた青色人種みたいな顔をした。ということは、魚雷も大砲も打ち放題、命中度を上げるための思案や時間もいらない。簡単に言えば、ただマシンガンのように撃ちまくれば良いのだ。

その3日後、電探(レーダー)室から艦長へ「左舷11時方向、距離42000に敵艦隊発見」と緊急連絡が入った。「了解した」艦長の顔は朝起きて髭を剃った時の爽やかな顔のままだ。すると、いっそう爽やかな顔になって「こちら艦長。護衛艦隊に告ぐ、全艦応戦体制に入れ」と命じた。そしてバタバタと走る海兵、「総員戦闘配置!」カムパネラは艦内の一人乗りエレベーターを使って艦首最下部の水中展望台へ向かった。「水中展望室1号と2号、こちら艦長」すぐさま、「2号です」と後部から。「水中展望室1号、配置完了です」とカルパネラもやっと応答した。「諸君、自由にやれ。これは艦長命令だ」と、俄には信じられない指示が。「了解しました」とはいうものの、今はまだ艦上から視認すら出来ない距離である。しかし「打ち放題」ということであれば話は別で、盲撃ちだって構わないならたった今発射ボタンを押しても良いくらいだ。正面のガラス窓から数匹の黒いマンタが泳いでいるのが見える。その遥か先には無数の魚の群れがあり、柔らかな朝の光は海の底までも静かに梯子を降ろすように届けられていた。仮に52ノットであれば、魚雷は20キロの距離を10分少しで移動する。値段は一般的なサラリーマンの生涯年収のおよそ半分くらいだろうか。これをたぶん昼までにカムパネラの独断で最低20本以上は発射できるのだ。潜水艦ならともかく、この船の場合は銃で例えるなら6発の弾が入ったリボルバーが4器セットされている。交換にやや時間はかかるものの望めば100発だって射出可能だ。問題は「命中精度」なのだが、「盲撃ちの空を向いたマシンガン」か「百発百中の狙撃手の撃った一発か」との選択に等しい。まして過去の海戦においても魚雷は接近戦で使うべきツールであることが実証されている。当時の技術では、距離があるほど「空を向いたマシンガン」になってしまうことが多く、数での優位は無意味に近かった。それでもこれは戦争なのだ、資本主義社会の世界規模の「祭り」なのだ。大勢の人が死に、高価な船舶や航空機があっという間に鉄くずに変わるマジックショーなのだ。人が死ねば棺桶屋が儲かる、造船産業や航空機メーカーも一夜かぎりの花火のような確実に人が死ぬ機械をフル生産で作り続けることができる。カムパネラは躊躇せずに最初の「引き金」を引いた。

衝撃を感じたのは数秒後のことだった、カムパネラは「やった!」と思った。しかし距離からみて早すぎる着弾だった。次の瞬間、鼻腔に嗅いだことのある者にしかわからない一種独特なあの地獄の匂いを感じた。「護衛艦アタリーナ、敵の魚雷攻撃によって被弾しました」嘘だ、嘘だ、カムパネラは頭をふった。なぜ勝手に前にいる? 「沈んでいます! 乗組員は多数の死傷‥‥」そして弱り目に祟り目、「敵機襲来、魚雷攻撃に備えよ」とスピーカーが言い放つ、「敵魚雷、投下されました」間もなく、向かってくる魚雷を目視した、こちらには着弾こそしなかったが、左舷方向を並んでいた護衛艦シズミーノ号の艦首最下部に激突し、立ちのぼる水しぶきとともに爆裂。高額なデラペニス火薬社製「いのちの爆弾の母」を搭載した敵魚雷によって艦は忽ちのうちに沈んだ、「敵魚雷、また投下されました」さらに「別の敵魚雷、投下されました」ちくしょう、カムパネラは「空を向いたマシンガン」を目をつぶったまま撃った、そして撃った、「緊急事態発生! 艦長だ。敵機襲来!」飛来した敵機のうち一機には、肌の白いアンドロギュヌスの操縦士が載っていた。艦橋目掛けて急降下してきたアンドロギュヌスの機を狙って各所の三連装機銃が火を噴く。たちまち、右の主翼を撃ち抜かれて敵機は船の後方部甲板に墜落した。「落ちたぞ! 機体が燃えている。至急消火せよ、繰返す、至急消火せよ」

それでも残念なことに、戦艦パラダイス号の白い主砲はおろか副砲とも火を噴くことはなかった。護衛艦隊のうち空母2隻から飛び立った最新式魚雷を搭載した飛行部隊「ノッテ・ステラータ」が活躍し、敵の艦隊はあっけなく海に沈んだ。また敵側の戦闘機の大半は、戦況の不利を痛感したのか彼らの前進基地のあるカッパ諸島へ逃げ去っていった。カムパネラの射出した魚雷はきっちりと24発。味方の護衛艦以外には一発も当たらず、その他の魚雷は海の果へと向かって消えた。墜落した敵機の操縦士は無事に救助されて捕虜となった。夕方ちかく、医務室から獄舎へと連行される「彼女」の姿をカムパネラは遠巻きに見ていた。そして彼女も、虚ろな眼差しでカムパネラの方をしばらく見た。左目に眼帯と、頬には絆創膏を貼っていた。それでも、「ああ。なんて美しいんだ」カムパネラは思わずそう呟いてしまった。さて、水中展望室1号の報告は日々艦長へ直接行うことが慣例になっていた。葉巻の煙を燻らしながら、「今度の戦争は」と、艦長が言った。「今度の戦争は表向きは我々の勝ちだ」ワイングラスを持ったままカムパネラは艦長の後ろ姿を見つめた。「しかし戦争というものは破壊こそが真実なのだ。破壊され、焦土となった国はやがて復興する。これこそが真の目的だ。そして勝者はやがて没落する‥‥」ふり向くと艦長は、「飲みたまえ、ブラジア産のワインだ」そう言ってカムパネラの肩に手をやった。「はい、でも艦長の仰ることが自分にはよくわかりません」艦長は口元を緩めた。「いつかわかるさ。その前にダミラスは焦土となる。そして復興し、青色人種と貧しい移民のストレートが新しい国のリーダーとなるだろう」カムパネラはまだワイングラスに口を付けていなかった。「自分たちの、ニギリメシ国はどうなるんですか?」すると顎のあたりを撫ぜ、「陽は沈む。とてもゆっくりとだがね」艦長はしみじみとそう言った。「艦長、もうひとつ解らないことがあります」カムパネラは今回の作戦で味方の船を沈めてしまった経緯を率直に話した。「多くの人命と我軍の護衛艦1隻を自分のミスで失いました。それなのに今のところ処分の動きが全くありません。それはなぜでしょうか?」艦長はふたたび背を向けた。「言ったはずだ、自由にやれと。それは護衛艦すべてにも命じた。戦争というものは破壊こそが真実なのだ。敵も味方もない、そのために戦っているのだ。そして今回、君は多額の【消費】を行った。じつに勲章ものだよ」そんな馬鹿な、とカムパネラは思った。でもよく考えてみると、確かに人を殺す行為の前に敵も味方もなかった。

カレーの日は毎月、月の初めの日だ。見上げると幾十もの馬鹿でかいシャンデリアが煌々と光を放っている。そこは戦艦パラダイス号の深紅の絨毯を敷きつめたとてつもなく広い食堂だった。食事の前に艦長が席に就いたまま、「我らが神人陛下に感謝します」とはっきりとした太い声で言った。そして全員が「我らが神人陛下に感謝します」と復唱した。白いテーブルクロスの上に銀のスプーンと水を注いだグラスとカレーライスを盛った陶磁器の皿が並んでいる。カムパネラはそのうっとりするような香りを嗅いだだけでも思わず唾を飲み込んだ。こんなもの、人間を大勢殺した者がよろこんで食べてよいのだろうか? しかしひと口、黄色がかったオレンジにちかい色のカレーを口に運ぶともうじつにあっけなく論理は崩れ去った。「美味い!」そしてカムパネラは無我夢中でカレーライスを口に頬張っていた。


騒ぐ言葉

  atsuchan69

かん高い声の騒ぐ言葉が部屋中を這いまわっている。声の主は女と女なのだが、女と女は椅子に座っていて向かい合ったちょうど真ん中にテーブルに載った紅茶とポッド、そしてナイフで取り分けたそれぞれのビクトリアサンドイッチケーキが女と女の側に置いてあった。紅茶は、ウェッジウッドの小花柄のカップに注がれていたが、部屋中を這いまわる騒ぐ言葉のせいで微かに波紋を揺らしながら、明るい琥珀の色に溶けた遠いダージリンの土地の幸福な匂いを淡い湯気とともにゆっくり立ちのぼらせていた。また銀のスプーンは、しばしば騒ぐ言葉とともに皿の上で小さく震えることもあったが、女と女は相変わらずケラケラと笑い、無数の騒ぐ言葉を床や壁に這いまわらせていた。その言葉のひとつが、壁に染みた「脂肪燃焼サプリ」だったり、「借金玉の今日はこれに頼りました」だったりしたが、意味は無数の意味の前では何ら意味を成さない。今しも天井を走る「ミコノス島の赤い夕日」が「タコのガリシア風」と激しく衝突し、その拍子で「ミコノス島の赤い夕日」は「賀茂なすの田楽」の這いまわる床に落ちて「日夕い赤の島スノコミ」になって黒い多足の足を天井に向けてバタバタさせている。だが、そんな騒ぐ言葉のひとつひとつを紹介していてもキリがない。ただ一匹、もしくはもう一匹、「あなたのご主人」と「ウチの馬鹿亭主」が、夕べこの家の主人である私が酔っぱらって床に零したワインの染みの上で何故か居心地好さそうに、まだ生まれたばかりの子猫のようにじっと大人しくしていた。そして女と女はケラケラと笑い、さらに無数の騒ぐ言葉を床や壁に這いまわらせるのだった。

文学極道

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