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田中修子 - 2018年分

選出作品 (投稿日時順 / 全10作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


夕暮れシャッター

  田中修子

赤い夕暮れがくると
鴉がぶつかってくるから
フェンスで囲われているマンションの
窓にさらに
夕暮れシャッターをおろして
すき間から覗いていると
数万の鴉が空を覆う

どこからやってくるのか
物心ついてから
疑わしくおもうひとは
わたしのほかこのマンションには
いないようなので
ずっと口をつぐんでいる

暗い部屋の
ボロボロのあしの七本ある椅子に
腰かけると椅子は
駆けだす

数百冊のノートにうずまりながら
詩を書いている わたしの恋人はいつも
あした死んでしまう
いまはもう処方されない
致死量のある薬を
白い喉をさらけだして仰ぎ
飲みくだして倒れる

わたしはその詩をいつまでも朗読しよう

鴉がシャッターにぶつかり
たたく おと だけが
ひたすらに品のない雨のように
わたしの心臓をいまだ
うごめかせる

あしたもあさってもしあさってもそのさきも
わたしの恋人を埋葬しつづけ
間に合うように十分進ませてあるうちに
数十分数百分狂ってもう
何時かもわからない時計を眺め
夕暮れシャッターを下ろし続けるだろう

いつのまにか椅子の足は
八本になって
絡みついている

数万の鴉に覗き返される
すき間から覗く
長い歳月に濁っているわたしの
もう白くはない
白目


卵化石

  田中修子

ね、みんなは、恐竜だったころをおぼえている?

むかし博物館に家族全員を、父がつれて行ってくれた。幸せな会話で窒息しそうな電車、はやく終わらないかな。
父はティラノサウルスが好き。わたしはトリケラトプスが好き。
そのころ母がとっていた子ども新聞に、トリケラトプスの男の子と女の子が恋に落ちて、滅びていく恐竜世界を冒険するまんがが載っていた。火山がドカンと噴火して、灰がおちて、空がどんよりと曇って、濃いみどりの羊歯や、大きなイチョウやソテツが、どんどん燃え上がり容赦なく枯れていく。二匹の両親は、二匹を守って死んでいった。寒くて寒くて、二匹はからだを寄せ合いながら、まだどこかに残ってるあったかな理想郷を探して……わたしは結末まで読まなかった。

だって、そのトリケラトプスの男の子と女の子が、あったかいとこにぶじたどり着けて結婚して幸福な結末を迎えたとしても、もうぜったいに二匹とも、死んでしまっていた。
恐竜はうんとむかしに、ゼツメツしてしまったのだ。
かなしくて仕方がないから、うんっと思いっきり力を込めて左手の親指の爪を半分まで引っぺがした。

我が家では、神さまの仏さまのはなしは科学的根拠のないものとして、あざけりと共にあったが、お兄ちゃんは後日、生き仏様をあがめるようになる。お兄ちゃんがコワイものに変わってしまった気がしたし、それに父は「お兄ちゃんのことは、なにかあったら刺し違えてでも止める」と熱い青年のまなざしで云って、母は「まぁパパ」と感涙するのである。どうしたらいいんだろう、わたしはせめてかわいらしくニコニコした。

でも、お兄ちゃんが借りていっしょに見てくれたジャン・コクトーの、「美女と野獣」のしろくろの映画の、お姫さまの長いまつ毛と目の深い陰翳・ドレスのきらびやかさ・野獣のかなしみと、ふたりの深い愛は、わたしの目のうらにいまでもあざやかにある。

父母・ティラノサウルスがほえるようにわらうと、頑丈な真珠の白い歯が見え、レースの羊歯はめくるめくように湿度の高い甘やかなにおいで中生代世界を装飾し、黄金のイチョウはひらひら落ちる。半透明の翡翠でできたトリケラトプスのわたしは、ふるふる震えているミニお兄ちゃんをうしろにまもり、突進して、しゅんとした父母・ティラノサウルスを三本角の頭突きで追い返したあと、ソテツの宝石みたいに赤い実をカリリカリリとたべてお腹がグルグルしちゃうんだな。

上野駅で迷わぬように、父が手をひいてくれる。父の手は、銀色の製図用のペンで設計図を描きなれた乾いたさらさらのぬくもりで、書きダコがあって、深いあったかい肌色をして、神さまみたいに大きかった。父のつくった偉大な建造物を、わたしは生涯乗り越えられないだろう。もし父が逝っても、あのひとの巨大な足跡は、各地に残り続けてるのだから、さみしくなったら、彼が設計に携わった建物の中のカフェに行ったらいい。--この小さな島がいつか、火山の噴火によってあるいは、たかいたかい津波によって飲み込まれるまで、あのひとは、遺すものをつくったんじゃないだろか。

わたしは地球の燃え尽きたあと、きらめく星になりたい。

少年のように、父は目を輝かせてチケットを博物館の入口にて買い求めた。おっきいお札がさーっと消えてゆく。おにいちゃんは幽霊みたいにボンヤリして、消えていく代金を母は目をキリキリさせてじっと眺めている、わたしはあとで母がバクハツして、家族が青く透き通ったカチンコチンの氷河期にはいるのを、いまから、みがまえる。

そうそう。そういえば、零下の雪と氷の世界を、わたしは、毛皮を着て風にさまよい歩いた。あれ、さむかったなぁ、おなかも減るし、家族も仲間もじゃんじゃん死んでった。歩けなくなったおばあちゃんの遺体から、着古した毛皮を引っぺがして、からだに重ねて、歩いて行った。ちょっとまえ、七万年前くらいかな? でもいまおもえば、命がけで歩いた氷原は、けっこう綺麗な風景だった。夕暮れには、氷原は、赤く青く金に、どこまでもあてどなく、きらめいてね。月があがってね、ふっと息を飲んで、それきりだった。

--わたしたち家族は、人をかき分けてまわる。
それで、ある展示の、孵らないで化石になってしまった恐竜たちの卵、というのをみたら、胸が痛んだ。

あ、わたしたち、一億数千年ぶりに、邂逅したんだ。


野いばらの丘

  田中修子

殺したい殺されたいという
おそろしいおもいは
愛したい愛されたいという
かたちの
最果て

ああ
また

あのひ わたしが 茨に裂かれて死ねば
すてきなちいさなおとむらい
女王は泣きくずれ 王は威厳をたもつ
それから海の見えるすてきなレストランへいき
数日後には談笑している
ここはおそろしく不思議な魔女の国
燃え上がるからだ
ひつぎのなか、王子様の接吻はまだ

王はいま
枝葉を切り落としなんとか枯れずに
育ったわたしを家に
うやうやしく飾ろうとし

くらい、おそろしい森に
落としてしまった
祖母の
真珠のネックレスだけが
パンのように白く光る
わたしにかえり道と
ゆく道を
一粒を口に入れれば
ああ、これはわたしに殺された
祖母の肉の味だ
涙のようにほとばしる血で飲み下そう

海に身を投げ風の精霊になった
人魚姫たちに背をおされ
ツバメの死体と共にある
王子たちの心臓がわたしに脈打つ

すべてわが、顔も知らぬ
姉よ妹よ
兄よ弟よ

果てのさきを歩もうか
いまここは野いばらの丘だ


ばらの蛇と少女

  田中修子

ばらの花びらのふりつもる
わたしの頭の
いちばん外側にちかいところにある


少女の白く重いなきがらを
抱きしめている

たわむれに春をひさぐな
指さされ ささくれて

ばらのとげをのみながら
血を吐きながら
陽射しをさえぎる白い日傘を握りしめた
少女を抱く 冷たすぎる

この子はわたしだろうか

ふたりでこいだ
はだ寒い
小雨の日の
ブランコ

あなたは遂げてしまったのに
わたしはあふれる乳と蜜だ
くちびつりあげ
チロチロとふたつに割れた赤い舌

なだらかに
わたしの眼も閉じよ 閉じよ と
呻きながら
からだをひきずりつづけると

気づけばわたしが
棘をはやして夜をやどし
薄輝く星をたたえた
真っ黒なばらになって

飛び立とうとする白い少女の
のびやかな鳥をかばうように
とぐろをまき
こうべを飾るのだった


揺り籠

  田中修子

「こんなに反抗するようになるなら、育てなきゃよかったなぁ」

おとうさんがはなったことばが、夏の台所にさかなのはらわたを置きっぱなしにしたようなにおいをはなっている。
そのまま死神の形相をしてひふの裏にすんなりと沈みこんでゆく。

荒れ狂う風が吹き抜け、からだのなかに街ができた。つねに夜の街。幾千幾万の灰色のビルディングがしずかにたち、ふっとみると、エメラルド色のタワーが明滅している。

あの日以来、怒るとき悲しむとき、この夜の街にいるから、いつだってはんぶん透けているのに。

それなのにおとうさんは、まるでいつだって目の前にいるように、
「そういう不安定なところも、おかあさんにそっくりだ」
あまえたような顔をするのね。

心臓に、さかなのウロコがびっしりと張っていくのがわかる。鼓動のたびにウロコがこすれあい、体のなかに誰もが誰をも無視しあう雑踏のような音を立てる。
夜の街には灰色のどんよりとした雲から黒い雨がポツポツふってきたところだ。妊婦をもつきとばし、幼子を抱きよろけてうめく老女を無視して、我さきへと歩くひとびと。このひとたちのなかにいると、息ができない。息ができなくて、心臓が死にかけた馬の喘鳴。
そうしてからだ全体に、ウロコは細胞として散らばって増殖していく。

きれいなローズピンク色の心臓を取り戻したくて、カッターナイフで左胸を突いた。ひややかな乳房に傷がついただけだった。
雨が降り続き、夜の街のひとびとはすこしいきおいを失ったようだ。深海に白い目のない魚が泳ぐようなひとびと、黒い雨はやがてあのひとたちを白血病にしてしまうだろう。血液のがん、細胞の浸食されていくしずかな音。
傷あとは肉芽になって、えらのような形がすこしのこっている。
えらは、ときたまひきつるように動く。

いつのまにかどこかで知り合って胸をひらいたあなたが、
「これはなに?」
と尋ねた。
「おとうさんよ」
「これは、きみが引き受けるべきものではない」
「おかあさんの身代わりなの」
あなたの手が左胸にすっとはいってきた。はたらき者の熱い大きな手、爪と指のあいだの沈着した色素とささくれ。
カッターナイフは肋骨が受け止めてしまったのに、その手は切れ味のいい刃物よりうんとすんなりと、肉の中にはいりこんでくる。腹をきりひらいたさかなのはらわたをむしるように。
そう、よくはたらく手だからよ。
ペンでもなく絵筆でもなく、際限なくベッドシーツをとりかえし清掃をして仕事終わりに安い石鹸でよく洗われる、がさがさの手だからよ。
その手はうごめく心臓から、血まみれのウロコをとりだした。
むしってすぐの赤いポピーの花びらのよう。
「一枚しかとれなかったな」

それ逆鱗よ。

その瞬間、肉がびちゃびちゃ音を立ててくずれていった。
散乱する内臓、ササミみたいな筋肉、ひろがった肺はプチプチしたのがいっぱいついている。これは腸? 花の塊のよう。
これは脳みそ、白肉色の蛇がとぐろをまいている。あら、目まである。ガラスみたいにころんとして、澄んだ白に黒目。齧ったらどんな音がするんだろう。

青みがかったピンクのマニキュアをほどこした指と爪がハラハラと散らかっている。青い小さな小さなホログラムがひかる。

いまわたしのこの肉をみているこのわたしはだれかしら?

この内臓たち、腐ったさかなのにおいがする。

「もうほんとうはずっと前からこんな感じだったの。ほんとはね。ひとのことだいきらいだと思っていたけど、自分のことがね。ううん、きらいよりうんとひどいの、わたしはね、わたしがないんだわ。だってあの人たちの血を引いているから。知ってるの、だれよりもあの人たちにそっくりだってことを、まわりのひとみんな聞きもしないのに教えてくれるわ。そうなればなるほど、どんどんあのひとたちに似ていって……」

黒い雨をぬって哄笑しながら夜の街に落ちるいなづまのよう。
たぶん白骨になっているわたしがはなっていることば。舌はどこ?
けれど、人であったころよりずうっと素直なようだった。

「ぼくは、生き人形師なんだ。平日には働いて、働いた金を全部つぎ込んで、人間にそっくりの人形を何体も作ってきた。そういうことができる機能もつけたさ。けれど、たいてい作り上げた時点で飽きて、この間けっきょく全部売ってしまった。まあ、気持ち悪いことに、どこかのパーツがぜんぶ自分そっくりなのさ。ものすごい金になったが、なにもする気がおきない。それでぼんやり歩いてたら、人間なのに、人間のふりをしたなにかが歩いているじゃないか」
「それで声をかけたの? あなた、わたしにまけずおとらずとっても気持ち悪い人ね。いきにんぎょうしってなによ」
「……そうして、さっききみのウロコをむしったときにすべて思い出した。きみのつくった夜の街から来たのだよ。排卵とともにぬぐわれた子宮の血を食べ、ゴミを啜り、汚水管にをねぐらに成長して職を得、この街のすきまに少しずつきみの街を作り上げている。きみを作り直そう、ぼくのすべてをかけて。ぼくはあっというまに老いていくから」

口づける。溶岩のようにすべてを飲み込もうじゃない。
あなたは溶けていく。
淡い色をした桜の花びら、いびつな形をした真珠、青い鳥、海岸に打ち上げられて塩漬けになった心臓のような堅く軽いクルミ、母が子に愛を込めて読んだだろうボロボロの絵本、ビー玉、どこかあなたに顔立ちの似た理想的な男の子の裸のお人形、あなたの幼いころの写真、それは、おとうさんの幼いころの写真とそっくりだった。モノクロとカラーの違いはあったが。

あなたがわたしのなかのあの夜の街から来たのならば。
思う間に、内臓はドロドロと混ざり合い、再結合され、わたしの体に這い上がってくる。



つかの間の夢。

ビルディングの一室で白骨と化しているわたしの胸のなかに巣食うこの黒い鴉。
"Never more""Never more""Never more".

暗記してしまったあの短い詩のアルファベットが変化して本から飛び出し、旋回し、肋骨につかの間とまり、そうして錆びた窓枠を抜け嵐のなかに羽ばたいていく。荒れ果てている。

もう二度と取り返しのつかぬこと。もうにどととりかえしの。もうにどと。



めざめると、はちきれんばかりの臨月の腹をして病室にいた。腹のひふは透いて小さな満月を抱いているような、無数にかがやきうごめく卵が見える。混ざり合ったあなたは子宮のなかにいた。

「ようよう子どもを産んでくれる気になったんだね。うれしいなァ」

おとうさんがわらって覗き込んだ。
この収縮する子宮のなかにある卵が孕む無限の可能性。わたしでないわたしが変化し、わたしでないものを産む。

おなかからおとうさんのうめき声が聞こえる。けれどもその根源は、おとうさんにかかった、おかあさんの呪い。三世代にわたるおかあさんのおかあさん、そのおかあさん。
彼女たちのかおはもちろん、わたしとどこかパーツが似ているのだ。

「ママーっ ママーっ」
「痛いーっ!! 痛いーっ!!」
「無限の愛 無限の愛 無限の愛」

海の音のようなこの心音の悲鳴は? だれのもの? あなた?
そうして丸まって分裂をくりかえし、産声を上げる日をまっている。

もうすぐ孵る赤子の声。
オギャア・オギャアと、この世に生を受けた苦痛と驚愕の。そう、わたしたちは手をとりあってそれを乗り越えるの。
そうしてわたしからうまれたあなたたちはあっと言う間に灰色のビルディングになってこの街を作り変える。真夜中、時計がてっぺんをさすと明滅する、あのエメラルド色の塔はあなたたちがからだを結び合わせて作っている。そうしててっぺんのまま時計は静止する。あなたたちは子どもも大人もみさかいなく踏みしだき、やがて黒い雨がふるようになると静かになっていく。そうしてどこかで生まれた子どもがそのうすぐらい街から脱出し、さかなのにおいをはなつ女をとらえ、再生産していく。

でもね、おとうさん、あなたはわたしの子ではないわ。愛する人でも、子どもでもないのに。

白く広い部屋の揺り籠のなかにあなたをいとおしく抱きしめる日を指折り数える。
そう、さいご、この無限の無数の子とともに、おとうさんの耳元にささやこう。

……ママですよ、わたしはね、おとうさん、あなたのママですよ……。


※"Never more" エドガー・アラン・ポー 「大鴉」


にがい いたみ

  田中修子

乱れ散る言葉らに真白く手まねきされる
祖母の 真珠の 首飾り 記憶の そこ 
瞼のうらの真暗闇 ここからどこへいく
(扉が開き 一階ずつ 降りていきます)
(目覚めたらおそろしいことは忘れます)
ルビーの靴の踵が 黄色い煉瓦をふんだ
バッヘルベルのカノンが鳴り響いている
幾度も乱反射する蓮華の花言葉は約束よ
式子内親王が笑い崩れながら叫んでいる
「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば」
(三、二、一) しろいへや に目覚めた
からだは硬直している先生がのぞきこむ
狭い窓 夏の暮は大火 焼ける赤い雲の
けむに まかれて まばたきするたびに
一番 底で みたはずの幻に 喰われた
いますか ここにいますか ここは現か
道草に散らばる 四つん這い で探した
踵を 鳴らす 首飾り 見つけて下さい
コツコツコツ あの日日に帰りたくって
煉瓦道に祖母の熱い骨が散らばっていた

エレベーターに蹲って夢を見ております


孤児とプリン

  田中修子

1945年からすこし経ったころ、まだちいさかったママは、原爆症でいとこがゆっくり亡くなっていくのを目の当たりにした。



はちみつのにおいの入浴剤を買ってプレゼントに持ってった。

 閲覧注意のインターネットごしに傷があった。
 「筋膜」
 「黄色い脂肪の塊です」
 「瀉血ゼリーです」
 「首を切ったら天井まで血が届きました」
 「小さいころから精神薬を飲んできました」
 「精神療法中に子どものころから祖父にレイプされていたことをおもいだしました」

傷のふさがっていく様子まで克明に写し、完治したころ、またふかぶかと傷をつけた。

魂が孤児なんだ。
いつだってなんだってすべて思い出だ。

眩しい夏のおしまいに、会えることになった。白い長そで、スカーフ、おおきな目、やさしそうな唇。
このごろずうっと、現実が遠い。青い空に入道雲のふちが金色に輝いているのに、あついのかさむいのかわからない。

あの子の首や、性器にまで切り傷が絶え間ないのを知っている。
 「こうすればキモチワルガッテもらえる」
私は左腕と太ももと胸元。それだけですんでいる。



ママとパパがくれたあの部屋で。

 「このセックスは私にとって最高ですと言って笑ってよ」
 「喘ぎ声が気持よくなさそう」
 「ゴムつけるから気持ちよくないんだよ」

喘ぎ声をあげてこのセックスは最高ですといったのは、いっこくもはやく終わらせて生き抜く、ためだった。
ひふのなかにぎゅっとこころを小さくおしこめて、ひどいめにあっているからだを内側から盗みみる。
ばらばら。
終わってからトイレに行っておなかを殴る。太ももの動脈を切ると、ばらばらがつながる。バスタオル一枚がひたひた、波みたいにたゆたって、赤い夕映えの川に、赤ちゃんの死体が流れている。

あの子は三回堕胎した。
夢の中で壁に叩きつけられるみっつの黒い塊。

トイレのドアがこじあけられる。
「そこまで追いつめてしまったんだね。これから考え直す。約束するよ」
そのせりふ、なんかい聞いたんだろう。
赤血球が足らなくて金魚みたいに口をパクパクした。
トイレのなかに満タンの血、満タンの金魚、ひらりひらりして。
恋人というひとが、ママとパパに連絡する。
「またヒステリーです」
私はパパが運転しママが助手席に座り恋人というひとが寄りそって、車に乗せられて、病院に行くことができた。

全身麻酔がかかってすうっと白いとろとろした眠りにおちる。このままでいたい。



そんな日々、見つけた。
いま思えば、ひっしに生きようとしている傷が、夜に切れ目を入れるお月さまみたいに眩しかったんだな。

入浴剤をわたす。あの子はプレゼントをはじめてもらった子どもみたいな顔をする。
王街道の喫茶店に連れていってもらってお茶をする。昔からあるんだろうな、すこし古くて、上品なテーブルと椅子と、青地にすこしすり減った金縁のカップ&ソーサー。ていねいに繰り返しつかわれているのが分かるのは薄い薄いすり傷が、あるから。たくさんの虹色の泡が通っていったあと。
あの子はプリンも頼む。小さな、香ばしいカラメルソースのかかった、手作りのプリン。銀の匙ですこしすくって口にすうすう入っていく。左腕がすこしいびつに机に置かれている。
 「おいしい」
ふらふら、尾ひれのぼろぼろになった金魚がたゆたうみたいに町を歩く。いつもなら好きな町並み、おじいちゃんがいておばあちゃんがいて目のまるい子どもらが遊んでいて、でも、この町のそばでこの子に起こっていること。
 「ここの雑貨屋、パパの親戚の雑貨屋なの」
あの子の表情が曇る。
しまった、そうだった、精神をメスできりきざまれて、万引きがとまらない。
与えられなかった母性を盗むのをやめられないんだ。その、盗んできた剃刀でじぶんをばっする、あの子。
ベンチに腰掛けて雲はまばたきのうちにおひさまを横切って陰りは去り、あの子はまた微笑む。風に揺れる木陰みたいなくちもと。きたない自分を見抜かれてしまうと、さよならされちゃうよね。でも、いっしょならだいじょうぶだよ。手をにぎるとあの子は淡い水平線みたいな横顔をした。
その上を飛ぶちいさな白い鳥が見えた気がした。
空もきっと深々として。
 「死んでしまうくらいなら、うちにおいで」
 「そうだね。ほんとうにどうしようもならなくなったら。ありがとう」
 「うん」
なにをされてもなにも感じない。
傷とそして、血だけだ。心臓が痛いとやっと、生きている気がした。でも、あなたの感じていることならわかるよ、まるで身代わりのように、いかりも、かなしみも、海のように足元にひたひた、つたって。
 「また会おうね」
 「うん。」
また会おうね。またね。



あの子が自然死したのはその二週間後だった。ということを三ヶ月後に知った。
あの水平線はは風前のともしびが見せてくれた柔いまぼろしだったんだ。
具合が悪ければ連絡しないのはあたりまえだったから、メールがfailure noticeで返ってきて携帯電話も通じなくなって、実家に電話した。
あの子のママが出た。いろんなはなしをしたんだと思う。
はちみつのにおいの入浴剤を嬉しそうにつかっていたこと。
きっとあの子のママだって、泣いていたんだと思う。

けれど、耳に沁みついている言葉。
 「最期、ふつうに亡くなってくれて、それだけが、よかったです」
なにが、起きているの? なぜ、許されたの? あの子をレイプした祖父は普通に逝き、男らは、裁かれずに。

私は私を殴った。そうして翌日、恋人だったレイピストと別れた。



歴史を手繰ろう。

1945年からすこし経ったころ、まだちいさかったママは、原爆症でいとこがゆっくり亡くなっていくのを目の当たりにした。
それからも、ママは、グランパに裸に剥かれて寒い雨の夜に外に放り出されり、ほかにもなにかしらあったりしたという。(ママが遭ったひどい目はそれだけ? ひそやかな秘密のおとがきこえるよ)。
グランマは贖罪としてママから私を守ったから、私はグランマごとママに憎まれた。

むすめの私。
小学生の私は、グランマが目の前でゆっくりと亡くなっていくのを目の当たりにする。
グランマの愛用していた、粒のそろった真珠が、高く低く跳ねながら階段を落ちてく。
そして、かなりあとになって、レイピストがママとパパのくれたアパートにいて、実家にも帰れない真冬の夜中がある。

遠くに輝く銀色の星をみて、寒さも感じずに、ただ、眠れぬままに優しい葉ずれの音を聞いたのは、ママが寒い雨の中に裸で放り出されて聞いた雨だれの音と、どこかきっとつながっているわ。

それなら、あの子に起こったことの歴史はいったいどこからはじまるのか。

過去は、どうでもいいよ。
もうさ、いつだってなんだってすべて思い出だ。



殺されるな、殺されてたまるか。
三世代の呪いごと、あらいざらい自分を、切り刻んで切り刻んで原型ないほどにぶっつぶれたろ。

いつか夢見ていたものに向かって走り出す今ここの私。

鎖を引きちぎる傷だらけの化け物。傷だらけの獣。
唸る、私の四つ足、が流れゆく時に残していく文字。


hyouka-ga-hara

  田中修子

彼の小指が氷の花びらになってわたしの頬を白い鳩が飛ぶように鋭くかすめていった。頬にスッと切り傷ができてあたたかな血が垂れた。

『ね、きょう青いロシアへいこう』
ときたまおしゃれなカフェでお茶をするだけの、気持ちの良い友だちから着信があっていきなり誘われた。わたしは人との付き合い方がすごくへたで、いきなりうんと親しくなってはうんと近づきあって傷つけあい、けがするのに飽いたようにスウッと疎遠になる繰り返しだ。きっとそういうひとを無自覚に選んでる。
彼だけはちがう。サバサバとした彼の一歩を踏み込めない雰囲気が、唯一長い付き合いをさせてもらっている。……どこで知り合ったのだろう。うんと昔から、ものごころついたころからずうっとこんな関係が続いているような……。

彼には肌の下、いちまいすごく冷たく、薄くて強度の高い、だれも彼を傷つけられない鎧が入っている。その鎧があるから、彼もだれも傷つけることができないし、だれも彼を傷つけない。薄くて淡いきれいな硝子を間に挟んだような、つるつるした付き合いを続けられて。
彼は、恋愛をすることのないセクシャリティだ。会うたびに転職をしているのもなんだか不思議だ。どこにもなじめないのにつねにどこかになじんでいる。新しい仕事場でおきた変な話、たとえば会社設立以来からあるという開かずの冷蔵庫のうめくモーター音や、趣味がカビの研究という同僚のはなし、夏の終わりにひとりでお風呂場で花火をしてみた、みたいなことを教えてくれる。わたしは「ひとりでおふろばで花火? 呼んでくれたらよかったのに、いっしょにどこか外でやろうよ」というが、彼はあいまいにわらってやり過ごす。
そのたびに私は、彼のつるつるのこころの鎧に触れてうっとりする。
わたしは恋愛の話しとそれから、今日してきたお化粧の話しばっかりしている。金色が少し入ってるファンデーション、チークは青みを帯びたピンクでね、口紅は銀赤だよ。わたしの表層を覆い隠してくれるものの、ことこまやかな、はなし。

『青いロシアへ? どういけばいいの?』
『きみがむかし通っていた中高一貫校への行き方をすこし変えたものだ。きみの家の最寄り駅の桜散里駅から、城防壁駅で乗り換えて、最果て公園駅でまた乗り換え。乗り換え二回で青いロシアに行けるなら近いだろう。青いロシア行きへの飛行機に乗ってつかないときだってあるのだから、これはとくだ。時間の流れによって、三十分から三時間というところかな。最果て公園駅へ、夕方四時にどう?』
わたしの最寄り駅が桜散里駅だと、彼は知らないはずだ。長く親しくいたい相手だから、あまり深い付き合いをしないように、用心をしていたのだけど。
そもそもわたしは、思い出すのもいやな中高時代の話をしたこともないはずだ。……でも、彼はたしかにあのころのわたしを知っていて。
うわべのことばかりで、お互い知らないことばかりだったはずなのが、いつのまにか知られている。ふかい、ふかい底の方までさわってくるような声。
記憶が、かくはんされた誕生日ケーキみたい。ふっと、足元のゆれるような気持ちになった。ああ、きもちいい、やっと、発掘されて割れるのをまってる化石みたいな、ふたりのなかをさわれる。関係性は毀れる。

家の時計は十時をさしている。時計のかかっている側の壁の窓から見える外は、満開の桜が、淡いピンク色にはらはらと落ちて桜餅の匂いがする。花散里駅のメイン・ストリート。母が亡くなり実家を売って、いつも満開の桜の坂沿いのマンションに住んで、もう十年になる。-満開の桜は思考を異常に増殖させ、わたしは危なっかしい人形を作って父の扶養の範囲内でくらしている。ときたま買い主のもとで息をして動きだす生き人形の作り方を教えてくれた師匠は、このあいだ、夜の町に住むお母さんに会いに行くといって消えてしまった。

なまぬるい風がふるり。ベランダに数年間出しっぱなしの、母の遺した喪服が揺れた。父が、「わざわざ蚕を取り寄せて孵化させるところから、あの、家事のきらいなお母さんが作ったのだから、機会があるならどうしても着なさい」と押し付けてきたのだが、肩パッドがはいっていてもう古いのだ。
しみついた香水がどうしてもいやで、洗濯したままベランダに干しっぱなしで、とりこむ気力がなくそれだけ数年たっているが、時間がたっていくそれだけ、月の光を含んだ髪をパチパチ流す少女のようにつややかに真っ黒くなっていくよう。
風をふくむと人型にふくらんで、母のかたちになる。
「お父さん、今日すこし、青いロシアに行ってくるよ。友だちがね、誘ってくれたの」
三食ポテトチップスを与えているうちに、まるまるとした可愛いピンク色のブタになって父の足元をいつもくるくるとまわっている兄には友だちがひとりもいなくて父は気にしている。父がかわいそうで、「友だち」と強調する。
母のいちばんきれいな頃、大輪の赤いダリアの咲き乱れるようなスナップショットから引き延ばした遺影が一つの壁を埋めているリビングに、その壁の遺影に向けた小さなソファにがくりと座っている父に挨拶する。
そういえば、ここ数か月、父が動いているところを見たことがない。かつて巨大な建築物を各地に設計し、製図用の銀色のペンのタコが大きくあたたかった手は、茶色くしなびて梅干しのように、ひじ掛けに力なくおかれている。なんだか泣きたくなる。
「行っておいで」
歯のない口からやわやわとと漏れる羊歯の葉擦れのように、やさしいささやきごえがしたが、わたしはこのあいだこのからだから内臓をとって、かわりにお茶にすると甘酸っぱくなる小さなばらをうんとつめて、想い出家族オルゴールを仕込んだ気がする。
じぶんの手をみる。人の肌に酷似した布地でできている五本の指を動かす。さわさわとラベンダーのかおりがたちのぼる。

母が亡くなって人形を、家族がひつようとしていた。母の面影に似た、落ち着くかおりのする妹人形を、それで、生き人形師が呼ばれた。でもなにかの手違いで、わたしひとりじゃ作動しなくて、彼がつくられて。
いじめられた記憶を縫い付けられたおとなしい、忠実な、妹人形。

マンションから出る、ハート型に踏みしだかれているさくらの花弁。淡いピンク色の心臓が無限に散らばってる。
帰ったら、これ、かき集めて、かわいい赤ちゃん人形に詰めこもう。きっといい声でなくのがつくれる。
 
花散里駅から、城防壁駅までは三駅で五十分しか、かからなかった。いつも九十分かかる。だれもいない電車から見える青
ここはもともと飲食店ビルがひとつあるくらいだったのが、国民のなかで国意識が巨大化してはじけてしまったマインドバブルの時代があった、という。マインドバブルにあてられて、地下から屋上まで数百階建て、横となれば何百キロあるかもわからない巨大飲食ビル群になってしまった。毎年行方不明者が数十人出て、奥地では人肉鍋があるのではないかとか、あるいは最奥の飲食店女王の奴隷になって日日さらなる拡張を求めて工事を進めているいるとか、いろいろな噂がある。
豚足がずらりと壁に並べられている屋台、パクチーの山盛りに載った米麺に酢を入れて筋肉質の色黒の男らが荒い声でわめきながら食べて去っていく屋台、赤い下着をつけたすらりとした白い女性・ぴったりとした青いドレスを身に着けた青い肌の女性・全身ヴェールにつつまれてうんとうんと小さな纏足だけがそろりと見えている娼婦屋台は、奥の方に赤地に金のいろどりをされたベッドが見える。

欲の香りはいつも、ミルクの匂いがする。
舌なめずりしながら、最果て公園駅ゆきの電車に乗る。
瞬きするともうたどり着いていた、それは瞬きのうちの数時間にわたる深い眠りだったか、それともほんとうに瞬きなのか? 腕時計は風化して砂となり崩れ去った。

「やあ、時間通りだね」
「ほんとに?」 

晴れあがってほんとうに薄青くさむい雪原の中を、黒い汽車は農灰色の煙を立てながら、横長の恐竜が頭を低く下げて獲物を追うように走ってゆく。うなり声も恐竜のよう。ガタンゴトンゆれる汽車の下に、うすばかげろうの群れのような影がおちて、影も一緒に走ってく。
煙のかげまで一緒にどこまでも付き添って。
赤く燃える石炭の、目に染みて、鼻につんとくる匂い。
ぶあつい、まだすこし獣のなまぐさい匂いのする毛皮のコートが首筋を痒くする。ピキピキと皮ふが痛いような寒さ。
「もうすぐ、氷花野原だから、防氷マスクをつけて。氷花の種が肺に入って芽生えると、肺から発芽して、きみが氷花になってしまう」
いいタイミングでやってきた車内販売の子に、早口で彼はなにかを言う。
車内販売の女の子は、さすがに青いロシア人らしく、すらりとした体型で青白い顔をして銀髪をシニョンに結い、軍服をおしゃれに仕立て直したような制服を来ていた。すごく寒いのに、ブラウスの胸のところが広くあいて眩しいように白く、くるぶしまであるタイトスカートは太ももまでスリットが入っていて、黒いレースのガーターストッキングが見える。目は淡い緑。
青いロシア人は、にっこりと笑って金色の鎖で編まれているマスクをさしだした。きらきらひかっているのをそのまますっぽりとかぶった。視界が金色にそまる。
彼女も胸元から簡易型らしいマスクを引き出して耳にかけた。そっちは錆びた銀色。
「それにしても、なにもないような、あ、見えてきた」
「マスクをわざとつけないで発芽したひとびとが氷花帯だよ」
「きみは?」
友人……少しだけわたしのに男の輪郭をたした双子の横顔は優しかった。うすばかげろうみたいな、ぼんやりとしたのは、きっと死相だ。
「ぼくはきみに見送ってほしかったんだよ。昨夜職場でね、ちょっとカッとなってね。……まあたいしたことじゃない。僕は恋をしたことがないが、きみはいっつも恋の話ばっかりしていただろう。でもさ、双子人形だから近親相姦になってしまうね? 永遠にきみの恋の相手になりたくて、それでこういう方法をえらんでみた。それから、プレゼントがひとつ」
止める間もなく、飛び下りてしまった。
取りすがろうとしても遅かった、のだけど、ほんとはわたしはこの展開をしっていたんだ、楽にさせてあげたくて、取りすがるのを一瞬遅れたんだ。
わたしはいつだってひとごろしだなあ。
ちょうど、氷花帯に入ったところだった。ひとの背よりうんとたかい氷花の群れ群れ。
この花みんな、ひと、だったんだ。

彼はうしろにふっとんでいく。肉体がはじけた。けど、散らばるのは内臓じゃなくて青やうすむらさきの董だった。
董がパァッと、光った。かなしい星みたいに、そうして氷花のまわりにきらめいて消えてった。
ひとですらないきみはひとの氷になったのを飾って消えていく。

いっぽん、彼の小指が氷の花びらになってわたしの頬を白い鳩が飛ぶように鋭くかすめていった。頬にスッと切り傷ができて、乾いたラベンダーのかすがこぼれるんでなくあたたかな血が垂れた。あの日やっとひとになったというのにわたしは、泣くことをしらないでいる。


名も知らぬ国

  田中修子

to belong to
ということばのひびきはあこがれだ
(父のキングス・イングリッシュはほんとうにうつくしい)

遠い、遠い
名も知らぬ
国を想うように
to belong toをくちずさむ

遠い 遠い あこがれの
魚泳ぐきらめく碧い海にも
雪の白にも染まる山にも近い
カフェがある図書館がある老人も子どもも遊んでいる

そこにははまだ ゆけぬよう
目をひらけば文字の浜辺
打ち上げられたひとびとの
よこがおを盗みみる
みなちょっぴり孤独に退屈している顔をしていた
そうか、わたしはここからきたのだ そうしてどこかにゆくのか
それでよろしい

遠い、遠い わたしのなかに在る国の
男たちは労働のあいまカフェで珈琲をのみ庭の手入れをしている
女たちは子育てして洗濯物をはためかせ繕い物をして花を飾っている
読書は雨の日のぜいたくだ
その街角にながれる
なつかしいはやり歌をうたうように

to belong toを口ずさむ わたしのはつおんはよろしくない


花束とへび

  田中修子

ほら、わたしの胸のまん中に光をすいこむような闇があいていて、
そのうちがわに、花が咲いているでしょう。

ときたま目ぇつむってかおりに訊くんだ、
ああ、この花がうつくしく咲いているのはね
わたしの生き血をすって想い出になってるからなんだよね。

ひとはかんたんに、
かすれた声で
「もう死にます」
という
とてもまっ黒な眸で。

ほんとうはいつだってそうなんだよ
たださ、ひっしに目を逸らしているんだよ

皮を石にこする。じり、じり、とうろこのこげるにおいは、

いままで幾重も、剥いで、剥いで、剥いで、
おまえはいつか現実でみた夢を叶えるのだろう
それはこんな胸のなかでにおいたつ花とはきっと違うんだ
衝動が来たら深呼吸して

生きるんだよ。

こんなみっともない、くだらないからだで這いずってんだ
そうして皺が増えたわたしを、
ゆびさして笑え。

老いてとぐろを巻く、わたしの内側で、
別れたあの日のまんま、淡い輝きをはなつ花が
甘えて、眠っている。

文学極道

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