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游凪

選出作品 (投稿日時順 / 全12作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


優しい残響

  游凪

路地裏の電柱の下にしゃがみこんで
空色の吐瀉物を眺めてる
パクパクと口を動かしてみる
ここから出たものは汚くも美しい
飛ぶ鳥であり枯れかけの花である
その生温かい声を拾い集める
無造作にポケットに突っ込むと
小銭とコンビニのレシートが音を立てた
錆びた看板の店の前には
欠けたプラスチック製の植木鉢に
名前の知らない植物が並び
アルコールとネオンを咀嚼している
ポケットは心臓くらいの重さになった
残った吐瀉物は風に吹かれていった
届けられることのない遺失物
夕闇がそれを見ている
懐かしい記憶のように、或いはこれから見る幻のように

路地裏を出た先の公園で
野良犬のように徘徊する老人を見ながら
ペンキの剥げたベンチに座る
もう残り少ない煙草に火をつけて月が出るのを待ち続けた
それは一瞬のような永遠
月は優しい残響
太陽の残り香のする遊具は静まり
薄く脱色されていく
街頭に集る虫たちも声をひそめた
煙草は美味くもないが
吐き出したという行為が目に見えることが重要だった
何も残らない残せないこの存在の

薄い雲の向こう月は響く
嫌いだった喧騒も実は羨望の裏返し
塗れたかった手垢は古い詩集で掻き集めた
街に溢れてる言葉には目を瞑って耳を塞いだ
涙が浮かぶのは煙が目に染みるからって
ヘビースモーカーになっていった
ポケットをまさぐって
空色の吐瀉物を取り出す
これは自分自身か最早わからない代物
すっかり温度を失い
手のひらを徐々に冷やした
ぎゅっと握りしめると
僅かな光が拳から漏れ出た
これは飛ぶ鳥であり枯れかけの花である

拳を開いたら電球が切れるように消えた
しかし消失でないのは知っていた
吐瀉物は空色の鉱石であった
それは飛ぶ鳥であり枯れかけの花であった
それは空を映す脈打つ心臓であった
それは温度のある獣の声であった
何度吐き出してもそれは空を映すだろう
汚くも美しい生命の色を
誰もいない公園を出て
切れた街灯の下、夜空を見上げれば
月は優しくを今を照らしていた

* メールアドレスは非公開


火、ノ 懐胎

  游凪

月星のない静寂から夜が満ちる
溢れた金属音と女の嗚咽
あらゆる穴から垂れる体液に塗れた
肢体はまだ幼さを残す
覚醒した野性は眼を瞑ったまま
裸体の女は翅を閉じていく
てふ、てふ、てふ、てく、てふ、
固く閉じた蕾の名前を知らないように
逸失で異質で遺失であった
深い藍色に揺蕩う流木の破片は
放浪者の道標となり
設定しない目的地へと足を運ぶ
転がった眼球が事の顛末を記録している
以下、それを記す

漆黒の森で白い女は堕胎する
幾つもの爆ぜた火の粉を天へと散らし
掻爬されて舞う炎
切り離されて落とされる
細切れの燃え盛る胎児(のようなもの)
ただ此処にある風に受け止められ
回収される幻影、或いは不確かな実存が
小さく積み上げられる
保たれた均衡に
臓腑は緊張と緩和を繰り返す
込み上げる汚濁の愛おしさ
胎内は丸い空洞になり
生温く対流する(これは風ではない)
喪われたのは本当に胎児(のようなもの)であったか
それとも流星であったか
触れられることに抵抗する発光と熱に
ひきつれた風のケロイドは美しく
闇夜の皺となる
ドレープ状のオムライスに似た
規則正しいそれは、
太陽の聖骸布
瞑ることのない瞼に
燃え続ける履き違えた愛の残骸
上がりすぎた熱に冷たい汗が滲む
微かに雨の匂いをさせて
女は蒸発していく
その最中、滑らかな軽薄さで
風と抱擁して新たに孕んだ生命の種

白白と明ける空に
不在のまま焼失した月と星の灰が降る
さながら陽だまりの埃のように
全ては自然であるように焼き尽くされて
風はその重力のまま沈黙した
鴉に攫われたガラス玉のような眼球
煌めく宝箱の中に閉じられる
封印された、時の記録
途切れていた虫の音が辺りを浸す
熱い呼気を吐くものはいない
何も語ることもない深淵の森は
ただ一つの痕跡を残す
隕石に似た炎の痕
それは、蒼い星そのものであった


放熱

  游凪


とくとくと途切れない雛鳥の鼓動について
無垢な夕闇と電波の悪い話をする
温かな臓器をおさめた柔らかな腹の上で
金色に光っていたうぶ毛も
今は感触だけを残し
薄い輪郭は静かに上下して
お前の優しい声を思い出す
柔く撫でる手のひらの重力
その為に月は満ち欠けを繰り返す

打ち上げられた鯨の骨の中で揺られながら
煌めく砂礫に埋もれる偶蹄類の夢をみた
乾いた音を立てて崩れていく残骸の始まり
捨てられたものに残る熱を
宝物みたいに扱っている
冷めたらただのゴミ屑に成り下がる
僅かな時間に野良猫のような愛を囁く

退屈しのぎに見つめ合った鳥は線を引いて錆びた森に帰った
白々しいほど美しく
灰色に映る月明かりは沈黙している
雲は次々に死んでいく
眠りの浅瀬で瑞々しく横たわるお前を静かに反芻する
滑り落ちる魂を転がしてその跡を愛おしむ

消えない光が遠くなっていくのは
関節が外れていくからだ
ひたひたと溢れる窒息しそうな水溜まり
そこに満天の星空が落ちているので
幾つもの星に届いてしまった
かつて一滴の冷たい雨を温めた手
遠くの海の底に沈んでいく痩せた老犬は少し白濁して消える

黴臭いシーツの上で分厚い本を開き同じ頁を繰り返し捲っている
お前はこんなに饒舌なのに
文字は蝶となって飛び立っていく
「気はとうに狂っていた」
耳元で呟かれた羽ばたき
ちらちら光る埃が絡みついて歪んだ天井の染みに張り付く
痣のようなそれに触れたいと思った


湖底の朝顔

  游凪

一晩で枯渇した湖の底を歩く
横たわる群青色の夜の匂い
静寂を行方不明の影が彷徨く
湿った老犬が自らの大腿骨を齧っている
浮草がへばりつく泥濘と
点在する緩やかな水溜まり
朧気に映る二つの月の共鳴
先祖返りした朝顔が咲いている
螺旋する蔓の青さ、揺れる燐光
濃霧の中で仄かな光だけがしる、し
浮かぶ美しき想い出に眩暈がする
左腕が引き攣る
噛み過ぎたかつての傷痕が

深淵の監視者に拉致された、
あの甘美な孤独の日々
低い天井には僅かな星のみが瞬く
交わらない生、の生臭さ
持ち合わせの欲求に嫌悪して
痩せていく心臓は静かに漂流する
曖昧な境界は容易く一線を越えて
解き放たれた重力の足枷
骨の浮いた身体は重く沈み
浮遊する魂と冷たい星屑
手放す意識の切れ端が滲んだら
呆気なく太陽は死んだ
感情のない体液を垂れ流す、
これは正しく病気である

日々はやがて乳白色と混じり
病んだ猫の粘膜を優しく拭った
長い長い夜の果てに揺らめく小さな焔
そこから生まれた恒星は
星座を描き、月となり太陽となった
満たされた湖に揺蕩う月光
瑞々しい群青色の夜の匂いが
微かにさざ波立つ湖面に浮かぶ
その畔に佇んだ名前を持つ影
褪せることのない想い出は湖底へと沈めた
螺旋する蔓の青さ、揺れる燐光
今も水底に朝顔が咲いている


永遠

  游凪

雨が嫌いになったのはきっと君のせい
降り出す前の灰色の憂鬱
ひきつれて爛れた美しい傷が痛む
鼻腔の奥で煙草とコーヒーの匂いが混じる
小さな魚が飛んで跳ねて
厚い雲の上でクジラになった
遊泳する巨大な白い塊は
潮を吹き上げて雲を散らした
空は近くなって手を伸ばすことを躊躇った
滑空する燕と軌跡をなぞる指先が
唇に触れて柔らかな熱をもつ
伝導する心臓と同じ温かな鼓動
メトロノームの刻むリズムは
洗われた野良犬のお腹
弱々しい光に照らされて
やがてくる夕暮れ
遥か上空に漂う海の蒼さを忘れて
瀕死の太陽は落ちていく

音もなく雨は降り出し
最初の一滴を今日も取り逃した
残されたスクランブルエッグの気持ち
生まれたての今に触れたくて
遮るものは厚い雲だけだった
クジラは名も無き星になっていた
湿った身体は震えている
怯えたように強ばりもする
君も少しだけ冷えていて
二人だけのやり方で
互いの温度を確かめ合った
何も必要ではなかった
ただ君という熱があれば
鼻を擦り合わせて宇宙を見つめる
瞳の奥で光る流星群
飽きずに天体観測の記録をした
星図は新しく描き変えられた

壊れかけの玩具がラベンダー畑の中を歩く
紫色の幻想と褪せない夜の夢
誰かを追っていた気がする
誰かに追われていた気がする
視界が僅かに上下して
揺らめいては滲んでいく
音もなく急速に色を失っていく
煌めいた星の最期を看取った
交わした約束を無くしても
その痕が完全に消えても
少しも涙は出なかった
形はもう意味を成さない
変わりようのなさに安堵して
雨の中やっと眠ることができる
死のようなこの眠りを永遠と名付けた


野菜を食べる

  游凪

叔父からビニール袋いっぱいのミニトマトを貰ったのは蝉の声のしない夏。世田谷の安アパートでクーラーは唯一の贅沢品であった。随分と酷使して壊れてしまったので、リサイクルショップで買った扇風機を恋人のようにして過ごした。今年は例年にない猛暑だと毎年、気象予報士は言っているような気がする。畳にへばりつく肌はじっとりと湿っている。くたびれたTシャツをめくりあげて風を通す。首と腕からぬるく抜けていく。安い固形石鹸とい草と汗が混じった匂いがする。青紫色の朝顔の咲いた鉢植えを置いた、開け放った窓から太陽がこちらを凝視していた。深い疲労感に漂って、だらりと横たわったまま感じる熱。空は今日も青かった。

久々に空腹を感じたので起き上がると、時計の針が正午をさしていた。朝から何も食べていない。そういえば、昨日もろくに食べた記憶がない。小さな冷蔵庫からひとつかみのミニトマトを取り出す。ザルにあけて、銀色に鈍く光るシンクに置く。固く閉めた蛇口をひねる。生温い水が滴り、次第に冷たい水が勢いよく流れ出す。跳ねる飛沫が反射して赤くみえる。ザバザバと洗うと、実のしまったミニトマトが輝く。一瞬、触れていることに戸惑う。が、すぐに思い直して洗い続けた。
ザルを振って、よく水を切る。濡れた赤い果実はやはり輝いてみえた。その中でも大きくて形の良いものを選んで摘み、口へと運ぶ。歯を立てると破れた皮から果汁が飛び出して、Tシャツを汚した。噛みきるのをやめて、一粒ずつ丸々頬張る。少し青臭い甘みと酸味が口いっぱいに広がる。やはり塩はいらないと思う。トマトなら欲しくなるのに、ミニトマトは素のままでいい。口内ではパンパンに張った皮から厚い果肉の解放が繰り返される。その感触が楽しい。今までは弁当箱の飾りでしかなかったのに、夢中になって食べていた。
やがてザルは空っぽになった。シンクの台に転がる緑のヘタは青虫みたいだった。ゆで卵が食べたいとふと思ったが、面倒くさいのでやめた。片付けもしないで、乱暴に畳へ転がる。まだ身体は重かった。けれど空腹とは別のなにかが、僅かに満たされていた。
それから雨漏りの染みのついた天井を眺めた。黒い染みはアメーバのように蠢く。色々な動物になぞらえては変形させた。眺め飽きたはずの光景で時間はいくらでも潰せた。

午後四時をまわった頃、むくりと起き上がった。叔父から何度も促されていたので、病院に行くことにした。用意してくれた菓子折りを持って、脳神経外科へと最後の御礼の挨拶に行かねばならない。それからとりあえず耳鼻科に。いや、精神科かもしれない。まあ、菓子折りを渡せれば、後はどうでもいいことだ。ついでに読み飽きた文庫本を持って行くことにした。
ドアを開けると、ムッと土臭い向日葵の匂いがした。素足にサンダルをひっかける。汗でぬめり、少しよろける。まだ蝉の声はしない。


国道4号線

  游凪

斜視の幻影が捉えた
喪失した空の色
指枠の中で飛行機が墜落する
少年よ、発火せよ
瞬く間に蒼白い炎が上がり
視界が光で塞がれる
滾る心臓に支配されている

凍てつく日々がトラックの振動で罅割れる
排気ガスに紛れ込む、
薄汚れた野良犬と肥厚した爪の饐えた匂い
一本の肋骨が遺失物として届けられた
欠けたまま徘徊を続ける浮浪者
重ねたダンボールの温みが人肌であった

ゆで卵の殻を剥くと父の顔が覗いた
温かな尿道バルーンを垂らして
静かに鼓動を止めた安寧のとき
清潔に保たれたシーツの染み
空蝉が病院の壁に飾られる
早朝のリノリウムに乾いた音を滑らせる

生きている痕跡を消していく真白な清掃員
名前の書かれたゴミ袋を収集していく
異物混入、分別シテオラズ回収デキマセン
路肩に残る生活の残渣
駆け抜けるタクシーのテールランプ

名も無き花と踵の下で潰された明日
循環する思想、旋回する夢想
雑踏の孤独死が轢かれて軋み上げる声
かき消す子供の嬌声
飛行船が太陽を積んでゆっくりと飛ぶ
それが見えなくなる瞬間を知らない


切断

  游凪

群生する羽根の生えた天使たちは、嬌声をあげて飛び回る。光の裏側へと行き交う花の生殖器が降り注ぐ。瞬きに揺れて触れ合う。着火。迸る飛沫に乗り込む太陽。柔い風が炎を奪い、温むまっさらなシーツ。僅かに湿っている箇所をピンと伸ばし、種のついた綿毛を滑らせる。

落としたマーブルチョコレートは鮮やかに散らばって、アスファルトの落書きを着色した。チョークでできた線路の果てに流れる小川は霞んで、緩ゆると流れる。モノクロームの水面は鈍く乱反射する。甘く蕩けた影に微睡む魚は、白紙に落ちて滲んだ。

続かない会話に終止符を打って、放たれたアルビノ。漂白された体毛は色を許容しない。漂着する前の完璧な六花の剥製。一点の曇りのない解を導き出したダイアモンド。骨格標本は正しく納められる為に配置された様式美だ。氷点下の陽光のみ吸収できる、逃避としての水。

錆びついた恒星の軌跡にぶら下がる、その重力に脱臼する関節。野ウサギは欲情のままに2ミリほど浮遊している。遠雷と発砲音。点々と落ちた血液は真っ赤に咲き乱れ、薔薇の失踪は始まる。首を落とされた毛皮の白銀と対価としての硬貨の比率。揺れ続けたい天秤たち。

眼振する世界平和でダンボールになった猫。箱の中で終息する野性。防災アラートに代わる人工的なアンタレスは鳴り止まない。カギ括弧にかける囀り。追い掛ける前脚の肉球の汚れを拭う雑巾。全ての信号は伝達の為に存在し、生命の限り尽きることはない。


逃走する焦燥

  游凪

まだ柔らかい太陽を捕まえて逃げる
泥だんごをぴかぴかに磨いてその身代わりにしておいた
吐いた息が舌に絡みついてうまく息が吸えないから
過ぎ去った日々に隠れることにした
黙殺された金曜日に男は死んだ
子どもの頃に抱いていた左に首を傾げたお人形が
男にとてもよく似ていた
毛先を剃刀で整えて微笑んだ鏡の中
幾つもの顔があるのに誰も視線を合わせてはくれないから
化粧ポーチにそっとしまう
OLの鞄が重いのは広い砂漠をしまい込んでいるからだ
ラッシュの電車で赤ん坊が泣いても耳を貸さない
サラリーマンのシャツの襟には汗と垢が黒ずんで
それを誇りにするのは気持ちが悪い
昨日した口論は不法投棄された
ゆくゆくは児童公園の砂場に埋められて山になる運命

四つん這いになって貪った野良犬の縄張りを死守する夜明け前
石ころと化した星屑の残飯にありつける
甘い金木犀の香りが救いようのない怒りを沈静化しても
移ろう季節を有耶無耶に先取りすることができない
偽りは罪だ、創作だとしても
汚い声をあげる鴉が米粒を狙って体当たりしてくるから羽根を毟ってやった
これは断じて羨望ではない
少しだけ早く産まれたが規則正しく死んでいただけだ
吐瀉物に塗れただけなのに美しくなれると信じ込む人間は少なくない
隔離されたら夜の街を歩き続けられる
目にした光景を次々に忘れながら

精液はさらさらで馴染んでくれるから
愛の囁きなんかより信じられた
不忍池に浮かんだ男は雲ひとつない空を見上げている
半開きの目で昇り始めた泥だんごの位置と甘さの調整をする
太陽の熱と違うので鍋の餡を焦がしてしまった
今日は豆大福がショーケースに並ばないしコンビニではあんパンが売り切れている
撃鉄がズレていて弾けない男は射精しない
仰向けのまま崩れていく
男を隔てる境界が曖昧になったら好きなものだけ選別してと融合しよう
例えば、へその緒で繋がった赤ん坊、陽の当たらない桜、Instagramの甘ったるいスイーツ、経管栄養をしている老人、風俗看板と電柱の吐瀉物、躁うつ病の薬を投与されるマウス、東京タワーから見えた赤い屋根、プラットフォームで白杖を掲げる人、渋谷ハチ公前で待ち合わせする少女のふくらはぎ、
猥雑な混沌は男を分解する
掻き集めて太陽を芯に練り込んでお人形の形にして抱きしめる
これは再会でないはずだ


春暁

  游凪

月明かりと雪の結晶とスミレの花
無人のプラットフォームに落ちるものを
青白い人が拾い集めていく
少し膨らんだポケットから鳴る金属音
零れたものは何色だったのだろう
消えていくチルチルミチルの足跡
伸びた影にうずくまって
夜と溶け合えば孤独にならない
プリンターが吐き出す犠牲者たちは
偽善の中で何も知らず生活していたのにね
鈍重な亀になってしまわないように
象徴にされた小鳥に絡まった重みを
ハンカチで優しく拭いとり
固くなった肩甲骨を広げていく
川底に足をとられたから
地上に撒き散らされた光に気づいた
見開かれた目に映っている平等な朝は
その足元に沈んでいた

分別された灰色のオタマジャクシたち
劣性は潰してしまえばいいのに
背後から中年女のヒステリックな声がする
キュビスムの直線が裂いていく夜
ぱっくりと口を開いたら銀歯が覗く
これはあなたの北極星だ
頭上から初老の男の囁き声がする
二人は通じているから信用ならない
レモンイエローのカプセルが降り
ビニール傘に弾かれる音で掻き消される
足の生えていない白い子どもを探している
オンラインゲームでフレンド申請しては
見知らぬ人の過敏な内臓をまさぐる
液晶ディスプレイに閉じ込めた快感は
ゆっくりと侵食していき
眠りの浅瀬で二枚貝をこじ開けた
螺旋状に巻かれてどこまでも落下していく
更新されていく数値に止まらない耳鳴り

公園の薄暗い街灯に照らされた
古いブランコは揺れながら傾いていく
左利き用のハサミが大きく開かれて
裂けていた夜は完全に切断された
結ばれていたリボンが飛行機雲のように消えて
朝を迎え入れる準備をする
遠くの恋人と重なろうとして
シャガールの絵をよく眺めている
柔らかくなっていく背骨と明けていく青色
雄鶏が鳴いて花束を飾った
軋んだ音をたてるドアの隙間から入り込んだ
緩やかな朝陽をテーブルに招き
ゆでたての卵をひとつずつ食べる
乳を吸う猫たちをサランラップに包んで
手のひらでまあるくする
少し沈むくらいの重さのある温み
幼い頃のわたしに抱かれて
春が抜け出そうとうごうごしている


春の光

  游凪

露光し続ける世界で辛夷の花が散った
別れることができない雪のように散った
しゃがみこんで撮った青空の写真は
あなたの目に映らずに裏返されたまま
積み上げた本の隙間に紛れ込んだ
埃を被った文字の羅列は意味を成さない
その知識はもう擦り切れている

途切れ途切れの声をまさぐって
一番柔らかいところを探し当てる
そのまま秘密を触り合う
弱いことを隠さずにいられる喜びを
口に含んでよく濯いだとき
あなただけにある優しさを知る
ひとつになれないもどかしさの輪郭を
丁寧にすくい上げて撫でている

しまい込まれた名前を思い出そうと
読みかけのページを遡ってめくっていく
抜け落ちた幾つかに気付かない振り
間違えていないことへの祈り
滲んだ文字のざらついた感触を
いつか失ってしまうとしても
全ては意味のある行為だと思いたい

例えば雨の匂いのするアスファルトで
轢かれた猫の血が洗い流されて
何もなかったかのように忘れ去られていく
その過程で抱いた刹那的な感傷の行き先を
いつまでも覚えていたいという
独りよがりなことでさえも
想うだけならいくらでもできる

埋められなかった夜の底で
うずくまったまま固くなっていく
手脚の在り方を忘れてしまって
掴むことも歩くこともできない
虫のような胎児に戻りながら
傍らの菫が咲くことより項垂れていく方が
ずっと美しいと思い眺めていた

可愛げな小鳥の羽根を切り揃えて
奪った風の匂いは蜜のように蕩けた
あなたと同じ場所に立ってみた景色が
同じように見えていたのかわからないから
睫毛が重なる近さで瞳を合わせる
漆黒の宇宙に無数の星が一斉に瞬いていて
次々と生まれる世界は拍動している

薄い卵膜に透ける光の渦は
新鮮なあなたそのもの
倒錯的な水底に沈んでいたんだと
手放した痛みと手にした温み
いつまでも浸かっていたい微睡み
あなたが教えてくれた涙
湿ったままで初めての呼吸をする
否定ばかりの語尾は少なくなっていった

露光し続ける世界で桜の花が散った
別れることを決意した雪のように散った
しゃがみこんで撮った青空の写真は
あなたの目に映す為だけに暗室で現像された
切り取られた世界の羽ばたきの先
埃を被った文字の羅列に見い出す意味
擦り切れた感情を丁寧に使い古していく


春の花は光から生まれた

散った花は光をこぼした

あなたのなかの光に溺れた


さくら

  游凪

首筋にできた金魚の尾びれが
春の風をたたいて赤い筋をつくる
まだ見上げる人のいない樹に
絡みついて染み込んでいく

「春のいぶきですよ、
狂わされて、ほころび、こぼれて、
始まりのあいず、あいす色のはじまり、

色づきだした景色の中で
伸びていく影は薄くなっている
野良だった犬はすっかり柔らかくなり
薄汚れた毛布の上で目を細めている

薄茶色の毛がまっている陽だまりで
父の眠る椅子は固く冷えたままでいる
未だ溶けない残雪の奥底で
あの朝の日の記憶はとうに行方知れず

ひたひたと赤い尾びれが首筋を打つ
虚血だった脳内に血がめぐる
光がすぐそこまできていたのに
耳元までにじり寄ってささやいた

「春のめぶきですよ、
戻されて、すくい、またこぼれて、
膨らみ出した、あなたの、

あたたかな下腹部に手をやる
宿らない空洞に水がはり
いつの間にか潜った尾びれが跳ねた
まだ見えない蕾が揺れている

文学極道

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