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長押 新

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


木々の家々

  長押 新

あなたではない、友達がいます。
そんな当たり前のことを口にすると、彼は手の平でわたしを見るかのようにそっと近づけて、近づけた手の平をそっと引っ込めました。誰でもそんなことを言われたら、さみしくなるでしょう。わたしにはわかりきっていましたが、どうしても彼がしきりにわたしを知りたがることに、うんざりしていたのです。うんざりしていたという言い方はまた、わたし自身にもかなしみを落とします。
それだけやっかいな程、わたしと彼とには年月が流れていたのです。一体全体、何年もの間にひとつの契約も交わさずに、そばにいるということがどうしてできるのでしょうか。実を言うと以前にはわたしたちの間にも契約があったのかもしれません。にもかかわらず、わたしたちは今はじめて契約を交わすかのような、静けさの中にいました。それであなたに、友達というのが他にいるのは、皆さんが知っている事実でしょう。今朝なんか、あなたが生まれてから四ヶ月ばかり過ぎて、こちらに生まれて来た、あなたが決まって、四ヶ月の待ち人と、呼んでいる女性に挨拶をしたところなんです。彼は、自らと、わたしが引き起こした、静寂に、取り付かれないようにと、いつもより早口で喋るのでした。わたしは下を向いていました。本当に伝えたいことを、小鳥の飛ぶように話すのは、真実のところ、このように幾多の木々に小鳥を休ませねばなりません。そのうち休んでいた小鳥の方が、木々で、遊んでみたり、隠れてみたり、はじめるのです。わたしたちは、その小鳥を追うように、歩きはじめました。考えもなしに、向いている方向に、足を動かしながら、並んでみたり、わたしが後ろになったりと、角を何度か曲がり、同じ道を通っていました。向いている方向が、前なのですから、至極まっとうに歩いていたわけです。いつの間にか、他愛のない、話がはじまりました。時にそれは退屈な夕食の話であったり、森の小さな井戸の噺でもありました。わたしが、一際、耳を傾けていたのは、やはり、もっとも広い、草原の匂いのする、お話です。ついつい、互いに、よもや世界中の話をするに至る時です。彼は、足を、ゆっくりと、緩めました。指をとんとん、とわたしは、何か言いたげに、右の角を見つめていた時です。そして、口を、開いたのでした。
そんなことよりも、今は、三月ですから、時間で言うと、まだ、夜明けです。
言われてみれば、確かに、そうなのです。歩いている間に、誰にも、会わなかったのも、そういうことでしょう。わたしたちは、まだ、おやすみ、おやすみ、と言って別れました。それから、それぞれ、家の門をくぐり、おはよう、おはよう、と、ドアを開けて、誰ひとり、起こさないように、ドアを閉めるのでした。小鳥が、やっと、巣の中に、戻っていました。


杭と碑

  長押 新


突き刺さった杭に代わりに、あなたたちのその細い骨が刺される。
まだ墓ではない。
杭のために動くことが出来ずに、頭と口を交互に動かしながら、わたしはいた。
水槽に沈められたり、瓶に閉じ込められるように、耳鳴りがする。
盛り上がる、あるいは膜を破りあらわれるように、黄色い腕が、伸ばされ、胸に触れる。
手は、開かれて、幸いにも、痛みが、意識を導いていた。
ひきつけられるような痛みに、あなたたち、が現れるまで、全く気がつかないで、そもそも、わたしは何故立たされているのか忘れていた。


(おさなかったころから、きょうふしていた。ははに。ははに。ははに。こーらをあたまからかけられたときは、おもらししたくらいだ。しょくじはとくにおそろしかった。せんたくきでねむるのはいたい。わたしのものはすべてあげた。すべて。すべて。あいしているから。じかんとおかねとわずかなちしきをあげた。そだててくれてありがとう。ははに。ははに。ははに。若い母に。あさからよるまでたたされていたときのあしのうらのいろ。なかなくなるまでなぐられたはらのあざ。くびすじにつきつけられたはさみ)


あなたたちは、訪れる。
幻想や永遠とを怖がるわたしが、想像死してしまうことに、わたしよりも前に、あなたたちは気がついていた。
あなたたちは、訪れる。
杭はとても痛い。
あなたたちは、決して口を開かない。
すっかり衰弱したわたしも口を開かない。
開かないにしろ、本当に大事な時に、女に言葉は必要がなかった。
わたしの体から湿った杭が抜かれ、その代わりにあなたたちの骨が、わたしの胸に刺される。
体が持ち上がる。
捨てられた杭の行方を、鼻で追う。
厳しい罰を受けていたのか。
母の匂いのする杭は古く、憎悪のようにつらい、と転がっていく。
その代わりに体を、剥がした。
まだ墓ではない。
あなたたちが、わたしの手をひく。
その手には指がない。
わたしの胸に、あなたたちの、その指の、その骨が刺されている。
鼓動に合わせて、ぴくりぴくり動いている。
まだ墓ではない。
数年経っても、あなたたちの指は生えてこない。
胸に開いた穴からは景色が見えていた。
骨を土に植えてやる。
やがて子供が生えてくる。
骨はもともと死を考えてはいない。


The eternity is on the stove.

  長押 新


言葉の中を泳いでいた。
やがて小さな言葉に行くほかなくなった。
そこに潜り込まねばならず、感覚でしかないが引き寄せられたのち、言葉は残らず去ってしまった。
目を覚ますと、それでまた言葉の海が、ここに出来ている(彼はおはようの代わりにいつもこう、話しかけてくる)。


私と彼は古い本の中で、探し物をしていました。どのみち他にはしたいこともなく、いつもいつの間にかどっぷりと日が暮れるのです。湿っぽい埃が、寒さで鴇色になった頬をロマンチックに美しく見せました。その埃の様はまるで、ちらちらとして私たちかのようです。
そこでは、昔ながらのものが、湧き出るような、とにかく愛に誘ってくれるようなもの、それが見つかるような気がしたのです。もしくは、それを既に得ているために、うまく言い表せるような言葉、を探しているのかもしれません。とにかく、長い間、私たちはお互いにお互いの中にいるような、そんな気さえしていたのです。
ところが、彼は譫言のように、冒頭の言葉を繰り返すようになりました。私の中にいながら、身近なところから遠ざかるところ、を歩いているかのようなのです。それで、非道く傷がついたという顔で私の顔を見つめるのです。まるで私を贋物みたいな目をして。
ああ、傷口にうじ虫這わせるみたいに女を這わせたら、あなたの焼かれるような痛みのうちに、わたしも焼かれていかなければならないんだわ。女の腹に溜まるのは、本能。固い唾が喉を通らなくて、裂けた皮膚の下、黄色く濁る膿。バルバルバル。果てしない叫び、憂いより呻き。バルバルバル。動かしているのは、あなたの手。手なんて消えて欲しい。手、消えろ。Te quiero.ねえ起きて、私の話を聞いて、さっきからずっと子供の声が聞こえる。Quiero te.紅茶入れるから、ほら、また子供の声、私の話を聞いて。古い本、いえ私、いいえ言葉、言葉に綴じ込められて、言葉を泳ぎ切らないうちに、愛に、愛には届かないんでしょう。This is a my love.ほら、また愛って言ったわ。
あ?
言葉を叩いたら、埃っぽい言葉たちが一斉に飛び出してきてちらちらと、足元に降りました。降ると言えば、随分と外に出ていませんから、もう外では雪が降っているかしれません。永遠に降り積もるかのようです。ストーブの上の永遠?足の裏で散らかした埃を集めようとしながら、器用に会話しました。ストーブの上の永遠?私は利き足が左ですから彼の左足を何度か踏みました。ストーブの上の永遠?埃は私に集められて、塊となりました。ストーブの上の永遠?埃は、嘘をつきます。今はそれが、分かります。このように、綿のように降り積もるのは、雪か嘘からしいですから。審美的な瞳に、私が映ります。その時になって差し出される届、古びた、封筒に入れられた言葉、その契約。紅茶のためのお湯が沸きます。ストーブの上に封筒を置きます。お湯の音、子供の声がする、彼には本当に聞こえないのかしら。ティーカップを温めます。今に私たちは、この本の中に、永遠に、閉じ込められます。

文学極道

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