#目次

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Canopus (角田寿星)

選出作品 (投稿日時順 / 全31作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


海を渡る(マリーノ超特急)

  Canopus(かの寿星)

「線路の上を歩いて海を渡る
 それ自体はけして珍しい行為じゃない
 だが
 心してきいてほしい
 次の駅にたどり着くことのできる者は
 きわめて稀である

「大洋をどこまでも縦断する一本の直線
 それは島嶼
 それは紡がれたほそい蜘蛛の糸
 それは世界をやさしくコーティングするシナプス
 それは人類にただひとつ残された叡智

「必需品 まずは
 一本のおおきな水筒と
 絶縁体の手袋と靴を用意すること
 線路は帯電していて触れると必ず体を蝕む
 また駅間の距離は定かではないが
 夜通し歩いても二日は優にかかる

「マリーノ超特急は週に一本
 南回りの便ばかりが走っている
 急げ 急いで海を渡れ
 列車がぼくらを飲みこむ前に
 ぼくらの運命が
 サイコロのように決まってしまう前に

「線路のまわりの波はおだやかで
 はるか向こうには灯台がかすんでいる
 口笛を吹きながら渡った
 私を祝福する太陽と空と海と線路と
 旅の道連れにウミネコの泣き声と
 駅までの道のりはけして退屈しない

「われわれの旅程の
 妨げとなるのは高波だけではない
 強い紫外線と海風は確実に体力を消耗させる
 波に洗われる線路は
 常に横揺れをくり返し
 海を渡るわれわれを拒絶するかのようだ 

「そして今やかなしいことに
 イルカもクジラも人類の敵なのだ
 彼らに見つかったら最後
 四肢から徐々に喰われて
 私の存在した証はどこにもなくなってしまう

「このちいさな街に生をうけて
 なにひとつ不自由なく暮らしてきた
 それなのにどうしてだろう
 駅がぼくをいざなうんだ
 旅に出ようとぼくをいざなうんだ

「海を渡るには駅を見つけなくてはならない
 駅の正確な場所は誰も知らない
 規約上は誰にも訊いてはならない
 秘密裏のうちに目くらめっぽうに
 探す 薔薇の薫りのする方へ

「駅員は親切にも最低限の必需品を用意して
 ボン・ボヤージュ! 旅に出る者を祝福する
 駅員は海を許しなく渡る者を取り締まる
 彼らはためらいなく密航者を射殺する
 駅に駅員のいたためしはなく
 さびれたプラットホームがぽつんとあるだけだ
 駅は
 存在しない

「風をつらぬいてきこえるのは
 マリーノ超特急のユニゾンシフト
 姿をみたことはない
 音だけの幻の列車だ
 私は思い出す私の成し得なかったくさぐさを
 ユニゾンのこだまはいつまでも続く後悔のように

「ぼくははだしで
 海上のプラットホームに立っていた
 これからぼくの渡るまっすぐな線路だけを見ていた
 次の駅は
 かすんでまだ見えない
 歩きはじめる


Pointe (ポアント;つま先で)

  Canopus(かの寿星)

ぼくの知らない光
ぼくの知らない舞台
ぼくの知らない地平

君は舞台の袖で出番を待つ
淡い照明が
ツンと顎をあげた横顔を浮かべる
新しくおろしたシフォンのチュチュ
柔らかな菫色のトゥ・シューズ
小さな希望に膨らみかけた胸 覚えたてのパ
君は舞台の袖からまぶしくプリマを見つめる
アダジオからアレグロへ そしてパ・ド・ドゥ
速度を増していくピルエット
アラベスク・パンシェ グラン・ジュッテ
君の 外側を向いた指先とつま先が小刻みに震える

君の知らない闇
君の知らない北風
君の知らない茨の荒地
いや 本当は
ぼくもまだ知らない

コオル・ド・バレエにも
ぼくは君だけに視線を送るだろう
君の指先からつま先から こぼれ落ちる光の曲線を
ぼくは喜んで仮面の男になって
すべて飲み干そうとするだろう

プリマの賞賛に鳴りやまぬ拍手のなかを
君は両腕をあげ つま先をたてて
群衆の一人として旅立っていく
ぼくの知らない舞台 ぼくの知らない地平へ


MAKING EPIC

  Canopus(かの寿星)


●はじめに●

はじめに
大きなぬいぐるみを抱いた
可愛いコアセルベートに人生の苦味を少々
タブラ・ラサ
タブラの遠雷のリズム
クレシェンド クレシェンド
地平線を つっと引いて
近づいてくる拍動の朝に
視界には うす汚れた茶色い階段が
ぎいぎいと暗く鳴いてるのしか見えないけど
湿った三畳間の下宿で
布団にもぐりこんだ君しか見えないけど


●しあわせについて●

むかしむかし
ぬいぐるみをいとおしく抱いたよろこび
ぬいぐるみに布団をかけてあげたしあわせ
記憶する手のぬくもり 君は寝ぼけまなこで
洗面器に水を汲んできて
櫛に水をひたして
長い髪を梳いている
窓の隙間から湿った冷気が忍び込んでまぶしい
同じ水で顔を洗う
軽く体も拭く
タブラのリズムは目と鼻の先で
早くもシタールとギターが空から降りてくる
引き出しから古い手鏡を取り出して
にい と笑顔の練習をする
少し濁った洗面器の水を
ひとさし指でかき回して
歯は

歯を磨きに
君は洗面所へ降りていく


●あこがれについて●

(ロマンスに憧れることはあるけど
 ヒロインも経験してみたいとは思うけど
 ミニスカではしゃぐ高校生は少し羨ましいけど
 いつも同じジーンズを履いて
 悠久のリズムに身を浸しているうちに
 なんだか気持ちよくなってしまった

 友達とよく屋根には登った
 膝を抱えて生きていられるほど
 人に囲まれてはいないから)

パンの耳に砂糖をまぶして
それでもコーヒーはきちんといれた
朝ごはん


●不安について●

先だって汚してしまったジーンズが
まだ乾かない 二本しかないのに
空は今日も曇っていて君は短いため息をつく
ため息はスタッカートで
小気味よいギターに変わる
大きな不格好な黒い傘 くすんだトートバッグ
やさしいシタールのピチカート
自転車の鍵を持って


●子守唄●

シャッターの降りた早朝のアーケイドで君は自転車を停めた
どこか遠くで三線(さんしん)が聴こえて
君はそっと涙した


●MAKING EPIC●

ぎいぎいと鳴く茶色い階段を昇ると
湿った三畳間の下宿のドアには
「外出しています」の札
カーテンが降りて
部屋はいっそう暗く
誰もいない

人々の優しいことばは君のもの
絡んでくる酔っぱらいは君のもの
うねるタブラのリズムは君のもの
輝くシタールも君のもの
ひさしぶりに見た夕焼けは君のもの
カップに残ったコーヒーの苦み
河原でホタルを見た
頬をたたく風
あるいは強い雨
ちょっとお腹がすいて
友達の笑顔
青い空


みんな君のもの


龍との生活

  Canopus(かの寿星)


ぼくは龍と二週間ほど同居したことがある
猫のフクちゃんが何かひらひらした
長さ30cmくらいの紐とじゃれて遊んでいた
それが龍だった

あまりに哀れに干からびてたんで
風呂場で水をかけたら ジュッという凄い音がして
あたりが湯気でみえなくなった
風呂場の入り口で首だけ出して覗いてたフクちゃんは
バクチクが破裂したかのようにすっ飛んでった
視界がようやく開けたそこに
龍が浮かんでいた

以前 飛行機に乗って
上空から関東平野を眺めたことがある
平野のいちめんにうっすらと灰色の空気の膜がかかって
それはいちめんのスモッグで
こんなところにぼくは帰るのかと
暗澹たる思いをした
龍も同じ風景を視たのだろうか
こんなとこには霞はかかりはしないのに

はたして龍はタバコの煙には徹底的に弱かった
昼飯のお粥は箸を使ってペロリと食べた
フクちゃんはテレビ台の下から出てこなかったけど
二昼夜ほどして ようやくお気に入りのクッションで丸くなった
でも耳はピクピク動いていた
部屋の真ん中に龍 行儀よくとぐろを巻いて浮かんでて
チロチロと小さな炎を吐いて あ 鼻ちょうちん

新たに購入した空気清浄器の甲斐もなく
龍は日に日に弱ってちゃぶ台の上でぐったりとしていた
しかもフクちゃんまで思わぬ同居人に不貞腐れて
プチ家出をしちゃったんで
ぼくは龍を山に連れていく決心をした

上高地や安達太良山がいいか と訊ねると
龍はゆっくりとかぶりを振った
仲間はどこにいるのか との質問にも首を横に振った
ぼくは知った
人が龍を想わなくなって龍の個体数は減少の一途を辿ったのだと
そして彼こそが
日本最後の龍なのだと

ぼくは龍を信じよう
龍と暮らした二週間を胸に抱いて生きよう

ぼくは龍と卓を囲んで最後のお粥を食べて
お気に入りの この街でいちばん見晴しのよい丘で
龍とさよならをした
昼の白い月は思ってたより大きかった
龍は人間式のさよならをぼくに返して よたよたと
灰色がかった青空の彼方に消えていった
龍の通り過ぎた後には虹が架かるのだと
この時 初めて知った


白い自転車(オラシオ・フェレール「白い自転車」より)

  Canopus(かの寿星)


みんな
まだ覚えているかい?
白い自転車に乗った少年の神様を
くすんだベレー帽を耳までかぶって
よくとおる口笛でポルカを吹いていた
あの痩せっぽちだよ

少年の時代がかった白い自転車が
大通りを 商店街を 路地の津々浦々を
車輪を軋ませて走っていった
この町の誰もが少年を見かけた
少年の自転車が通ったあとには
彗星のしっぽのような白い光がベール状に広がり
懐かしいポルカの旋律がいつまでも残った
そしてこの町の誰もが その光を浴びたんだ

その瞬間から
町の小さな揉め事は解決し 車の中で悪態をつく人はいなくなった
いじめられっ子は友達と楽しく遊び 寝たきりの老人にお見舞いカードが届き
親に虐待される子供は姿を消し それどころか全ての子供たちが
デザートとプレゼントをもらって 仲良くそれらを分け合った
政治家たちは心の底から人々の事を考えて 涙を流して政敵どおし抱擁した

そんな突然で闇雲な
優しさと幸せに包まれて ぼくたちは
正直どうしたらいいのか分らなくなり しまいには激怒して
寄ってたかって少年の白い自転車を叩きこわしてしまった

少年の神様はしばらく自転車の残骸を見つめていたが
やがて無言のままどこかへ行ってしまった

みんな
もう再会したかい?
あの懐かしいポルカに 彗星の自転車に
町のみんなに笑顔を分けようと必死に頑張ってる
ちっぽけな少年の神様に

風の便りで きいたんだ
町のあちこちで 少年の神様をひっそりと見かけたって
あんな目にあっても どうして
この町を見捨てないのか分らなかったけど

この町にはまだ 深い痛みや憎しみや
暴力や嫉妬や悪意があふれていて
道ですれ違っても挨拶ひとつ交わせないけど
どれだけ心が豊かになったとしても
生きるかなしみは 消えはしないけど

夕暮れのひとり 帰り道
花屋の前に 電柱の上に みんなの心のなかに
曲乗りをしてくるりと回る
白い彗星の自転車に乗った少年を探しているんだ
みんな
覚えているかい?
人間が好きで好きでたまらない
健気な少年の神様を

今度会った時には もう間違えない
もう間違えたくない
ようこそぼくらの町へ ぼくらの心へ
白い自転車の少年の神様


世界がオワだなんて、そんな!

  Canopus(かの寿星)


 0

プリズム

プラズマ
スコープの内側

気を失いそうなくらいに
星空だけがキレイだった


 1

キラキラと一本に光をうける溝のなかをビー玉が転がっていく


 2

--ここも行き止まり?
--ああ。すっかり壊死を起こしてしまってる。
--あんなにまっすぐできれいな道だったのにね。
--ごらん。あの道も粥状残渣でいっぱいだ。
--この大荷物どうしよっか?
--どうするもないさ。道端に置いて引き返すとしよう。
--…終りかもしれないね。ここはもう。
--ああ。終りなんだろうな。
--逃げちゃおっか。
--ハハハ。逃げちゃおっか。…でもどこへ?


 3

ぼくが犬の記憶を失くしてしまって
犬は存在しなくなった
花が消え 学校が消え 大聖堂が消えた
歌声 写真 夕焼け 父 友
ぼくは誰の記憶で生きていたのか


 4

ビー玉 あ ビー玉 あ ビー玉
レギュラーパルス レギュラー レギュラー レギュラー
イレギュラー
レギュラー レギュラー
手ぇて てぇて やすんで てぇて
やすんで

やすんで

ころころころころころころころころころころころころころころころころ


 5

波止場は避難する人々で、すでに足の踏み場もなかった。
「星が2、3回、大きくまたたいたかと思うと、王子さまはその光を浴びて、
 まるでスローモーションのように、ゆっくりと倒れていきました。」
ひとつの時代が終わろうとしていた。形勢は傾いていた。
囲碁本因坊戦、大盤解説、梶原九段は飄々と終局近しを告げたっけ。
「ああ、この一手で、この碁はオワですね。」
このことばを待ってた全国の囲碁オヤジは手を叩いて喜んだっけ。
終末を声高に叫ぶひょろ長い救世主を、少女が道端に落としてしまった
人形を、先へ急ぐ人々の足が次から次へと踏みつけていく。


 6

薄明のなか 混沌の時代からずっと
運命の糸を紡ぎつづけていた三姉妹が
とうとうキレちゃった

「けけけけ」と奇声を発しながら
ぼくんちの5階の窓から侵入してきて
大バサミでありとあらゆるものをブッた切って
長い髪と薄手のスカートをなびかせて
美しく踊り狂って
去っていった

ブッた切られた
スキマだらけの世界でぼくはへたりこんで

ああ これも運命なんだろな
うすぼんやり思った


果てしない男たち

  Canopus(かの寿星)


(男声コーラス)
どんどど どどどど どんどど どどどど
わおう! わおう! わおう!!
どんどど どどどど どんどど どどどど
わおう! わおう! わおう!!

(黒ビキニのマッチョが百人 思い思いの決めポーズで
 地底より勢り上がる。)
マッスル日本!マッスルニッポーン!
チャチャチャ チャチャチャ 午後のお茶は起き抜けに!!
涙を流してマァァァーッスル!!

(テノールマッチョのソロ うやうやしいお辞儀の後に)
男が夢を語る時 どうして遠い目をするのだろう ララララ
男がペニスを語る時 どうして鼻の穴が膨らむのだろう ララララ
ねえ 噴水の向こうで微笑む インドのトラ刈りお嬢さん
男は やましくなんかない ただ魅せたいだけなんだ

(マッチョのコーラス)
脳も筋肉!ペニスも筋肉!ああ 沸き上がる湯気の彼方!!

(再びテノールマッチョのソロ 瞳をうるませて)
割ってごらんよ ぼくの頭を 覗いてごらんよ ぼくのペニスを
ぶらさがってごらん ぼくの肉体に もっと見つめて 口に包んで
ああ めくるめく世界 虹を越えて全ての答えを探しにいこう
お願いだから お嬢さん
「あらきれい、カマキリが共食いしてるわ」
なんて そりゃねーぜ!!


(男声コーラス)
どんどど どどどど どんどど どどどど
わおう! わおう! わおう!!


(マッチョ退場。続いてお相撲さんの群れ
 地平線の彼方より摺り足でやってくる。汗で光り輝く太鼓腹と共に)
どすこい どどどど 土星人!
ちちちち ちち 乳 地球人!
金星人は マタンキ マル金 キンボシさ
ああ うるわしのられられしき まァァァある禁!!

(バリトンお相撲さん 少々はにかみながら)
皆さん 忘れていませんか?省エネ 戸締まり 乳毛の手入れ
まわしラインも大切だけど 恍惚の! コーコツの!!
乳毛がおろそかじゃ ハダカの付き合いは出来ねえ!!
ハニー まだ終わっちゃいねえ 何も終わっちゃいねえんだ
すべては これから始まるのさ 夢を見ちゃあダメなんだ
そうさワシらは ドリームそのもの!!

(前をつつっと通り過ぎる呼び出し。
 いきなりの爆音 朝青龍が背中のブースターで 空から舞い降りる。
 雲龍型のポーズをキメたまま 周囲を睥睨して)

「殺すぞ。」

(お相撲さんコーラス)
イエェェェーイ!!
見てくれ 感じてくれ この軽やかなコーラス・ライン
そうさワシらは 空を飛ぶ!!
(お相撲さんは何を思ったか ひとり残らずまわしを脱ぐ。
 なんと まわしと思ったのは 新体操のリボンで
 ひらひら ひらひら あやなすリボンの波の中 お相撲さん退場。)


(男声コーラス)
どんどど どどどど どんどど どどどど
わおう! わおう! わおう!!


(いきなり波止場に空母が横付けされて 整然と行進してきたのは
 身の丈2メートルを超える海兵隊員たち。
 前をはだけた短いセーラーの上着に
 下半身は フンドシだったり バレエのチュチュだったり
 網タイツ ペニスケース 貝殻 天狗のお面 etc. etc.…)
おいらの都はハンバーガー そうさレタスが寝床
うっかり触るとピクルスさ ミンチになっちゃう!
(HA HA HA! HA HA HA!)
そうさ そうさ そうさ 何でも最後はケチャップ!!

(志村けんも真っ青の 白鳥のチュチュをつけた黒人隊員
 見事なボーイソプラノで)
ひとかけらの優しさ そんなもので女が口説けるかい?
ひとかけらのダンディズム そんなもので敵が殺せるかい?
この世は食うか食われるか! 鞭で打つか打たれるか!
ぼくちんは打てば響くの打たれりゃ疼くの けなげな働きアリさ
ああ女王様 ぼくちんに翼をおくれ 翼をおくれったら!!


(そして全員の踊り。歓声をあげてマッチョと力士が乱入。
 ローションの雨の中 くんずほぐれつの技の掛け合い 飛び散る下手投げ。
 満面の笑みを浮かべて躍動する。
 ストップモーション。)
どんどど どどどど どんどど どどどど
わおう! わおう! わおう!!
どんどど きんにく どんどど どすこい
どんどど ピクルス どんどど どどいつ
わおう! わおう! わおう!!
どんどど どどどど どんどど どどどど
わおう! わおう! わおう!!
(フェードアウト)

幕。


ハロー、Mr. チャボ(Mr. チャボのテーマ)

  Canopus(かの寿星)


ずっと
胸のエンブレムを隠して生きてきた
正義のヒーローが
ひとりいた
今どき分りやすい悪なんて
そこらそんじょに転がってるもんじゃないし
ギターが弾けたらよかったのに
古い劇場の丸屋根の上で
下手な口笛をふいていた

風を呼んで さけんで
やんなっちゃって やっぱりやめて

イヌのケンカの仲裁はキライ
口のなかがイヌの毛だらけになって
気持ち悪いから
警察にはしばしば職質された
ヒーローという職務上
嘘はつけないことになってるんで
恥ずかしいけど答えるんだ 正義のヒーローです
お巡りさんは
深いため息をついて
その後 こんこんと説教をくらう

ハロー ぼくはここが好き
ハロー ぼくはお日さまが好き
ハロー ぼくは君が好き
ハロー ぼくはみんなが好き

だからこうして丸屋根の上でマントをひるがえして
幸せ祈って
ずっと口笛ふいてるんだ

風を呼んで さけんで
やんなっちゃって やっぱりやめて
風を呼んで さけんで
やんなっちゃって やっぱりやめて


大トランポリン駅にて

  Canopus(かの寿星)


3か月前にあたしをふった
彼氏が旅に出るってんで
40度の熱があるのに あたしはたたき起こされて
着のみ着のまま
葛西シルチスのアマゾン鳥が啼く金町方面
あたしひとり 駅まで彼氏を見送りに

プラットホームには この駅始発の列車がもう待機していて
そのむこうには彼氏がはじめてのデートの時のように
大きく手を振って笑顔であたしを呼んでいた

ただあの頃と違っていたのは
駅の構内が全部トランポリンで
あたしも彼氏もぽんぽん弾んで
彼氏なんか完全な球体で 器用にぽんぽんぽんぽん
あたしはぽんぽん揺られて高熱でうんうんうなされて
彼氏に急いで近づきたくても入場券しか持ってないから
うっかりバウンドがはずれて列車に乗っちゃったら死刑だから
膝とおしりで慎重にぽんぽん
発車のベルが今にも鳴りそうだった

「なんだいそのカッコは」
球体の彼氏はにやけて舌舐めずり
口を裂いて大きな舌から触角を伸ばして言った
そうだ あたしたたき起こされたんだっけ
ベッドでうんうんいってたままの格好だ
髪はぼさぼさ
パジャマの下 はいてなくて
おまけにゴムゆるゆるのパンツで
寝る前にちょっといじった所にシミがついてて
トランポリンが弾むたんび そんなとこがまる見え
胸もお腹も少しはだけて 隠そうと思ってもうまくいかない
ぽんぽんあたしは丸まって 「お前のシリ サイコー」
そうだあなたはあたしのヒップラインが好きだったんだっけ
あなたは触角の先から目を突き出してにやにや
久しぶりに視線が痛い
たくさんの突起を伸ばして あたしをさわって
長い舌であたしのお腹を舐めまわして あたしはのけ反って
高熱で頭が痛いのに あ と小さく呻いてしまう 彼氏の喜ぶ声

あなたとの思い出は 別れる前に交わしたいことばは
こんなんじゃないのに
ほかにもいろいろあるはずなのに
こんなことありえないのに どうして
ぽんぽん がんがん

でもね
あなたとあたしって
同じ高さにちょっとの間しかいないじゃない
バウンドの高さもリズムも まるで違うから
いつもいつも擦れちがってしまって ほんとはね
あたしもあなたといっしょに行きたいんだけど
列車に乗ったら死刑だから 死刑になっちゃうから
しかたないじゃない さよなら
あたしはあきらめたように少しだけ泣いて にっこり笑って
別れのキスも出来ないで

あたしはぽんぽん うまく弾めるようになって
彼氏は突起を下に伸ばして ぽーんと飛び上がったかと思うと
不定型になって窓の隙間からにゅるにゅる
列車にさわやかに乗り込んで
発車のベルが鳴って
でもあたしはそれを見ていなかった
あたしもいつの間にか完全な球形になって
ひとつの眼球になって
ゆっくりとあたしにあたしの瞼が覆い被さった
瞼の内が熱いのは高熱のせいだろうか
あたしの眼を閉じたその瞼をあなたは
いつまでも覚えていて

ください


流星雨の夜(マリーノ超特急)

  Canopus(かの寿星)


海上を突っ走るマリーノ超特急は
どこまでも青い廃虚やら波濤やらが
混じりあったりのたうちまわったりで
車輌の隙間から
夜が入りこんでくる頃には
俺もアンちゃんもいい加減しょっぱくなる。
こんな夜にはどこからともなく
子どもたちの翳がやってくるんだ。
ひとり またひとり。
いつしか客車は
子どもたちの翳でいっぱいになる。

客車の最後尾は
夜になっても灯りが点らない
俺とアンちゃんは
錆びた義肢がやたらに疼いて
この時刻にはすっかり眼がすわっている。
痛みはアルコールで散らすのが
大人のやり方
子どもたちの翳がやかましくてしずかで
どうしようもない星空だ。

あ 流れ星。
夜空にまんべんなく降り注ぐ流星群に
子どもたちの翳は歓声を喚げる。
また流れ星。またまた流れ星。
天をつらぬく光線はそれにしても多すぎて
ケムリがのぼりそうなくらいの勢いだ。

夜空に投影される子どもたちの翳。
祈りはとどまることなく続けられ
流星をすくおうと両手を伸ばして
さっきまで暗やみに泣いてたカラスが
どいつもこいつも
瞳を輝かせて笑っていやがる。

ああ そうだ。

俺もアンちゃんも知ってるんだ
こいつは流れ星なんかじゃない。
空にかつてひしめきあった人工衛星のかけら
そいつの迎撃に発射されたミサイルのかけら
遠いそらの向うで繰り広げられた
過去の無色な戦闘の成れの果て だ。
そいつらが毎晩のように地上に降り注ぐ。

ぼくの手みつかんない。もげちゃった。
ママ どこ? ママ?

アンちゃんが眼を閉じたままつぶやく。
ごめんな。
どうやら俺たちはお前らに
世界をそのまんまで渡す羽目になっちまった。

歓声が遠のいていく。
流星雨がやんで
子どもたちの翳は
騒ぎ疲れて眠りにおちる。
ひとり またひとり。
冷蔵庫のような体型の車掌が入ってきて
窮屈そうに背中を折り曲げながら
眠った子どもたちの翳ひとりひとりに
一枚づつ毛布をかけていく。
子どもたちの翳は
夜に暖められて消えていく。
ひとり またひとり。

車掌が子どもたちの翳にちいさな声で
抱きかかえるように
なにごとかささやきかけるが
よく聴き取れない。


やっぱりおおかみ

  Canopus(かの寿星)

(佐々木マキ、73年、福音館書店)


0(プロローグ)

(おおかみは もう いないと
 みんな おもっていますが
 ほんとうは いっぴきだけ
 いきのこって いたのです
 こどもの おおかみでした
 ひとりぽっちの おおかみは
 なかまを さがして
 まいにち うろついています)


1

影のない おだやかな光に包まれたみちは
明るすぎて あまりにもなつかしい
くろい影をおとすのは ただひとり
ひとりの おおかみの子供だった
両手をポッケに つっこんで
まだ生えそろわない牙を もぐもぐさせて
仲間を探して 毎日うろついて
(どこかに だれか いないかな)
います


2

ウサギの街に着く 交差点でも
影が おおかみなのか
おおかみが 影なのか
ややこしや ああ ややこしや
ガラス窓にだって おおかみはいるけど
だれも 答えられやしないんだ
ウサギ連中は白すぎて 影なんか
持ちあわせちゃいないから
および腰で 背中をむけて
扉を閉めちゃえば
万事解決すると 思ってるんだ


3

(け)

小さな おおかみは
ウサギも 赤ずきんちゃんも
丸のみなんて できやしないよ

(なかまが ほしいな
 でも うさぎなんか ごめんだ)


4

午後1時25分 ヤギの街で
陽は おだやかに高く
そうごんな そうごんなまでの
平屋の教会に ヤギはつどう
おそろいの あおい僧衣と
おそろいの しろいあごひげ
たんたんと たんたんとすぎる 昼
おおかみは ひとりぽっち


5

ブタのバザールは いつも盛況
おもいおもいに テントを張って
さあさあ なんでもあるよ
花屋 肉屋 八百屋 パン屋
せともの屋 古どうぐ屋 コーヒー店
通りは買い物ぶくろを抱えた ヒトの波
じゃなくて ブタの波

(みんな なかまが いるから いいな
 すごく にぎやかで たのしそうだ)

毎日開催 ブタのバザール
よってらっしゃい みてらっしゃい
なんでもあるよ 老若男女のブタさんがた
ブタさん ブタさん 子だくさん
第1と第3にちようびは おやすみです


6

バザールを行く ブタの波に
この身を ゆだねたい

けれども ひとりぽっちだから
街のはずれまで きてしまった

買い物かごを下げて ブタがひとり
壁に あおいチョークで
たのしく らくがき
おおかみを みつけて 逃げていく
無言のままで

(け)
黒いおおかみには 染まらない


7

ヘラジカ中央公園は おおきな森のなか
ヘラジカ中央駅から シカの脚で1分です
すこしだけ おおきな崖も こえます
公園には ひろい道路も 
噴水もあります
みんなの集まる広場も
遊園地も
レストランもあります
シカのパラダイス みわくのでんどう
というのは 冗談ですが
上品で おちついた
歓声のたえない 公園です

(もしかして しかに なれたら
 あそこで たのしく あそぶのに)


8

おれは こどもだから
遊園地は大好きだ たとえそれが
ヘラジカの 遊園地であって
おおかみの それでないとしても

たとえここで 風船が 天たかく風におよいで
アイスクリーム売りが ベルをならしたとしても
それは おれのものでない

観覧車が 空をあざやかにいろどり
メリーゴーラウンドが よろこびを回して
手オルガンが 楽しいしらべを奏でたとしても
それは おれのものでない

くろい影の おおかみの おれは
両手をポッケに つっこんで
枯れ葉を 踏みしめる


9

(おれに にたこは いないかな)

ヘラジカの遊園地が 閉園するまで
一日中 そこに いてしまった

どうしても 去ることができなかった


10

夜の
ウシの街を あるく

さびしいのは なれてしまった
なんども なんども
そんな夜を あるいてきたから

はらぺこなのは いつものこと
おおかみが はらぺこなのは昔から
さけられない 宿命だから


11

だんろは こうこうと燃え
灯りのした
ウシの家族が 食卓をかこむ

とうさんウシ かあさんウシ
にいさんウシと こどものウシ
みんなそろって もくもくと
ええ ウシですから もくもくと
ささやかな夕食を たべています

食後のお茶の用意も できています
かあさんウシは あみかけのマフラーを
隅の 小さな丸テーブルに 置いています
花びんの花が 咲いています
柱時計が ちくたく ちくたく
午後6時44分のことでした

こどものウシは にこにこ
笑っています

すべては
そう すべては 窓のむこう
ウシの家での できごとだった


12

はらぺこだった
あしは 棒になった
おおかみの仲間を探して
おれの 居場所を求めて

道に迷った わけじゃ ないけど
ここが どこだか わからない

(おれに にたこは いないんだ)

街のはずれ 一夜のやどを
墓場に もとめて おれは
ごろんと 横になった

おおかみの ご先祖が
会いにきて くれないかな
仲間の ゆめを みたいなあ


13

「詩中詩:おばけのロケンロール」

ぬばたまの ぬばたまる夜
ぬばたまった おばけの 影はしろい
なぜなぜしろい? おばけだから しろい
さけ もってこい
りんご もってこい
ドーナツ もってこい
リードギター ひとだまシャウト もってこい
ぬばたまの ぬばたまりけり りんご
のめや うたえや
さわげや わらえや
わらった わらわらうくちもとが
ぬばたまる歯なしじゃ はなしになんねえ
歯なしは しゃれこうべから かりてこい
それが おばけのおしゃれ
しゃれや うたえや
おどれや わらえや
ひとだま つかんで ぐるぐるまわせ
琵琶の かたりに ぬばなみだ
ながす 目なんか もっちゃいねえ
しゃれた 歯ならび かちかちならして

かきならせ ぬばたましい


14

おれは ねていた
墓場で おれは ねていた

おばけの 夢をみた
おばけは おれに 似ていない

おおかみは 夜に とけるから


15

旅のはて
旅のはてなんて だれが決めた
空は 今日も流れているのに

また しろい朝がきて
ひとけのない ビルの屋上を
ただひとり 両手をポッケにつっこんで
ぷらぷら 歩いていると
ひとり 屋上に つながれた
ひとり乗りの 気球を みつけた

ひとりぽっちの 気球と
ひとりぽっちの おおかみと


16

ビルのうえ つながれた気球
あかい レモンの風船
あおい 三角の旗が ひるがえる

気球にのって このまま ここから
おさらばしよう とも思ったさ
おおかみは もういないし
おれに 似たこは いないし
みんなが わらいさんざめく 姿をみるのは
つらいし

でも な おおかみは 強いんだよ
たとえ 絶滅寸前でも まだ おれがいる

(やっぱり おれは おおかみだもんな
 おおかみとして いきるしかないよ)

気球は 気球で ひろい空を 駆けてくれ
おれは おれで ひろい世界を 駆けていくよ


17

つながれた ひもを ほどいて
気球は 空に のぼっていく
おれは 気球に のらなかった
おれは ビルの屋上から
気球を 見送った

気球は ぷかぷか 空におよいで
小さくなった

(け)


18

気球は 気球
おれは おれ
おおかみは おおかみ
やっぱり おおかみ

ひろい ひろい 空
ひろい ひろい 世界
たくさんの いきもの
やっぱり おおかみ

(そうおもうと なんだかふしぎに
 ゆかいな きもちに なってきました。)

きょうも はれ


残酷!怪人スミレ女(愛と哀しみのMr. チャボ)

  Canopus(かの寿星)

ふたつ先の しずかな私鉄の駅でおりて
ふたりは歩いた チャボとスミレ
おだやかな秋の風がふいていた

さほど高くない丘を見上げるように
さほど広くない その公園はあって
まばらな紅葉が申しわけ程度に秋の日を染める
人出は意外に多く ひびく子どもの嬌声
路駐の車の迷路に挟まれそうになって
ふたりして頭を ひょこ と上げ ほほ笑み合う
空いているベンチが見つからないまま
ふたりは歩いた

チャボの差し出した右手に
さりげなくスミレが寄り添う

スミレがチャボのオンボロアパートに越してきて
挨拶がわりに 切らした醤油を借りにきた
お礼といってはなんですが 豚汁の差し入れ
弁当をつくってもらった時は感激した
メザシをめぐる 小谷少年との壮絶な一騎打ち
スミレの部屋でふたり ソーメンをすすった

「食べ物の思い出ばっかりだなあ」
「だってチャボさん いつもお腹すかしてたから」
「泣いて歓んでたっけ 俺」

ふたりは 仔犬のように
黄色がかった芝生を走り回らなかった
林のどんぐりを拾い集めなかった
裸足になって足を池にひたしたり
寝っ転がって空をながめたりしなかった
ふたりは歩いた
さほど広くない公園のおなじ道を
ぐるぐるぐる 何回も 何回も 何回も

そしてこれからのことは 一言も語り合わなかった

ふたりは歩いた
おなじ改造人間 手と手をかたく組み合わせ
ふたりは歩いた チャボとスミレ
おだやかな秋の陽が ただただふたりを照らした

今日は どうもありがとう
さほど高くない丘のてっぺんで
ふたりは見つめあう
スミレの頬が上気しているのは
瞳が潤んでいるように見えるのは
夕陽のせいだろうか
チャボの表情は翳になってて分らない

じゃあ
チャボとスミレ 絞り出すような声で

闘おうか


殲滅せよ!悪のフラワー軍団(Mr.チャボ、鬨の声よ高らかに)

  Canopus(角田寿星)


夕焼けの空き地で
空を見上げてひとり泣いてた

ヤツの名は
怪人ヤグルマソウ

いちめんの夕焼けに動けなくなって
風にゆられて
沈みゆく夕陽をみつめて
ヤツは泣いてた
ヤツの影が
うすく長くのびていた

ヤツは明日死ぬ
悪の組織 フラワー団の幹部として
ヤツは激しい戦闘の末に
茎も花弁も折れ果て 敗れ
たぶん爆発とかするだろう
そしてヤツを殺すのは
この ぼくだ

世界のどこかで誰かが誰かを
わかりやすい悪に仕立てあげようとして
そして世界のどこかで誰もが
悪を倒すヒーローを待ち望んでる
何の疑問もいだかないまま
高笑いしながら悪をやっつける
ぼくは
正義のヒーローだ

ながれる涙を拭おうともせず
ひとり口笛をふいてた
ヤツの名は
怪人ヤグルマソウ

ヤツの口笛はぼくよりはるかにうまくて
その美しいメロディを
ぼくはまだ少しだけおぼえている

今日は どうしてだろう
みんながぼくにやさしくしてくれる
ぼくを抱き起こす みんなの手は
働き者の あったかい手で
よく見ると
血に汚れていない


対決!VS フラワー団総統(雨の日と紫陽花とMr.チャボと)

  Canopus(角田寿星)


紫陽花が咲き乱れるそんな雨の日には
ひっそりと人は死んでいくのだと
昔 誰かに教わったような 記憶がある

新薬開発のアルバイトで
一週間も引き留められて雨のなかを帰宅する
玄関口 傘もささずにひとり
フラワー団の戦闘員がぼくを待ってて
「そんなんで世界の平和が守れるとですか」
ぼくを軽くなじりながら
黒い縁どりの通知を手渡した

怪人アジサイ男
彼はぼくの留守を知らずに
決闘のため雨のなか三日三晩ぼくを待ち続け
肺炎をこじらせて死んだ
今夜が通夜で
今すぐ出発すればまだ間に合うという

Yシャツと黒ネクタイ ぼくの分と戦闘員の分
お得な紳士服2セット価格で買わされて
戦闘員に半ば引っ張られるように
となり町の会場へ取り急ぎ私鉄各駅列車に乗る
ちいさな公民館を
町内会のご好意で貸し切らせてもらえた

母ひとり子ひとりだったという
息子を亡くした母親は濡れそぼって今にも折れてしまいそうで
ぼくに向かって
「あんたはわるくない
 あの子はいっしょうけんめい生きた それだけです」
と 何度もおなじことをくり返す
ぼくはことばもなく
コメツキバッタのようなお辞儀をするしかなかった

そして通夜の会場は

  花  花  花  花  花  花

フラワー団の献花と 怪人が咲かせた花と
町内会が用意した花で溢れかえっている
花の嵐のなか しずかに
人間だった頃の怪人アジサイ男がほほえんでいる

花を咲かせて献花と焼香をすませる

「よう 裏切り者」のことばに振り向くと
そこには酔眼のフラワー団総統が
ぼくの肩を抱きながら強引に酒をすすめる
聞けば
怪人アジサイ男はながく難病に悩まされて
すでに闘いに耐えられる体ではなかったという
この度の法律改正も手伝って
医療費の捻出もままならなかった
そしてフラワー団の改造手術をもってしても
彼の病魔を駆逐することはできなかった

ぼくの知らないところで
世の中のあちこちでいろんなことが起きて
ぼくはそれらをながめてばかりいた
会場には通夜の花弁がこれでもかと舞い落ちる

フラワー団総統と差し向いで愚痴を聞いてる
総統はすっかり酔っぱらって呂律もまわらない
あいつはドクターストップを振り払って
フラワー団に恩義を感じて闘いに赴いたんだ
母ひとり子ひとり
ひどい暮らしをしていた
たったふたりの人間を誰も助けてあげられなかった
それは誰のせいだ 誰のせいなんだ
おまえは おまえは

「おまえは倒すべき相手をまちがえてる」

いや それは
次から次へ刺客を送ってカラんでるのはそっちでしょーが
といいたかったけど
覆面に隠れた総統の眼をみてるとそんなこといえなくて
正座して無言のまま こんこんと説教をうける

雨はまだやまない
公民館のせまい庭に
紫陽花が咲き乱れている


世界を救え、正義よ(Mr.チャボ、勝利の方程式)

  Canopus(角田寿星)


ぼくは正義の味方だから
曲がりなりにも
今日できることは
今日やっておこう

向かいの大家さん宅に新聞を借りに行く

朝ごはんは?すませてきました

いつもの嘘をついて
縁側に腰かけ新聞を読ませてもらう
最近は兇悪な事件が多くて胸が痛むわね
奥さんが世間話の代わりに切り出してくる
お茶を一服
いただく

ぼくの目の届かない世界のあちこちで
ぼくの手が届かない 心の奥深くで
あらゆるものが壊れていく
音がきこえる
ぼくは地方版の下のほうに目を通して
フラワー団が線路に置きソテツをしてないか とか
高圧線にツタを絡ませて町内を停電させてないか
駅前通りをいちめんのスイカ畑に変えてないか
ひとつひとつ確かめていく
記事はないね
ちいさなためいきをひとつはく

この世界の
あらゆることを見渡したり
許したりすることのできる誰かが 存在するとして
そいつは昨日の日記帳に
いったいどんなことを書いてるんだろう

ぼくは正義の味方だから
曲がりなりにも
ぼくができることは
とりあえずやっておこう

いつもどうもすみません
いえいえおかまいもしませんで
大家さん夫婦に いとまを告げる

こっそり門前の掃除をすませておく


風を釣る

  Canopus(角田寿星)


風のなかに
釣り糸を垂らしている
それはおぼろげとなってしまった古い
記憶をせめて呼び醒ますよすがではなく
かなしい決意でも無邪気な思いつきでも
その日の飢えをしのぐための
投げやりな衝動でもない
そう 映画はつい先頃終わってしまったんだ

セミの声も
カエルの歌もまだきこえない
森の下生えにはやわらかな地衣が
灰とも靄ともつかない細かな粒子が
濡れそぼった銀幕の名残が世界をひそかに凌駕して
あるいはこのまま暴発を待ってる
「このままじゃ 囲碁も打てないねえ」
栗坊主頭の童子がふたり
いかにも手持ち無沙汰ふうに
眉をさやかに寄せて笑っている 実のところ
囲碁も碁盤もまだ発明されてなかった
それどころか
クヌギもセキレイも
木挽の小屋から立ち昇る炊煙さえもまだ
名札を失くした卵のように
眠っていたんだ

ふふん ふんふん ふん ふふん
ふふん ふんふん ふん ふふん

世界が少しづつ鼻唄で充たされていく

ぼくはこれから生まれてくるだろう
ろくでもないものどもについて思いを馳せる
ぼくは笑う
ぼくの意思にまるで関係も頓着もなく
生まれてくるだろう ろくでもない
愛おしくも騒がしいものどもを
ぼくは待ってる
ぼくは目を閉じたままでいようと思う
釣り針の尖 きらりと何かが光ったけど
それはきっと気のせいなんだろう
草原のロウソクに
いっせいに灯りが点ったけど
それもきっと風のいたずらなんだろう


星になる方法

  Canopus(角田寿星)


なあ あんちゃん
俺たちふたり ドラム罐転がして
まっすぐな坂道のぼっていこうよ
ここ二週間 頭は痛えし咳がとまらねえ
たぶん少しだけちがった空気吸って さ
たぶん少しだけちがった景色を見に行こうよ

せまい国道を車がびゅんびゅん走ってる
大粒の雨がおちてきて すぐに土砂降り
シャンプーも石鹸も持って来なかった
俺たちはかるく舌打ちする
あんちゃん 今 ドラム罐の手をはなして
頬にかかる雨を拭ってなめてんだろ
しょっぺえのか しょっぱいんだな

なにか楽しいことでも思い出そうか
ボイラーの下にネコが四匹寝そべってるとか
国士無双十三面待ちとか

雨粒は線になってどんどん幅をひろげて
雨の垂幕を俺たちはくぐり抜けていく
しろい昼 くろい夜
ページをめくるたんびに
回転するドラム罐の中で俺は目をつむって
肩があらぬ方向に曲がってはまた戻る
ドラム罐転がすふりをして あんちゃん
俺たちきっと
地球を転がしてんだよね

(一九九九年二月十四日、惑星探査船ボイジャー一号は、
 地球から四十億マイルの地点で、草原で少女が微笑む
 ように振りかえり、彼女の母星をみつめ、最後から二
 番めの任務を遂行した。
 地球を発ってから、すでに十三年が経過していた。
 彼女のフレームに映るのは、寄り添うような光の粒。
 太陽とその惑星たち。太陽系の「家族写真」を撮影し、
 地球に送信した後に、彼女は永久にその瞳を閉じる。
 現在も彼女は最後の任務を遂行中である。彼女は宇宙
 塵のただなかを突っ走る。どこまでも遠くまっすぐに。
 その瞳を閉じたままで。瞳を閉じたまんま。)

あんちゃん
俺たちふたり たぶん肩を並べて
このまま海まで連れてってくれよ
水がいっぱいだから風呂にも入れるよ
それに虹を見れるかもしれないし
海辺を列車が突っ走ってるかもしれないし

あんちゃんの尻ポケットに
くしゃくしゃの千円札が一枚
雨に濡れて底に張りついて
どうにもならないほど溶けかかってる
虎の子だってのに
どうやって直そうか ふたり思案にくれる

俺たちのドラム罐に
あんちゃんが顔を突っ込んで覗いてる
俺たちは顔を見合わせる
そこがまるで井戸の底みたいな
満天の星空だったらいいのにな
なあ あんちゃん
泣くんだか笑うんだかどっちかにしようよ
誰が死んだとか きっとどうでもいいよ
ああそうだ ドラム罐を雨がたたいて
やかましいんだね
やかましいんだよな


肩にふりかかる、雨が

  Canopus(角田寿星)


肩にふりかかる、雨が、
どうしてもやまないのなら
そっと傘をこわしてしまおうか
暗い昼の空、信号機がにじむ、
雨雲はつつましく北東を向いていて

シャツの背中に変な汗をいっぱいかいてる
シャツの背中に変な汗をいっぱいかいてるよ
と 言われる
水はけのわるい古びた団地が
ぼくの故郷だった

ぱらぱら、ぱらぱらと、ここちよく雨音がひびくのが良い傘の
条件である、と 父さん、いつだったかあなたは話してくれま
したね、父さん あなたのつくる傘は大きくはないけれど、ぼ
くはあなたの傘の雨音で眠りました、そして雨に濡れた冷たい
肩で目を覚ますのですよ、靴がよごれないよう気をつかいまし
た、雨はどこまでも肩にふりかかる、父さんの肩は、ぼくより
もさらに濡れて、重く冷たい両肩を岩のように振りしぼり、父
さんは、ひとつひとつ、ていねいに傘を仕上げていきます

国産の傘は売れなくなって
修理に訪れる人もみるみる減って
ぼくは団地を出て
ちいさく貧しい傘をひとりで差すことにした

     、、、雨が、、、、、肩に、、、、
     、、、、、ふりかかる、、、、、、
     、、、、、、、、、、、、、、、、
     、、、、、、、、、、、雨が、、、
     、、、、、肩に、、、、、、、、、
     、、ふり、、、、、、、、、、、、
     、、、、、、、、、かかる、、、、
     、、、、、、、、、、、、、、、、

傘、傘、傘、道行く人、傘の花が咲く、誰の肩も雨に濡れ、濡
れた肩を寄せ合う、幼な児をしっかりと抱いている、落とさな
いよう、みづいろの濁流に溺れないよう、父さん、ぼくは偉大
な傘職人ではありませんでした、ぼくの傘は、皆が濡れないよ
う、あたたかく包みこむには、多少ほころんでこわれているの
です、父さん、そんな時あなたはどうしていたのか、今になっ
て折にふれ思い出そうとします、誰の肩も雨に濡れ、誰の傘も
こわれているのか、いやむしろこわれているのは暗い昼の空で
あり、肩にしつこくふりかかる雨であり、そんなことはないよ、
と、肩を隠して諭している、ぼくが浮かべた、つくり笑い、で、
あって、

肩にふりかかる、慈愛の雨が、
どうしてもやまないので
ずっと傘を差している
雨は肩にふりかかる


生還者たち(マリーノ超特急)

  Canopus(角田寿星)

そんなの嘘よ と
ベッドに腰かけた少女は私の目の前で若草色のワンピースを腰までたくし上げ
秘所を露わにする。不釣り合いな厚手のストッキングを躊躇なく下ろしそして
両大腿に咬み合わさった品質の悪そうな義足を優雅にはずした。

少女はシャツでも脱ぐようにワンピースをもどかしげにさらにたくし上げる。
下着をつけていない。少女の腹部と乳房と犬のような乳首。海辺の寒村にはめ
ずらしいほどの白い肌がまぶしく窓辺の光をうけて揺れている。少女の栗色の
ながい髪が脱いだワンピースに引っかかり跳ね上がり
しずかになる。
あなたの服を脱ぐのを手伝えなくてごめんね。少女は半分ほどしかない白い大
腿をほぼ一直線にひらいたまま恥ずかしそうにささやいた。


崖のうえの孤立したこの小屋が村でただ一つの宿である と
崩れそうな岩場を登りながら案内人代わりの男が私に教えてくれた。聞くとこ
ろでは少女は五年前に海辺で全裸のまま倒れていた。誘拐でもされたのだろう
まだ幼いその少女の体にははっきりと乱暴された痕跡がありそして
両大腿がばっさりと切り落とされていた。
少女には発見される以前の記憶が欠落していた。余程の出来事に少女自身が自
らの記憶を閉ざしてしまったのか。村びとの看護の甲斐あって快復した少女は
崖のうえの小屋に住まうようになり今では旅人の面倒をみながら体を売ってい
るのだと。

そんなの嘘よ。少女はゆっくりと私の首に両腕をまわす。

たとえ記憶になかったとしても本当にそんな目に会ったのだとしたら男に触れ
られることに心が耐えられるものだろうか。いくつかの逡巡の後に訊ねてみる。
いいえ。死に触れられるよりか ずっとまし。
小屋の大きな窓。その上辺を一匹の蜘蛛が這い回りその神経根を縦横に放とう
と待ち構えている。蜘蛛の神経根はあまりに鋭敏であるがため獲物の捕獲に激
烈な痛みを伴いそのためこの地方の蜘蛛は獲物が掛かるたびに笑い声とも泣き
声ともつかない叫びをあげるという。少女は私に覆い被されたまま示指を突き
だして蜘蛛を撃つふりをしながら
うふふ。嘘。
顔をあげて私の下唇をあまく咬む。

やがて少女の顔がうつくしく歪む。
白い肌がうっすらと汗に濡れて透きとおる。


はるか昔の言い伝え。
ささやかな光を宿した内陸の宝石にそれを凌駕する眩さをもった圧倒的な光が
襲いかかりささやかな光はなす術もなく消え去った。
五年前に人の通えない森の奥で突如暴発した巨大な光の柱についてこの村の誰
もがかたく口を閉ざしている。管理局サイドの閲覧可能なデータではこの事件
に関する記載は一切ない。名も無いカメラマンが森に喰われながらその命と引
替えに撮影したデータからは断片的ではあるが破滅的な何かが生じた可能性を
見て取れる。そしてその現場から流れる川の下流に村は位置している。

嘘よ。なにもかも嘘。みんな嘘を言ってる。
わたしは生まれた時からこの村にいるの。両脚の「これ」は鉄道事故。
わたしは母親の仕事を継いでるだけ。
うつむいた少女のほそいうなじを窓辺の光がやわらかく抱いた。

少女は若草色のワンピースをふたたび羽織り枕のうえに器用に跨がってベッド
サイドのちいさな丸テーブルに丁寧にカードを並べている。聴こえないくらい
の声でひくく歌をうたいながら。
人は誰も惑星を抱えて生きていく…けして自ら輝かない星…光をそして浴び…
ジョーカーのない32枚。欠落だらけのこれがカードのすべて。わたしが海辺に
打ち上げられた時これだけを持ってたんですって。
少女は私と視線を合わせない。
嘘だけどね。

わたし
あなたに会えてよかったと思うの と
少女は腰をあげて私と向き合いまなじりをあげる。若草色のスカートがかるく
跳ね上がり揺らぎ切断された大腿をすっぽり覆う。かつてない少女の瞳の輝き
に私はその昔私が愛した女の面影をつよく感じ狼狽する。少女の口許が痙攣す
るように何かを告げようとするがことばにすることができずに

そんなの嘘よ と
肌の赤みを消して視線を落とす。


バンドネオン

  Canopus(角田寿星)


レクエルド。
砂時計が音もなくなだれを成して舞い墜ちる
夜にあなたは迷いこんできたちいさな銀河を
手のひらでつつむように抱きとめる 葉脈を
透かしてみえる地球の裏側では生れながらに
しろい瞳のマリーアが影のまま生きつづけた
腰かけた椅子がわずかに浮きあがりそれでも
なお部屋に壁は在り床が在って誰も知らない
ラピュタがゆるやかな光芒をはなつ雲の濃淡
垣間見えるのはおそらくあなた 忘れられた
歌をうたう バンドネオンのはじまりだった

ハカランダ。
水のにおいがする波の音がきこえる日だまり
にたたなずむギターのように古い三階建ての
事務所あなたは仕事でいそがしく窓をあける
知る人のない並木道を踏みしめた 薄紫色の
花の絨毯をふたり 深く知ることの難しさを
確かめようとかたく手を握りしめる瞬間その
手のひらと手のひらのわずかな間隙を狙って
散りゆく花のかけらが忍びこみ溶けて静脈を
遡る 毛細血管から支流を抜け本流へやがて
心臓ちかくの大血管に到達する あたたかい

オルヴィード。
色鮮やかに縁どられた外壁を持つ建物の群れ
が鳥のように河岸に列をなす折しもあなたは
源流より大河へつづくながい旅程を終えよう
としていた草原を渡りあるいた記憶も誰から
ともなく伝えつづられた物語もたった今この
雑踏でうたいおどられる劇中劇さえも過去の
事象として忘れられた 変わり果てたあなた
にとってあなたは誰なのか思い出せない風が
いつしか体内をめぐりあなただけが持つただ
ひとつの音を響かせる バンドネオン ロカ


屋根の上のマノウさん

  Canopus (角田寿星)


空にはいくつもの泡のような放物線が
とんびが 海のむこうの出来事が
屋根の上にはマノウさんが
わたしたちは
目を閉じて見上げよう
歩道沿いにはあやめの花壇が
街角のアパルトマンには大きな鏡が
わたしたちは

そうしてマノウさんは屋根の上にいる
むくどりが少しやかましい
あるいはホイッスルかもしれない

山からの風がふく
タバコの灰がぱらぱらとこぼれる
砂に埋もれるようにわたしたちは眠る
「ちいさな善意や励ましや何気ない笑顔が
 どれだけ人を傷つけているのか
 考えたことがあるか」と吐き捨てられる

そうしてマノウさんは屋根の上にいる
かるい会釈だけのあいさつをする

昼下がりには真っ赤な鉄塔が
夕焼けには緑の浮き島が
夜には汽車が
わたしたちは目を閉じて見上げよう
屋根の上には マノウさんが


ミンミ十字路で、ぼくらは微笑んだ

  Canopus (角田寿星)

すこし涼しいね エマさんがささやく
たしかに風が吹いている 夜からの風だろう
もう七月で冬の足音がきこえてくる
いろとりどりの十字路 ここは見晴しがいい
少し背伸びをするだけで
100キロ先の海が見渡せるところ
エマさんの髪もトマムの長いコートもみえる
十字路のはじっこで三角形に並んで
ぼくらは 互いの名を呼びあった

しろい大きな道をくだっていく
かつてここで新種の恐竜が発掘された
鏡のむこうに鎮座する十字路
白鳥の北十字星はここからみえないし
太陽は西からのぼる
ネイティヴは言いたいことが言えないので
みんな笑顔が貼りついている
ぼくらは通過した 通過する者にふさわしく
いろとりどりのまぼろしの十字路を
地元の慣習にならうように
沈痛の微笑みをたたえたまま

いつか船は出航したのだろう
しろい砂のなかを
どこまでもどこまでもどこまでも
エマさんはベンチに腰かけて編物に余念がなく
トマムは緑の丘でながい杖にもたれて立ちつくす
通過する者は
通過する者たちと視線を合わせない
果てはあるが終点のない
夕闇があたりをつつむと
もうすぐ朝 空を見おろす
南をさした十字路の舳先でぼくはおおきな伸びをする

すこし涼しいね エマさんがささやいた
夜からの風をふかく吸いこむ
かつて十字路で肩を組んだ記憶
距離と時をおいてトマムもぼくも振り返り
ああ 涼しいね 
同意のことばを漏らす
いろとりどりの十字路で
ぼくらはいつか再会し 微笑んだ


給水制限の朝(Mr. チャボ、正義と友情と愛とナントカと)

  Canopus (角田寿星)


雨は降らなかった 猛暑だった
埃っぽい早朝だった
突然のはげしいノックの音に眼をこする
ふあい なんか事件っすかあ 立ち上がりながら
生あくびひとつ 鍵は開いてますよお
次の瞬間 ドアノブが壊れそうな
いきおいで回って

青ざめた怪人サボテン男が顔をのぞかせる
ぼくは背中をぽりぽり掻いている

「どうかたすけてください」
絞り出すように話す怪人サボテン男は
先週の決闘の痕も生々しく
頭と両腕に包帯を巻いてて 首にはカラー
(そうだ 町内ガマンくらべでぼくに負けて倒れた時に
 火鉢に激突しておでん鍋に腕を突っ込んだんだっけ)
両眼もまだ渦巻き模様のまんまだ

フラワー団の怪人たちは花の改造人間だから
水だけでもしばらく生きられる
ところが折からの水不足で
総統以下 怪人たちに甚大なダメージが
「このままではフラワー団が滅びてしまいます
 人助けだと思って どうかおねがいします」
いやいや君たちは怪人で ぼくは正義の味方で

ぐるぐる目玉の半病人サボテン男とともに
釈然としない気持ちのままフラワー団基地へむかう
街はずれからさらに山をひとつ越えて
「花 売ります フラワー団」の
粗末なちいさい看板が立ってる側道を右にはいる
せまい砂利道をぬけると 視界がいっせいに広がり
いちめんの花畑が
つよい陽射しを一身に浴びて

枯れかかっていた

怪人たちはユリ男もヒマワリ男も土気色の顔で
両脚をバケツに突っ込んだままぐったりしてる
眼を閉じている 顔にセミがとまって鳴いている
バケツの水が緑っぽく淀んでいる
総統がいちばんひどい
腕がぐにゃりと萎れて骨が消えている
おっさん おっさん タケのおっさん
人間だった頃の総統の名前をぼくは繰りかえす

「みんなグロッキーで動けるのはぼくだけなんです」
ふらふらと悲しげにつぶやくサボテン男
…戦闘員A氏は? 彼はまだ生身だろ
「A氏は今は電車通勤です 九時には来ますよ」
そうだよね たしかA氏結婚したんだっけ
フラワー団からの招待状に欠席の返信を出したことを思い出す
みじかい祝電を送った ほんとは行きたかったんだ
ほんとだよ

軽トラックを調達してきた戦闘員A氏があらわれる
「チャボさんは大丈夫だったんですね」
と 流れる汗も拭わずにA氏
ああ ぼくは試作品だから おかげでいつも腹ぺこだけど
軽トラの荷台にはポリバケツが山と積まれてて
きっとあちこち駆けずり回ってかき集めたんだろう

「さ ぐずぐずしてられません 行きましょう」
ながい沈黙があって ぼくはうなずく
「はやく 水を」

水源地へ突っ走る軽トラック
運転席に戦闘員A氏 助手席にぼく
「ぐーるぐーる ぐーるぐーる」
荷台ではサボテン男が
ポリバケツの山といっしょに揺れている
「昔を…思い出しますね」
うん… 戦闘員A氏はマスクの下で苦笑い
ぼくは外の景色をながめるふりをする

この後に起きたこと ぼくらがしたことを
ぼくはここに書くことはできない

戦闘員A氏とかたく抱きしめ合って
サボテン男の肩をポンとたたいて
かわいた朝のなかを
無言のまま
家路についた
喉はからからで
セミがみんみん鳴いてて
バイトを休んだ言い訳をあれこれ考えながら


もいっぺん、童謡からやりなおせたら

  Canopus (角田寿星)


詩 って なんだろうね?
君がぼくに訊ねる
ぼくは 脱いだばかりの
クツ下のにおいを無心に嗅いでいて
君の問いに答えられない
君の目とぼくの目とが ゆっくり重なる

たとえば 早朝の草野球
主将どうしが試合前に握手しながら
詩 って なんだろうね?
という会話はしないだろうし
あるいは 帰りがけのコンビニ
店員のおねえちゃんが
付けまつ毛をパチクリさせて釣りを渡すとき
詩 って なんだろうね?
と話しかけはしない

思えば 結婚して10年になるけど
君とぼくが
詩について話したことは一度もないんだ

詩 って なんだろうね?
君は ぼくに今すぐにでも訊ねてほしい
その時ぼくはきっと
足の裏のにおいを嗅ぐふりをして
困ったような笑顔を君にむけるだろう
詩は たぶん
読んだり暗誦したり歌ったりするものなんだ
と 思うんだけど
ぼくはやっぱり君の問いに答えられない

ぼくら もいっぺん
童謡からやりなおせたらいいね
ぼくら幼稚園のスモック着て 手をつないで
廃墟に腰かけて空を見上げて
体験した戦争とかの
記憶をすべてうしなったままで
そして君とぼくは 詩の話をしよう
今ここには 君とぼくと詩しかいないから
夢や木の葉の話でも
故郷の大きな火山の話でもいい
そうだぼくは ぞうさん とか
みかんの花咲く丘 とか
それいけアンパンマン に
比肩しうる詩をいつか書くんだ
わけのわからないたたかいにわけのわからないまま参加させられて
今この瞬間に世界のいたるところで叫びごえひとつあげることなく
消えていくいのちがどれくらいあるのだとしても
それでも詩は必要なんだと
できるかぎり胸をはって

ねえ
詩 って なんだろうね?
ぼくは君に
ひとりごとのようにつぶやいてみる
君は子どもたちの世話とか
夕食の支度に忙しくて
ぼくの問いに
答えられない


ムルチ(『帰ってきたウルトラマン』より)

  Canopus (角田寿星)


アナタハ ダレデスカ

身寄りも帰る場所もなく来る日も河川敷を掘じくる佐久間少年ですか
地球の汚染大気に蝕まれ余命いくばくもないメイツ星人ですか
ふたりきり
河川敷の工場跡で
下水道に住む食虫動物のように
体を寄せあい
日々の食を求め
地中に隠された円盤を探し
メイツ星に還る日を夢みて
ひっそりと
誰にも知られずに生きていたかった

アナタハ ダレデスカ

商店街のシャッターは閉まってなかった
家々の窓は開け放たれていた
朝には子どもの挨拶がひびき
陽が傾くと夕餉を呼ぶ母親の声がきこえた
おつゆが さめるわよう
昭和40年の貧乏ったらしい東京で
煤煙と排ガスにまみれ額に汗して働き
善良であれば幸せになれると誰もが信じていた
同じ人々の同じ笑顔だった 違うものを悪と憎んだ
無関心な雨が
時代を洗い流していった

アナタハ ダレデスカ

あなたは誰ですか
少年のささやかな夕餉を踏みつぶす腕白どもですか
お前にやるものは何もない と
少年を突きとばすパン屋のおやじですか
こっそりと売れ残りを少年の懐に押し込む看板娘ですか
少年に理解を示し円盤を一緒に探す郷隊員ですか
街角の電柱からそっと顔をのぞかせる一介の虚無僧ですか
ただ通り過ぎていくだけの人の波ですか
表情もなく降りそそぎ洗い流していく雨の瞬間ですか
来る日も掘じくりかえされる存在の糞ったれな砂の一握ですか
あなたは

金曜日の夕暮れ真空管が描出するぼんやりしたフラグメント
ガキの頃はウルトラマンが出て来さえすれば何もかも解決するのに と
なすすべもなくうたがいもせずやがて雨がとおりすぎていくのだろう

あなたは
堪忍袋の緒を切らし少年を排斥すべく暴徒と化した
八百屋ですか薬屋ですかスーパーのレジ係ですか大工の棟梁ですか
「その子は宇宙人じゃない 宇宙人はわたしだ!」
少年を救おうとたまらずに正体をあらわしたメイツ星人に
善良な市民たちの平和を守るため立ちあがり発砲した
正義感あふれる純朴なお巡りさんですか
メイツ星人の封印がとけて
すべてのかなしみとにくしみと怒りをこめて目覚め立ち上がる青き怪獣
ムルチですか
それとも

「勝手なことを言うな…怪獣をおびき寄せたのはあんたたちだ…」
「郷!街が大変なことになってるんだぞ…わからんのか?!」

そう
愛らしき人類の平和を守るべくはるかM78星雲よりやって来た
正義の巨人
ウルトラマンですか

燃えさかる炎はすさまじい豪雨をよび対峙するウルトラマンとムルチを洗い流す
ムルチのブルー
ウルトラマンの銀
ムルチの流した涙
ウルトラマンの流した涙
ムルチの頚部から噴出したみえない鮮血の飛沫
豪雨は
洗い流し
そして三十年がたちました
誰ともなくつぶやいて

少年は父親になり
道のまんなかに立って
うつむいて
みえない雨に打たれるように
両肩から湧きあがる自問の声をこらえている

ボクハ ダレデスカ


狙われた街/狙われない街(メトロン星人)

  Canopus (角田寿星)


こんな日はめったにないけど

たとえば
なにもかもが真っ赤に染まる絵のような夕焼けの日

空は思いのほかよごれてしまって
あるいは記憶のなかの夕焼けとどこかちがっていて
こんな日はほんとうにめったにないけど

そんな見事な夕焼けの真ん中で
すきとおるように立っている虹色の何かがいたら
それはメトロン星人なのだ と
あきおさんが教えてくれた

そんな日はタバコを喫ってはいけない
タバコに仕込まれた毒が頭にまわって
誰かを傷つけたくなる
それはメトロン星人のしわざなのだ と
これもあきおさんが教えてくれた

子どものぼくはタバコを喫わなかったが
母子家庭の生徒をいじめる教師
何かと絡んでくる不良もどき
傷つけたいヤツはいくらでもいた

ぼくは体をきたえた
背は一年に30センチも伸びた
大人になって タバコの味をおぼえて
それで
多分
きっと
誰かを
傷つけながら
生きて

それはメトロン星人のしわざなのか
あきおさんは教えてくれなかった

あきおさんは逝ってしまわれたのだ
2006年11月29日午後11時45分 享年69歳
あきおさん最後のウルトラ作品で
メトロン星人は地球を去っていった
こんな星いらん 捨て台詞をのこして
あきおさんもこの日本を
去っていった

折にふれてぼくは
今もさがしてしまうんだろう
あきおさんのおもかげを
いつか視たはずの
記憶のなかの
あの夕焼けを
そんな日は
めったにないのだけど
そして
夕焼けの真ん中に
蛍光色の影をおとす
メトロン星人の
後ろ姿を
今も 

ぼくは。


時折の笑い声が、そして

  Canopus (角田寿星)



草はらの草の丈が少し低くなった窪地に
テントは立てられて
そのかたわらに
とうもろこしの絵がかいてある木箱
寄り添うように ふたつ
上には座布団が縫いつけられ
厚手の膝掛けが
かわいた風に旗めき
それに向かいあうように
木箱 もうひとつ
8インチのトランジスタテレビが
あたりをおだやかに照らし
司会者の絶え間ないトークに
時折の観衆の笑い声がひびく
つい先ほどまで先住民の老夫婦が
寄り添うように ふたり
木箱に腰をかけ
だまってそれをながめていた
時折の笑い声が
彼らの顔を煌々と照らし
かつて焚火や昔語りやギターが担った役柄を
テレビはじゅうぶんにはたしていた
老夫婦は
崖下の厠にでもいったのだろうか
連れだって
しばらく前に座を外したきり
戻ってこない
あたりは闇夜
テレビはちいさな半径を照らし
膝掛けがかわいた風に飛ばされて
時折の笑い声が
束の間の静寂を
そして


たんぽぽ咲きみだれる野っぱらで、俺たちは

  Canopus(角田寿星)


とおくの丘で
風力発電の風車がゆっくり回っている
見ろよ あれが相対性理論てやつだ
他人事であればあるほど
てめえだけは平穏無事でいられる
俺は腹がへって
あんちゃんのつぶやきをろくに聴かずに
肉眼で空を凝視しながら
あいまいな合槌をなんべんも打った
たんぽぽが咲きみだれる野っぱらで
飛び交う綿毛にむせっ返りながら
俺たちは
たたかってるところだった

成層圏のむこうに
きらりと光る何かが見えたら
そいつが敵だ
事の真偽を確かめずに
俺とあんちゃんがぶっ放す
これしきのランチャーじゃあ
ちいさなデブリがあたった程度だろう
まっすぐな煙はどこまでもあおい空に吸いこまれ
ちりちりと空気の焦げるにおい
時間をかけてレーションをあたためた
この なけなしの軍用携帯食が
俺たちの一日分の命の代価だ
安いなあ ひとの命は
あんちゃんが鼻唄まじりにレーションをあける
ああ ああ 安くて旨い
まだ値段をつけて貰えるからな
いい身分だよ 俺たち

やつらの言う
「誤爆」ってやつを目撃したことがある
ちょうど人間の形に蒸発した影が
壁に貼りついてた
なにかをつかもうとするような
指の痕跡まではっきり見えた
やつらが本気出しゃあ このざまだ
このたたかいは
負け なんて生やさしいもんじゃない
首根っこをつかまれて悪あがきで
手足をじたばたしてるようなもんだ
よそうぜ そのはなしは
メシがまずくなる

宇宙に もいっぺん行けたならな
あんなやつらこてんぱんにしてやるのに
俺は眠くなって
あんちゃんの遠い眼をかえりみもせず
大きなあくびをしながら
いいかげんな合槌をなんべんも打った
俺の頬を つう とひとすじ涙がつたう
あくびのしすぎだった

ここはあたたかすぎるんだ。

成層圏のむこう
きらりと光る何かが見えて
俺たちは何も考えずに
照準をオートにしたまま
ランチャーをぶっ放す
あおい空にどこまでも吸いこまれる軌跡
消えていく爆音
と 空の色が変わり
真昼の星が輝くように俺たちの阿呆づらを照らす
命中か?
命中だ…逃げろ!
咄嗟に熱反射シートをかぶり
ランチャーを放り投げる間もなく
あんちゃんの右脚と
俺の右腕が視えない衝撃に撃ち抜かれた
ちょうど俺たちの脚と腕の形に
地面は蒸発し
大量の黄色い花弁と
白い綿毛の乱舞が
これでもかと俺たちの上に
降り注いだ

ちきしょう
明日っから仕事ができねえぞ
俺は痛み止めを打ち
歯と残った腕で ついさっきまで
俺の右腕だったものをきつく縛りながら
あんちゃんの絶叫に
どうでもいい相槌をなんべんも繰り返した

たんぽぽの咲きみだれる
野っぱらの ど真ん中で。


屋根の上のマノウさん(改訂版)

  Canopus(角田寿星)

そうして空にはいくつもの
ちいさな泡のような放物線と
とんびと
海のむこうの出来事が
屋根の上にはマノウさん
わたしたちは
目を閉じて見上げよう
歩道沿いにはあやめの花壇が
街角のアパルトマンには
大きな鏡が

マノウさんは屋根の上にいる
むくどりが鳴いてやかましい
あるいはホイッスルかもしれない

長い腕をした
山からの風がふいて
タバコの灰は はらはらとこぼれ
砂に埋もれるようにわたしたちは眠る
親しく思っていた
顔を持たない人から
「ちいさな善意や励ましや何気ない笑顔が
 どれだけ人を傷つけているのか
 考えたことがあるか」と
吐き捨てられる

マノウさんは屋根の上にいる
はにかむように
かるい会釈だけのあいさつを交わす

昼下がりの青空には真っ赤な鉄塔が
もみじ色の夕暮れには緑の浮き島が
夜には 汽車のあかりが
わたしたちは
目を閉じて見上げよう
もしかするとわたしたちにも
見えるかもしれないから

誰かを焼いてるたなびく煙とか
伏せられたままの写真立てとか
泣きながら迷い子がさがし求める視線の先とか
公園のベンチから立ち上がれない若者とか
人知れずついたわずかなためいきも
過ぎたことを悔やみつづける声も
手をはなれてただよう風船とか
これでもかと言うくらいあたたかい空だとか
屋根の上でどこかを見ている
マノウさん
とか


暴虐!怪人ホウセンカ男(Mr.チャボ、怒りの鉄拳)

  Canopus(角田寿星)

怒っている
しめった風の吹く夕方
私鉄沿線最寄り駅前「鳥凡」の店先に坐りこんで
怪人ホウセンカ男が
怒っている
風鈴の音色は不快にやかましく
日もまだ暮れないうちから
すっかり酔っぱらって
上半身は裸で 怪人ホウセンカ男が
怒っている

わめき散らし 周囲を睨みつけ
なあ そうだろーお と
遠巻きの野次馬たちに同意を求めるが
誰に何を言ってるのやら
見当もつかない
止めに入ったらしい戦闘員A氏が傍で傷んでいる
鳥凡のおっちゃんがカウンター裏で苦虫を噛みつぶしてる
ぼくは
急報で駆けつけたものの
つまりこの酔っぱらいをどうにかしろというわけですね
あまりな惨状に一瞬 呆然と立ち尽くした

怪人ホウセンカ男がカンシャクを起こすたび
頭頂部が噴火みたくはじけて
こまかい種が放射状に飛び散り
あいたたた
こりゃまたハタ迷惑な武器だと思う
戦闘員A氏と目が合った
これはフラワー団のミッションと…
「まったく関係ありません」
ということは勝手に酒飲んで酔っぱらって駅前で暴れてると
「チャボさんお願いです 殺さないでください
 悪のフラワー団幹部として
 きちんと更生させてみせますから」
わかった とりあえず黙らせるよ
さて
(たまには強いとこみせないとね)

ゴールデンチャボスペシャルブローが炸裂して
正義は今日も勝った
具体的には
殺せ 殺しやがれ
という声がしなくなるまで
目をつむって思いきり殴りつづけた
へんな体液がたくさんくっついて気持ち悪かった
怒ってんのは
お前だけじゃないんだ
と言おうとしてなんだか言えなくて
うつむいた

野次馬の人ごみのなか
正義の勝利をたたえるおざなりな拍手がぱらぱらと聞こえ
遠い日の出来事のように
ぼくはうつむいたままポーズを決める
チャボ かっこいい どこからか声がして
社交辞令とわかっててなお
泣きそうになる

じゃあ これで と
ぺしゃんこになった怪人ホウセンカ男をひきずって
駅前を後にした
ひきずられる体液がべったり舗道に染みこんで
なめくじの這った跡が
ぼくらのながい影といっしょになる
怪人ホウセンカ男は
いろんな液体で顔をべしょべしょにして
俺の人生てなんなんでしょうねと しゃくり上げてる
空には
無数のあかい凧があがってて
ぼくは口の奥でもごもごと反芻し続ける
ぼくらは
改造人間だから
人間のナントカとか存在するナントカとか
そんなものは もうないんだよ
そう
もう ないんだ
そうなんだ もう


山岳地帯(マリーノ超特急)

  Canopus(角田寿星)

この地帯では稜線をつよくなぞるように吹きつける風がけして浅く
ない爪痕を至るところに残している。砂混じりのかわいた大気に。
あれた山肌に。つつましい色を放つ丈の低い植生群に。かるくひび
割れたぼくの頬に浅くない爪痕を。それは海から届いた風であると
ぼくはやがて悟るだろう。
かさついた照り返しの激しさに汗で濡れたシャツが背にうっすらと
張りついている。ぼくの或いは岩々のみじかい影。束の間のコント
ラストを一匹の蜥蜴がいそがしく這いまわり時を置かず真昼の陽に
溶けて消える。会話もなく足早に通りすぎるぼくのみじかい影。

尾根をつたう道の眼下にひろがるのは見渡すかぎりの深いみどり。
人の立ち入ることを許さない暴力的な森が生をどこまでも謳歌する
かのようにつよい風を受けてざわざわと波打つ。
いちめんのみどり。
わずかなうねりは驚くほどにその色合いを変えながら幾億もの兎が
みどりのうなばらを走り去っていく。


山岳地帯。ここはいちめんの森に浮かぶ孤島。
視界はこんなに広がっているというのに海はどこにも見えない。


断崖を背にしながらわずかに広がる荒れ地をたどる。ばらばらにな
った材木のかけらと不揃いに並べられた大小の四角い石。それらは
かつて人の住んだぼろ小屋の痕跡だとは当人でなければ判るすべも
ない。
ここにはかつて子どもたちが住んでいた。親に見捨てられた他の世
界を知りようもない兄弟かどうかさえわからない子どもたちが。干
した草の根をかじり雨水をすすり数少ないぼろ布を奪い合ってそし
て弱く幼いものから少しずつ死んでいった。生き残った子どもは死
んだ子どもたちを石の下に埋めその死骸から花は咲かず果実はみの
らなかった。

森のはるか向こう。見えない海を南に縦断する特急列車の噂を旅の
手すさびに幾度も聞いたことがある。或る者はそれは人類に最後に
残された技術の集大成だと語り また或る者はそれはサハリン製の
ラム酒に呑み込まれた愚か者がみたあわれな幻影だと語る。或る者
はそれはあまりに早く通り過ぎるがために肉眼では見ることができ
ないまぼろしの列車だと語り 或る者はそれは真夜中に音さえもた
てず秘められたままに走り去っていくのだと語る。
南へ。南へ。南へ。
ここではないどこかの駅からここではない彼方の駅へ。ぼくは海洋
特急を折にふれて思い ここではないどこかの駅を思う。ここでは
ないぼくのどこかの旅を。

ここは山岳地帯。麓に唯ひとつ横たわるぼくらの駅はみどりに浸蝕
されかけて列車は山を登ることも森を渡ることもかなわず何年も立
ち往生している。
ほそながい雲がつよい風に乗りすごいスピードで頭上を駆け抜けて
いく。雲は山頂近くで渦を巻いて出来損ないの有機物のように拡散
し短い生涯を終える。そしてそれは海から届いた風であるとぼくは
やがて悟るだろう。

文学極道

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