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鈴屋 - 2013年分

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


侘び住まい・冬の末

  鈴屋


藪がさわぎ
川面がけばだち 雨風まじり

二日まえから 蜘蛛が棲みつく部屋で 
女が 石の子宮に 掌をあてている   
 
鉄橋を渡る貨物列車に耳をそばだて 
風の方位を測り 
レールの光を 壁になぞり 
旅する

竹筒に一輪 侘助は伏し目がち
女が 下からしつこく覗きこむので 
花弁は芯から赤らんで

たまさか 窓にさす薄日
畳を這う蜘蛛
色味のとぼしい唇 
そろって微笑する

両手で湯呑を包み
背筋を伸ばし 正座している女の ひととき 
壁が消え 一面 川の景
部屋が 上流に動いてやまない


女は街までの道すがら二度頬笑む

  鈴屋

寺の墓地を抜けていくのは街への近道、といって女は急いでいるわけでもない。ひとり歩きの気楽さ、両の手を後ろで軽く繋ぎ、散歩がてらという風情で墓石の間の敷石道をゆっくり踏んでいく。ふいに枯芝色の犬に追い抜かれる。「おや?」と後ろ姿を目で追いながら舌を「チョッチョッ」と鳴らして呼んでみる。犬のほうは地面のあちこちを鼻から先に寄り道していくばかりで一顧だに返さない。いっそ気持ちの良い無関心。女はその犬がちょっと好きになった。

犬が曲がっていく先に付いていくと、大島桜の大樹がおりしも満開を迎えている。女は「これはこれは」と歩を止め「言葉を仕舞え」と誰かに命じられでもしたかのように、しばらくは呆けて花をふり仰いでいる。風が吹く。いっせいに空が乱れる。女は唐突に目を覚まされた気分になって、舞い散る花びらの下、桜の根方をしきりに嗅ぎまわる犬に気付いた。一面敷き詰められた花びらが鼻息でほころび、そこだけ黒い土が露わになる。

犬が尻を落として尾の付け根のあたりを激しく噛みはじめた。その姿勢がきついのか、転びそうになるのを前肢でこらえて、尾の痒みに口先を届かせようとくるくる地を擦り回る。歯を剥き出しグッグッと鼻を鳴らし噛みつく。三度四度擦り回ってようやく気が済んだらしく、犬は前肢をそろえ端正に座り直し、そこではじめて女のほうを見た。犬が演じた愉快な振る舞いに頬笑みを返しながら、女のほうも犬を見詰める。そこにあるのは黒い二つの眼だ。

女が山門に向かおうとすると先導するように犬が前を歩く。曲がり角で来し方を見やると、ひと筋の敷石道の先、林立する墓石の上に、さいぜんの大島桜が扇の形に白くぼうと浮かんでいる。そのあたり風もなく静まり返っている。少し寒い。胸の前で両腕を交差させカーディガンの上から二の腕を擦った。犬が離れていく。敷石の上を軽やかに爪音たてて、つんつん立ち揺れる尾がいきおい先に行きそうに胴が斜めになる。女が頬笑む。山門をくぐればそこから街がはじまる。


夜行ドライブ

  鈴屋



道が西にカーブする
サンバイザーを下ろす
暑い
エアコンが効かない
15年落ちのセダンだ

女は眠っている
唇を薄くあけ、股をひらいている
ルージュで汚れた前歯、タイトスカートのぴんと張った裾
ヒールが片方脱げかけている
助手席のサンバイザーに手を伸ばし
女の瞼にも影をつくってやる

陽が山脈に落ち、闇が田園を水位のように浸していく
右のこめかみのあたり、膨らんだ月が平行してくる
ヘッドライトがアスファルトの路面を食んでいく
蛾が横切る、一瞬、眼が赤く光って
こちらを見た
黒々つづく山並みの麓に人家の灯が点々と綴られ
そのひとつひとつに
なんのつもりか、人が宿っている

棲みつくことは堕落だよ
「なっ?」
女は眠っている

女を乗せて三日目の夜だ
はじめ、女の故郷の小さな地方都市へ行くはずだった
女が、そこで暮らそう、というのを生返事で頷いたものだが
今ではどうでもいい話だ
あてなどなくても、アクセルを踏んでいる限り
ライトの先に道はひとすじ用意され、尽きることがない
そんなことに妙に感心する

道は山に入る
上るにつれ月は冴え、峰の稜線を際立たせる
エンジン音に耳をそばだて、ギアを選び
ゆっくりと上っていく
ハンドルを右に左に
やがてフロントガラスの視界が広がり
峠に出る
小休止のつもりで車を脇に寄せ、ライトを消しエンジンを切る
完璧な静寂
ウインドウを下げる
冷気に身震いする
月明かりの下、見渡す限り山の稜線が重なっている
それが際限のない緻密なつづら模様となって夜空に溶けこんでいく
無限という感覚
不快が込み上げ目を閉じる

目をあける
耳朶からぶら下がるトルコ石
闇の中に白い顔がぼうと浮かんでいる
女は眠っている

眠りにつくことが死ぬことなら
死ぬことも悪いことじゃない
「なっ?」
女が肯いたような気がする
 
キーをまわし
先を下り
さいぜん望んだ山並みを縫って行く


最後の人々について

  鈴屋


わたしの頭のうしろで 雲はながれ 雲の下 浅黄に刷かれた
丘のふもとに 最後の人々は住む わたしの頭のうしろで 川
はながれ 蜥蜴の尾のように青くかがやき 野の果てまでくね
くねと細り むこう岸の木立のまにまに 最後の人々は住む


かれらは 明るい窓辺のベッドで死ぬ 神の理ではなく窓枠に
切り取られた青空の理によって死ぬ そよぐ枝葉 つっつっと
降りてくる蜘蛛 背伸びして覗きにくる子供と犬 矩形のなか
のそんなものらを 眸にうつして死ぬ


かれらは生きる 人としてありていに生きる 太陽の下で穀物
と家畜をそだて 工場で機械と電磁波をつくり 日々を生きる
しかもかれらは 生きてかなしむ たとえば野にあるとき 頭
上の青空のもっともふかい青 そのようにかなしみ やがてか
なしみは しずかなよろこびに反転する


この秋 わたしは赤松林をぬけ 古池を散策する 木立が水面
までのばす枝先の もみじ葉の翳りのなか 一尾の鯉がじっと
身をひそめている ときとしてそのあたり 失われた祖国の影
が病葉ようにただよい わたしはあまりの懐かしさに 身を震
わす よって わたしはかれらに属する者ではない
        

かれらは 欲しいものはなんでも手に入れることができる 死
さえも苦もなく手に入るので つまり 欲しいものはなんでも
あらかじめそこにある いえ そうではなく 欲しいものはつ
ねにそこに 新鮮に たちあらわれる


かれらはみな寡黙である かれらは長い年月をかけて 徐々に
に言葉を失いつつある すでに人称代名詞のうち わたし あ
なた が使われることはない 愛 苦 望み など 人の心に
まつわる言葉については 知らないと こともなげに言う


言葉が失われていく しかしかれらは 海や陸や天体にたいし
てと同様 隣人たちとふかく親和している それでいて あく
までも個の点在を尊ぶ わたしには未知の 沈黙の交感をつか
さどる気圏に 包摂されているとしかおもえない 見ることの
叶わぬ風景として 
 

わたしの最後の人々についての知見は このていどでしかなく
わたしがかれらとともに生きることは ついになかった わた
しは旅の途上にあり 国境線の消えた大地をさまよい 海は海
のままに 陸は陸のままにながめ どこまで歩いていっても 
わたしの頭のうしろで かれらの群像は遠のく

文学極道

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