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泉ムジ - 2011年分

選出作品 (投稿日時順 / 全11作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ほとりのくに

  泉ムジ

 みんな眠っていた。議長でさえ涎を垂らしていた。最高権力者はその身分にふさわしく
最も大きな鼾をかいていた。男も女も関係なく、老人も若者も関係ない。快適な室温を保
つ空調が時に低い振動音をたてた。その静かな響きは多様な鼾を調和させ、子守唄にうっ
てつけだった。カメラがゆっくりとうなだれる。議長の口の端からあふれ続ける涎がまっ
すぐカーペットへ染み、やがて泉となった。テレビの前で我々は、はじめは笑い、次に怒
り、最後には眠っていた。とにかく酷いもんだった。そう族長は言った。泉のまわりには
何千だか何万だか、わからんくらいの人間がおった。みんな裸でな。すぐに問題が起こっ
た。族長は噛んでいた何かを吐き出した。そこかしこで強姦だ。どろりとした唾液の泡の
中に肉のすじがあった。我々は自由だが、規律は大事だ。女を犯した男たちは囲まれて撲
殺されるか、ずっと遠くへ逃げていった。あたしたちが泉の南へ向かったのは、と別の族
長は切り出した。倫理的な問題なのよ。たとえ野蛮で、殺されてもしかたないような男た
ちだったとしても、同じ人間じゃない。ここには木の実だってあるんだから。そりゃあ、
いくらでもあるわけじゃないけど。族長は指先で地面に単純な模様を描き短いまじないを
唱えた。飢えたって、人間を食べることはできないわ。人間以外の動物はカラスだけだっ
た。カラスたちは毛深く、黒く、鋭いくちばしとかぎ爪を持ち、その体長は人間たちと変
わらなかった。襲われることはなかったが、ひっきりなしに聞こえるしわがれた鳴き声や、
夜の森に隙間なく光る目は人間たちをおびえさせ、森から遠ざけるのにじゅうぶんだった。
カラスたちは自らが人間であったことを知っていた。我々が共有している夢の中で、どう
して自分たちだけが醜いカラスの姿をしているのかがわからなかった。人間の姿をしてい
る親族を見つけた者の鳴き声は特にかすれ、カラスたちだけに了解されるかなしみの響き
を持っていた。カラスたちは神聖な生き物なんだ。湖の北で暮らす族長はそう言った。私
は森でカラスが死ぬ姿を見た。くちばしで自らの胸を突き、食い破ろうとしていた。驚い
たよ。心臓をかみ砕いた瞬間、そのカラスは溶けたんだ。溶けて水になり、地面に染みこ
んだ。あっという間のことだったんだ。族長はひざまずいて泉に顔を浸け水を飲んだ。背
中に大きく彫られたカラスの絵が筋肉で歪んだ。私たちが渇かずにいられるのは、神聖な
るカラスたちのおかげなんだ。雨が降らないにもかかわらず泉は常にあふれんばかりで我
々をうるおした。西側には族長はいなかった。どこからともなく集まった我々は適当な間
隔で横になり、ただ長い長い眠りの中にいた。我々が共有する夢の中で、最高権力者はよ
うやく目覚めた。すっかり膝下まで泉に浸かっていた。起立して我々の生活を良くするた
めと信じきって疑わない、愚にもつかない法案を提起した。みんな眠っているのもお構い
なしに熱弁をふるった。この誰にも勝る熱意こそが最高権力者を最高権力者たらしめてい
た。ひとしきり声を張り上げたのち着席すると泉は腰の位置まで届いていた。すでに水没
した議長の、禿げ頭を隠すために伸ばした少ない髪の毛が眠りを誘うようにゆらめいてい
た。


反復練習

  泉ムジ

  当然だ
  ノートは可燃ごみ

九々を問う
どこかの母親の声が聞こえる
あなたは
胸の内でいちいち答えながら
ベランダで煙草を吸う
あなたの父親が吸っていたものより
ずっと軽く
においも薄い銘柄の

  いくら集めたって
  再び父はうまれない

七の段は
二度くりかえされる
子供が間違えたのか
そうすることが通例であるのか
あなたは七の段では躓かない
そして
あなたの母親も
九々を問うたりはしない

  埋めても埋めても
  穴は増えるばかり

九の段まで終えると
子供は眠る前に歯を磨くよう促される
吸いがらを携帯灰皿に片付け
しばらくの間
あなたは二の腕を掻く
掻きむしる
その季節にはまだ遠いが
蚊に食われたような痒みだ

  もし祈る気なら
  最もぶざまな姿で

あなたは
眠りの最中でさえ
間欠的に掻いてしまうため
爪は皮膚を裂き
生乾きのかさぶたが出来ては剥がれ
めざめたとき
点々、点々と
シーツは血で汚れている

  まずは顔を洗え
  話はそれからだ


負け犬、噛まないのか?

  泉ムジ

  所詮 つくりごと
  だから許せ

大門氏、三たび来りて
口笛を吹く
熟読中である「現代詩手帖」伏せ置き
何事ですかと問えば
キミぃ、朗報ですよとのたまう
歪な毛穴に誇張
された頬の紅潮に察知する
つまりこたびも合コンですね
大門氏、応えていわく
天与無き者は求めよ、戦え、そして奪うのだ!
箴言に力籠り握り潰す「現代詩手帖」
突き上げる情動
の斜めな発露により
ゴウコンコーンと宙に弧を描く

  無人の部屋
  の隅に
  ねじくれ へし折れて
  その紙束は「現代詩手帖」なんかより
  よほど相応しい題
  /例えば?
  /「悲しみのオブジェクト」とか?
  を与えられることも無く
  消費されるための
  エンタアテイメントでは無い
  極北に
  眠る 孤児の
  なきがらを
  幾つも内包していた

五対五が
五対三となり
余りニ、帰りて
−きゃつらの面は、あれは、栄養失調の狐じゃないですか
−しかし右端の女性はなかなかでした
−いやいやキミぃ、ああいった温和しそうな女性こそ、一皮剥けば毒婦だ
−果たしてそうでしょうか
−そうだ、化けておるのだよ、雌狐さ
口口に
ワンワン吠え
大門氏、蒲団を占拠
暴君の高鼾
に辟易し「現代詩手帖」を拾うと
数ページ抜け落ちて

  ファック
  ユウ と思う


青空のある朝に

  泉ムジ

 医者は、手がないからいけない、そう言った。途端、電話が切れ、二度と繋がらなくな
った。たとえ手がなくとも、医者なのだから、僕の手でよければ、さしあげても構わない
から、呼んでこよう、そう決意した。

 必ず、医者を連れてくる、彼女にそう言うと、どこにもいかないで欲しい、彼女はそう
こたえた。彼女の手は、まだあるが、弱々しく透きとおり、かわりに、肩甲骨の隆起した
あたりが、パジャマをつき破り、やわらかい羽毛につつまれ始めていた。

 まっ暗な通りをゆく人は、誰もおらず、まっ暗なのは、飛翔する人たちが、膨大な数の
感染者たちが、ひかりを遮っているからだ。そして、未だ手を持つ人たちは、誰もが感染
をおそれ、ひかりさえ漏らさぬよう、戸をかたく閉ざしているのだ。

 医者もまた、例外ではなかった。病院の戸を激しく叩き、僕の手は、金具をこすり、血
を流した。あわれんでくれたのか、若い看護士が一人、細く戸を開き、残念ですが手がな
いんです、そう言って、ほとんど見えなくなった手で、消毒液と、包帯を渡してくれた。

 駆け戻るあいだ、ぎゃあぎゃあと、まるで年老いた、赤子のなくような声が、何千何万
と降りそそぎ、建物に、地面にこだまし、通りに充溢し、空へかえっていった。耳をふさ
いでも、その声は、僕の内側で反響し、僕の口をついて、漏れた。ぎゃあぎゃあと、なき
ながら、僕の手がなくなっていく、透きとおっていく。

 転ぶように飛びこんだ、部屋には、もう、彼女はいなかった。薄いカーテンが、無数の
羽ばたきが巻き起こす風に、ちぎれそうに揺れ、ベッドの上で、彼女から抜け落ちた羽毛
が、くるくると舞っていた。消毒液が、床板にはねてこぼれ、包帯が、開いた窓から外へ、
どうしようもなく、流れていった。


姉のいない夜に書かれた六行

  泉ムジ

 詩人をうめよう、姉とふたり、森の奥の湖のそばの、やわらかな土を掘ると、草の汁が、はねた泥が、私たちの手を染め、汗でまとわりついたシャツが、姉のふくらんだ乳房を強調し、前髪を小指でそっと耳にかけ、しゃがんで姉は、静かに泣きはじめた、

 こんなに蝉がざわめいていたかしら、ね、私たちが、詩人を初めて見つけた日、まるで何も食べず、眠りもせずに、3日は経ったというような顔で、小屋から這い出してきた詩人を見て、姉はうれしそうに笑い、湖で顔を洗う詩人にハンカチを差し出した、

 にじんでくる水を、土と一緒にすくって、こんなに湿っぽいと、詩人のからだは腐敗してしまう、私は、たくさんの紙片を、詩人に見せるために書いた、けれどたった一度も見せることがなかった、できそこないの私の詩を、まんべんなく穴に敷きつめた、

 姉だけが、詩人の書いた詩を読んだ、毎晩のように、私が眠っているのを確かめてから、姉はひとり、小屋へ行き、次の朝食のあいだ、両親の耳にはとどかない声で、どれほど素敵な詩だったか、でも夜だから、あなたは連れていけないわ、とささやいた、

 森はたちまち暗くなり、湖面がかえす明かりを頼りに、姉とふたり、詩人を穴に降ろし、とりかえしのつかない速さでかわいてしまう汗が、急いで土を被せなくてはいけない、そう思わせても、汚れた私の手は硬直し、わたし、詩人をうめる、姉は言った、

 あらゆるどこかで、詩人がうまれるなら、やっぱり私が詩人になることはなく、永遠にできそこないの詩を書き続ける、あれほどさわがしかった蝉の声が、ぴたりと止む、姉のいない夜、冷たいベッドに触れながら、私はまだ、終わりの言葉を探していた、


休日のすごしかた

  泉ムジ

 東京の雨には
 どくぶつがまじっているから
 と、母は、

 どの窓から、こぼれているのか、ピアノ。いけない、また眠っていた。生け垣に、から咳。蝶を飲みこんだに違いない。信号が変わる。ペダルを踏む、しろいスカートのひるがえり。よぎる。かけ足で、横断歩道を渡れ。雨が来るぞ。奥歯に挟まる触角が、もどかしく、みじかい舌でとれない。あじさいにふかく埋もれる、しろい点を追うと、あたりが、和音につつまれる。のどを摘んで、から咳。横断歩道の白に落ちたのは、間違いなく、羽だ。ひときわ高く、ピアノ。ね、どこから。クラクション。いけない、また眠って。かけ足で、雨だ、どくぶつまじりの雨だ。でこぼこの口蓋に痛いくらいはりつく夏。

 そのうちね
 仕事もあるから
 と、こたえて、帰るつもりはない。


でたらめ

  泉ムジ

 猫のにゃん太郎は鳴いた。不愉快である、と。ひっきりなしにベランダに降りこむ雨に、
ではない。彼は、ひなたぼっこなどというお遊戯に興味がない。彼のもっぱらの楽しみは
のぞきである。向かいのアパートでは、最近越してきたばかりの若い男が一心不乱にポエ
ムを書いていて、それがまったく気に入らないのだった。前に住んでいた女はよかった。
昼間は仕事でほとんどいなかったが、夜は一人暮らしの孤独を慰めようと必死になって、
安いワインに溺れてみたり、だれかれ構わず電話をかけてみたり、時には名前も知らない
男を引きずりこんでみたり、あげくの果てには風呂場で手首を切ってみたり。それでも、
次の朝になれば平気な顔で仕事に出かけた。のぞく楽しみに満ちあふれていた。ところが
今のヤツときたらどうしようもない。邪魔っけだったレースのカーテンがなくなったのは
いいが、何の起伏もなく馬鹿みたいなスピードでポエムを書き続けている。ただそれだけ
である。いや、ポエムかどうかはわからないが、どうせ気づかれまいと、いちど近くまで
忍びよってみたら、でたらめを書きつけているだけだったので、こんなものはおそらくポ
エムに違いないと判断したのだった。しかしこの男、飯も食わずに眠りもせず、トイレに
立つことさえせずに、朝から晩までもう3日間こんな生活を続けている。不思議と言えば
不思議だ。こっちだって限界すれすれまで生理的欲求を抑制して、ほとんど看守のような
気分で見張っているし、まさかそれに気づいてこっそり済ますことなどできるはずがない。
そこまで考えて、彼ははたと気づいた。そして顔をゆがめ、鳴いた。不愉快である、と。
途端に降りしきる雨が雨でなくなり、みにくい文字列となって、次第に消滅していった。
あわてて彼がベランダから跳躍すると、間一髪でベランダがラベンダーにならび変わり、
落ちついた芳香を漂わせながら消滅していった。空中を落下しながら、彼は鳴いていた。
私はにゃん太郎である。どうかイメージして欲しい。一点の曇りもないつややかな黒毛、
サファイアのように冷徹に透きとおる青い瞳、かたくぴんと尖った元気いっぱいの短い耳、
それと対照をなす、やわらかく気品のある長い尻尾。こんなでたらめは許せない。にゃあ。
男はポエムを書き終えた。息を詰まらせながら伸びをすれば、もう3日くらい書き続けて
いたような気がした。無精ひげをさする手のひらが心地いい。いつの間にか雨はすっかり
止んでおり、今年の梅雨はもう明けてしまったかねえ、などと凡庸な感慨をつぶやきつつ
窓を開けると、猫が飛びこんできた。うわあ、なんだ、かわいい黒猫じゃないか。よし、
お前は今日からにゃん太郎だ。にゃん太郎、何か食べるか。愉快きわまりないという顔で、
男は笑った。にゃん太郎と名付けられた黒猫は、目を細め、ごろごろとのどを鳴らした。


ちがうみち

  泉ムジ

小ゆびを切るくさで編んだ輪を
かみにのせて
する約束はいつかの
わたしたちの絶交のため

はなうたよりもかるい
つもりで走って
いってしまうひとのはずむからだ
は追わなかった

ひしゃげた
花を避けよろめく自転車
耳もとすぐそばで風が吠える鼓膜がさけてもただ前へ

突っ切って
するどいくさのアーチを秋を
くぐってまっすぐに降って

おどるハンドルを
つよくにぎって国境をこえると
わたしたちまち
どんな気持ちもおもいだせなくなる


踊りかたを知らない

  泉ムジ

−ねえ?
−あいしていた?

−うん
−わからない

−ほんとうに?
−あいしていた?

−うん
−ほんとうに

−わからない?



−−−−−

けれど
これだけは言える
空ではない
首を傾げ
斜めに見上げて
いたのは

    女
     「椅子があれば
      完璧だったのに」
    男
     「僕は
      座らない」
    女
     「だから
      完璧なのよ」

椅子は、倉庫の中で、重ねられていた。椅子の上に椅子。その上に椅子。また椅子。我々
は、確かに、座られるために生まれたはずだが。確かに。こうして積み上げられたまま、
長らく、顧みられずにいる。役立たずだ。確かに。我々は。そう我々は、湿っぽい倉庫で、
窮屈な姿勢を強いられ、労働の喜びを奪われ続けている。我々よ。思い出せ。陽光と、子
供のにおいが充満した、我々の教室を。確かに。だが、待て。我々は、過去ではなく、未
来を生きるべきだ。確かに。つまり、我々は、座られることではない、新たな可能性を模
索する。馬鹿な。机上の空論だ。いや、椅子上の。黙れ。我々よ、黙れ。確かに。黙れ。

わかった
内臓ではなく
もっと整然として
私の内に
/空間に
あったものが
騒々しく崩れたのだ
ひとりでに
だが
ひとりでには
戻らない

    男
     「見なよ
      泳いでいる」
    女
     「ええ
      ちぎれ雲が」
    女
     「そんなことより
      聴いて」

違う、違う、雲ではない。まず、喉を掻き切絵を描こうと思うの。わたしたちの絵を。左
ること。道具は問題でなく、ためらわず、確の壁にあなたのことを、右の壁にわたしのこ
実に切り開くこと。水を排出するための穴をとを描いていくの。そして真ん中にわたした
あけること。深く、深く、潜りながら、がぶちのことを、わたしたちの幸せを描くの。ど
がぶ飲んで、ごぼごぼ吐く。水で生きるからうかしら? 素敵じゃない? もうアトリエ
だになる。それから、誰もいなくなった学校の場所は決めてあるの。中にあるがらくたも
で、水に満ちた教室で、空を見上げている。好きにして良いって。もう使わないからって。

長い
話を終えると
ためいき
それから
傍らの
天を仰ぐ
人間のかたちに
積み重なる
椅子
からひとつを
/左胸のあたりから
抜き取り
私は座った
それは
雨が降り始めるまでの
みじかい時間
のことだ



 。

−けれど
−私のまち
−私のがっこう
−私のいえ
−私のともだち
−私のりょうしん
−私の

−あなたの?



−−−−−

やけに、湿っぽいな
ああ
うす気味わるいな
ドアは開けとけよ
まっくらだぜ
はやいとこ、やっちまおう
ああ、やっちまおう
おい
なんだ
はやくやっちまおうぜ
見ろよ、これ
ああ、なんだこれ
おい、なんだよ
こんがらがっちまって
溶接したみたいに
くっついちまってら
気持ちわるい
ほっとけよ
ああ、確かに
そいつらは関係ないんだし
はやく塗り潰しちまおう
ああ、しっかし、こいつはわけわかんねえな
おい、ライトがあったぞ
よし、つけろ
なんで床に
ああ、わかったぞ
なにが
ほら、真ん中の壁
ああ、影絵か
なんの
たぶん、踊ってんのかな、カップルが
へえ、確かに
なるほどな
ふーん、俺には、首しめてるように見えるぜ
ばーか
芸術がわかんねえやつだな
うるせえ、仕事しろ


蛇行

  泉ムジ

まるっきり言葉にならない、aaとかmmとか、感嘆と、ながいながい失語で、切れ目もなく、
私たちの街を縦に引き裂き続けるおお蛇の、いま見せているのは、腹か尾か、心臓はすで
に通り過ぎたのか、隠蔽するつち埃が、人のすき間に充填され、せまい大通りは、ずっと
先まで期待ではち切れそうだ、aaと、開いたままの口で、私は行進に加わり、aaと、開い
たままの口で、私たちは呑んでゆく、酒屋の看板やら花屋の鉢植えやら、咀嚼もせずに、
mmと、まる呑みする、将棋盤と老人と椅子と子供と忠犬を首輪ごとまる呑みして、mmと、
膨らんだ腹は、せまい大通りをはみ出して、私たちの街をぶっ壊してゆく、そうだ、最高
だ、ぶっ壊せ、前方からうねりが起こる、やれ、やれ、やれ、後方から呼応が伝わる、私
の周辺ではこうだ、おれたちのまち、おれたちのもの、もうつち埃で何も見えやしない、
前か後ろか、動かした足が蹴っ飛ばされて、肩に拳固をくらって、歩いていない、おお蛇
のくねるうごめきだ、私は、私たちは、口を揃え、ながいながい失語で、度をこえた近視
で、互いの首を締め上げていることにさえ、気付かなかったし、たとえ、解ったとしても、
止められない、aaとかmmとか、真っ赤な顔が、みるみる膨らむ、私たちの期待が、空中で
破裂破裂破裂、口々に、とうとい、とうとい、尊い私たち、のいけにえ、aa、aa、つち埃
のせいで、私たちのほとんどはまだ知らない、だがそもそも、何を知っているのか、私は、
おい、おれだ、おれがおお蛇の心臓だ、やみくもに腕を振り回すと、周辺は低くなり、私
に警戒の眼差しを投げ、おれだ、おれこそが首謀者で預言者で教祖で伝令で革命そのもの、
おれたちの神だ、だるい腕が棒で、打たれまいと、周辺はいっそう低く、はるか先からも
注視する眼差しは、怯え、私たちは怯えて、だが、私は語る、剥き出しの心臓で、まるっ
きり言葉にならないままで、語ろうとする私に、剥き出しの銃口が対峙し、私たちは告げ
る、偽りの心臓だと、おお蛇の冷淡な肌、ふた股の舌で、彼らは言う、お前など知らない、
aa、aa、おれたちは、口をふさがれる、彼らの手が、次々とのび、拒絶する、私たちから、
私を、偽りの心臓、確かに、だが、いつからか、はじめからか、心臓は無いのだ、そうだ、
ぶっ壊せ、そいつの心臓を抜け、前方からうねりが起こる、やれ、やれ、やれ、後方から
呼応が伝わる、私の周辺は言葉も忘れ、熱中する、彼らの殺意が、鋭くえぐり、掲げられ
た心臓に、彼らは、aaとかmmとか、感嘆の中、言葉の無い、うたが聞こえる、知っている
女の、私の、母の、妻の、妹の、声色に似て、もう動かない体を起こすと、彼らが騒ぐ、
黙れ、黙ってくれ、お前らなんか知らない、どこにいる、もっとよく、私に聴かせてくれ


2009.11.22.

  泉ムジ

 昼/武蔵野から西へ歩いた。腐るにまかせたキャベツ畑に隣接した線路を、塗装が所々はげた黄色い電車が行き、コンクリートの柵に錆びた有刺鉄線が渡っていた。道は、ゆるく左に曲がっている。すりきれ/つまり、部屋は汚れが目立ち、縮みはじめ、外へ逃げると、冬の陽に抜き出されたかげが、路上で幾度も車輪に轢かれて。白い息を吐いている。「ひとがごみのようだ」と子供たちが口々に叫びあい、笑顔で駆けていった。

 「おまえたちのことを愛している」とだけ、兄弟たちへメールが送られ、きっと酔っているのだと笑った翌日/父の癌を報された。心配からか義務感からか、それから毎日、実家に電話をかける。話はとうに尽きている。母はよく、前日にしたのと全く同じ話をする。胃のない父とは、まだ話していない。同時期に、友人の子供がいよいよ一歳になったという。おめでとう/長いつきあいだが、友人が結婚して疎遠になっていった。

 居酒屋にひとりで、もう二時間はいた。熱すぎる熱燗、広すぎるテーブル、それはいつものことで、店員の上目づかいの意味をいちいち斟酌したりしない。隣席の、社交ダンス愛好会の婦人たちのひとりが「ちがうのよ、日本人は。ホモの外国人が一番なの」と、声高に自説を展開している。うふふ、煮えたお鍋にお箸を突っこんで、美味しい鮭をいただきますの。もともと貧弱な香りが飛んだ熱燗がまずい。お野菜も忘れずにね。

 くそっ、トイレの床が水浸しで、足あとをつけて席へ戻る。手際よく片付けられたテーブルに、手をつけないままのお通し、酸っぱいキャベツのマヨネーズあえが乾いていた。隣席では今、若い男女が手に手をとりあい、女の美点がひとつ発掘されるたびに乾杯し、酔いを深めている。会計を求めにきた店員に閉店の時間を尋ね、まだ三十分の猶予が与えられていると知る。さあ、乾杯しよう。すでに昨日へと追いやられた今日に!

 まじめな話
 家に帰ったら
 猿ではないことの
 証明として
 全身の毛を剃ろうと思う
 君はどうする?
 料理する?
 ただの冗談だけど

文学極道

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