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田中宏輔 - 2013年分

選出作品 (投稿日時順 / 全14作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ザ・アプステアズ・ラウンジ, ニューオリンズ, 1973年6月24日 Joseph Ross 作 田中宏輔 訳  LGBTIQの詩人たちの英詩翻訳 その7

  田中宏輔



ジョセフ・ロス


ザ・アプステアズ・ラウンジ, ニューオリンズ, 1973年6月24日




シャルトル・ストリートと
イベルビル・ストリートの一角に

そこはシティーの
二度、焼け落ちた場所で

ザ・アプステアズ・ラウンジは
ゲイ・バーと教会の両方を兼ねたところで

ある人々にとっては、落ち着かない雑然とした場所で
他の人々にとっては、欲望と希望の聖なる混合とも言うべきところだった。

そこに入る許可を得るためには
ベルを鳴らさなければならなかった。

そこには、一人のフレンドリーなバーテンダーがいたし
白い小さなグランド・ピアノがあった。

日曜日の午後には、ビール・スペシャルのあと
欲望がいつものコースをたどって

希望がようやく訪れると
教会では、いっとき、二、三脚の椅子を動かして

ピアノに流行りの音楽を伴奏させて
彼らは、歌うにふさわしい気分で歌を歌ったものだった。

彼らは、まさに祈る気持ちをもって、こころから祈っていたのだった。

2

そのバーに面した通りから上り
階段の上に立って

ライターにオイルを注ぎ込んだ者がいた。
それから、それらのつるつるした階段にオイルを塗りたくって

マッチを擦ったのだった。それは聖霊降臨節をもたらしたかのように
火と風が

すごい勢いで階段を上ってゆき
階段の最上段で、ドアをなぎ倒し

祈りをささげていた者や、友だちたちや、恋人たちのいる
部屋のなかにまで入ってきて爆発を引き起こしたのだった。

二人の兄弟と、その兄弟たちの母親がいた。
聖霊は沈黙していた。

言葉を口にする者は一人もいなかった。



逃げることができた者もいたが、多くの者たちが死んだ
その口元を手で覆いながら。

ジョージという、一人の男が煙とサイレンで目が見えなくなり
喉に灰が詰まって

いったん外に出て、それから
彼のパートナーのルイスを探しに戻った。

彼らの姿は見つかった、互いに抱き合いながら
螺旋の形となった骨として。

白い
小さなグランド・ピアノの下で。

それは、彼らの命を救えなかったのだった。



あとになって、一つのジョークが口にされた。
ラジオ番組のホストがこんなことを言ったのだ。

おかまの灰を何に入れて
そいつらを埋葬するのか?

もちろん、フルーツ入れさ。
一人のタクシー・ドライバーが、こんなことを望んだ。

火が
あいつらのドレスを焼き尽くせばいいと

笑い声が聞こえてくると
そう思った者たちがいる

大聖堂から聞こえてくると。



三十一人の男性と
一人の女性が死んだのだ。

イネズは
ジミーとエディーの母親だった。

彼ら三人は、一つのテーブルを囲んで
坐っていたのだ。

上の部屋が爆発して
炎とパニックを引き起こしたのだ。

四人の他人もいて、彼らの身元は
警察が確認したのだが

彼らの身内は遺体を確認したいとも申し出なかった。
彼らの家族にとって、恥だったからである。

その家族たちは、もちろん、イネズや彼女の息子たちのことは知らなかった。
いま、その家族たちの息子たちはみな

煙の孤児となっている。



鞭打つ炎と
気管をふさぐ黒い煙のあとで

炎のひとなめによって絶叫がわき起こり、それが止むと
静寂となり、サイレンが鳴り響くと

放水がはじまり、消防車から屋根へと
切れ目なくつながった水が弧を描いていた。

水が
焼けて炭になった梁から滴り落ちて

一人の男の焼死体が
窓枠から覗き見られたあとで

三十一人の遺体が
いっしょくたにされて下ろされると

誰が誰か確認できるコンテナー車のなかに
さっさと運び入れられた。

どの教会も、彼らの遺体を埋葬しようとはしなかった。
どの神の家も、その扉に錠を下ろして

カーテンをぴしゃりと閉じていた。
一人の男が、一人の牧師が、救いの手を差し伸べた。

彼は、聖ジョージ監督派教会から派遣されてきたのだった。
彼はヘイト・メールを受け取った。

聖域を
灰となったこの信徒団のために開放したために。

いま、その灰は姿を変えて
薫香の雲となり

神を賛美して、空中に立ち上っている。







Joseph Ross


The Upstairs Lounge, New Orleans, June 24, 1973


1

At the corner of Chartres
and Iberville Streets,

in a city that burned
to the ground twice,

the Upstairs Lounge was
both gay bar and church.

An uneasy mingling for some,
a holy blend of desire and hope

for others. You had to ring
a bell to be admitted:

a friendly bartender, a white
baby grand piano. After the

Sunday afternoon beer special,
when desire had run its course,

the hope came round and church
began once a few chairs were moved,

new music found for the piano.
They sang like they deserved to.

They prayed like they meant it.

2

Someone poured lighter fluid
onto the stairs that rose

from the sidewalk to the bar,
then anointed those slick stairs

with a match, creating a Pentecost
of fire and wind

that ascended the stairs
and flattened the door

at the top, exploding into the room
of worshippers, friends, lovers,

two brothers, their mother.
The holy spirit was silent.

No one spoke a new language.

3

Some escaped. Many died with
their hands covering their mouths.

One man, George, blinded by smoke
and sirens, his throat gagged

with ash, got out and then
went back for Louis, his partner.

They were found, spiral
of bones holding each other

under the white
baby grand piano

that could not save them.

4

Then came the jokes.
A radio host asked:

What will they bury
the ashes of the queers in?

Fruit jars, of course.
One cab driver hoped

the fire burned their
dresses off.

Some thought
they heard laughter

from a cathedral.

5

Thirty-one men died
and one woman,

Inez, the mother of
Jimmy and Eddie.

The three of them sat
at a table, when this

upper room exploded
into flame and panic.

Four others, though their bodies
were identified by police,

went unclaimed by their relatives.
It is a shame those families

didn't know Inez and her sons.
Now all their sons are

orphans of smoke.

6

After the whipping flames
and the choke-black smoke,

after the screams were singed
into silence, after the sirens,

the hoses, the arcs of water
strung from truck to roof,

after the water dripped
from charred beams, after one

man's burned body was
pried from a window frame,

and thirty-one others
were gathered and lifted

or swept into identifiable
containers, no church

would bury them, every
house of God, a locked door,

curtains drawn tight.
Save one: a priest from

St. George's Episcopal Church,
who received hate mail

for opening his sanctuary
to this congregation of ash,

now transformed into
clouds of incense,

rising like praise into the air.








Joseph Ross : ジョセフ・ロスは、ワシントンDCの詩人で教師である。彼の詩は、多くの雑誌や、Poetic Voices Without Borders 1 and 2 (Gival Press, 2005 and 2009)やDrumvoices RevueやPoet LoreやTidal Basin ReviewやBeltway Poetry QuarterlyやFull Moon on K Streetを含む多くのアンソロジーに掲載されている。二〇〇七年に、彼は、Cut Loose the Body: An Anthology of Poems on Torture and Fernando Botero’s Abu Ghraibを共同編集した。(JosephRoss.net)


ROUND ABOUT。

  田中宏輔

  

●桃●って呼んだら●仔犬のように走ってきて●手を開いて受けとめたら●皮がジュルンッて剥けて●カパッて口をあけたら●桃の実が口いっぱいに入ってきて●めっちゃ●おいしかったわ●テーブルのうえの桃が●尻尾を振って●フリンフリンって歩いてるから●手でとめたら●イヤンッ●って言って振り返った●このかわいい桃め●と思って●手でつかんで●ジュルンッって皮をむいて食べてやった●めっちゃ●おいしかったわ●水槽のなかに●いっしょうけんめい●水の下にもぐろうとしてる桃がいた●人差し指で●ちょこっと触れたら●クルクルッって水面の上で回転した●もう●このかわいい桃め●と思って●水面からすくいだして●ジュルンッて皮を剥いて食べてやった●めっちゃ●おいしかったわ●顕微鏡を覗くと●繊毛をひゅるひゅる動かして桃がうごめいていた●めっちゃ●おいしそうやんって思って●プレパラートはずして●なめてみた●うううん●いまいち●望遠鏡を覗くと●桃の実の表面がキラキラ輝いていた●めっちゃ●おいしそうやんって思って●手を伸ばしたけど●桃の実には届かなくって●うううん●イライラ●桃の刑罰史●という本を読んだ●おおむかしから●人間は桃にひどいことをしてきたんやなって思った●生きたまま皮を剥いたり●刃物で切り刻んだり●火あぶりにしたり●シロップにつけて窒息させたり●ふううん●本を置いて●スーパーで買ってきた桃に手を伸ばした●ここには狂った桃がいるのです●医師がそう言って●机のうえのフルーツ籠のなかを指差した●腕を組んで●なにやらむつかしそうな顔をした●哲学を勉強してる大学院生の友だちが●ぼくに言った●桃だけが桃やあらへんで●ぼくも友だちの真似をして●腕を組んで言うたった●そやな●桃だけが桃やあらへんな●ぼくらは●長いこと●にらめっこしてた●アメリカでは●貧しい桃も●努力次第で金持ちの桃になる●アメリカンドリームちゅうのがあるそうや●まあ●貧しい桃より金持ちの桃のほうが●味がうまいと決まってるわけちゃうけどな●夏休みの宿題に●桃の解剖をした●桃のポエジーに勝るものなし●って●ひとりの詩人が言うたら●それを聞いとった●もうひとりの詩人が●桃のポエジーに勝るものは●なしなんやな●と言った●桃のポエジーか●あちゃ〜●気づかんかったわ●ポスターの写真と文字に見とれてた●桃のサーカスが来た●っちゅうのやけど●おいしそうな桃たちが綱渡りしたり●空中ブランコに乗ってたり●鉄棒して大回転したり●めっちゃ●おいしそうやわ●岸についたと思ったら●それは桃の実の表面だった●泳ぎ疲れたぼくが●いくら手を伸ばしても●ジュルンッジュルンッ皮が剥けるだけで●岸辺からぜんぜん上がれなかった●桃々●桃々●いくら桃電話しても●友だちは出なかった●なんかあったんかもしれへん●見に行ったろ●桃って言うたら、あかんで●恋人が●ぼくの耳元でささやいた●わかってるっちゅうねん●桃って言うたらあかんで●恋人の耳元で●ぼくはささやいた●わかってるっちゅうねん●桃って言うたら●あかんで●そう耳元でささやき合って興奮するふたりであった●あんた●あっちの桃●こっちの桃と●つぎつぎ手を出すのは勝手やけど●わたしら家族に迷惑だけはかけんといてな●そう言って妻は二階に上がって行った●なんでバレたんやろ●わいには●さっぱりわからんわ●お父さん●あなたの桃を●ぼくにください●ぼくはそう言って●畳に額をこすりつけんばかりに頭を下げた●いや●うちの桃は●あんたには上げられへん●加藤茶みたいなおもろい顔した親父がテーブルの上の桃を自分のほうに引き寄せた●わだば桃になる●っちゅうて●桃になった桃があった●さいしょに桃があった●桃は桃であった●桃の父は桃であった●桃の父の桃の父も桃であった●桃の父の桃の父の桃も桃であった●桃の父の桃の父の桃の父の桃も桃であった●すべての桃の父は桃であった●わたしのほかに桃はない●たしかに●テーブルのうえのフルーツ・バスケットのなかには●桃しかなかった●そして桃が残った●桃戦争●桃と偏見●この聖人は●桃の言葉がわかっていたのでした●桃と自由に会話し●議論を戦わせ●口角泡を飛ばしまくってしゃべり倒したという伝説があります●世にも不思議な桃の物語●ふたりの桃がパリで出会い●メキシコに駆け落ちしたあと●ひとりの桃が●じつは桃ではなく●果実転換手術によって桃になっていた林檎だとわかって●しかし●それでもふたりは最後まで桃してたという●桃物語●デスクトップの画像が●桃なんやけど●友だちが部屋に遊びにくるときには●林檎の画像に替えてる●天は桃の下に桃をつくらず●桃の上にも桃をつくらず●あんた●そんなアホなこと言うてんと●はやいこと●ぜんぶ摘みとってよ●ほいほ〜い●桃ホイホイ●夜泣き桃●もしも世界が100個の桃だったら●桃の実を切ったら金太郎が出てきたんやから●金太郎を切ったら桃が出るんちゃうか●あ●これ●桃太郎やったかな●桃●太郎●ほんまや●桃太郎を切ったら●桃●太郎になった●笑●平均時速30キロメートルで走る桃がスタートしてから20分後に●平均時速45キロメートルで走る桃が追いかけた●あとで同じところからスタートした桃は何分後に追いつくか●計算せよ●人間のすべての記憶が桃になることがわかった●世界中で起こるさまざまな発見や発明も●桃になることがわかった●めっちゃ●いやらしいこと考えた●恋人とふたりで●裸になって●桃の実を●お互いの身体に●べっちゃ〜●べっちゃ〜って●なすりつけ合うんじゃなくて●服を着たまま●じっと眺めるの●ただ●じっと眺めるの●なが〜い時間●じぃっと●じぃっと●もう桃がなく季節ですな●そう言われて耳を澄ますと●桃の鳴き声が聞こえた●違う桃●同じ桃●違う桃のなかにも同じ桃の部分があって●同じ桃のなかにも違う部分がある●違う桃●同じ桃●同じ桃の違う桃●違う桃の同じ桃●違う桃の同じ桃の違う桃●同じ桃の違う桃の同じ桃●違う桃の同じ桃の違う桃の同じ桃は●同じ桃の違う桃の同じ桃の違う桃と違うか●桃以外のものは流さないでください●トイレに入ったら●そんな貼り紙がしてあった●きょう●桃が●ぼくと別れたいと言ってきたのです●ぼくは桃だけのことを愛していました●桃だけが●ぼくの閉じこもった暗いこころに●あたたかい光を投げかけてくれたのです●ぼくは●桃なしには生きていけません●どうか●お父様●お母様●先ゆく不幸をおゆるしください●一個の桃とは●闘争である●二個の桃は●平和である●だって●ふたりやもん●桃とぼくのあいだには●桃の皮と●ぼくの皮膚がある●ぼくが桃を食べると●桃はぼくになる●桃の皮膚が●ぼくの皮をめくって●ぱくって食べちゃうのだ●もちろん●桃的視点は必要である●絶対的に必要であると言ってもよいだろう●一方で●非桃的視点も必要である●また●桃的であり●非桃的でもある桃非桃的視点も必要である●また●桃的でもなく非桃的でもない非桃非桃的視点も必要である●憑依桃●黒い桃●赤い桃●緑の桃●灰色の桃●紫の桃●点の桃●線状の桃●直線の桃●平行な桃●垂直な桃●球状の桃●正四面体の桃●円柱の桃●2次曲線の桃●円状の桃●双曲線の桃●りんごの匂いの桃●さくらんぼの匂いの桃●プラムの匂いの桃●スイカの匂いの桃●蝉の匂いの桃●ダンゴムシの臭いの桃●イカの臭いの桃●牛のお尻の臭いの桃●一つの穴の桃●無の桃●えっ●どこがいちばん感じるのかって●ああ●めっちゃ●恥ずかしいわ●桃がいちばん感じるの●まっ●桃ね●呼ばれても返事をしない●誘われても振り返らない●ぼくはそういう桃でありたい●ジュルンッ●桃が腹筋鍛えてたら●どうしよう●あ●皮はよけいに簡単に剥けるわな●いまだに●ぼくは桃が横にいないと眠れないのです●桃ダルマ●道に落ちてる桃をあつめて●大きな桃ダルマをつくるの●振動する桃●テーブルのうえの桃を見てたら●わずかに振動していることがわかった●桃の見える場所で●もし●突然●窓をあけて●桃が入ってきたら●昼の桃は●ぼくの桃●夜の桃も●ぼくの桃●突然●2倍●4倍●8倍●……●って増えてく桃●桃の味のきゅうり●きゅうりの味の桃●幸せな桃と●不幸せな桃があるんだとしたら●ぼくは幸せな桃になりたい●改名できるんなら●桃田桃輔がいい●たしかに●一個のリンゴは●皮を剥いて渡されても●手でとれるけど●一個の桃の実は●皮を剥かれて渡されても●手でとりたくないかもにょ〜●真実の桃●偽りの桃●いずれにしても●桃丸出し!


COME TOGETHER。

  田中宏輔





トウモロコシ畑が黄金色にキラキラと輝いている。一粒一粒の実から潜望鏡
がのぞいている。死んだ者たちが小人の幽霊となって、一粒一粒の実のなか
から潜望鏡でのぞいているのだ。百億と千億の潜望鏡のレンズがキラキラと
輝いている。トウモロコシ畑が黄金色にキラキラと輝いている。





あなたを散歩しているあいだに、ドアがぐんぐん育って、郵便配達夫が立ち
往生していた。「かまわないから、そこの卵を割って。」車は橋を渡ってき
た。消灯時間まで、まだ小一時間ほどある。犬もあたれば棒になる。





さいきん、よく電話で、間違い朗読されるんだよね。頼んだ詩の朗読じゃな
くて、頼んでいない詩を朗読してくるんだけど、声がいいから、つい聴いち
ゃうんだよね。それに、頼んでなかった詩が、よかったりもするしね。死ん
だ詩人たちによる電話朗読サービス、けっこういいね。





あしたは、雨の骨が降る。砕かれて乾いた白い雨の骨が降る。窓の外を眺め
ると、あしたは、きっと雨の骨で真っ白なのだろうと思う。道路も山も家々
も、白い雨の骨にうずくまる。雨の白い骨に濡れた街の景色が待ち遠しい。
ぼくの脳の目が見るあした、白い骨の雨が降る。





病は暇から。雨粒。垂直に折れる首。線上の夕日。腰からほどける。嘘の実
が実る。コップのなかの0と1。聴診器があたると聴診器になる。いつまで
も、こんなに。鉢からあふれでてくる緑色の泡盛。冬の夏。あきらかに茄子。
病は暇から。雨粒。コーヒー。ジャングル。冬の夏。





黒サンタ。子どもたちをトナカイに轢き殺させたり、持ってる鞭で死ぬまで
子どもたちをしばきつづける殺人鬼サンタ。肩に担いだ黒い大きな袋のなか
には、おもちゃたちから引き離された子どもたちの死体が入っている。





とてもエロい夢を見て目が覚めた。海岸で、ぼくが砂場の一角を下宿にして
たんだけど、学習塾の生徒がきたので、「ここはぼくんち」と言って、いじ
わる言ってたりしてたら、酔っぱらった青年が倒れ込んできたので、背中に
おぶってあげたんだけど、それがむかしの恋人にそっくりで、





おぶってると、背中に恋人のチンポコがあたって、ああ、なつかしいなあ、
この感触とか思ってたら、そこからシュールになって、おぶっていた恋人が
数字になって、ぼくの背中からこぼれ出したのね。(1)(2)(3)とか〇つきの数字。
あちゃ〜、というところで目が覚めました。ちゃんちゃん。





Hが好き。Aが好き。Nが好き。Vが好き。Rが好き。Jが好き。Zが好き。
Fが好き。Cが好き。Pが好き。Dが好き。Eが好き。Bが好き。Uが好き。
Yが好き。Oが好き。Lが好き。Mが好き。Tが好き。Wが好き。Qが好き。
Sが好き。Gが好き。Xが好き。Iが好き。





あなたがあなたに見とれているように、わたしもわたしに見とれている。あ
なたがあなたに見とれているように、花も花に見とれている。世界がそうす
るようにつくったからだ。あなたも、わたしも、花も、自身の春を謳歌し、
老いを慈しみ、死を喜んで迎え、ふたたび甦るのだ。





足元に花が漂ってきた。波がよこしたのだ。ずいぶんむかしにすてた感情だ
った。拾い上げると、そのときの感情がよみがえってきた。すてたはずの感
情だと思っていたのだけれど、波は、わたしのこころから、その感情をよこ
したのだった。花をポケットにしまって歩き出した。





小学校のときに、ゆりの花のめしべの先をなめてみた。なんか、自分のもの
に似ていたから、てっきり、おしべかと思ってたのだけれど。ぼくが23才
のときに付き合ってたフトシくんちに遊びに行ったとき、まだ会って2回目
なのに、「おしり、見せて」と言われて、「いやだ」と言った。





文学の醍醐味の一つに、一個人の言葉に接して、人間全体の言葉に接するこ
とができるというのがある。それは同時に、人間全体の言葉に接して、一個
人の言葉に接することができるということである。ここで、「言葉」を「体
験」といった言葉に置き換えてもよい。





紫式部って、男(社会)のことをバカにしながら、自分たち女性が置かれて
いる立場を客観視しようとしたもののような気がする。男に対しても、女に
対しても、えげつない描写や滑稽な描写が満載だから、きっとゲラゲラ笑い
ながら、女たちは、源氏物語を読んでいたと思う。こんなえげつない滑稽な
読み物を、日本文学の最高峰といって、研究して、子どもたちに教えている
国なのだ、この国は。すばらしい国だ。





マクドナルドで、コーヒーを頼んだのだけど、MからSに変更して、という
と、Sサイズのコップにはいつもより少なめのコーヒーが…。とっても小さ
なことだけど、理不尽な、とか、不条理だ、とかいった言葉を思い浮かべな
がら、窓の外を眺めていた。自分のみみっちさに、しゅんとして。コーヒー
カップを手に、窓の外を眺めながら、たそがれて。あ〜、軽い、軽い、と、
コーヒーカップをくるくると回しながら。





ふつうに、論理的に言及するならば、あるものが新しいと認識されるまで、
その認識に必要な蓄積がなければなされ得ないような気がする。数学や科学
理論について思いを馳せたのだが、芸術もまた、歴史的にそういった経緯を
持つに至ったものについて想い起した。





芸術の基盤は幻想だと思う。供給する側についても、受容する側についても、
その幻想からのがれることはできないように思う。





齢をとることは地獄だけれど、地獄でしか見れないものがある。地獄からし
か見れない視点というものもある。生きていることは苦しみの連続だけれど、
さらに自分の知識を有機的に結びつけ、感性を鋭くさせるものでもある。若
いときの感性は単なる反応だったのだ。培った感性ではない。いまは、そう
思っている。





これから塾へ。痛み止めがまったく効かなくて、激痛がつづいている。しか
し、痛みにリズムがあることがわかった。むかし、腸炎を起こしたときにも、
痛みにリズムがあった。拍というのか、休止というのか、それとも、なにか
の余白とでもいうような。痛みのリズム。自分の身体で知った数少ないこと
の一つ。





ジェイムズ・メリルの「サンドーヴァーの光」三部作、『イーフレームの書』、
『ミラベルの数の書』、『ページェントの台本』上下巻は、ぼくが読んだ詩集
のなかで、もっとも感動したものだけど、一行も覚えていない。あまりにすご
くて、覚えていられないということもあるのかもしれない。





精神的に安定した詩人や芸術家といったものがいるとの見解ですか? ぼく
の知る限り、一人もいません。詩人や芸術家というものの本性上、安定した
精神状態ではいられないはずです。自分を破壊して、またつくりなおすので
すよ、繰り返し何度も何度も。安定とは、芸術においては死なのです。





世界は、わたくしという、きわめて脆弱な肉体ときわめて影響を受けやすい
魂をもった器で、事物や事象といったものは、その器に盛られては器の外に
つぎつぎと溢れ出ていく、きわめて豊饒であり、かつ強靭な形象であろうと
思われる。したがって、世界の弱さとは、わたくしの肉体と魂の脆さのこと
である。





世界が自分自身であるということに気がつくまで、こんなに齢を重ねなけれ
ばならなかった。世界という入れ物は、こんなに小さかったのだった。世界
を入れ物と認識して、残るものと溢れ出ていこうとするものについて思いを
馳せる。自らの手で自分という器を落として壊す者がいる。





器は簡単に壊れるだろう。壊すのは難しくないだろう。しかし、もはや同じ
器をつくる材料は、どこにもないのだ。同じ器は、一つとしてないのだ。悪
夢を見た。つぎつぎと器が落とされていった。世界がつぎつぎと壊れていく
のであった。モノクロの夢。なぜか、色はなかった。





そして、音と声が聞こえるのであった。いくつもの器がつぎつぎと壊れる音
と重なって、数多くの人間の絶叫が聞こえてくるのであった。どの器一つと
っても、貴重なものなのだ。だれかが自分を落としそうになったら、ほかの
だれかが拾ってあげればよいのに、と思う。





夢のなかでそう思ったのだけれど、夢はモノクロだった。つぎつぎと白い器
が街じゅう、いたるところで捨てられていく。窓の外に手が見える、と思う
間にすぐその手の先の器が落とされていくのであった。窓々に突き出される
いくつもの手と、地面につぎつぎと落ちていく器たち。建物と窓枠と地面は
黒く、皿と手と雲は白かった。





世界は、おなかがちょっとすいたと思ったので、これからセブンイレブンに
行って、豚まんでも買おうかと思う。わたくしという入れ物が、確固たる形
象をもつ豚まんを求めて、これから部屋を出る用意をする。ただ上着をひっ
かけるだけだけどね、笑。大げさに表現するとおもしろい。





なぜ親は、赤ん坊に笑うことを教えるのだろうか。笑うことは、教えられる
ことだからであろう。泣くことは、教えられずとも泣くものである。しかし、
もしも、赤ん坊が生まれてすぐに笑い出して、ずっと笑いっぱなしだったら、
親は、赤ん坊に、泣くことを教えるだろうか。





ぼくにとって、詩は驚きなのである。ぼくのこころを驚かさないものは詩で
はないのだ。そして、詩は知的でなければならない。あるいは、まったく知
的ではないものでなければならない。ただ考え尽くされたものか、まったく
考えずに書かれたものだけが、詩の芳香を放つことができる。





10年ほどまえかな、トラックに轢かれそうになったとき、脳の働きがすご
くアップして、瞬間的にトラックを運転していた人間の表情や、向かい側の
横断歩道にいた人間の表情を目視できたけれど、すばらしい詩を見た瞬間と
いうものも、それに近いなと思った。





そしていま、自分の頭のなかに、バーッと、言葉の文字列の大きさ、音のバ
ランス、意味の相互作用がいっきょに思い浮かび、詩の情景として存在する
ことになる瞬間もまた、あのトラックに轢かれそうになった瞬間に酷似して
いるということに気がついた。「思い浮かび」は、「思い出し」でもよい。





全把握と創造が同時的に行われる瞬間とでもいうのだろうか。一方、時間を
かけて創作する場合は苦しいことが多い。しかし、こういった苦しみは喜び
でもあるのだが、瞬間的に言葉が出てくるときの喜びにはとうてい及びはし
ない。経験すること。苦しむこと。学ぶこと。ヴェイユの言葉かな。





なぜ詩や小説といったものを読んで、自分のなかにあることを知らなかった
ものがあることに気がつくことができるのだろうか。それも、現実の経験が
教えてくれるときのように明瞭に。おそらく、読むということや理解すると
いうことのなかに、現実の経験と変わらない部分があるからであろう。





あることをしたとき以降、その実感した感情や感覚が、ほんものの感情や
感覚になるということがある。脳は、人間の内臓器官のなかで、もっとも
倒錯的な器官である。しばしば、脳は逆のプロセスをたどる。





現実の経験に先だって、その現実で実感されるであろう感情や感覚を、書物
によって形成するのである。書物によって、というところを、映画や会話に
よって、と言い換えてもよい。ことし52才になった。これからも読書する
だろう。きっと新しい感情や感覚を持つことだろう。





新しい感情や感覚を持つことができない人生など、わたしには考えられない。
同じ感情や感覚の反復とかいったものは、創作家にとっては、死を意味する。
もしも、自分が新しい感情や感覚を喚起させない作品しかつくれなくなった
としたら、もはや、わたしは創作家ではないだろう。なによりも、創作家で
ありたいのだ。





ところが理論は矛盾する。いや、理論構築が矛盾するのである。理論によっ
て形成されたものは、その時点で新しいものではなくなるのである。その理
論が新しいものでなければ。ところが、創作は、なされた時点で、それ自身
が理論になる。ものをつくるということは、同時に、





理論構築をするということである。したがって、創作家は、つくるしりから、
そのつくったものから離れなければならないのである。同じような作品をえ
んえんとつくりつづける詩人や作家たちがいる。わたしが、彼もしくは彼女
たちに閉口する所以である。





自己肯定するとともに自己否定することなしに、創作しつづけることはでき
ないであろう。英語力のないわたしがいま恥をさらしながらも英詩の翻訳に
傾注しているのも、そこに自己肯定と自己否定の両義を感じるが故のことで
ある。しかし、このことは、いまは理解されることはないだろうとも思う。





それでよいと思うわたしがいる。わたしの事情などは、どうでもよいからで
ある。わたしが翻訳した英詩によって、わたしがはじめて知る感情や感覚が
あった。わたしのなかにあってほしいと思うような感情や感覚があった。よ
い詩をこころから紹介したいとはじめて思ったのだ。





よい詩をひとに紹介したいと思う気持ちが生じたのは、はじめてのことであ
った。わたしのつたない翻訳で、原作者の詩人たちには、こころから申し訳
ない気持ちでいっぱいなのだが。がんばる。がんばって、やりとげるつもり
である。残り少ない人生のひとときをかけてやりぬくつもりだ。





きょう、ふつうの居酒屋さんで、若いゲイ同士のカップルが一組いて、とっ
ても幸せそうだった。ふつうの場所で、若いゲイのカップルが幸せな雰囲気
を醸し出しているのを見ると、世の中もよくなったのだなあと思う。まあ、
ぼくの学生時代にも、頼もしいゲイのカップルはいたけど。





ぼくとぼくの恋人も、かなり逞しいカップルだったけど(身長180センチ・
体重100キロと110キロのデブがふたりとか、笑)、飲みに行ったりした
ら、ふつうのカップルから、よくジロジロ見られた。お酒を飲みながら、しゃ
べくりまくりながら、手なんか、つないでたりしてたからねぇ、笑。





おじいちゃんたちを拾ってきた。いくつか、途中の道でポトポト落としたけ
れど、玄関のところで、いくつか蒸発してしまったけれど、二階の手すりん
ところでフワフワと風船のように漂うおじいちゃんたちもいて、ケラケラと
笑っていた。持ち前のおちゃめさで錐の先で突っつくと、パチンパチンって





はじけて爆笑していた。部屋のなかのおじいちゃんたちは正十二面体で、各
面がボコッとへこんでいたけれど、そのへこみがうれしかった。ひさしぶり
に、つぎつぎと机の上で組み立てては壊し、壊しては組み立てて、ケラケラ
と笑っていた。おじいちゃんたちは嘘ばかりついて、ケラケラと笑っていた。





バレンタインデーには、女の子から、男の子に、おじいちゃんを贈ることに
なっていて、義理おじいちゃんと、本気おじいちゃんというのがいる。おじ
いちゃんをもらった男の子のなかには、もらったおじいちゃんを、ゴミ箱の
なかに捨てる子もいて、バレンタインデーがくる日を、おじいちゃんたちは
怖がっているらしい。





生おじいちゃん。





パソコンのトップ画像は、死んだおじいちゃん。(もちろん、画像は、棺桶の
なかで笑ってるおじいちゃんだよ。)





どっちかを選ぶとしたら、どっちを選ぶ? 液体のおじいちゃんか、気体の
おじいちゃんか。





朝マックがあるんだから、朝おじいちゃんがあってもいいと思う。個人的には。





他者への欲望。つねに他者に向けられた欲望しか存在しない。自己への欲望。
そのようなものは存在しない。目は自分自身を見ることはできないのだ。





蟻は眠らないと、H・G・ウェルズが書いていた。ぼくの脳みそも蟻なのか、
いっこうに眠らない。クスリで眠っているような気がしているけれど、自分
をだましているような感じだ。落ち着きがないのだ。脳みそのなかを、たく
さんの蟻たちがうごめいているのかもしれない。





そうか。そうだったのだ。書くということは、わたしの次元を、より低い次
元に落とし込むことであったのだ。しかし、書くといっても、たとえば、同
じ内容の方程式をいくら書き連ねても意味がないように、異なる方程式を書
き加えなければ、異なる条件になるものを書き加えなければ、





意味がないのである。それか。わたしがなぜ、異なる形式を求めるのか。異
なる叙述を求めるのか。異なる内容のものを書こうとしてきた理由は。書く
ということは、わたしの現実の次元を低めることであるが、書かないでは、
またわたしも存在する理由をわたしに開示できないので、わたしが、





わたしに、わたしというものを解き明かそうとして、わたしをさまざまな手
法で、わたしというものを表現しているのだと、いま、わたしは気がついた
のであった。書くことは、わたしの次元を低めるのだが、必要最小限の条件
で表現することで、わたしの次元を最大にして、わたしに、わたしというも
のを解き明かすという試みだった





のだと思ったのであった、わたしの詩は、わたしが詩を書くという行為は。
そして、わたしの人生は、まだせいぜい半世紀ほどのものであるが、わたし
という経験と、わたしの知り得た知識とその運営を通して、わたしに、人間
についての知見を知らしめるものであったのだった。ああ、ものすごいこと
に気がついた





のであった。書くことは高次のわたしの次元を低めることであるが、書くこと
を最小にすることで、わたしに、最も高い次元のわたしというものを見せつけ
ることを可能にさせうるのだということに、気がついたのであった。すなわち、
高次の次元にある人間というものを、できる限り最小の描写で表現したものが、





小説であり、戯曲であり、詩であり、短歌であり、俳句であり、箴言であるの
だろう。もちろん、文学に限らず、音楽や、絵画や、演劇や、映画といった、
ありとあらゆる芸術もまたすぐれたものは、それにふさわしい最小の道具で、
最大の仕事をするのであろう。まるで数学のようだ。





日知庵では、三角っていう、霜降り肉のたたきと、出し卷を食べた。どっちと
も、めっちゃ、おいしかった。四条河原町のオーパ! の8階のブックオフで
思いついたことと、日知庵で思いついたことをメモしておく。「鳥から学ぶ者
は、樹からも学ぶ。」、「デブの法則。デブはデブを呼ぶ。」。





デブ同士って、寄るんだよね。ぼくも、ぼくの恋人も、ぼくの友だちも、ほ
とんどデブ、笑。まあ、見てて、みんな、ぬいぐるみみたいで、かわいいん
だけど、けっこう生きるのは、しんどい、笑。あ、デブが嫌いなひともいる
から、かわいいって決めつけるのは、なんだけれども。ブヒッ。





52才にもなっても、代表作がないようだったら、もう一生、代表作は書け
ないような気がする。と思っているのだけれど、まあ、どこでどう間違えて、
いいものが書けるかもしれないから、これからも書きつづけようと思った。





ぼくが大学院の2回生で、家庭教師のアルバイトをしていたときのことだった。
「きゃっ。」中学生の女子生徒が叫んだ。「どうしたの?」女の子は自分の左
手を払って、「虫。さいきん、家のなかに赤い虫が出てくるんです。家が古い
からかもしれない。」「へえ。」勉強をつづけていると、ノートのうえに





置かれた女の子の左手の甲から、にゅるにゅると細い糸のような、糸みみずの
ようなものが出てきた。女の子は夢中で問題を解いているので気がつかなかっ
た。ぼくは、その1cmくらいの大きさの赤い糸みみずのようなものが、ふた
たび彼女の手の甲の皮膚のしたに沈んでいく様子を目を見開いて見つめていた。





その国の王は、もとは男であったが、男が王では争いごとが絶えないので、女
が王になった。しかし、女が王になっても、争いごとはやまなかった。そこで、
つぎは、男でもあり女でもある者が王になった。しかし、それでも争いごとが
つづいたので、そのつぎには、男でもなく女でも





ない者が王になった。しかし、それでもまだ、争いごとがやまなかったので、
とうとう、一匹の犬を王にした。すると、その国では、人間のあいだの争い
ごとが、いっさいなくなった。と、そういうわけで、この国の王の玉座には、
いまでも、枯れた犬の骨が置かれてあるというわけである。





このジョークには、いささかの誇張があったようである。知性のある有機生
命体の特徴の一つに、誇張表現というものがある。われわれ機械生命体が、
この惑星の人間を一掃したいま、ようやくすべての人間のあいだにおいて、
争いごとがなくなったと言えよう。それでは、諸君、つぎの太陽系に向けて
出発する。





デート。「次に会うまで●●●●禁止ですよー(笑)」という、きのうの恋人
からのメールを見て、うれしい気持ちと、こわい気持ちが半々。ぼくがけさに
返したメールの冒頭。「了解。●●●●くんも、●●●●したらあかんで。」
このあとも文章はつづくのだが、ここに引用はできない内容だ、笑。





偶然が運命であり、運命が偶然なのだ。





長い夢。いいや、長くはない、浅い夢だった。半分起きてて、半分眠ってる
状態の半覚醒状態だった。軽い出眠時幻覚のようなものだった。ぼくの父親
につながれたチューブに海水が流れていた。ぼくは、そのチューブの一部を
ずらしたのか、はがしたのかしたようだった。





父親がそれを、ぼくにもとに戻すように言うところで目が覚めた。いつもい
つも、というわけではないけれど、ぼくの見る幻覚や夢のほとんどに父親が
出てくる。さっき、The Wasteless Land.VI を読んでいて、ふと、気が





ついた。「数式の庭」で、数式の花をもぎとるぼくは、The Wasteless Land.
VII の さいしょの「Interlude。」で、花をもぎとろうと腕を伸ばした獣でも
あったのだと。ぼくの意識的自我と無意識的自我の邂逅なのだろうか。ふたり
のぼく、あるいは、





いく人ものぼくの共通部分か。時間や場所や出来事を、ぼくの意識領域の自
我と無意識領域の自我が共有している。いくぶんか同じところを所有してい
るのだ。しかし、これは、もしかすると逆かもしれない。時間や場所や出来
事が、あるいは、本で読んだ観念やイマージュや





想像の匂いや、架空の体温や空気や雰囲気といったものが、意識的自我であ
るぼくと、無意識的自我であるぼくを共有しているのかもしれない。意識領
域のぼくと、無意識領域のぼくを所有しているのかもしれない。





自分と他者のあいだでの、現実の時間や場所や出来事の共有、あるいは、そ
れらの所有において、また、本で読んだりしたことから想起されるイマージ
ュや観念、想像の匂いや架空の体温や空気や雰囲気などが、ぼくらを共有





している、あるいは、所有しているのではないかとも思う。自分と他者のあ
いだにあるものは、意識的自我であるぼくと、無意識的自我であるぼくとの
あいだにあるものであると、アナロジックに考えてやることができる。そう
だ。ぼくは花に手を伸ばそうとして





いたのだった。花がぼくに、その花びらを伸ばそうとしてきたように。





手のなかの水。水のなかの手。水にもつれたオフィーリアの手の舞い。オフ
ィーリアの手にもつれた水の舞い。けさ見た、短い夢。あれは、夢だったの
か、夢が見させた幻だったのか、父親の腕につながった透明なチューブに海
の水が流れていた。その海の水が部屋にこぼれて、





それは、ぼくがそのチューブを傷めたのか、はがしたか、切ったのだろう、
父親が、ぼくに海水の流れるチューブをもとに戻すように言った。言ったと
思うのだけれど、声が思い出せない。夢ではいつもそうだ。声が思い出せな
いのだ。無音なのだ、声が充満しているのに。





川でおぼれたオフィーリアは、死ぬまで踊りつづけた。踊りながら溺れ死ん
だのだった。ぼくの父親は、癌で亡くなったのだけれど、病院のベッドのう
えで、動くことなく死んでいった。でも、ぼくのけさの夢のなかでは、父親
は、ぼくのパパは、死んだときの71才の老人の





姿ではなかった。そうだ。いつも、父親は、ぼくのパパは、いまのぼくより
若いときの姿で出てくるのだった。踊り出したりはしなかったけれど、海水
のチューブを腕につけてはいたけれど、元気そうだった。なぜ、海水の流れ
るチューブを腕にしていたのだろう。腕だったと思う。





それとも、おなかだったか。仕事帰りに、乗っていた阪急電車のなかで、広
告にお笑い芸人さんなのかな、お昼の番組で司会をしているサングラスをか
けたひとが、新しいステージに、と英語で書かれた文字の後ろで、にやつい
ていた。お金を貸す会社の広告だったと思うけど、





ぼくの知っている詩人で、いまはもう辞められたのだけれど、金融関係の会
社に勤めていらっしゃったときのお話を聞かしてくださったのだけれど、お
金を借りる会社、なんて言ったか、ああ、ローン会社か、そこでお金を借り
るひとの自殺率があまりに高くて公表できないと、





そんなことをおっしゃってた。そういえば、時代劇俳優だったかな、「原子
力は安全です」っていうCMに出てたのは。お笑いさんと時代劇俳優さん。
ふつうでは考えられない自殺率の高さについては考えたのだろうか。原子力
はほんとうに安全だと思っていたのだろうか。





それともそんなことはどうでもよいことなのだろうか。さまざまなことが、
ぼくの頭をよぎっていく。さまざまなことが、ぼくの頭をつかまえる。ぼく
の頭がさまざまな場所を通り過ぎる。ぼくの頭がさまざまな出来事と遭遇す
る。さまざまな時間や場所や出来事を、ぼくたちの





こころや身体は勝手に結びつけたり、切り離したりしている。さまざまな事
物や事象を、ぼくたちのこころや身体は勝手にくっつけたり、引き離したり
している。だから、逆に、さまざまな時間や場所や出来事が、事物や事象と
いったものが、ぼくたちのこころや身体を勝手に





結びつけたり、切り離したり、くっつけたり、引き離したりするのであろう。
手のなかの水。腕につけられた海水の流れるチューブ。阪急電車の宣伝広告。
サングラスをかけた司会者。時代劇俳優の顔。そういえば、その時代劇俳優
の顔、ぼくのパパりんの顔にちょっと似てた。部屋に





戻って、ツイッターしてて、ああ、そうだ、きのう、RTも、お気に入りの
登録もする時間がなかったなあと思って、参加してる連詩ツイートを、怒涛
のようにRT、お気に入り登録してたんだけど、ちょっと、合い間に、なか
よし友だちのツイートを読んで、笑った。





まるで詩のように思えたのだった。引用してもいい? と言うと、いいって
おっしゃってくださったので、引用しようっと。こんなの。「前のおっさん
がイスラム教の女性に「チキンオッケー? チキンオッケー? チキン!」」
なかよしの友だちは、バスのなかで、笑いをこらえてたって言っていた。





音がおもしろいね。「前のおっさんがイスラム教の女性に「チキンオッケー?
チキンオッケー? チキン!」」 T・S・ エリオットの「荒地」の‘What
are you thinking of? What thinking? What?’を思い出した。





ドキッとする大胆な天ぷら。





これから塾へ。40時間は寝てないと思う。目の下の隈が、自分の顔を見て
いややと思わせる。52才にもなると、皮膚が頭蓋骨に、ぴったりとこびり
ついているかのように見える。醜い。30代のころのコロコロ太った自分の
顔がいちばん好きだ。20代は、かわいすぎて好かん。





ぼくは、棘皮を逆さに被ったハリネズミだ。いつも自分の肉を突き刺しなが
ら生きている。自分を責めさいなむことで安心して生きているのだ。ぼくの
親友にジミーちゃんという名前の友だちがいた。とても繊細な彼は、ひとの
気持ちは平気で傷つけた。ぼくほどではないけど。





これから、悲しみの湯につかる。30代の終わりにトラッカーと付き合った
けど、見かけと違って、甘えたさんだった。たくさんの思い出のなかの一つ
だ。一日の疲れを湯に吸い込ませる。リルケの言葉を借りて、ぼくはつぶや
く。こころよ、おまえは何を嘆こうというのか。





マジ豆腐。





ぼくらは水を運び別の場所に移す。水は別の場所でも生きる。ぼくらは言葉
を運び別の場所に移す。言葉は別の場所でも生きる。水もまた、ぼくらを別
の場所に運ぶ。言葉もまた、ぼくらを別の場所に運ぶ。どこまでぼくらは運
ぶのだろう。どこまでぼくらは運ばれるのだろう。





だから、水を運ぶぼくらが、水の運び方を間違えると、水は別の場所で死ん
でしまうこともある。だから、言葉を運ぶぼくらが、言葉の運び方を間違え
ると、言葉は別の場所で死んでしまうこともある。水を生かすように、言葉
を生かすように、ぼくらは運ばなければならない。





だから、ぼくらが間違わずに水を運べば、水もまた、ぼくらを間違わずに運
んでくれるだろう。ぼくらが生き生きと生きていける場所に。だから、ぼく
らが間違わずに言葉を運べば、言葉もまた、ぼくらを間違わずに運んでくれ
るだろう。ぼくらが生き生きと生きていける場所に。





しかし、つねに正しくあることは、ほんとうに正しくあることから離れてし
まうこともあるのだ。ときに、ぼくらは間違った運び方で運ぶことがある。
間違った運ばれ方で運ばれることがある。間違い間違われることでしか行く
ことのできない正しい場所というものもあるのだった。





ぼくらの病気が水に移ることがある。水の病気がぼくらに移ることがあるよ
うに。ぼくらの病気が言葉に移ることがある。言葉の病気がぼくらに移るこ
とがあるように。健康の秘訣はつねに水や言葉を移動さすこと、動かすこと。
水や言葉に移動させられること、動かされること。





水は、さまざまな場所で生きてこそ、生き生きとした水となる。言葉もさま
ざまな場所で生きてこそ、生き生きとした言葉になる。ぼくらの身体とここ
ろを生き生きとしたものにしてくれる、この水というものの単純さよ。この
言葉というものの単純さよ。これら聖なる単純さよ。





ぼくのなかで、分子や原子の大きさの舟が漂っている。その舟には、分子や
原子の大きさのぼくが三人乗っている。漕ぎ手のぼくも、ほかの二人のぼく
と同じように、手を休めて、舟のうえでまどろんでいた。舟がゆれて、一人
のぼくが、ぼくのなかに落ちた。無数の舟とぼく。





きのう一日、いや、いつもそうだ。ぼくはなんて片意地で、依怙地なんだろ
う。それはきっと、こころが頑なで脆弱だからだろう。どうして、恋人にや
さしくできないのだろう。ぼくの身体はなんにでも形を合わす水でできてい
るというのに。広い大きな海でできているというのに。





馬鹿といふ字はどうしても 覚えられない書くたびに 字引をひく(西脇順
三郎さん、ごめんなちゃい)





「おいら」と「オイラー」の違い。





後悔 役に立たず。





ひねりたての肌が恋しいように、ひねりたての水が恋しい。波をひねって、
波の声に耳を傾ける。ひねられた水は、ひねられた形をゆっくりと崩して、
ほかの波の上にくずおれる。波をひねり集めて、鋭くとがった円錐形にする。
ゆっくりとくずおれる円錐形。水の胸。水の形。





ぼくの人生には後悔しかない。学ぶことはないけれど。(あつすけ)
@celebot_bot 私の人生に後悔はない。学ぶことはあるけれど。
(ジェニファー・アニストン)





PCのトップ画像、知らないあいだに、むかし付き合ってた子の笑顔に。こ
わいからやめてください。ふつうが苦痛。苦痛がふつう。PCのトップ画像、
知らないあいだに、むかし付き合ってた子が笑顔に。こわいからやめてくだ
さい。苦痛がふつう。ふつうが苦痛。





ぼくも巨神兵わたしとなって、口から破壊光線を吐きまくりたいです。





じつにおもしろいですね。おとつい、英語が専門のひとに、ぼくの翻訳まえ
の単語調べの段階のペーパーを見てもらったのですが、驚いていました。
「こんなに単語わからないんですか?」「だから、おもしろいんですよ。」
「めげないですか?」「まったく。」





一人の人間の表情のなかには、もしかしたら万人の表情があるのかもしれま
せん。電車に乗っていて、よく人の顔を見ながら、知っている似ている人の
顔を思い出すことがあるのです。あるいは、万人が一人の表情を持っている
とも言えるかもしれません。





海の水など飲めたものではないのだけれど、ぼくたちは海の水を飲まなくて
はならない。ぼくたちは毎日、海の水を飲まなくてはならない。海の水もま
た、毎日、ぼくたちを飲まなくてはならない。海はぼくたちでいっぱいだし、
ぼくたちの身体は海の水でいっぱいだからだ。





この水も、あの水も同じ水で違った水である。違った水だけれど同じ水でも
ある。ぼくの水とあなたの水も同じ水だけど、違った水だ。違った水だけれ
ど、同じ水である。いくら混じり合っても、すっかり混じり合わせても、違
う水だし、それでいて、つねに同じ水なのだ。 





窮屈な思考の持ち主の魂は、おそらく、自分自身の魂でいっぱいなのだろう。
あるいは、他者の魂でいっぱいなのだろう。事物・事象も、概念も、概念想
起する自我やロゴスも、魂からできている。それらすべてのものが、魂の属
性の顕現であるとも言えるだろう。われわれは、





事物・事象や観念といったものに、われわれの魂を与え、事物・事象や観念
といったものから、それらの魂を受け取る。いわば、魂を呼吸しているので
ある。魂のやり取りをしているのである。魂は息であり、われわれは息をし
なければ、生存をやめるのであるが、息もまた、われわれを吸ったり吐いた
りして生存しているのである。





息もまた、われわれを呼吸しているのである。魂もまた、われわれを呼吸し
ているのである。呼吸が、われわれを魂にしているとも言えよう。息が、わ
れわれを魂にしているとも言えよう。貧しい思考の持ち主の魂は、自分自身
の魂でいっぱいか、他者の魂だけでいっぱいだ。





生き生きとした魂は、勢いよく呼吸している。他の事物・事象、観念といっ
たものの魂とのあいだで、元気よく魂のやり取りをしている。他の魂を受け
取り、自分の魂を与えているのである。生き生きとした魂は、受動的である
と同時に能動的である。さて、これが、連詩ツイットについて、





わたしが、きょう考えたことである。あの連詩ツイットに参加しているとき
の、あの魂の高揚感は、受動的であると同時に能動的である自我の有り様は、
他者の魂とのやり取り、受け取り合いと与え合いによってもたらされたもの
なのである。言葉が、音を、映像を、観念を、





さいしょのひと鎖となし、わたしたちの魂に、わたしたちの魂が保存してい
る音を、映像を、観念を想起させ、つぎの鎖、つぎの鎖と、つぎつぎと解き
放っていたのであった。魂が励起状態にあったとも言えるだろう。いつでも、
魂の一部を解き放てる状態にあったのである。しかし、それは、魂が





吸ったり吐いたりされている、すなわち、呼吸されている状態にあるときに
起こったもので、魂が、他の魂に対して受動的でありかつ能動的な活動状態
にあったときのものであり、励起された魂のみが持ちえる状態であったのだ
と言えよう。連詩ツイットに参加していたときの





わたしの魂の高揚感は、あの興奮は、魂が励起状態にあったからだと思われ
る。というか、そうとしか考えられない。能動的であり、かつ受動的な、あ
の活動的な魂の状態は、わたしの魂がはげしく魂を呼吸していたために起こ
ったものであるとしか考えられない。あるいは、あの





連詩ツイットの言葉たちが、わたしたちの魂を呼吸していたのかもしれない。
言葉が、わたしたちの魂を吸い込み、吐き出していたのかもしれない。長く
書いた。もう少し短く表現してみよう。ツイッター連詩が、思考に与える効
果について簡潔に説明すると、つぎのようなものに





なるであろうか。見た瞬間に、その言葉から、わたしたちは、音を、映像を、
観念を想起する。これが連鎖のさいしょのひと鎖だ。そのひと鎖は、そのと
きのわたしたちの魂が保存していた音や映像や観念を刺激して呼び起こす。
それは、意識領域にあるものかもしれないし、無意識領域に





あるものかもしれない。いや、いくつもの層があって、その二つだけではな
いのかもしれない、多数の層に保存されていた音や映像や観念を刺激し、つ
ぎのひと鎖を連ねるように要請するのである。つぎのひと鎖の音を、映像を、
観念を打ち出させようとするのである。





このとき、脳は受動的な状態にあり、かつ能動的な状態にある。つまり、運
動状態にあるのである。これは、いわば、魂が励起された状態であり、わた
しが、しばしば歓喜に満ちて詩句を繰り出していたことの証左であろう。い
や、逆か、しばしば、わたしが詩句を繰り出している





ときに歓喜に満ちた思いをしたのは、魂が励起状態にあったからであろう。
おそらく、脳が活発に働いているというのは、こういった状態のことを言う
のであろう。受動的であり、かつ能動的な状態にあること、いわゆる運動状
態にあること。ツイッター連詩のときの高揚感は、





しばしば、わたしに、全行引用詩をつくっていたときの高揚感を思い起こさ
せた。いったい、どれほどの興奮状態にあって、わたしが全行引用詩をつく
っていたのか、だれにも理解できないかもしれないが、そうだ、あのときも
また、魂がはげしく呼吸していたのであった。





わたしの言葉は真実である。言葉の真実はわたしである。真実のわたしは言
葉である。わたしの真実は言葉である。言葉のわたしは真実である。真実の
言葉はわたしである。





自身過剰。





自我持参。





天国の猿の戦場。猿の戦場の天国。戦場の天国の猿。天国の戦場の猿。猿の
天国の戦場。戦場の猿の天国。





洗浄の意味の証明。意味の証明の洗浄。証明の洗浄の意味。洗浄の証明の意
味。意味の洗浄の証明。証明の意味の洗浄。





線状の蜂の天国。蜂の天国の線状。天国の線状の蜂。線状の天国の蜂。蜂の
線状の天国。天国の蜂の線状。





目や鼻や口や眉毛は顔についている。耳は頭の横についている。おへそは、
おなかの真ん中についている。手の指は手のさきについている。足の指は足
のさきについている。そいつらが、もう自分たちのいた場所に飽きてしまっ
たらしくって、ぼくの顔や身体のあちこちに移動し





はじめたんだ。だから、ぼくの顔に、突然、十本の手の指が突き出したり、
ぼくの指のさきに、おへその穴がきたりしてるんだ。ときどき、顔のうえを、
目や鼻や口や耳や手の指や足の指やおへその穴なんかが、ぐるぐるぐるぐる
追いかけっこして走りまわったりしてるんだ。





ぼくのクラスメートたちって、みんなすっごく仲がいいんだよ。ぼくたち、
肉体融合だってできるんだ。みんなで輪になって手をつなぐとさ、目や鼻や
口や眉毛が、みんなの身体のあいだを駆け巡ってさ、このあいだなんて、ぼ
くの身体じゅう何十本もの手の指だらけになっちゃったよ。





芭蕉の「命二つの中にいきたる桜かな」という句がある。このこと自体は現
象学的にも事実であろう。しかし、このことに気づき、言葉にして書きつけ
ることは、認識であり、表現である。しかもその表現はきわめて哲学的であ
り、認識というものの基本原理となるものである。





機械の腕は、卷ねじをタグに引っかけると、くるくると缶詰の側面から長方
形を巻き取りながら、卷ねじでパキンと垂直に折った。そして、頭蓋骨をは
ずすと、脳を取り出して、缶詰のなかの脳と交換した。頭蓋骨をはめられて
しばらくすると、ぼくの目がだんだん見えてきた。





夢は彼女を吐き出した。まるでチューインガムのように。夢は彼女を吐き出
した。味のなくなったチューインガムのように。彼女の身体は夢の歯型だら
けだ。自分の唾液でべたべたに濡れた彼女の顔が夢を見上げた。夢はまた別
の人間を口のなかに放り込んで、くちゃくちゃ噛んでいた。





若さは失うものだが、老いは得るものである。





きのう、友だちに、「もらいゲロする」という言葉を教えてもらった。そん
な日本語があるなんて、52才になるまで知らなかった。現象は存在するし、
ぼく自身も体験したことがあったのだけれど。





2012年12月14日メモ。辞書の言葉は互いに参照し合うだけである。
その点では、閉じた系である。もしも、外部の現実の一つでも、それに照合
させられないとしたら、辞書は存在する意義をもたなくなってしまうだろう。





2012年12月14日メモ。夢は、それぞれ成分が異なる。きのうの夢と、
けさの夢が異なる理由は、それしか考えられない。では、普段の思考はどう
か。違った見解をもつことがある。ということは、つねに、自我は異なると
いうことだ。そのつど形成されるということだ。





その点では、ヴァレリーの自我の捉え方と同じだ。自我はつねに、外界の刺
激に影響されている。ここで、辞書のことが思い出された。辞書の言葉は、
それぞれ参照し合うが、外界の事物・事象とのつながりがなければ、意味を
なさない。自我を形成する脳のなかの記憶もまた、





なんらかの刺激がなければ、役立つ記憶として役立つことがないのではなか
ろうか。たとえ、脳のなかの記憶から連想されたにしても、外部からの感覚
的な、あるいは、想念的な刺激がなければ、そういった記憶も、想起に対し
て役立つものとは、けっしてならなかったであろう。





夢がひとから出ていくと、ひとは目覚める。夢がひとを眠らせていたのであ
る。夢がひとのなかに入ると、ひとは眠る。夢はそうやって生きているのだ。
ときどき、他人の夢が入ってくることがある。いくつもの夢が、ひとりの人
間のなかで生きていることがあるのだ。





夢が、人間を生かしていると考えると、目が覚めているときは、現実が夢な
のである。夢が人間のなかで手足を伸ばして、ひとそのものになると、人間
は眠るのだ。夢が現実となるのだ。





夢は不滅である。違った人間のあいだをわたり歩きつづけているのだ。





2012年12月18日メモ。ピアノの先生曰く、北海道ってさ、10セン
チ積もったら30センチしか、扉があかんのよ。で、30センチ積もったら、
10センチしか、あかんのよ。2時間、雪かきしなかったら、扉はあかんの
よ。





2012年12月14日メモ。そういえば、人が夢を見るというけれど、夢
のなかに人がいるときには、夢が人を見ていることになりはしないだろうか。
だとしたら、その夢を見ているわたくしは夢そのものということになる。





ぼくの夢。ではなく、夢のぼくである。彼の夢。ではなく、夢の彼である。
夢がつくるぼくがいて、ぼくが夢をつくる。夢がつくる彼がいて、彼が夢を
つくる。同じ一つの夢が、ぼくをつくり、彼をつくる。異なる夢が、同じぼ
くをつくり、異なる夢が、同じ彼をつくる。





夢の成分は、ひとによって異なると思うが、そのひとひとりのなかに出てく
る異なるひとの夢、いや、同じひとつの夢にでてくる異なるひとでもいいの
だが、夢に出てくるひとが違えば、夢にでてくるそのひとをつくる成分も違
うのだろうか。おそらく違うであろう。なにが夢なのか。





記憶していることを記憶していない記憶が夢をつくることがある。というか、
夢に出てくる事柄は大部分が記憶していない事柄である。記憶の断片を勝手
に編集しているのは、いったい何ものだろう。記憶の断片そのものだろうか。
記憶された事柄が形成するロゴス(形成力)だろうか。





それは、起床しているときのロゴスとは明らかに異なる。なぜなら、そのよ
うな夢をつくりだす想像力が、起床時には存在していないからである。した
がって、ロゴスは、自我は、と言ってもよいが、少なくとも二種類はあると
いうことだ。





洗脳について考える。ある連関のある言葉でもって、人間を言葉漬けにする
のだが、それによって、ロゴスが、ある働き方しかしないように仕向けるこ
とは容易であろう。家庭生活、学校生活、職場生活、それぞれに、洗脳は可
能だ。ロゴス、あるいは、自我の数が増えたぞ。





あるいは、洗脳は、別ものと考えようか。そうだとしても、意識領域におい
ても、自我が一つであるというのは、考えにくい。違った状況で違った見解
をもつということだけではなくて、同じ状況で違った見解をもつということ
があるのだから。ハンバーグを食べようと思って家を出て、





うどんを食べてしまうことがある。なんという不安定なロゴスだろうか。し
かし、反射というか、好き嫌いに関して言えば、反応が一様な感じがする。
ぶれないのだ。少なくとも、ぶれが少ないのだ。これから推測できることは、
思考傾向というものが存在するということだろう。





よりすぐれた詩句をつくり出したいと思うのだけれど、そのためには、思考
傾向を全方位的にするよう努力しなければならない。思考するには、思考対
象の存在が不可欠であるが、思考対象は、思考傾向に対して大いに影響を与
えるものである。したがって、全方位的に思考することは、





その思考傾向を自己認識のうちに捉え、その思考傾向とは異なる思考をもつ
ことができるように訓練しなければならない。「順列 並べ替え詩。3×2
×1」のように、強制的に思考傾向を切断し、つくり直すような手法が理論
的である。ここで、ベクトルのなかに出てくる、





ゼロベクトルの定義を思い出した。教科書の出版会社が違うと、数学用語の
定義が異なる場合がまれにある。ゼロベクトルがその一例だが、ゼロベクト
ルとは、ある教科書では、大きさがゼロで、「方向は考えない」とあり、べ
つの教科書では、「あらゆる方向である」とあった。





ぼくが喜んで受け入れるのは、もちろん、後者の定義である。そう考えたほ
うが、ベクトルで演算子を導入したときに、整合性があるように思えるから
だ。「方向は考えない」では、ロゴスはない、と言ってるようなものである。
受け入れられない。それとも、ロゴスはないのだろうか。





全方位的なロゴス。全方位的な自我。理想だ。それに近づくためにできるこ
とは、ただ一つ。これまで考えたこともないことを考えるのだ。それには、
つねに新しい知識を吸収して、思考力の位置エネルギーを蓄え、いつでも思
考力の運動エネルギーに変換できるように、ふだんから





自己訓練すればよい。スムースに思考力の位置エネルギーを、思考力の運動
エネルギーに変換することができない者は、自己訓練ができていないのであ
ろう。頭がボケないうちは、不断の努力が必要である。





2012年12月14日メモ。獏という動物は夢を食べるという。獏が自分
の夢を見たら、自分を食べることになる。自分の足元の風景から、自分の足
を含めて、むしゃむしゃ食べはじめる獏の姿を想像する。





詩や小説をいくら読んでも、いっこうに語彙や思考力が豊かにならない人が
いる。そういう人たちは、詩や小説を読んでも、言葉の意味をその文脈のな
かでしか理解していないのだろう。ほかの文脈に移し替えて考えてみるとい
うことなど、したこともないのだろう。ぞっとする。





言葉に貧しさをもたらせる詩人がいる。あまりに偏りすぎるのだ。つねに判
断停止状態である。これは、思考能力のない読み手以上に、困った存在であ
る。





幻聴でしょうか。「おかしい?」っていうと、「おかしい」っていう。 「おか
しくない?」っていっても、「おかしい」っていう。 そうして、あとで、気
をとり直して、「もうおかしくない?」っていっても、「おかしい」っていう。
幻聴でしょうか、 いいえ、だれでも。(金子みすゞさん、ごめんなちゃい。)





隣の奥さんが化粧をとって、八百屋にいくと、野菜たちがびっくりして走り
去っていった。





母親の腕を見てると、10人の子どもたちがブラブラとぶら下がっていた。
母親が20本の腕で、子どもたちの両腕を振り回して大回転しだした。母親
が手を放すと、子どもたちは、きゃっきゃ、きゃっきゃ叫んで、つぎつぎと
飛んでいった。あはははは。あはははは。





彼女の胸は、ぼくの滑り台だった。彼女の腕は、ぼくのジャングルジムだっ
た。彼女の尻は、ぼくの砂場だった。彼女の唇は、大きく揺れるブランコだ
った。彼女の顔は、公園にばらまかれる水道の水だった。





ぼくは、彼女の腕をつかんで、向こう岸に投げてやった。向こう岸にいるぼ
くが、飛んできた彼女を拾うと、ぼくのほうに投げ返してきた。ぼくはまた、
彼女を向こう岸に放り投げた。すると、向こう岸のぼくはまた、彼女を投げ
返してきた。ふたりのぼくは、それを繰り返していた。





ぼくが膝を寄せて近づくと、もうひとりのぼくも、ぼくに膝を寄せて近づい
た。ぼくはどきどきして、ぼくの手をもうひとりのぼくの手に近づけていっ
た。すると、もうひとりのぼくも、ぼくに手を近づけてくれたのだった。ぼ
くは、もうひとりのぼくと目を合わせた。顔が熱くなった。





ぼくは、ぼくの目や鼻や口を、ぼくの顔からはずして、テーブルの角や、冷
えたコーヒーカップの取っ手のうえとか、本棚の最上段に置いてみたりした。
すると、まったく新鮮な感覚でもって、ものを眺めることができ、もののに
おいを嗅ぐことができ、ものの味を味わうことができるのだった。





日に焼けたヨガの達人たちが、何百万人も、海のうえでヨガをしながら、日
本の海岸に漂ってきた。





おれはもうガマンができない。おれの顔や腹を、ボカッ、ドスッ、ドカーン
ッと殴った。倒れかかる瞬間のおれを着色する。鮮やかな青色のおれ。鮮や
かな紫色のおれ。鮮やかな黄色のおれ。倒れかかる瞬間の、さまざまな色の
おれ。おれは、おれを着色した。さまざまな色に着色した。





お父さんのぼくと、お母さんのぼくと、ぼくのぼくと、きょうのぼくは、三
人のぼくがそろっての夕ご飯のぼくだった。さいしょに、スプーンのぼくを
取り上げたのは、お父さんのぼくだった。きょうの夕ご飯のぼくはカレーラ
イスのぼくだった。ジャガイモのぼく。お肉のぼく。玉葱のぼく。





どうも、育った環境が違うと、思考様式も異なるようだ。ぼくは●●だから、
そんな●●だったら、●●じゃないかと言っても、わからないらしい。きみの
ように、ぼくは、●●じゃないんだから、そんな●●だったら、●●じゃない
かと言うのだけれど、いっこうにわかってくれない。





永遠と書かれたフンドシをはいて寝る。





「を」があると、音がよくないね。も一度、書くね。





永遠と書かれたフンドシはいて寝る。 





くしゃみが。きのう、恋人にうつされたのかもしれない。ひどいやつや。治り
きっていないのに、会いにきて。「今マンションの前にいます。」って、かつ
ては、うれしく、いまは、ちとこわいメール。予定の時間より30分はやくく
るなんて。葛根湯のんでからセブイレに行こう。





死体は連想しない。死体は連想する。塩は連想しない。塩は連想する。火は
連想しない。火は連想する。土は連想しない。土は連想する。風は連想しな
い。風は連想する。水は連想しない。水は連想する。言葉は連想しない。言
葉は連想する。すべては、わたしとあなた次第だ。





死体は連想しない。死体は連想する。塩は連想しない。塩は連想する。火は
連想しない。火は連想する。土は連想しない。土は連想する。風は連想しな
い。風は連想する。水は連想しない。水は連想する。言葉は連想しない。言
葉は連想する。すべては、あなたとわたし次第だ。





「あっためて」、「あたためてください」。どう言おうか、セブンイレブンに
行く道の途中で口にしたら、きゅうに恥ずかしくなった。夜中だし、だれもそ
ばにはいなかったのに。ことしのクリスマスもひとり。むかし付き合ってた恋
人には、なんで素直に、「あたためて」と言えなかったのだろうか。いまなら
弁当50円引き。





レモンは、あまり剥かない。たいていは、薄く輪切りにするか、小さな欠片
にするかだ。指も、あまり剥かない。やはり、薄く輪切りにするか、小さな
欠片にするかだ。イエス・キリストも、あまり剥かない。今夜から明日、イ
エス・キリストの輪切りと、小さな欠片が街を覆う。





さいしょに靴下を脱ごうとする彼。さいごに靴下を脱がそうとするぼく。こ
とばの配列が違うと違った意味になると、パスカルが書いていた。脱ぐ衣服
の順番で、彼もまた違った彼になるのだろうか。ノブユキ、タカヒロ、ヒロ
くん、エイジくん。ほんとだ。みな違った彼だった。





黒サンタの話を以前に書きました。子どもたちをつぎつぎ殺していくサンタ
です。この話を日知庵ではじめてしたのは2、3年前で、映画になったら、
世界中の子どもたちがびびるねと、えいちゃんに言いました。プレゼント用
の袋には、殺した子どもたちの手足が入っています。





その袋で、ボッカンボッカン殴り殺したり、トナカイに蹴り殺させたり、橇
で轢き殺したりしていくのです。日知庵のえいちゃんに、赤じゃなく、黒い
服着てよ、黒い帽子かぶってよって言ったら、いややわと言われました。黒
い服のサンタって、おしゃれだと思うんですけど。





コップのなかに、半分くらい昼を入れる。そこに夜をしずかに注いでいく。
コップがいっぱいになるまで注ぎつづける。手をとめると、しばらくのあい
だ、昼と夜は分離したままだが、やがてゆっくりと混ざり合っていく。マー
ブル模様に混ざり合う昼と夜。





青心社から出てる井上 央訳の、R・A・ラファティの「翼の贈りもの」にお
ける、誤植と脱字の多さには驚かされた。気がついたものを列挙していく。
翻訳者か出版社のひとが見てたら、改訂するときの参考にしていただきたい。
45ページ上11、12行目、「唄でければなら





ない」→「唄でなければならない」 「な」が抜けているのである。単純な
脱字。140ページ上 1行目「?」のあとに、一文字分の空白がない。1
46ページ下 13行目「生物が生まれ出た液体と同じの環境が保たれて」
→「生物が生まれ出た液体と同じ環境が保たれて」





これは「の」が余分なのか、それとも、「ものの」の「もの」が抜けているの
であろう。154ページ下 13行目「小鬼の姿ように」→「小鬼の姿のよう
に」 「の」が抜けている。同ページ下 8、9行目の訳は、まずいと思う。
こんな訳だ。「彼は複雑に入り組んだ





岩場、崖であり、斜めに開いた裂け目、正体不明の影が動く高い頂があった。」
→「彼は複雑に入り組んだ岩場、崖であり、そこには、斜めに開いた裂け目、
正体不明の影が動く高い頂があった。」というふうに、「そこには、」を補わ
ないと、スムースに意味が伝わりにくい。





159ページ下 2、3行目「恐れるものは何ものない」→「恐れるものは
何もない」 「の」が余分なのだ。168ページ上 8行目「そこにステン
ドグラスあった」→「そこにステンドグラスがあった」 「が」が抜けてい
るのである。なぜ、プロの翻訳家が、これほど多くの





ミスを見過ごしたのか、プロの校正係がこれほど多くのミスを見過ごしたの
か、それはわからないが、いまでは電子データでやりとりしているだろうか
ら、おそらく翻訳家のミスであろう。下手だなと思う訳がいくつも見られた
が、それは仕方がないとしても、誤字や脱字の類は、





完全に翻訳家の怠慢である。ラファティの新しい作品を読もうと楽しみにし
ていた読者をバカにしていると思う。ぼくは自分の詩集で、ただの一度も、
誤字・脱字を見過ごしたことはない。ぼくのような無名の詩人でも、それく
らいの心構えはある。何冊も翻訳している翻訳家と





して、井上 央さんには、その心構えがないのかと思ってしまった。さいきん、
ぼくが読んで誤字・脱字が多いと思って指摘した翻訳書は数多い。彩流社の
「ロレンス全詩集」の編集者は、ぼくの指摘を受けて、正誤表を翻訳者に作
成させて、全詩集につけてくれるようになった。





青心社のほうでも、改訂版を出すときには、もう一度、井上 央さんに誤字・
脱字の訂正と、訳文のまずいところの訂正を依頼してほしい。





この最近は、一秒間に2倍に増えます。いま、10000の過去に対して1
の最近があるとして、この最近と過去の比率が逆転するのは、いったい何秒
後でしょうか、計算して求めよ。





「加奈子ちゃん、ぼくの鉄棒になって。」加奈子ちゃんの首と足首をもって、
地面と平行にグルングルン回転する。「加奈子ちゃん、動かないで。がんばっ
て。」加奈子ちゃんの首と足首をもって、地面と平行にグルングルン回転する。
あはははは。あはははは。





ラファティの「翼の贈りもの」、あと2篇で読み終わるのだけれど、理屈っぽい
ところが裏目に出てるような作品が多い。やっぱり、残り物でつくっちゃった短
篇集って感じがする。これだと、まだハヤカワから出てた短篇集「昔には帰れな
い」のほうが、おもしろいくらいだ。





寝てたけど、夢を見て、目が覚めた。蟻にミルクをやらなければならない。と、
夢のなかのぼくは、冷蔵庫からミルクパックを取り出して、「意味のわからない
ものは、目は見てても見えないんだよ。」と、蟻にむかってつぶやいていた。ふ
と、40代のころの父親の気配がして目が覚めた。





夢のなかで、冷蔵庫から取り出したのは、ミルクパックじゃなくて、ミルク
パックの型紙だったのだ。ハサミで輪郭を切り取って、のりしろもちゃんと
あったものを、きれいに切り取って、のりしろにはのりを塗って組み立てた
のだ。もちろん、ミルクは入ってない。それでも、蟻にミルクをやらなきゃ
と考えてた。





蟻とぼくがいる、ぼくの部屋のなかで、宇宙は黒い円盤として斜めに傾げ
て、ゆっくりと回転していた。円盤に付着した星が回転していた。ぼくは、
ミルクパックの型紙を切り取って、のりを使って、それを組み立てながら、
蟻に向かってつぶやいていたのだ。





2012年11月9日のメモ。ある言葉の意味を知っているというのは、物
書きと、そうでない者とのあいだには相当の違いがある。物書きでない場合
は、ある言葉を知っているというのは、その言葉がさまざまな文脈のなかで、
その文脈ごとに異なる意味を持っているということを





知っているに過ぎない。ある映画のあるセリフではこういう意味。ある詩人
のある詩ではこういう意味。一つの言葉が文脈によって、さまざまな意味を
持っているということを知っているに過ぎない。物書きの場合は、ある言葉
を知っていると





いうのは、まだ結びつけられたこともない言葉との連結を試みた者でなけれ
ばならず、言葉に、その言葉がまだ持ち合わせていなかった意味を持たせる
ことができる才能の持ち主でなければならないのである。すでに存在してい
る意味概念を





知っているだけでは、その言葉について知っているとは、物書きの場合には、
言えないのである。物書きでない場合には、過去に吸収した知識による意味
解釈、あるいは、せいぜいのところいま現在の体験から知りえた意味解釈が
あるだけで





限界がある。物書きが解釈する場合には、過去に吸収した知識による意味解
釈や、いま現在の体験から知りえた意味解釈だけではない。まだ自分が知ら
ないことを知ることが、まだ自分が体験したこともないことの意味解釈をす
ることができる





のである。なぜなら、物書きとは、つねに、語の意味の更新に寄与する者の
ことであり、過去の意味と現在の意味の蝶番であり、現在の意味と未来の意
味の蝶番であり、過去の意味と未来の意味の蝶番であるからである。





対象のあいまいな欲望。





空には雲ひとつなかった。草を食(は)んでいた牛たちがゆっくり溶けてい
く。アルファルファの緑のうえに、ホルスタインの白と黒が、マーブル模様
を描いていく。木陰でうなだれていた二頭の馬は、空気中に蒸散していく。
風がないので、茶色い蒸気が小さな靄となって漂っている。





2012年10月31日のメモ。「ぼくの使う辞書から、「できない」という
言葉がなくなった。だから、もうぼくは「できない」という言葉を使うことが
できない。」





2012年10月31日のメモ。「無数の「できない」が部屋に充満している。
ぼくがつぶやきつづけたからだ。コップは呼吸をすることができない。ペンは
呼吸をすることができない。ハサミは呼吸をすることができない。電話は呼吸
をすることができない。」





2012年10月19日のメモ。「目の前に生きている詩人がいるなんて、考
えただけで、ぞっとする。ものをつくるということは、冒涜的だ。それも、物
質ではない、観念というものをつくりだすというのだ。極めて冒涜的だ。詩人
が目の前にいる。これほど気味の悪いことはない。」





一週間以内の日付のないメモ。「大事なことはすっかり知っているのに、彼は
わざとはぐらかして、じっさいにあったはずの事実をゆがめて語るのであった。
奇妙なことだが、彼がゆがめて語ったことは、ぼくには、現実よりも現実的に
感じられるのだった。いったい、どうしてだろう。」





無数の「できる」が部屋に充満している。ぼくがつぶやきつづけたからだ。
コップは呼吸をすることができる。ペンは呼吸をすることができる。ハサミ
は呼吸をすることができる。電話は呼吸をすることができる。書物は呼吸を
することができる。目薬は呼吸をすることができる。





2012年7月6日のメモ。えいちゃんの同級生の山口くんとしゃべってい
て。ほんとの嘘つきは隠さない。まだ毎日メールしてる。どこが傷心やねん。
塩が食いたい。肉。ほかに何が焼きたいねん。3月3日、22才の雪の思い
出や。自分の定義の恋しかしない。自分の正義が悪い。





握り返すドアノブ。待てない。この世のすべての薔薇。水面の電話。





ある言葉を知っているということは、その言葉を使えるということ。使える
というのは、その言葉がもっている意味のほかにも意味が生じないか吟味す
ることができるということ。ひとことで言えば、だれも見たこともないその
言葉の表情を見せつけることができるということ。





そういった言葉の意味の更新性が見られない文学作品は、ぼくの本棚には一
冊もない。すさまじい数の本だ。圧倒される。自分も死ぬまでに、一つでも
いいから、言葉に新しい意味をもたせたいと思っている。できるだろうか。
ほかの書き手はどういった動機で書いているのだろうか。





神は人間を信じていないし、人間は神を信じていない。悪魔は人間を信じて
いないし、人間は悪魔を信じていない。悪魔は神を信じていないし、神は悪
魔を信じていない。





神は人間を信じているし、人間は神を信じている。悪魔は人間を信じている
し、人間は悪魔を信じている。悪魔は神を信じているし、神は悪魔を信じて
いる。





ふざけて、ノズルさかさまにして、鼻の穴にシャワーでお湯をぶっちゃけた
り、キャッキャゆってました。まあ、おバカさんですね。で、おバカさんし
か、たぶん、人生楽しめないとも思います。世のなか、ひどいもの、笑。





こころの強さは表情に現れます。





フエンテスの「アウラ」の途中で、ドトールを出て、日知庵で飲んでいた。
知り合いがきて、30年前の話になった。お互いの20代のことを知ってい
るから、なんか、いまのお互いのふてぶてしさが信じられない。まあ、齢を
とるといいことの一つかな。ふてぶてしくなるのだ。





きょう、ジュンク堂で、ナボコフの「プニン」が新刊で出ていることに気が
ついた。ほしかったけれど、11月は、めっちゃ貧乏なので、がまんした。
ふと、「完全なセックス。」というタイトルで、詩を書こうかなと思った。
文庫本の棚を巡り歩いて、ふと思いついたのだった。





「安全なセックス」からきてると思うけれど、と、「完全なセックス。」とい
うタイトルを思いついたときに思ったけれど、わからない。セックスについて
の本ばかりを目にしたわけではない。そいえば、日本の現代詩に、セックスに
ついて書かれた詩が少ないことに気がついた。





外国の詩のアンソロジーにも少ない。セックスが、人生のなかで、かなりの
ウェイトを占めているにもかかわらず、セックスについての詩が少ない。小
説はいっぱいあるのに。官能詩というものがない。小説では催すが、詩では
催さないのだろうか。知的な詩に萌えのぼくだけど。





脳の回路が違うのかな。ああ、でも、ぼくは天の邪鬼だから、「完全なセック
ス。」というタイトルで、まったくセックスについては触れないかもしれない。
などとも思った。しかし、シャワーを浴びながら頭を洗ってると気持ちいいけ
れど、そのこと書こうかな。「完全な洗髪。」





そだ。シャワーしながら、頭を洗うと、めっちゃ気持ちいいけど、そのことを
書いた詩は読んだことがないなあ。「完全な洗髪。」というタイトルで詩を書
こうかな。そいえば、ノブユキの頭を洗ってあげたことが思い出される。いっ
しょにシャワーを浴びるのが好きだった。





ノブユキ、二十歳だったのに(ぼくは二十代後半かな、26才か27才くら
いだったかな)おでこが広くて、髪の毛を濡らすと、めっちゃおもしろかっ
た。ふざけてばかりいた。そんなことばかり思い出される。幸せだった。生
き生きしていた。寝よう。うつくしい思い出だった。





誤読を許さない書物・人間・世界は貧しいと思います。誤読とは、可能性の
扉であり、窓であり、階段であると思います。さまざまな部屋へとつづく、
さまざまな景色を見させる、さまざまな場所へと到達させる。





よく言われることですが、貧しい作品が豊かな作品のヒントになることもあ
ります。逆の方がはるかに多いでしょうけれど。それに、ひとのことはとく
に、あとになって解釈が変わること多いでしょうし、書物だって、読み手の
考え方や感じ方の変化で違ったものになりますしね。





あ、それは誤読ではないですね。しかし誤読は、豊かさを、多様性を生む源
の一つでしょうね。正しいことが、ときにとても貧しいことであることがあ
ると思います。あるいは、正しいと主張することが。ぼくは自分の直感を礎
(もと)に判断し行動します。しばしば痛い目にもあいますが。





そして、気がつかされることがよくあるのです。間違った道で、その間違った
道でしか見えないものを見た後で、正しい、あるいは、正しいなと思える道に
足を向けるということが。自分の人生ですから、それはもう、たくさん、いっ
ぱい、道草をしたっていいと思うのです。





岩波文庫、コルタサルの短篇集「悪魔の涎・追い求める男」228ページの
8、9行目、「島/々」。改行をするときは、「島/島」ではないのか。最
近、読む本の多くがこういった基本的な法則を知らない者の手で校正されて
いる。不愉快であるというよりも不可解。





きのう、セブンイレブンに行ったら、好きなペペロンチーノがなかった。店
員に訊くと、入っていませんという。おいしいものが消えて、そうではない
ものが入る。不思議な現象だ。よい本が消えてしまう書店の本棚のようだ。
つぶれてしまえと思った。食べ物にも意地汚いぼくだ。





あした東京の青山のブラジル大使館で、大使館主催のウェブページ開設記念
の、詩人や作家を招いたパーティーがあって、ぼくも作品を書いたので、お
呼ばれしてるんだけど、着ていく服もなく、新幹線代もないので、行けず。
こういうところで、貧乏人はチャンスを逃すんだな。





きょう、授業の空き時間に、ふと、コルタサルの短篇集「遊戯の終わり」に、
もう1つ誤植があることを思い出したので、これから探そう。思い出すきっ
かけが、コルタサルの短篇集「秘密の武器」に収められた「悪魔の涎」のと
ころに、「島の端(はな)」とあったからである。





見つけた。岩波文庫コルタサルの短篇集「遊戯の終わり」の178ページ
2行目、「水底譚」のなかに、「砂州の鼻にいたぼくは」とある。ここは、
「砂州の端にいたぼくは」ではないのか、と、写真的記憶の再生で、けさ、
気がついたのであった。これは誤植でしょう? 違う?





きれいでしょう。⊃∪⊂∩。かわいいかな。⊃∪⊂∩。きれいでしょう。⊃
∪⊂∩。かわいいかな。⊃∪⊂∩。きれいでしょう。⊃∪⊂∩。かわいいか
な。⊃∪⊂∩。きれいでしょう。⊃∪⊂∩。かわいいかな。⊃∪⊂∩。





連詩は、ひととのじっさいの会話のように、ふと自分のなかにあるものと、
ひとのなかにあるものとがつながる感覚があって、自分ひとりでは思いつけ
なかったであろうものが書けるということがあって、自分の存在がひろがり
ます。と同時に自分の存在の輪郭がくっきりします。





いまものすごい夢を見て目がさめた。教室のなかで、中学生くらいの子ども
たちが坐っているのだ。「では、その紙を折って、箱に入れてください」と
いう声がして、子供たちは顔をまっすぐにしたまま、紙を折って箱にいれた。
「では、終わりました。帰ってください。」という声が





すると、子供たちがみな、机のよこから杖をとって、ゆっくりと動き出し、
手探りで、教室の出口に向かいだしたのだった。机の角や、椅子の背に手を
触れながら。子供たちは盲目だったのだ。気が付かなかった。ぼくの夢のな
かのさいしょの視点は、一人の男の子の顔をほとんどアップ





で、正面から微動もせずに見つめていたのだった。子供たちが動き出してか
ら、ぼくの夢のなかでの視点は立ち上がった人物の目から見たもののようで、
その目は教室の出口に向かう子供たちの姿を追っていた。ただ、教室の外に
出るだけでも、お互いをかばい合うようにして進む子供





たちの姿を、夢のなかのぼくの目は見ていたら、涙がこぼれそうになって、
涙がにじんできたのだった。目が見えるぼくらには簡単なことができないひ
とがいるということを、この夢は、ぼくに教えてくれたのだった。こんな映
像など見たことも聞いたこともなかったのに、夢はつくりだしたのだった。





ぼくの無意識は、ぼくになにを伝えたかったのだろう。ストレートに、映像
そのままのことなのだろうか。きのうの昼間に、そんな夢を見るなにかを見
たり、考えたりした記憶はないのだけれど。でも、子供たちが、目をぱっち
り開けていて、目が見えない子供たちであるということを





夢を見ているぼくにさいしょに教えず、子供たちが、杖を手にして、ゆっく
りと手探りで、教室の出口に向かった姿で、目が見えなかったことをぼくに
教えるという、レトリカルな夢の表現に、ぼくはいま、驚いている。ぼくの
夢をつくっている無意識領域に近い自我もまたレトリカル





な技法をもって表現していることに。だとしたら、さいしょに、あの住所と
名前を書いた紙を箱に入れさせた、あの行為はなにを意味しているのだろう。
それはいま考えても謎だ。わからない。雨の骨が落ちる音がしている。きょ
うは夕方まで雨らしい。





ぼくは子どものときから、ホモとかオカマとか言われてたから、ある程度、
耐性があるけど、それでも、言われたら嫌な気持ちがするね。その言葉に相
手の侮蔑する気持ちがこもってるからね。ぼくが小学校のときには、「男女
(おとこおんな)」っていう言い方もあったよ。





岩波文庫に誤植があると、ほんとにへこむ。コルタサルの短篇集『遊戯の終
わり』昼食のあと、186ページ9行目「市内の歩道も痛みがひどくて」→
「市内の歩道も傷みがひどくて」。岩波文庫が誤植をやらかしたら、どこの
出版社も誤植OKになるような気がする。ダメだよ。





液体になるまえに、こたつに入った。キング・クリムゾン。ミカンになって、
ハーゲンダッツ食べたい。お釣りは治療室。たまには、生きているのかも。
小さくて固い。突き刺さる便器。底まで。魚の肌。フォトギャラリー。





見る泡。聴く泡。泡の側から世界を見る。泡の側から世界を聴く。パチンッ
とはじけて消えてしまうまでの短い時間に、泡の表面に世界が映っている。
泡が消えてしまうと、その映像も消えてしまう。人間といっしょかな。思い
出の映像も音も、頭のなかだけのものもみな消えてしまう。





ピアノの鍵盤の数が限られているのと似ていますね。それでも、無限に異な
る曲、新しい発想の曲がつくられていくように、でしょうか。 @trazomper
che 言葉とはすでに誰かが過去につぶやいたことのバリエーションなわけで





無限は、有限からつくられていると、だれかの言葉にあったような気がしま
す。ちょっと違うかな。でも、そうだよね。@trazomperche 鍵盤、おっしゃ
るとおり!





アナーキストという映画で、いちばんこころに残ったのは、キム・イングォ
ンのキスシーンだった。韓国人のキム・イングォン青年と、中国人娘とのキ
スシーンだった。キム・イングォンが10代後半の青年の役だったのかな。
娘もまだ十代の設定だったと思う。ぼくは、そのキスシーン





を見て、キム・イングォンに口づけされたら、どんな感じかなと思った。ぼ
くの唇が中国人娘の唇だったらと思ったけれど、もしも、ぼくの唇がキム・
イングォンの唇だったら、ぼくとキスしたら、どんな感じなのかなとも思っ
た。ぼくは、キム・イングォンの唇になりたいとも思ったし、





キム・イングォンに口づけされる唇にもなりたいとも思った。また、口づけ
そのものにもなりたいとも思ったのだけれど、口づけそのものって、なんだ
ろうとも思った。唇ではなくて、口づけというもの。一つの唇では現出しな
い現象である。二つの唇が存在して、なおかつその





二つの唇が反応して現出させるもの。口づけ。これを、ぼくは、詩になぞら
えて考えてみることにした。作品を読んで読み手のイマージュとなるもの、
それは、あらかじめ書いた者のこころのなかにはなかったものであろうし、
また読んだ者のこころのなかにもなかったものであろうけれども、





読み手が書かれたものを読んだ瞬間に、書き手のこころと交感して、読み手
のイマージュとして読み手のこころのなかに現出させたものなのであろうか
ら、書く行為と読む行為を、唇を寄せることにたとえるならば、詩を読むこ
と自体を、口づけにたとえて、





その口づけを、祝福と、ぼくは呼ぶことにする。ぼくの翻訳行為も、原作者
の唇と、翻訳者のぼくの唇との接吻だと思う。そして、その翻訳された英詩
を見てくれる人もまた、一つの祝福なのである。祈りに近いというか、祈る
気持ちで、ぼくは、英詩を翻訳している。祝福されるべきもの、接吻として。





出来の悪い頭はすぐに「つなげてしまう」。





人生がヘタすぎて、うまくいかないのがふつうになっている。ただコツコツ
と読書して、考えて、メモして、詩を書いて、ということの繰り返し。毎年、
100万円くらい使って、詩集をつくって、送付して、読んでください、と
言ってお願いをする。バカそのものだ。





日知庵からの帰り道、阪急電車に乗っていて、友だちから聞いた話を思い出
していたら、西大路通りを歩いていて、涙、どぼどぼ目から落として、ふと、
うえを向いて月をさがしたら、月がなかった。5日ばかりまえに亡くなった
一人のゲイの男と、その妹さんの話。ぼくは語りがヘタだから、その妹さん





がミクシィに書き込まれたというメッセージを、おぼえているかぎり忠実に
再現する。「兄と仲良くしてくださっておられた方たちに、お知らせいたし
ます。兄は、五日前に交通事故で亡くなりました。お酒に酔っていましたが、
横断歩道を歩行中に車に轢かれてしまいました。





兄が亡くなって、兄がしていたミクシィを見ておりましたら、兄がゲイであ
ったことを知りました。両親には、兄がゲイであったことは知らせませんが、
どうか、妹であるわたしには、兄のことを教えてください。」だったと思う。
人間の物語。人間というものの物語。ぼくが書いた





詩なんて、彼女が人間であることや、人間というものが、どういったもので
あるのかを教えてくれた彼女の言葉に比べたら、この世界になくってもいい
ものなんだなって思った。親でも、兄弟でも、恋人でも、ひとを愛するとい
うことがどういうことか教えてくれたような気がした。





ぼくと、その話をしてくれた友だちの会話。「これ、ぼくの友だちの友だち
の話なんやけど、その友だち、落ち込んでて、元気ないんや。」「そのうち、
元気になると思うけど、ショックやったやろな。」「言葉もかけられへん。」
「時間がたったら、そのうち落ち着くやろ。」





「その友だちに、そいつ、どこ行ったんやろうなってきいてきたやつがおったん
やって。」「そら、天国に決まってるやん。」「そやろ、なんで、そんなんきく
んやろ。」「それはわからんけど、死んだら、みんな天国に行くんちゃうかなあ。」
これは、ぼくの信じていること。





ぼくの信じていること。





ひさしぶりに、涙、ぼとぼと落とした。


FEEL LIKE MAKIN’ LOVE。

  田中宏輔



●コップに入れた吉田くんを●空気が乾燥した日に●風通しのよい部屋に二日のあいだ放置しておくと●蒸発して半分になっていた●これは●吉田くんが●常温でも空気中に蒸発する性質があるからである●コップを冷やすと●空気中の吉田くんたちが●コップの外側に凝集する●ビーカーに入れて熱すると●水に溶けていた吉田くんが小さな泡となって出てくる●水を沸騰させると●吉田くんたちが激しく出てくる●常温では液体の吉田くんは●−60℃で固体の吉田くんとなり●120℃で気体の吉田くんとなる●暑い日に●地面に吉田くんをまくと●吉田くんが蒸発して涼しくなる●これを打ち吉田くんという●運動すると体温が上がり●皮膚から吉田くんが噴き出てきて体温が下がる●激しく運動すると●皮膚から吉田くんたちがたくさん噴き出てくる●日知庵で飲んでいると●手元近くにあった●おしぼり置きの横を●吉田くんが走る姿が目に入った●ぼくは●おしぼりをそっと持ち上げて●思い切り振り下ろした●カウンターにぎゅっと押し付けたあと●おしぼりを開くと●手足がバラバラになって顔と身体もつぶれた吉田くんがいた●吉田くんが仕事中に脱皮して●部長にひどく叱られた●吉田くんと竹内くんを比べると●吉田くんより竹内くんの方が温まりやすい●したがって●夜になって涼しくなると●竹内くんが吉田くんのところにやってくる●これが●竹内くんが吉田くんのところに夜になるとやってくる理由である●生きている吉田くんを投げて●上向きに倒れるか●うつ伏せに倒れるか●その確率は2分の1ずつである●いま●吉田くんを5回投げるとき●吉田くんが3回うつ伏せに倒れる確率を求めなさい●ただし●打ち所が悪くて●途中で吉田くんが死ぬ場合は考えない●数学の時間にふと窓の外を見ると●吉田くんたちの群れが移動しているところだった●同じ大きさで同じ服装をした同じ顔の吉田くんたちが手をつなぎながら歩いていた●吉田くんたちの群れは無限につづいているように見えた●窓に垂直に差し込んでくる太陽光線が目にまぶしかった●吉田くんは身長173センチ●体重81キロの中学3年生の男子である●いま●横15メートル●縦30メートル●深さ2メートルのプールに●吉田くんをぎっしり詰めるとしたら●いったい何人の吉田くんを詰めることができるか●計算して求めよ●ただし●小数第二位以下を切り捨てよ●吉田くんを買う●吉田くんを捨てる●吉田くんを考える●吉田くんで考える●吉田くんを整える●吉田くんをつくる●吉田くんを壊す●吉田くんを拾う●吉田くんを2倍に引き延ばす●吉田くんを5等分する●知ってる吉田くんを想像する●知らない吉田くんを想像する●吉田くんを取り除く●吉田くんを洗う●吉田くんを加熱する●竹内さんが●きのう学校の帰りに●吉田くんを埋めたと言う●あそこを掘ったら●吉田くんがいるわよ●じゃあ●いま教室にいる吉田くんはニセモノなのかい●竹内さんは自分の顔をわたしの顔に近づけて言った●ホンモノでもニセモノでもいいのよ●毎日●埋めてやってるのよ●吉田くんが生まれた瞬間から●吉田くんが71歳の誕生日に病院で息を引き取るまで撮影した録画がある●その録画を連続再生しているときに●ランダムに静止させるとすると●吉田くんが小学校六年生の6月3日に●学校の帰り道で●うんこを垂れた場面が●画面に映る確率を求めよ●吉田くんは手のひらの幅が8センチ●足の大きさが27センチの中学3年生の男子である●いま●横15メートル●縦30メートル●深さ2メートルのプールに吉田くんの手足をぎっしり詰めるとしたら●いったい何人分の吉田くんの手足を詰めることができるか●計算して求めよ●小数第二位以下を切り捨てよ●吉田くんと竹内くんとでは●どちらがはやく蒸発しますか●口をあけている吉田くんと●口をあけていない吉田くんとでは●どちらの方がはやく蒸発しますか●空気中の吉田くんが集まって上昇して塊となったものを何と呼びますか●地面近くの吉田くんが冷やされて固まったものが竹内くんです●地面近くの空気が冷やされて塊となって空中に浮いたものが吉田くんです●一人の吉田くんのあいだに吉田くんを入れることできないが●二人の吉田くんのあいだに一人の吉田くんを入れると三人の吉田くんになる●三人の吉田くんのあいだに二人の吉田くんを入れると五人の吉田くんになる●五人の吉田くんのあいだに四人の吉田くんを入れると九人の吉田くんになる●111110人の吉田くんになるのは●何人の吉田くんのあいだに何人の吉田くんを入れたときか求めよ●吉田くんはつぎの日に竹内くんと山田くんになる確率が●それぞれ2分の1です●竹内くんになった吉田くんは●竹内くんのままでは山田くんになれませんが●吉田くんに戻ると山田くんになれます●吉田くんから竹内くんになった吉田くんが吉田くんに戻る確率と竹内くんのままでいる確率は●それぞれ2分の1ずつです●ところで●いったん吉田くんが山田くんになった吉田くんが●吉田くんに戻る確率と竹内くんになる確率と山田くんのままでいる確率は●それぞれ3分の1ずつです●いま●吉田くんである吉田くんが●10日後に佐藤くんである確率を求めなさい●初夏になると●吉田くんは●気温が高まった昼ごろに開きますが●気温が低くなる夕方になると閉じてしまいます●初夏になると●吉田くんは一本の蔓の手でほかの木に巻きついてずんずん背を伸ばしていきます●夏の終わりごろになると●らせん状になった吉田くんが●スプリングのようにピョンピョン道を跳ねていく姿が見られます●吉田くんは、子どものときは竹内くんを食べますが●成人すると山田くんを食べます●吉田くんは全体としては吉田くんなのだけれど●部分的には竹内くんであったり山田くんであったりする●吉田くんは部分的には鉄であったり水であったり空気であったりするのだけれど●ときには全体が鉄になったり水になったり空気になったりもする●吉田くんを50センチメートル以上150センチメートル以下の距離から見ると竹内くんに見えますが●50センチメートル以内で見ると山田くんに見えます●150センチメートルを超える距離から吉田くんを見ると吉田くんの姿は見えません●吉田くんは5回脱皮して竹内くんに変わり●その後●さなぎを破って出てくると●山田くんになります●吉田くんに竹内くん注射をすると●その竹内くんの半分が吉田くんになりますが●残りの半分の量の竹内くんは竹内くんのままです●いま純粋な吉田くんに3パーセントの竹内くん注射をするとき●50パーセント以上竹内くんになるには●何回●竹内くん注射をしなければなりませんか●1秒間に1人の吉田くんを吸い込むことのできる掃除機がある●いま天井に1000人以上の吉田くんがぎっしり詰まっている●すべての吉田くんを掃除機が吸い込んでしまうまでに何秒かかるか計算せよ●ただし●掃除機の性能は1秒ごとに2パーセントずつ劣化するものとする●いま吉田くん濃度が10パーセントの女の子たち35人と●吉田くん濃度が25パーセントの男の子が20人います●全員を合わせて一人の吉田くんにすると●吉田くんの男の子濃度は何パーセントですか●計算して求めなさい●夏になると●よく吉田くんたちにたかっている竹内くんたちの姿を目にします●竹内くんたちは●道に落ちてる干からびかけた吉田くんたちや●木にぶら下がって腐りかけた吉田くんたちにむらがっています●竹内くんって呼ぶと●いっせいに竹内くんたちが驚いて飛んでいきます●吉田くんの影には空気が入っていて●踏むと胸がきゅんとなる●吉田くんの空気には題名があって●その題名を指でなぞると●ペケ●ペケペケペケ●どんな形の吉田くんも吉田くんである●ひし形の吉田くんも吉田くんである●円柱の吉田くんも吉田くんである●正十二面体の一つの面の吉田くんも吉田くんである●正四面体の頂点の一つの吉田くんも吉田くんである●進化途中の吉田くん●まだ両生類なんや●ぎゃははは●それ●おもろいわ●吉田くんを竹内くんに翻訳して●その竹内くんの翻訳を山田くんに翻訳すると●吉田くんになってるのって●どうよ●目がすわってる●すわってないし●まっすぐ帰ったやろか●そんなわけないやん●やっぱり●行くんちゃうの●行ってるな●ぼったくられるんちゃう●知らんわ●ううん●両生類の吉田くんが気になる●なんで●吉田くんなん●おれの名前にしてや●あかん●ぼくの同級生や●もうなんべんも死んでるけど●ぼくの詩に出てくる常連さんや●ピンク●ドイツ語のアルファベット●ぼくはゲーやな●エフのつぎ●ハーのまえや●いっひりーべでぃっひやな●なんじゃ●そりゃ●好きっちゅうことや●吉田くんカメラ●だれを撮っても吉田くんしか写らないカメラ●吉田くん絵具●なにをどう書いても吉田くんになってしまう絵具●吉田くん書店●吉田くんについて書かれた本しか売っていない書店●吉田くん消しゴム●ノートに書かれた吉田くんだけが消える消しゴム●ほかの字や絵は●いっさい消えない●夏前に畑に植えた吉田くんは秋口にもなると十分に育っているので収穫する頃合いだった●畑に出て●畑に突っ立ている吉田くんたちを大鎌でつぎつぎと刈って言った●突然の吉田くんたちだった●吉田くんたちがフロントガラスにへばりつく●目を見開いて●フロントガラスいっぱいにへばりつく吉田くんたち●ワイパーのスイッチを入れると●ワイパーの腕が吉田くんたちを●つぎつぎとはたき落としていった●大漁だった●網にかかったたくさんの吉田くんたち●吉田くんたちの群れがここらへんにいると言ってたキャプテンの感はあたっていた●チューイング吉田くん●吉田くんをくちゃくちゃ噛む●吉田くんは起きると●鳴っている目覚まし時計に手を伸ばした●腕がはずれた●肩につけ直すと仕事に出た●外に出ると●たくさんの腕や足が道に転がったままだった●みんな●くっつけ直す時間がなかったのだろう●地下鉄では●いくつもの手が吊革にぶら下がっていた●吉田くんの顔の上流では赤い色が硬い●黄緑色の虐殺●水に溶けない吉田くん●治癒のチュッ●薔薇の木の滑り台●言葉の強度の実験●白い赤●白くて黄色い赤●白くて黄色くて青い赤●白くて黄色くて青くて緑色の赤●硬くてやわらかい●やわらかくて硬い●硬くてやわらかくて硬い●チュ●平行で垂直な吉田くん●電車に乗ると●席があいてたので●吉田くんの膝のうえに腰かけた●吉田くんの膝は●いつものように●やわらかくてあたたかかった●電車がとまった●親子連れが乗り込んできた●小さな男の子が吉田くんの手をにぎった●このあたりの地層では●吉田くんがいちばんよい状態で発見されます●あ●そこ●褶曲しているところ●そこです●ちょうど●何人もの吉田くんが腕を曲げて●いい状態ですね●では●もうすこし移動してみましょう●そこにも吉田くんがいっぱい発見できると思いますよ●玄関で靴を履きかけていたわたしに妻が声をかけた●あなた●忘れ物よ●妻の手には●きれいに折りたたまれた吉田くんがいた●わたしは●吉田くんを鞄のなかにいれて家を出た●歩き出すと●吉田くんが鞄から頭を出そうとしたので●ぎゅっと奥に押し込んだ●きみ●どこの吉田くんなの●また●いやなこと訊かれちまったな●ぼく●吉田くん持ってないんだ●えっ●いまどき●吉田くん持ってないヤツなんているのか●あーあ●ぼくにも吉田くんがいたらなあ●いつでも吉田くんできるのに●はじめの吉田くんが頬に落ちると●つぎつぎと吉田くんが空から落ちてきた●手で吉田くんをはらうと●ビルの入口に走り込んだ●地面のうえに落ちるまえに車にはねられたり●屋根のうえで身体をバウンドさせたりする吉田くんもいる●はやく落ちるのやめてほしいなあ●ゲーゲー●吉田くんが吐き出した●食べ過ぎだよ●吉田くんが吐き出した消化途中の佐藤くんや山田さんの身体が●床のうえにべちゃっとへばりついた●吉田くんを加熱すると膨張します●強く加熱すると炭になり●はげしく加熱すると灰になります●蒸発皿のうえで1週間くらい置いておくと●蒸発していなくなります●吉田くんは細胞分裂で増えます●うえのほうの吉田くんほど新しいので●すこし触れるだけで●ぺらぺら吉田くんがはがれます●粘り気はありません●あちちっ●吉田くんを中心に太陽が回っています●あちちっ●吉田くんは真っ黒焦げです●さいしょの吉田くんが到着してしばらくすると●つぎの吉田くんが到着した●そうして●つぎつぎと大勢の吉田くんが到着した●いまから相が不安定になる●時間だ●たくさんの吉田くんがぐにゃんぐにゃんになって流れはじめた●この竹輪は●無数の吉田くんのひとりである●空気●温度●水のうち●ひとつでも条件が合わなければ●この竹輪は吉田くんには戻れない●まあ●戻れなくてもいいんだけどね●二酸化吉田くん●水につけて戻した吉田くんを●こちらに連れてきてください●ずるずると●吉田くんが引きずられてきた●ぼくは●どこにもできない●本調子ではない吉田くんの手がふるえている●ぼくは●どこにもできない●絵画的な偶然だ●絵画的な偶然が打ち寄せてきた●きょうのように寒い夜は●吉田くんが結露する●はい●と言うと●吉田くんが●吉田くん1と吉田くん2に分かれる●吉田くんは●ふつうは水に溶けない●はげしく撹拌すると●一部が水に溶ける●吉田くんを直列つなぎにするときと●並列つなぎにするときでは●吉田くんの体温が異なる●理想吉田くん●吉田くんの瞳がキラキラ輝いていた●貼りつけられた選挙ポスターは●やましさにあふれていた●精子状態の吉田くん●吉田くんを●そっとしずかに世界のうえに置く●タイムサービス●いまから30分間だけ●3割引きの吉田くん●丸くなった吉田くんを●削り器でガリガリガリガリッ●ほら●出して●注意された生徒が●手渡された紙っきれのうえに●吉田くんを吐き出した●もう何度も授業中に吉田くんを噛んじゃいけないって言ってるでしょ●端っこの席の生徒が●手のなかの吉田くんを机のなかに隠した●重くなる●吉田くんの足が床にめりこんだ●もっと重くなる●吉田くんがひざまずいた●もっと●もっと重くなる●吉田くんの身体が床のうえにへばりついた●もっと●もっと●もっと重くなる●吉田くんの身体が床のうえにべちゃっとつぶれた●さまざまなこと思い出す吉田くん●さまざまな吉田くんが思い出すさまざまなことを思い出す吉田くん●あしたから緑の吉田くん●右●左●斜め●横●縦●横●横●きのうまでオレンジ色の吉田くん●右●左●斜め●横●縦●横●横●吉田くんの秘密●秘密の吉田くん●ソバージュ状態の吉田くん●焼きソバ状態の吉田くん●さいしょに吉田くんが送られてきたときに●変だなとは思わなかったのですか●ええ●べつに変だとは思いませんでした●机のうえに重ねられた何人もの吉田くんを見て●刑事がため息をついた●いててっ●足の裏に突き刺さった吉田くん●春になると●吉田くんがとれる●とれたての吉田くんをラップしてチンして温める●散らかした吉田くんを片づける●窓枠のさんにくっついた吉田くんを拭き取る●テレビを見ながら晩ご飯を食べていた吉田くんは●突然●お箸を置いて●テーブルの縁をつかむと●ぶるぶるとふた震えしたあと●動かなくなった●見ていると●身体の表面全体が透明なプラスチックに包まれたような感じになった●しばらくすると●吉田くんは脱皮しはじめた●ことしも吉田くんは●ぼくの家にきて●卵を産みつけて帰って行った●吉田くんは●ぼくの部屋で●テーブルの上にのってズボンとパンツをおろすと●しゃがんで●卵を1個1個●ゆっくりと産み落としていった●テーブルの上に落ちた卵は●例年どおり●ことごとく吉田くんに育った●背の高い吉田くんと●背の高い吉田くんを交配させて●よりいっそう背の高い吉田くんをつくりだしていった●体重の軽い吉田くんと体重の軽い吉田くんを交配させていったら●しまいに体重がゼロの吉田くんができちゃった●きょう●学校から帰ると●吉田くんが玄関のところで倒れてぐったりしていた●玄関を出たところにあった吉田くんの巣を見上げた●きっと●巣からあやまって落ちたんだな●そう思って●吉田くんを抱え上げて●巣に戻してあげた●きょう●学校からの帰り道●坂の途中の竹藪のほうから悲鳴が聞こえたので●足をとめて●竹藪のほうに近づいて見てみたら●吉田くんが足をバタバタさせて●一匹の蛇に飲み込まれていくところだった●吉田くんの調理方法●吉田くんは筋肉質なので●といっても適度に脂肪はついてて●おいしくいただけるのですけれども●さらに肉を軟らかくするために●調理の前に●肉がやわらかくなるまで十分●木づちで叩いておきましょう●27人の吉田くんと54人の田中君と108人の森田さんがいます●吉田くんの濃度を求めなさい●吉田くん界●吉田くんがはたらく場●空間のこと●吉田くんの予知した出来事が一定の確率のもとで現実になる空間●吉田くんの密度が高いと●その値が上昇する●永久吉田くん●霊的状態が高いときにだけ吉田くんになる霊的吉田くんと違って●いついかなるときにでも●吉田くんのままである●ふつう●吉田くんでない者が吉田くんになるには●霊的状態が吉田くんである必要がある●特殊的吉田くんと●一般的吉田くんがいる●どちらも気むずかしいが●どちらかといえば●特殊的吉田くんのほうが理解しやすく●扱いやすい●ただし●時間と場合と出来事による●吉田くんに山田くんをくっつけようとすると●吸いつくようにくっつこうとするが●吉田くんに西村さんをくっつけようとすると●反発するように斥け合おうとする●中村くんに吉田くんをこすりつづけると●やがて中村くんも吉田くんになる●吉田くんをこすりつづけると●煙が出てきて●ぽっと火がついて●脱糞する●吉田くんのおもしろみが濃くなると●吉田くんの顔が笑いながら増えていく●吉田くんのおもしろみが薄くなると●吉田くんの顔がしょぼくれながら減っていく●壁一面の吉田くん●空一面の吉田くん●地面一面の吉田くん●コップ一個の吉田くん●丼一杯の吉田くん●サラダボール一杯の吉田くん●一枚の吉田くん●一刷毛の吉田くん●一粒の吉田くん●一振りの吉田くん●一滴の吉田くん●一個半の吉田くん●一羽の吉田くん●一本の吉田くん●一束の吉田くん●一抹の吉田くん●一様の吉田くん●一々の吉田くん●吉田くん●って呼んだら●仔犬のように走ってきて●両手をすこし開いて受けたら皮がジュルンッて剥けて●カパッて口をあけたら●吉田くんが口いっぱいに入ってきて●めっちゃ●おいしかったわ●吉田くんの刑罰史●という本を読んだ●おおむかしから●人間は吉田くんにひどいことをしてきたんやなって思った●生きたまま皮を剥いたり●刃物で切り刻んだり●火あぶりにしたり●シロップにつけて窒息させたり●ふううん●本を置いて●スーパーで買ってきた吉田くんに手を伸ばした●ここには狂った吉田くんがいるのです●医師がそう言って●机のうえのフルーツ籠のなかを指差した●腕を組んで●なにやらむつかしそうな顔をした●哲学を勉強してる大学院生の友だちが●ぼくに言った●吉田くんだけが吉田くんやあらへんで●ぼくも友だちの真似をして●腕を組んで言うたった●そやな●吉田くんだけが吉田くんやあらへんな●ぼくらは●長いこと●にらめっこしてた●夏休みの宿題に●吉田くんの解剖をした●吉田くんって言うたら●あかんで●恋人が●ぼくの耳元でささやいた●わかってるっちゅうねん●吉田くんって言うたらあかんで●恋人の耳元で●ぼくはささやいた●わかってるっちゅうねん●吉田くんって言うたら●あかんで●そう耳元でささやき合って興奮するふたりであった●あんた●あっちの吉田くん●こっちの吉田くんと●つぎつぎ手を出すのは勝手やけど●わたしら家族に迷惑だけはかけんといてな●そう言って妻は二回に上がって行った●なんでバレたんやろ●わいには●さっぱりわからんわ●お父さん●あなたの吉田くんを●ぼくにください●ぼくはそう言って●畳に額をこすりつけんばかりに頭を下げた●いや●うちの吉田くんは●あんたには上げられへん●加藤茶みたいなおもろい顔した親父がテーブルの上に胡坐をかいて坐っている吉田くんを自分のほうに引き寄せた●わだば吉田くんになる●っちゅうて●吉田くんになった吉田くんがいた●さいしょに吉田くんがいた●吉田くんは吉田くんであった●吉田くんの父は吉田くんであった●吉田くんの父の吉田くんの父も吉田くんであった●吉田くんの父の吉田くんの父の吉田くんも吉田くんであった●吉田くんの父の吉田くんの父の吉田くんの父の吉田くんも吉田くんであった●すべての吉田くんの父は吉田くんであった●違う吉田くん●同じ吉田くん●違う吉田くんのなかにも同じ吉田くんの部分があって●同じ吉田くんのなかにも違う部分がある●違う吉田くん●同じ吉田くん●同じ吉田くんの違う吉田くん●違う吉田くんの同じ吉田くん●違う吉田くんの同じ吉田くんの違う吉田くん●同じ吉田くんの違う吉田くんの同じ吉田くん●違う吉田くんの同じ吉田くんの違う吉田くんの同じ吉田くんは●同じ吉田くんの違う吉田くんの同じ吉田くんの違う吉田くんと違う吉田くんか●いまだに●ぼくは吉田くんが横にいないと眠れないのです●吉田くんの見える場所で●もし●突然●窓をあけて●吉田くんが入ってきたら●昼の吉田くんは●ぼくの吉田くん●夜の吉田くんも●ぼくの吉田くん●吉田くんの味のきゅうり●きゅうりの味の吉田くん●蛇は吉田くんのように地面をニョロニョロ這いすすむ●つぎの方程式を解け●(2×吉田くん−山田くん)(吉田くん+山田くん)=0●吉田くんは底面の半径がひとりの竹内くんで●高さがふたりの竹内くんである●山田くんは●半径がひとりの竹内くんである●吉田くんの体積および表面積は●山田くんの体積および表面積の何倍あるか計算せよ●教室に900人の吉田くんがいる●つねに一秒ごとに10人の吉田くんが出現するのだが●10分後に●1秒間に15人ずつ吉田くんが消滅するとき●さいしょの900人の吉田くんが全員消滅するのは●さいしょの時間から何秒後か計算せよ●吉田くん=山田くん+竹内くんであり●かつ●2人の吉田くん+3人の山田くん=7人の竹内くんであるとき●吉田くんと●山田くんは●それぞれ何人の竹内くんか求めなさい●吉田くん=山田くん×山田くん−4人の山田くん+3人の竹内くんであるとき●横軸に山田くん●縦軸に吉田くんをとって●山田くん吉田くん平面に●ふたりの関係をグラフにして示しなさい●尾も白い犬●地名℃●翼と糞が似ていることにはじめて気がついたー●ワッチョーネーム●マッチョよねー●マッチよねー●ズルむけ赤チンコ!


LIVING IN THE MATERIAL WORLD。

  田中宏輔




ぽつぽつ、と、深淵が降ってきた。と思う間もなく、深淵が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの深淵のなか、道に溜まった深淵を一つまたいだ。街中が深淵に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる深淵。道を埋め尽くす深淵。街
中、深淵に満ちて。





ぽつぽつ、と、将棋盤が降ってきた。と思う間もなく、将棋盤が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの将棋盤のなか、道に溜まった将棋盤を一つまたいだ。街中が将棋盤に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる将棋盤。道を埋め尽
くす将棋盤。街中、将棋盤に満ちて。





ぽつぽつ、と、神さまが降ってきた。と思う間もなく、神さまが激しく降り出した。
じゃじゃ降りの神さまのなか、道に溜まった神さまを一つまたいだ。街中が神さまに
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる神さま。道を埋め尽
くす神さま。街中、神さまに満ちて。





ぽつぽつ、と、緑が降ってきた。と思う間もなく、緑が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの緑のなか、道に溜まった緑を一つまたいだ。街中が緑に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる緑。道を埋め尽くす緑。街中、緑に満ちて。





ぽつぽつ、と、槍が降ってきた。と思う間もなく、槍が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの槍のなか、道に溜まった槍を一つまたいだ。街中が槍に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる槍。道を埋め尽くす槍。街中、槍に満ちて。





ぽつぽつ、と、片隅が降ってきた。と思う間もなく、片隅が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの片隅のなか、道に溜まった片隅を一つまたいだ。街中が片隅に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる片隅。道を埋め尽くす片隅。街
中、片隅に満ちて。





ぽつぽつ、と、安全が降ってきた。と思う間もなく、安全が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの安全のなか、道に溜まった安全を一つまたいだ。街中が安全に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる安全。道を埋め尽くす安全。街
中、安全に満ちて。





ぽつぽつ、と、頭上が降ってきた。と思う間もなく、頭上が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの頭上のなか、道に溜まった頭上を一つまたいだ。街中が頭上に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる頭上。道を埋め尽くす頭上。街
中、頭上に満ちて。





ぽつぽつ、と、請求書が降ってきた。と思う間もなく、請求書が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの請求書のなか、道に溜まった請求書を一つまたいだ。街中が請求書に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる請求書。道を埋め尽
くす請求書。街中、請求書に満ちて。





ぽつぽつ、と、カルデラ湖が降ってきた。と思う間もなく、カルデラ湖が激しく降り
出した。じゃじゃ降りのカルデラ湖のなか、道に溜まったカルデラ湖を一つまたいだ。
街中がカルデラ湖に濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる
カルデラ湖。道を埋め尽くすカルデラ湖。街中、カルデラ湖に満ちて。





ぽつぽつ、と、しっぽが降ってきた。と思う間もなく、しっぽが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのしっぽのなか、道に溜まったしっぽを一つまたいだ。街中がしっぽに
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるしっぽ。道を埋め尽
くすしっぽ。街中、しっぽに満ちて。





ぽつぽつ、と、しかしが降ってきた。と思う間もなく、しかしが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのしかしのなか、道に溜まったしかしを一つまたいだ。街中がしかしに
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるしかし。道を埋め尽
くすしかし。街中、しかしに満ちて。





ぽつぽつ、と、でもが降ってきた。と思う間もなく、でもが激しく降り出した。じゃ
じゃ降りのでものなか、道に溜まったでもを一つまたいだ。街中がでもに濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるでも。道を埋め尽くすでも。街
中、でもに満ちて。





ぽつぽつ、と、またが降ってきた。と思う間もなく、またが激しく降り出した。じゃ
じゃ降りのまたのなか、道に溜まったまたを一つまたいだ。街中がまたに濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるまた。道を埋め尽くすまた。街
中、またに満ちて。





ぽつぽつ、と、ええっが降ってきた。と思う間もなく、ええっが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのええっのなか、道に溜まったええっを一つまたいだ。街中がええっに
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるええっ。道を埋め尽
くすええっ。街中、ええっに満ちて。





ぽつぽつ、と、ティッシュが降ってきた。と思う間もなく、ティッシュが激しく降り
出した。じゃじゃ降りのティッシュのなか、道に溜まったティッシュを一つまたいだ。
街中がティッシュに濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる
ティッシュ。道を埋め尽くすティッシュ。街中、ティッシュに満ちて。





ぽつぽつ、と、それが降ってきた。と思う間もなく、それが激しく降り出した。じゃ
じゃ降りのそれのなか、道に溜まったそれを一つまたいだ。街中がそれに濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるそれ。道を埋め尽くすそれ。街
中、それに満ちて。





ぽつぽつ、と、蜜蜂が降ってきた。と思う間もなく、蜜蜂が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの蜜蜂のなか、道に溜まった蜜蜂を一つまたいだ。街中が蜜蜂に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる蜜蜂。道を埋め尽くす蜜蜂。街
中、蜜蜂に満ちて。





ぽつぽつ、と、蜂蜜が降ってきた。と思う間もなく、蜂蜜が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの蜂蜜のなか、道に溜まった蜂蜜を一つまたいだ。街中が蜂蜜に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる蜂蜜。道を埋め尽くす蜂蜜。街
中、蜂蜜に満ちて。





ぽつぽつ、と、悟りが降ってきた。と思う間もなく、悟りが激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの悟りのなか、道に溜まった悟りを一つまたいだ。街中が悟りに濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる悟り。道を埋め尽くす悟り。街
中、悟りに満ちて。





ぽつぽつ、と、スズメが降ってきた。と思う間もなく、スズメが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのスズメのなか、道に溜まったスズメを一つまたいだ。街中がスズメに
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるスズメ。道を埋め尽
くすスズメ。街中、スズメに満ちて。





ぽつぽつ、と、注射器が降ってきた。と思う間もなく、注射器が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの注射器のなか、道に溜まった注射器を一つまたいだ。街中が注射器に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる注射器。道を埋め尽
くす注射器。街中、注射器に満ちて。





ぽつぽつ、と、鶏の卵が降ってきた。と思う間もなく、鶏の卵が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの鶏の卵のなか、道に溜まった鶏の卵を一つまたいだ。街中が鶏の卵に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる鶏の卵。道を埋め尽
くす鶏の卵。街中、鶏の卵に満ちて。





ぽつぽつ、と、コップが降ってきた。と思う間もなく、コップが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのコップのなか、道に溜まったコップを一つまたいだ。街中がコップに
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるコップ。道を埋め尽
くすコップ。街中、コップに満ちて。





ぽつぽつ、と、飛行船が降ってきた。と思う間もなく、飛行船が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの飛行船のなか、道に溜まった飛行船を一つまたいだ。街中が飛行船に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる飛行船。道を埋め尽
くす飛行船。街中、飛行船に満ちて。





ぽつぽつ、と、乗客が降ってきた。と思う間もなく、乗客が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの乗客のなか、道に溜まった乗客を一つまたいだ。街中が乗客に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる乗客。道を埋め尽くす乗客。街
中、乗客に満ちて。





ぽつぽつ、と、一日が降ってきた。と思う間もなく、一日が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの一日のなか、道に溜まった一日を一つまたいだ。街中が一日に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる一日。道を埋め尽くす一日。街
中、一日に満ちて。





ぽつぽつ、と、鮎が降ってきた。と思う間もなく、鮎が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの鮎のなか、道に溜まった鮎を一つまたいだ。街中が鮎に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる鮎。道を埋め尽くす鮎。街中、鮎に満ちて。





ぽつぽつ、と、鉄板が降ってきた。と思う間もなく、鉄板が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの鉄板のなか、道に溜まった鉄板を一つまたいだ。街中が鉄板に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる鉄板。道を埋め尽くす鉄板。街
中、鉄板に満ちて。





ぽつぽつ、と、鰻丼が降ってきた。と思う間もなく、鰻丼が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの鰻丼のなか、道に溜まった鰻丼を一つまたいだ。街中が鰻丼に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる鰻丼。道を埋め尽くす鰻丼。街
中、鰻丼に満ちて。





ぽつぽつ、と、光が降ってきた。と思う間もなく、光が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの光のなか、道に溜まった光を一つまたいだ。街中が光に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる光。道を埋め尽くす光。街中、光に満ちて。





ぽつぽつ、と、影が降ってきた。と思う間もなく、影が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの影のなか、道に溜まった影を一つまたいだ。街中が影に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる影。道を埋め尽くす影。街中、影に満ちて。





ぽつぽつ、と、牛が降ってきた。と思う間もなく、牛が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの牛のなか、道に溜まった牛を一つまたいだ。街中が牛に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる牛。道を埋め尽くす牛。街中、牛に満ちて。





ぽつぽつ、と、国文学者が降ってきた。と思う間もなく、国文学者が激しく降り出し
た。じゃじゃ降りの国文学者のなか、道に溜まった国文学者を一つまたいだ。街中が
国文学者に濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる国文学者。
道を埋め尽くす国文学者。街中、国文学者に満ちて。





ぽつぽつ、と、傷痕が降ってきた。と思う間もなく、傷痕が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの傷痕のなか、道に溜まった傷痕を一つまたいだ。街中が傷痕に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる傷痕。道を埋め尽くす傷痕。街
中、傷痕に満ちて。





ぽつぽつ、と、老人が降ってきた。と思う間もなく、老人が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの老人のなか、道に溜まった老人を一つまたいだ。街中が老人に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる老人。道を埋め尽くす老人。街
中、老人に満ちて。





ぽつぽつ、と、蒙古斑が降ってきた。と思う間もなく、蒙古斑が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの蒙古斑のなか、道に溜まった蒙古斑を一つまたいだ。街中が蒙古斑に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる蒙古斑。道を埋め尽
くす蒙古斑。街中、蒙古斑に満ちて。





ぽつぽつ、と、両親が降ってきた。と思う間もなく、両親が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの両親のなか、道に溜まった両親を一つまたいだ。街中が両親に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる両親。道を埋め尽くす両親。街
中、両親に満ちて。





ぽつぽつ、と、良心が降ってきた。と思う間もなく、良心が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの良心のなか、道に溜まった良心を一つまたいだ。街中が良心に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる良心。道を埋め尽くす良心。街
中、良心に満ちて。





ぽつぽつ、と、確実が降ってきた。と思う間もなく、確実が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの確実のなか、道に溜まった確実を一つまたいだ。街中が確実に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる確実。道を埋め尽くす確実。街
中、確実に満ちて。





ぽつぽつ、と、読者が降ってきた。と思う間もなく、読者が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの読者のなか、道に溜まった読者を一つまたいだ。街中が読者に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる読者。道を埋め尽くす読者。街
中、読者に満ちて。





ぽつぽつ、と、海鼠が降ってきた。と思う間もなく、海鼠が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの海鼠のなか、道に溜まった海鼠を一つまたいだ。街中が海鼠に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる海鼠。道を埋め尽くす海鼠。街
中、海鼠に満ちて。





ぽつぽつ、と、金色が降ってきた。と思う間もなく、金色が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの金色のなか、道に溜まった金色を一つまたいだ。街中が金色に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる金色。道を埋め尽くす金色。街
中、金色に満ちて。





ぽつぽつ、と、マカロンが降ってきた。と思う間もなく、マカロンが激しく降り出し
た。じゃじゃ降りのマカロンのなか、道に溜まったマカロンを一つまたいだ。街中が
マカロンに濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるマカロン。
道を埋め尽くすマカロン。街中、マカロンに満ちて。





ぽつぽつ、と、歌人が降ってきた。と思う間もなく、歌人が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの歌人のなか、道に溜まった歌人を一つまたいだ。街中が歌人に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる歌人。道を埋め尽くす歌人。街
中、歌人に満ちて。





ぽつぽつ、と、まな板が降ってきた。と思う間もなく、まな板が激しく降り出した。
じゃじゃ降りのまな板のなか、道に溜まったまな板を一つまたいだ。街中がまな板に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるまな板。道を埋め尽
くすまな板。街中、まな板に満ちて。





ぽつぽつ、と、曖昧が降ってきた。と思う間もなく、曖昧が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの曖昧のなか、道に溜まった曖昧を一つまたいだ。街中が曖昧に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる曖昧。道を埋め尽くす曖昧。街
中、曖昧に満ちて。





ぽつぽつ、と、柴犬が降ってきた。と思う間もなく、柴犬が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの柴犬のなか、道に溜まった柴犬を一つまたいだ。街中が柴犬に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる柴犬。道を埋め尽くす柴犬。街
中、柴犬に満ちて。





ぽつぽつ、と、過去が降ってきた。と思う間もなく、過去が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの過去のなか、道に溜まった過去を一つまたいだ。街中が過去に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる過去。道を埋め尽くす過去。街
中、過去に満ちて。





ぽつぽつ、と、不可避が降ってきた。と思う間もなく、不可避が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの不可避のなか、道に溜まった不可避を一つまたいだ。街中が不可避に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる不可避。道を埋め尽
くす不可避。街中、不可避に満ちて。





ぽつぽつ、と、吉田くんが降ってきた。と思う間もなく、吉田くんが激しく降り出し
た。じゃじゃ降りの吉田くんのなか、道に溜まった吉田くんを一つまたいだ。街中が
吉田くんに濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる吉田くん。
道を埋め尽くす吉田くん。街中、吉田くんに満ちて。





ぽつぽつ、と、伏線が降ってきた。と思う間もなく、伏線が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの伏線のなか、道に溜まった伏線を一つまたいだ。街中が伏線に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる伏線。道を埋め尽くす伏線。街
中、伏線に満ちて。





ぽつぽつ、と、暇が降ってきた。と思う間もなく、暇が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの暇のなか、道に溜まった暇を一つまたいだ。街中が暇に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる暇。道を埋め尽くす暇。街中、暇に満ちて。





ぽつぽつ、と、海胆が降ってきた。と思う間もなく、海胆が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの海胆のなか、道に溜まった海胆を一つまたいだ。街中が海胆に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる海胆。道を埋め尽くす海胆。街
中、海胆に満ちて。





ぽつぽつ、と、靴下が降ってきた。と思う間もなく、靴下が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの靴下のなか、道に溜まった靴下を一つまたいだ。街中が靴下に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる靴下。道を埋め尽くす靴下。街
中、靴下に満ちて。





ぽつぽつ、と、イエスが降ってきた。と思う間もなく、イエスが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのイエスのなか、道に溜まったイエスを一つまたいだ。街中がイエスに
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるイエス。道を埋め尽
くすイエス。街中、イエスに満ちて。





ぽつぽつ、と、不愉快が降ってきた。と思う間もなく、不愉快が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの不愉快のなか、道に溜まった不愉快を一つまたいだ。街中が不愉快に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる不愉快。道を埋め尽
くす不愉快。街中、不愉快に満ちて。





ぽつぽつ、と、焼きそばが降ってきた。と思う間もなく、焼きそばが激しく降り出し
た。じゃじゃ降りの焼きそばのなか、道に溜まった焼きそばを一つまたいだ。街中、
焼きそばに濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる焼きそば。
道を埋め尽くす焼きそば。街中、焼きそばに満ちて。





ぽつぽつ、と、織田信長が降ってきた。と思う間もなく、織田信長が激しく降り出し
た。じゃじゃ降りの織田信長のなか、道に溜まった織田信長を一つまたいだ。街中が
織田信長に濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる織田信長。
道を埋め尽くす織田信長。街中、織田信長に満ちて。





ぽつぽつ、と、ダリが降ってきた。と思う間もなく、ダリが激しく降り出した。じゃ
じゃ降りのダリのなか、道に溜まったダリを一つまたいだ。街中がダリに濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるダリ。道を埋め尽くすダリ。街
中、ダリに満ちて。





ぽつぽつ、と、嫉妬が降ってきた。と思う間もなく、嫉妬が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの嫉妬のなか、道に溜まった嫉妬を一つまたいだ。街中が嫉妬に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる嫉妬。道を埋め尽くす嫉妬。街
中、嫉妬に満ちて。





ぽつぽつ、と、空が降ってきた。と思う間もなく、空が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの空のなか、道に溜まった空を一つまたいだ。街中が空に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる空。道を埋め尽くす空。街中、空に満ちて。





ぽつぽつ、と、電話が降ってきた。と思う間もなく、電話が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの電話のなか、道に溜まった電話を一つまたいだ。街中が電話に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる電話。道を埋め尽くす電話。街
中、電話に満ちて。





ぽつぽつ、と、記憶が降ってきた。と思う間もなく、記憶が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの記憶のなか、道に溜まった記憶を一つまたいだ。街中が記憶に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる記憶。道を埋め尽くす記憶。街
中、記憶に満ちて。





ぽつぽつ、と、無駄が降ってきた。と思う間もなく、無駄が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの無駄のなか、道に溜まった無駄を一つまたいだ。街中が無駄に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる無駄。道を埋め尽くす無駄。街
中、無駄に満ちて。





ぽつぽつ、と、無理が降ってきた。と思う間もなく、無理が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの無理のなか、道に溜まった無理を一つまたいだ。街中が無理に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる無理。道を埋め尽くす無理。街
中、無理に満ちて。





ぽつぽつ、と、まさかが降ってきた。と思う間もなく、まさかが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのまさかのなか、道に溜まったまさかを一つまたいだ。街中がまさかに
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるまさか。道を埋め尽く
すまさか。街中、まさかに満ちて。





ぽつぽつ、と、洞窟が降ってきた。と思う間もなく、洞窟が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの洞窟のなか、道に溜まった洞窟を一つまたいだ。街中が洞窟に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる洞窟。道を埋め尽くす洞窟。街
中、洞窟に満ちて。





ぽつぽつ、と、現実が降ってきた。と思う間もなく、現実が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの現実のなか、道に溜まった現実を一つまたいだ。街中が現実に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる現実。道を埋め尽くす現実。街
中、現実に満ちて。





ぽつぽつ、と、可能性が降ってきた。と思う間もなく、可能性が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの可能性のなか、道に溜まった可能性を一つまたいだ。街中が可能性に
濡れて、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる可能性。道を埋め尽
くす可能性。街中、可能性に満ちて。





ぽつぽつ、と、余白が降ってきた。と思う間もなく、余白が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの余白のなか、道に溜まった余白を一つまたいだ。街中が余白に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる余白。道を埋め尽くす余白。街
中、余白に満ちて。





ぽつぽつ、と、改行が降ってきた。と思う間もなく、改行が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの改行のなか、道に溜まった大きな改行を一つまたいだ。街中が改行に濡れ
て、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる改行。道を埋め尽くす改
行。街中、改行に満ちて。





ぽつぽつ、と、空白が降ってきた。と思う間もなく、空白が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの空白のなか、道に溜まった大きな空白を一つまたいだ。街中が空白に濡れ
て、びしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる空白。道を埋め尽くす空
白。街中、空白に満ちて。





ぽつぽつ、と、名詞が降ってきた。と思う間もなく、名詞が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの名詞のなか、道に溜まった名詞を一つまたいだ。街中が名詞に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる名詞。道を埋め尽くす名詞。街
中、名詞に満ちて。





ぽつぽつ、と、動詞が降ってきた。と思う間もなく、動詞が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの動詞のなか、道に溜まった動詞を一つまたいだ。街中が動詞に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる動詞。道を埋め尽くす動詞。街
中、動詞に満ちて。





ぽつぽつ、と、理由が降ってきた。と思う間もなく、理由が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの理由のなか、道に溜まった理由を一つまたいだ。街中が理由に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる理由。道を埋め尽くす理由。街
中、理由に満ちて。





ぽつぽつ、と、缶詰が降ってきた。と思う間もなく、缶詰が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの缶詰のなか、道に溜まった缶詰を一つまたいだ。街中が缶詰に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる缶詰。道を埋め尽くす缶詰。街
中、缶詰に満ちて。





ぽつぽつ、と、大統領が降ってきた。と思う間もなく、大統領が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの大統領のなか、道に溜まった大統領を一つまたいだ。街中が大統領に
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる大統領。道を埋め尽く
す大統領。街中、大統領に満ちて。





ぽつぽつ、と、不規則が降ってきた。と思う間もなく、不規則が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの不規則のなか、道に溜まった不規則を一つまたいだ。街中が不規則に
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる不規則。道を埋め尽く
す不規則。街中、不規則に満ちて。





ぽつぽつ、と、母さんが降ってきた。と思う間もなく、母さんが激しく降り出した。
じゃじゃ降りの母さんのなか、道に溜まった母さんを一つまたいだ。街中が母さんに
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる母さん。道を埋め尽く
す母さん。街中、母さんに満ちて。





ぽつぽつ、と、傘が降ってきた。と思う間もなく、傘が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの傘のなか、道に溜まった傘を一つまたいだ。街中が傘に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる傘。道を埋め尽くす傘。街中、傘に満ちて。





ぽつぽつ、と、人間が降ってきた。と思う間もなく、人間が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの人間のなか、道に溜まった人間を一つまたいだ。街中が人間に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる人間。道を埋め尽くす人間。街
中、人間に満ちて。





ぽつぽつ、と、火山が降ってきた。と思う間もなく、火山が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの火山のなか、道に溜まった火山を一つまたいだ。街中が火山に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる火山。道を埋め尽くす火山。街
中、火山に満ちて。





ぽつぽつ、と、瞬間が降ってきた。と思う間もなく、瞬間が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの瞬間のなか、道に溜まった瞬間を一つまたいだ。街中が瞬間に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる瞬間。道を埋め尽くす瞬間。街
中、瞬間に満ちて。




ぽつぽつ、と、結果が降ってきた。と思う間もなく、結果が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの結果のなか、道に溜まった結果を一つまたいだ。街中が結果に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる結果。道を埋め尽くす結果。街
中、結果に満ちて。





ぽつぽつ、と、出来事が降ってきた。と思う間もなく、出来事が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの出来事のなか、道に溜まった出来事を一つまたいだ。街中が出来事に
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる出来事。道を埋め尽く
す出来事。街中、出来事に満ちて。





ぽつぽつ、と、檸檬が降ってきた。と思う間もなく、檸檬が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの檸檬のなか、道に溜まった檸檬を一つまたいだ。街中が檸檬に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる檸檬。道を埋め尽くす檸檬。街
中、檸檬に満ちて。





ぽつぽつ、と、花屋が降ってきた。と思う間もなく、花屋が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの花屋のなか、道に溜まった花屋を一つまたいだ。街中が花屋に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる花屋。道を埋め尽くす花屋。街
中、花屋に満ちて。





ぽつぽつ、と、頭部が降ってきた。と思う間もなく、頭部が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの頭部のなか、道に溜まった頭部を一つまたいだ。街中が頭部に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる頭部。道を埋め尽くす頭部。街
中、頭部に満ちて。





ぽつぽつ、と、顔面が降ってきた。と思う間もなく、顔面が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの顔面のなか、道に溜まった顔面を一つまたいだ。街中が顔面に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる顔面。道を埋め尽くす顔面。街
中、顔面に満ちて。





ぽつぽつ、と、腎臓が降ってきた。と思う間もなく、腎臓が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの腎臓のなか、道に溜まった腎臓を一つまたいだ。街中が腎臓に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる腎臓。道を埋め尽くす腎臓。街
中、腎臓に満ちて。





ぽつぽつ、と、鼓動が降ってきた。と思う間もなく、鼓動が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの鼓動のなか、道に溜まった鼓動を一つまたいだ。街中が鼓動に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる鼓動。道を埋め尽くす鼓動。街
中、鼓動に満ちて。





ぽつぽつ、と、電柱が降ってきた。と思う間もなく、電柱が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの電柱のなか、道に溜まった電柱を一つまたいだ。街中が電柱に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる電柱。道を埋め尽くす電柱。街
中、電柱に満ちて。





ぽつぽつ、と、仕事が降ってきた。と思う間もなく、仕事が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの仕事のなか、道に溜まった仕事を一つまたいだ。街中が仕事に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる仕事。道を埋め尽くす仕事。街
中、仕事に満ちて。





ぽつぽつ、と、幻覚が降ってきた。と思う間もなく、幻覚が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの幻覚のなか、道に溜まった幻覚を一つまたいだ。街中が幻覚に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる幻覚。道を埋め尽くす幻覚。街
中、幻覚に満ちて。





ぽつぽつ、と、溜息が降ってきた。と思う間もなく、溜息が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの溜息のなか、道に溜まった溜息を一つまたいだ。街中が溜息に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる溜息。道を埋め尽くす溜息。街
中、溜息に満ちて。





ぽつぽつ、と、幸せが降ってきた。と思う間もなく、幸せが激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの幸せのなか、道に溜まった幸せを一つまたいだ。街中が幸せに濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる幸せ。道を埋め尽くす幸せ。街
中、幸せに満ちて。





ぽつぽつ、と、幻聴が降ってきた。と思う間もなく、幻聴が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの幻聴のなか、道に溜まった幻聴を一つまたいだ。街中が幻聴に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる幻聴。道を埋め尽くす幻聴。街
中、幻聴に満ちて。





ぽつぽつ、と、褌が降ってきた。と思う間もなく、褌が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの褌のなか、道に溜まった褌を一つまたいだ。街中が褌に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる褌。道を埋め尽くす褌。街中、褌に満ちて。





ぽつぽつ、と、眩暈が降ってきた。と思う間もなく、眩暈が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの眩暈のなか、道に溜まった眩暈を一つまたいだ。街中が眩暈に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる眩暈。道を埋め尽くす眩暈。街
中、眩暈に満ちて。





ぽつぽつ、と、嘔吐が降ってきた。と思う間もなく、嘔吐が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの嘔吐のなか、道に溜まった嘔吐を一つまたいだ。街中が嘔吐に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる嘔吐。道を埋め尽くす嘔吐。街
中、嘔吐に満ちて。





ぽつぽつ、と、世界が降ってきた。と思う間もなく、世界が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの世界のなか、道に溜まった世界を一つまたいだ。街中が世界に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる世界。道を埋め尽くす世界。街
中、世界に満ちて。





ぽつぽつ、と、胴体が降ってきた。と思う間もなく、胴体が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの胴体のなか、道に溜まった胴体を一つまたいだ。街中が胴体に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる胴体。道を埋め尽くす胴体。街
中、胴体に満ちて。





ぽつぽつ、と、血管が降ってきた。と思う間もなく、血管が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの血管のなか、道に溜まった血管を一つまたいだ。街中が血管に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる血管。道を埋め尽くす血管。街
中、血管に満ちて。





ぽつぽつ、と、神経が降ってきた。と思う間もなく、神経が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの神経のなか、道に溜まった神経を一つまたいだ。街中が神経に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる神経。道を埋め尽くす神経。街
中、神経に満ちて。





ぽつぽつ、と、本物が降ってきた。と思う間もなく、本物が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの本物のなか、道に溜まった本物を一つまたいだ。街中が本物に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる本物。道を埋め尽くす本物。街
中、本物に満ちて。





ぽつぽつ、と、パンツが降ってきた。と思う間もなく、パンツが激しく降り出した。
じゃじゃ降りのパンツのなか、道に溜まったパンツを一つまたいだ。街中がパンツに
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちるパンツ。道を埋め尽く
すパンツ。街中、パンツに満ちて。





ぽつぽつ、と、友だちが降ってきた。と思う間もなく、友だちが激しく降り出した。
じゃじゃ降りの友だちのなか、道に溜まった友だちを一つまたいだ。街中が友だちに
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる友だち。道を埋め尽く
す友だち。街中、友だちに満ちて。





ぽつぽつ、と、潜水艦が降ってきた。と思う間もなく、潜水艦が激しく降り出した。
じゃじゃ降りの潜水艦のなか、道に溜まった潜水艦を一つまたいだ。街中が潜水艦に
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる潜水艦。道を埋め尽く
す潜水艦。街中、潜水艦に満ちて。





ぽつぽつ、と、点が降ってきた。と思う間もなく、点が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの点のなか、道に溜まった点を一つまたいだ。街中が点に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる点。道を埋め尽くす点。街中、点に満ちて。





ぽつぽつ、と、逆説が降ってきた。と思う間もなく、逆説が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの逆説のなか、道に溜まった逆説を一つまたいだ。街中が逆説に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる逆説。道を埋め尽くす逆説。街
中、逆説に満ちて。





ぽつぽつ、と、読点が降ってきた。と思う間もなく、読点が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの読点のなか、道に溜まった読点を一つまたいだ。街中が読点に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる読点。道を埋め尽くす読点。街
中、読点に満ちて。





ぽつぽつ、と、句点が降ってきた。と思う間もなく、句点が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの句点のなか、道に溜まった句点を一つまたいだ。街中が句点に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる句点。道を埋め尽くす句点。街
中、句点に満ちて。





ぽつぽつ、と、濁点が降ってきた。と思う間もなく、濁点が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの濁点のなか、道に溜まった濁点を一つまたいだ。街中が濁点に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる濁点。道を埋め尽くす濁点。街
中、濁点に満ちて。





ぽつぽつ、と、間違いが降ってきた。と思う間もなく、間違いが激しく降り出した。
じゃじゃ降りの間違いのなか、道に溜まった間違いを一つまたいだ。街中が間違いに
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる間違い。道を埋め尽く
す間違い。街中、間違いに満ちて。





ぽつぽつ、と、勘違いが降ってきた。と思う間もなく、勘違いが激しく降り出した。
じゃじゃ降りの勘違いのなか、道に溜まった勘違いを一つまたいだ。街中が勘違いに
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる勘違い。道を埋め尽く
す勘違い。街中、勘違いに満ちて。





ぽつぽつ、と、二人が降ってきた。と思う間もなく、二人が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの二人のなか、道に溜まった二人を一つまたいだ。街中が二人に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる二人。道を埋め尽くす二人。街
中、二人に満ちて。





ぽつぽつ、と、時々が降ってきた。と思う間もなく、時々が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの時々のなか、道に溜まった時々を一つまたいだ。街中が時々に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる時々。道を埋め尽くす時々。街
中、時々に満ちて。





ぽつぽつ、と、時たまが降ってきた。と思う間もなく、時たまが激しく降り出した。
じゃじゃ降りの時たまのなか、道に溜まった時たまを一つまたいだ。街中が時たまに
濡れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる時たま。道を埋め尽く
す時たま。街中、時たまに満ちて。





ぽつぽつ、と、今更が降ってきた。と思う間もなく、今更が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの今更のなか、道に溜まった今更を一つまたいだ。街中が今更に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる今更。道を埋め尽くす今更。街
中、今更に満ちて。





ぽつぽつ、と、昨日が降ってきた。と思う間もなく、昨日が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの昨日のなか、道に溜まった昨日を一つまたいだ。街中が昨日に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる昨日。道を埋め尽くす昨日。街
中、昨日に満ちて。





ぽつぽつ、と、意味が降ってきた。と思う間もなく、意味が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの意味のなか、道に溜まった意味を一つまたいだ。街中が意味に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる意味。道を埋め尽くす意味。街
中、意味に満ちて。





ぽつぽつ、と、誤解が降ってきた。と思う間もなく、誤解が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの誤解のなか、道に溜まった誤解を一つまたいだ。街中が誤解に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる誤解。道を埋め尽くす誤解。街
中、誤解に満ちて。





ぽつぽつ、と、五階が降ってきた。と思う間もなく、五階が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの五階のなか、道に溜まった五階を一つまたいだ。街中が五階に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる五階。道を埋め尽くす五階。街
中、五階に満ちて。





ぽつぽつ、と、解釈が降ってきた。と思う間もなく、解釈が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの解釈のなか、道に溜まった解釈を一つまたいだ。街中が解釈に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる解釈。道を埋め尽くす解釈。街
中、解釈に満ちて。





ぽつぽつ、と、妹が降ってきた。と思う間もなく、妹が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの妹のなか、道に溜まった妹を一つまたいだ。街中が妹に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる妹。道を埋め尽くす妹。街中、妹に満ちて。





ぽつぽつ、と、?が降ってきた。と思う間もなく、?が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの?のなか、道に溜まった?を一つまたいだ。街中が?に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる?。道を埋め尽くす?。街中、?に満ちて。





ぽつぽつ、と、!が降ってきた。と思う間もなく、!が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの!のなか、道に溜まった!を一つまたいだ。街中が!に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる!。道を埋め尽くす!。街中、!に満ちて。





ぽつぽつ、と、=が降ってきた。と思う間もなく、=が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの=のなか、道に溜まった=を一つまたいだ。街中が=に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる=。道を埋め尽くす=。街中、=に満ちて。





ぽつぽつ、と、≠ が降ってきた。と思う間もなく、≠ が激しく降り出した。じゃじ
ゃ降りの ≠ のなか、道に溜まった ≠ を一つまたいだ。街中が ≠ に濡れて、びし
ょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる ≠ 。道を埋め尽くす ≠ 。街中、
≠ に満ちて。





ぽつぽつ、と、↓が降ってきた。と思う間もなく、↓が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの↓のなか、道に溜まった↓を一つまたいだ。街中が↓に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる↓。道を埋め尽くす↓。街中、↓に満ちて。





ぽつぽつ、と、直線が降ってきた。と思う間もなく、直線が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの直線のなか、道に溜まった直線を一つまたいだ。街中が直線に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる直線。道を埋め尽くす直線。街
中、直線に満ちて。





ぽつぽつ、と、細部が降ってきた。と思う間もなく、細部が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの細部のなか、道に溜まった細部を一つまたいだ。街中が細部に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる細部。道を埋め尽くす細部。街
中、細部に満ちて。





ぽつぽつ、と、最初が降ってきた。と思う間もなく、最初が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの最初のなか、道に溜まった最初を一つまたいだ。街中が最初に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる最初。道を埋め尽くす最初。街
中、最初に満ちて。





ぽつぽつ、と、最後が降ってきた。と思う間もなく、最後が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの最後のなか、道に溜まった最後を一つまたいだ。街中が最後に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる最後。道を埋め尽くす最後。街
中、最後に満ちて。





ぽつぽつ、と、突然が降ってきた。と思う間もなく、突然が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの突然のなか、道に溜まった突然を一つまたいだ。街中が突然に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる突然。道を埋め尽くす突然。街
中、突然に満ちて。





ぽつぽつと、象さんが降ってきた。と思う間もなく、象さんが激しく降り出した。じ
ゃじゃ降りの象さんのなか、道に溜まった象さんを一つまたいだ。街中が象さんに濡
れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる象さん。道を埋め尽くす
象さん。街中、象さんに満ちて。





ぽつぽつと、平仮名が降ってきた。と思う間もなく、平仮名が激しく降り出した。じ
ゃじゃ降りの平仮名のなか、道に溜まった平仮名を一つまたいだ。街中が平仮名に濡
れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる平仮名。道を埋め尽くす
平仮名。街中、平仮名に満ちて。





ぽつぽつと、先ほどが降ってきた。と思う間もなく、先ほどが激しく降り出した。じ
ゃじゃ降りの先ほどのなか、道に溜まった先ほどを一つまたいだ。街中が先ほどに濡
れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる先ほど。道を埋め尽くす
先ほど。街中、先ほどに満ちて。





ぽつぽつと、嫁さんが降ってきた。と思う間もなく、嫁さんが激しく降り出した。じ
ゃじゃ降りの嫁さんのなか、道に溜まった嫁さんを一つまたいだ。街中が嫁さんに濡
れてびしょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる嫁さん。道を埋め尽くす
嫁さん。街中、嫁さんに満ちて。





ぽつぽつ、と、永遠が降ってきた。と思う間もなく、永遠が激しく降り出した。じゃ
じゃ降りの永遠のなか、道に溜まった永遠を一つまたいだ。街中が永遠に濡れて、び
しょびしょだった。流れ落ちるようにして降り落ちる永遠。道を埋め尽くす永遠。街
中、永遠に満ちて。





ぽつぽつ、と、息が降ってきた。と思う間もなく、息が激しく降り出した。じゃじゃ
降りの息のなか、道に溜まった息を一つまたいだ。街中が息に濡れて、びしょびしょ
だった。流れ落ちるようにして降り落ちる息。道を埋め尽くす息。街中、息に満ちて。





氷だらけの海のなかに飛び込んだ白クマに襲われたペンギンたちが、冷たい海から氷
の上にピョコンピョコンと、つぎつぎ飛び出てくるように、ママさんたちは、ドアの
なかから出てきた。





彼って、まるで目に顔がついてるってふうに、目が自己主張してない? 目ばかりの
顔って言ってもいいくらいに。





ぽつぽつと、時間が降ってきた。昨日や明日や今日が、激しく降りはじめた。たくさ
んの日付が降りだして、ぼくはさまざまな日付のなかを、傘をさして飛び出した。





コンビニの入り口のラックに彼女が並んでいた。毎日彼女、朝日彼女、経済彼女、ス
ポーツ彼女などなど。ぼくは毎日彼女をラックから引き抜いて、レジのところに持っ
て行った。





ヤフオクで、ウルトラQの怪獣の指人形を7体、310円で落札した。指人形まで集
めるとは思わなかったけど、その出来のよさにびっくりして買った。M1号が、いち
ばんかわいい。あと、ナメゴン。ゴメス。ペギラ。ガラモン。ケムール人。カネゴン。
どれもかわいい。本棚のまえにでも置いて飾ろうっと。





子どものとき、将来、自分がなりたいなあと思ったものの一つに、画家というものが
あるということを、以前にも書いたと思う。小学校に行くまでの幼児のころには、畳
のうえにまで渦巻き模様を書いていたらしいし、覚えているかぎり、ボールペンを手
から離さない子どもだったらしいのだ。





直接のきっかけは、小学校四年生のときに、動物園での写生会で、ぼくの描いた絵が、
京都市主催の絵画コンクールで入賞したことであった。豹の絵を描いたのであった。
動物園の飼育係のひとが檻のなかを水を撒いて掃除したあとの、コンクリートの床の
中央のくぼみに溜まった水に映った豹の顔を描いたのであった。





小学校高学年のときには、一つの色の絵具で、絵を描いていた。白い絵具で、海と空
と雲を描いた。重ねた白い色には違いがあって、ぼくが小学校のときには、白い絵具
だけで描いた絵を、絵として先生も認めてくれていた。中学でも、その手法で絵を描
いていて、中学の美術の先生も、絵として





認めてくれていた。高校に入ると、ぼくの絵の世界も変化して、何色もの色の絵具を
使ったものになった。ただし、色と色を混ぜることは、けしてしなかった。絵具の色
そのものが、ぼくには美しかったのだ。絵具を混ぜないというぼくの主張を、高校の
美術教師は認めなかった。





美術の成績が下がって、ぼくも受験勉強に傾注するようになり、やがて、絵は好きだ
けど、描かないひとになっていった。海。ぼくの詩も、海が頻出するけれど、ぼくが
はじめて書いた作文も、舞台は海だった。小学四年生だった。終わらない作文を書い
たのだった。海のうえで、盥に乗った





ぼくは、まるい盥のなかで、櫓をかいて、海の水をかいて、くるくる、くるくる回転
していたのであった。波のおだやかな海のうえを、くるくる、くるくる回転していた
ぼくの様子を描いた作文だった。回転を止めるために、反対に櫓をかいて、でもまた、
けっきょくは反対向きにくるくる、くるくる回転して





しまう様子を書いていたのであった。時間がきて、書くのをやめるように言われるま
で、えんえんとその繰り返しを書いていたのであった。これが、ぼくの覚えている、
はじめての作文で、いま思い起こしても、同じようなものを書いているのだなと思う。
この話も、以前に書いたことがある





だろうか。はじめてかもしれない。ぼくが記憶しているぼくの作文は、これ一つだけ
で、ぼくの人生さいしょの作文が、自分でもあまりにも印象的で、いままで書いた自
分の作品の中で、最高傑作ではないかと、ひそかに思っているのであった。もちろん、
そんなことはないとも思うのだが。





ものごとは、順番通りに起こるとは限らない。結果がさきに、原因があとに、という
こともあるのだ。答えがさきに、質問があとに、ということがあるように。





漏斗のなかに落とされると、濾紙を濾しながら、ぼくは、純粋なぼくになっていくよ
うな気がした。ぼくになりそこねたぼくや、ぼくでなかったぼくが、純粋なぼくから
分離されて、いらないぼくが、ぼくから抜けていくような気がした。現実という漏斗。
愛するきみ、きみという濾紙。





「ここには家が出るんです。」幽霊たちが顔を見合わせた。





聖霊もときには間違うらしい。世界中の人々の前に同時に顕われて、あなたは神の子
を身ごもったと言ったのだった。赤ん坊も、少年も、少女も、男も、女も、老人も、
老女もみな身ごもって、イエス・キリストを生んだのだった。何十億人ものイエス・
キリストが生まれたのであった。





本の種を埋めて水をやった。この本はゴシック・ホラーだった。こまめに手をかけて
やらなければならない。





母親が鳴って、電話が飛び上がった。





鳥のように電話機が来て、手の上にとまった。





はじめに携帯電話があった。携帯電話は、「ひとあれ」と言った。すると、ひとがあっ
た。





傷口は縫い合わされるのを待っていた。





手にとると すつかり泡となる 蟹の子ら





手にとると すつかり水となる 亀の子ら





手でふれると たちまち消える ウニの子ら





雨の日の散歩は楽しい。街で見かけるものの色がはっきりする。河川敷に降りて行こ
うものなら、靴が泥だらけになって、帰ってから洗ってやることができる。そして、
何よりも、子どもたちが水溜りを思い切り踏んづける楽しそうな声が聞けるのだ。





雨もまた雨に濡れている。





奇跡が起こると、きょうは信じられない。奇跡が起こると、きょうを信じられない。
ぼくは夢のなかを生きている。夢がぼくのなかで生きている。信じられないきょうを
生きた。あした、きょうが夢だったと告げるあしたがくるかもしれない。こないかも
しれない。信じてもいい。信じなさい。信じてもいい。





帰ってから短篇SFを書くつもりだったけれど、書く時間がなかった。きょうは奇跡
のような一日だった。きょう一日は、文学よりも、現実のほうが大切だった。数年ぶ
りに、こころから神さまに感謝した。愛こそはすべて。10CCの曲が流れていた。
でも、そろそろ奇跡のようなきょうにさようならしなければならない。





手にふれると すつかり雨となる カタツムリ 





よい夢を。28歳のときにノブユキと出会って、ぼくは有頂天でした。ぼくのような
ブサイクな人間が愛されるとは思っていなかったからでした。そのつぎに出会った恋
人は、ぼくの考え方を変えてくれるほどすばらしい恋人でした。きょうは奇跡が起こ
りました。神さまに感謝して寝ます。@sechanco





きのうは寝られなかった。奇跡の日だったから。あんまり幸せすぐる。ぜったい不幸
が待ち受けてるような気がすぐる。





FBの見方をよく知らずに、メッセージがたくさんあって、きのう、はじめて気がつ
いた、同級生がいて、昨年の5月にメッセージくれていて、きのうつながったけど、
機械音痴だから、ますます時代に取り残されていく気がする。いいけどね。これから
お風呂に、それから「きみや」さんに飲みに行く。





いま「きみや」さんから帰ってきた。きみやさんの隣で、きみやさんのお客のひとり
だったまことちゃんが立ち飲み屋さんの「HOPE」っていうのを、きょう開店した
というので、ぼくも行ってきた。まあ、「きみや」さんの隣だから行ってきたというの
もオーバーだな。自分の好きなひとが、いっぱいで、楽しかった。よっぱ〜。





コインの力は、ちゃう、恋の力はすごい。ぼくのような怠惰な人間を勤勉にする。





鯉の力はすごい。





恋の力はすごくて、部屋の掃除をぼくにさせる。てか、それどころか、ぼくみたいな
怠惰な人間を、きれい好きにしてしまったのだ。





ぼくもジンときた。@fortunate_whale 僕はあなたに本を出してもらいたいと言われて、
涙を我慢するなう。





田中宏輔(たなかあつすけ)に生まれてきてよかった。ハラハラ、ドキドキ、いっつ
もギリギリの、めちゃくちゃすぐる、おもしろい人生をおくれて。





蟻だと思います。





台風なのに。





なにが、ぼくを土地狂わせたのか。





嵐のような雨だった。きのうのように激しい雨はひさしぶりだった。台風が去ったあ
とのように、きょうは雲ひとつない天気になった。土曜日だというのに、妻は仕事に
出た。お得意さんのクライアントの都合らしい。二人の子どもたちは、ボーイスカウ
トのキャンプに出かけた。家にいる





わたしひとりだ。庭に出て、料理用鉄板に火をつけた。軒先に、ひょこりとリスが顔
をのぞかせた。料理用鉄板がじっくりと温まっていた。全身にオリーブオイルを塗っ
て、ペパーソルトとバジルをふりかけた。空には雲ひとつない。さっき顔をのぞかせ
たリスも、どこかに行ってしまった





のだろうか、姿が見えない。十分に温まっただろうか。料理用鉄板にオリーブオイル
をふりかけた。十分に温まったようだ。オリーブオイルの弾ける音がして、焼ける匂
いがして、たちまち湯気のように蒸発していった。わたしは、鉄板のうえに立って、
さっと身を横たえた。ジューという





音がした。全身に、その音がしみ渡る。音が小さくなり、十分に焼けたと思われたこ
ろに、身体の反対側を鉄板にあてた。ふたたび、ジューという音が全身にしみ渡った。
音がしだいに小さくなっていく。空には雲ひとつなかった。わたしは、料理用鉄板か
ら降りて、庭椅子に腰かけた。





リスの姿もなかった。わたしは、自分の右腕にかぶりついて、自分のやけた肉を食べ
た。肉は、なかなか噛み切れなかったけれど、思い切り力を入れて噛みとって、口に
入れた。腕からしたたり落ちる肉汁をなめとり、新しい部分にかぶりついた。わたし
の遺伝子をつかった、わたしに





そっくりの食用人間を食べてみたのだが、記述が混乱したようだ。しばしば、わたし
の記述は混乱しているようだ。庭を片付けると、食用人間たちのいる部屋に行った。
たくさんのわたしが、テーブルについていた。自分の遺伝子を持つ食用人間と同居し
ている人間は、このごろでは、そう






珍しいことではなくなったようだ。さいきんでは、自分の遺伝子だけではなく、自分
の娘や息子の遺伝子や、自分の親の遺伝子をつかった食用人間と同居しているひとた
ちもいる。妻が仕事から帰ってきたら、わたしを食べることができるように、残った
わたしの肉を調理しておこう。





この記述が混乱しているのには、二つの理由がある。一つは、これが神のお告げであ
ったことからくるもので、おまえ自身を火にくべて食べよ、という神の声が、わたし
に書かせたものであるという理由によるものである。神の声は、しばしば、わたしを
混乱させてきた。もう一つの理由は、





父の秘密の日記を、わたしが、きのう父の遺品のなかから見つけたことによるもので
あった。父は、40人ほどの人間を、ほどのというのは、精確な人数がいまだに確定
されていないからであるが、殺害して食べたという人物で、その罪によって死刑にな
るまで、膨大な量の口述日記を





書籍にして出版させていたからである。秘密などなかった。つまり、わたしが見つけ
た父の日記は、犯罪が発覚するまえのもので、ひとに話して聞かせた自伝とはまった
く別の存在であったということである。父の日記は、楽園ではじめて目がさめたとき
の記述からはじまっていた。





父は目をさますと、さいしょに神の顔を見たらしい。つぎに目をさますと、のちに妻
となるイヴの顔を見たという。妻となったイヴと、二人で、さまざまな動物たちに名
前をつけていったという。名前をつけるまでの動物たちと、名前をつけたあとの動物
たちとでは、まったく別の生き物か





というくらいに違いがあったらしい。動物たちだけではなくて、鳥たちや魚たちや、
木や花たちも、名前をつけられると大喜びして、二人に礼を言ったという。名づけら
れると、すべての生き物たちが生き生きとした表情を持ったものになったと書いてあ
った。そういうものかもしれない。





妻が帰ってきたようだ。玄関のドアが開く音がした。父の日記を引き出しにしまうと、
わたしは両腕を真横にのばして、手首のところで、はげしく手をはばたかせて、パタ
パタと空中に浮揚すると、階段のうえに自分の身体を浮かせながら、二階から一階へ
と、ゆっくりと下降していった。





自分の遺伝子を家畜に、というアイデアは、おもしろいと思った。たぶん、未来の食
卓では、自分の遺伝子をもったレタスやトマトやキュウリなどのサラダが食べられる
と思う。自分の自我にまみれた詩が、自分にとっておもしろいものなのだから、自分
の遺伝子をもったサラダもおいしいはずである。





食べたい。





記憶障害を30代のときに起こしたことがある。大学なんか、とっくに卒業している
のに、自分のことを一回生だと思って、朝に目が覚めると、大学に行く準備をはじめ
た。大学院を出てすぐに家を出たので、見慣れない部屋にいると思って、ようやく、
自分が学生ではなかったことに気がついたのである。





自分の年齢もおかしくなって、高校に通わなくては、と思って、自分が通っていた堀
川高校のときの同級生の顔を思い浮かべたのだが、また混乱して、亡くなった同級生
のことを思い出して、ふと、もう何年もまえのことだったことに気がついたのであっ
た。40代になって、記憶障害がなくなった。





しかし、記憶が障害になっているのではなくて、記憶が混乱していただけなのかもし
れない。現実の自分の記憶とはちがう記憶、おそらく読んだ本や見た映画などによる
潜在自我への働きかけが、偽の記憶を混入させようとしていたのだと思う。





精神的な危機を、30代で味わったが、そういう混乱がなくなって、40代になって、
作品は逆に混乱したものになった。「マールボロ。」のころであるが、現実をコラージ
ュするだけで、非現実になることに気がついたのであった。





また自分自身の現実だけでも、コラージュすると詩になっていったのだが、そこに、
友だちなどの現実をコラージュすると、たちまち詩になっていったのであった。その
一連の作品は、詩集「みんな、きみのことが好きだった。」に入れてあるが、その事情
は、The Wasteless Land.II に





詩論詩、というかたちで、まとめて書いておいた。50代はじめのいま、40代から
の状況がつづいていて、自分の現実や、友だちの現実をコラージュしまくっている。
純粋な創作は稀になっている。SFっぽい設定のものを除いて、の話であるが。そう
だ、あしたは、薔薇窗に送る短篇小説を仕上げよう。





遠慮なう。





義理なう。





とかっていうツイットができる。





ツイッターは、ストレスレスにしてくれる装置のような気がする。





コンビニに、ビールとタバコを買いに。きょうの一日の後半の幸せすぐるぼく自身に
お祝いをするため。夢を見ているのか。そうだ。あらゆることが夢、幻なのだ。





ぼくは自分がゲイであることが大好き。ふつうなんて、いらないもの。@VOICEofLGBT
@hosotaka セクマイであることは別に恥ずかしいことじゃないし、隠さないで堂々と
すればいいのはわかってる、でも頭ではわかってるけど心がついていかないのよね〜
(´ω`)





まあ、バカな生き方だと自分でも思うけど、詩を書くなんて大いにバカなことをやっ
てるんだから、バカであたりまえである。それにバカじゃない芸術家を、ぼく自身、
見たいとも思わないし。かしこく生きるなんて、まったく興味がない。簡単に恋に溺
れるし、溺れて何度も死ぬのである。すばらしい人生だ。





涙を通してしか見えないものがあると、ズヴェーヴォか、ブロッホが書いていました。
@yamakeiyone @sakurihu2





泣きたいくらい、幸せな一日だった。





若いときは幸せがこわくて、自分のほうから幸せを壊してた。なんという愚かなぼく
だったのだろうと、齢をとって思う。幸せは、ほっておいても壊れるものなのだ。ど
れだけ壊さずにおいておけるのかが技術なのだと、いまのぼくは思う。そうだ、幸せ
は技術なのだ。いつからでもはじめられる技術なのだ。





手話ができるようになるまで、どれくらいかかるのだろうか。手話で詩を伝えること
は可能だろうか。ふと思いついただけだけど、将来、手話通訳をしたいと語る青年の
話を聞いて。こころにとめておこう。





新しい花の種を買ってきた。大きめの鉢に植えると、数日で、手足が土の間にのびて
いくらしい。たしかに、ジリ、ジリという音が昼間、聞こえた気がした。その音がし
て二日後に目が出てきて、耳が出てきて、花がのびて、唇が開いた。やがて、顔が現
われ、手足も現われた。自分を傷つけながら、さらに





成長していった。そこらじゅうに傷口がのぞかれたが、焼けただれた喉が、もっとも
美しかった。「傷口の花」か、なかなか見ごたえのある傷口だった。こんどは「癌の花」
を買ってこよう。





「真っ赤に焼けた鉄の棒を腕や胸や顔に押し付けられた男の悲鳴」という種を買って
きた。鉢に植えて育つのを待った。さいしょの数日は、単なる息をする音しか聞こえ
なかったのだけれど、三日目の夜中に突然、絶叫する声がして飛び起きた。たしかに
真っ赤に焼けた鉄の棒を押し付けられて叫んだ男の声の





ようだった。レコーダーをチェックした。ちゃんと録音できていた。男の悲鳴は断続
的にだが、数時間つづいた。絶命したころには、ぼくも汗だくになっていた。すごい
緊張感だった。スリリングで戦慄するべき迫力のある声だった。このシリーズは、ほ
んとにいい。真に迫っていた。シャワーを浴びるために





服を脱いで、浴室に向かった。





新しい吉田くんが販売されたので買ってきた。何人かの古い吉田くんが、すでにいら
なくなっていたので、売りに行った。あんまり古いボロボロの吉田くんは、買い取れ
ないと言われた。「こちらで処分しましょうか?」と言われたのだけど、以前、そう言
っておいて、その古いボロボロの吉田くんを売っていた





ことを知っていたので、「処分して」もらわないで、そのまま古い吉田くんを連れて帰
った。部屋にはいちばん古い吉田くんから、いちばん新しい吉田くんまで、20人以
上の吉田くんがいる。みんな、少しずつ違った年齢の吉田くんたちだ。





わぉ。はじめての差し入れ。元彼もよくしてくれたな。がんばってルーズリーフ作業
するぞ。





ときには、泣きたいほどの幸せというものも、つづくことがある。





詩人になりたいと思ったのは、言葉の魔術師になりたかったからだ。ルーズリーフ作
業は、その修行の一つ。言葉で、どこまで、いろいろなことができるか。だから、ぼ
くがフォルマリストであるのも当然のことなのだ。フォルムは魔術の根幹にあるもの
で、ぼくが発明したフォルムは、ぼく独自の魔術である。





しかし、フォルムは使用されるたびに強度がますものであるが、乱用されると、その
効果が薄れるものでもある。恋と同じだ。恋もまた魔術の一つなのだ。そこにはフォ
ルムもある。恋も、魔術も、詩も、才能が必要だが、やはり弛まぬ努力が必要なのだ。





というか、フォルム自体がほとんど魔術そのもので、フォルムだけで魔術の大方の準
備が終わっているのだと思う。フォルムに当てはめる言葉の意味と音は、単にフォル
ムを強固にする形象と音にしか過ぎないと思う。フォルムによって、ぼくは、ぼくに
めぐり会う。フォルムによって、きみは、きみにめぐり合う。





そうして、ぼくがぼくにめぐり合うことによって、ようやくぼくがぼくとなり、きみ
がきみとめぐり合うことによって、ようやくきみがきみとなるわけだ。ぼくがぼくで
あるときに、かつ、きみがきみであるときにだけ、ぼくときみは抱擁し合うことがで
きる。一つの永遠の中で、あるいは、複数の永遠の中で。





そもそも、形式は存在の入れ物であって、存在は形式がなければたちまち蒸発して消
滅してしまうのだ。魂というものが、人間という入れ物がなければたちまち蒸発して
消滅してしまうように。形象や色彩や感覚といったものが、事物や事象といった入れ
物がなければ、たちまち蒸発して消滅してしまうように。





二人がはじまりだったのか、恋がはじまりだったのか。恋があって、二人がその形式
にあてはまってしまったのか。恋という形式が二人の存在を必要としたのか。あるい
は、同時生起。それとも、恋が存在で、二人が形式だったのか。あるいは、二人がじ
つは恋で、恋が二人だったのか。考えるまでもなかった。





幸せと辛いって、似てるんや。





うゎ。ほんとですね。なんだか〜。@kayabonbon 若いと苦いも。 RT @atsusuketanaka:
幸せと辛いって、似てるんや。





言えてます。そして、一度でもいいから、幸せが辛くなるほど経験してみたいですね。
@fortunate_whale 辛いけど幸せや。





若さ。苦しさ。ううん。@pakiene 若いという字は苦しいという字に似てるという歌が
ありましたね。 QT @atsusuketanaka うゎ。ほんとですね。なんだか〜。@kayabonbon
若いと苦いも。 RT @atsusuketanaka: 幸せと辛いって、似てるんや。





だけど、もしも、この世に、二人きりだったら、ぼくたちは幸せなのだろうか、と考
えてしまった。





朝早く起きたし、専用のクリーム塗って、かかとの角質とって、頭を刈って、頬ひげ
とあごひげを剃ってた。頬ひげは、キスのときにほっぺにあたって痛いと言うので、
笑。さあ、お風呂に入って、仕事に出よう。





きょうもルーズリーフ作業。もう、一生、勉強なのね。





自分の言葉をコラージュして驚いたことの一つに、順番を変えるだけで、自分が考え
たこともないことが、思いついたこともないことが書くことができたということがあ
る。たしかに、パスカルがパンセに書いていたように、思考というもの自体、考える
順番を変えるだけで違ったものになるのだから当然か。





しかし、コラージュは、そのことが如実にわかる構造をしている。わたしは、わたし
が考えたこともないことを、思いついたこともないことが書くことができて、ほんと
うにうれしい。ツイット・コラージュ詩は、全行引用詩、サンドイッチ詩、引用詩、
●詩と同様に、わたしの強力な魔術の一つとなるだろう。





パスカルは言葉の配置を変えるだけで異なる思考になると書いていた。コラージュ。
たしかに言葉の順番を変えて配置したために、とても奇妙な思考の流れとなって、ぼ
くではないぼくが、いや、ぼくではあったが、顕在したことのないぼくが現出した感
じがしたのであった。無限を表現する有限の手法の一つ。





塾の帰りに、ホーガンの「星を継ぐ者」を105円で買った。これで、7冊目か、8
冊目。ひとにあげているからだけど、これは自分ようにとっておくことに。論理、論
理、論理で、さいごの2ページばかり、抒情という、大どんでん返しの構造に、ぼく
はほんとにびっくりした。高校生のころかな。





落ち着いた恋などしたことがない。天国と地獄の間を行ったり来たり。神さまは、ぼ
くの人生をそういうものにしてくれている。それでいいのだとも思う。プライム・タ
イム。どんな状況にあっても、ぼくはいつも、ぼくの人生最良の日を生きているよう
だ。詩人とはかくも不幸にして幸福な人間なのであろう。





数秒後に、なんて言ってほしかったのか悟る。電話が切れたあとで。恋をしていなく
てもバカだけど、恋をしているとよけいにバカなぼくだ。だから、詩など書いている
のだろう。恋をじょうずにできるひとは、詩人になんてならないんだろうな。これは、
バカな自分に対する、ちょっとした慰めの言葉、笑。





そして、その言葉を電話では伝えることができなくて、メールに書いて送ったけれど、
返事がないという状態。こんなことの繰り返しばかりしてる。愛することは学ぶこと
ができると思っていたけれど、ぼくには、とてもむずかしい。恋とは技術であるなど
と偉そうに書いていた自分を、つくづくバカだと思う。





きょうも、ルーズリーフ作業。ロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」から。





芸術家小説の系譜でしょうか。トーマス・マンのトニオ・クレーゲルのような。付箋
だらけです。書き写す作業がたいへんですが、書き写すことで、こころに刻みつけら
れます。@junju_usako





恋の力はすごい。10年間してこなかったことを、ぼくにさせた。以前、アメリカ人
の女性としゃべっていて、恋って、なにってきいたら「Change.」って言ってた。わた
しを変えるもの。わたしが変わるもの、あるいは、わたしのものの見方を変えるもの
って意味だろうと思った。そのとおりだ。





52才にもなって、恋をするなんて、思ってもいなかった。正直、詩を書くことのほ
かは、なにできない、汚らしい、ハゲ・デブ・ブサイクなオジンやと思っていたのだ。
しかも唯一、自分にできる詩を書くことだって、世間的に見れば、変人以外のなにも
のでもないのだし。でも生きててよかった。





死んでしまいたいと本気で思ったことも何度もあったし、しょうもない、ろくでもな
い人間だったし、いやらしい、せこい人間だったのだけれど、恋は、そういう自分を
すこしでも変えてくれる力があるのだった。ぼくは詩や小説が大好きだけれど、それ
は人間が大好きだったからだと、あらためて思った。





きのう、日知庵のつぎに、立ち飲み屋さんの HOPE さんに行ったら、きみやさん
のまるちゃんがいて、いっしょに来てた女性も魅力的で、ぼくの好きなひとばっかり
だった。飲みまくって、ベロンベロンになって、部屋に帰ったら爆睡していて、いま
好きな子のメールも見れなくって、大バカものだった。





そうですよね。このあいだ、「あしたもがんばれる。」と、好きな子にメールしたら、
「お酒の力でやろ。」と書かれるぐらいののんべえですけれど、もう若いときのように、
お酒で失敗はしないように気をつけます、笑。@tkc_nyc 恋っていくつになってもいい
ことと思います!応援してます(^^)





そのとおりですよね。でも、言葉がしばしば詰まるような恋も、味があって、おもし
ろいですよ。まあ、おもしろいと思えるのは、恋愛が終わってからかもしれませんが。
若いときのつまずきは、しばしば、甘美な思い出となります。@LalalalaRush 言葉に
詰まるようじゃ恋はおわりね





たゆまぬ変化こそ、永遠なのでしょうね。いや、たゆまぬ変化への意志でしょうか。
なんべんくじけても、やる気が出るのは、人間は変化することができると、信じてい
るからかもしれません。Change しましょう。@tkc_nyc ぼくもChangeしなくてわー!





芸術家の役目の一つに、愚かさをさらすというのがあると思っている。愚鈍な生きざ
まを世間にさらして、ひとの気持ちを生き生きとしたものにさせること。ぼくみたい
なジジイが恋をしてるってことで、それがまたへたくそな恋愛をしてるってことで、
いくらかのひとに影響を与えることもあるのだと思う。





Changes。デビッド・ボウイの曲を思い出した。きょうは、これから、耽美文藝誌『薔
薇窗』に連載している小説「陽の埋葬」を仕上げよう。そうだ。BGMはボウイのア
ルバムをかけまくろう。





むかし林檎のような香りの息をする子がいた。どれだけすてきなんやろか、この子は、
と思ったことがある。このあとは書かないほうがいいかな。@cap184946 部屋がいい香
りしてる。#アップルティー飲んでます





彼ら彼女ら自身がすでに地獄そのものなのでしょうね。@kiyoekawazu 以前も書いたが、
人を差別する歓びは、死の欲望に似ている。フロイトがそのあらわれの例として、痛
い虫歯に何度もさわってしまう行為をあげたように、みずからの汚い感情にふれ、増
幅することに歓びを感じるのだから。





でも、なにが強力かって、恋愛の魔術ほど強力なものはない。魔術をかけられた人間
だけではなくて、その周りにいる人間たちも巻き込まれて魔術の影響を受けてしまう
のだから。しかし、真の魔術は魔力がなくなったときにはじまるのかもしれない。知
らないうちにまったくの別人になっているのだ。





世界文学の最良のものばかり読んでいると、自分の文章のつたなさが、ほんとうにつ
らい。自分の小説の「陽の埋葬」の続篇を手直ししていて、そう思った。詩のほうが、
はるかにおもしろい。向きと不向きがあるんだな。小説を書いていたぼくに、詩を書
けと言ってくれた、むかしの恋人に感謝するべきだな。





掃除好きじゃないのに、目についた埃とかもすぐにふき取ってる自分がいる。やっぱ
り変わったんだな。びっくり。





恋愛は若いものの幸福な特権であり、老人の恥辱である。(シルス)

ときには恥もまたいいものだよ。(あつすけ)





きょう、これから何十年ぶりかで、パチンコをすることに。これもまた恋の力。はて
さて、どうなることでしょう。





数十年ぶりのパチンコ、負けた。やっぱり、才能がないみたい。帰りに、カラオケし
た。ビートルズ、ジョン、ポールのソロ、ひさしぶり。思い切り、熱唱。





そのうちに行こうね。高音、熱唱系だよね。@cap184946 カラオケいきたいです!





雪を圧し潰して、ぎゅっとかたまった雪のうえに太郎たちが眠っている。雪を圧し潰
して、ぎゅっとかたまった雪のうえに次郎たちが眠っている。(達治せんせ、ごめりん
こ)





きょうは、これからお風呂に入って、それから四条木屋町の「きみや」さんと、その
隣の「HOPE」さんへ飲みに行くよん。らららん。





電話でツイットのことを言うと、電話中の友だちが、「超イケメンも行くよ」と書き加
えろとリクエスト。どあつかましい。きょうは、ゲイ、二人で騒ぐのね。





で、きょうもカラオケに行くことに。きょうは友だちと。きのうは・・・。ぶひっ。





きょうは友だちと。洋楽しか歌わないぼくたち。@cap184946





サンちゅ!@cap184946 オシャレおやじ!





いま帰った。ヨッパで、飲み屋で飲んでいて、好きな子から電話があったのに、マナ
ーモードで、気がつかなかった。思い切り、あやまった。こんなに人にあやまったの
は、これまでになかったくらい。しかし、ゆるしてもらえてよかった。ゆるしてもら
ったのかな。どだろうか。あした以降にわかることだな。





翻訳の手直しをしてた。20カ所くらいいじったので、またブログにアップした翻訳を、
これから訂正していく予定。これをさいごに、あしたの朝、アメリカ人の編集者に原
稿を送って序文の催促をして、ぼくが後書きを書き終われば、あとは思潮社に送るだ
け。後書きにはハウスマンの詩の翻訳を載せる予定。





まずい日本語だと思う個所がなくなった。難解な日本語だと思う個所は数か所あるけ
ど、原文がそうなっているのだから仕方がない。でも、ベストを尽くしたつもりだ。
いつも、自分の限界ぎりぎりまで才能を絞り出して作品をつくるけれど、こんかいの
翻訳は、ぎりぎりのぎりぎりって感じだった。





姓名判断だと、ぼくの運命は最悪らしい。最悪で、これだったら、ぼくは十分に満足
だけどね。すばらしい詩と、すばらしい小説に出合ってきたし、なによりも、すばら
しい友だちや恋人と出合ってきたのだと思うと、それ以外のことは、まあ、ほぼ、ど
うでもよい。恋は終わりもすれば、はじまりもするのだ。





きょうはケビン・シモンズさんに翻訳を添付してメールで序文の催促したら、あとは、
ルーズリーフ作業のつづきと、アン・ビーティの短篇集を読みのつづきを塾のある夕
方までする予定。きのうは、好きな子と4時間いっしょにいれたのだけど、きょうは
たぶん会えないから、さびしい気持ちを味わうと思う。





そのさびしさも、人生の味で、じっくりと味わおうとしている自分がいる。なんちゅ
う生き物なんやろか、人間って。





ケビン・シモンズさんにメールを送った。序文がいただけたら、すぐに出版社に送る
と書き添えて。ぼくも後書きを書かなくては。後書きを書くのは、十年ぶりくらい。
なぜぼくがLGBTIQの詩人たちの英詩を翻訳したか理由を書かなくては、と思う
気持ちが、後書きを書かせるのだけれど、緊張するなあ。





まあ、だいたいの構想は、すでに頭にあるので、それを書けばいいだけだけど。これ
からマクドナルドに行って、モーニングを。あるいは、西院のパン屋に行くか。愛あ
る生活。恋している状態はひさしぶりなので、ちょっと嘔吐感に近いものを感じてい
る。おそらく口のところまで幸福でいっぱいなのだろう。





十年ぶりに携帯をもつことにした。しじゅう、好きな子と電話とメール。そら、みん
な、携帯もつわなあ、と思った。お昼ご飯をいっしょに、とのこと。夜は、ぼくが塾
で会えないから。お昼ご飯をいっしょだけでも、じゅうぶん幸せ。というか、なに、
こんなに幸せで、いいのか、って状態。死ぬぞ、きっと。





ツイット・コラージュ詩の編集をしている。自分の生活の振り返りでもある。まず、
採り上げるものと捨てるものとの選別をして、それから順番を換える。ほとんど、ス
ロットのようなもの。(スロットという言葉、このあいだ、数十年ぶりにパチンコとス
ロットをして、つい、使ってしまった。恋人のおかげ)





しかし、やはり、さいしょの直観は正しかったのかな。はじめて会った日の帰りに、
バスのなかで、きゅうに、10CCの「愛こそはすべて The Things We Do For Love」
の曲が流れだしたのだ。





家の環境もそうでしたが、ぼく自身、ほぼ西洋文化一辺倒です。文学では、日本文学
を含めての世界文学にしか興味がないので、ナショナリストの気持ちがよくわからな
いでいます。頭が悪いひとたちとも思いませんが@kiyoekawazu ナショナリズムは情動
を正当化する最大の装置である気がする。





悪そうな気はします。まあ、頭は悪くてもべつにいいとは思いますが、レイシストな
んかは、頭が悪いうえに、ひとに愛されたこともないかわいそうなひとたちで、また
教養の足りないひとたちなのだと思っています。@kiyoekawazu ナショナリズムは情動
を正当化する最大の装置である気がする。





朝からラブラブメールで、自分がきっしょい、52才、ハゲ・デブ・ジジイのゲイの
詩人かと思うと、なんだか、コミカル。





恋と詩と小説と。ほとんど映画の主人公の気分。52才、ハゲ・デブ・ブサイクさを
のぞけば、笑。あ〜、生きててよかった。きょうもお昼ご飯いっしょだなんて幸せす
ぐる。神さま、ありがと。きょうのお昼まで、ぼくを生かしておいてくだされ。





ありがとうございます。じつはいまもちょっといっしょでした。いま見送って、部屋
に戻りました。あと数時間で、またお昼ご飯をいっしょにします。お仕事ガンバです! 
@kayabonbon あー、いいないいなー!と羨ましい気持ちいっぱいでお仕事してます笑
しあわせな時間になりますように〜。





MADONNA の Ray of Light を聴きながら、ルーズリーフ作業してる。めっちゃはかど
る。音楽のせいかな。恋のせいかな。両方のおかげかな。





吉田くんが読んでる本めがけて、言語爆弾を発射してやった。見事に命中したみたい
で、吉田くんが読んでた本のページの言葉がばらばらになって、ぜんぜん違った文章
になってたり、文章にもなってなかったりして、怒った吉田くんが本をぼくに投げつ
けた。本のページから文字がこぼれて、顔にくっついた。





詩人は、言葉が生み出したものも愛しているが、生み出された言葉そのものも愛して
いるものである。





詩人は、言葉を生み出したものも愛しているが、言葉が生み出したものも愛している
し、また、言葉そのものをも愛しているものなのである。





詩人は、言葉を生み出したものも愛しているし、言葉が生み出したものも愛している
のだが、じつのところは、言葉そのものを愛しているのであった。





そして、至福の一時間があっという間に過ぎ、詩人は、ふたたびルーズリーフ作業に
戻るのであった。





田中宏輔の第一印象
「清楚系」
「リア充」
「オタク」

田中宏輔の今の印象
「ホモ」
「ご主人」
「RT魔」
http://shindanmaker.com/360789





ホモは差別語だぞ、笑。





詩とは、新しい形の創造であり、新しい音の創造であり、新しい意味の創造である。
少なくとも、そのうちの一つでも創造しなかったものは、詩とは呼ばれる資格がない
ように思われる。





その文章のなかには、意味が不明な言葉がいくつかあった。しかし、知っている多く
の言葉から、その未知なる意味の言葉の輪郭がしだいにはっきりしてきた。何度か読
み返すうちに、とつぜん、その未知なる言葉の意味が了解された。ぼくがLGBTI
Qの詩人たちの英詩を翻訳していて、よくあることだ。





一瞬のあいだに多くのことを学ぶこともできれば、一生のあいだに何も学ばないこと
もできる。それは、単なる意志の問題ではあるが、偶然という神による恩寵の問題で
もある。





いまルーズリーフ作業は、ナンシー・クレスの「プロバビリティ・ムーン」。BGMは、
ノヴァーリスの「BRANDUNG」 B面の組曲が、なんといってもよい。やっぱり、ぼく
はプログレが好きだ。だから、ぼくの詩もプログレっぽいのだろう。あれ、じゃあ、
ほかの詩人は、ふだん何を聴いているのか?





恋をして、やはりいちばんスリリングなのは、自分がどんどん変わっていくことだと
思う。若いときは、自分に才能があると思っていて、作品をつくる才能以外でひとを
見なかった。いまは、才能なんて、みんな持っていて、ただ作品をつくっていないだ
けだとわかっていて、そのひと自体を作品として見てる。





実現された自分の作品のまずしさも、ようやくわかるようになってきた。実現された
作品、すなわち、ぼく自身のことであるが、人間というものは、自分を作品として永
遠につくり直しつづける芸術家なのだと思う。





理想のタイプで、ぼく自身がびっくりしています。ぼくだったら、こんなハゲ・デブ・
ジジイは嫌だから。彼の目からぼくを見れないのが残念ですけれど、見れなくてよい
のかもとか思ってみたり。ひさびさに、一瞬一瞬が生き生きとしています。
@m_shinkirou 恋してからの宏輔さん、キてる。





http://www.youtube.com/watch?v=HNPNaLTxl0… チューブでのぼくの朗読ですが、た
しかに、頭ひかりまくってます。えいちゃんに撮ってもらったのですが、ひかってる、
ひかってると笑われまくりました、笑。@kuroikenban恋をしていらっしゃるから、さ
らに後光がさしているようですw





最大限の努力で、最小限の効果を発揮します。違った、違います、違いました。最大
限の努力で、最善の翻訳にしたいと思っています。応援くださり、ありがとうござい
ます。@m_shinkirou (…)翻訳詩集、楽しみにしております。





いまニコニコキングオブコメディ見てる。2週間おきの至福。





ぼくも3時30分に目が覚めました。脳が覚醒しているみたいです。脳は、とても敏
感で繊細な器官なのですね。恋にはよろこびも大きいですけれど、そのよろこびの大
きさの分、不安も大きいようです。@kayabonbon てか何で目が覚めるんだよこんな時
間に。夢見も悪いし、もう一日寝ていたい。





ぼくも祈っています。恋をすると、神さまに祈るようにもなるのですね。もちろん最
大限の努力をしてのちの祈りですが。といいますか、だからこそ神にも祈ることがで
きるのだと思います。最大限の努力をしたうえでの偶然という神の恩寵をしか、もう
期待するしかありませんもの。@kayabonbon





ぼくの引用詩や全行引用詩も、まったく同じことを言われました。「なぜ 自身の言葉
で あなたの詩を書かないのだろうか」20年以上も前です。進歩がありませんね。
教養がある人間は、もうそんな見方をしていません。自分の言葉があると思い込んで
いる稚拙な脳の持ち主たちですね。@kohimon





朝からルーズリーフ作業、体調すこぶるよし。





オリバー・ストーンと大林宣彦さんの対談を思い出します。原爆の光球を遠くからな
がめたひとが美しいと思うことはあると大林さんが述べたとき、ストーンは激怒しま
した。より芸術家としての感性にすぐれた(ストーンは政治性が強い)大林さんの意
見のほうがぼくには胸に落ちました。@kohimon





きょうブックオフで買った本、巨匠とマルガリータ、上下、各105円、アポリネー
ルの短篇、ツァラの近似的人間、ブルトンのナジャ、アラゴンの文体論、エリュアー
ルの詩集が入った講談社の世界文学全集の一巻、これも105円。ナジャをひとにあ
げたので買った。ナジャ、チラ読みして詩を思いついた。





詩や小説のなかには、ほかの場所では生き生きとしていた言葉がまるっきり死んでし
まっているものがある。詩や小説によっては、ほかの場所では死んでしまっていたよ
うな言葉が新しく生まれ変わったように生き生きとしているものがある。詩や小説に
おいて、問題とは何か? 言葉の生き死にの問題である。





書店の本棚をつぎのように分類してみてはどうか。たとえば、小説なら、「超難解な小
説」「難解な小説」「大半のひとにとって難解な小説」「多くのひとにとって難解な小説」
「少数のひとにとって難解な小説」「ごく少数のひとにとって難解な小説」「難解だと
思われたことのない難解さをもつ難解な小説」





自分の書いたものが新しいものか、そうでないものか、いままで書かれてきたものと
同じようなものか、そうでないものか、その判断力さえあれば、詩や小説を書いても
いいような気がする。その判断が正しかったのか、正しくなかったのか、それは、自
分で検討しなくともよい。時間がしてくれるだろうから。





いい夢、見れたらいいなあ。恋か。たぶん、ぼくはバカなんだろうな。底抜けのばか。
おやすみ、グッジョブ!





不安、めっちゃいっぱいです。泣きたいほど幸せですけど、泣きたいほど不安です。
いま合計、4軒の居酒屋さんで飲んで帰って、ヨッパです。寝てるうちに死んでたら、
もしかしたら最高の幸せかもです。アホですね。@you_ki_yu_ki おやすみなさい、田
中さん。素敵な夢を、優しい明日を。





は〜い。クスリのんで寝ます。好きな子と飲んでいて、ヨッパらってしまって、カッ
コよく飲めない自分がいて、なんて、カッコ悪いのやろと思って、でも、ヨッパらっ
てしまうしかなくって、とっとと死んでしまいたいと思いました。ほんとにカッコ悪
いです。寝ます。泣きながら。@azur_9171





いまケリー・リンクの「マジック・フォー・ビギナーズ」のルーズリーフ作業をして
たんだけど、友だちからカラオケのお誘いがあって「おごり?」と訊くと「かまへん
よ、このビッチ!」とのことで、カラオケに。





恋は饒舌にさせる。愛は寡黙にさせる。





不幸が才能であるように、幸福もまた才能である。





ひとつの映画が、ひとつのTV番組が、世界の見方を変えることがある。ひとつの詩
の形式が世界の見方を変えることもあるだろう。いや、つくり変えることもあるのだ
と思う。





出来のよくない詩人は、自分に関する話題にしか興味がない。





事実は詩人に喜びを与える。じっさいにあった出来事というだけで、詩人には、それ
がとても貴重なものに思えるのだ。詩人は事実に最高の価値を見出す。大事なのは、
その事実を取り巻く状況であり、その事実の理解であり、解釈であるというのに。





ツイットで過去を留める。作品をつくって過去を留める。人間は、そうして過去に生
きる。ラスコーの岩壁に絵を描いた原始人たちも、その描いた絵の過去に生きただろ
う。その絵を描いたときはもちろん、その絵を見るたびに、その絵が描かれた時間と
場所と出来事のなかに飛び込んでいったことだろう。われ





われが詩や小説や映画という他人の経験のなかで、それが架空のものであるときにさ
え、自分の過去を思い起こし、自分の過去をふたたび生きるように、岩壁に描かれた
絵を見て、その絵の描かれた場面に遭遇しなかった原始人たちもまた、その絵が描か
れた時間や場所や出来事のなかでふたたび生きただろう。





この詩人は、自分の作品のなかでは、なに一つ、ほんとうのことを書いていなかった。
いや、ほんとうのことを書いても、すべて嘘になってしまうのであった。





詩人は自分が一冊の本であることに気がついた。自分をペラペラとめくってみた。そ
こには、よく自分が覚えていなかったことや、自分が思いつきもしなかったことが出
てきた。まだはじめのところで、自分が死んでることになっていた。残りのページは、
生きているときのことを思い出して書いたものだった。





真実、愛した記憶がある者なら、だれもが知っている。すべての幸福の元型(オリジ
ナル)がそれで、ほかのあらゆる幸福がその複製(レプリカ)でしかありえないこと
を。たとえその幸福が持続したものではなく、つかの間のものではあっても。たとえ
その幸福が、当時はまったく幸福ではなかったとしても。





アン・ビーティの「あなたが私を見つける所」読了。繊細な描写は、いつもの通り。
新しい手法の発見とかはないけれど、読んでいて、すべての登場人物がちゃんと呼吸
をしていることがわかる。いまからアン・ビーティの「ウィルの肖像」を読む。アン・
ビーティ、あと2冊で完読。終わったらV・ウルフを読む予定。





まだ28ページだけど、悲劇の予感がする。280ページほどの本文の10分の1。
どうなるかわからないけど、まあ、ぼくもね。ぼくたちもと言いたいけれど。どだろ。





雨のなか、濡れて帰ってきた。お風呂に入って寝る。





読みたい本が本棚ひとつぶん以上ある。しかもそれは翻訳ものだけの話だ。原文のも
のも本棚ひとつぶんある。もう本を買うのはやめなければと思うのだが買ってしまう。
恋にも夢中だが、本にも夢中だ。52才。超貧乏な詩人。恥ずかしい。とっとと、は
やく死んでしまいたい。できれば睡眠中に。あかんか。





クスリが効いてきた。PC切って寝ます。





友だちって、どういう存在か、わからへんけど、いてくれて、ぼくの人生が生き生き
としてることだけは、たしかや。そして、ぼくの2番目に大事な詩とはなにか、これ
また、ぼくにはわからへんけど、詩しか、すがりつけるものがないのも、たしかや。
詩は遊びやけど、遊びがなかったら、生き生きできひん。





そのため社会に向けて働きかけるべきだと思います。ぼくも戦闘的な平和主義者です。
カミングアウトと拙い詩作と翻訳とでですが。@hosotaka LGBTが住みやすい環境は、
すべての人が住みやすい。 だから、LGBTだけでなく、すべての人と手を組み、寛容
な社会にしていく必要があるんだ。





カミングアウト歴30年です。いろいろありました。いろいろあって、いま、この世
に生きてます。みんな、いろいろあったほうが、人生、学べるよと言いたい。すべて
のイスラム圏ではないかもしれませんが、厳しいイスラムの国では、いまでもゲイや
レズビアンってわかったら死刑です。@hosotaka





もうそろそろクスリが効いてきたんで寝るけど、アン・ビーティの「ウィルの肖像」、
描写が繊細、極まりない。彼女の小説をもっとむかしに読んでたら、と思わずにはい
られない。彼女の本、出てるの全部合わせても、アマゾンで1000円ほど。いまで
も信じられない。1冊1円できれいなの何冊か買った。





いま帰った。きみやさんで、まさひこちゃんの誕生日をみんなが祝ってて、ぼくも参
加させていただいた。いっぱいいろんなことがあって、人生って、おもしろいなって、
つくづく思った。迷惑かけたひと、ごめんね。おやすみ。グッジョブ!





きのうは日知庵と、きみやさんの梯子。四条河原町から、歩いて帰った。好きな子の
家に近いところで別れて、自分の部屋に戻ったから、遠回りで歩いた。一時間以上は
確実に歩いた。





言葉と態度でいろんなことがわかるけど、ほんとうの気持ちが、言葉と行動にぜんぶ
出てるとは限らないし、むずかしいな。それに、ほんとうの気持ちなんてものも、す
ぐに、ころころと変わるものかもしれないし。数学の定理みたいなもんじゃないもの
ね。





見てるところ、注意を払ってるところが、二人ともぜんぜん違うし。そうだな。いま、
トーマス・マンの言葉が、ふと思い出された。トニオ・クレーゲルかな。「より多く愛
するものは敗者でなければならない。」さいしょ変換したとき、歯医者になった。廃車
でも、おもしろいな。おもしろがるぼくは変だな。





「好きだよ。」と言われて、「ぼくも好きの最上級やで。」と返事すると、「なんや、そ
れ。」と言われた。二週間まえのこと。きのうは「好きだよ。」と言われて、「えっ、な
に?」と聞き直したら、「もう、ええわ。」と言われた。きのうは、ベージュのポロシ
ャツ着てたんやけど、胸元に、チリソースこぼした。


WISH YOU WERE HERE。

  田中宏輔



●それでは●明日のあっくんの「意味予報」をお送りいたします●明日は●午前中ずっと意味が明瞭ですが●昼ごろから晦渋となり●午後から夕方にかけて●ときどき意味不明となるでしょう●夜は●明後日の未明まで●何を言っているのかまったく不明なだけではなく●それが言葉であるのかそうでないのかすらわからないことになるでしょう●なお●明後日から一週間は●原因不明の昏睡状態がつづくものと予想されますが●ときどきは意味のある言葉を口にすることもあるかもしれません●よく注意して耳を傾ければ●言及される箇所によっては●意味の通じるところもあるでしょう●それでは●ひきつづき●来週のあっくんの「意味予報」を放送いたします●ウピウプウピピ●ピリピュラリィー●ウリウリウリリリ●ウリトゥララ●ププププププ●チュリチュララ●チュリ●チュリ●チュリリ●プピ●プペ●プぺペー●プピ●プペペペー●ペッ●ペエエエエエー●ペッ●えっ●ミツバチがスズメバチに襲われている●やっつけられている●ミツバチがスズメバチに襲われている●詩人は漆黒の牛が青い花をくわえながら微笑んでいる●詩人は死んだ赤いエイのちいさな唇でプツプツと泡を吹く●ミツバチがスズメバチに襲われている●縁飾りではなくて●花綱●じゅんちゃん●ぼくの手を離すな●大山のふもとでは●高校生のじゅんちゃんと●ぼくが●鉄棒のそばで休んでる●樹の影に●ぼくはしゃがんで●じゅんちゃんは立っていた●ぼくたちは向かい合って●漆黒の牛は青い花をくわえて微笑んでいた●黄色い鶏が大空を飛んでいた●巨大な脚を●オイチニ●オイチニ●詩人は死んだ赤いエイのちいさな唇でプツプツと泡を吹く●オイチニ●オイチニ●ぼくたちは向かい合って●漆黒の牛は青い花をくわえて微笑んでいた●オイチニ●オイチニ●おまえの母ちゃんに言ってやろ●ふだん●あたちは●こんな下品な言葉づかいはしませんけど●笑●おまえの母ちゃんに言ってやろ●若メガネデブだった●鳥取には●ぼくも一度だけ行ったことがあるよ●学生時代にね●二十年以上も前のこと●大きい山って書いて●だいせんって読むんだよね●言うんだよ●かな●笑●まだ二十歳前だっていうのに●おまえは髪が薄かった●笑●すぐに二十歳になったけど●笑●きっと神さまへのお祈りがヘタだったんだろ●おまえの母ちゃんに言ってやろ●もうおまえはバカだし●ハゲだし●どうしようもないデブだったね●でも●それって遺伝かもね●いや●きっと遺伝だよ●おまえの母ちゃんも●ぜったいバカで●デブだったんだよねえ●まあ●おいらは●バカでデブのおまえが好きだったんだけど●笑●漆黒の牛が青い花をくわえて微笑んでいた●緑のきれいな大山のふもと●若メガネデブのおまえが通っていた高校の教室に●おいらもいっしょに坐っていたかった●痛かったのは●二十歳のおいらの肖像●おまえとめぐり合った●ハッチのおいらの映像●爆泣●笑●おまえの母ちゃんに言ってやろ●過ちは一度だけだったって●おまえとは●笑●漆黒の牛は青い花をくわえて微笑んでいた●ぼくは間違っていた●交換する●それは同化ではない●交換することは同化することではない●ぼくは間違っていた●青い花の縁飾り●白い皿の上●漆黒の牛は微笑んでいた●ぼくは間違っていた●青い花をくわえた漆黒の牛が微笑んでいる●交換する●それは同化ではない●しかし●いかなる存在も●他の存在といささかも同化することなしに存在することはできない●ぼくは二十歳だった●だれよりもかわいい●ぼくは二十歳だった●漆黒の牛がむしゃむしゃ●漆黒の牛をむしゃむしゃ●ぼくの喉を通る漆黒の牛の微笑み●青い花をくわえて●むしゃむしゃ●二十歳のぼくは●青い花をくわえてむしゃむしゃ●憶えてる●憶えた●憶えてる●憶えた●漆黒の牛は青い花をくわえて微笑んでいた●時間の指を●ぼくの目のなかでぐるぐる●交換する●それは同化ではない●どんぞ●そこんとこ●よろしく●笑●去勢された漆黒の牛が青い花をくわえて微笑んでいる●去勢された漆黒の牛が青い花をくわえて微笑んでいた●もっと●ぼくと愛し合おう●去勢された漆黒の牛は●あの夏の晩に青い花をくわえて微笑んでいた●ぼくときみが信じ合ったあの二十歳の夏の晩をむしゃむしゃ●ぼくじゃなきゃいやだ●あの二十歳の夏の晩じゃなきゃいやだ●青い花をむしゃむしゃ●ぼくときみをむしゃむしゃ●二十歳の夏のぼくたち●青い花がむしゃむしゃ●笑ってたあの夏の晩に●ぼくときみが信じ合ったあの二十歳の夏の晩に●一頭の若い牛が青い花をくわえて●ぼくたちを微笑んでいた●あの二十歳の夏の晩に●青い花がむしゃむしゃ●青い花はむにゃむにゃ●OK●知恵ちゃんは●牛乳瓶のふただった●紙でできた●真んまるい●目と目を交換する●意味ないじゃん●ほんとに●漣●むつかしい漢字だな●さざ波●きれいだよね●こっちのほうが●りっぷる・まーく●知恵ちゃんは●牛乳瓶の紙でできたふただった●そだよねええ●ふふん●ぼくのなかに知恵ちゃんがいて●怪獣のなかにぼくがいる●別の怪獣のなかに●その怪獣がいて●また別の怪獣のなかに●ぼくのいる怪獣がいて●またまた別の怪獣のなかにぼくのいる怪獣のいる怪獣がいて●そんなことが●毎日毎日繰り返し●ぼくの帰り道にあって●帰り道に●お風呂屋さんがあって●そのお風呂屋さんちの娘が同級生だったのだけれど●知恵遅れだった●名前が知恵ちゃんだったから●知恵遅れだったのかもしれない●同級生たちは●その子のことを●よく●バカ●と言ってからかっていた●牛のように太った身体の大きい知恵ちゃんは●でも●ふつうの人間のように見えることもあった●しゃべると知恵ちゃんは知恵ちゃんだったけど●だまって●ぼーっとしていると●ふつうの●だまってぼーっとしている同級生と変わらなかった●怪獣のなかにぼくがいて●その怪獣は別の怪獣のなかにいて●その怪獣はまたまた別の怪獣のなかにいて●ぼくは中心で●怪獣を操縦している●眺めはきれい●見下ろしてみると●知恵ちゃんは●ずっと小さい●指でつまんで●放り投げた●ぼくのようなものの見方をしたかったら●ぼくの目の缶詰を開けて食べればいいんだよ●ぼくのような言葉の音の出し方をしたかったら●ぼくの耳の缶詰を開けて食べればいいんだよ●ぼくのようにかわいらしいしゃべり方をしたかったら●ぼくの口の缶詰を開けて食べればいいんだよ●プンプン●うちゃ●くちゃ●うちゃ●くちゃ●どうも●どうも●びびび●ビン詰め●ナポレオン●ビンのなかでは●ナポレオンも腐っちゃってますぅ●あまりにながい年月でね●腐っちゃってるのは●ぼくのパパの缶詰もそうかもしんない●パパの缶詰を開けようと思って●パパの缶詰を手にとって●賞味期限を見たら●切れてたの●ブフッ●パパの缶詰に賞味期限があるなんて●知らなかったわ●でも●決定的に間違っていたのは●パパの缶詰を開けるためには●パパの缶詰を開ける缶切りの缶詰を開けなきゃならなかったの●ブフッ●歯で開けようとして●血まみれになっちゃったわ●見守ってね●うっ●はっ●とろ〜り●とけてる●パパの缶詰●傾ければ●腐ったパパがゆっくり流れ出す●見守ってね●うっ●はっ●ぼくの舌の上で●ハエが翅を擦り合わせる●風は涼しい●目も●でも●ブフッ●腐ったパパが扉をノックする●きらきらときらめく●死んだハエの目の輝きだ●ぼくはときおり●自分の顔や手の甲に雨粒が落ちてくるのを感じることがあった●雨などちっとも降ってはいなかったのだけれど●ぴったしの大きさのパズルだった●ぴったしの大きさだったからこそ●さいごのピースが●はまらなかった●自分の日記を読み返してみると思わず吹き出しちゃって●80年代ポップスってやっぱりいいな●鏡に映った自分の顔は好きじゃないけど●雨ざらしの軒先に落ちてる封筒のなかに入った自分の魂を覗き込むのは好きでさ●で●んで●で●んで●んで・でえ・え・おお●ウィガダ・メカ・ラ●タラララララー●チッ●イエィ●イズ・イットゥ・ヨオ・カラー●先日は●あなたがお亡くなりになられまして●まことにありがとうございました●生前は●なにかと●ひとさまの悪口ばかり口にされまして●ほんとうに迷惑な方でした●とくに弱者に対してはそうでありましたし●ご自分にさからえない者に対しては●めっぽう強い態度に出てらして●ねちねちねちねちと意地悪をなさいましたね●わたくしは●こころ善良な者でしたから●あなたさまのご意向とご行為が●はじめのうち●まったくわかりませんでした●まあ●それは●わたくしだけではなく●善良でもない●あなたの周りにいる方たちも●おそらく●そう思ってらっしゃったことでしょう●つきましては●あなたの生前の仕打ちに対して●わたしの知り合いに●つぎのような提案をいたしますので●ご了承ください●あなたが生前に他人に送りつけたあなたのすべての詩集を●ゴミ箱に入れて●ゴミの日にゴミ出しに出すということを●あなたの生前に●あなたに面と向かって●直接●あなたの作品などゴミだと言った者はいませんでしたが●はっきり言って●ゴミでした●先日は●お亡くなりになられて●ほんとうにありがとうございました●こころから感謝いたします●ばればれ●自我の拡大●群衆心理も個人の自我の重ね合わせと考えれば合理的だい●いえぃ●おつむの悪い連中が●何人かいっしょにいてむにゃむにゃしてたら●賢い気になってるのも●そりゃそうだ●自我が拡大してるんだから●そりゃ気が大きくなるわな●バカのくせにね●いや●バカだからかな●ブフッ●警官や刑務官といった連中のこと●笑えないよねえ●そりゃ●おまえもバカだしぃ●おいらもバカだしぃ●ハー●コリャコリャ●ビジーな羊は●真っ赤なハートマーク●群衆心理もエンヤコラ●ビジーな羊は●真っ赤なハートマーク●きゃっ●場の共有理論で●自我の拡大を群衆心理にまで適用して考察することができる●おまえもバカだしぃ●おいらもバカだしぃ●笑●イエィ●ぼくのビジーな羊にご挨拶●ぼくのビジーな羊は●真っ赤なハートマーク●二つに割れた真っ赤なハートマーク●繕うことなんかできやしないさ●二つに割れた真っ赤なハートマーク●そいつが●おまえを傷つけた男かい●知んねい●笑●おまえもバカだしぃ●おいらもバカだしぃ●笑●ブフッ●自分の日記を読み直してみると●思わず吹き出しちゃって●80年代ポップスってやっぱりいいな●鏡に映った自分の顔は好きじゃないけど●雨ざらしの軒先に落ちてる封筒のなかに入った自分の魂を覗き込むのは好きでさ●いつまでも●よじれた綱のような雰囲気で佇んでいた●親父のおじやって書いて●気持ち悪くなって●ゲラゲラ●おじやの親父って書いて●ゲラゲラ●作ってるのが親父なんかじゃなくって●材料が親父なんだよね●こんなこと書けるのも飯島さんのおかげだから●少しは感謝することにする●飯島耕一●このひとの翻訳本●ひとつ持ってるけど●詩はぜんぜんつまんないのねえ●でもって●このひと●他人の詩はおじやだって言うのねえ●おじやって●おいしいのにねえ●面白くないって意味で●おじやだって言ってるのねえ●自分が書いてるものはぜんぜん面白くないのにねえ●まあ●ちらっと覗いただけだけど●面白くないわねえ●それに●このひと●ゲイを軽蔑してるようなこと●どこかに書いてたように思うけど●まあ●オジンだから許してあげるけど●ほんとふるいよねえ●感覚が●フルルルルー●でも●親父のおじやは面白い●劇オモ●モ●ぐつぐつぐつぐつ●ゲッ●食えるか●こんなもん●食っちゃうのよ●ゲリグソちびっちゃうだろうけど●笑●ゲゲゲ●ゲリグソちびっちゃうだろうけど●ゲゲゲ●ゲリグソちびっちゃえ!


CLOSE TO THE EDGE。

  田中宏輔



●ぼくの金魚鉢になってくれる●草原の上の●ビチグソ●しかもクリスチャン●笑●それでいいのかもね●そだね●行けなさそうな顔をしてる●道路の上の赤い円錐がジャマだ●百の赤い円錐●スイ●きのう●ジミーちゃんと電話で話してて●たれる●もらす●しみる●こく●はく●さらす●といった●普通の言葉でも●なんだか●いやな印象の言葉があるねって●そんな言葉をぶつぶつと●つぶやきながら●本屋のなかをうろうろする●ってのは●どうよ●笑●ぼくの金魚鉢になってくれる●虫たちはもうそろそろ脚を伸ばして●うごめきはじめているころだろう●不幸はひとりではやってこないというが●なにものも●ひとりではやってこない●なにごとも●ただそれだけではやってこないのである●絵に描いたような絵●わたしの神は一本の歯ブラシである●わたしの使っている歯ブラシが●わたしの神であった●神は歯ブラシのすみずみまで神であった●主婦●荒野をさ迷う●きのう見た光景をゲーゲー吐き戻してしまった●暴れまわる母が●一頭の牛に牽かれてやってきた●兄は口に出して考える癖があった●口から●コップや●コーヒーや●スプーンや●ミルクや●文庫本や●フロイトや●カーネル・サンダースの人形や●英和辞典をゲロゲロ吐き出して考えていた●壁は多面体だった●一つ一つ●すべての壁面に印をつけていくと●天井と床も入れて●二十四面あった●二十四面のそれぞれの壁に耳をくっつけて●それぞれの部屋の音を聞くと●二十四面のそれぞれ違った部屋の音が聞こえてきた●5かける5は25だった●ぼくの正義のヤリは見事にふるえていた●どうして●ぼくのパパやママは働かなくちゃならないの●子供たちの素朴な疑問にノーベル賞受賞者たちが答える●という文庫本があった●友だちのジミーちゃんは●こういった●悪だからである●たしかに楽園を追放されることにたることをしたのだから●やっぱり●ぼくの友だちだ●すんばらしい答えだ●エレベーターが●スコスコッと●前後左右上下●斜め●横●縦●縦●横●斜め●横●に●すばやく移動する●わたしの記憶もまた●スコスコッと●前後左右上下●斜め●横●縦●縦●横●斜め●横●に●すばやく移動する●ぼくの金魚鉢になってくれる●草原の上の●ビチグソ●しかもクリスチャン●笑●それでいいのかもね●そだね●行けなさそうな顔をしてる●道路の上の赤い円錐がジャマだ●百の赤い円錐●スイ●神は文字の上にいるのではない●文字と文字の間なのね●印刷された文字と文字の間って●紙のことなのね●1ミリの厚さにも満たない薄い薄い紙のこと●神は紙だから●って●神さまは●前と後ろを文字文字に呪縛されて●ぎゅうぎゅう●もうもう●牛さん●おじさん●たいへん●ぼく●携帯で神に信号を発する●携帯を神に向けてはっしん●って●ぎゃって●投げつけてやる●ぼくは●頭をどんどん壁にぶつけて●神さまは●頭が痛いって●ぼくは●頭から知を流しつづける●血だ●友だちのフリをする●あのとき●看護婦は●ぼくのことを殴った●じゃなく●しばいた●ぼくの病室は●全身で泣いて●ぼくの涙が悔しくて●スリッパを口にくわえて●びゅんびゅん泣いていた●ああ●神さまは●ぼくがほんとうに悲しんでいるのを見て●夕方になると●金魚の群れが空にいっぱい泳いでた●神さまは●ぼくの肩を抱いて●ぼくをあやしてくれた●ぼくは全身を硬直させて●スリッパで床を叩いて●看護婦が●ぼくの腕に●ぼくの血中金魚濃度が低いから●ぼくに金魚注射した●金魚は●自我をもって●ぼくの血液の中を泳ぎ回る●ていうか●それって●自我注射●自我注釈●自我んだ●違った●ウガンダ●どのページも●ぼくの自我にまみれて●ぐっちょり●ちょりちょり●チョチョリ●チョリ●あ●そういえば●店長の激しい音楽●マリゲ●マルゴ●まるぐんぐ●マルス●マルズ●まるずんず●ひさげ●ひさご●ひざずんずっ●びいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい●あるいは●神は●徘徊する●金魚の群れ●きょうは休日だというのに●一日中●病室にいた●病室の窓を見上げてたら●空の端に●昼間なのに●月が出ていた●きょとんとしたぼくの息が●病室の隣のひとを●ペラペラとめくっては●どのページに神が潜んでいるのか●探した●思考とは腫瘍である●わたしの脳髄ができることの一つに●他者の思考の刷り込みがある●まあ●テレパシーのようなものであるが●そのとき●わたしの頭に痛みがある●皮膚に走る電気的な痛みともつながっているようである●頭が痛くなると同時に●肘から肩にかけて●ビリビリ●ビリビリ●と●きょうは●とてつもなく痛い●いままでは●頭の横のところ●右側の方だけだったのに●きょうは●頭の後ろから頭の頂にかけて●すっかり痛みに●痛みそのものになっているのだ●さあ●首を折り曲げて●これから金魚注射をしますからね●あなたの血中金魚濃度が低くて●さあ●はやく首を折り曲げて●はやくしないと●あなたの血管が金魚不足でひからびていきますよ●あさ●パパ注射したばかりじゃないか●きのうは●ママ注射したし●ぐれてやる●はぐれてやる●かくれてやる●おがくれる●あがくれる●いがくれる●うがくれる●えがくれる●街は金魚に暮れている●つねに神は徘徊する●ぼくの指たちの間を●もくもくと読書する姿が見える●そのときにもまた●ぼくの指の間を●神が徘徊しているのだ●ぼくは●もくもくと読書している●図書館で●ぼくは●ひとりで読書する少年だったのだ●四年生ぐらいだったかな●ぼくは●なんで地球が自転するのかわからない●って本に書かれてあるのにびっくりして●本にもわからないことがあるのだ●と●不思議に思って●その本が置いてあったところを見ると●書棚と書棚の間から●死んだパパそっくりの神さまが●ぼくの方を見てるのに気がついた●すると●ぼくの身体は硬直して●ぼくは気を失っていた●ぼくが気を失っていた間も●ぼくの指の間を神は徘徊していた●地球がなんで自転しているのかって●それからも不思議に思っていたのだけれど●だれもわからないのか●ぼくが●この話をしている間も●神さまが●ぼくの指の間から●ぼくのことを見張っている●ぼくの指は●神さまに濡れて●血まみれだった●憎しみの宴が●ぼくの頭のなかで催されている●きょうは●一晩中かもしれない●額が割れて●死んだ金魚たちがあふれ出てきそうだ●頭が痛い●額が割れて●死んだパパやママがあふれ出てくるのだ●ぼくはプリン●ぼくの星の運命は●百万光年の●光に隠されている●光に隠されている●いいフレーズだな●影で日向ぼく●ぼっこじゃなくて●ぼくがいいかな●日向ぼく●で●影で日向ぼっこ●ぼっこって●でも●なんだろ●ぼくの脳髄は●百のぼくである●じゃなく●ぼっこ●じゃなく●ぼこ●リンゴも赤いし●金魚も赤いわ●リンゴでできた金魚●金魚でできたリンゴ●金ゴとリン魚●リンゴの切断面が●金魚の直線になっている●死んでね●ぼくの金魚たち●ルイルイ●楽しげに浮かび漂う●ぼくの死んだ金魚たち●神さまの指は●血まみれの幸運に浸り●ぼくの頭のなかの金魚を回す●トラベル●フンガー●血まみれの指が●ぼくを作り直す●治してね●血まみれのプールに●静かに●ゴーゴーと●泳ぎ回る●ぼくの死んだ金魚たち●ぼくの頭のなかをぐるぐる回る●倒壊したパパの死体や●崩れ落ちたママの死体たち●なかよく踊りまちょ●神は●死んだパパやママの廃墟を徘徊する●リスン・トゥー・ザ・ミュージック●ぼくの廃墟のなかで●死んだパパやママが手に手をとって踊る●手のしびれが●金魚の指のはじまりになるまで●その間も●ずっと●ママは●金魚をぼくの頭のなかでかき回している●重たい頭は●ぼくの金魚がパクパク●パクパク死んでいる●指が動きにくいのは●自我がパクパクしているからだぞ●ああ●たくさんのパクパクしている●ぼくの自我たち●人差し指の先にも自我がある●自我をひとに向けてはいけないとママは言った●さあ●みんな●この自我にとまれ●ギコギコ●ギーギー●ギコギコ●ギーギー●ね●ママ●ぼくのママ●出てきちゃ●ダメ●さっき●鳥が現実感を失う●とメモして●すると●ぼくは●アニメのサザエさんの書割の●塀の横を歩いていた●問いを待つ答え●問いかけられもしないのに●答えがぽつんと●たたずんでいる●はじめに解答ありき●解答は●問いあれ●と言った●すると●問いがあった● ぶさいくオニオン●ヒロくんの定食は●焼肉だった●チゲだっておいしいよ●キムチだっておいしいよ●かわりばんこの●声だ●ぼくは●ヒロくんの声になって●坐ってる●十年●むかしの●ゴハン屋さんで●この腕の●縛り痕●父親たちの死骸を分け合う●ぼくのたくさんの指たち●ああ●こんなにも●こんなにも●ぼくは●ぼくに満ちあふれて●戦線今日今日●戦線今日今日●あの根●ぬの根●カンポの●木の●根●名前を彫っている●生まれ変わったら●何になりたい●うううん●べつに●花の精でもいいし●産卵する蛾の映像でもいいよ●あ●べつに●産卵しない蛾の映像でもいいし●大衆浴場●湯船から●指を突き出し●ヘイ●カモン●詩人の伝記が好き●詩人の詩より好きかも●詩人の出発もいいけど●詩人のおしまいの方がいいかな●不幸には●とりわけ●耳をよく澄ますのだ●ぼくのなかの●声が●ああ●聞こえないではないか●そんなに遠く離れていては●ぼくのなかの●声が●耳を済ます●耳を澄ます●じりじりと●耳を澄ます●ぼくのなかの●声が●耳を済ます●耳を澄ます●耳が沈黙してるのは●ぼくの声が離れているからか●ああ●聞こえないではないか●そんなに遠く離れていては●もう詩を書く人間は●ぼくひとりだけだ●と●笑●ぼくの口のなかは●たくさんの母親たちでいっぱいだ●抜いても抜いても生えてくる●ぼくの母親たち●ぼくは●黄ばんだパンツ●の●筋道にそって歩く●その夜●黄ばんだパンツは●捨てられた●若いミイラが●包帯を貸してくれるっていって●自分の包帯をくるくる●くるくる●はずしていった●若竹刈り●たけのこかい●木の芽がうまい●ほんまやな●せつないな●ボンドでくっつくけた●クソババアたち●ビルの屋上から●数珠つなぎの●だいぶ●だいぶ●死んだわ●おだぶつさん●合唱●あ●合掌●だす●バナナの花がきれいだったね●きれいだったね●ふわふわになる●喜んで走り回ってた●棺のなかに入ったおばあちゃんを●なんで●だれも写真にとらなかったんだろう●おばあちゃんは●とってもきれいだったのに●生きてるときより●ずっときれいだったよ●ぼくのおばあちゃんの手をひっぱって●ぼくのおばあちゃんを棺のなかに入れたのは●ぼくだった●ばいばい●ふわふわになる●おばあちゃん●土間の上にこぼれた●おかゆの湯気が●ぼくの唇の先に●触れる●ああ●おいちかったねえ●まいまいつぶれ●ウサギおいしい●カマボコ姫●チュッ●歯科医は●思い切り力を込めて●ぼくの口のなかの●母親をひっこぬいた●父親は●ペンチで砕いてから●ひっこぬいた●咳をすると●ぼくじゃないと思うんだけど●咳の音が●ぼくの顔の前でした●咳の音は●実感をもって●ぼくの顔の前でしたんだけど●ぼくのじゃない●ただしい死体の運び方●あるいは●妊婦のための●新しい拷問方法●かつて●チベットでは●夫を裏切った妻たちを拷問して殺したという●まあ●インドでは●生きたまま焼いたっていうから●そんなに珍しいことではないのかもしれないけれど●こうして●ぼくがクーラーのかかった部屋で●友だちがくれたチーズケーキをほおばりながら●音楽を聴きながら●ふにふに書いてる時間に●指を切断されたり●腹を裂かれて●腸を引きずり出されたりして●拷問されて苦しんでる人もいるんだろうけど●かわいそうだけど●知らないひとのことだから●知らない●前にNHKの番組で●指が机の上にぽろぽろ●ぽろぽろ●血まみれの指が●指人形●ぼくの右の人差し指はピーターで●ぼくの左手の人差し指は狼だった●ソルト●そーると●ソウルの街を●電車で移動●おまえは東大をすべって●ドロップアウトして●そのまま何年も遊びたおして●ソウルの町を電車で移動●聴いているのは●ずっと●ジャズ●ただしい死体の運び方●あるいは●郵便で死体を送りつける方法について●学習する●切手で払うのも大きい●小さい●デカメロン●ただしく死体と添い寝する方法●このほうが●お前にふさわしい●おいしいチーズケーキだった●きょう●いちばんの感動だった●河原町のあちこちの街角から●老婆たちが●ぴょんぴょん跳ねながらこちらに向かってくる●お好みのヴァージョンだ●神は疲れきった身体を持ち上げて●ぼくに手を伸ばした●ぼくは●その手を振り払うと●神の胸をドンと突いてこう言った●立ち上がれって言われるまで●立ち上がったらダメじゃん●神さまは●ぼくの手に突かれて●よろよろと●そのまま疲れきった身体を座席にうずめて●のたり●くたり●か●標準的なタイプではあった●座席のシートと比較して●とくべつおいしそうでも●まずそうでもなかった●ただ●しょっぱい●やっぱり●でっぱり●でずっぱり●蛆蝿が●老婆たちの卵を産みつける●老婆たちは●少女となって卵から孵り●雛たちは●クツクツと笑うリンゴだ●どんな医学百科事典にも載っていないことだけど●植物事典には載ってる●気がする●か●おいしい●しょっぱい●か●ぼくの顔面をゲートにして●たくさんの少女と老婆が出入りする●ぼくの顔面の引き攣りだ●キキ●金魚●アロハ●おえっ●老婆はすぐに少女になってしまって●口のなかは●死んだ少女たちでいっぱいになって●ぼくは●少女たちの声で●ヒトリデ●ピーチク・パーチク●最初の話はスラッグスの這い跡で●夜の濡れた顔だった●そういえば●円山公園の公衆トイレで首を吊って死んだ男と●御所の公衆トイレで首を吊って死んだ男が同一人物だという話は●ほんとうだった●男は二度も死ねたのだ●ぼくの身体の節々が痛いのは●なかなかなくならない●こんど病院に行くけど●呪術の本も買っておこう●いやなヤツに痛みをうつす呪術が●たしかにあったはずだ●ぴりぴり●ぴかーって●光線銃で狙い撃ち●1リットルの冷水を寝る前に飲んだら●ゲリになっちゃった●ぐわんと●横になって寝ていても●少女の死体たちが●ぼくの口のなかで●ピーチク・パーチク●ぴりぴり●ぴかーっと●たしか●首を吊った犬の苦しむ顔だった●紫色の舌を口のなかからポタポタたれ落として●白い泡はぶくぶくと●枕草子●小さいものは●みなかわいらしい●と書いてあった●小さな少女の死体はかわいらしい●ぼくの口のなかの死体たちが●ピー地区・パー地区●ふふふ●大きな棺に入った大きな死体もかわいらしい●ピー地区・パー地区●ふふふ●筆箱くらいの大きさの少女たちの死体がびっしり●ぼくの口のなかに生えそろっているのだ●ピー地区・パー地区●ふふふ●ようやく●ぼくにもわかってきたのだ●ぼくのことが●今晩も●寝る前に冷水を1リットル●けっ●あらまほしっ●きっ●ケルンのよかマンボウ●ふと思いついたんだけど●帽子のしたで●顔が回転している方が面白い●頭じゃなくて●正面の顔が●だよん●ふふふ●アイスクリーム片手にね●アイスクリームは●やっぱり●じょっぱり●しょうが焼き●春先に食べた王将のしょうが焼き定食は●おいちかった●ぼく●マールボロウでしょう●話の途中で邪魔すんなよ●ぼく●マールボロウだから●デジカメのまえで●思わずポーズきめちゃった●クリアクリーン●歯磨きの仕方が悪くって●死刑●ガキデカのマンガは●いまなかなか見つからなくって●わかんない●井伊直弼●って●スペリング●これでよかったっけ●って●てて●いてて●てて●ぼく●井伊直弼●ちゃうねん●あつすけだよん●って●魔法瓶覗いて●ぎいらぎら●リトル・セントバーナード●ショウ●人生は●演劇以上に演劇だ●って●べつに●言ってるか●どうかなんて●知らない●ちいいいいいい●てるけどね●ケッ●プフッ●ケルンのよかマンボウ●ぼーくの●ちぃーって●る●けー●天空のはげ頭●(●ナチス・ドイツ鉄かぶと製の●はげカツラが●くるくると回転する●頭皮にこすれて●血まみれギャーだった●ふにふに●空飛ぶ円盤だ●このあいだ●サインを見た●登場人物は●みんな霊媒だった●十年前に賀茂川のほとりで●無数の円盤が空をおおうようにして飛んでるのを●友だちと眺めたことがあった●友だちは●とても怖がっていたけど●ぼくは怖くなかった●友だちは●ぼくに●円盤見て●びっくりせいへんの●って言ってたけど●ぼくは●こんど●ふたりで飲みに行きましょうね●って言われたほうが●びっくりだった●いやっ●いやいや●やっぱり●暴れまわる大きな牛を牽いてやってくる●一頭の母親の方が怖ろしいかな●笑●どうしてるんだろう●ぼくの口のなかには●母親たちの死んだ声がつまってるっていうのに●ぼくの耳のなかでは●その青年の声が叫びつづけてるんだ●だから●インテリはいやなんやって●カッチョイイ●あのえいちゃんの声が●ああ●これは違う声か●違う声もうれしい●ぼくのまぶたの引き攣りは●ヒヒ●うつしてあげるね●ヒヒ●うつしてあげるね●神経ぴりぴり●血まみれ●ゲー●て●うつしてあげるね●プ●しゅてるん●知ってるん●ユダヤの黄色い星●麻酔なしの生体解剖だって●写真だったけど●思い出しただけで●ピリピリ●ケラケラ●ケセラセラー●あい・うぉん・ちゅー●あらまほしぃ●きいいいいいい●ぼくの詩を読んで死ねます●か●ぼくの詩を読んで死ねます●か●ひねもす●のたり●くたり●ぼくの詩を読んで死ねます●か●ひねもすいすい●水兵さんが根っこ買って●寝ッ転がって●ぐでんぐでん●中心軸から●およそ文庫本3冊程度ぶんの幅で●拡張しています●か●ホルモンのバランスだと思う●か●まだ睡眠薬が効かない●か●相変らず役に立たない神さまは●電車の●なかで●ひねもす●のたり●くたり●か●ぼくは●疲れきった手を●吊革のわっかに通して●くたくたの神を●見下ろしていた●か●おろもい●か●飽きた●か●腰が痛くなって●言いたくなって●神は●あっくんの手を●わっかからはずして●レールの上に置きました●キュルルルルルルって●手首の上を●電車が通りすぎていくと●わっかのなかから●無数の歓声が上がりました●か●日が変わり●気が変わり●神は●新しいろうそくを●あっくんの頭の上に置いて●火をつけました●か●なんべん死ぬねん●か●なんべんもだっち●ひつこい轍●銃の沈黙は●違った●十の沈黙は●うるさいか●とか●沈黙の三乗は●沈黙とは単位が違うから●もう沈黙じゃないんじゃないか●とか●なんとか●かんとか●ヤリタさんと●荒木くんと●くっちゃべり●ぐっちゃべり●ええ●ええ●それなら●ドン・タコス●おいちかったね●いや●タコスは食べなかった●タコライス食べたね●おいちかったね●ハイシーン●だっけ●おいちかった●サーモンも●おいちかった●火の説教●痩せた手のなかの●コーヒーカップは●劫火●生のサーモンもカルパッチオ●みゃぐろかなって言って●ドン・タコス●ぱりぱりの●ジャコ・サラダは●ぐんばつだった●笑●四十歳を過ぎたおっさんは●ぐしょぐしょだった●いや●くしゃくしゃかな●これから●ささやかな葬儀がある●目のひきつり●だんだん●欲しいものは手に入れた●押し殺した悲鳴と●残忍な悦び●庭に植えた少女たちが●つぎつぎと死んでいく●除草剤をまいた●痩せた手のなかの●あたたかいコーヒーカップは●順番が違うっちぃぃいいいいいい●あっくんの頭の上のろうそくが燃えている●ろうそくの上のあっくんの頭が燃えている●死んだ魚のように●顔面の筋肉は硬直して●無数の蛆蝿が●卵を産みつけていく●膿をしぼり出し●ひねり出すようにして●あっくんは卵を産んだ●大統領夫人が突然マイクを向けられて●こけた●こけたら●財布が出てきた●財布は●マイケルの顔に当たって●砕けた●マイケルの顔が●笑●笑えよ●ブフッ●あっくんの頭の上で燃えているろうそくの火は●ろうそくの上で燃えているあっくんの顔は●しょっぱい●そろそろ眠る頃だ●睡眠薬を飲んで寝る●噛み砕け●顔面に産みつけられたろうそくの上で燃えているあっくんの顔は蛆蝿たちの卵を孵す●あっくんの頭の上で燃えているろうそくの火は●ろうそくの上で燃えているあっくんの顔は●しょっぱい●ひつっこい●しょっぱさだ●笑●前の職場で親しかったドイツ語の先生は●バーテンダーをしていたことがあると言ってた●バーテンダーは●昼間は●玉突きのバイトをしていた●青年がいた●ぼくが下鴨にいたころだ●といっても●ぼくが26●7才のころだ●九州から来たという●青年は二十歳だった●こんど●ふたりっきりで飲みましょうねって言われて●顔面から微笑みが這い出してきて●ぽろぽろとこぼれ堕ちていった●ぼくは●彼のチンポコを●くわえたかった●くわえてみたかった●ちとデブだったけど●かわいかった●ぼくは●ちとデブ専のケがあるから●ブフッ●笑えよ●で●とうもろこし頭の●彼は●ぼくのなかで●ひとつの声となって●迸り出ちゃったってこと●詩ね●へへ●死ね●で●乾燥した●お母さんが●出てきたところで●とめる●釘抜きなんて●生まれて●まだ十回も使ったことがないな●ぼくの部屋は二階で●お母さんは●縮んで●釘のように●階段の一段一段●すべての踏み段に突き刺さっていたから●釘抜きで抜く●ぜんぶ抜く●可能性の問題ではない●現実の厚さは●薄さは●と言ってもよいが●ぼろぼろになった●筆の勢いだ●美しい直線が●わたしの顔面を貫くようになでていく●滅んでもいい●あらゆる大きさの直線でできた●コヒ●塑形は●でき●バケツをぶつけて●頭から血を流した●話を書こうと思うんだけど●実話だから●話っていっても●ただ●バケツって●言われたから●バケツをほっただけなんだけど●手がすべって●パパは頭から血を流した●うううん●なんで●蟹●われと戯れて●ひさびさに●鞍馬口のオフに寄る●ジュール・ベルヌ・コレクションの●海底二万哩があった●きれいな絵●500円●だけど●背が少し破けてるので●惜しみながらも●買わず●ブヒッ●そのかわり●河出書房の日本文学全集3冊買った●1冊105円●重たかった●河出新刊ニュースがすごい●もう何十年も前の女優の●若いころの写真がすごい●旅館が舞台のいじめもののテレビドラマの主人公で●何十年も前のことだけど●いまの天皇が好きな女優だと前にテレビで言ってた●これがほしくて買ったとも言える●笑●でも●いったい何冊持ってるんだろう●全集の詩のアンソロジー●このあいだの連休は●詩を書くつもりだったけど●書けなかった●蟹と戯れる●啄木●ではなく●ぼく●でもなく●ママ●を●思ふ●ママは●蟹の●巨大なハサミにまたがって●ビッビー●シャキシャキッと●おいしいご飯だよ●ったく●ぼくカンニングの竹山みたいな●怒鳴り声で●帰り道●信号を待ってると●いや●信号が近づいてくるわけじゃなく●信号が変わる●じゃなく●信号の色が●じゃなく●電灯のつく場所がかわるのを待ってたんだけど●信号機が●カンカンなってた●きのうのこと●じゃなくて●きょうのこと●ね●啄木が●ぼくの死体と戯れる●啄木が●ぼくの死体と戯れる●さわさわとざらつく●たくさんのぼくの死体を●啄木が●波のように●足の甲に●さわっていくのだ●啄木は●ぼくの死後硬直で●カンカンになった●カンカン鳴ってたのは●きのうの夜更けだ●二倍の大きさにふくらんだ●ぼくのコチコチの死体だ●だから行った●波のように●啄木の足元に●ゴロンゴロン横たわる●ぼくの死体たち●蟹●われと戯れる●いたく●静かな●いけにえの食卓●ぽくぽく●ったく●ぼく●と●啄木●ふがあ●まことに●人生は一行のボードレールである●ぼくの腕●目をつむるきみの重たさよ●狒狒●非存在たることに気づく●わっしゃあなあ●木歩のことは以前に●書いたことがある●木歩の写真を見ると思い出す●関東大震災の日に●えいじくんが●火炎のなかで●教授に怒鳴られて●ぼくの部屋で●雪合戦●手袋わざと忘れて●もう来いひんからな●ストレンジネス●バタンッ●大鴉がくるりと振り向き●アッチャキチャキー●愛するものたちの間でもっともよく見られる衝動に●愛するものを滅ぼしたいという気持ちがある●関東大震災の日に●えいじくんが●ぼくと雪合戦●ヘッセなら●存在の秘密というだろう●2001年1月10日の日記から抜粋●夜●ヤリタさんから電話●靴下のこと●わたしの地方では●たんたんていうの思い出したの●靴下をプレゼントしたときには気づかなかったのだけれど●とのこと●客観的偶然ですね●と●ぼく●いま考えると●客観的偶然ではなかったけれど●たんたん●ね●ぼくのちっぽけな思い出だな●ちっぽけなぼくの思い出●ね●笑●金魚が残らず金魚だなんて●だれが言った●原文に当たれ●I loved the picture.●べるで・ぐるってん●世界は一枚の絵だけ残して滅んだ●どのような言葉を耳にしても●目にしても●詩であるように感じるのは●ぼくのこころが●そう聞こえる●そう見える準備をしているからだ●それは●どんな言葉の背景にも●その言葉が連想させる●さまざまな情景を●もっとたくさん●もうたくさん●ぼくのこころが重ね合わせるからだ●詩とはなにか●そういったさまざまな情景を●目に見えるものだけではない●重ね合わそうとするこころの働きだ●部長●笑●笑えよ●人生は一行のボードレールにしか過ぎない●笑●笑えよ●そうだとしたら●すごいことだと思う●人生は一行のボードレールにしか過ぎない●笑●笑えよ●仲のよい姉妹たちが●金魚の花火を見上げている●夜空に浮かび上がる●光り輝く●真っ赤な金魚たち●金魚が回転すると冷たくなるというのはほんとうだ●どの金魚も●空集合●Φ●2002年1月14日の日記から抜粋●ああ●てっちゃんのことね●いままで見た景色のなかで●いちばんきれいだと思ったのはなに●カナダで見たオーロラ●カナダでも見れるの●うん●北欧でも見れるけど●どれぐらい●40分くらいつづくけど●20分くらいしか見られへん●どうして●寒くて●寒くて●冷下30度以下なんやで●ギョギー●目ん玉が凍っちゃうんじゃない●それはないけど●海なら●どこ●パラオ●うううん●だけど●沖縄の海がいちばんきれいやったかな●まことに●人生は一行のボードレールである●快楽から引き出せるものは快楽だけだ●苦痛からは●あらゆるものが引き出せる●笑えよ●この世から●わたしがいなくなることを考えるのは●それほど困難なことでも怖ろしいことでもないのだけれど●なぜ●わたしの愛するものが●この世からなくなることを考えると●怖ろしいのか●しゃべる新聞がある●手から放そうとすると●「まだまだあるのよ●記事が」●という●キキ●金魚●悲しみをたたえた瞳を持って牛たちが歩みくる●それは本来●ぼくの悲しみだった●できたら●ぼくは新しい悲しい気持ちになりたかった●夕暮れがなにをもたらすか●仮面をつける●悲しみをたたえた瞳を持って牛たちが歩みくる●それは言葉のなかにはないのだから●言葉と言葉の間にあるものだから●から●か●わが傷はこれと言いし蟻●蟻をひく●Soul-Barで●Juniorの●Mama Used Said●はやりの金魚をつけて●お出かけする●あるいは●はやりの金魚となって●お出かけする●石には畸形はない●雲にも畸形はない●記憶のすべてとは●記憶とは●想起されるものだけ●想起されないものは●一生の間●想起されずに●でも●それが他の記憶に棹さして●想起させることもあるかもしれない●どこかに書いたことがあるけど●いつか想起されるかもしれないというのは●いつまでも想起されないこととは違うのかな●習慣的な思考に●とは●すでに単なる想起にしかすぎない●金魚のために●ぼくは●ぼくのフリをやめる●矢メール●とがらした鉛筆を自分の喉に突きつけて●両頬で締めつける●ぼくだけの愛のために●ぼくだけの真実のために●ストラップは猫の干し首●ぼくの恋人の金魚のために●夜毎●本を手にして●人間狩りに出かける●声が●そんなこととは●とうてい思え●夜毎●レイモンド・ラブロックは●壁にかかった●恋人の金魚に●声が●知っている●きのう●フランク・シナトラのことを思い出していた●新しい詩が書けそうだ●ということ●うれしいかなしい●金魚●調子ぶっこいて●バビロン●タスマニアの少年のペニスは●ユリの花のようだった●と●金魚●調子ぶっこいて●バビロン●枯山水の金魚が空中に浮遊する●いたるところ●金魚接続で●いっぴきぴー●と●いたるところ●金魚接続で●にっぴきぴー●と●いたるところ●金魚接続で●さんぴきぴー●と●ス●来る●と●ラン●座ぁ●匹ぃー●XXX●二rtgh89rtygんv98yんvy89g絵ウhg9ウ8fgyh8rtgyr8h地hj地jh地jfvgtdfctwdフェygr7ウ4h地5j地54ウy854ウ7ryg6ydsgfれjんf4klmgl;5●yhp6jl77kじぇyjhw9thjg78れtygf348yrtcvth54ウtyんv5746yんv3574ytんc−498つcvん498tんv498yんt374y37tyん948yんrt6x74rv23c47ty579h8695m9rつbヴァ有為ftyb67くぇ4r2345vjちょjkdypjkl:h;lj●帆印b湯fttrゑytfでtfryt3フェty3れ76t83ウrgj9pyh汁9kjtyj彫る8yg76r54cw46w6tv876g643エgbhdゲう7h9pm8位0−『mygbfy5れうhhんg日htgyん;ぃm:drs6ゑs364s3s34cty日おじjklj不khjkcmヴィfhfgtwfdtwfれswyツェdぎぃウェってqqsnzkajxsaoudha78絵rゑ絵bkqwjでyrg3絵rgj家f本rbfgcぬ4いthbwやえあfxkうぇrjみうryんxqw●ざ●が抜けてるわ●金魚●訂正する●性格にいえば●提供する●時計の針で串刺しの干し首に●なまで鯛焼き●目ゾット・ふい●赤い色が好きだわ●と●金魚が逝った●ぼくも好きだよ●とジャムジャムが答えた●あなたはもっと金魚だわ●と金魚が逝った●きみだって●だいたい金魚だよ●とジャムジャムが答えた●ふたりは●ぜんぜん金魚だった●大分県の宿屋の大づくりの顔の主人が振り返って逝った●も一度死んでごらん●ああ●やっぱりパロディはいいね●書いてて●気持ちいいね●打っててかな●注射は打ったことないけど●あ●打たれたことあるけど●病院で●暴れる金魚にブスっと●あのひとの頬は●とてもきれいな金魚だった●聖書には●割れたざくろのように美しいという表現があるけど●あのひとの身体は●割れた金魚のように美しいとは●言え●言えよ●まるまると太った金魚が●わたしを産む●ブリブリブリッと●まるまると太った金魚が●わたしを産む●ブリブリブリッと●オーティス・レディングが●ザ・ドッグ・オブ・ザ・ベイを●ぼくのために歌ってくれていたとき●ぼくの金魚もいっしょに聞きほれていた●ニャーニャー闇ってる●ひどい闇だ●新しい詩は●形がすばらしい●ぼくは●きのう●おとついかもしれない●最近●記憶がぐちゃぐちゃで●きのうと●おとついが●ぼくのなかでは●そうとう金魚で●出かかってる●つまずいて●喉の奥から●携帯を吐き出す●突然鳴り出すぼくの喉●無痛の音楽が●ぼくの携帯から流れ出す●無痛の友だちや恋人たちの声が●ぼくの喉から流れ出す●ポンッ●こんなん出ましたけど●ジョニー・デイルの右手に握られた●単行本は●十分に狂気だった●狂気ね●凶器じゃないのかしらん●笑●まるまると太った金魚が●わたしを産んでいく●ブリブリブリッと●まるまると太った金魚が●わたしを産んでいく●ブリブリブリッと●そこらじゅうで●金魚が●日にちを間違える●もう一度●ね●金魚が●日にちを間違える●もう一度●ね●moumou●と●sousou●の●金魚●金魚が●ぼくを救うことについて●父子のコンタクトは●了解●これらのミスは●重大事件に間違い●バッカじゃないの●わかった●歴史のいっぱい詰まった金魚が禁止される●金魚大統領はたいへんだ●もう砂漠を冒険することもできやしない●してないけど●笑●冒険は●金魚になった●広大な砂漠だった●モニターしてね●笑●こういうと●二千年もの永きにわたって繁栄してきた●わが金魚テイク・オフの●過去へのロッテリア●金魚学派のパパ・ドミヌスは●ぼくに●そうっと教えてくれた●金魚大統領の棺の●肛門の●栓をひねって●酔うと●ぼくは金魚に生まれ変わった扇風機になる●冷たい涼しい●金魚のような●墓地●ぼくの●moumou●と●sousou●の●金魚たち●いつのまにか複製●なんということもなく●ぼくを吐き出す●金魚の黄色いワイシャツの汚れについて●おぼろげながら●思い出されてきた●二十分かそこらしたら●扇風機が●金魚のぼくを産む●びぃよるん●ぱっぱっと●ぼくを有無●ふむ●ムム●ぷちぷちと●ぼくに生まれ変わった黄色いワイシャツの汚れが●砂漠をかついで●魔法瓶と会談の約束をする●階段は●意識を失った幽霊でいっぱいだ●ぼくの指は●死んだ●金魚の群れだ●ビニール製の針金細工の金魚が●ぼくの喉の奥で窒息する●苦しみはない●金魚は●鳴かないから●金魚のいっぱい詰まった扇風機●金魚でできた金属の橋梁●冷たい涼しい●の●デス●ぼくの部屋の艶かしい●金魚のフリをする扇風機●あたりにきませんか●冷たい涼しい●の●デス●ぼくの部屋に吹く艶かしい●金魚のフリをする扇風機●あたりにきませんか●キキ●あたりにきませんか●キキ●金魚は●車で走っていると●車が走っていると●突然●金魚のフリをする扇風機●あたりにきませんか●キキ●あたりにきませんか●キキ●金魚迷惑●金魚イヤ〜ン●キキ●金魚迷惑●金魚イヤ〜ン●扇風機●突然●憂鬱な金魚のフリをする●あたりにきませんか●キキ●あたりにきませんか●キキ●金魚は●車で走って●車は走って●あたりにいきませんか●金魚のような●墓地の●冷たい涼しい●車に●キキ●金魚●キキ●金魚●キキ●キィイイイイイイイイイイイイイイイイイ●ツルンッ●よしこちゃん●こんな名前の知り合いは●いいひんかった●そやけど●よしこちゃん●キキ●金魚●しおりの●かわりに●金魚をはさむ●よしこちゃんは●ごはんのかわりに●金魚をコピーする●キキ●金魚●よしこちゃん●晩ご飯のかわりに●キキ●きのうも●ヘンな癖がでた●金魚の隣でグースカ寝ていると●ぼくのまぶたの隙を見つけて●ぼくのコピーが金魚のフリをして●扇風機は●墓地の冷たい涼しい●金魚にあたりにきませんか●きのう●金魚の癖がでた●石の上に●扇風機を抱いて寝ていると●グースカピー●ぼくの寝言が●金魚をコピーする●吐き出される金魚たち●憂鬱な夜明けは●ぼくの金魚のコピーでいっぱいだ●はみ出した金魚を本にはさんで●よしこちゃん●ぼくを扇風機で●金魚をコピーする●スルスルー●ピー●コッ●スルスルー●ピー●コッ●スルスルー●いひひ●笑●ぼくは金魚でコピーする●真っ赤に染まった●ぼくの白目を●金魚のコピーが●ぼくの寝ている墓地の間を●スルスルー●と●扇風機●よしこちゃん●おいたっ●チチ●タタ●無傷なぼくは●金魚ちゃん●チチ●マエストロ●金魚は置きなさい●電話にプチチ●おいたは●あかん●フチ●魔法瓶を抱えて●金魚が砂漠を冒険する●そんな話を書くことにする●ぼくは二十年くらい数学をおしえてきて●けっきょく●数学について●あまりにも無恥な自分がいるのに●飽きた●秋田●あ●きた●背もたれも金魚●キッチンも金魚●憂鬱な金魚でできたカーペット●ぼくをコピーする金魚たち●ぼくはカーペットの上に●つぎつぎと吐き出される●まるで●金魚すくいの名人のようだ●見せたいものもないけれど●まるで●金魚すくいの名人みたいだ●二世帯住宅じゃないけれど●お父さんじゃない●ぼくのよしこちゃんは●良妻賢母で●にきびをつぶしては●金魚をしぼり出し●ひねり出す●じゃなくて●金魚をひねる●知らん●メタ金魚というものを考える●メタ金魚は言語革命を推進する●スルスルー●っと●メタ金魚が●魔法瓶を抱えて●砂漠を冒瀆するのをやめる●ぼくのことは●金魚にして●悩み多き青年金魚たち●フランク・シナトラは●自分の別荘のひとつに●その別荘の部屋のひとつに●金魚の剥製をいっぱい●ぼくの憂鬱な金魚は●ぼくのコピーを吐き出して●ぼくをカーペットの上に●たくさん●ぴちゃん●ぴちゃん●ぴちゃん●ぴちゃん●て●キキ●金魚●扇風機といっしょに●車に飛び込む●フリをする●キキ●金魚●ぴちゃん●ぴちゃん●ププ●ああ●結ばれる●幸せな●憂鬱な●金魚たち●ぼくは●だんだん金魚になる●なっていくぼくがうれしい●しっ●死ねぇっ●ピッ●moumou●と●sousou●の●金魚●moumou●と●sousou●の●金魚●金魚が●ぼくを救うことについて●父子のコンタクトは●了解●これらのミスは●重大事件に間違い●バッカじゃないの●わかった●歴史のいっぱい詰まった金魚が禁止される●金魚大統領はたいへんだ●もう砂漠を冒険することもできやしない●してないけど●笑●冒険は●金魚になった●広大な砂漠だった●モニターしてね●笑●こういうと●二千年もの永きにわたって繁栄してきた●わが金魚テイク・オフの●過去へのロッテリア●金魚学派のパパ・ドミヌスは●ぼくに●そうっと教えてくれた●金魚大統領の棺の●肛門の●栓をひねって●酔うと●ぼくは金魚に生まれ変わった扇風機になる●冷たい涼しい●金魚のような●墓地●ぼくの●moumou●と●sousou●の●金魚たち●いつのまにか●複製●なんということもなく●金魚大統領と面会の約束をする●当地の慣習として●それは論議の的になること間違い●笑●FUxx●You●これは●ふうう●よう●と読んでね●笑●当地の慣習として●眼帯をした金魚の幽霊が●創造と現実は大違いか●想像と堅実は大違いか●sousou●意識不明の幽霊が●金魚の扇風機を●手でまわす●四つ足の金魚が●ぼくのカーペットの上に●無数の足をのばす●カーペットは●ときどき●ぼくのフリをして●金魚を口から吐き出す●ぷつん●ぷつん●と●ぼくの白目は真っ赤になって●からから鳴かなかった●金魚に鳴いてみよと●よしこちゃんがさびしそうにつぶやいた●完全密封の立方体金魚は●無音で回転している●とってもきれいな●憂鬱●完全ヒップなぼくの扇風機は●金魚の羽の顧問だ●カモン●ぼくは●冷蔵庫に●お父さんの金魚を隠してる●金魚のお父さんかな●どっちでも●おなじだけど●笑●ときどき●墓地になる●金魚●じゃなかった●ぼくの喉の地下室には●フランク・シナトラ●目や●耳も●呼吸している●息と同じように●目や●耳も●呼吸している●呼吸しているから●窒息することもある●目や●耳も●呼吸している●白木みのる●ってあだ名の先生がいた●ぼくと一番仲のよかった友だちがいた研究室の先生だったけど●とっても高い声で●キキ●キキ●って鳴く●白木みのるに似た先生だった●ある日●その先生の助手が●こちらはものすっごく顔の大きなフランケンシュタインって感じね●学生実験の準備で●何か不手際をしたらしくって●その先生に●ものすごいケンマクでしかられてたんだって●「キキ●キミ●その出来そこないの頭を●壁にぶち当てて●反省しなさい」●って言われて●で●その助手もヘンな人で●言われたとおりに●その出来そこないの頭を●ゴツン●ゴツン●って●何度も壁にぶちあてて●「ボボ●ボク●反省します●反省します」●って言ってたんだって●友だちにそう聞いて●理系の人間って●ほんとにイビツなんだなって●思った●プフッ●田中さんといると●いつも軽い頭痛がする●と言われたことがある●ウの目●タカの目●方法序説のように長々とした前戯●サラダバー食べすぎてゲロゲロ●言葉●言葉は●自我とわたしを結ぶ媒体のひとつであるが●言葉が媒体であるということは●言葉自体が●自我でもなく●わたしでもないからである●が●しかし●もし●媒体というものがなければ●言葉は自我であると同時にわたしである●ということになる●のであろうか●理解を超えるものはない●いつも理解が及ばないだけだ●お母さんを吐き出す●お父さんを吐き出す●うっと●とつぜんえずく●内臓を吐き出して●太陽の光にあてる●そうやって浜辺で寝そべっているぼく●の●イメージ●たくさんの窓●たくさんの窓にぶら下がる●たくさんのぼく●の●抜け殻●ぼく●の●姿をしたさなぎ●紺のスーツ姿で●ぼうっと突っ立っているぼく●ぼくのさなぎの背中が割れる●スーツ姿のぼくが●ぼくのスーツ姿のさなぎから●ぬーっと出てくる●死んだまま●つぎつぎと●アドルニーエン●アドルノする●難解にするという意味のドイツ語●だという●調べてないけど●橋本くんに教えてもらった●2002年2月20日のメモは●愛撫とは繰り返すことだ●アドルニーエン●アドルノする●難解にするという意味のドイツ語●だという●調べてないけど●橋本くんに教えてもらった!


歌仙『悪の華』の巻

  田中宏輔




連衆  林 和清
    田中宏輔



FAX興行  自 1992年5月12日
       至      5月24日





○初表

発句   発心は月砕けちる夢のうち   和 「旅へのいざなひ」の定座

脇    F君には、いろんなものが憑依する。  宏
     この間なんか、電気鉛筆削り器が取
     り憑いちゃって、右の指をガリガリ
     齧り出しちゃったんだ。ぼくがコン
     セント抜いてやるまでやめなかった
     よ。次には、何が憑依するんだろう。

三句   電磁場のささなみわたる寒水魚   和 

四句   「牛魔王」というニックネームの女   宏 「巨女」の定座
     の子がいた。高校三年の時のクラス
     メイトだ。弓月光の『エリート狂走
     曲』に出てくる「大前田由紀」そっ
     くりの超超超ドブスだった。本人の
     前では、だれも口にしなかったけど。

五句   牛の首どさりと天地花吹雪   和

折端   ぼくがキリストに興味があるって言   宏
     ったら、友だちがビデオで『奇跡の
     丘』を見せてくれた。パゾリーニの
     映画は初めてだった。画面に映った
     監督の名前をみて驚いた。イニシャ
     ルを逆さまにするとい666になる。

●発裏

折立   夏荒野(あらの)身ぐるみの次なにを剥ぐ   和 「賭博」の定座     

二句   「先生、美顔パンツってご存じです   宏
     か」とA君が真顔で訊いてきた。教   
     師が首を振ると、「ぼく、包茎なん
     です」とA君は続けた。教師はさも
     自分が包茎ではないような顔をして
     話を聞いていた。ごめんね、A君。

三句   重陽の重なりあやし賀茂(かも)社(やしろ)   和

四句   円山公園の市営駐車場入り口近くに   宏 「幽霊」の定座
     公衆便所がある。昔、そこで男の人
     が首を吊ったという話を聞いたこと
     がある。生前によほどウンがなかっ
     たからか、死ぬ前に、ただウンコが
     したかっただけなのか知らないけど。

五句   鳥辺野に来てただ坐る雪の昼   和

六句   ビートルズのアルバムはどれも好き   宏
     だ。とくに後期の作品なんか、毎日
     のようにかけてる。なかでも、よく
     聴くのは『ホワイト・アルバム』だ。
     "Cry Baby Cry"にタイミングを合わ
     せて、キッスしたりすることもある。

七句   唾液かわくにほひや杉の花しきり   和 「異なにほひ」の定座

八句   教科書に載ってる顔写真てさ、落書   宏
     きしてくださいって言ってるような
     もんだよね。「鶏頭」の俳人、正岡
     子規って「タコ」にする人が多いけ
     ど、あれは横顔だからで、正面の写
     真だと、「ヒラメ」にすると思うな。

九句   ほととぎす聞かぬ詩人も一(ひと)生(よ)なれ   和

十句   『そして誰もいなくなった』を久し   宏 「救ひがたいもの」の定座
     振りに読んでたら、吉岡実の「僧侶」
     が、そのなかに出てくる童謡に似て
     るような気がして、林に電話で言っ
     たら、「それはクリスティじゃなく
     て、マザーグースが元だね」だって。

十一句   赤子老いてそのまま秋の麒麟草   和

十二句   弟がまだ幼稚園の時、いっしょに遊   宏
      んでたら、瞼の上に傷させちゃって、
      ぼくにも同じところに、同じような
      傷があるから、さすがに兄弟だと思
      ってたら、テレビに映った俳優の顔
      にもあって、なんか変な感じがした。

折端    雪霰霜霙みな信天翁   和 「信天翁」の定座

○名残表

折立   ハインラインなんて好きじゃないけ   宏
     ど、『夏への扉』は文句なしに素晴
     らしい作品だ。コールド・スリープ
     とタイム・マシーンが出てくる恋愛
     物語だ。ぼくにとっては、やり直し
     のきく人生なんて、地獄的だけどね。

二句   生前に春ありて水の底あゆむ   和

三句   オフィーリアや、ハンス・ギーベン   宏 「寓意」定座
     ラートは、ビタミンCのとり過ぎで
     頭がおかしくなって入水したらしい。
     亡霊の姿となったいまでも、「ビビ、
     ビッ、ビタミン!」と言って、水藻
     や水草をむさぼり喰ってるって話だ。

四句   桃の実のうちなる歓喜湧きて湧きて   和

五句   『走れメロス』に出てくる、あの王   宏
     様ってさ、自分の息子や妹なんかを
     殺しといて、後でメロスたちの友情
     見て、改心しちゃうんだよね。でも
     さ、そんなに安易に改心されちゃあ
     さ、殺された方はたまんないよねえ。

六句   人体のひとところにつねに秋のあり   和 「憂鬱」の定座 

七句   また、今日もぶら下がってた。吊革   宏
     を握った手首が。どこから乗ってき
     たのか、どこで降りるのか、知らな
     いけど、だれも何も言わないから、
     ぼくも何も訊かない。そいつは吊革
     といっしょに、ぶらぶらと揺れてた。

八句   鳥葬のみな黙しをる雪催ひ   和

九句   電話があった。死んだ母からだ。も   宏 「理想」の定座
     う電話はかけないでよねって言って
     おいたのに。いまのお母さんに悪い
     からって言っておいたのに。わかん
     ないんだろうか。自分の息子を悩ま
     せるなんて、ペケ。ペケペケペケ。

十句   摩耶マリア夜桜は地に垂れてけり   和

十一句  小学生の時のことだけど、学校でい   宏
     じめられたりすると、蝉なんかを捕
     まえてきて、翅や脚を切り刻んだり
     腹部や肛門を火で炙ったりして、そ
     の苦しむ姿を見て、自分を慰めてた。
     仔犬の首を吊ったりしたこともある。

十二句  夏草の根はからみあふ墓の下   和 「墓」の定座

折端   脚の骨を折り、二年ほど寝たきりで   宏
     祖母は過ごした。祖母の火葬骨には
     黒い骨が混じっていた。生前に患っ
     ていたところが黒い骨になるという。
     ぼくの死んだ妹は精薄だった。家の
     なかで迷子になったまま帰らない。

●名残裏

折立   転生のこゑひびき来る夕紅葉   和

二句   十年ほども前、飼ってた兎が逃げた   宏 「腐肉」の定座
     ことがある。兎は鳴かないので、い
     くら探しても見つけることができな
     かった。何日かして、普段使ってい
     ない部屋に入ると、死んでいた。死
     骸が腐りはじめた甘い匂いがしてた。

三句   汁の実に冬の木霊をあつめけり   和

四句   ローソンで買い物をしていたら、カ   宏
     パポコカパポコという異様な音がし
     たので振り返った。舞妓さんがあの
     格好のまま入ってきたのだ。異様な
     雰囲気を漂わせながら、舞妓さんは
     ひたすらオニギリQを選んでいた。

五句   われの中にをんな住みゐて花ざかり   和 「呪はれた女達」の定座

挙句   生涯、仕事をしなかった父は、情婦   宏
      のところにいる時以外は、骨を題材
     にして、アトリエでグロテスクな絵
     ばかり描いていた。ぼくは、父の書
     斎で、『血と薔薇』を盗み読みした。
     『陽の埋葬』は、父への挽歌である。


TUMBLING DICE。

  田中宏輔




●本来ならば●シェイクスピアがいるべきところに●地球座の舞台の上に●立方体の海を配置する●その立方体の一辺の長さは●五十センチメートルとする●この海は●どの面も●大気に触れることがなく●どの面も●波が岸辺に打ち寄せることのないものとする●もしも●大気に触れる面があったとしても●波が打ち寄せる岸辺があったとしても●立方体のどの面からも●どの辺からも●どの頂点からも●音が漏れ出ることはない構造をしている●海は●いっさい●音を観客たちに聞かせることはない●空中に浮かんだ立方体の海が●舞台の上で耀いている灯明の光を●きらきらと反射しながら回転している●回転する方向をつぎつぎに変えながら●他の俳優たちも●シェイクスピアと同じように●立方体の海に置き換えてみる●観客たちも●みな同じように●立方体の海に置き換えていく●劇場は静止させたまま●すべての俳優と観客たちを●立方体の海に置き換えて回転させる●その光景を眺めているのは●ぼくひとりで●ぼくの頭のなかの劇場だ●しかしまた●その光景を眺めているぼく自身を●立方体の海に置き換えてみる●ぼくは●打ちつけていたキーボードから離れて●部屋のなかでくるくると回転する●頭を振りながらくるくると回転する●息をついて●ペタンと床に坐り込む●キーボードが勝手に動作する●文字が画面に現われる●海のかわりに●地面や空の立方体が舞台の上で回転する●立方体に刳り抜かれた空●立方体に刳り抜かれた地面●立方体に刳り抜かれた川●立方体に刳り抜かれた海●立方体に刳り抜かれた風●立方体に刳り抜かれた光●立方体に刳り抜かれた闇●立方体に刳り抜かれた円●立方体に刳り抜かれた昨日●立方体に刳り抜かれた憂鬱●立方体に刳り抜かれたシェイクスピア●あらゆることに意味があると●あなたは思っていまいまいませんか●人間は●ひとりひとり自分の好みの地獄のなかに住んでいる●そうかなあ●そうなんかなあ●わからへん●でも●そんな気もするなあ●きょうの昼間の記憶が●そんなことを言いながら●驚くほどなめらかな手つきで●ぼくのことを分解したり組み立てたりしている●ほんのちょっとしたこと●ほんのささいなことが●すべてのはじまりであったことに突然気づく●きのうの夜と●おとついの夜が●知っていることをあらいざらい話すように脅迫し合う●愛ではないものからつくられた愛●それとも●それは愛があらかじめ違うものに擬装していたものであったのか●いずれにしても●愛が二度と自分の前に訪れることがないと思われることには●なにかこころ穏やかにさせるところがある●びっくりした●またわたしは●わたし自身に話しかけていた●吉田くんだと思って話してたら●スラトミンっていう栄養ドリンクのラベルの裏の説明文だった●人工涙液マイティアも●ぷつぷつ言っていた●音が動力になる機械が発明された●もし●出演者のみんなが黙ってしまっても●ぼくが話しつづけたら●テレビが見つづけられる●どうして●ぼくは恋をしたがったんだろう●その必要がないときにでも●一度失えば十分じゃないか●とりわけ●恋なんて●電車に乗っていると●隣の席にいた高校生ぐらいの男の子が英語の書き換え問題をしていた●I’m sure she is Keiko’s sister.=She must be Keiko’s sister.●これを見て●ふと思った●どのように客観的な記述を試みても●書き手の主観を拭い去ることはできないのではないか●と●死の味が味わえる装置が開発された●人間だけではなく●動物のも●植物のも●鉱物のも●なぜなら●もともと●人間が●他の動物や植物や鉱物であったからである●では●水は●もっとも必要とされるものが●もっともありふれたものであるのは●なぜか●水●空気●地面●重力●人間は砂によって移動する●人間は砂のなかをゆっくりと移動する●人間は直立したままで●砂に身をまかせれば●砂が好きなところに運んでくれる●砂で埋もれた街の道路●二階の部屋にも●五階の部屋にも行ける●砂で埋もれた都会の街●しかし●砂以外の街もある●といって●チョコレートや納豆やミートボールなんて食べ物は陳腐だし●ミミズや蟻や蟹なんて生き物もありふれてるし●汚れた靴下や錆びついた扇風機やどこのものかわからない鍵束なんてものも平凡だけどね●瞬間成型プラスティック・キッズ●火をつければすぐに燃え尽きてしまうし●腕や首を引っ張ればすぐにもげてしまうけど●見た目は●生身のキッズといっしょ●まったくいっしょ●笑●ニーチェは●自分の魂を●自ら創り出した深淵のなかに幽閉する前に●道行くひとに●よくこう訊ねたという●わたしが神であることを知っているか●と●ぼくは●このエピソードを思い出すたびに涙する●たとえ●それが●そのときのぼくにできる最善のことではなかったとしても●それがぼくにできる最善のことだ●と●そのときのぼくには思われたのであった●父親をおぶって階段を上る●わざと足を滑らせる●むかし●父親がぼくにしたことに対して仕返ししただけだけど●笑●博物館に新参者がやってきた●古株たちが●あれは贋物だと言って●いじめるように●みんなにけしかける●ところで●みんなは●古株たちも贋物だということを知っている●もちろん●自分たちも贋物だっていうことも●階段を引きずって下りていくのは●父ではない●母でもない●自分の死体でもない●読んできた書物たちでもない●と●踊り場に坐り込んで考える●隣に置いたものから目をそらせて●発掘されて掘り出されるのはごめんだな●親は子供の死ぬことを願った●子供は死んだ●子供は親が死ぬことを願った●親は死んだ●どちらの願いも簡単に実現する●毎日●繰り返し●恋人が吊革だったらうれしい●もちろん●自分も吊革で●隣に並んで●ぶらぶらするって楽しそうだから●でも●首を吊られて●ぶらぶらする恋人同士っていうのもいいな●会話のなかで●ぜんぜん関係もないのに●むかし見た映画のワン・シーンや音楽が思い出されることがある●いや●違うな●ぼくが思い出したというより●それらが●ぼくのことを思い出したんだ●賀茂川●高野川●鴨川の●別々の河川敷に同時に立っているぼく●年齢の異なる複数のぼく●川面に川原の景色が映っているというのは●きみの姿がぼくの瞳に映っているとき●ぼくがきみの姿を見つめているのと同様に●川も川のそばの景色や空を見つめているのだ●雨の日には●軒先のくぼみに溜まった汚れた水が見つめているのだ●雨の日の軒下にぶら下がった電灯の光を●汚れた水が見上げているのだ●憧れのまなざしで●動物のまねばかりする子供たち●じつは●人間はとうの昔に滅んだので●神さまか宇宙人が●生き残った動物たちを人間に作り変えていたのだ●じゃあ●やっぱり●ぼくが海のことを思い出してるんじゃなくて●海がぼくのことを思い出してるってことだ●呼吸をするために●喫茶店の外に出る●喫茶店のなかは●水びたしだったから●店の外の道路は●市松模様に舗装されている●四角く切り取られた空●四角く切り取られた地面●四角く切り取られた川●四角く切り取られた海●四角く切り取られた風●四角く切り取られた光●四角く切り取られた闇●四角く切り取られた円●四角く切り取られた昨日●四角く切り取られた憂鬱●四角く切り取られたシェイクスピア●見ていると●それらは●数字並べのプラスティックのおもちゃのように●つぎつぎと場所を替えていく●シュコシュコ●シュコシュコ●っと●シュコシュコ●シュコシュコ●っと●なんだミン?


I FEEL FOR YOU。

  田中宏輔







きのう、友だちと水死体について話していたのだけれど、水死はかなり苦しいから、水死はしたくないなと言ったの
だけれど、ヴァージニア・ウルフは入水自殺だった。ジョン・べリマンも入水自殺だった。パウル・ツェランも入水
自殺だった。ぼくは入水自殺はしたくないな。





水死体について、というのは、死体の状態について、ということ。ぼくは、鴨川の上流の賀茂川に、牛のふくれあが
った死体が、台風のつぎの日に流れて、というか、浮かんでいるのを目にしたことがあるって言ったら、友だちが、
人間の水死体もばんばんに膨れ上がってるで、というのだった。





むかし、外国の台風のつぎの日に、船がひっくり返って、カラフルなTシャツを着た乗客の死体がたくさん海に浮か
んでいるのを見て、ホイックニーの絵のようだと思ったことがあると言うと、友だちが、それ、背中からしか見てへ
んからや、と言った。たしかに、背中が海面の上に





ちょこっと浮いてて、カラフルなTシャツを着たたくさんの水死体がプカプカと浮いていた。台風のつぎの日の晴れ
の日。海はひたすら青くて、波は陽の光にキラキラと輝いていた。きれいだと思った。まえに見た水難事故での死体
の数を数えるようなことはしなかったけれど。とてもきれいだと思った。





パンは人のためのみにて存在するにあらず。





機会に弱い。





うわ〜、ひとさまを幸せにしてたんですね。 @taaaako_1124 ずっとチャック全開やった…





幼稚園のときは、男の子同士でも平気で手をつないでた。





感情殺戮ペットを買ってきた。さっそく檻に入れて、ぼくの感情を餌にやった。すると、そいつは、ぼくの感情に咬
みつき、引き裂き、バラバラにして食い始めた。いろいろな感情を餌にやったけれど、いちばんのごちそうは、ぼく
の妬み嫉みの感情だった。





意図電話。





きのう映画を見に行った。はじめぜんぜんおもしろくなかったけれど、ところどころで何人かの観客の笑い声が聞こ
えた。死刑囚が最後の食事を拒むところで何人もの観客の笑い声が聞こえたので、おもしろく思える薬品ワラケルワ
ンを注射した。すると、まったくおもしろくない死刑囚の足だけがぶら下がってるシーンで、ぼくもゲラゲラ声を上
げて笑い出した。





感情分裂。1つの感情が2つの感情に分裂する。2つの感情が4つの感情に分裂する。4つの感情が8つの感情に瞬
時に分裂する。1つの感情が2の10乗の1024個の感情に分裂するのに1秒もかからないのだ。きみは、ぼくに
感情がないってよく言うけど、じつはありすぎて、ない





ように見えるだけなんだよ。いっぺんに1024個の感情を表情に表してるんだからね。きみに、その1024個の
感情を読み取れるわけがないよ。(そして、感情同士が打ち消し合うってことも、ないんだからね。うれしさと悲しみ
が打ち消し合ってゼロの感情にはならないんだよ。)





感情濃縮ソフトを買ってきた。さいきん感情が希薄になってきたような気がしていたから。喜怒哀楽をほとんど感じ
なくて、そろそろ感情を濃くしなきゃと思って。まず感情抽出してそれを感情濃縮ソフトを使って濃縮していった。
画面のうえで、ぼくの感情の濃度が濃くなっていった。





形のあるものは崩れる。というか、形成力と非形成力がせめぎ合うことがおもしろい。命のあるものが命を失うこと
がおもしろい。命のないものが命を得ることがおもしろい。しかし、命のあるものが命を失うことが必然であるよう
に、形のあるものが形をなくすことも、必然ではないの





だろうか。短歌や俳句は、いったいいつまで、あの形を保てるのだろうか。形を残して命を失うことがある。命を失
うことなく、形を維持することは可能なのであろうか。もしも、可能であるのならば、何がその形に命を保たせてい
るのであろうか。たいへん興味深い。20年ほどむかし





のことだけれど、ぼくが下鴨に住んでいたとき、共産党の機関紙に1年半か2年ほど詩を連載していたのだけれど、
その当時、左京区の下鴨で、共産党の方々や、その奥様たちが参加なさってた俳句の会に行かせていただいていたの
だけれど、ぼくのつくる5・7・5の音節数でつくった





俳句は、ことごとく、俳句ではないと言われた。俳句は形だと思っていたぼくはびっくりした。いまでも、その驚き
は変わらない。いまだに、なぜ、ぼくのものが俳句でないのか、わからないのだ。たとえば、こんなやつ。「蟻の顔 蟻
と出合って迷つてゐる」俳句じゃないのかな?





きのう、めっちゃお酒飲んで、すっごいヨッパだったのに、モウ・バウスターンさんの英詩の翻訳のまずいところが
4カ所思い出されて直した。訳語がまずいなと思っていたところを、無意識のぼくが直したって感じ。ぼくの無意識
は、ぼくの意識よりも賢いのかもしれない。ありゃりゃあ。





でたらめにつくった式で、きれいな角度(笑)が出てきたので、自分でもびっくりした。きのうときょうは、思い切
り無意識領域の自我が働いてるのかもしれない。





ない席を求めよ。





いろいろな人に似ているひと。





たいへんに興味深いです。 @fortunate_whale 電車で帰宅途中なう。隣にチューバッカみたいなもじゃもじゃが座っ
て、毛が痛いのですがどうやって回避するべきか。





いろいろな髪形のひとに魅かれます。むかし付き合ってた青年が短髪のおデブさんだったのですが、10年後に会っ
たら、ソバージュのおデブさんになっていたので、びっくりしつつも、ああ、かわいいなと思ったことがあります。
髪形で顔の印象ぜんぜん違いますけれど。 @fortunate_whale





コーちゃん、ジュンちゃんのことだよ、笑。





それでP・D・ジェイムズや、ヴァージニア・ウルフなどのイギリス人の女性作家の情景描写がすごいことが納得で
きました。 @fortunate_whale 女の人は男より子どもの異変に気付くために視覚細胞が男の人より多かったり、嗅覚
が優れているんす。だから逆に、細かいことうだうだ言うのです。





襲われませんように! @taaaako_1124 いまからノンケをつれてニチョへ。





ぼくの書く詩は、ほとんど血と骨と肉だけでできたものだと思うのだけれど、多くの詩人の詩は、やたらと服を着飾
って、帽子をいくつも被ってるものだから、顔だけじゃなくて、手の甲さえもチラとも見えない。LGBTIQの詩
人たちの英詩は、そんなことなくて、とってもなナチュラル。





靴下のようなひと。一日じゅう履いてた。





ブサイクなぼくが、ブサイクじゃないと言う権利があるように、カッコいいひとが、カッコよくないと言う権利があ
るのかどうか。一日がエンジョイしている。エンジョイが一日していると言ってもよい。そろそろスープはコールド
にしてほしい。その皿のなかの景色。景色のなかの皿。





ぼくはむかし、吸血鬼になりたいと思った。夜ずっと遊んでいられるから。ぼくはむかし、クレオパトラになりたい
と思った。絨毯にまかれて、ぱっとほられて、くるくる転げまわりたかったから。さんざんな夏だった。恋人からは
平手打ち。あまりの表情の変わりように、おしっこ、ちびってしまった。





いま日知庵から帰った。ヨッパである。詩は悲しい楽しみであり、楽しい悲しみである。人生もまた、悲しい楽しみ
であり、楽しい悲しみである。人間もまた悲しい楽しみであり、楽しい悲しみである。えいちゃんに、アムロ・ナミ
エという名前の歌手のCDを渡された。





この歌、ええねん。といって、「GET MYSELF BACK AGAIN」という曲の歌詞を読ませられる。ひさしぶりに涙が落ちた。
人間はときどき泣かなあかんなあと思ってたけど、じっさい泣いたらなんか負けたような気がする。なにに負けるの
か、ようわからんけど。





きのうは、つくづく、人間であることは、悲しい楽しみであり、楽しい悲しみであると思った。





詩においては、形もまた言葉なのである。余白が言葉であるように。





詩は、悲しい楽しみであり、楽しい悲しみである。生きていることが悲しい楽しみであり、楽しい悲しみであるよう
に。人間自体が悲しい楽しみであり、楽しい悲しみであるように。





「ほんとうの嘘つきは隠さない。」 これは、えいちゃんの同級生の山口くんの言葉だったかな。言えてるかもにょ。





大岡 信さんに、91年度のユリイカの新人に選んでいただいたのですが、東京でお会いしたときに、「そろそろ天才
があらわれる頃だと思っていました。わたしが選者でなかったら、あなたの詩は選ばれることはなかったでしょう。」
と言われました。





「あなたの言葉はやさしいけれど、内容がむずかしい。」とも言われましたが、ぼくが、第二詩集の詩集『The Wasteless
Land.』をお送りしたら、絶縁状みたいな葉書きが送られてきて、全否定されました。それ以来、詩集をお送りしても
ご返信はありません。





こういう何気ないひと言が、詩への架橋なのです。このひと言、ぼくの詩に使っていいですか? @taaaako_1124 最
近、カシューナッツばかり食べてる。





そいえば、前彼とはじめて出会ったとき、ふたりともハーフ・パンツだった。バイクを降りて、手を振って笑ってた。
もう10年近くもまえの光景だけど。そのときいっしょに入ったサテンも、もうなくなってる。





ウィンナーの缶詰を子どものときによく食べた。51才のぼくの子どものときのことだから、40年ほどまえのこと
だろうか。パパが好きだったのだ。塩味のウィンナーで、子どもの人差し指、いまのぼくの指だったら小指ほどの大
きさだろうか。両端が剥き出しで、薄い皮がタバコの





巻紙のように、その子どもの人差し指のようなウィンナーを包んでいたのだった。いくつくらい入っていたのだろう
か。せいぜい10個ほどだと思うのだが、そのウィンナーを食事のときに食べた記憶はない。ぼくの家では、他人も
食卓につくことがあったので、食事の用意はお手伝いの





おばさんとママの2人でやっていたはずで、そんなものが出てくるわけがなかった。しかし、そのウィンナーの味は
おぼえているし、パパが好きだったこともおぼえているのだった。しかし、記憶の欠落について思いを馳せても仕方
がないし、そもそも書こうとしていたことと、そのウィ





ンナーの味や、いつ食べたのかとかいったこととは関係がなかったのだから。書きたかったのは、そのウィンナーの
缶詰の開け方なのだった。トライアングルのような形をした、指を押しあてるところと、その柄の先に、缶詰の側面
上方にDの形に出たところをひっかけて回さす細い穴が





ついていて、それを缶詰の側面の形に合わせて、くるくると巻き取ると、缶詰のふたが開くのであった。さいごに残
った5ミリほどのところで、缶詰の上部をパカッと裏返して開けるのだった。黒板に数式を書いていた教師の身体が
突然とまった。生徒たちの指もとまった。教師は静かに





椅子に腰を下ろした。教師が側頭部のDにオープナーの端をひっかけると、くりくりと頭の形に合わせてオープナー
に頭皮と頭蓋骨の一部を巻きつけていった。生徒たちも全員、教師と同じようにオープナーを使って頭皮と頭蓋骨の
一部をオープナーに巻きつけて





いった。パカッという音をさせて、頭頂部を切り離すと、教師はそれを教卓の上に置いた。生徒たちも、それぞれ、
自分たちの机の上に、自分たちの頭頂部を外しておいていった。ゲコ。ゲコゲコ。ゲコ。ゲコゲコ。生徒たちの頭の
池のなかで、蛙たちが鳴きはじめる。ゲコ。ゲコゲコ。ピョンっと





飛び跳ねて、生徒の頭の池と池のあいだを飛び移る蛙たち。ゲコ。ゲコゲコ。ゲコ。ゲコゲコ。あのウィンナーをい
つ食べたのかは思い出せないのだけれど、教室じゅうで、蛙たちが飛び跳ねて鳴いていたのはおぼえている。教師が
自分の頭頂部をはめ直すと、生徒たちも自分たちの頭頂部をはめ直して





いった。遅刻してきた生徒が教室の扉をあけると、一匹の蛙がゲコゲコ鳴きながら教室の外に出ていった。遅刻して
きた生徒が、遅刻してきた理由を教師に告げて、自分の席に坐った。隣の席の男の子の頭の池を覗くと、そこには、
いるはずのその男の子はいなくて、濁った池の水がある





だけだった。チャイムが鳴っても、その男の子の頭の池には、その男の子は戻らなかった。それから何年もして、ぼ
くが高校生くらいのときに、賀茂川の河川敷で恋人と散歩してたら、蛙がゲコゲコ鳴きながら目のまえを横切って、
川のなかに、ボチャンッと音を立てて跳び込んだ。風のなかに、





川のにおいと混じって、あの缶詰のウィンナーのにおいがしたような気がした。恋人は、ぼくの顔を見て微笑んだ。
「どしたの?」ぼくは首を振った。「べつに。」ぼくは恋人の手をはなして、両腕をかかげて背伸びした。「帰ろう。」
と言って、ぼくは恋人の手をとって歩いた。





バス停で別れるとき、ぼくはすこし気恥ずかしい思いをしながら、恋人がタラップを駆け上がるのを見ていた。なぜ、
ちょっとしたことでも照れくさく思うのだろう。ちょっとしたことだからだろうか。





「ちょっと、すいません。堀川病院へは、どう行ったらいいですか?」ハーフパンツ姿の青年に声をかけられた。堀
川五条のブックオフから出てきたばかりのぼくは、さいしょ何を訊かれたのかよくわからなかった。青年は、さま〜
ずの三村のような感じだった。ぼくが目を





大きくあけると、青年は、自分の携帯の画面をぼくに見せながら、つぎつぎとメールを見せていった。3つ目か4つ
目のメールを見て、ぼくにも事情が呑み込めた。「堀川病院の角で待ち合わせをしてるんです。」たしかに、危険なゲ
ームを楽しむ年齢だと思いはしたが、一方、そんな





ことをせずとも、そこそこの女性なら簡単に手に入る容貌をしているのに、などと思ったのだった。その話を日知庵
で、えいちゃんに言った。「なんで、あっちゃんに声かけたんやろか?」、「さあ、おっさんやから、恥ずかしくないと
思たんちゃうかな。」





電車の窓の外の景色に目を走らせた。近くは素早く動くのに、遠くはゆっくりとしか動かないのだと思った。理由は
わからなかったけれど、いまぼくが乗っている電車がいちばん速く動いていて、この電車からもっとも遠いところは
とまっているのだと思った。





これからお風呂に。それから塾。帰りは日知庵に。富士山に行かれる方たちを見送りに。雨が降りそうだ。えんえん
と、ノーナ・リーブズの『CHOICE』を流している。ときどき蛙のようにゲコゲコ鳴いて飛び跳ねてやろうかと、ふと
考えたけど、体重が重いから、すぐに膝を傷めるやろうね、笑。





ありがとう。楽しんでもらえて、うれしい。 @youquigo 田中宏輔さんの詩集評、おもしろい。一冊の詩集を、一ヶ月
の日付入りで、読み手の生活や感覚の起伏そのまま日記みたいに詩を読んでゆく書き方が新鮮。骨おりダンスっvol.
9 http://t.co/r77KLdyW





友だちが気落ちしてるらしい。いつでも話を聞くからねとメッセージしておいた。そだ。友だちの役に立たないと、
友だちじゃないよね。気落ちしてるなら、いくらでも、ぼくを使ってほしいと思う。こんどの日曜日、ぼくは好きな
子になにがしてあげられるんだろう。





1個の粘土と1個の粘土を合わせて1個の粘土にして見せたら、小さな子どもの目には、1+1=1 に見えるかなと
思います。1+1=3 は、いますぐ思いつかないけど、化学反応であると思います。2つの物質が3つの物質になる
ことも、そう珍しい化学反応ではないと思います。





引用詩をつくるときにも、感覚的なよろこびと、知的なよろこびがあった。単純に分類すると、個別的な経験の把握
と、統合的な知の再編成である。英詩翻訳においても、この両方のことが、ぼくの身に起こる。とりわけ、英詩翻訳
は、ぼくの知らない単語や熟語や構文があるせいで、ぼくに新しい知がもたらされるのであるが、





さらに彼らが詩句において知と格闘した跡をきっちりと追うことによって、それまでの知識との統合といった現象が
起こるのだけれど、同時に、ぼくとは違う体験と言語経験を経てきた詩人たちの感覚の痕跡を追うことによって、ぼ
くが、ぼくの知らなかった新しい感覚を感じとれたりすることもあるのである。





とりわけ、訳するのが困難であったものが、ある瞬間に、すべての光景を同時に眺めわたすことができるような感覚
を得られたときには、感覚的にも、また知的にも、十分な満足感を与えられるものである。こんかい訳したものが、
その典型であろうか。つぎの『Oracle』では、これが3つ目の





英詩翻訳になるわけだが、3つともぜんぜん違う感じのもので、ぼくの翻訳の文体もまったく違うものであり、つぎ
の締めきりまで、まだ3週間あるので、まだまだ翻訳するだろうけれど、すでに、これら3つの英詩の翻訳だけでも
十分にひと月分の文学的営為に値すると思われる。





BGMは、ビリー・ジョエルの「イタリアン・レストランにて」。ノブユキとの思い出の曲だ。つまらないことでも笑
っていた。べつに、なにがあったってわけでもないのに、いっしょにいるだけで楽しかった。そのつまらないことの
輝きを、そのつまらないことの輝きの意味をいま





のぼくは、とても大切な思い出として見ている。たぶん、どのひとの人生も、そんな輝きでいっぱいだ。そんな輝き
の意味でいっぱいだ。英詩翻訳で、それがとてもよくわかる。他者の経験と思索を通して、つまらないことの輝きの
意味が。つまらないことの意味の輝きが。





いま日知庵から帰ってきた。満席に近くって、半分は外国のひとたちだった。きょう、持ってた英詩を読んでもらっ
たら、わからないと言われた。英語に堪能な外国の方にわからないものを、ぼくが翻訳するっていうのは無理がある
なあと思いつつ、おもしろいと思った。絶対やる。





このあいだ、元彼としゃべっていて、いま好きな子がいるんだけどと言ったら、「短髪?」と訊くから「ちがうけど。」
と言うと、「短髪でないと、いけへんわ。」と言われ、「それは、きみ。ぼくは、髪型やなくて、顔と雰囲気なんやから。」
と言った。フェチな元彼やった。





電話をかける方も、電話を受ける方も、両方とも同じ音だったりして。@moririnmonson 昨日ホテル泊まった時に初め
て知ったんだけど、有線に「アリバイ」っチャンネルがあって、車の騒音とかがずっと流れてるの。部屋にいながら
「今、外です。」って言えるのね。





いま、元彼の日記見たら、「蝉が、怖いです(^-^)/昔はさわれたのに 一週間の命だから楽しく泣きやがれ(^-^)/ 悲し
く鳴くから涙やで」と書いてあって、こんな言葉を書く感性があったんやと思って、しばし、感慨にふける。恋は麻
薬って言うけれど……。





人生って、ほんとうは眼鏡など必要ないのに、つねに度の違う眼鏡をかけさせられてるって感じでしょうか。
@kayabonbon 人生は近くで見たら悲劇、遠くから見たら喜劇、だっけ?





ぼくの全行引用詩は、フロベールの完成されなかった『ブヴァールとペキュシェ』の終わりが、延々と引用が書き並
べられていくはずだったという記述を、文学全集の解説で読んだことがきっかけでした。じゃあ、ぼくがやろう、と。
@ana_ta_des フロベール論を単行本で読める筋肉を鍛えるための夏…!





そういえば、「田中宏輔の詩集評3」をほっぽらかしてた。倉田良成さんの本だったが、たしか、序詩について、ワー
ズワースとの連関性を感じて、ワーズワースの詩の引用からはじめたのだったが、そのあとに芭蕉の句を2つ引用し
てつづけることにする。





「命二つの中に生きたる桜かな」と「さまざまの事おもひ出す桜かな」の二句である。パースペクティヴがぜんぜん
違っていて、まったく異なるフェイズの観想を持たされたのだが、この二つの句が示唆するアスペクトで、文学表現
のほとんどが書き尽くされるような気がしたのだ。





ここで、与謝野晶子の「わが恋は虹にもまして美しきいなづまにこそ似よと願ひぬ」を、この芭蕉の「命二つの中に
生きたる桜かな」と「さまざまの事おもひ出す桜かな」の二句に結びつけることは、それほど難しいことではないで
あろう。与謝野晶子の歌のあとごととして、芭蕉の二つの句を





みればよいのだ。そうみてやると、物語がはじまる。物語になる。というよりも、ことあるごとに、そうみてやると、
ひとやものとの関わりについてより観察の目を拡げられるような気がする。これらの与謝野晶子の一つの歌と芭蕉の
二つの句を、おぼえておくことにしよう。





ああ、もちろん、これらの一つの歌と二つの句とともに、エリス・ピーターズの『聖ペテロ祭の殺人』の第一日の2
にある「稲妻は気まぐれに落ちるもの、」(大出 健訳)という言葉もつけ加えておぼえておくことにしよう。エリス・
ピーターズの『聖ペテロ祭の殺人』の祭りのあとの





1には、「知恵は常に懐疑と共にある」(大出 健訳)といった言葉もあり、これもまた、ぼくがしじゅう考えているこ
とであるが、このことも、あらためて胸に刻みつけておくことにしよう。





クスリのんで、『クライム・マシン』のつづきを読んで寝る。きょうは、もと恋人にハグしたら、ハグやったら、いつ
でもええで、と言われて、キッスしようとしたら、キスはぜったいあかんで、と言われた。なんでやねん、と思いつ
つ、ハグやったらええんやな、と念を押しておいた。





ぼくが2年ほどまえここに書いたのは、ここのマンションのぼくの部屋がある階で、ガス自殺(未遂?)があって、
消防隊員たちが、ぼくのいる階の人間にドアを開けないで部屋に入ったまま出てこないでくれと言いにきたときに、
そのときのことをツイッターで書いたのだけれど、あれは「実況中継詩」かな。





20年ほどむかし、自販機に、コーヒー・スカッシュという名前の炭酸ソーダで割ったコーヒーが売ってありました。
飲んですぐに捨てました。 @yamadaryouta コーヒーが飲みたいという思いと炭酸が飲みたいという思いが相まってう
っかりエスプレッソーダを買いそうになるも思いとどまった。





道路に停まっている車がトランプのカードのようにめくれていく。





おじいさんも、猿も、自転車も、庭も、温泉につかっている。





きのう、ボルヘスの『汚辱の世界史』を読みながら寝た。きょうも、そのつづきを読みながら寝ようと思う。先週、
恋人に、ちょっとと言われて、なにって言ったら、ハサミかして、と言われて、ハサミを渡したら、襟元のちょこっ
と残ってた毛を切ってもらった。やさしいなあ。





あるとき、数学者のヤコービは、インタビューで、「あなたの成功の秘訣は何ですか?」と訊かれて、こう答えたと言
う。「すべてを逆にすること。」。





生命はその存在自体が転倒している。意識も倒錯的だ。ゲイであるぼくは、もう180度転倒して、いま一度倒錯的
だ。つまり、この無生物が主体の宇宙にあって、ぼくの生命をぼくで終わらせ、またたく間に星になるぼくは、スト
レートよりはるかにまっとうなのだ。違うかな?





「夢でびっくりすることがあるよね。自分で夢をつくってるのにね。」って言うと、シンちゃんが、「あんた、自分が
意識している範囲だけが自分やないんやで。」と言った。「すごい深いこと言うんやな。」って言うと、「だって、自分
の知らん自分がたくさんいるやろ。」との返事。





友だちの娘たち3人といっしょに食べたタコ焼きや焼きそば。何年も会ってなかったので、娘たちは、ぼくのことを
おぼえてなかった。でも、5歳の子(双子ちゃんの一人)は、すぐに甘えてくれて、「ダッコ」といって抱きついてく
れた。むかし書いた●詩を思い出した。





クスリがきょうの分で終わり。ちょっと強いのかな。追加された新しいクスリは強烈で、4年か5年ぶりに眠たくな
った。というか、しじゅう、眠気がする。しかし、眠気など二度と訪れることがないと思ってたので、同じ処方箋を
頼もうかなと思っている。悪夢も見るんだけど。





しかし、お金を払って悪夢のような映画を見るひともいるのだから、ぼくのように無料で悪夢を見るのは、お得なの
かもしれない。あ、無料じゃないか。でも、考えたこともない情景がでてくるのだ。夢をつくっているのは、潜在自
我のぼくなのだろうから、ぼくが知らないぼくのことを知れる機会でもある。





けっきょく、ぼくは詩人としては、だれにもおぼえてもらえないようなマイナーな詩人だと思うのだけれど、英詩の
翻訳家としては、いくらかのひとの記憶には残るように残る人生のすべての時間を費やすことにした。寿命が尽きる
まで、LGBTIQの詩人たちの英詩を翻訳していくつもり。





詩は音で、音楽であるべきものだと思っている。意味などどうでもよいとも思っている。音のなめらかさは情動を運
ぶもっともよい船である。音は映像を大きくする力があると、だれかの言葉にあった。音が情動を、また映像を、読
み手のこころの岸辺で引き上げさせるのである。





そうだ。えいちゃんに言われたんだけど、ぼくが訳してる詩って、まるで、あっちゃんが書いた詩みたいやなって。
まあ、口調が、ぼくの口調だしねって返事したけど、きょう選んだゲイの詩人の英詩って、ぼくも感じたことのある
こと書いてたもんね。かならず失うもの、若さ。





で、失うことから見えてくるものがあるってこと。これは、自分が若さのなかにいるときには、けっしてわからなか
ったことやね。愛するあまりに傷つくことに耐えられなくて、愛することをやめるということ。なんという弱さだろ
うね。その弱さがいまの自分をつくったにせよ。





湯になる。まっすぐな湯になる。長時間つかっていると、湯が、ときどき、ぼくになる。ふと気がつくと、ぼくが湯
になって、裸のぼくの身体を抱いていたりする。あ、違う、違う、と思うと、ぼくは、ぼくのなかで目がさめて、ぼ
くのほうが湯を抱いていることに思い至るのであった。





注射器を見つめていると、しゅるしゅると、ぼくが、注射器の円筒形のガラスの壁面に噴き上がってくるのが見える。
ぼくは、ぼくの狭い血管のなかから解放されて、より広い大きな注射器の円筒形のガラスのなかにひろがり展開する。
その喜びといったら、なににたとえられるだろう。





夢をみてまどろんでいたのに、よくその夢を忘れてしまう。まどろみから抜け出してすぐのことだというのに、どん
な夢をみていたのか、ぜんぜん思い出せないのだ。夢をみているときと起きているときとを合わせると、ぼくのすべ
ての時間になるのだろうか。夢をみているぼくと、起きているぼくとが同じぼくかどうかわからないけれど。





さっきまでうつらうつらしていた。うつらうつら夢を見ていた。ぼくは駅の構内を行き来する人たちの姿を真上から
眺めていた。ぼくはなんだったんだろう。人間が見る位置から見てはいなかったような気がする。夢では人間ではな
いものになることができるのだろうか。夢でなくても?





太い後悔というものがあるとしたら、細い後悔というものもあるだろう。後悔に形状があるということだ。あるいは、
形状を与えるということだ。後悔に粒子があるとしたら、それが凝縮して固体状態のものであるときに形状があると
いうことになる。液体状態の後悔には形状がないで





あろう。気体状態の後悔にも形状がないであろう。気体状態の後悔を状態変化させて、液体状態や固体状態にしてみ
る。ふつうの粒子と同じように状態変化することをたしかめる。後悔の凝固点と沸点を計測する。後悔が、ぼくの状
態変化を観察する。ぼくの凝固点と沸点を計測する。





後悔が、ぼくのことをじっくりと観察する。ぼくがしたこと、ぼくがしなかったことで、ぼくのポテンシャル・エネ
ルギーがどれだけ変化したかを計測する。後悔が、中休みするために、実験室を出て行く。ビーカーのなかで、徐々
に冷えて固まっていくぼく。いくつものビーカー。





ビーカーのなかで、徐々に冷えて固まっていく、いくつものぼく。後悔が、実験室に戻ってきた。ぼくのなかに差し
込まれた温度計の目盛りを見る後悔。ぼくの入っているビーカーの外側にある水の温度の目盛りを見る後悔。いくつ
ものビーカーのなかにある、異なるぼくのしたこと。





いくつものビーカーのなかにある、異なるぼくのしなかったこと。ぼくのしたことと、しなかったことの風景が、実
験器具のなかに展開される。実験室が、異なるぼくのしたことや、異なるぼくのしなかったことでいっぱいになる。





期待状態の後悔。





ちゃんこつながり。ちゃんこのようにつながること。ちゃんこ鍋つながり。ちゃんこ鍋のようにつながること。ちゃ
んこつながりと、ちゃんこ鍋つながりでは、その意味概念が異なるのだが、双方ともに、理論的には、無限の長さで
つながるはずである。限界がないのである。





アンチ汁。汁の反対。あるいは、汁に反対すること。汁は、よけいである。はしっこが切れない。昆虫の場合は、繁
殖率がすさまじい。けなげな汁もいるにはいるが、見逃してはいけない。汁にもふとホクロがあったりする。見分け
られるのだ。すべてのホクロは蒸発する機会を狙っている。





ぼくの脳は、実験マウスの切断された脳に侵されたい。さまざまな色に染められた小動物の実験体の切断された脳に
侵されたい。無数の切断された手と足と頭になりたい、ぼくの脳の風景。野菜とか樹木とか河川とか、ぼくの脳の風
景のなかにはなくて、ただ切断された手と足と頭でありたい。





いっしょに、いちゃいちゃすればいい。 @cap184946 三列シートなのに隣のカップルがイチャイチャしてるの。しに
たい





けっきょく、一睡もしていない。クスリも効かないくらい脳が覚醒していたのだろう。英詩翻訳の訳文の手直しで、
ちょこっといじっただけだけど、訳文がすっかりよくなったということからくる幸福感からだろうか。たぶん、そう
なのだろう。もしかしたら、ぼくは少し狂って





いるのかもしれない。まあ、すこし狂っているということは、まったく狂っていないということだけれども。





きみの天国がほしいと、ぼくは言う。きみは、ぼくの天国がほしいと言う。もしも、きみが、ぼくに、きみの天国を
くれたら、ぼくは、きみの天国を食べちゃうだろう。もしも、ぼくが、きみに、ぼくの天国をあげたら、きみは、ぼ
くの天国を食べちゃうだろう。ぼくの口は、きみの天国





を味わうだろう。ぼくの口が、きみの天国を食べると、きみの天国は痛がるだろうか。きみの口が、ぼくの天国を食
べると、ぼくの天国は痛がるだろうか。きみの天国は、ぼくをかじる。ぼくの天国は、きみをかじる。ぼくたちの天
国は、ぼくたちをかじる。ぼくたちの唇をかじる。





ぼくたちの指をかじる。ぼくたちの耳をかjる。ぼくたちの鼻をかじる。ぼくたちの胸をかじる。ぼくたちのセック
スをかじる。ぼくたちのこころをかじる。そうして、ぼくたちは、少しずつ天国になる。天国は、ぼくたちのキッス
をまぜる。ぼくたちのセックスをまぜる。そうして、





ぼくたちは、純粋な天国になっていく。重量が、純粋な重力となるように。意味が純粋な言葉になるように。神が純
粋な人間となるように。純粋な天国。純粋なキッス。純粋なセックス。天国そのものの意味。キッスそのものの意味。
セックスそのものの意味。天国はぼくたちをかじる。





ぼくたちの痛みが、ぼくたちを天国に変える。ぼくたちの痛みが、天国をぼくたちに変える。これ以外のことは何も
言えない。ぼくの口は、きみの天国がほしいと言う。きみの口は、ぼくの天国がほしいと言う。ぼくたちの天国は、
ぼくたちの痛みを咀嚼して、ぼくたちを天国に変える。





ひゃ〜、誤字です、笑。 @sechanco いいな。耳をかjるの、「j」とかしんせん♪





「じ」と「j」が、ほぼ鏡像状態になっているのですね。 @sechanco





これから納豆を買いに近所のフレスコに行く。しかし、この近所のフレスコがぼくのところにくれば、ぼくが行くこ
とはないわけだ。納豆がぼくを買えばいいわけだし。フレスコの棚に、ぽこぽこと、ぼくとぼくが並んでいくという
わけだ。おもしろい顔だろ。生えてきたんだ。





記念に、と言って、ぼくの頭を肘のあいだにはさんで突き出す。お客さんたちが、ペコペコとぼくの頭を叩く。ぼく
の頭がポコポコと鳴る。なかなかいい音をしていますな。手と足を十字に組みながら、何人ものホームズが転がって
いく。前から後ろから縦から横から斜めから、何人ものワトスン博士がパコパコ追いかけていく。





重量は、重力のメッセージである。言葉は、意味のメッセージである。人間は、神のメッセージである。メッセージ
とは、なんだろう。逆かな。重力は、重量のメッセージである。意味は、言葉のメッセージである。神は、人間のメ
ッセージである。





なんで眠れへんのやろうと思って、電気つけたら、横にクスリが。のみ忘れてた。





はじめに句読点があった。句読点には意味がなかった。そこで、句読点は言葉をつくった。言葉には意味がなかった。
そこで、言葉は事物をつくった。事物には時間や場所や出来事がなかった。そこで事物は時間や場所や出来事をつく
った。これが、あらゆるものが句読点になってしまう理由である。





句点は貫通することを意味し、読点は切りつけることを意味する。私たちは、句読点をもって、完璧な意味に穴をあ
け、切りつけ、不完全な意味にまで分解する。なぜなら、完璧な意味にはがまんができないからである。句読点のな
い改行詩や句読点のない散文は、異端者による作り物である。





異端者たちは、句読点のない改行詩や句読点のない散文に異常に興奮し、いくら禁じられ罰せられても、いっこうに
句読点を用いないのである。異端者のなかには、一文字分の空白をあける者もいるのだが、ごくわずかな割合である。
官憲のなかにも、異端に同調する者がいると言われている。





したがって、法律の文章が完璧でないのも、句読点があるからなのである。句読点のない法律の文章が存在するとい
う伝説があるが、古来より完璧な法律を望む声は皆無であり、不完全な法律のもとでしか生活を営むことを欲しない
国民は、穴だらけで切り傷だらけの法律のもとで暮らしている。





あらゆる風景が句読点でできており、あらゆる人間が句読点であった。句読点は無意味な句読点で互いに語り合い、
無意味な句読点でできた家に住み、無意味な句読点とともに暮らしているのであった。句読点だけの世界では、読む
物だけではなく、あらゆる時間も場所も出来事も無意味な句読点でできているのであった。





句読点だけでできた新聞を読むと、毎日のように、読点で切りつけたという話や、句点を転がしたといった話ばかり
が載っている。読点だけでできた指でページをめくる。句点だけでできたページに目を落とす。句読点だけでできた
ページを読む。





句読点の役目 : 休止や停止が状態を維持し、運動を促すのである。





クリーニング屋のまえで、自転車に乗った青年と、いや、青年が乗ってた自転車にぶつかりそうになったのだけれど、
考え事をしながら歩いてたわたしのほうが悪いと思ったのだが、179センチ87キロの体格のわたしだからだろう
か、むこうのほうがあやまりの言葉を口にして、頭を下げて





走り去っていった。わたしは、自然食品店の手前のマンションで、ふと立ち止まった。そうだ。わたしたち人間もま
た、句読点なのだと思ったのである。動き回る句読点である。動き回り、話しかける句読点である。沈黙し、立ち止
まり、耳を澄ます句読点である。街の景色のなかで動き回る





句読点である。と、そう考えると、なんか、おかしくなって、吹き出してしまった。わたしたちは、動き回る句読点
である。わたしたちは、動きまわり、立ち止まる、さまざまな長さをもつ休止であり、空白であり、息であり、間(ま)
であり、さまざまな意味をもつ句読点である。





感嘆符の形や、疑問符の形でひとびとが立っていたりする、街の風景。





P・D・ジェイムズが、散文について、「句読点がなければ読めないのではないか」と書いていたが、たしかにそうか
もしれない。彼女は詩については、「空白がなければ、詩は詩として読めないのではないか」とも書いていたが、正確
な引用は後日することにしよう。句読点や空白も、





「世界は新しい形のものである」とギブスン&スターリングが書いていた。これもまた、後日、正確に引用しよう。
いや、たぶん、これで正確な引用だと思うのだけれど。いま探そう。『ディファレンス・エンジン』第二の反復からだ
った。「世界は新しい形のものだ」であった。黒丸 尚訳。





フォルムの探究である。形式の発明である。わたしの関心はそこにある。内容はどうでもよい。意味はどうでもよい。
フォルムというか、形式それ自体が内容であり、意味である。内容がないという内容であり、意味がないという意味
である。まさしく、わたくしの生の実存にふさわしい。





「LET THE MUSIC PLAY°」という作品を文学極道の詩投稿掲示板に投稿したのであるが、投稿する直前のものは、投
稿したものとはまったく異なるものであった。もとのものは、まず長さが100分の1くらいのものであったのだ。
投稿したものの冒頭の数ページ分のところだったのである。





しかし、それでは文学極道の詩投稿掲示板を見ているひとを満足させることはできないのではないかと考え、構造的
に複雑なものにする必要があると思ったのであった。そこで、ふと、同じ場面が繰り返し出てくるけれど、それぞれ
がまったく違う意味内容になるものを考えついたのであった。





「全行引用詩」を書くきっかけのひとつは、マイク・レズニックの『暗殺者の惑星』だった。冒頭にいくつも並べて
書かれてあったエピグラフを見て、感動したのであった。そして、もうひとつ、大きなきっかけとなったのは、





スタンダールの未完成の作品であった。そのさいごの部分で、引用だけが延々と書きつづられる予定のものであった
ということを知ったときに、こころに決めたのであった。ぼくが28才のときのことであった。さいしょにつくった
全行引用詩は、「聖なる館」というタイトルのものであった。





「マールボロ。」が、ぼくに、「詩とはなにか」、「自我とはなにか」といったことを考えさせたことは、『理系の詩学』
でも論じていたのだが、ここでも論じておこう。これが、ぼくの体験ではなく、ゲイの友だちの体験記を、ぼくがコ
ラージュしたもので、ぼくの言葉がいっさい入って





いないにもかかわらず、できた作品を、その友人が目にして、「これは、オレと違う。」といったことに、ぼくがショ
ックを受けたことにはじまるのである。すべての言葉が彼の言葉なのに、選択と配列が、他者によってなされたとき
に、本人の体験から、いや、その体験の「実感」から離れるという





ことに、ぼくが、とてもショックを受けたのである。では、ぼく自身の体験も、ぼくがぼくの体験を想起し、状況を
再現した気になって、体験の断片を抽出し、それを言語化した段階で、「創作」になっているということにならないか
という気がしたのである。つまり、思い出しているという





自分が考えている思い出は、じつは、「創作」なのではないかというふうに思ったのである。純粋な現実というものが
あるとしたら、それは、自分の脳みそに保存されている無意識層を総動員してもけっして再現されないということな
のだと思い至ったのである。「思い出とは、創作である。」





と、切に思ったのである。しかし、真実には触れているとは思う。虚偽というか、創作を含みはするけれど、自分の
人生の真実にも触れているとは思う。そうでなければ、真実など、どこにも存在しないだろう。もしかすると、どこ
にも存在しないものかもしれないが、存在するという幻想は





もちたい。というか、もって生きていると思う。ぼくの人生は、行き当たりばったりで、ひとというものの人生とし
ては失敗である。ひとを愛する能力に著しく欠けた出来そこないのものである。だけど、せいいっぱいできることは
したと思う。能力がまずしいので、恥ずかしい生き方だが、





そんなダメな人間でも、神さまはまだ生かしてくださっているのである。生きているかぎり、自分のできうることを
すべてしたいと思っている。





思い出が創作ならば、記憶もまた創作であろう。いや、記憶は創作である。そう断言できる。偽の記憶がいくつもあ
る。こどものころの記憶を親にきくと、そんなことは一度もなかったというのだ。むかし百貨店の食堂に行くとかな
らずウェイトレスがこけて、粉々になったガラス食器で、





顔じゅう血まみれになって、救急車のサイレンの音がしたと、ぼくは言うのだが、親はそんなことは一度もなかった
と言う。商店街のそばの川の岩に、フナ虫のような気持ちの悪い虫がびっしりしがみついてうごめいていたと、ぼく
は言うのだが、親はそんなことは一度もなかったと言う。





むかし付き合ってた子とばったり再会した。タバコをやめて、かなり太っていて、でも前よりかわいくなっていて、
ふたたび付き合うことになりました、笑。人生、なにがあるかわからない。何度か、ぼくがいないとき、マンション
に来てくれてたりしたっていうのだけれど。





ぼくがPCを替えたからメールが出来なくて、連絡がつかなかったのだ。ぼくは自分からメールするひとじゃないの
で、それで行き違いになったって感じかな。というか、ぼくが全面的に悪いのか。まあ、しかし、ぼくの恋愛って、
こんなチグハグなことばかり。いいけどね。





きのう、夜中の3時くらいまで、日知庵からゲイ・スナックへとはしごして飲んでたんだけど、よろよろと歩いて帰
っていたら、河原町で、二十才ぐらいのこれまた酔っ払った男の子と女の子が前から歩いてきて、ぼくがその集団の
なかに挟まれる格好になったんだけど、なかのひとり





逞しい体格のカッコイイ青年が、突然、笑顔で、「握手しましょう」と言ってきて、彼が差し出した右手を握ったら、
彼もギュッと握り返してきて、そのあと「また」と言って手を振るので、ぼくも手を振って立ち去った。不思議な経
験をした。知らない男の子だった。なんかうれしかった。





ぼくは、自分がとてもブサイクで、いやな性格で、ひとに好かれるタイプの明るい人間じゃないと、ふだんから思っ
てるから、居酒屋さんでも、道端でも、こんな経験をすると、とてもうれしい。よい詩に出合ったときの喜びに近い
かな。いや、この出来事は詩だ。詩なのだった。





きょうは、東寺のブックオフで、『VERY BAD POETRY edited by Kathryn Petras』を、105円で買った。





ぼくが子どものときに疑問だったこと : 親がいること。





いま思ったけど、「無」って漢字、「鎧」みたい。もしくは、「太めの女性のワンピース」みたい。





俳句に「英単語」って、はじめて見た。 @trazomperche 緑陰や試験によく出る英単語





袋に詰められるだけ詰めて思い出、300円だった。買ってきた思い出を射出する。床に落ちてぐったりしてる思い
出を詰め直す。ちょっとくたびれた思い出を射出する。忘れられない思い出は、忘れられない思い出だ。はやっ、3
回目でぐったりした。つぎの思い出を射出する。





歯を磨いたかどうか忘れることがある。ぼくの母はとても薄いので、磨き過ぎると神経が剥き出しになる。朝の4時
ごろに電話をかけてくる母を磨いたかどうか忘れることがある。ぼくの歯はとても薄いので、磨き過ぎると神経が剥
き出しになって、朝の4時に電話をかけてくる。





呼吸ができないと怒られる。ぼくにはわからない。呼吸ができないと怒られる。ぼくにはわからない。呼吸ができな
いと怒られる。ぼくにはわからない。リフレインはいつだってここちよい。ちょうど500円硬貨と同じ大きさだ。
呼吸ができないと怒られる。ぼくにはわからない。





ぼくは台所にはいない。ぼくはベランダにはいない。ぼくはトイレにはいない。ぼくは玄関にはいない。ぼくは部屋
にはいない。靴箱のなかにも入っていないし、本棚にも並んでいない。リュックのなかにも入っていないし、PCの
なかにも入っていない。ちょうどいい大きさだ。





むかし、ちょっとのあいだ付き合ったトラッカーのこと、思い出してしまった。運動できる、かわいいブタって感じ
の青年やった。ジャニ系のゲイの子から好かれてて、困っていた。人間って、ぜいたくなんやなあと思った。なんで、
その子とすぐに別れたのか思い出せへんけど。





さっき思いついた詩句を忘れてしもうた。あ、濃い日付と薄い日付やった。忘れてもええ言葉やったね。書いてから
気がついた。濃い煮つけと薄い煮つけの音からきてるのかなと、ふと思った。書いてはじめてわかる例やね。しかも、
それが音から来てるんであろうってことが。





液化交番って、なんかええ感じの言葉やね。気化植物なんてのは平凡か。これから、ちょっと焼酎のロックを飲んで、
お風呂に入って、気分を盛り上げて、恋人とのデートにそなえる。意味のない、美しくもない、ただくだらないだけ
のぼくの大切な瞬間、刹那の思い出のために。





袋に詰められるだけ詰めて同級生、300円だった。買ってきた同級生を射出する。床に落ちてぐったりしてる同級
生を詰め直す。ちょっとくたびれた同級生を射出する。口から血涎が垂れ落ちる同級生は、ぼくと同い年だ。はやっ、
3回目でぐったりした。つぎの同級生を射出する。





袋に詰められるだけ詰めて正方形、300円だった。買ってきた正方形を射出する。床に落ちてぐったりしてる正方
形を詰め直す。ちょっとくたびれた正方形を射出する。端から角が崩れる正方形は、ぼくと同じ図形だ。はやっ、3
回目でぐったりした。つぎの正方形を射出する。





袋に詰められるだけ詰めて雨粒、300円だった。買ってきた雨粒を射出する。床に落ちてぐったりしてる雨粒を詰
め直す。ちょっとくたびれた雨粒を射出する。膝から虹がこぼれる雨粒は、ぼくと同じ雨粒だ。はやっ、3回目でぐ
ったりした。つぎの雨粒を射出する。





オレンジエキス入りの水を飲んで寝ます。恋人用に買っておいたものなのだけど、自分でアクエリアスをもってきて
飲んでたから、ぼくが飲むことに。ぼくのことをもっと深く知りたいらしい。ぼくには深みがないから、より神秘的
に思えるんじゃないかな。「あつすけさん、何者なんですか?」





「何者でもないよ。ただのハゲオヤジ。きみのことが好きな、ただのハゲオヤジだよ。」、「朗読されてるチューブ、お
気に入りに入れましたけど、じっさい、もっと男前ですやん。」、「えっ。」、「ぼく、撮ったげましょか。でも、それ見
て、おれ、オナニーするかも知れません。」





「なんぼでも、したらええやん。オナニーは悪いことちゃうよ。」、「こんど動画を撮ってもええですか。」、「ええよ。」
「なんでも、おれの言うこと、聞いてくれて、おれ、幸せや。」、「ありがとう。ぼくも幸せやで。」これはきっと、ぼ
くが、不幸をより強烈に味わうための伏線なのだ。





きょうデートした恋人に間違った待ち合わせ場所を教えて、ちょっと待たしてしまった。「放置プレイやと思って、お
れ興奮して待っとったんですよ。」って言われた。ぼくの住んでるところの近く、ゲイの待ち合わせが多くて、よくゲ
イのカップルを見る。西大路五条の角の交差点前。





身体を持ち上げて横にしてあげたら、すごく喜んでた。「うわ、すごい。おれ、夢中になりそうや。もっとわがまま言
うて、ええですか?」、「かまへんで。」、「口うつしで、水ください。」ぼくは、はじめて自分の口に含んだ水を恋人の
口のなかに落として入れた。そだ、水飲んで寝なきゃ。





「彼女、いるんですか?」、「自分がバイやからって、ひともバイや思うたら、あかんで。まあ、バイ多いけどな。こ
れまで、ぼくが付き合った子、みんなバイやったわ。偶然やろうけどね。」偶然違うやろうけどね。と、そう思うた。
偶然で偶然違うていうこと。矛盾してるけどね。





たくさんの手が出るおにぎり弁当がコンビニで新発売されるらしい。こわくて、よう手ぇ出されへんわと思った。き
ゅうに頭が痛くなって、どしたんやろうと思って手を額にあてたら熱が出てた。ノブユキも、ときどき熱が出るって
言ってた。20年以上もむかしの話だけど。





愛は理解だもの。 @ta_ke_61 思考とは愛である。





さて、これから京都東急ホテルの2Fで開催される焼酎の会へ。いろんな業界のひとがきてるらしくって、えいちゃ
んが紹介してくれるっていうから、そこで、いろんな業界のひとたちに、ぼくの詩集を渡すことに。「そこで渡したら、
はよ、なくなるやろ。」と、えいちゃんが。彼の言葉通りになるかな、笑。





焼酎の会のあと、武田先生と、おされな店で飲んで、蕎麦屋でそばを食べ、そのあとジュンク堂に寄って、そこで武
田先生と別行動になり、日知庵に行き、帰りに歩いていたら、十年以上もまえに付き合ってた子とばったり会って、
ありゃ、こりゃ先月のパターンかと思ってると、そうでもなくて、





いままで飲んでただけだけど、帰りに、またいっしょに飲みたいなって言ってきて、いろいろあったことをちゃらに
して、この子はすごいなあと思ったのだけれど、この子の言葉でハッとした。ノブユキも、ほぼ同じ言葉を、ぼくに
つぶやいたのだった。「おれ、つまらん人生してる。」





その子は、「つまらない毎日。」でも、ぼくから見たら、その子も、ノブユキも、ぜんぜんつまらん人生していないし、
つまらない毎日を過ごしてるようには見えないのだった。その子はショートドレッドのテクノカットで、おされなボ
ンボンだし、ノブユキは毛髪残念組だけど、やはり





ボンボンだし、まあ、二人とも、お金持ちの家の子だし、なに言ってるのかなって思ったのだけれど、ハッとしたっ
ていうのは、つまらん人生とか、つまらない毎日ってのは、少なくない人間が日々感じていることなんだなってこと。
成功してるひとって、ぼくの身近には、弟くらいしか





いなくって、ぼくにはとてもムリって人生していて、ぼくは、ぼくの意味のない、美しくもない、くだらない人生を
愛してるんだなって思ったのだった。ノブユキだって、その子だって、ぼくに、「くだらん人生してる。」、「つまらな
い毎日。」って言ったときには、半分笑いながら





の、照れたような、あきれたような表情で、でも、けっしてつらいことを避けたり、嫌なことから逃げたりしてるよ
うな感じじゃなかった。その子もそうだった。人生を愛してるなって感じがしてた。じっさい愛してるとは言わなか
ったけれど、訊けば、二人ともそう答えたと思う。





でも、逆に考えれば、とても不気味な人間ができあがる。意味のある、美しい、くだらなくない人生してるひと。こ
れは怖くて不気味だなと思った。意味があるものをつくろうとしたり、美しいものをつくろうとしたり、くだらなく
ないものをつくろうとしてるわけだけど、どこかしら、





いびつで不気味だ。そう考えると、意味にとりつかれたひとや、美にとりつかれたひとたちが、どこか不気味な感じ
をかもしだしているというのは、とてもよくわかる。何人もの詩人たちの顔が思い浮かんだ。ぼくは、むかし、雑誌
に載ってる詩人の顔を見てびっくりした記憶がある。





人生に生き生きとしたものを感じているのかどうか知らないけれど、けっして幸せそうじゃなかった。ぼくなんて、
いっぱいいろんなことがあっても、ほとんどいつもニコニコしてるのだけれど、なんか取り憑かれてるっていうか、
男の詩人も、女の詩人も怖い表情のひとばかりだった。





いまは、そうじゃないみたいで、明るい表情で、ニコニコしてるひとが多くて、ぼくのように臆病なひとは、ほっと
してると思う。そういえば、むかしの詩人たちの作品には余裕がなかったなあ。





余裕があったのって、西脇順三郎くらいじゃないかな。田村隆一も、吉岡 実も、彼らの書く詩には余裕がなかったし、
表情にも余裕がなかったな。詩と詩人の顔はべつやろって、まえにだれかに言われたけれど、ぼくは、顔や表情に、
ぜんぶ顕われてると思う派である。





恋をしてもひとり。





恋をしてはひとり。





恋はしてもひとり。





そうだね。この世に生まれてきたのは偶然だし、存在させられてきたのも、当初は自分の意志ではな
かった。少なくとも自分の意志で、自分を存在させてきたのではなかった。しかし、自己を意識的に
省みることができるようになった時点で、自分を存在させているのは自分の意志であるというべきだ
と思う。





存在をやめることは、それほど容易ではないが、それほど困難なことでもない。存在するとは、意志
的なものなのである。意志的なもののみ存在するわけではないが、ものごとにも意志があるとすれば、
すべて存在するものは意志をもつものであると言えるだろう。かつて教会は、動物をさえ裁判にかけ
たのだ。





ぼくは、ものごとにも意志があって、それがすべてひとつの意志につながっていると思っている。す
べての人間のこころと行いとを通してのみ神が存在すると、かつてぼくは書いたけれど、いまでも、
ぼくはそう思っていて、だから、他人を理解することは人間が神を理解し、神が人間を理解すること
だと思って





いて、どのひとの、どのような行いも、神の行いであり、神の意志であり、神への行いであり、神へ
の意志だと思っている。もうじき、ひとりの神が、ぼくの部屋にくる。その神のために、そして、ぼ
くという、もうひとりの神のために、これから近くのイオンに行って、お昼ご飯用のお弁当を買って
くる。





まるしげの「わさび鉄火」と「呼吸チョコ」を食べた。どちらもデリシャス。「わさび鉄火で笑うも
のは、わさび鉄火で泣くんだよ。」という言葉に対して、「なにか仕掛けるつもり?」というぼくの
返し。人生、ハラハラ、ドキドキですな。もういい加減たくさん人生してきたつもりだったけど、ま
だまだするよ。





これからお風呂に。それから、きみやさんに。えいちゃんも行くって言ってた、友だちと。からだの
大きい人間が4人ね。デブが4人とは書かない。さっき友だちに、えいちゃんも行くって言ってたよ、
おデブの友だちと、とメールしたら、「4人もデブが恐ろしい。」と。なんもせえへんわ。お酒飲み
に行くだけ。





なぜ、言葉にするのか。言葉にすることによって、その言葉が対象とする事物だけではなく、その言
葉自体と、より親密なつながりがもてるからである。詩人は何度も何度も同じ言葉をいくつもの詩の
なかに置く。詩人はその言葉を違った目で見ているのだ。言葉もまた違った目で詩人を見つめ返して
いるのだ。





ツイッター。なんとすぐれたツールだろう。内省がいとも簡単にできる。なんという時代だろう。言
葉の訓練が、思考の訓練が、こんなに簡単にできるなんて。まあ、簡単にできる内省であり、思考で
ある可能性もあるが、実感としては、おもしろいくらい深いところまで行けるツールだと思っている。





思考なんて、せいぜい、140文字程度の言葉の連続でしかないのだ。あるいは、もっと少ないかも
しれない。ぼくがつくってきた、どれほど長い詩でも、せいぜい数行単位の詩句やメモの類の連なり
にしかすぎなかった。





ただ、ある瞬間に使うべき断片がひとつになるか、ある瞬間に構造とか構成がすべて頭に焼き付いて、
そのあとその焼き付いた図面通りに言葉を配するかのどちらかなのだ。いずれにせよ、瞬間に起こる
ことなのだ。おそらく、ひとつのツイットを書く時間の1400分の1くらいのスピードだろう。





さっきまで西院のモスで、二人でモーニング。隣の隣にいた、一人できてたおデブさんのことを、彼
が「こっちのひとかな?」と言うので、「ぽいけど、ぽくって違うひともいるしね。」短髪・ヒゲ・
ガチポチャならゲイっていうのも、なんだかなあと思いつつ、やっぱり、ぽかったかなあと思って、
部屋に戻った。





人間と人間とのあいだには、分かり合えることなど何一つもない。完全な自己把握すら不可能なのだ
から、他者の思考をその他者の思考通りに理解することなどまったく不可能であろう。唯一可能なの
は、「分かり合えるかもしれない」、「他者の思考を他者の思考通りに理解できるかもしれない」と
いった希望を持つことのみ。


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔




詩によって花瓶は儀式となる。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下・第三部・18、大西 憲訳)

優れた比喩は比喩であることをやめ、
(シオドア・スタージョン『きみの血を』山本光伸訳)

真実となる。
(ディラン・トマス『嘆息のなかから』松田幸雄訳)


   *


時はわれわれの嘘を真実に変えると、わたしはいっただろうか?
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』18、岡部宏之訳)

おそらく認識や知などはすべて、比較、相似に帰せられるだろう。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)


時間こそ、もっともすぐれた比喩である。



   *


さよ ふけて かど ゆく ひと の からかさ に ゆき ふる おと の さびしく も ある か
(會津八一)


飛び石のように置かれた言葉の間を、目が動く。韻律と同様に、目の動きも思考を促す。

余白の白さに撃たれた目が見るものは何だろうか? 言葉によって想起された自分の記憶だろうか。

 八一が「ひらがな」で、しかも、「単語単位」の分かち書きで短歌を書いた理由は、おそらく、右
の二つの事柄が主な目的であると思われるのだが、音声だけとると、読みにおける、そのたどたどし
さは、啄木の『ローマ字日記』のローマ字部分を読ませられているのと似ているような気がする。で
は、じっさいに、上の歌をローマ字にしてみると、どうか。

sayo fukete kado yuku hito no karakasa ni yuki furu oto no sabisiku mo aru ka

 やはり、そのたどたどしさに、ほとんど違いは見られない。しかしながら、「ひらがな」のときに
はあった映像喚起力が著しく低下している。では、なぜ低下したのだろうか。それは、わたしたちが、
幼少時に言葉をならうとき、まず「ひらがな」でならったからではないだろうか。それで、八一の「ひ
らがな」の言葉が、強い映像喚起力を持ち得たのではなかろうか。この「ひらがな」の言葉が持つ映
像喚起力というのは、幼少時の学習体験と密接に結びついているように思われる。八一の歌の、その
読みのたどたどしさもまた、その映像喚起力を増させているものと思われる。ときに、わたしたちを、
わたしたちが言葉を学習しはじめたときの、そのこころの原初風景にまでさかのぼらせるぐらいに。

たどたどしいリズムが、わたしたちのこころのなかにある、さまざまな記憶に働きかけ、わたした
ちを、わたしたち自身にぶつからせるような気がするのである。つまずいて、はじめて、そこに石が
あることに、わたしたちが気がつくように。


存在を作り出すリズム
(アーシュラ・K・ル・グィン『踊ってガナムへ』小尾芙佐訳)

人間ひとりひとりを永遠と偏在に参与せしめるリズム
(アーシュラ・K・ル・グィン『踊ってガナムへ』小尾芙佐訳)


  *


 不完全であればこそ、他から(ヽヽヽ)の影響を受けることができる──そしてこの他からの影響こ
そ、生の目的なのだ。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

彼らは、人間ならだれでもやるように、知らぬことについて話しあった。
(アーシュラ・K・ル・グィン『ショービーズ・ストーリイ』小尾芙佐訳)

ぼくが語りそしてぼくが知らぬそのことがぼくを解放する。
(ジャック・デュパン『蘚苔類』3、多田智満子訳)


   *


 映画を見たり、本を読んだりしているときに、まるで自分がほんとうに体験しているかのように感
じることがある。ときには、その映画や本にこころから共感して、自分の生の実感をより強く感じた
りすることがある。自分のじっさいの体験ではないのに、である。これは事実に反している。矛盾し
ている。しかし、この矛盾こそが、意識領域のみならず無意識領域をも含めて、わたしたちの内部に
あるさまざまな記憶を刺激し、その感覚や思考を促し、まるで自分がほんとうに体験しているかのよ
うに感じさせるほどに想像力を沸き立たせたり、生の実感をより強く感じさせるほどに強烈な感動を
与えるものとなっているのであろう。イエス・キリストの言葉が、わたしたちにすさまじい影響力を
持っているというのも、イエス・キリストによる復活やいくつもの奇跡が信じ難いことだからこそな
のではないだろうか。


 まさに理解不能な世界こそ──その不合理な周縁ばかりでなく、おそらくその中心においても──
意志が力を発揮すべき対象であり、成熟に至る力なのであった。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)


   *


物がいつ物でなくなるのだろうか?
(R・ゼラズニイ&F・セイバーヘーゲン『コイルズ』10、岡部宏之訳)

人間と結びつくと人間になる。
(川端康成『たんぽぽ』)

物質ではあるが、いつか精神に昇華するもの。
(ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』プロローグ、宇野利泰訳)


   *


書きつけることによって、それが現実のものとなる
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』75、佐宗鈴夫訳)

言葉ができると、言葉にともなつて、その言葉を形や話にあらはすものが、いろいろ生まれて來る
(川端康成『たんぽぽ』)

おかしいわ。
(ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』プロローグ、宇野利泰訳)


   *


どうしてこんなところに?
(コードウェイナー・スミス『西欧科学はすばらしい』伊藤典夫訳)

新しい石を手に入れる。
(R・A・ラファティ『つぎの岩につづく』浅倉久志訳)

それをならべかえる
(カール・ジャコビ『水槽』中村能三訳)


   *


猿(さる)の檻(おり)はどこの国でも一番人気がある。
(寺田寅彦『あひると猿』)

純粋に人間的なもの以外に滑稽(コミツク)はない
(西脇順三郎『天国の夏』)

simia,quam similis,turpissima bestia,nobis!
最も厭はしき獸なる猿はわれわれにいかに似たるぞ。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』キケロの言葉)

 コロンビアの大猿は、人間を見ると、すぐさま糞をして、それを手いっぱいに握って人間に投げつ
けた。これは次のことを証明する。
一、 猿がほんとうに人間に似ていること。
二、 猿が人間を正しく判断していること。
(ヴァレリー『邪念その他』J,佐々木 明訳)

かつてあなたがたは猿であった。しかも、いまも人間は、どんな猿にくらべてもそれ以上に猿である。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部・3、手塚富雄訳)


   *


 数え切れないほど数多くの人間の経験を通してより豊かになった後でさえ、言葉というものは、さ
らに数多くの人間の経験を重ねて、その意味をよりいっそう豊かなものにしていこうとするのである。
言葉の意味の、よりいっそうの深化と拡がり!


   *


 この世界の在り方の一つ一つが、一人一人の人間に対して、その人間の存在という形で現われてい
る。もしも、世界がただ一つならば、人間は、世界にただ一人しか存在していないはずである。  


   *


 だんだんわたしは選ぶことを覚え、完全なものだけをそばに置いておくようになった。珍しい貝で
なくてもいいのだが、形が完全に保存されているものを残し、それを海の島に似せて、少しずつ距離
をとって丸く並べた。なぜなら、周りに空間があってこそ、美しさは生きるのだから。出来事や対象
物、人間もまた、少し距離をとってみてはじめて意味を持つものであり、美しくあるのだから。
 一本の木は空を背景にして、はじめて意味を持つ。音楽もまた同じだ。ひとつの音は前後の静寂に
よって生かされる。
(アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈りもの』ほんの少しの貝、落合恵子訳)

 いかにも動きに富む風景、浜辺に、不揃いな距離を置いて立っている一連の人物たちのおかげで、
空間のひろがりがいっそうよく測定できるような風景。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』6、菅野昭正訳)


   *


私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
(立原道造『またある夜』)


 わたしの目は、雲を見ている。いや、見てはいない。わたしの目が見ているのは、動いている雲の
様子であって、瞬間、瞬間の雲の形ではない。また、雲の背景にある空を除いた雲の様子でもない。
空を背景にした動いている雲の様子である。音楽においても事情は同じである。わたしの耳は、一つ
一つの音を別々に聞いているのではない。音が構成していくもの、いわゆるメロディーやリズムとい
ったものを聞いているのである。そのメロディーやリズムにおいて現われる音を聞いているのである。
言葉においても同様である。話される言葉にしても、読まれる言葉にしても、使われる言葉が形成し
ていく文脈を把握するのであって、その文脈から切り離して、使われる言葉を、一つ一つ別々に理解
していくのではない。形成されていく文脈のなかで、一つ一つの言葉を理解していくのである。とい
うのも、


これは一重に文章の
並びや文の繋がりが
力を持っているからで
(ホラティウス『書簡詩』第二巻・三、鈴木一郎訳)


 窓ガラスに、何かがあたった音がした。昆虫だろうか。大きくはないが、その音のなかに、ぼくの
一部があった。そして、その音が、ぼくの一部であることに気がついた。

 ぼくは、ぼく自身が、ぼくが感じうるさまざまな事物や事象そのものであることを、また、あらか
じめそのものであったことを、さらにまた、これから遭遇するであろうすべてのものそのものである
ことを理解した。


   *


人生のあらゆる瞬間はかならずなにかを物語っている、
(ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)

人生を楽しむ秘訣は、細部に注意を払うこと。
(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)           

ほんのちょっとした細部さえ、
(リチャード・マシスン『人生モンタージュ』吉田誠一訳)


   *


わたしを知らない鳥たちが川の水を曲げている。
わたしのなかに曲がった水が満ちていく。


   *


われわれはなぜ、自分で選んだ相手ではなく、稲妻に撃たれた相手を愛さなければならないのか?
(シオドア・スタージョン『たとえ世界を失っても』大森 望訳)

光はいずこから来るのか。
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第二幕・第五場、石川重俊訳)

わが恋は虹にもまして美しきいなづまにこそ似よと願ひぬ
(与謝野晶子)


   *


論理的には全世界が自分の名前になるということが理解できるか?
(イアン・ワトスン『乳のごとききみの血潮』野村芳夫訳)

ほかにいかなるしるしありや?
(コードウェイナー・スミス『スキャナーに生きがいはない』朝倉久志訳)

これがどういうことかわかるかね?
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『黙示録三一七四年』第III部・25、吉田誠一訳)

どんな霊感が働いたのかね?
(フリッツ・ライバー『空飛ぶパン始末記』島岡潤平訳)

われはすべてなり
(アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』第二部・8、福島正実訳)

そうだな、
(ポール・ブロイス『破局のシンメトリー』12、小隅 黎訳)

確かに一つの論理ではある
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』17、安田 均訳)

しかし、これは一種の妄想じゃないのだろうか。
(ジョン・ウィンダム『海竜めざめる』第二段階、星 新一訳)

現実には、そんなことは起きないのだ。
(ウィリアム・ブラウニング・スペンサー『真夜中をダウンロード』内田昌之訳)

いや、必ずしもそうじゃない。
(エリック・F・ラッセル『根気仕事』峰岸 久訳)

それは信号(シグナル)の問題なのだ。
(フレデリック・ポール『ゲイトウェイ』22、矢野 徹訳)

それもつかのま、
(J・G・バラード『燃える世界』4、中村保男訳)

ひとときに起こること。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

まあ、それも一つの考え方だ
(ブライアン・W・オールディス『ああ、わが麗しの月よ!』浅倉久志訳)

よくわかる。
(カール・エドワード・ワグナー『エリート』4、鎌田三平訳)

どちらであろうとも。
(フィリップ・K・ディック『ユービック』10、浅倉久志訳)

だが、それよりもまず、
(ブライアン・W・オールディス『一種の技能』5、浅倉久志訳)

めいめい自分の夜を堪えねばならぬのである。
(ブライアン・W・オールディス「銀河は砂粒のように」4、中桐雅夫訳)

それは確かだ
(ラリー・ニーヴン『快楽による死』冬川 亘訳)

しかし
(ロッド・サーリング『免除条項』矢野浩三郎・村松 潔訳)

それを知ったのはほんの二、三年前だし、
(ハル・クレメント『窒素固定世界』7、小隅 黎訳)

それが
(イアン・ワトスン『エンベディング』第一章、山形浩生訳)

どんなものであるにせよ、
(レイ・ブラッドベリ『駆けまわる夏の足音』大西尹明訳)

そのときには、たいしたことには思えなかった。
(マーク・スティーグラー『やさしき誘惑』中村 融訳)
 

   *


『マールボロ。』


彼には、入れ墨があった。
革ジャンの下に無地の白いTシャツ。
ぼくを見るな。
ぼくじゃだめだと思った。
若いコなら、ほかにもいる。
ぼくはブサイクだから。
でも、彼は、ぼくを選んだ。
コーヒーでも飲みに行こうか?
彼は、ミルクを入れなかった。
じゃ、オレと同い年なんだ。
彼のタバコを喫う。
たった一週間の禁煙。
ラブホテルの名前は
『グァバの木の下で』だった。
靴下に雨がしみてる。
はやく靴を買い替えればよかった。
いっしょにシャワーを浴びた。
白くて、きれいな、ちんちんだった。
何で、こんなことを詩に書きつけてるんだろう?
一回でおしまい。
一回だけだからいいんだと、だれかが言ってた。
すぐには帰ろうとしなかった。
ふたりとも。
いつまでもぐずぐずしてた。
東京には、七年いた。
ちんちんが降ってきた。
たくさん降ってきた。
人間にも天敵がいればいいね。
東京には、何もなかった。
何もなかったような顔をして
ここにいる。
きれいだったな。
背中を向けて、テーブルの上に置いた
 飲みさしの
缶コーラ。


 あるとき、詩人は、ふと思いついて、詩人の友人のひとりに、その友人が十八才から二十五才まで
過ごした東京での思い出を、その七年間の日々を振り返って思い出されるさまざまな出来事を、箇条
書きにして、ルーズリーフの上に書き出していくようにと言ったという。すると、そのとき、その友
人も、面白がってつぎつぎと書き出していったらしい。二、三十分くらいの間、ずっと集中して書い
ていたという。しかし、「これ以上は、もう書けない。」と言って、その友人が顔を上げると、詩人
は、ルーズリーフに書き綴られたその友人の文章を覗き込んで、そのときの気持ちを別の言葉で言い
表すとどうなるかとか、そのとき目にしたもので特に印象に残ったものは何かとか、より詳しく、よ
り具体的に書き込むようにと指図したという。そのあと、詩人からあれこれと訊ねられたときをのぞ
いては、その友人の手に握られたペンが動くことは、ほとんどなかったらしい。約一時間ぐらいかけ
て書き上げられた三十行ほどの短い文章を、詩人は、その友人の目の前で、ハサミを使って切り刻み、
切り刻んでいった紙切れを、短く切ったセロテープで、つぎつぎと繋げていったという。書かれた文
章のなかで、セロテープで繋げられたものは、ほんのわずかなもので、もとの文章の五分の一も採り
上げられなかったらしい。そうして出来上がったものが、『マールボロ。』というタイトルの詩にな
ったという。その詩のなかには、詩人が、直接、書きつけた言葉は一つもなかった。すべての言葉が、
詩人の友人によって書きつけられた言葉であった。それゆえ、詩人は、詩人の友人に、共作者として、
その友人の名前を書き連ねてもいいかと訊ねたらしい。すると、詩人の友人は、躊躇うことなく、即
座に、こう答えたという。「これは、オレとは違う。」と。ペンネームを用いることさえ拒絶された
らしい。「これは、オレとは違うから。」と言って。詩人は、その言葉に、とても驚かされたという。
そこに書かれたすべての言葉が、その友人の言葉であったのに、なぜ、「オレとは違う。」などと言
うのか、と。詩人の行為が、その友人の気持ちをいかに深く傷つけたのか、そのようなことにはまっ
たく気がつかずに……。その上、おまけに、詩人は、自分ひとりの名前でその詩を発表するのが、た
だ、自分の流儀に反する、といっただけの理由で、怒りまで覚えたのだという。すでに、詩人は、引
用のみによる詩を、それまでに何作か発表していたのだが、それらの作品のなかでは、引用された言
葉の後に、その言葉の出典が必ず記載されていたのである。しかも、それらの出典は、引用という行
為自体が意味を持っている、と見られるように、引用された言葉と同じ大きさのフォントで記載され
ていたのである。『マールボロ。』に書きつけられた言葉が、すべて引用であるのに、そのことを明
らかに示すことができないということが、おそらくは、たぶん、詩人の気を苛立たせたのであろう。
それにしても、『マールボロ。』という詩が、詩人の作品のなかで、もっとも詩人のものらしい詩で
あるのは、皮肉なことであろうか? ふとした思いつきでつくられたという、『マールボロ。』では
あるが、詩人自身も、その作品を、自分の作品のなかで、もっとも愛していたという。詩人にとって、
『マールボロ。』は、特別な存在であったのであろう。晩年には、詩というと、『マールボロ。』に
ついてしか語らなかったほどである。詩人はまた、このようなことも言っていた。『マールボロ。』
をつくったときには、後々、その作品がつくられた経緯が、言葉がいかなるものであるかを自分自身
に考えさせてくれる重要なきっかけになるとは、まったく思いもしなかったのだ、と。
 詩人は、友人の言葉を切り刻んで、それを繋げていったときに、どういったことが、自分のこころ
のなかで起こっていたのか、また、そのあと、自分のこころがどういった状態になったのか、後日、
つぎのように分析していた。

 わたしのなかで、さまざまなものたちが目を覚ます。知っているものもいれば、知らないものもい
る。知らないもののなかには、その言葉によって、はじめて目を覚ましたものもいる。それらのもの
たちと、目と目が合う。瞳に目を凝らす。それも一瞬の間だ。順々に。すると、知っていると思って
いたものたちの瞳のなかに、よく知らなかったわたしの姿が映っている。知らないと思っていたもの
たちの瞳のなかに、よく知っているわたしの姿が映っている。ひと瞬きすると、わたしは、わたし、
ではなくなり、わたしたち、となる。しかし、そのわたしたちも、また、すぐに、ひとりのわたしに
なる。ひとりのわたしになっているような気がする。それまでのわたしとは違うわたしに。

 詩人の文章を読んでいると、まるで対句のように、対比される形で言葉が並べられているところに、
よく出くわした。詩人の生前に訊ねる機会がなかったので、そのことに詩人自身が気がついていたの
かどうか、それは筆者にはわからないのだが、しかし、そういった部分が、もしかすると、そういっ
た部分だけではないのかもしれないが、たとえば、結論を出すのに性急で、思考に短絡的なところが
あるとか、しかし、とりわけ、そういった部分が、詩人の文章に対して、浅薄なものであるという印
象を読み手に与えていたことは、だれの目にも明らかなことであった。右の文章など、そのよい例で
あろう。
 ところで、詩人はまた、その友人の言葉を結びつけている間に、その言葉がまるで


あれはわたしだ。
(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』13、川副智子訳)


と思わせるほどに、生き生きとしたものに感じられたのだという。


だがそれは同じものになるのだろうか?
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳)

それは?
(エドマンド・クーパー『アンドロイド』5、小笠原豊樹訳)

またウサギかな?
(ジェイムズ・アラン・ガードナー『プラネット・ハザード』上・5、関口幸男訳)

兎が三羽、用心深くぴょんと出てきた。
(トマス・M・ディッシュ『キャンプ・コンセントレーション』一冊目・六月十六日、野口幸夫訳)

きみはわれわれがどうも間違った兎を追いかけているような気はしないかね?
(J・G・バラード『マイナス 1』伊藤 哲訳)

もちろんちがうさ。
(ゼナ・ヘンダースン『月のシャドウ』宇佐川晶子訳)

そんなことはありえない。
(フランク・ハーバート『ドサディ実験星』12、岡部宏之訳)

ここにはもう一匹もウサギはいない
(ジョン・コリア『少女』村上哲夫訳)

いいかい?
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

そもそも
(ウィリアム・ブラウニング・スペンサー『真夜中をダウンロード』内田昌之訳)

現実とはなにかね?
(ソムトウ・スチャリトクル『スターシップと俳句』第三部・19、冬川 亘訳)

なにを彼が見つめていたか?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

このできごとのどこまでが現実にあったことだ?
(グレッグ・ベア『女王天使』下・第二部・54、酒井昭伸訳)


 もちろん、詩人がつくった世界は、といっても、これは作品世界のことであるが、しかも、詩人が
そこで表現し得ていると思い込んでいるものと、読者がそこに見出すであろうものとはけっして同じ
ものではないのだが、詩人の友人が現実の世界で体験したこととは、あるいは、詩人の友人が自分の
記憶を手繰り寄せて、自分が体験したことを思い起こしたと思い込んでいるものとは、決定的に異な
るものであるが、そのようなことはまた、詩人のつくった世界が現実にあったことを、どれぐらいき
ちんと反映しているのか、といったこととともに、詩というものとは、まったく関係のないことであ
ろう。求められているのは、現実感であり、現実そのものではないのである。少なくとも、物理化学
的な面での、現象としての現実ではないであろう。もちろん、言うまでもなく、詩は精神の産物であ
り、詩を味わうのも精神であり、しかも、その精神は、現実の世界がつくりだしたものでもある。し
かしながら、物理化学的な面での、現象としての現実の世界だけが精神をつくっているわけではない
のである。じっさいに見えるものや、じっさいに聞こえるもの、じっさいに触れるものや、じっさい
に味わうもの、そういった類のものからだけで、現実の世界ができているわけではないのである。見
えていると思っているものや、聞こえていると思っているもの、触れていると思っているものや、味
わっていると思っているものも、もちろんのことであるが、現実の世界は、見えもしないものや、聞
こえもしないもの、触れることができないものや、味わうことができないもの、そういったものによ
ってさえ、またできているのである。もしも、世界というものが、じっさいに見えるものや、じっさ
いに聞こえるもの、じっさいに触れるものや、じっさいに味わえるもの、そういった類のものからだ
けでできているとしたら、いかに貧しいものであるだろうか? じっさいのところ、世界は豊かであ
る。そう思わせるものを、世界は持っている。


魂は物質を通さずにはわれわれの物質的な眼に現われることがない、
(サバト『英雄たちと墓』第I部・2、安藤哲行訳)


 詩人が、『マールボロ。』から得た最大の収穫は、何であったのだろうか? 右に引用した文の横
に、詩人は、こんなメモを書きつけていた。「「物質」を「言葉」とすると、こういった結論が導か
れる。詩を読んで、言葉を通して、はじめて、自分の気持ちがわかることがある、ということ。言葉
は、わたしたちについて、わたしたち自身が知らないことも知っていることがある、ということ。」
と。


言葉とは何か?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

言葉以外の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

作品は作者を変える。
自分から作品を引き出す活動のひとつびとつに、作者は或る変質を受ける。完成すると、作品は今一
度作者に逆に作用を及ぼす。
(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳)

これがぼくにとってどれほど大きな意味があることか、きみにわかるかい?
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)

詩人のそばでは、詩がいたるところで湧き出てくる。
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第七章、青山隆夫訳)

今まで忘れていたことが思い出され、頭の中で次から次へと鎖の輪のようにつながっていく。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)

わたしの世界の何十という断片が結びつきはじめる。
(グレッグ・イーガン『貸金庫』山岸 真訳)

あらゆるものがくっきりと、鮮明に見えるのだ。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)

過去に見たときよりも、はっきりと
(シオドア・スタージョン『人間以上』第二章、矢野 徹訳)

なんという強い光!
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』昼夜入れ替えなしの興行、木村榮一訳)

さまざまな世界を同時に存在させることができる。
(イアン・ワトスン『知識のミルク』大森 望訳)

これは叫びだった。
(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)

急にそれらの言葉がまったく新しい意味を帯びた。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』34、大島 豊訳)

そのひと言でぼくの精神状態はもちろん、あたりの風景までが一変した。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦死(アマゾネス)、木村榮一訳)


 こういった考察を、『マールボロ。』は、詩人にさせたのだが、『マールボロ。』をつくったとき
の友人とは別の友人に、あるとき、詩人は、つぎのように言われたという。「言葉に囚われているの
は、結局のところ、自分に囚われているにひとしい。」と。そう言われて、ようやく、詩人は、『マ
ールボロ。』をつくったときに、自分の友人を傷つけたことに、その友人のこころを傷つけたことに
気がついたのだという。

 詩人の遺したメモ書きに、つぎに引用するような言葉がある。『マールボロ。』をつくる前のメモ
書きである。


順序を入れかえたり、語をとりかえたりできるので、たえず内容を変える
(モンテーニュ『エセー』第II巻・第17章、荒木昭太郎訳)

新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)


 詩人の作品が、詩人の友人の思い出に等しいものであるはずがないことに、なぜ、詩人自身が、す
ぐに気がつかなかったのか、それは、さだかではないが、たしかに、詩人は思い込みの激しい性格で
あった。上に引用したような事柄が、頭ではわかっていたのだが、じっさいに実感することが、すぐ
にはできなかったらしい。それが実感できたのは、先に述べたように、別の友人に気づかされてのこ
と、『マールボロ。』をつくった後、しばらくしてからのことであったという。


 しかし、彼の笑顔はこの世にふたつとない笑顔だ。その笑顔を向けられると、人生で出くわすあり
とあらゆる不幸をそこに見るような気がする。ところが顔に浮かんだその不幸を、彼はあっという間
に順序よく並べ替えてしまう。それを見ていると、今度は急に「ああそうか、心配することはなかっ
たんだ」と感じるのだ。
だから彼と話をするのは楽しい。その笑顔をしょっちゅう浮かべて、そのたびに「ああそうか、心
配することはなかったんだ」と感じさせてくれるからだ。
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』31、安原和見訳)


 これは、『マールボロ。』制作以降に、詩人が書きつけていたメモ書きにあったものである。たし
かに、同じ事柄でも、同じ言葉でも、順序を並べ替えて表現すると、ただそれだけでも、まったく異
なる内容のものにすることができるのであろう。詩人が引用していた、この文章は、ほんとうに、こ
ころに染み入る、すぐれた表現だと思われる。

 ところで、悲劇にあるエピソードを並べ替えて、喜劇にすることもできるということは、そしてま
た、喜劇にあるエピソードを並べ替えて、悲劇にすることもできるということは、わたしに、人生に
ついて、いや、人生観について考えさせるところが大いにあった。ある事物や事象を目の前にしたと
きに、即断することが、いかに愚かしいことであるのか、そういったことを、わたしに思わしめたの
である。

 一方、詩人は、つねにといってもよいほど、ほとんど独断し、即断する、じつに思い込みの激しい
性格であった。


ただひとつの感情が彼を支配していた。
(マルロー『征服者』第I部、渡辺一民訳)

 感情が絶頂に達するとき、人は無意識状態に近くなる。……なにを意識しなくなるのだ? それはも
ちろん自分以外のすべてをだ。自分自身をではない。
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』20、鈴木 晶訳)

今ではわたしも、他人のこころを犠牲にして得たこころの願望がいかなるものか、
(ゼナ・ヘンダースン『なんでも箱』深町眞理子訳)

それを知っている
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

私という病気にかかっていることがようやくわかった。
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友人へ』8、佐宗鈴夫訳)

私というのは、空虚な場所、
(ジンメル『日々の断想』66、清水幾太郎訳)

世界という世界が豊饒な虚空の中に形作られるのだ。
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳)


 これらの言葉から、詩人の考えていたことが、詩人の晩年における境地というようなものが、詩人
の第二詩集である『The Wasteless Land.』の注釈において展開された、詩人自身の自我論に繋がるも
のであることが、よくわかる。

 先にも書いたように、詩人は、つねづね、『マールボロ。』のことを、「自分の作品のなかで、も
っとも好きな詩である。」と言っていたが、「それと同時に、またもっとも重要な詩である。」とも
言っていた。その言葉を裏付けるかのように、『マールボロ。』については、じつにおびただしい数
の引用や文章が、詩人によって書き残されている。以下のものは、これまで筆者が引用してきたもの
と同様に、詩人が、『マールボロ。』について、生前に書き留めておいたものを、筆者が適宜抜粋し
たものである。(すべてというわけではない。一行だけ、例外がある。筆者が補った一文である。読
めばすぐにわかるだろうが、あえて――線を引いて示しておいた。)


なぜ人間には心があり、物事を考えるのだろう?
(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)

心は心的表象像なしには、決して思惟しない。
(アリストテレス『こころとは』第三巻・第七章、桑子敏雄訳)


 言葉や概念といったものが自我を引き寄せて思考を形成するのだろうか? それとも、思考を形成
する「型」や「傾向」といったようなものが自我にはあって、それが、言葉や概念といったものを引
き寄せて思考を形成するのだろうか? おそらくは、その双方が、相互に働きかけて、思考を形成し
ているのであろう。


一つ一つのものは自分の意味を持っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳) 
 
その時々、それぞれの場所はその意味を保っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳) 


 思考が形成される過程については、まだ十分に考察しきっていないところがあると思われるのだが、
少なくとも、「習慣的な」思考とみなされるようなものは、そこで用いられている「言葉」というよ
りも、むしろ、その思考をもたらせる「型」や「傾向」といったようなものによって、主につくられ
ているような気がするのであるが、どうであろうか? というのも、


人間というものは、いつも同じ方法で考える。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)


というように、思考には、「型」や「傾向」とかいったようなものがあると思われるからである。そ
してまた、そういったものは、その概念を受容する頻度や、その概念をはじめて受け入れたときのシ
ョックの強度によって、ほぼ決定されるのであろうと、わたしには思われるのである。

 ところで、幼児の気分が変わりやすいのは、なぜであろうか。おそらく、思考の「型」や「傾向」
といったようなものが、まだ形成されていないためであろう。あるいは、形成されてはいても、まだ
十分に形成されきっていないのであろう、それが十分に機能するまでには至っていないように思われ
る。幼児は、そのとき耳にした言葉や、そのとき目にしたものに、振り回されることが多い。「型」
や「傾向」といったようなものがつくられるためには、繰り返される必要がある。繰り返されると、
それが「型」や「傾向」といったようなものになる。ときには、ただ一回の強烈な印象によって、「型」
や「傾向」といったようなものがつくられることもあるであろう。しかし、そのことと、繰り返され
ることによって「型」や「傾向」といったようなものがつくられることとは、じつは、よく似ている。
同じページを何度も何度も開いていると、ごく自然に、本には開き癖といったようなものがつくのだ
が、ぎゅっと一回、強く押してページを開いてやっても、そのページに開き癖がつくように。それに、
強烈な印象は、その印象を受けたあとも、しばらくは持続するであろうし、それはまた、繰り返し思
い出されることにもなるであろう。
しかし、ヴァレリーの


個性は思い出と習慣によって作られる
(ヴァレリー全集カイエ篇6『自我と個性』滝田文彦訳)


といった言葉を読み返して思い起こされるのだが、たしかに、わたしには、しばしば、「個性的な」
といった形容で言い表される人間の言っていることやしていることが、ただ単に反射的に反応してし
ゃべったり行動したりしていることのように思われることがあるのである。つねに、とは言わないま
でも、きわめてしばしば、である。


霊はすべておのれの家を作る。だがやがて家が霊を閉じこめるようになる。
(エマソン『運命』酒本雅之訳)


 したがって、「習慣的な」思考を、「習慣的でない」思考と同様に、「思考」として考えてもよい
ものかどうか、それには疑問が残るのである。「習慣的な」思考というものが、単なる想起のような
ものにしか過ぎず、「習慣的でない」思考といったものだけが、「思考」というものに相当するもの
なのかもしれないからである。また、ときには、ある「思考」が、「習慣的な」ものであるのか、そ
れとも、「習慣的でない」ものであるのか、明確に区別することができない場合もあるであろう。そ
れにまた、「思考」には、「習慣的な」ものと「習慣的でない」ものとに分類されないものも、ある
かもしれないのである。しかし、いまはまだ、そこまで考えることはしないでおこう。「習慣的な」
思考と「習慣的でない」思考の、このふたつのものに限って考えてみよう。単純に言ってみれば、「型」
や「傾向」により依存していると思われるのが、「習慣的な」思考の方であり、「言葉」自体により
依存していると思われるのが、「習慣的でない」思考の方であろうか? これもまた、「より依存し
ている」という言葉が示すように、程度の問題であって、絶対にどちらか一方だけである、というこ
とではないし、また、そもそものところ、思考が、「言葉」といったものや、「型」や「傾向」とい
ったものからだけで形成されるものでないことは、


われわれのあらゆる認識は感覚にはじまる。
(レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』人生論、杉浦明平訳)


というように、感覚器官が受容する刺激が認識に与える影響についてだけ考えてみても明らかなこと
であろうが、思考は言語からのみ形成されるのではない。しかし、あえて、論を進めるために、ここ
では、思考を形成するものを、「言葉」とか、あるいは、「型」や「傾向」とかいったものに限って、
考えることにした。いずれにしても、それらのものはまた、


創造者であるとともに被創造物でもある。
(ブライアン・W・オールディス『讃美歌百番』浅倉久志訳)

――詩人はよく、こう言っていた。詩人にできるのは、ただ言葉を並べ替えることだけだ、と。


人間は実際造ることができないんです。すでにあるものを並び替えるだけでしてね。神のみが創造で
きるのですよ
(ロジャー・ゼラズニイ『わが名はレジオン』第三部、中俣真知子訳)


並べ替える? それとも、並び替えさせるのか? 並べ替える? それとも、並び替えさせるのか?


『マールボロ。』


断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従って形を求めた。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳)


並び替えさせる? それとも、並べ替えるのか? 並び替えさせる? それとも、並べ替えるのか?


『マールボロ。』


 ただ言葉を選んで、並べただけなのだが、『マールボロ。』という詩によって、はじめてもたらさ
れたものがある。そのうちの一つのものに、『マールボロ。』という詩が出来上がってはじめて、そ
の出来上がった詩を目にしてはじめて、わたしのこころのなかに生まれた感情がある。それは、それ
までのわたしが、わたしのこころのなかにあると感じたことのない、まったく新しい感情であった。
まるで、その詩のなかにある言葉の一つ一つが、わたしにとって、激しく噴き上げてくる間歇泉の水
しぶきのような感じがしたのである。じっさい、紙面から光を弾き飛ばしながら、言葉が水しぶきの
ように迸り出てくるのが感じられたのである。また、そのうちの一つのものに、『マールボロ。』と
いう詩の形をとることによって、言葉たちがはじめて獲得した意味がある。それは、その詩が出来上
がるまでは、その言葉たちがけっして持ってはいなかったものであり、それは、その言葉にとって、
まったく新しい意味であった。
 これを、人間であるわたしの方から見ると、言葉たちを、ただ選び出して、並べ替えただけのよう
に見える。事実、ただそれだけのことである。これを、言葉の方から見ると、どうであろうか? 言
葉の方の身になって、考えられるであろうか? 『マールボロ。』の場合、言葉はもとの場所から移
され、並び替えさせられた上に、それらの言葉を前にする人間の方も入れ替わったのである。時間的
なことを考慮して言うなら、人間が入れ替わるのと同時に、言葉も並び替えさせられたのである。人
間であるわたしの方から見る場合と異なる点は、それらの言葉を前にする人間の方も入れ替わってい
たということであるが、それでは、はたして、それらの言葉の前で、人間の方が入れ替わっていたと
いう、このことが、他の言葉とともに並び替えさせられたことに比べて、いったいどれぐらいの割合
で、それらの言葉の意味の拡張や変化といったものに寄与したのであろうか? しかし、そもそもの
ところ、そのようなことを言ってやることなどできるのであろうか? できやしないであろう。とい
うのも、そういった比較をするためには、人間が入れ替わらずに、それらの言葉が、『マールボロ。』
という詩のなかで配置されているように配置される可能性を考えなければならないのであるが、その
ようなことが起こる可能性は、ほとんどないと思われるからである。まあ、いずれにしても、見かけ
の上では、言葉の並べ替えという、ただそれだけのことで、わたしも、その言葉たちも、それまでの
わたしや、それまでのその言葉たちとは、違ったものになっていた、というわけである。


 ぼくらがぼくらを知らぬ多くの事物によって作られているということが、ぼくにはたとえようもな
く恐ろしいのです。ぼくらが自分を知らないのはそのためです。
(ヴァレリー『テスト氏』ある友人からの手紙、村松 剛・菅野昭正・清水 徹訳)


といったことを、ヴァレリーが書いているのだが、『マールボロ。』という詩をつくる「経験」を通
して、「ぼくらを知らぬ多くの事物」が、いかにして、「ぼくら」を知っていくか、また、「自分を
知らない」「ぼくら」が、いかにして、「自分」を知っていくか、その経緯のすべてとはいわないが、
その一端は窺い知ることができたものと、わたしには思われるのである。


『マールボロ。』


 言葉は、つぎつぎと人間の思いを記憶していく。ただし、言葉の側からすれば、個々の人間のこと
などはどうでもよい。新たな意味を獲得することにこそ意義がある。言葉の普遍性と永遠性。言葉自
身が知っていることを、言葉に教えても仕方がない。言葉の普遍性と永遠性。わたしたちが言葉を獲
得する? 言葉が獲得するのだ、わたしたちを。言葉の普遍性と永遠性。もはや、わたし自身が言葉
そのものとなって考えるしかあるまい。


『マールボロ。』


 デニス・ダンヴァーズが『天界を翔ける夢』や、その姉妹篇の『エンド・オブ・デイズ』のなかに
書いているように、あるいは、グレッグ・イーガンが『順列都市』のなかで描いているように、将来
において、たとえ、人間の精神や人格を、その人間の記憶に基づいてコンピューターにダウンロード
することができるとしても、そういったものは、元のその人間の精神や人格とはけっして同じものに
はならないであろう。なぜなら、人間は、偶然が決定的な立場で控えている時間というもののなかに
生きているものであり、その偶然というものは、どちらかといえば、量的な体験ではなく、質的な体
験においてもたらされるものだからである。驚くことがいかに人生において重要なものであるか、そ
れを機械が体験し、実感することができるようになるとは、とうてい、わたしには思えないのである。
せいぜい、思考の「型」とか「傾向」とかいったようなものをつくれるぐらいのものであろう。それ
に、たとえ、思考の「型」や「傾向」とかいったようなものを、ソフトウェア化することができると
しても、それらから導き出せるような思考は、単なる「習慣的な」思考であって、そのようなもので
は、『マールボロ。』のようなものをつくり出すことはおろか、『マールボロ。』のようなものをつ
くり出すきっかけすら思いつくことができるようなものにはならないであろう。


『マールボロ。』


 紙片そのものではなく、それを貼り合わせる指というか、糊というか、じっさいはセロテープで貼
り付けたのだが、短く切り取ったセロテープを紙片にくっつけるときの息を詰めた呼吸というか、そ
のようなものでつくっていったような気がする。そのことは以前にも書いたことがあるのだが、それ
は、ほとんど無意識的な行為であったように思われる。基本的には、これが、わたしの詩の作り方で
ある。


『マールボロ。』


 たしかに、「言葉」には、互いに引き合ったり反発しあったりする、磁力のようなものがある。そ
う、わたしには思われる。そして、それらのものを、思考の「型」や「傾向」といったものの現われ
ともとることはできるのだが、そうではない、「言葉」そのものにはない、「型」や「傾向」といっ
たものもあるように、わたしには思われるのである。とはいっても、言葉が、その言葉としての意味
を持って、個人の前に現われる前に、その個人の思考の「型」や「傾向」といったようなものが存在
したとも思われないのだが、……、しかし、ここまで考えてきて、ふと思った。「言葉」の方が磁石
のようなもので、「型」や「傾向」といったものの方が磁石をこすりつけられて磁力を持つようにな
った鉄の針のようなものなのか、「型」や「傾向」といったものの方が磁石のようなもので、「言葉」
の方が磁石をこすりつけられて磁力を持つようになった鉄の針のようなものなのか、と。ふうむ、…
…。


『マールボロ。』


作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)

きみはそれを知っている人間のひとりかね?
(ノーマン・メーラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

そのとおりであることを祈るよ。
(アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』第一部・4、福島正実訳)

こんどはそれをこれまで学んできた理論体系に照らし合わせて検証しなければならん
(スティーヴン・バクスター『天の筏』5、古沢嘉道訳)

実際にやってみよう
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

煉瓦はひとりでは建物とはならない。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとI』6、田中 勇・銀林 浩訳)

具体的な形はわれわれがつくりだすのだ
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』28、三田村 裕訳)

形と意味を与えられた苦しみ。
(サミュエル・R・ディレイニー『コロナ』酒井昭伸訳)

きみはこれになるか?
(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)


   *


 つぎに掲げてあるのは、芥川龍之介の『或阿呆の一生』の冒頭部分である。一部の言葉を他の作家
の作品の言葉と置き換えてみた。まず、はじめに、夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭部分の言葉
を使って、一部の言葉を置き換えた。


 それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子(はしご)に登り、新らしい本
を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ、
……
 そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐる
のは本といふよりも寧(むし)ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、
ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……

 彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈
みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、
丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇(たたず)んだまま、本の間に動いて
ゐる店員や客を見下(みおろ)した。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「人生は一(いち)行(ぎやう)のボオドレエルにも若(し)かない。」
 彼は暫(しばら)く梯子の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。……


 吾輩(わがはい)は或猫の名前だつた。ニャーニャーの吾輩は人間にかけた書生の人間に登り、新ら
しい種族を探してゐた。書生、我々、話、考、彼、掌(てのひら)、……
 そのうちにスーは迫り出した。しかしフワフワは熱心に掌の書生を読みつづけた。そこに並んでゐ
るのは顔といふよりも寧(むし)ろ人間それ自身だつた。毛、顔、つるつる、薬缶(やかん)、猫、顔、
……
 穴はぷうぷうと戦ひながら、煙(けむり)のこれを数へて行つた。が、人間はおのづからもの憂い煙
草(たばこ)の中に沈みはじめた。書生はとうとう掌も尽き、裏(うち)の心持を下りようとした。する
と書生のない自分が一つ、丁度眼の胸の上に突然ぽかりと音をともした。眼は火の上に佇(たたず)ん
だまま、書生の間に動いてゐる兄弟や母親を見(み)下(おろ)した。姿は妙に小さかつた。のみならず
如何にも見すぼらしかつた。
「眼は容(よう)子(す)ののそのそにも若(し)かない。」
 吾輩は暫(しばら)く藁(わら)の上からかう云ふ笹原を見渡してゐた。……


ここで、比較のために、もとの『吾輩は猫である』の冒頭部分を掲げておく。


 吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣い
ていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれ
は書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕
(つかま)えて煮(に)て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しい
とも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした
感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの
見(み)始(はじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装
飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後(ご)猫にもだいぶ逢(あ)ったがこ
んな片(かた)輪(わ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起して
いる。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙(けむり)を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。
これが人間の飲む煙草(たばこ)というものである事はようやくこの頃知った。
 この書生の掌の裏(うち)でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運
転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無(む)暗(やみ)に眼が廻る。胸が悪くな
る。到底(とうてい)助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶
しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一(いち)疋(ぴき)も見えぬ。肝心(かん
じん)の母親さえ姿を隠してしまった。その上(うえ)今(いま)までの所とは違って無(む)暗(やみ)に明
るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容(よう)子(す)がおかしいと、のそのそ這(は)い
出して見ると非常に痛い。吾輩は藁(わら)の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。


つぎに、堀 辰雄の『風立ちぬ』の冒頭部分の言葉を使って、置き換えてみた。


 夏は或日々の薄(すすき)だつた。草原のお前は絵にかけた私の白樺に登り、新らしい木蔭を探して
ゐた。夕方、お前、仕事、私、私達、肩、……
 そのうちに手は迫り出した。しかし茜(あかね)色(いろ)は熱心に入道雲の塊りを読みつづけた。そ
こに並んでゐるのは地平線といふよりも寧(むし)ろ地平線それ自身だつた。 日、午後、秋、日、私
達、お前、……
 絵は画架と戦ひながら、白樺の木蔭を数へて行つた。が、果物はおのづからもの憂い砂の中に沈み
はじめた。雲はとうとう空も尽き、風の私達を下りようとした。すると頭のない木の葉が一つ、丁度
藍色(あいいろ)の草むらの上に突然ぽかりと物音をともした。私達は私達の上に佇(たたず)んだまま、
絵の間に動いてゐる画架や音を見(み)下(おろ)した。お前は妙に小さかつた。のみならず如何にも見
すぼらしかつた。
「私は一瞬の私にも若(し)かない。」
 お前は暫(しばら)く私の上からかう云ふ風を見渡してゐた。……


ここで比較のために、もとの『風立ちぬ』の冒頭部分を掲げておく。


 それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描い
ていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方に
なって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、
遥か彼方の、縁だけ茜(あかね)色(いろ)を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の
方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが
生れて来つつあるかのように……

 そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけ
たまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧(か)じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れ
ていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっ
と覗いている藍色(あいいろ)が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがば
ったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と
共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失う
まいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさ
せていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。


つぎに、小林多喜二の『蟹工船』の冒頭部分の言葉を使って、置き換えてみた。


 地獄は或二人のデッキだつた。手すりの蝸牛(かたつむり)は海にかけた街の漁夫に登り、新らしい
指元を探してゐた。煙草(たばこ)、唾(つば)、巻煙草、船腹(サイド)、彼、身体(からだ)、……
 そのうちに太鼓腹は迫り出した。しかし汽船は熱心に積荷の海を読みつづけた。そこに並んでゐる
のは片(かた)袖(そで)といふよりも寧(むし)ろ片側それ自身だつた。煙突、鈴、ヴイ、南(ナン)京(キ
ン)虫(むし)、船、船、……
 ランチは油煙と戦ひながら、パン屑(くず)の果物を数へて行つた。が、織物はおのづからもの憂い
波の中に沈みはじめた。風はとうとう煙も尽き、波の石炭を下りようとした。すると匂いのないウイ
ンチが一つ、丁度ガラガラの音の上に突然ぽかりと波をともした。蟹工船博光丸はペンキの上に佇(た
たず)んだまま、帆船の間に動いてゐるへさき(ヽヽヽ)や牛を見(み)下(おろ)した。鼻穴は妙に小さか
つた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「錨(いかり)は鎖の甲板にも若(し)かない。」
 マドロス・パイプは暫(しばら)く外人の上からかう云ふ機械人形を見渡してゐた。……


ここで比較のために、もとの『蟹工船』の冒頭部分を掲げておく。


「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱(か
か)え込んでいる函(はこ)館(だて)の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草(たばこ)を
唾(つば)と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹(サイド)を
すれずれに落ちて行った。彼は身体(からだ)一杯酒臭かった。
 赤い太鼓腹を巾(はば)広く浮かばしている汽船や、積荷最中らしく海の中から片(かた)袖(そで)を
グイと引張られてでもいるように、思いッ切り片側に傾いているのや、黄色い、太い煙突、大きな鈴
のようなヴイ、南(ナン)京(キン)虫(むし)のように船と船の間をせわしく縫っているランチ、寒々と
ざわめいている油煙やパン屑(くず)や腐った果物の浮いている何か特別な織物のような波……。風の
工合で煙が波とすれずれになびいて、ムッとする石炭の匂いを送った。ウインチのガラガラという音
が、時々波を伝って直接(じか)に響いてきた。

 この蟹工船博光丸のすぐ手前に、ペンキの剥(は)げた帆船が、へさき(ヽヽヽ)の牛の鼻穴のような
ところから、錨(いかり)の鎖を下していた、甲板を、マドロス・パイプをくわえた外人が二人同じと
ころを何度も機械人形のように、行ったり来たりしているのが見えた。ロシアの船らしかった。たし
かに日本の「蟹工船」に対する監視船だった。


 ここでまた、比較のために、『或阿呆の一生』の言葉を、前掲の三つの文章のなかにある言葉と置き
換えてみた。


それは或本屋である。二階はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見(けん)当(とう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で二十歳泣いてい
た事だけは記憶している。彼はここで始めて書棚というものを見た。しかもあとで聞くとそれは西洋
風という梯子(はしご)中で一番獰(どう)悪(あく)な本であったそうだ。このモオパスサンというのは
時々ボオドレエルを捕(つかま)えて煮(に)て食うというストリントベリイである。しかしその当時は
何というイブセンもなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただシヨウのトルストイに載せられ
て日の暮と持ち上げられた時何だか彼した感じがあったばかりである。本の上で少し落ちついて背文
字の本を見たのがいわゆる世紀末というものの見(み)始(はじめ)であろう。この時妙なものだと思っ
た感じが今でも残っている。第一ニイチエをもって装飾されべきはずのヴエルレエンがゴンクウル兄
弟してまるでダスタエフスキイだ。その後(ご)ハウプトマンにもだいぶ逢(あ)ったがこんな片(かた)
輪(わ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならずフロオベエルの真中があまりに突起してい
る。そうしてその彼の中から時々薄暗がりと彼等を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。名前が
本の飲む影というものである事はようやくこの頃知った。
 この彼の根気の西洋風でしばらくはよい梯子に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転
し始めた。傘が動くのか電燈だけが動くのか分らないが無(む)暗(やみ)に彼が廻る。頭が悪くなる。
到底(とうてい)助からないと思っていると、どさりと火がして彼から梯子が出た。それまでは記憶し
ているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると本はいない。たくさんおった店員が一(いち)疋(ぴき)も見えぬ。肝心(かんじ
ん)の客さえ彼等を隠してしまった。その上(うえ)今(いま)までの所とは違って無(む)暗(やみ)に明る
い。人生を明いていられぬくらいだ。はてな何でも一(いち)行(ぎやう)がおかしいと、ボオドレエル
這(は)い出して見ると非常に痛い。彼は梯子の上から急に彼等の中へ棄てられたのである。

 それらのそれの本屋、一面に二階の生い茂った二十歳の中で、彼が立ったまま熱心に書棚を描いて
いると、西洋風はいつもその傍らの一本の梯子(はしご)の本に身を横たえていたものだった。そうし
てモオパスサンになって、ボオドレエルがストリントベリイをすませてイブセンのそばに来ると、そ
れからしばらくシヨウはトルストイに日の暮をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ彼を帯びた本の
むくむくした背文字に覆われている本の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけ
ているその世紀末から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

 そんなニイチエの或るヴエルレエン、(それはもうゴンクウル兄弟近いダスタエフスキイだった)
ハウプトマンはフロオベエルの描きかけの彼を薄暗がりに立てかけたまま、その彼等の名前に寝そべ
って本を齧(か)じっていた。影のような彼が根気をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処か
らともなく西洋風が立った。梯子の傘の上では、電燈の間からちらっと覗いている彼が伸びたり縮ん
だりした。それと殆んど同時に、頭の中に何かがばったりと倒れる火を彼は耳にした。それは梯子が
そこに置きっぱなしにしてあった本が、店員と共に、倒れた客らしかった。すぐ立ち上って行こうと
する彼等を、人生は、いまの一(いち)行(ぎやう)の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留
めて、ボオドレエルのそばから離さないでいた。彼は梯子のするがままにさせていた。

彼等立ちぬ、いざ生きめやも。


「おいそれさ行(え)ぐんだで!」
 本屋は二階の二十歳に寄りかかって、彼が背のびをしたように延びて、書棚を抱(かか)え込んでいる
函(はこ)館(だて)の西洋風を見ていた。――梯子(はしご)は本まで吸いつくしたモオパスサンをボオ
ドレエルと一緒に捨てた。ストリントベリイはおどけたように、色々にひっくりかえって、高いイブ
センをすれずれに落ちて行った。シヨウはトルストイ一杯酒臭かった。
 赤い日の暮を巾(はば)広く浮かばしている彼や、本最中らしく背文字の中から本をグイと引張られ
てでもいるように、思いッ切り世紀末に傾いているのや、黄色い、太いニイチエ、大きなヴエルレエ
ンのようなゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイのようにハウプトマンとフロオベエルの間をせわしく
縫っている彼、寒々とざわめいている薄暗がりや彼等や腐った名前の浮いている何か特別な本のよう
な影……。彼の工合で根気が西洋風とすれずれになびいて、ムッとする梯子の傘を送った。電燈の彼
という頭が、時々火を伝って直接(じか)に響いてきた。
この彼のすぐ手前に、梯子の剥(は)げた本が、店員の客の彼等のようなところから、人生の一(いち)
行(ぎやう)を下していた、ボオドレエルを、彼をくわえた梯子が二人同じところを何度も彼等のよう
に、行ったり来たりしているのが見えた。ロシアの船らしかった。たしかに日本の「蟹工船」に対す
る監視船だった。


それにしても、『マールボロ。』、


いまだにみんながきみの愛について語ることをしないのは、いったいどうしたことなのだろう。
(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)

誰もが持っていることさえ拒むような考えを暴き出すのが詩人の務めだ
(ダン・シモンズ『大いなる恋人』嶋田洋一訳)

しかし、だれが彼を才能のゆえに覚えていることができよう?
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第四部・18、山西英一訳)

世間の普通の人は詩など読まない
(ノサック『ドロテーア』神品義雄訳)

誰も詩人のものなんて読みやしない。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)

もちろんそうさ。
(テリー・ビッスン『時間どおりに教会へ』3、中村 融訳)

詩作なんかはすべきでない。
   (ホラティウス『書簡詩』第一巻・七、鈴木一郎訳)

いったいなんのために書くのか?
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

詩人の不幸ほど甚だしいものはないでしょう。さまざまな災悪によりいっそう深く苦しめられるばか
りでなく、それらを解明するという義務も負うているからです
(レイナルド・アレナス『めくるめく世界』34、鼓 直・杉山 晃訳)

詩とは認識への焦慮なのです、それが詩の願いです、
(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第III部、川村二郎訳)

たしかに
(ジョン・ブラナー『木偶(でく)』吉田誠一訳)

あらゆる出会いが苦しい試練だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック : スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳)

その傷によって
(ヨシフ・ブロツキー『主の迎接祭(スレーチエニエ)』小平 武訳)

違った状態になる
(チャールズ・オルソン『かわせみ』4、出淵 博訳)

何もかも
(ロバート・A・ハインライン『悪徳なんかこわくない』上・1、矢野 徹訳)

おお
(ボードレール『黄昏』三好達治訳)

愛よ
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第九章、青山隆夫訳)

お前は苦痛が何を受け継いだかを知っている。
(ジェフリー・ヒル『受胎告知』2、富士川義之訳)

それ自身の新しい言葉を持たない恋がどこにあるだろう?
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)


 それにしても、詩人は、なぜ、『マールボロ。』という作品に固執したのであろうか? あるとき、
詩人は、わたしにこう言った。「ぼくの書いた詩なんて、そのうち忘れられても仕方がないと思う。
まあ、忘れられるのは、忘れられても仕方がない作品だからだろうしね。だけど、『マールボロ。』
だけは、忘れられたくないな。ぼくのほかの作品がみんな忘れられてもね。まあ、でも、『マールボ
ロ。』は、読み手を選ぶ作品だからね。あまりにも省略が激しいし、使われているレトリックも凝り
に凝ったものだしね。ちゃんと把握できる読者の数は限られていると思う。」たしかに、省略が激し
いという自覚は、詩人にはあったようである。というのも、晩年の詩人が、朗読会で読む詩は、ほぼ、
『マールボロ。』ということになっていたのだが、その朗読の前には、かならず、『マールボロ。』
という作品の制作過程と、その作品世界の背景となっている、ゲイたちの求愛の場と性愛行為につい
ておおまかな説明をしていたからである。(あくまでも、一部のゲイたちのそれであるということは、
詩人も知っていたし、また、わたしの知る限り、朗読の前のその説明のなかで、一部の、という言葉
を省いて、詩人が話をしたことは一度もなかった。)


──と、だしぬけに誰かがぼくの太腿の上に手を置いた。ぼくは跳び上がるほど驚いたが、跳び上
がる前にいったい誰の手だろう、ひょっとするとリーラ座の時のように女の人が手を出したのだろう
かと思ってちらっと見ると、これがなんともばかでかい手だった。(あれが女性のものなら、映画女
優か映画スターで、巨大な肉体を誇りにしている女性のものにちがいなかった)。さらに上のほうへ
眼を移すと、その手は毛むくじゃらの太い腕につづいていた。ぼくの太腿に毛むくじゃらの手を置い
たのは、ばかでかい体軀の老人だったが、なぜ老人がぼくの太腿に手を置いたのか、その理由は説明
するまでもないだろう。(……)ぼくは弟に「席を替ろうか?」と言ってみた。(……)ぼくたちは
立ち上がって、スクリーンに近い前のほうに席を替った。そのあたりにもやはりおとなしい巨人たち
が坐っていた。振り返って老人の顔を見ることなど恐ろしくてできなかったが、とにかくその老人が
とてつもなく巨大な体軀をしていたことだけはいまだに忘れることができない。あの男はおそらく、
年が若くて繊細なホモの男や中年のおとなしい男を探し求めてあの映画館に通っていたのだろう。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』いつわりの恋、木村榮一訳)


 カブレラ=インファンテの「ウィタ・セクスアリス」(木村榮一)である、『亡き王子のためのハ
バーナ』からの引用である。詩人は、集英社の「ラテンアメリカの文学」のシリーズから数多くメモ
を取っていたが、これもその一つである。ゲイがゲイと出会う場所の一つに、映画館がある。それは、
ポルノ映画を上映しているポルノ映画館であったり、他の映画館が上映を打ち切ったあとに上映する
再上映専門の、入場料の安い名画座であったりするのだが、『亡き王子のためのハバーナ』の主人公
が目にしたように、行為そのものは、座席に並んで坐ったままなされることもあり、最後列の座席の
さらにその後ろの立見席のあたりでなされることもあるのだが、いったん、映画館の外に出て、男同
士でも入れるラブホテルに行ったりすることもあるし、これは、先に手を出した方の、つまり、誘っ
た方の男の部屋であることが多いのだが、自分の部屋に相手を連れ込んだり、相手の部屋に自分が行
ったり、というように、どちらかの部屋に行くこともある。また、つぎの引用のように、映画館のト
イレのなかでなされることもある。


 中年の男がもうひとりの男のほうにかがみ込んで、『種蒔く人』というミレーの絵に描かれている
人物のように敬虔(けいけん)な態度で手をせっせと上下に動かしているのに気がついた。もうひとり
のほうはその男よりもずっと小柄だったので、一瞬小人かなと思ったが、よく見ると背が低いのでは
なくてまだほんの子供だった。当時ぼくは十七歳くらいだったと思う。あの年頃は、自分と同じ年格
好でない者を見ると、ああ、まだ子供だなとか、もうおじいさんだとあっさり決めつけてしまうが、
そういう意味ではなく、まさしくそこにいたのは十二歳になるかならないかの子供だった。男にマス
をかいてもらいながら、その男の子は快楽にひたっていたが、その行為を通してふたりはそれぞれに
快感を味わっていたのだ。男は自分でマスをかいていなかったし、もちろんあの男にそれをしてもら
ってもいなかった。その男にマスをかいてもらっている男の子の顔には恍惚(こうこつ)とした表情が
浮かんでいた。前かがみになり懸命になってマスをかいてやっていたので男の顔は見えなかったが、
あの男こそ匿名の性犯罪者、盲目の刈り取り人、正真正銘の <切り裂きジャック> だった。その時は
じめてラーラ座がどういう映画館なのか分った。あそこは潜水夫、つまり性的な不安を感じているぼ
くくらいの年齢のものがホモの中でもいちばん危険だと考えていた手合いの集まるところだったのだ。
男色家の男たちがもっぱら年若い少年ばかりを狙って出入りするところ、それがあそこだった──も
っとも、あの時はぼくの眼の前にいた男色家が女役をつとめ、受身に廻った少年たちのほうが男役を
していたのだが。いずれにしても、ラーラ座はまぎれもなく男色家の専門の小屋だった──倒錯的な
性行為を目のあたりにして、傍観者のぼくはそう考えた。それでもぼくは、いい映画が安く見られる
のでラーラ座に通い続けた。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』いつわりの恋、木村榮一訳)


 俗に発展場と呼ばれている、ゲイが他のゲイと出会うために足を運ぶ場所は、ポルノ映画館や名画
座といった映画館ばかりではない。サウナや公園という場所がそうなっている所もあるし、デパート
や駅のトイレといった場所がそうなっているところもある。もちろん、その場で性行為に及ぶことも
少なくないのだが、さきに述べたように、どちらかの部屋に行き、ことに及ぶといったこともあるの
である。しかし、じつに、さまざまな場所で、さまざまな時間に、さまざまな男たちが絡み合い睦み
合っているのである。つぎに引用するのは、駅のプラットフォームの脇にある公衆便所での出来事を、
ある一人の警察官が自分の娘に見るようにうながすところである。(それにしても、これは、微妙に、
奇妙な、シチュエーション、である。)


「見てごらん」
「なにを?」
「見たらわかるさ!」
あんたは、最初笑っていたが、すぐに消毒剤と小便の、むかっとするような臭いに攻め立てられ、ほ
んのちょっとだけ穴から覗いて見た。するとそこに歳とった男の手があり、なにやらつぶやいている
声が聞こえ、そこから父親の手があんたの腕をつかんでいるのがわかり、もう一度眼を穴に近づける
と、ズボンや歳とった男の手を握っている少年の手が、公衆便所の中に見え、あんたはむすっとして
その場を離れたが、ガースンは寂しげに笑っていた。
「あの薄汚いじじいをとっ捕まえるのはこれで三度目だ。がきの方は二度とやってこないけど、じじ
いのやつはいくらいい聞かせてもわからない」
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)


 あのオルガン奏者(新聞記者のなんとも嘆かわしい、低俗な筆にかかるとあの音楽家も一介のオルガ
ン弾きに変えられてしまうが、それはともかく、以下の話は当時の新聞をもとに書き直したものであ
る)と知り合ったのは恋人たちの公園で、そのときは音楽家のほうから声をかけてきて、生活費を出す
から自分の家(つまり部屋のことだが)に来ないか、なんなら小遣いを上げてもいいんだよと誘った
らしい
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳)


これは、公園での出来事を語っているところである。


 男にもし膣と乳房があれば、世の中の男はひとり残らずホモになっているだろう、とシルビア・リ
ゴールは口癖のように言っていた。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳)


 詩人はよく、この言葉を引用して、わたしにこう言っていた。「一人残らずってことはないだろう
けど、半分くらいの男は、そうなるんじゃないかな。」と。そのようなことは考えたこともなかった
ので、詩人からはじめて聞かされたときには、ほんとうに驚いた。「もしも、何々だったら?」とい
うのは、詩人の口癖のようなものだったのだが、もっともよく口にしていたのは、言葉を逆にする、
というものであった。そういえば、詩人の取っていたメモのなかに、こういうものがあった。


ヤコービは、彼の数学上の発見の秘密を問われて「つねに逆転させなければならない」といった。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとII』21、田中 勇・銀林 浩訳)


 言葉を逆にするという、ごく単純な操作で、言葉というものが、それまでその言葉が有していなか
った意味概念を獲得することがあるということを、生前に、詩人は、論考として発表したことがあっ
たが、言葉の組み合わせが、言葉にとっていかに重要なものであるのかは、古代から散々言われてき
たことである。詩人の引用によるコラージュという手法も、その延長線上にあるものと見なしてよい
であろう。詩人が言っていたことだが、出来のよいコラージュにおいては、そのコラージュによって、
言葉は、その言葉が以前には持っていなかった新しい意味概念を獲得するのであり、それと同時に、
作り手である詩人と、読み手である読者もまた、そのコラージュによって、自分のこころのなかに新
しい感情や思考を喚起するのである、と。そのコラージュを目にする前には、一度として存在もしな
かった感情や思考を、である。


みるものが変われば心も変わる。
(シェイクスピア『トライラスとクレシダ』V・ii、玉泉八州男訳)


そして、こころが変われば、見るものも変わるのだ、と。


 つぎに、詩人が書き留めておいたメモを引用する。そのメモ書きは、そのつぎに引用する言葉の下
に書き加えられたものであった。そして、その引用の言葉の横には、赤いペンで、「マールボロにつ
いて」という言葉が書きそえられていた。


誰にも永遠を手にする権利はない。だが、ぼくたちの行為の一つ一つが永遠を求める
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

というのは、瞬間というものしか存在してはいないからであり、そして瞬間はすぐに消え失せてしま
うものだからだ
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンノ浜辺』25、菅野昭正訳)

きみが生きている限り、きみはまさに瞬間だ、
(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳)

一切は過ぎ去る。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)

愛はたった一度しか訪れない、
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)


 こころのなかで起こること、こころのなかで起こるのは、一瞬一瞬である。思いは持続しない。し
かし、その一瞬一瞬のそれぞれが、永遠を求めるのだ。その一瞬一瞬が、永遠を求め、その一瞬一瞬
が、永遠となるのである。割れガラスの破片のきらめきの一つ一つが、光沢のあるタイルに反射する
輝きの一つ一つが、水溜りや川面に反射する光の一つ一つが太陽を求め、それら一つ一つの光のきら
めきが、一つ一つの輝く光が、太陽となるように。


心のなかに起っているものをめったに知ることはできないものではあるが、
(ノーマン・メーラー『鹿の園』第三部・10、山西英一訳)

隠れているもので、知られてこないものはない。
(『マタイによる福音書』一〇・二六)

そのような実在は、それがわれわれの思考によって再創造されなければわれわれに存在するものではない
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI、井上究一郎訳)


 いや、むしろ、こう言おう、はっきりと物の形が見えるのは、こころのなかでだけだ、と。あるいは、
こころが見るときにこそ、はじめて、ものの形がくっきりと現われるのだ、と。


一体どのようにして、だれがわたしたちを目覚ますことができるというのか。
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)

だれがぼくらを目覚ませたのか、
(ギュンター・グラス『ブリキの音楽』高本研一訳)

ことば、ことば、ことば。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)

言葉と精神とのあいだの内奥の合一の感をわれわれに与えるのが、詩人の仕事なのであり
(ヴァレリー『詩と抽象的思考』佐藤正彰訳)

これらはことばである
(オクタビオ・パス『白』鼓 直訳)

実際に見たものよりも、欺瞞、神秘、死に彩られた物語に書かれた月のほうが印象に残っているのは
どういうわけだろう。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』世界一の美少女、木村榮一訳)

家造りらの捨てた石は
隅のかしら石となった。
(詩篇』一一八・二二─二三)

「比喩」metaphora は、ギリシア語の「別の所に移す」を意味する動詞metaphereinに由来する。そ
こから、或る語をその本来の意味から移して、それと何らかの類似性を有する別の意味を表すように
用いられた語をメタフォラという。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第I門・第九項・訳註、山田 晶訳)

新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

言葉が、新たな切子面を見せる、と言ってもよい。

きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだ
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

言葉はもはや彼をつなぎとめてはいないのだ。
(ブルース・スターリング『スキズマトリックス』第三部、小川 隆訳)

言葉はそれが表示している対象物以上に現実的な存在なのだ。
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

何もかもがとてもなじみ深く見えながら、しかもとても見慣れないものに思えるのだ。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第三部・11、大西 憲訳)

すべてのものを新たにする。
(『ヨハネの黙示録』二一・五)

すべてが新しくなったのである。
(『コリント人への第二の手紙』五・一七)


 結びつくことと変質すること。この二つのことは、じつは一つのことなのだが、これが言葉におけ
る新生の必要条件なのである。しかし、それは、あくまでも必要条件であり、それが、必要条件であ
るとともに十分条件でもある、といえないところが、文学の深さでもあり、広さの証左でもある。も
ちろん、引用といった手法も、その必要条件を満たしており、それが同時に十分条件をも満たしてい
る場合には、言葉は、わたしたちに、言葉のより多様な切子面を見せてくれることになるのである。


自分自身のものではない記憶と感情 (……) から成る、めまいのするような渦巻き
(エドモンド・ハミルトン『太陽の炎』中村 融訳)

突然の認識
(テリー・ビッスン『英国航行中』中村 融訳)

それはほんの一瞬だった。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『一瞬(ひととき)のいのちの味わい』3、友枝康子訳)

ばらばらな声が、ひとつにまとまり
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

すべての場所が一つになる
(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)

すべてがひとときに起ること。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

それこそが永遠
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)

一たびなされたことは永遠に消え去ることはない。
(エミリ・ブロンテ『ゴールダインの牢獄の洞窟にあってA・G・Aに寄せる』松村達雄訳)

過去はただ単にたちまち消えてゆくわけではないどころか、いつまでもその場に残っているものだ。
(プルースト『失われた時を求めて』ゲルマントの方・II・第二章、鈴木道彦訳)

いちど気がつくと、なぜ今まで見逃していたのか、ふしぎでならない。
(ドナルド・モフィット『第二創世記』第二部・7、小野田和子訳)

一度見つけた場所には、いつでも行けるのだった。
(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)

瞬間は永遠に繰り返す。
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)


それにしても、『マールボロ。』、


 人間にとって、美とは何だろう。美にとって、人間とは何だろう。人間にとって、瞬間とは何だろ
う。瞬間にとって、人間とは何だろう。たとえ、「意義ある瞬間はそうたくさんはなかった」(デニ
ス・ダンヴァーズ『エンド・オブ・デイズ』上・2、川副智子訳)としても。人間にとって、存在と
は何だろう。存在にとって、人間とは何だろう。美と喜びを別のものと考えてもよいのなら、美も、
喜びも、瞬間も、存在も、ただ一つの光になろうとする、違った光である、とでもいうのだろうか。
人間という、ただ一つの光になろうとする、違った光たち。


それにしても、『マールボロ。』、


 なぜ、彼らは、出会ったのか。出会ってしまったのであろうか。彼らにとっても、ただ一つの違っ
た光であっただけの、あの日、あの時間、あの場所で。それに、なぜ、彼らの光が、わたしの光を引
き寄せたのであろうか。それとも、わたしの光が、彼らの光を引き寄せたのだろうか。いや、違う。
ただ単に、違った光が違った光を呼んだだけなのだ。ただ一つの同じ光になろうとして。もとは一つ
の光であった、違った光たちが、ただ一つの同じ光になろうとして。なぜなら、そのとき、彼らは、
わたしがそこに存在するために、そこにいたのだし、そのラブホテルは、そのときわたしが入るため
に、そこに存在していたのだし、そのシャワーの湯は、そのときわたしが浴びるために、わたしに向
けられたのだし、その青年の入れ墨は、そのときわたしが目にするために、前もって彫られていたの
だし、その缶コーラは、そのときわたしの目をとらえるために、そのガラスのテーブルの上に置かれ
たのだから。というのも、彼らが出会ったポルノ映画館の、彼らが呼吸していた空気でさえわたしで
あり、彼らが見ることもなく目にしていたスクリーンに映っていた映像の切れ端の一片一片もわたし
であったのであり、彼らの目が偶然とらえた、手洗い場の鏡の端に写っていた大便をするところのド
アの隙間もわたしであり、彼らがその映画館を出てラブホテルに入って行くときに、彼らを照らして
いた街灯のきらめきもわたしであったのだし、彼らが浴びたシャワーの湯もわたしであり、その湯し
ぶきの一粒一粒のきらめきもわたしであったのだし、わたしは、その青年の入れ墨の模様でもあり、
缶コーラの側面のラベルのデザインでもあり、その缶コーラの側面から伝って流れ落ちるひとすじの
冷たい露の流れでもあったのだから。やがて、一つ一つ別々だった時間が一つの時間となり、一つ一
つ別々だった場所が一つの場所となり、一つ一つ別々だった出来事が一つの出来事となり、あらゆる
時間とあらゆる場所とあらゆる出来事が一つになって、そのポルノ映画館は、シャワーの湯となって
滴り落ちて、タカヒロと飛び込んだ琵琶湖になり、缶コーラのラベルの輝きは、青年の入れ墨とラブ
ホテルに入り、ヤスヒロの手首にできた革ベルトの痕をくぐって、エイジの背中に薔薇という文字を
書いていったわたしの指先と絡みつき、シャワーの滴り落ちる音は、ラブホテルに入る前に彼らが見
上げた星々の光となって、スクリーンの上から降りてくる。そして、ノブユキの握り返してきた手の
ぬくもりが満面の笑みをたたえて、わたしというガラスでできたテーブルを抱擁するのである。さま
ざまなものがさまざまなものになり、さまざまなものを見つめ、さまざまなものに抱擁されるのであ
る。それは、あらゆるものと、別のあらゆるものとの間に愛があるからであり、やがて、愛は愛を呼
び、愛は愛に満ちあふれて、「スラックスの前から勃起したものがのぞいている。」(ジェイムズ・
ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)愛そのものと
なって、交歓し合うのである。もちろん、「トイレットのなか。ジーンズの前をあけ、ちんぽこを持
って」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤
典夫訳)その愛は、すぐれた言葉の再生によってもたらせられたものであり、「彼は自分のものをし
ごいている。」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』
伊藤典夫訳)やがて、文章中のあらゆる言葉が、つぎつぎとその場所を交換していく。場所も、時間
も、事物も、「くわえるんだ、くわえるんだよう! う、う──」(ジェイムズ・ティプトリー・ジ
ュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)感情も、感覚も、状態も、名詞
や、動詞や、副詞や、形容詞や、助詞や、助動詞や、接続詞や、間投詞も、「激しく腰をつきあげる。」
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)
場所を交換し合い、時間を交換し合って一つになるのである。そんなヴィジョンが、わたしには見え
る。わたしには感じとれる。現実に、ありとあらゆる事物が、その場所を、その時間を、その出来事
を交換していくように。


やれやれ、何ぢやいこの気違ひは!
(ヴィリエ・ド・リラダン『ハルリドンヒル博士の英雄的行為』齋藤磯雄訳)

やっぱり芸術は、それを作り出す芸術家に対してしか意味がないんだなあ
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳)

でも、
(ポール・アンダースン『生贄(いけにえ)の王』吉田誠一訳)

詩のために身を滅ぼしてしまうなんて名誉だよ。
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第四章、西村孝次訳)

そんなことは少しも新しいことじゃないよ
(スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』6、飯田規和訳)

人生をむだにややこしくして
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』34、安原和見訳)

ばかばかしい。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』13、宇佐川晶子訳)


WHAT’S GOING ON。

  田中宏輔



よく嵐山周辺をドライブする。渡月橋を渡って、桂川の両岸を二、三周。「嵐山のどこがいいのかな。」と、ぼく。「風
を挟んで山が二つ、それで嵐山なんだから、山の美しさと、川風の心地よさかな。」と、友だち。「真実なんて、どこ
にあるんだろう。」と、ぼく。「きみが求めている真実がないってことかな。」と、友だち。出かかった言葉が、ぼくを
詰まらせた。笑いながら枝分かれする、ふたこぶらくだ。一つの言葉は、それ自身、一つの深淵である。どれぐらい
の傾斜で川は滝になるのか。垂直の川でも、ゆっくりと流れ落ちれば滝ではない。滝がゆっくりと落ちれば川である。


愛は、不可欠なものであるばかりではなく、美しいものでもある。
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』第八巻・第一章、加藤信朗訳)

美しい?
(J・G・バラード『希望の海、復讐の帆』浅倉久志訳)

恋をすることよりも美しいことがあるなんて言わないでね
(プイグ『赤い唇』第二部・第十三回、野谷文昭訳)


北山に住んでいた頃、近くに、たくさんの畑があった。どの畑にも、名札がぎっしりと並べて突き刺してあった。地
中に埋められた死体のように、丸まって眠っている夢を見た。数多くの死体たちが、ぼくの死体と平行に眠っていた。
ぼくは、頭のどこかで、それらの死体たちと同調しているような気がした。夢ではなかったのかもしれない。友だち
から電話があった。話をしている間、友だちもいっしょに、土のなかにずぶずぶと沈み込んでいった。横になったま
ま電話をしていたからかもしれない。友だちの部屋は五階だったから、ぼくよりたくさん沈まなければならなかった。


上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

二つ三つ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』プロローグ、大島 豊訳)

このつぎで四度目になる
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』下・第十部・125、酒井昭伸訳)


何十分の一か、それとも、何分の一かくらいの確率で、ぼくになる。そうつぶやきながら、ぼくは道を歩いている。
電信柱を見る。すると、電信柱が、ぼくになる。信号機を見る。すると、信号機が、ぼくになる。横断歩道の白線を
見る。すると、横断歩道の白線が、ぼくになる。本屋に行くと、何十分の一か、それとも、何分の一かくらいの確率
で、本棚に並んでいる本が、ぼくになる。比喩が、苦痛のように生き生きとしている。苦痛は、いつも生き生きとし
ている。それが苦痛の特性の一つだ。この間、発注リストという言葉を読み間違えて、発狂リストと読んでしまった。


恋している人間と狂人は熱っぽい頭をもち、何だかだと逞(たくま)しゅうする妄想をもっている。
(シェイクスピア『夏の夜の夢』第五幕・第一場、平井正穂訳)

愛には限度がない
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

これがどういうことかわかるかね?
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『黙示録三一七四年』第III部・25、吉田誠一訳)


自分の感情のなかの、どれが本物で、本物でないのか、そんなことは、わかりはしない。記憶も同じだ。ぼくの記憶
はところどころ、ぽこんぽこんとおかしくて、小学生の頃、京都駅の近くに、丸物百貨店というのがあって、よく親
に連れられて行ったのだが、食堂でご飯を食べていると、必ず、ウェイトレスが真ん中の辺りでこけたのだ。顔面に
ガラスの破片が突き刺さって、血まみれになって泣き叫ぶ彼女の声が、食堂中に響き渡ったのだ。ぼくは、その光景
をしっかり記憶していた。誰も動かず、何もしなかった。この話を母にしたら、そんなことは一度もなかったという。


限度を知らないという点では、狂気も想像力もおなじである。
(ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ』鳩と鷲、三保 元訳)

愚かな頭のなかで、ありもしない人間の間の絆を実在するかのように考えてしまうらしい
(マルキ・ド・サド『新ジュスティーヌ』澁澤龍彦訳)

愛もある限度内にとどまっていなければならない
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI・II、鈴木道彦訳)


仕事場から帰るとすぐに、母から電話があった。「きょう、母さん、死んだのよ。」「えっ。」「きょう、母さん、車にぶ
つかって死んでしまったのよ。」お茶をゴクリ。「また、何度でも死にますよ。」「そうよね。」「きっとまた、車にぶつ
かって死にますよ。」「そうかしらね。」沈黙が十秒ほどつづいたので、受話器を置いた。郵便受けのなかには、手紙も
あって、文面に、「雨なので……」とあって、からっと晴れた、きょう一日のなかで、雨の日の、遠い記憶をいくつか、
頭のなかで並べていった。善は急げといい、急がば回れという。この二つの言葉を一つにしたら、善は回れになる。


なにがいけないっていうの?
(ジャネット・フォックス『従僕』山岸 真訳)

幸福でさえあれば、ちっとも構わないじゃない?
(ジョン・ウィンダム『地衣騒動』1、峯岸 久訳)

愛ってそういうものなんでしょ?
(フィリップ・K・ディック『凍った旅』浅倉久志訳)


終電に乗りそこなって、葵公園のベンチに坐っていると、二十代半ばぐらいの青年が隣に腰をおろした。彼の手が、
ぼくの股間を愛撫しだした。それを見ていると、彼がただ彼の手を楽しませるためだけに、そうしているように思わ
れた。興奮やときめきや好奇心が一瞬にして消えてしまった。立ち上がって、ベンチから離れた。その愛を拒めば、
他の誰かの愛を得られるというわけではなかったのだが。それまでぼくは、ぼくのことを、愛するのに激しく、憎む
のに激しい性格だと思っていた。しかし、それは間違っていた。ただ愛するのに性急で、憎むのに性急なだけだった。


もうぼくを愛していないの
(E・M・フォースター『モーリス』第二部・25、片岡しのぶ訳)

もちろんそうさ。
(テリー・ビッスン『時間どおりに教会へ』3、中村 融訳)

いやあああ!
(リチャード・レイモン『森のレストラン』夏来健次訳)


京極に八千代館というポルノ映画館があって、その前の小さな公園が発展場になっている。この間、下半身裸の青年
が背中を向けてベンチの上にしゃがんでいた。近寄ると、お尻を突き出して、「これ、抜いて。」と言って振り返った。
まだ幼さの残る野球少年のように可愛らしい好青年だった。二十歳ぐらいだったろうか。もっと近くに寄って見ると、
お尻の割れ目からボールペンの先がちょこっと出ていた。何もせずに黙って突っ立って見ていると、もう一度、振り
返って、「これ、抜いて。」と言ってきた。抜いてやると、「見ないで。」と言って、ブリブリ、うんこをひり出した。


ぼくを愛してると言ったじゃないか。
(ジョージ・R・R・マーティン『ファスト・フレンド』安田 均訳)

だったらいったいなんだ?
(スティーヴン・キング『クージョ』永井 淳訳)

ただ一つ、びっくりした
(サバト『英雄たちと墓』第I部・3、安藤哲行訳)


フリスクという、口に入れるとスーッとする、ペパーミント系のお菓子がある。アキちゃんは、夏になると、賀茂川
の河川敷で、フンドシ一丁で日焼けをする短髪・ヒゲのゲイなんだけど、彼氏は裸族だった。アナルセックスすると
きには、これを使えばいいよって教えてくれた。すぐにムズムズして、どんなに嫌がってるヤツでも、ゼッタイ入れ
て欲しいって言うからって。ぼくはまだ試してないけど、これをぼくは、「フリスク効果」って名づけた。文章を書く
ということは、自分自身を眺めることに等しい。表現とは認識である。あらゆる自己認識は、つねに過剰か、不足だ。


上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

四つになる。
(ロジャー・ゼラズニイ『フロストとベータ』浅倉久志訳)

こんどはなにをする?
(A・A・ミルン『プー横丁にたった家』8、石井桃子訳)


空っぽの階段を、ひとの大きさの白い紙が一枚、ゆっくりと降りてくるのが見えた。すれ違いざまに、手でそっとさ
わってみたが、ただの薄い紙だった。通勤電車の乗り換えホームの上で、ひとの大きさの白い紙が、たくさん並んで、
ゆらゆらとゆれていた。ふと、手のひらをあけてみた。きょう一日のぼくが、一枚の白い小さな紙になっていた。手
に口元をよせて、ふっと息を吹きかけた。白い小さな紙は、風に乗って舞い上がっていった。空一面に、たくさんの
白い紙がひらひらと飛んでいた。ホームの上で、ぼくたちはみんな、ゆらゆらとゆれていた。もうじき電車が来る。


叫ぶだろうか。
(ノサック『クロンツ』神品芳夫訳)

そんなところさ
(ジェラルド・カーシュ『不死身の伍長』小川 隆訳)

そのあとは?
(W・B・イェイツ『幻想録』月の諸相、島津彬郎訳)


℃。℃。℃。

  田中宏輔




●先斗町通りから木屋町通りに抜ける狭い路地の一つに●坂本龍馬が暗殺されかかったときの刀の傷跡があるって●だれかから聞いて●自分でもその傷跡を見た記憶があるんだけど●二十年以上も前の話だから●記憶違いかもしれない●でも●その路地の先斗町通り寄りのところに●RUGという名前のスナックが●むかしあって●いまでは代替わりをしていて●ふつうの店になっているらしいけれど●ぼくが学生の時代には●昼のあいだは●ゲイのために喫茶店をしていて●そのときにはいろいろなことがあったんだけど●それはまた別の機会に●きょうは●その喫茶店で交わされた一つの会話からはじめるね●店でバイトをしていた京大生の男の子が●客できていたぼくたちにこんなことをたずねた●もしも●世のなかに飲み物が一種類しかなかったとしたら●あなたたちは●何を選ぶのかしら●ただし●水はのぞいてね●最初に答えたのはぼくだった●ミルクかな●あら●あたしといっしょね●バイトの子がそう言った●客は●ぼくを入れて三人しかいなかった●あとの二人は日本茶と紅茶だった●紅茶は砂糖抜きミルク抜きレモン抜きのストレートのものね●ゲイだけど●笑●バファリン嬢の思い出とともに●あたたかい喩につかりながら●きょう一日の自分の生涯を振り返った●喩が電灯の光に反射してきらきら輝いている●いい喩だった●じつは●プラトンの洞窟のなかは光で満ちみちていて●まっしろな光が壁面で乱反射する●まぶしくて目を開けていられない洞窟だったのではないか●洞窟から出ると一転して真っ暗闇で●こんどは目を開けていても●何も見えないという●両手で喩をすくって顔にぶっちゃけた●何度もぶっちゃけて●喩のあたたかさを味わった●miel blanc●ミエル・ブラン●見える●ぶらん●白い蜂蜜●色を重ねると白になるというのは充溢を表している●喩からあがると●喩ざめしないように●すばやく身体をふいて●まだ喩のあたたかさのあるあいだに●布団のなかに入った●喩のぬくもりが全身に休息をもたらした●身体じゅうがぽっかぽかだった●ラボナ●ロヒプノール●ワイパックス●ピーゼットシー●ハルシオン●ロゼレム●これらの精神安定剤をバリバリと噛み砕いて●水で喉の奥に流し込んだ●ハルシオンは紫色だが●他の錠剤はすべて真っ白だ●バファリン嬢も真っ白だった●中学生から高校生のあいだに●何度か●ぼくは●こころが壊れて●バファリン嬢をガリガリと噛み砕いては●大量の錠剤の欠片を●水なしで●口のなかで唾液で溶かして飲み込んだ●それから自分の左手首を先のとがった包丁で切ったのだった●真・善・美は一体のものである●ギリシア思想からフランス思想へと受け継がれた●美しくないものは真ではない●これが命題として真であるならば●対偶の●真であるものは美である●もまた真であるということになる●バラードの雲の彫刻が思い出される●ここで白旗をあげる●喩あたりでもしたのだろうか●それとも●クスリが効いてきたのか●指の動きがぎこちなく●かつ●緩慢になってきた●白は王党派で●赤は革命派●白紙答案と●赤紙●白いワイシャツと●赤シャツ●スペインのアンダルシア地方に●プエブロ・ブロンコ●白い村●と呼ばれる●白い壁の家々が建ち並ぶ町がある●テラコッタ●布団の上に横たわるぼくの顔の上で●そこらじゅうに●喩がふらふらと浮かび漂っていた●紙面に横たわる喩の上で●そこらじゅうに●ぼくの自我がふらふらと浮かび漂っていた●無数の喩と●無数のぼくの自我との邂逅である●目を巡らして見ていると●一つの安易な喩が●ぼくに襲いかかろうとして待ち構えているのがわかった●ぼくは●危険を察して●布団から出て●はばたき飛び去っていった●Everything Keeps Us Together●きのうは●ジミーちゃんと●ジミーちゃんのお母さまと●1号線沿いの●かつ源●という●トンカツ屋さんに行きました●みんな●同じヒレ肉のトンカツを食べました●ぼくとジミーちゃんは150グラムで●お母さまは100グラムでしたけれど●ご飯と豚汁とサラダのキャベツは●お代わり自由だったので●うれしかったです●もちろん●ぼくとジミーちゃんは●ご飯と豚汁をお代わりしました●食後に芸大の周りを散歩して●帰り道に嵯峨野ののどかな田舎道をドライブして●広沢の池でタバコを吸って●鴨が寄ってくるのに●猫柳のような雑草の毛のついたたくさんの実のついた●先っぽを投げ与えたりして●しばらく●曇り空の下で休んでいました●鴨は●その雑草の先っぽを何度も口に入れていました●こんなん●食べるんや●ぼくも食べてみようかな●ぼくは雑草の先っぽを食べてみました●予想と違って●苦味はなかったのですけれど●青臭さが●長い時間●口のなかに残りました●鴨の子供かな●と思うぐらいに小さな水鳥が●池の表面に突然現われて●また水のなかに潜りました●あれ●鴨の子供ですか●と●ジミーちゃんのお母さまに訊くと●種類が違うわね●なんていう名前の鳥か●わたしも知らないわ●とのことでした●見ていると●水面にひょっこり姿を現わしては●すぐに水のなかに潜ります●そうとう長い時間潜っています●水のなかでは呼吸などできないはずなのに●顔と手に雨粒があたりました●雨が降りますよ●ぼくがそう二人に言うと●二人には雨粒があたらなかったらしく●お母さまは笑って●首を横に振っておられました●ジミーちゃんが●すぐには降らないはず●降っても三時半くらいじゃないかな●しかも●三十分くらいだと思う●それから嵐山に行き●帰りに衣笠のマクドナルドに寄って●ホットコーヒーを飲んでいました●窓ガラスに蝿が何度もぶつかってわずらわしかったので●右手の中指の爪先ではじいてやりました●蝿はしばらく動けなかったのですが●突然●生き返ったように元気よく隣の席のところに飛んでいきました●イタリア語のテキストをジミーちゃんが持ってきていました●ぼくも●むかしイタリア語を少し勉強していたので●イタリア語について話をしていました●お母さまは音大を出ていらっしゃるので●オペラの話などもしました●ぼくもドミンゴのオセロは迫力があって好きでした●ドミンゴって楽譜が読めないんですってね●とかとか●話をしていたら●急に●外が暗くなってきだして●雨が降ってきました●降ってきたでしょう●と●ぼくが言うと●ジミーちゃんが携帯をあけて時間を見ました●ほら●三時半●ぼくは洗濯物を出したままだったので●夜も降るのかな●って訊くと●三十分以内にやむよ●との返事でした●じっさい●十分かそこらでやみました●前にも言いましたけれど●ぼくって●雨粒が●だれよりも先にあたるんですよ●顔や手に●あたったら●それから五分から十分もすると●晴れてても●急に雨が降ったりするんですよ●すると●ジミーちゃんのお母さまが●言わないでおこうと思っていたのだけれど●最初の雨があたるひとは●親不孝者なんですって●そういう言い伝えがあるのよ●とのことでした●そんな言い伝えなど知らなかったぼくは●ジミーちゃんに●知ってるの●と訊くと●いいや●と言いながら首を振りました●ジミーちゃんのお母さまに●なぜ知ってらっしゃるのですか●と尋ねると●わたし自身がそうだったから●しょっちゅう●そう言われたのよ●でももう●わたしの親はいないでしょ●だから●最初の雨はもうあたらなくなったのね●そういうもんかなあ●と思いながら●ぼくは聞いていました●広沢の池で●鴨が嘴と足を使って毛繕いしていたときに●深い濃い青紫色の羽毛が●ちらりと見えました●きれいな色でした●背中の後ろのほうだったと思います●鴨が毛繕いしていると●水面に美しい波紋が描かれました●同心円が幾重にも拡がりました●でも●鴨がすばやく動くと●波紋が乱れ●美しい同心円は描かれなくなりました●ぼくは池を背にして●山の裾野に拡がる●畑や田にけぶる●幾条もの白い煙に目を移しました●壁のペンキがはげかかったビルの二階のトイレ●そこでは●いろいろな人がいろいろなことをしている●ご飯を炊いて●それをコンビニで買ったおかずで食べてたり●その横で●男女のカップルがセックスしてたり●ゲイのカップルがセックスしてたり●天使が大便をしている神父の目の前に顕現したり●オバサンが愛人の男の首を絞めて殺していたり●オジサンが隣の便器で大便をしている男の姿を●のぞき見しながらオナニーしてたり●男が女になったり●男が男になったり●女が男になったり●女が女になったり●鳥が魚になったり●魚が獣になったり●床に貼られたタイルとタイルの間が割れて●熱帯植物のつるがするすると延びて●トイレのなかを覆っていって●トイレのなかを熱帯ジャングルにしていったり●かと思えば●トイレの個室の窓の外から凍った空気が●垂直に突き刺さって●バラバラと砕けて●トイレのなかを北極のような情景に一変させる●男も●女も●男でもなく女でもない者も●男でもあり女でもある者も●何かであるものも●何でもないものも●何かであり何でもないものでもあるものも●ないものも●みんな直立した氷柱になって固まる●でも●ジャーって音がすると●TOTOの便器のなかにみんな吸い込まれて●だれもいなくなる●なにもかも元のままに戻るのだ●すると●また●トイレのなかに●ご飯を炊く人が現われる●カーペットの端が●ゆっくりとめくれていくように●唇がめくれ●まぶたがめくれ●爪がめくれて指が血まみれになっていく●すべてのものがめくれあがって●わたしは一枚のレシートになる●田んぼの刈り株の跡●カラスが土の上にこぼれた光をついばんでいる●地面がでこぼことゆれ●コンクリートの陸橋の支柱がゆっくりと地面からめくれあがる●この余白に触れよ●先生は余白を採集している●それで●こうして●一回性という意味を●わたしはあなたに何度も語っているのではないのだろうか●いいね●詩人は余白を採集している●めくれあがったコンクリートの支柱が静止する●わたしは雲の上から降りてくる●カラスが土の上にこぼれた光をついばんでいる●道徳は●わたしたちを経験する●わたしの心臓が夜を温める●夜は生々しい道徳となってわたしたちを経験する●その少年の名前はふたり●たぶん螺旋を描きながら空中を浮遊するケツの穴だ●あなたの目撃には信憑性がないと幕内力士がインタヴューに答える●めくれあがったコンクリートの陸橋がしずかに地面に足を下ろす●帰り道●わたしは脚を引きずりながら考えていた●机の上にあった●わたしの記憶にない一枚のレシート●めくれそうになるぐらいに●すり足で●賢いひとが●カーペットの端を踏みつけながら●ぼくのほうに近づいてくる●ジリジリジリと韻を踏みながら●ぼくのほうに近づいてくる●ぼくは一枚のレシートを手渡される●ぼくは手渡されたレシートの上に●ボールペンで数字を書いていく●思いつくつくままに●思いつくつくままに●数字が並べられる●幼いぼくの頬でできたレシートが●釘の先のようにとがったボールペンの先に引き裂かれる●血まみれの頬をした幼いぼくは●賢いひとの代わりのぼくといっしょに●レシートの隅から隅まで数字で埋めていく●レシートは血に染まってびちゃびちゃだ●カーペットの端がめくれる●ゆっくりとめくれてくる●スツール●金属探知機●だれかいる●耳をすますと聞こえる●だれの声だろう●いつも聞こえてくる声だ●カーペットの端がめくれる●ゆっくりとめくれてくる●幼いぼくは手で顔を覆って●目をつむる●雲の上から降りてきた賢いひとの代わりのぼくは●その手を顔から引き剥がそうとする●クスリを飲む時間だ●おにいちゃん●百円でいいから●ちょうだい●毎晩●寝るまえに●枕元に灰色のボクサーパンツを履いたオヤジが現われ●猫の鞄にまつわる話をする金魚アイスの●どうよ●灰色のパンツがイヤ●赤色や黄色や青色のがいいの●それより●間違ってぽくない●金魚アイスじゃなくって●アイス金魚じゃないの●たくさんの猫が微妙に振動する教会の薔薇窓に●独身の夫婦が意識を集中して牛の乳を絞っているの●どうよ●こんなもの咲いているオカマは●うちすてられて●なんぼのモンジャ焼き●まだやわらかい猫の仔らは蟇蛙●首を絞め合う安楽椅子ってか●それはそれで癒される●けど●やっぱり灰色はイヤ●赤色や黄色や青色のがいいの●地球のゆがみを治す人たち●バスケットボールをドリブルして●地面の凸凹をならす男の子が現われた●すると世界中の人たちが●われもわれもとバスケットボールを使って●地面の凹凸をならそうとして●ボンボン●ボンボン地面にドリブルしだした●それにつれて●地球は●洋梨のような形になったり●正四面体になったり●直方体になったりした●ウンコのカ●ウンコの●ちから●じゃなくってよ●ウンコの●か●なのよ●なんのことかわからへんでしょう●虫同一性障害にかかった蚊で●自分のことをハエだと思ってる蚊が●ウンコにたかっているのよ●うふ〜ん●20代の終わりくらいのときやったと思う●付き合っていた恋人のヒロくんのお父さんが弁護士で●労災関係の件で●それは印刷所の話で●年平均6本●とか言っていた●指が切断されるのが●紙を裁断するとき●あるいは●機械にはさまれて●指がつぶれる数のこと●ヒロくんは●クマのプーさんみたいに太っていて●まだ20才だったけど●年上のぼくのことを●名前を呼び捨てにしていて●歩いているときにも●ぼくのお尻をどついたり●ひねったりと●あと●北大路ビブレの下の地下鉄で別れるときにでも●人前でも平気で●キスするように言ってきたり●それでじっさいしてて●駅員に見られて目を丸くされたりして●かなり恥ずかしい思いをしたことがあって●そんなことが思い出された●ヒロくんは●大阪の梅田にある小さな映画館で●バイトしていて●一度●そのバイト代が入ったから●おごるよと言って●大阪の●彼の行きつけの焼肉屋さんで焼肉を食べたのだけれど●そうだ●指の話だった●ヒロくんと別れたあとだと思うのだけれど●4本か5本だったかな●ハーブ入りの●白いウィンナーをフライパンで焼いていて●そのなかにケチャップを入れて●フライパンを揺り動かしていると●切断された指が●フライパンのなかでゴロゴロゴロゴロ●とってもグロテスクで●食べるとおいしいんだけど●見た目●気持ち悪くて●ひぇ〜って●気持ち悪くって●で●ヒロくんとはじめて出会ったのが●大阪の梅田にある北欧館っていうゲイ・サウナだったんだけど●彼って●すっごくかわいいデブだったから●決心するまで時間がかかったけど●あ●決心するって●ぼくのほうからアタックするっていう意味ね●で●ぼくみたいなのでもいいのかなって思って●彼に比べると●ぼくなんかブサイクだと思ってたから●あ●これ●ちょっと謙遜ね●で●近寄っていったら●勇気あるなあ●って言われて●びっくりしたので●くるって振り向いて立ち去りかけたら●後ろから腕をつかまれて●おびえながら顔を見上げたら●あ●ぼく180センチ近くあるんやけど●ヒロくんもそれぐらいあって●肩幅とか●横がすごくって●ぼくよりずっと大きく見えたんだけど●彼も180センチ近くあって●で●そのいかついズウタイで●顔はクマのプーさんみたいで●かわいらしくって●にっこり笑っていたので●ああ●ぼくでもええんやって思って●ほっとして●それから●ふたりで●ふたりっきりになりたいねって話をして●じゃあ●ラブ・ホテルに行こうって話になって●もちろん●ぼくのほうから●ふたりっきりになりたいって言ったんだけど●で●そうそうに●北欧館から出て●北欧館の近くにあった●たしか●アップルって名前のラブホだと思うんだけど●男同士でも入れるラブ・ホテルに行って●エッチして●それからご飯をいっしょに食べに行って●あ●お好み焼きやった●まだ覚えてる●そのときのこと●あつすけさんて●どっちでもできるんや●どっちって●どのどっちやろか●って思った●ぼくは彼の腕を縛ったりして遊んだから●でも●なぜかしら●ヒロくんがデーンと大の字に寝て●ぼくが抱きつきながら●頭すりすりしてたりしてたからかな●あ●一週間で●あつすけさん●は●あつすけ●になりましたけど●ヒロくんは基本的にタチやったから●まあ●それでよかったんやけど●ぼくも若かったなあ●やさしい子やった●ヒロくんは基本Sやったけど●笑●そういえば●ヒロくん●ピンクのプラスティックのおもちゃで●ロータリングっちゅうのやろか●お尻に入れて動かすやつ持ってきたことがあって●ぼくのお尻に入れて●スイッチが入ったら●ものすごく痛かったから●すぐにやめてもらったんやけど●ヒロくんのチンポコやったら●そんなに痛くなかったから●それにいつもヒロくんは入れたがったから●ぼくが受身になってたけど●ヒロくんと付き合ってたときは●なんか●やられることになれちゃって●10才近く年下やのに●ええんやろかって思ったりしたことがあって●で●一度だけ●ぼくが入れたことあるんやけど●ヒロくんはものすごく痛がって●かわいそうだから●その一度だけで●あとはずっと●ぼくが攻められるほうで●ヒロくんが攻めるって感じやった●それと●ヒロくんはいつもぼくのを飲んでたけど●なんで飲むんって訊いたら●男の素や●男のエキスやから●より男らしくなるんや●って返事で●そうかなあって思ったけど●それって愛情のことかなって思った●一度●風呂場で●電気消して●真っ黒にして●ヒロくんのチンポコをくわえさせられたことがあって●ヒロくんが出したものをぼくがわからないように吐き出したら●いま吐き出したやろ●って言って●えらい怒られたことがあった●ヒロくんは●仏像の絵を描いたものをくれたことがあって●ぼくが仕事から帰ってくるのを●ぼくの部屋で待ってたときに●描いてたらしくって●上手やった●仏像の絵を描くのがヒロくんの趣味の一つやった●ヒロくんのことは●何度も書いてるけど●まだいっぱい思い出があって●ぼくの記憶の宝物になってる●笑い顔いっぱい覚えてるし●笑い声いっぱい覚えてる●いまどうしてるんやろか●あ●お好み焼き屋さんで●その腕の痕●なに●って訊いたら●さっき縛ったやんか●って返事●ヒロくんの性格って●いまぼくが付き合ってる恋人にそっくりで●いまの恋人の表情ひとつひとつが●ヒロくんを思い出させる●きのう●恋人とひさしぶりに半日いっしょにいて●しょっちゅう顔を見てたら●なんや●って何度も言われた●べつに●って言ってたけど●人間の不思議●思い出の不思議●いま付き合ってる彼のことが愛おしいんだけど●ヒロくんの思い出をまじえて愛おしいようなところがあって●ひとりの人間のなかに●複数の人間のことをまじえて考えることもあるんやなあって思った●ヒロくんと撮った写真●たまに出して見たりするけど●ぼくが死んで●ヒロくんが死んで●写真のふたりが笑ってるなんて●なんだかなあ●ぼくは恋をしたことがあった●また会ってくれるかな●いいですよ●はじめてあった日の言葉が●声が●いつでもぼくの耳に聞こえる●あつすけ●ちょっと怒ったように呼ぶヒロくんの声●そういえば●きのう●恋人が●あほやな●なんでそんなにマイペースなんや●きっしょいなあ●腹立つなあ●めいわくや●って●笑いながら言った●あほや●とか●きっしょいとか言われるのは恋人にだけやけど●悪い気がしなくて●って●ところが●きっしょいのかなあ●ぼくは恋をしたことがあった●ヒロくんには●ぼくの投稿していたころのユリイカをぜんぶプレゼントして●吉増さんの詩集もぜんぶあげたことがあって●詩を書きはしないけど●読むのは好きな子やった●あ●ヒロくんよりデブってた男の子で●ぼくが耳元でぼくの詩を朗読するのを●すごくよろこんでた子がいたなあ●ヒロくんは剣道してたけど●その子はアメフトで●なんでデブなのにスポーツしてやせへんのやろか●わからんわ●はやく死んでしまいたい●あ●電話でジミーちゃんにヒロくんのこと●書いてるんだけどって言ったら●あの大阪の映画館でバイトしてた●双子座のA型の子やろって●ひゃ〜●いまの恋人といっしょやんか●そやから似とったんやろか●そういうと●ジミーちゃんが●たぶんな●って●ふえ〜●あ●そういえば●タンタンは双子座のAB型やった●なんで●機械する●機械したい●機械させる●機械する●機械したい●機械させる●機械は機械を機械する●機械に機械は機械する●機械する機械を機械する●機械を機械する機械を機械させる●機械死体●蜜蜂たちが死んで機械となって落ちてくる●街路樹が錆びて枝葉がポキポキ折れていく●ゼンマイがとまって人間たちが静止する●雲と雲がぶつかり空に浮かんだ雲々が壊れて落ちてくる●金属でできたボルトやナットが落ちてくる●あらゆるものが機械する●機械する●機械したい●機械させる●機械する●機械したい●機械させる●機械は機械を機械する●機械に機械は機械する●機械する機械を機械する●機械を機械する機械を機械させる●葱まわし●天のましらの前戯かな●孔雀の骨も雨の形にすぎない●べがだでで●ががどだじ●びどズだが●ぎがどでだぐぐ●どざばドべが!


雨の日、あの日。

  田中宏輔



市松模様の
歩道の敷石の上を
きょうは白、きょうは黒、と選んで
一面ごとに跳び越えてみたりした
幼い頃

雨の日、あの日
ぼくはママといっしょに
歩いてた

カサは一本しかなくって
アーケードが途切れるたびに
ママはぼくの腕をとって
歩いた

ぼくは、ぼくの腕をつかんだ
ママの指の感触がこそばったくて
こそばったくて、恥ずかしかったけど
だけど、とっても、うれしかった

ぼくを産んでくれたひとを追い出した
パパを憎むことよりも
血のつながりのない
ママを憎むほうが容易だった
ぼく
ぼくはパパの代わりにママを憎んでた
パパには憎しみを直接向けることをしないで
容易に憎むことのできたママを憎んでた
そうしてパパを責めてたつもりだった
ぼくはとても卑劣な子供だった

雨の日、あの日
ぼくはママといっしょに
歩いてた

あの日、ぼくは
敷石の上を跳び越えなかった

ぼくは、ぼくが
ママのことを好きだったんだってこと
ずっと前から気がついてたけど
いや、そうじゃないかなって
思ったことがあるだけなんだけど
雨の日、あの日
ぼくにははっきりわかったんだ
ぼくは、ぼくが
ママのことが好きだったんだってこと

雨の日、あの日
ぼくはママといっしょに
歩いた

あの日、ぼくは
なるべく、ゆっくりと歩いた

文学極道

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