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尾田和彦 (織田和彦) - 2013年分

選出作品 (投稿日時順 / 全6作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ヘンドリックの最後

  織田和彦


肉屋の軒先で 雨宿りしながら
ぼくはグラム398円の値のついた
ショーケースの中の
肉の切れ端を見ていた


タバコに火をつけた


ヘンドリックが
食肉になって
世の中に貢献したいといったとき
ぼくは反対しなかった

食肉処理場に
向かう車の中
不安そうに
身を屈めながら
彼はこう言った

「最後のタバコを一本くれないか?」

ぼくは上着のポケットの中のマルボロを引っつかむと
彼に手渡した
するとヘンドリックは
立て続けに3本のタバコに
火をつけた

「おい、体に悪いぞ」
「バカ言え・・」

ヘンドリックは
3本目のタバコを吸い終えると

「世話になったな」と
ぼくの肩に手を置いた

「今ならまだ引き返せるぞ」
「バカ言え、俺は意志が固いんだ」

涙ぐみ
コブシをまるめる
彼の横顔を少しだけ見た

食肉処理場のおじさんに
ヘンドリックを引き渡すと
ぼくは見上げた空の青さに
少し目を細め
ヘンドリックがすべての検査に運良くパスし
立派に市場に出回ることを祈った

さっきまでヘンドリックが座っていた
助手席のシートのくぼみを見つめると
空色の
夏みかんの匂いが少ししたような気がした
どこかにようやくたどり着いたような
どこかにまた新たに向かって歩き始めるような
不思議な気持ちがした

肉屋のおじさんに
806円のお釣りと
300グラムの肉をもらうと
雨降る街ん中
ぼくは
小走りに出て行った


ブリキの感情

  織田和彦



仲間を欲しがる人間の
不安と恐怖を責めてはいけないと
愚かな武装をした大人たちから
うっかりと聴いてしまったものだから

ぼくらはまた抜け目のない罠を
今日もまた一つ
職場のコピー用紙の裏側に
そっと書き置いてきたわけだ

誰かが背中を押してくれるなら
いつでも飛べる場所にいるのよと
うそぶいた女は
今日も職場に
家庭の粗大ゴミを持ち込んだ

ずる賢い人間たちの
嘘と虚栄を憎んではいけないと

愚かな武装をした大人から
うっかりと聴いてしまったものだから

抜け目のない優しさで
人の弱さに
手を差し伸べた

失ったものは
安っぽい感情とちっぽけな自尊心だけ

優しくしたせいで
ずるいと言われ
また憎まれた
その憎しみが深いほど
この痛みは確かだと感じられた
この先の

まだ見ぬずっと向こうの先に
人間がいる
途方もない
静かな痛みをかき抱く
人間だけを増やせ

人間だけを増やせ


日常

  織田和彦





ぼくは相変わらず独りだった
「独り」という意味の
もっとも正確な意味においてだ

そして陰謀家のように
アイディアが盗まれやしないかと
いつもびくついている

ほんの5分も前のことだ

ぼくはスーパーで大根としめじを選んでいた
形や色を念入りに調べながら産地と値札を見る
その行為はもはや理想でも現実でもなく
奇術のごとき行為なのだ

例えば歯磨き粉や食料品を買い込む人たちの行列がレジにできる
エプロン姿の無表情のソリストたちが
音階のない鍵盤を叩く
客が手にするのは僅かなお釣りと数枚のレジ袋

アリガトウゴザイマシタ/マタオコシクダサイマセ

レジ袋を断り
エコバックに食料品を詰め込むと
ぼくは悲しみと狼狽の絶頂を否応なく味わうことになる

駐車場へ戻り
キーレスで車のドアを開けると
陽に灼けついた空気にどっとくるまれる
ぐったりとシートに体を沈める
車のサイドミラーに映った自販機
買い物袋を片手に
幼稚園児を連れた妊娠した女が横切っていく
30分前の時刻が印字された駐車券を見つめる

この絶対的な“権力”に従わされる人々は
あたかもそれが自然のことのように受け入れ
興奮も沈思もないままそれを受け入れているのだ

信じられるだろうか?

車はいつものルート
つまり一方通行の道を右折し
県道へ出て
ドラックストアへ向かう
まるで美術館で絵画を見て回るように
ショップを回るわけだが
ピカソもシャガールも写楽も工場で大量生産される
資本主義社会では
公平さと差別化が同時にスローガンとなり
人々を分裂的に引き裂いているのだ

信じられるだろうか?

ぼくはもっとも取り澄ました群衆の中の独りだが
同時にいま静かに進行しつつある
革命のデモ隊の先頭を歩くひとりでもあるのだ


救急室3

  織田和彦




朝から、あおぞら総合病院は混み合っていた。8時15分。既に気温は25度まで上がっている。受付開始は8時20分からだが、蛇行する人々の列が、今にもあおぞら総合病院の外側にまで溢れ出そうだ。

「受付される方の最後尾はこちらです!」

黒縁眼鏡でスーツ姿の小柄な青年が、大きく手を挙げて、患者を誘導している。羊のように誘導に従う患者の列。実に秩序正しく、割り込みなどのマナーを失した行為は一切ない。

ぼくは財布から保険証を取り出し、列に並んだ。8月14日。お盆の真っ只中に、病院がこんなに混むなんて思わなかった。見たところ、8割くらいの人はどこが悪いのかさっぱり見分けが付かない。世の中と同じ、病は内部に深く潜み、表面にはそうそう現れないのだ。
などと思っていると、

「何科を受けられますか?」

と、唐突に黄色いシャツを着た少女に声をかけられた。顔に発疹が出ていること。頸部のリンパ節の辺りが腫れていることを告げると、看護師に相談してきます。そう告げると、病院の廊下を駆けていった。実際、どこの科を受けるのが適切なのか、よくわからなかったのだ。

走って戻ってきた、黄色いシャツの少女は、少し息を切らしながらも、嫌な顔一つせずぼくに一枚の紙切れを渡し「内科を受けてください」とそう言った。

その紙切れには、「11」という番号と、カタカナでぼくの名前が書かれていた。

その紙切れをもらうと、ぼくは何故かホッとした。

問診票を受付に提出した後、内科の診察室の前に置いてある黒いレザー貼りの長椅子に腰をかけ、病院内を観察しはじめた。足取りの覚束ないヨボヨボの爺さんが、さっきから内科の前をウロウロし、女性の看護師に声をかけては「今日は下痢が酷い」と訴えている。“今日は”と、いったところ、おそらく毎日通ってくる、病院しか行くところのない“困った爺さん”なのだろう。困った爺さんは、また違う看護師を掴まえては“病状”を訴えて回っている。

「下痢をされているんですね。大丈夫ですよ」

その一言をもらうと爺さんは安心したのか、内科の前をうろつくのを止め、病院の奥の廊下に消えた。

すると今度は目の前のエレベーターがドスンと開き、ストレッチャーに寝巻きのままぐるぐる巻きされた足の無い、80歳くらいの、別の爺さん運ばれてきた。白髪の坊主刈りで、よく太っている。ぼくの目の前を通り過ぎていくその爺さんの染みだらけの顔を見ていると。左の目から涙が流れ出しているのが見えた。

「私たち長く生き過ぎたのね」

正面玄関の、テラス側の廊下で、車椅子の婆さんたちが話しているの聴こえた。

「ジュウイチバン オダサン! オダカズヒコサ〜ン」
「はい」
「どうされました?」
「顔に発疹と下顎の辺りにシコリと腫れがあります」

ぼくほ問診票に書いた通りの説明をした。

内科の診察室の中から、長椅子に腰を掛けるぼくのところにツカツカと歩み寄ってきた、おそらく看護師と思わしき三十代後半くらいのその女性は、ぼくを診察室に招き入れるわけでもなく、ぼくの腫れた頬っぺたを触りながら、廊下で「診察」をはじめたのだ。

「ここ、痛む?」

多分、ぼくと同級生くらいと思われる女の看護師は、ショートカットの髪を茶色に染め、少し濃いめのブルーのアイシャドーを入れていた。

「おたふく風邪かもしれないわね」

如何にも世慣れた風な彼女は、ポケットからマスクを取り出し、「これ、しといて」とぼくにマスクを手渡すと、手招きをし、歩き出した。彼女はぼくが、ちゃんとついてきているかどうか確かめるように、二度ばかり後ろ振り返った。

「救急室3」と札の掛かった病室につくと、ぼくをその部屋に押し込んで、カーテンレールで間仕切りされたベットに案内し、「先生がくるまで、ここでしばらく待ってて」と言ってカーテンをピシャリと閉めた。

そして、カーテン越しの向こう側で「きゃっ!貼っちゃった」と言って出て行った。

何を「貼った」のか?カーテンを開けて見てみると「内科 オダさん」とだけ書かれたメモがカーテンの表側に貼り付けられていた。

多分、楽しい性格の看護師さんなんだろう。

そう考えて、ベットにしばらく寝転がることにした。熱もないし、特にしんどいわけでもない。しかしなんで彼女はぼくを救急室なんかにつれてきたのだろう?おたふく風邪とか言っていたので、感染症を疑い、院内感染を避けるための措置なんだろうか?説明がなかったのではっきりはわからないが、おそらくそうなんだろう。

さて、することがなくなったぼくは天井のトラバーチンの穴ぼこの数を数え始めた。スマートフォンは病院の駐車場に停めた車の中だし、“楽しい”看護師さんはさっさと出て行ってしまったし、ぼくは病室という隔絶されて世界の中に今一人取り残されてしまったのだ。そしてトラバーチンの穴ぼこの数を数えるという作業に意義を見いだせなくなったぼくは、ベットに横たえた体から全部の力を抜き、このまま眠ることにした。

どのくらい眠っただろうか?

5分か10分くらいのことかもしれない。
隣のベットからうめき声が聞こえはじめたのだ。

その声からすると50代くらいの、中年の女性のものと思われる。カーテン越しに光を透かしてみると、微かに見える影から、女性は点滴をしていることがわかる。さっきまで考えもしなかったが。この病室にいるのは、どうやらぼくだけではなさそうだ。さらにその向こう側のベットからは、若い女性が嘔吐いているのが聞こえた。

なるほど、人間、そう簡単にひとりになれるものではないな。ぼくは妙に納得した。人は、たとえどんな境遇や世界にあっても、仲間になれそうな他の誰かを必ず見つけ出すことができるのだ。

しかしだ、ぼくの放り込まれたこの「救急室3」は、重症患者が多いらしく、胃腸炎でひたすら嘔吐き続ける16歳の女子高校生、熱中症で倒れ運び込まれた主婦や、始終ストレッチャーで運び込まれる患者が出入りし、カーテンで塞がれてよくは見えないが、なんらかの「応急処置」を施されては緊急の往来を繰り返しているらしいのだ。泣き叫びながら嘔吐する女性が、数人の看護師に抱きとめられ「大丈夫!大丈夫だよ」と励まされている声がずっと聞こえる。

さながら野戦病院のごとき様相を呈しているのだ。

ぼくをここに連れてきた看護師のことを考えた。左手の薬指に指輪はなかったし、彼女と話せば、このあおぞら総合病院の事が、もっとよくわかるかもしれないな。

「オダさんって方はどちらですか?」

初老の紳士といった感じの小柄な医師が、黄色いシャツを着た丸顔の若い女性を伴って「救急室3」のぼくのベットに入ってきた。医師は神妙な面持ちでぼくの顔を覗き込んだ。患部を触り、幾つかの質問をしたあと、「ヘルペスですな、ヘルペス一型ですよ。皮膚科に案内しておきます」そういって、そそくさと出て行った。「皮膚科の先生を呼んでくるので、そのままそこでお待ち下さい。寝ていてくださって結構ですよ」丸顔の黄色いシャツの女性は頬を少し紅潮させながら言った。まだ見たところ、学生といった雰囲気だ。

少しガッカリしたぼくは、カーテンに貼られた「内科 オダさん」のメモを乱暴に剥ぎ取った。その裏側には、見知らぬ女性の名前と11ケタの数字が、まるで暗号のようにぐるぐると書きなぐられていたのだ。


愛と死

  織田和彦





死というものを体験しない限り
本当のことなんてなんにも判りやしないと思う
いっぺん死んでみないことには
生きていることの本質なんて
誰にもわかりやしないのだ
いつしかぼくの頭の中を占拠し
離れなくなってしまった想念だ

だから毎日死ぬことばかり考えている
死ぬといってもあなた
本当に心臓が止まっちまったら
こっちに戻ってこれない
戻ってこれなくなっちまったら
生きる意味だとか?
本質だとか?
儲け話だとか
スケベでエッチな話も
ヘチマもへったくれもない

心臓を正常に作動させながらも
ちゃんと死ぬわけだ
いいかい?
心臓だけはちゃんと動かしな

それから
その他の生きるための活動を全部止めちまいな
全部はちょっと辛いな
一部だけでもいい

そうだな
例えば
血と汗と涙の結晶である
あのバカ安月給をだな
会社から受け取ることを断固拒否する
月末に振込まれるはずの給料が
りそなの口座に振り込まれない

死ぬということの意味は
たとえばそういうことだ
その意味について
少しでも触れることができたなら
あなたもぼくも
もう少し生きることについて深く感じることができるはずだ
生と死の間に横たわる
絶対的な服従と断絶と不条理と禍々しさを

生きていれば
ぼくももあなたも
あの少しばかりの
バカ安月給でもさ
美味しいものを食べに
女の子をデー卜に誘って
夜景の綺麗なホテルで
ロマンティックに過ごしていたかもしれない

死とは
そういったことの全てをなかったことにする

いいかい?
死を経験するんだ
心臓をちゃんと動かしながら
生に対する羨望の眼差しを持て!
同時にそこに蔓延るまやかしや悍ましさもちゃんと
その目と耳と心に刻むんだ

死というものを体験するたびに
生きるということがどうあるべきなのか学べるはずだ
手初めにあたなが今夜死んだと仮定するとき
生きていれば手にできたはずの
何か一つでも返上することだ

死はあなたから
あなたのものであった筈の命を切り離し
容赦なく多くのものを奪っていく

例えば今夜でいえば
あなたの愛するあの女性からの告白きっぱり断ることだ
生きていれば知り得たかもしれない地上でただ一つの愛を
あなたはあなたの死によって粉々に砕け!

あなたはあなたの愛によって粉塵となった死を暴け!


飼育法

  織田和彦



水槽でメダカを飼い始めたのが今年の5月
10匹いたうちの7匹はすでに死んでしまった
ペットの飼育に詳しい同僚の早川君に
7匹のメダカの死因をたずねたら
きっと子供をたくさん産んで力尽きたのだろうと言った
会社では毒舌で通っている彼だが
本当のところは根が優しく他人思いだということは皆が知っている
ぼくはきっと水槽の水の換え方を間違ったのだ
ぼくの方が彼よりも2歳年上だが
今年の9月に早川君はぼくよりも先に次長に昇進したのだ
先に偉くなる人間と取り残されていく人間
目的意識が高く責任感の強い人間が先に社会的地位のある場所へ行く
そこに何も不公平はない
あるのは個性という名の不平等とめぐり合せの運不運なのだ

ところでその早川君が11月から会社に出てこない
蒸発してしまったのだ
社内では派遣の若い女の子との不倫が原因だと噂されているが
彼ほど家庭を大事にする男はいない

実はぼくが早川君を殺したのだ
だが殺したことはまだバレていないので社会的には早川君は蒸発したことになっているのだ
10月31日にぼくは早川君を殺した

その日二人は今出川から鴨川の土手沿いをほろ酔い気分で歩いていた
どちらからともなく飯に誘ったのだ
アルコールが入っていたことは間違いない
ぼくが早川君の出世を妬んでいたこともある
人を殺す動機としては軽すぎるのではないかと疑う向きもある
しかし伏見にあるぼくの単身者用賃貸マンションに着いた時
早川君はぼくの飼っているメダカの水槽を見たがったのだ
水槽は寝室の出窓に三本設置してある
水量60リットルが2本と45リットルのものが1本
早川君がそのうちの一本の水槽を覗き込んだときぼくは彼の頭を水槽の中に押し込んだ
ぼくは早川君の頭を押し込みながら
テメェーが8匹目だ!
と叫んでいた
ブクブクと泡が立った
白点病に犯されたメダカが苦しみに歪んだ早川君の口の中へ次々と入っていく

文学極道

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