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流離いジロウ

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


にじゅう年の熱帯の鳥

  流離いジロウ


まえ触れもなく いま
脳幹へとふりつもる花びら
失われたままの
ことばは 誰のものでもなく
檻のうち側でとまって見える とりの
ちっぽけな孤独

とりとは、誰の憧れであるのか。
にじゅう年ぶりにきた上野動物園は、雲が低く、午後からの小雨のためか、以
前と変わらず静まってみえた。私は所在なく、散乱した印象のあるプラスチッ
クのごみ箱をよけ、樹の枝から堕ちてくる雨の余韻を受けながら、閉園ま際の
とりの檻をみて歩いた。

ちかくの影か、敷地の何処かから、力ない風が寄せてくる。私は、きみを連れ、
始終とりについての述懐を止めない、きみのわずか隣にいて、みじかい私のに
じゅう年について考えていた。

声をうしなうこと
いみを欠くこと
おもいおもいの 
姿勢をうばわれること
思い思いのかたちで 意味をついばむこと
決して とびたたないこと
ゆっくり攪拌された時間が めを
覚ますこと

檻の前で、時おり他人に追い越され、別の他人を追い越したりしながら、私は
いく度かきみを確かめ、その後、檻へと視線をかえした。
以前、私は、この動物園にきて、さらに不忍の池をみて回って、無為に、まる
一日を潰したことがある。いま、私は既知の、けれども名前も知らない檻のと
りを前にして、きみの心配事と、とりの心配事について、何かことばを探して
いる。

檻の向こうの熱帯のとりは、気がかりな羽根の色彩で、奇妙に進化した頭部の
佇まいは、むしろ美しくおぞましくさえあり、殆どじっと動かなかった。予測
のつかないこえの震えや、あまりに永すぎる脳幹の沈黙は、檻のこちら側の私
を、不安にも、何故か幸福にもさせた。

とりよ 古代の
明るい あでやかな仮装と 
羽根に刻印された熱の息吹は
嘘なのか とりの記憶は花びらなのか
わたしの憧れは
誰のものだろうか

私は、不忍の池、とおもわれる上空をふり返り、雲ばかり、何の変哲もない上
野のそらをみ上げた。くらく連続する木立の向こうに、以前ながめた、古びた
ビルの看板があるはずだ。

きみは、誰の夢なのか。とりとは、誰の憧れなのか。
ふいに携帯電話を持ちかえ、とりの写真を撮りだしたきみは、その図像を示し
てよこす。暗がりの、檻のなかの息吹と、機械の待ち受けがめんに固定された
沈黙…。そらには、決して、見えない文字で、私のにじゅう年が映し出される
ようだ。

檻のうち側で いま
とりが揺りかえす
にじゅう年のちっぽけな孤独
途方もなく 花びらが堕ちる
いま
途方もなく
花びらが燃え 
みしらぬ
とりの脳幹が揺らされる

とりよ
とりよ


ながれ星と木馬

  流離いジロウ




・案内状・


疲れて、部屋にもどった僕は、食卓のわきに絵葉書を見つける。妻が、ソファ
ーで眠り込んでいる。黄色くにじんだ模様の底に、透かしのような文字があっ
て、うつくしい馬のサーカスと書かれていた。背広を脱ぎかけ、しばらく手を
とめる。案内状の、まん中の写真。大写しにされた馬のたて髪と、緑の眼が印
象的で、傷付きやすい賢しげな表情や、すっと伸びたまつ毛の清潔さに、言葉
をのんでしまう。寝息をたてない妻の隣りに、僅かにもたれかかるだけのすき
間を探して、ついに休息した。ああ、じつに見事なものだ。馬の頭部は、何と
いってもよく出来ている。恐らくは、誤りのおおい他の人生に比べて。


・サーカス・


大きな夕焼けが、僕の背丈には不釣合いになるころ、会場に辿り着いた。街の
片すみの、見覚えのない空き地に、テントが張り巡らされていて、中だけほっ
と明るい感じ。ざわめき始めた人混みのはしに、ひとつの席をえた僕は、ポッ
プコーンを手にして、息をひそめている。座長が腕をふり回すたび、白い手袋
が僕には眩しい。それから一匹の、緑の眼をもつあの奇妙な馬が、団員によっ
て舞台に引き出され、かるく足踏みをした。音楽が鳴り、それが合図だったこ
とに気付く。続いて、何十匹もの馬が登場した。形のいい鼻すじや、張りつめ
た筋肉が見え、次第に舞台中央に密集し、片足を持ち上げたり、首を揺すった
りする。座長の手袋が、馬に合わせて大げさに旗めき、何だかつられるように、
やや遅れて手拍子が始まった。ライトがするどい三角錐となり、照り返しで影
がやけそうだ。きっと僕には、堪えられないだろうな。そんなことを考えるう
ちに、群れの全体が盛んに走り出し、どの馬が、あの最初の馬で、どの馬がそ
うでないのかが、さっぱり分からない。

うつくしい馬は、空を飛べません。僕にはそれだけを、聞き取ることがようや
く出来て、白い手袋は、今となってはあまり目立たない。いっそう音楽が賑や
かになる。ざらざらした傷や、粘膜や、時間そのものが引きつる感じ。それが
馬の運動によって、呼びよせられ、色付けられ、うわ書きされる気がして、僕
は声をあげている。馬、はしれ、馬、走れ。すると、赤毛の馬、名前のない馬、
つんとお尻が傾いた馬、胴の輝くような馬、すべてが木馬のように、同じ速度
でまわる、回る。座長の口上はさらにかん高いものとなり、胸が詰まって吃る
みたいだ。踊り子が現れ、喜劇役者がつんのめって転んで、忘れられないあの、
緑の眼が、ぱちぱちと閉じられるのを感じる。僕は思わず、ポップコーンを投
げ捨ててしまって、もう堪えがたくあきれるほどの必死さで、馬、はしれ、馬、
走れ、とくり返すしかない。左右の人混みは、すでにそれぞれ、顔を見合わせ、
席を立って手拍子を強めている。形のいい鼻すじ、張りつめた筋肉、浮きあが
っては沈み込む足、何本ものたくさんの足、それらを眺めやるうちに、僕の暗
がりから何かが溢れ出した。


・星・


部屋にもどると、妻がベランダでかがみ込んでいて、寒そうに見えた。窓の外
にいる姿は、何故だか頼りなく、危うげな印象。手には如雨露があって、こん
な時間だというのに、植物に水をやっている。水は、穴だらけの終端から出て、
尖った幹をぬらし続ける。空は暗く、その分、星は細やかだった。よこに長い
雲を透かして、ひとつ、緑色の光りがずれていく。壊れそうだ。それは本当に
息をするようで、見えないくらいに幽かに揺れる。通りの何処かから、みじか
い馬の嘶きが聞こえてきた。


公園跡地

  流離いジロウ



個体発生は、けいとう発生をくり返す。行く方のわからない高速道路の、その
高架下で私は、意外な近さの噴水を見ている。幾何学的な、暗がりにある装置
と、周りにならぶオブジェの群。水の湧きあがりに息をのむ私は、都市の片隅
のこの空き地から、どうしてか動くことが出来ない。

幼いとき、私は黒点で、長じてからは日時計になった。等間隔にある木製のベ
ンチの、そのひとつに位置どった私は、意味もない頭上の交通と、ビル風の衰
弱とを交互に比べながら、飛沫の揚力と、光りの切断面について考えを巡らせ
ている。

貴方は誰なのか 貴方では
無い
とされる私は
知っている他人であるのか
それとも 奪われた
あまたの夢の痕跡なのか

都市の地図を手もとに拡げると、色のパターンに眩暈がする。覚えのない地名
が散在し、それらをひとつずつ結び付けていく私は、ひとの生きざまと対立に
ついて、ときに言葉を失くすらしい。

彼方では重機がこだまし、日に晒された街路の、午後二時の喧騒の何処かには、
面白くもない誕生とかげがある。くり返されるなぞ掛けの営為。私はしだいに
下降する反射板よろしく、ひくく騒ぎだす微生物や、塞ぎこんだ原始の昆虫の、
呼びあう声の静まりを聞きとる。乱雑に置き捨てられた引き出しの玩具と、入
れ子構造のじかんの内奥に、火竜のえら骨が隠されている。

噴水
その輝きを
いうことが出来るか その怖れのような 
石の眠りに触れたことがあったか
貴方は
大規模に肩をふるわせ
ひきしまった青空のただ中で
ちっぽけな水の器官が 果てから
中央へ
そらから
波紋の底へと わたされている

翼竜が、奇怪な焔を吹きだす前に、コンクリートの地面でじたばたする。傷だ
らけの爪が滑り、宙をさ迷う仕草。それから、漏れかけた焔を一旦、吸いもど
し、沈黙のあとで激しくぶちまける。高速道路の至るところでは、自動車がエ
ンストしている。うき雲が流れ、繭から、大きな火の手があがる。

何時か見た、たしかな慄き。私と、高架とを繋ぐいっぽんの紐が、生きざまの
狂おしい地図の折り目で、午後四時を等しく暗示する。水の気配がした。意外
な勢いで羽虫たちが飛び立ち、石のくずれる匂いがする。

貴方に触れてみる 貴方に
かかわりの無い
発生と 熱
磨かれたのど笛は
動けない私をとうめいにしていく
貴方は誰なのか 私は
不吉な 破線であるのか
らせんの文字が見えづらく上昇し
墜落する
公園跡地を

文学極道

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