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宮下倉庫 (裏っかえし) - 2008年分

選出作品 (投稿日時順 / 全6作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


central St

  宮下倉庫


細い路地に降り積もった雪を踏みしめる音さえ、私の耳には届かない。
路地の両端に立ち並ぶ建物は、古くさいバロック風で、薄闇から沸き立
つように現れ、どれも無人に見えるが、その窓窓から漏れる光のおかげ
で、かろうじて自分が新雪を踏みしめていることが分かる。私はもう随
分長い時間歩いている気がする。今ここでは、食器同士のぶつかる音や
スープの匂いは、雪の層に吸いとられ、なんの用も為さず、ただ視覚だ
けが、鋭くなっていくようだ。私の後に続くかもしれない誰かは、窓窓
から漏れる弱弱しい光の下に、私の残した足跡を認めるだろうか。そし
て、こんな荒天の夜に、このような細い路地を抜けていったのはどんな
人間だったかと、想像しさえするだろうか。私は立ち止まる。少し前方、
ちょうど額のあたりの高さに、建物の壁から突き出すように設えられた
(つまり不自然に低い位置にあると言っていいだろう)鉄製の看板は、
深く錆に蝕まれており、経年の長さを雄弁に物語っている。あるいはそ
う見えるだけなのかもしれない。歩みを進めると、看板の真下に、鈍い
光に照らし出され、徐々に足跡が浮かび上がってくる。まるで上空から
垂直に降り立ち、そのまま融けていなくなったかのような、誰かの足跡
が。私は額をぶつけないよう腰を屈め、足元に注意を払いながら、それ
を跨ぎ、すると、不意に路地と直角に交わる大きな通りにぶつかる。滲
んだ光環が等間隔に並び、向こうには茫漠とした闇が広がっている。こ
れが目指していた通りであるとしたら、この国の元首であった人間のフ
ァーストネームをその名に冠しているはずだが、絶え間なく降りだした
雪が、通行者たちに通りの名を告げる標識の所在も、大きな建築物の所
在も、全く不明にしている。しかし、これも、あるいは、私も、そう見
えるだけなのだろうか。


サイクル祖母

  宮下倉庫


墓は遠い
それは栃木のへその辺りにあり
そこには誰もいない
現在地のような顔つきで
祖母は循環を続けている
あ 地震
昂ぶれば昂ぶるほど
地震嫌いの妻のもとに
駆けつけなければならない
なにぶん墓は遠く
生きている者は傲慢だ


暑い日だった
木立の階段を登りながら
前後左右でみな押し黙っている
やがて蝉の声ばかりになり
今墓を目の前にして立つ
向こうで石工は新しい名を刻んでいる
ここには誰もいない
そこかしこに散在している
こめかみをちょっと押してみる
まったく暑い日だった
石工も汗びっしょりになり
やがて冷たい水となって流れていく
お参りの最中に地震あった?
どうだろう
揺れていたのは
僕たちだったのかもしれない
東京では微弱な震度が観測され続けている


呼び名について考えている
堆積する祖母の傍らで 孫は浚われていく
血の名付けというのはあやふやで
黴臭い幻想なのかもしれない
この部屋は祖母の部屋だった
今は子孫たちに埋め尽くされ
焼けて黄ばんだ畳の上には
半分だけの煎餅
少し湿気たそれを齧る
見送られるのは好きじゃなかった
なにひとつ引き受けずに南下を開始すると
誰かが新しい名で僕を呼ぶ
 


あたしたちの循環

  宮下倉庫



循環
って名前の
バスに揺られてるとあたし
血液みたいね
最後部の座席に座って
そんなこと考えてる

ねえ
向こうで震えてるの
あれって地平線?
いや あれは鼓膜が
感受しているのさ
じゃああたしたちの
耳の奥で震えている
これは
なんなの?
さあ
案外 ぼくたちそのもの
かもしれないね

前の方に並んで座ってる
あたしみたいなコと
頭の悪そうな男の
ねぶたい会話が聞こえてくるから
あたしは窓の外を眺めることにする
薄くオレンジ色がかった風景の中
手の届きそうなとこに建つ
まったんのしせつが鉄くずとか
やっつけてる

地平線のそばでは
キリコの描いたマネキンが
じょうろで水をまいてる
なにを植えたのか分からないけど
風景にとても溶け込んでる
そんな気がする
こっちを見ているのかしら
それも分からないけど
こっちに向かって 今
手を突き上げたみたい
そして地平線の向こうがわに
マネキンは歩き去っていったわ

なんで
あたしこいつと
こんなねぶたい会話してるんだろ
もうこんなんだったらどこか適当な
ど郊外にでも
誰かあたしを埋めて
水をあげてくれないかしら
地平線が見えなければなおいい

窓の外を見ていたはずが
いつのまにか
そんなこと考えてて
あちらを見ているあたしみたいなコは
こちらを見ているあたしみたいなコで
あたしの隣では頭の悪そうな男が
感受してる
でも 案外それが
あたしたちそのもの
かもしれないとか
思ったりしない?

ど郊外のバス停であたしは降りる
入れ代わりにあたしみたいなコと
頭の悪そうな男がバスに乗り込んで
いちばんうしろの席に座るのが見える
あたし 手をぐっと握って
遠ざかるバスに向かって突き上げる
なぜって
他にふさわしいみおくり方を
思いつかないから

握りしめた手がちくりと痛む
ひろげて見るとそれは
溶けて ねじ切れて
冷えて固まったみたいな
鉄くず
マネキンみたいにのっぺらぼうな
手のひらから血液が流れ落ちたわ
なんだかあたしたちって
循環しつづけてるみたいね
それで
地平線の向こうがわに
スキップして あたし
帰る
 


星が落っこちて

  裏っかえし


あたしの苔桃は
ぺちゃんこだから
いくらでも
飲み込むことができる
もっと もっと
そんな嘘を 呼吸みたいに
散々ついて歩く夜の家路は
たいてい両耳にイヤホンを
突っ込んでる連中とすれ違うから
なにを聴いているんです
そう尋ねてみるけど
案の定 答えは返ってこないから
あたしは誰にも星を貰えないのだと
心底理解できる
歩きたばこは嫌い
自分でやるのが好きだから
ホイールをバカみたいに回して
救急車があたしを背後から
ふっ飛ばして あたしが
曲がるつもりだった角を先に曲がる
それから 何台もの救急車が
あたしのうえをいったりきたり
いよいよあたしはぺちゃんこにされて
そのくせ苔桃だけは
星に向けて吹きかけるつもりだった
たばこの煙を飲み込んで
猛烈に熟れていく
落っこちてきて
落っこちてきて
両手を組みあわせて
そう 祈れたら
適当なところで
あたしは立ちあがって
あの角を曲がれるはず
なのに


おこのみで

  裏っかえし


ゆりかごは無人で、白い錠剤に埋めつくされてる。あたしは肺を病んで、背中は苔むして
る。そこをロバが通ることもある。すると、シャッターチャンスだって、連中はいっせい
にカメラを構えるから、あたしは満面の笑顔、林檎みたいなピースサインを送る。ドラッ
グストアは眩しくてとてもきれい。夏休みの3分の2を費やしてもいいって思うくらい。
だってここでこそあたしたちのけんぜんなたましいは育まれるんだから。部屋のすみっこ
でドラッグストアの紙袋をひっくりかえす。とっさに数が知れるほどの錠剤と、さんまの
蒲焼の缶詰がころがり落ちる。ねえ、知ってる。ロバって場所によっては「性的放縦」っ
て意味になるんだって。それって、ドラッグストアには売ってないよね。あそこで売って
るものじゃないと、もう追いつける気がしないし、だいいちあたしらって何を追ってるの
かよく分かんないし。あたしは、それでもいいと思ってる。肺病みの身には、この部屋の
空気は澄みすぎてるし、そうじゃなければ、残りの3分の1でやっていける気がしないし。
苔むしたあたしの背中を、さっきのロバが尻をふりながら歩いてく。連中ったら、オペ用
の極薄てぶくろを頭にかぶって、象徴的に踊りはじめてる。あたしったら、さんまの蒲焼
の缶詰を、ひどく乱暴にしたい気持ちになる。だから、まず、ゆりかごで眠りたい。もち
ろん錠剤はどけるし、夏休みの終わりには連中を、一粒残らず、やっつけるつもりでいる。


秋楡

  裏っかえし


白熱灯に垂直に交わる蟻の葬列が、足元を昏くする八月の終わりに、ようやく背中の
汗はひいて、アコースティックの空洞には、寒色の香気が満ちてくる。午後から雨。
二階の机の上のラジオは、今日の天気の寸評を述べると、少し押し黙ってから、四十
年前に死んだエリック・ドルフィーのMiss.Annを、甘食代わりに僕にすすめる。ラジ
オの隣でコーヒーの紙袋が、微かに音をたてる。風が吹きはじめたらしい。僕はガラ
スの密閉容器を探しに、階下へと下りていく。庭の秋楡の互生した葉。その鋸歯が切
り取る稜線は、曇天の低さを、葬列と平行に走る坂道を上り下りする人たちに告げて
いるかのようだ。昏い、足元で、蟻たちは次々と燃え尽きていく。棺のない葬送に終
わりはなく、密閉容器のガラスは、真昼の湿気を冷えた体に抱き寄せている。昨日よ
りもずっと前から、空に太陽はなく、机の真上で白熱灯は灯り、ラジオの影はそれ自
体で充溢している。やがてMiss.Annは終わるだろう。ソロも、即興も、葬送も、秋楡
の葉擦れの音に包まれて消える。半袖の腕に少しだけ肌さむさを覚えながら、そのよ
うな二階に僕は、ガラスの容器を携えて、戻ってくる。

文学極道

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