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鈴屋 - 2011年分

選出作品 (投稿日時順 / 全8作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


河口付近

  鈴屋


河は亡びる 海は沸く 子犬を連れた奥さんが突堤を散歩する 海 海についての感慨を厭う 指先の紫煙を潮風がぬぐう 私は知っている 見晴るかす水平線の先が瀑布だということ その奈落の底で太陽が生まれるということ 太陽は日毎天空に弧を描いては昼をつくり ふたたび奈落に落ちては一日の命を閉じる 月は生まれない なぜなら月はつねに母だからだ 乳白の相貌を空にかかげ はるかな落日を見送る 星は瀑布の飛沫にすぎず とくに使命はない 人にもとくに使命はない
   
   +       +

河は亡びる いずれ海も亡びる 私は子犬を連れた奥さんと恋愛する 私は告げる 貨幣は言葉よりも真に近く純粋で美しいと 奥さんは頬笑み 私に告げる 貨幣は真昼よりも眩く 語り継がれた海と陸の物語よりも尊いと 私はもう一度告げる 奥さんの頬笑みは貨幣よりも美しく 風雨をなだめる月よりも優しいと 浜辺の老いた波頭は来たり去り こうして私たちの恋愛は成就した

   +       +

貨幣は世界を化石化する 私はその林立するパールホワイトの世界で生きる 奥さんのトイプードルを抱いてみる 茶色い子犬の二つの眸 子犬が見ている世界には吐き気がする 海と陸を見つめる奥さんのはかなげな眼差し 世界を見るという過酷な行い けなげな睫 奥さん 私はあなたのその眸の中に永遠に棲みつきたい 見ていることが思うことであるために永遠に言葉を失いたい 遠くの鉄橋をコンテナ貨車の長い列が渡っていく その眠たげな響きにさえ 奥さんの眸は涙ぐむのですか?

   +       +

河は亡びる 杭が露出し暮れなずむ 私はそろそろ清算をしなければならない 何ごとを? 私の身過ぎ世過ぎ 山脈を削り来たった河の土砂の堆積 貨幣の浪費 太陽と月の関係 河原の斑模様の小石と小鳥の卵の関係 昼と夜の光りの貸借 奥さん 私はあなたを失ってしまいたい 水は死を誘う 私はあなたの死を夢見る あなたの入水を夢見る 奥さん 夕凪は深い慈愛を湛えている 真の悲しみは私を生かすはず 頬笑み忘れがたく 子犬を連れた奥さん    
   




 註 ・・・・「子犬を連れた奥さん」、チェーホフの同名の小説から借用
    ・・・「子犬が見ている世界には吐き気がする」、投稿欄、Jさんの「犬」という詩への右肩さんのレスよりヒントを得る。


日暮れの鉄道

  鈴屋


鳴きすぎて 喉を裂き 血を吹き よぎる ひよどり 夕焼け
に 送電塔は身を焦がし  

森をめぐり 鉄橋をわたり 田畑の中を 一両きりゆく 電車
の 運転手は クレヨン描きの 紙の顔 
 
暮れて流れる車窓の山の端 いまだ まばゆさ 残るあたりに  
町から帰る 人妻が 昔の恋人の横顔かさね

薄闇よどむ山懐に 見つけた窓明かりの ふたつみつ ああ
あんなところにもある 人の暮らし

それから おもわず 口をついた さようならは はて だれに
告げたのか 当の人妻にさえ わからない

線路が見える庭の隅 貰われてきた子猫の 涙目に 映る信号
の 色変わり それはそう だれも 知らないこと


唇に夕日

  鈴屋


真昼
漆黒の青空 海と陸あり                          
日傘をかたむけ
唇が わらう

一度 世界を かき消し
窓は ガラスでつくる
ドアは 背後を切りぬき 地平線は ひっ掻く 
心は 草を編んだ籠のごときもの  
椅子とテーブルは 置かない

非常に悲しい 午後の 
唇は

管弦楽を聴き
白湯をすすり 温まり 
祈ってはならない 実務をなせ 
受話器をとり 箱を運び 伝票を集計し ファックスを送り  
タバコを吸い ルージュをひきなおし 
白紙に歳月を刻み 昨日今日 健全に生きている者は 死者を統計する
うしろ手にドアを閉め 
唇は 空を吸う

夕日
ニセアカシアが匂う河原で 
小石を拾い
まるみ ざらつき 重さを 指に覚え 捨てる
捨てた石は石にまぎれ 澄ましていて 
わからなくなる
夕日
死者は 汀によこたわり 
瞳の砂を 水が洗う 
紫色の空 黄金の船団 
眼差しは せめて ひとときを さかしまの海に遊ぶ
死ぬこととは腐敗すること

腐敗する 春 
唇に夕日
橋上にテールランプがならび
工場とオフィスが おびただしい人影を排出する 
駅前では バスがどこかへ去り 臓物が焼け 煙は夕日にほのぼの染まり 
とある 神秘的な静けさ 
まさか 明日を 信仰するとは まさか しないとは

五月こそ 
とくべつの青空
唇は
タバコを吸い付け
となりの粗野な堅い唇に そっと差し込む 
ルージュの甘い残り香 
新緑の山裾 消えのこる雪の山岳 
街道を内陸へひた走る 大型トラックの 
運転席でのこと


昼下がり

  鈴屋

何かがあるわけではないが
指でなぞれば、雲がたなびく、セスナ機も飛ぶ 
眼をしばたけば、歓楽の館がならぶ、列車も通る
夏椿の花は好きだ、枇杷をしゃぶる子供は嫌いだ

生きていたくないあなた、死んでもいたくないあなた
あなたを追って跨線橋をわたり、駅構内の食堂に入る
店内はおびただしい日本国国民で満席、汗が噴きだしてくる
テーブルには父母がいて、弟夫婦も従兄弟も叔母もわたしの娘もいて 
今しも生ビールで乾杯するところだ
誰も私に気付かないので気持ちだけは涼しい
昔も今もこれからも、いつでも彼らは私に気付かない
食堂にはベッドがしつらえてあって、横たわるようあなたをうながす
私はスパゲッティーをフォークに巻きつけ
あなたと私の唇をトマトソースで汚す
もう片方の手をシーツの下に這わせ
あなたの性器のありどころ、暗がりのなつかしい湿り気をさぐる
たっぷりとした太ももが逃げていく
海底を這う蛸のようにすり抜けていく
あなたはひじょうに小さくなって街路を歩いていたりする
ひじょうに大きくなって床に横たわっていたりする
国民の頭と頭の隙間で学生時代の友人が手招きしている
なんだ死んだんじゃないのか、とおもう
垣間見える父母や叔母や従兄弟も、なんだ死んだんじゃないのか、とおもう
ビールがぬるいとあなたはいう、生きてこれたのねとあなたはいう
おたがいさまだと私がいう

食堂の窓の外は天気雨
老人がテューバを吹いている
私の娘がバトンガールの練習をしている、槿の花が咲いている
通過列車が窓をかき消し、三秒後には遥かな地平を巡っていく
列車に乗っているあなたが見える、あなたをさがしている私も見える
どこへでも行けばいい
あなたにも私にもさよならだ

何かがあるわけではないが
風だけは吹いている昼下がりだ
行進曲はやめてもらいたい


夏日

  鈴屋


遊ばない夏
炎天にネムの花は動かず
うつむけば汗の二雫、舗石に染む

葉かげに座り、なにゆえの苛立ちか
指先をふるわしタバコのひと吸をいそぐ 
靴の先のそこかしこ、蟻の巣穴の出入りせわしく
俯瞰する村は蝉の解体に祭りの賑わい
ひととき人を忘れる

人を忘れ
荒れ野に踏みこむ
背丈に余る夏草に囲われ、動物じみる
小便をする
草いきれと尿の臭気がまじりあい
見えるがごとく中空へ立ちのぼり
仰ぐ顔のまま、くらりと傾くのを
踏みとどまる

街道に出る
渡ろうとしてガードレールをまたぎ、足許に
ヒャクニチソウとユリの花束を見つける
「おーいお茶」が添えてある
人は壊れやすい
ぶつかってみればわかる
瞬間だが、こうやって自分は壊れるのだな、と
苦痛がくる前にまざまざとわかる
難しくない

灼熱に息苦しくなる
見渡す限りの水田、白い道の交叉、光る積乱雲
叫びのような明白さ
もしかしたらこれは暗黒ではないのか
まったく人影を見ない
ずっと見ていない
世界が人を失っているのは歓迎すべきことだが
私がいる

ヤブガラシの花の上
一羽の黒揚羽がランダムに飛ぶ
顔の汗をぬるりと手で絞れば
遠い希望のような
ひとすじの蛇口の水


「明眸」と名付けられた少女の肖像

  鈴屋


顔の裏側は灰色
誰でもそうなんでしょう?

去っていく人だけが信じられる
少しは賢くなった九月

菜園の向こうには
給水塔とメタセコイアの森
いつも同じ窓の風景を見ているのに
少しも飽きない
心静かな九月

時おり
誰とは知らない女の人が
庭で摘んだ花を活けていく
美しいお婆さんです

わたしを十五秒ほど見詰めてから
瞼を閉じて
そのまま、じっと眉根をよせている
お婆さん

瞼を開いて、眸が
ぱちんと明るく晴れて
窓の外の空をしばし望むのは
きまりごとのよう

花瓶の鶏頭花は
二日も経つと
黒い小粒の種がテーブルクロスに散らかり
それからまた二日
花首が曲がり
色あせる

月夜には
窓辺に子猫がやってきて
ケッ、ケッ
銀色の粘液にまみれた魚の骨を
吐いた
口を濡らし
半分膜がかかった眼でこちらを向くと
あるところで光った
わたしの友だち

麻地のワンピースに
エナメルのベルト
その下には
色とりどりの宝石のように
お腹の臓器があって
これは誰もご存じないこと

ちゃんと子宮もあります
青磁の色の

給水塔に
茜の雲がかかり
この日も暮れ

五十年、昔
「明眸」
ひと言、そう告げた男の人は去り
窓辺に
こちらを向いて立つことは
二度とありません


拝島界隈

  鈴屋

あなたは行方不明をくりかえす。あなたが食べ残したポテトチップスの塩味に指をしゃぶりながら、さて、わたしは遅まきの恋愛に悩み、ウォトカをすすり、あなたの臍の右上7cm、臙脂色の痣をサハリンに見立てて一人、夜の旅に出る。駅前を右へ、やや行って左へ、坂を下って軒と軒の隙間、こめかみあたりに十一月の月は高く、身と心の由来をとおに忘れたあなたは、帰化植物が繁茂するこの街に擬態しているので見つけることができない。そうだよ、あなたもわたしも民族の子ではなかった。

サハリンの火はいまなお消えず、と鼻唄まじりにそぞろ歩いていくはずが、いつしか声もあがらず酔いも醒めて、見つからないあなた、あなたはわたしの知らない男達のせいでいつも湿っていたから、薬臭い水が追いかけてくる路上に、カーテンが破れている仕舞屋に、瞳を見開いている道路鏡に、股のあたりから饐えてとろけて菌のようなものをなすりつけていくから、ほらあんなふうに闇の奥のどこまでも青錆色に光る点々をあとづけて。

この世で一番うまいものは水と塩だ。あとは幅の問題にすぎない。引き戸一枚、小窓一枚、風が帯のようにすり抜ける小部屋のベッドで、うつ伏せの背中に耳をあてると川が鳴っていたあなた。仰向ければ投げ出した二本の脚のつけ根から額まで海峡のように裂けていたあなた。肉と草はいらない、水と塩にあなたを漬けて、タバコをくわえながら窓から見える電柱の2個の碍子をひどく欲しがっていた遅い秋の一日。雪よ降れ、屋根という屋根に雪よ降れ、雪が降れば当節に馴染めることもあるかと、わけもなくおもっていた初冬の一日。

夜が明けていく。立ち枯れたオオアレチノギクの空き地の向こう、国道16号拝島橋を渡っていく大型トラックのテールランプが、あなたのふたつの瞳の奥で遠ざかる。あなたには心なんて贅沢すぎる、かなしいだの、うれしいだのは身のほど知らず、とついこのあいだ悪態ついたばかりで、それでもこのミルク色の薄明はいくらかでもあなたに安らぎを与えているだろうか。あなたの手をひき、枯れ草を踏みしだき、工場跡地を抜け、その先の角を曲がり、長い万年塀に沿って行くとき、近づいてくる踏み切りの向こうのいまだ眠っている街、あれが社会なのだとわかる。


厨房

  鈴屋


ホールの照明を消し、コック服をスーツに着がえ、厨房に戻る。ショットグラスにウイスキーを注ぎ、一息にあおる。調理台に椅子を引き寄せ座り、一度締めたネクタイをゆるめ、調理台に片肘をつき脚を組む。二杯目は唇を湿らすように啜る。胃が熱い。塩の効いた生ハムを噛む。こうして孤独を周到にととのえる。閉店後のこの男の習慣である。

手入れの行き届いた頭髪と靴。よく似た黒い艶。
白色タイルの壁に囲まれた密室に視線をめぐらしていく。首が遅れてついていく。
ダクトのファンが回っていないので空気が動かない。
冷凍冷蔵庫のモーターがクンッと止まって、いまさら、ノイズに気づく。
庫内の闇で動植物の細胞が静かに死につつある。
荒涼とした地平が望まれる。
調理台、二槽シンク、オーブンレンジ、ズンドウ、ボール、フライパン、レードル、バット、等々。
つねに摩擦を浴びている金属の柔和な輝き。
油の染み、水滴、一点もない。
日々、男は磨いた。
耳を澄ましてみる。沈黙は金属の本領だが、ひじょうに遠い闇の場所でかすかに軋む気配がある。
料理のようなもの、顔のようなもの、女のようなもの、ぶよぶよしたものがきゅうに厭になる。
壁、什器、備品の光りが増していく。それ自体発光し、瞬く。
用途が失せる。反乱を感じる。
首が動かない。
何も考えない。
ということは男によって疑われているが。
赤銅色に鈍く光っている男の顔。幾つかの穴と中央の突起。用途が失せる。
金属、道具、首の宴。あるいは男の喪。
首の内部の砂の飽和と消失。
時間は刻まれているか。
すべては疑われているか。
鳥葬が望まれる。
地平の果て。
ショットグラスが指をすり抜ける。

ランチタイムの白ワイシャツの群れがよぎる。プラットホームの雑踏とキオスクにならぶスポーツ新聞の赤い見出しとオーダーをとおすウエィトレスの思わせぶりな目つきがよぎる。今日一日のカケラが擦り切れた昔になる。男が立ち上がる。これから階段を昇り深夜の舗路に佇み、生臭い夜気を肺いっぱいに吸いこむだろう。人影絶えたビルとビルの狭間を足早に立ち去るだろう。普段のことだが。

文学極道

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