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紅月 - 2012年分

選出作品 (投稿日時順 / 全7作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


白雨

  紅月



(dear L,)

 
西窓から
こがね色の蜂蜜があふれ
あけわたされた廊下を
遊び風が濯ぐ
木目の数だけ鈍くきしむ床に
罅割れた指を這わせて
(鳴いている?)
やまない久遠の
練乳のような午睡のうえ


文法的には
あやまちなどない
細身のあなたが横たわる
あわく宿る偽りの水のうえに
おおよそ嘘という語意の
あえかな名前が呼ばれ
遺品のために列をつくる亡霊たちの
さいごのひとりに加わる


寡黙な西日に浸された
青く茂りつづける畳の
ささくれを摘む
軟らかな風の抜けていくのに
ひとつも萎みはしない午後に
いつしか緩みきっていた廊下を
ひたひたと伝う蜂蜜
(鳴いている、)
かたくなに硬い
いやはての骨すらつらぬいてゆく
甘くながく滴る午睡の糸を
指でもてあまして
 
 


落日

  紅月

鋭いふじつぼが覆う
防波堤に腰掛けては
水に平行に浮かぶ灯台と
水を垂直に貫く灯台の
交差点を横切ってゆく
ちいさな鴎の残響を聴いていた
坦々とつづく白砂のうえに
残しておいたはずの足形も
ひとつのこらず剥ぎおとされて
(硬い珊瑚だけが堆積してゆく、)


うねる波は朱色
風に遊ばれる
薄いカーテンのようだ
ね? と、
錆色をした明喩を拾っては
飛沫の先へ投げる
(押し返されては
ひとりでに戻ってきて、)


翡翠の原を砕きながら
いっせいに
対岸へと駆けていった子どもたち
彼らのいうとおり
ささめきながらゆれる鏡面から
顔を覗かせる幾つもの
にぶい岩礁の影は
尖った指先のようにも見えた
まさぐっているのは
こちらではなくあちらなのか、
問答の乾かないうちに
誰もいなくなった
あがる飛沫はやがて発火して、


あわいまどろみばかりが
白砂に打ちあげられては
代わりに浚われてゆく影を
追う影もなく、
熱のない炎上をはじめた島が
しだいに焼け焦げてゆく空へ落下する


やがてさかしまとなって
そそぐ夜雨のつめたさを、
いったいどんな比喩で語ればいいのか
この島に人は住んでいないが
それでも詩は書けた
(潮騒に埋もれた鴎のこえ、
それがもし
うつくしいメタファであったとしても
わたしには永遠に理解できない)
 


ピエタ

  紅月

わたしが物語をかたりはじめるたびにこの街には長い雨がおとずれ
る、いっそここが翡翠色の海ならばわたしたち鱗をもつ魚で、感傷
じみた肺呼吸をやめられるのですか、浸水した教会の礼拝堂で素足
のまましずかに泳ぐあなたの、白髪は重力に逆らいながら天へと伸
びてゆく、延びてゆく、ひとでなくなったあなたの御名はくちびる
による発音が出来ないから、筆記として、「ゆぐどらしる」と記す
ことにする、記すことにしたわたしたちは腕のない魚だからそれを
記す術がない、(「ゆぐどらしる」は、深海を射抜く幾筋の月光を
受け、銀に蛍光する梢をゆらゆらと細かく震わせる、水底にも風は
やまないって知ってる?)浮力、すなわち重力に隷従する「ゆぐど
らしる」の髪は空へと茂りつづける、こうして物語るあいだにもこ
の街には長い雨がやまない、器は充たされているのに溢れだした水
はどこに留まるというのか、文明の名残である酸性の雨が水面を穿
つ音すら響かないがらんどうのしじまの奥に「ゆぐどらしる」であ
る、ありつづけるあなたを世界樹たらしめるもの、かつて教会と呼
ばれていたはずのほころんだ遺跡にてほほえみを絶やさぬなんらか
の女神の像の、marbleによる肌はどこまでもやわらかな乳白色をし
ていたのに、しだいに象ることを放棄してかんたんな球のかたちに
かわってゆく、黒ずんでゆく、



彼岸、という名のみぎわで、という名のeddaで、という名の腕、腕
を伸ばす、かつてあなたが小指をくぐらせたであろう銀の指輪はす
なわち「ゆぐどらしる」の髪束で、人であったころ、わたしはあな
たのうなじに手をかけた、白線を引けばそこからうみのはじまり、
便宜上父と名付けられたあわい紅珊瑚が海底を埋めつくしている、
鱗をもつ父は鏡台で口紅を塗り、鱗をもつ父はまいにち早朝になる
と死ぬ、夜になっても死ぬ、何度も小指を繋いでは、そのたびにわ
たしは、(礼拝堂で祈る献身的な、)いっぽんの大樹が根をおろし
ている、「ゆぐどらしる」が身を震わすたび、まるで焦点の合って
いないぼやけた視界のなかでこまかい泡が粉雪のように舞う、それ
らはすべてそらへむかう、倣いながら、(誰に?)彼岸で、そらを
指さすなんらかの女神に、



凍えるような青い炎が琥珀色をした魚の鱗を舐めるとき、かたられ
た物語が濁った香油となって水面に浮かぶ、物語がかたられるとき
わたしたちの領空には長い雨が降る、わたしたち魚、浸水した教会
の錆びた鐘は定期的に鳴らされるのだった、しかし重厚なしじまの
なかで、絶える、のは音ではなく(じかん)、つかのま、あなたの
うちがわの耳が震えている、ふるえている「ゆぐどらしる」が身を
ふるわすたび細かい泡々のsnow glode、にいっぽんの大樹が根をお
ろしていた、その、ひとつの球体をわたしは魚類の存在するはずの
ない腕でかかげてみせる、もっと傲慢に記すならばわたしたち、わ
たし、たち、わたしが、わたしが物語をかたりはじめるたびにはじ
められたいくつかの記録的豪雨により浸水したこの街はあなたの御
名とおなじなまえでした、(なぜなら、あなたの、銀の婚約指輪に
その名が彫ってあったから、)しかしわたしは、わたしたちはもう
その単語を思い出せない、魚ですから、ほんとうは、廃鉱に埋もれ
た泥濘の魚ですから、そらをさす女神の、わずかに女神のかたちを
した器はもはや骨格によってのみ原型をたもっていた、その腕は軽
く、(銀の、約束をくぐる、瞼をおとして、)翡翠の水のなか、溢
れんばかりのながい白髪はいまだ重力のことわりを拒みつづける、
(灼かれたはずの父の名が眼前を泳ぎ去っていく、
ちち、ちちち、(雨、の韻、)ふるい鐘が鳴く、高く、)


(水底にも風はやまないって知ってる?)


灼かれている、
あけわたされたほむらの対岸、


今朝、死んだはずの母がふたたび死んだ
 
 
 


call

  紅月

いきものたちの長方形は
どこまでも直角であればいい
といのるそばから
いびつにつづく石畳の久遠に
分化しゆくあわい複眼の滴が砕ける


雨煙のなか
ただ立ち尽くす
(なまあたたかい東西の壁)
水に濡れた枯葉の群れから
数多の挨拶は失われてゆくから
つらぬくような凍えのなかで
かわいた吸気の骨格の
なだらかな勾配のさなかへ
投身する空蝶の両翅/花弁
あざやかなくちびるから垂れる
一条の宿り木のこんじきの蜜が
たわむれるゆいいつの音楽として
罅割れた石畳を叩きつづけるのだから
もうなにもいわなくてよいから
水彩の絵具がふりそそぐ螺旋に濯がれ
他愛もなくふやけてゆく視界は
葉の抜けゆく秋の大樹のように
彼方にたかく枝を拡げたまま


(かたちない独房の
半透明にすけた檻の隙間を
空欄に入る記述だけがすりぬけてゆく)
錆びた蝶番がこつこつと鳴き
打ちつけられる利き腕は骨の/古枝
いびつな石畳のうえに立ち尽くしながら
反響する雨煙の螺旋の
呼び声にうすい鼓膜をかたむける
ひとりでに震えるくちびるが
物言わぬ系譜の勾配をくだりおちて
はなばなの潤いに分化しゆく複眼の
丸い卵塊だけが宙でくるくると廻りつづけている


祝福

  紅月

 
 
小夜のしじまのなかに横たわる
あおい亡霊の指から波は生まれ
響いてゆくうねりと水平のほとりに
たくさんの林檎の樹が連なっている
垂れさがる果実に口づけをする紙魚
もうなにもいわなくていい
お前は燃えてなどいないのだから
(ここにはいないのだから)
霊安室は狭まりと
拡散のつめたい痙攣を繰りかえし
かたくなに眠りつづける亡霊のかたわらで
紙魚が流していくあかい果汁は
水平のまどろみのさなかへ飛びこみ
新たな波紋をうみひろげるのだろう
亡霊は亡霊のため
鏡面のうえに舟を浮かべ
亡霊は亡霊をはこぶ
(お前は燃えてなどいないのだから)
その光景をのぞむほとりの
林檎の樹の枝は複雑に分化し
進化のいただきに眠るあかい果実は
おだやかな波間の霊安室に灯される
蝋燭の火のようにただひとつあかるい





抜け落ちたしろい尾羽根
凍結した路肩に散乱する枯葉
罅割れた獣骨を拾いあつめ
小夜の空へ投げる(湿った、)
罅割れたタイル(冬のアルタイル、)
亀裂から漏れる乾いた羽根が
かがんだ水面の静寂に点る
ささやくような産声が山々を濡らし
そのあたたかさへと差しのべられた恍惚の腕の
指先のひとつひとつが腕となって
指先のひとつひとつが腕となって
どこまでも分化してゆくそれはやがて
ほとりに立ち尽くす林檎の樹氷
(お前は燃えてなどいないのだから)
波のみぎわには誰もいない
誰もいないことを告げる誰もが
亡霊と呼ばれ透き通ってゆく
乱立する氷晶、





亡霊が亡霊をはこぶ
ほとりの葬列のさなかで
母が波間へと投げいれたあおい彼岸花は
影を落とす霊安室のなかで狭まり
または拡散しいつまでも反響する
もうなにもいわなくていい
ながく滴る小夜の白昼に
投げこまれたあおい波がうねり
いただきの恍惚を食らう紙魚の
垂れながすあかい果汁がうねり
あわいの紫雲に隠蔽されるようにして
ふかく眠りつづける亡霊の系譜
ここにはいないのだから
充ちてゆく腕は指をひろげ
小舟を葉脈の流れに浮かべる
枝分かれする林檎の樹々の群れ(零下の、)
幹に記された御名を呑む紙魚から
漏れる末梢のしじまの糸をたどり
葬列に新たな亡霊がくわわってゆく
母のながいまどろみの底で
ながいまどろみの底で


 


花売り

  紅月

ギムナジウムの罅割れた唇を
なぞる人差し指は青い血にまみれて
この細い裏路地の影のなかでわたしたちはやがて
交わさぬことの愛撫を識り零れていくのだろう
返される砂時計が凍えた額のうえに置かれ
凪いだ瞳からは大量の小砂が溢れてくる


わたしたちはかつて学徒とよばれ
お互いに名前で呼びあうことをしなかった
ひややかな小川が森を横切り
そのどこまでも張りつめた水には
信仰をはこぶ純白の子羊だけが
しずかにくちづけて渇きをいやす
獣のあかく濡れた舌はそのまま流れをくだり
臍のあたりで渦を巻きながら、
(窪みから伸ばされたひかる尾が
幾重にも他の尾と絡みあっては
青空へと放たれていくのがみえる
街を徘徊するはじまりの器官が
その熱だけをあけわたして
誰の名も埋葬されたあとに
遊びだした指だけが先行するから、)


献身をゆるすならば
ゲシュペンストの麓におりて
誰もいなくなった真夜中の歩道橋で
名も知らぬあなたはうたをうたってください
幾重にも波打つ神話は弧を描きながら
声のない閉ざされた公園の隅にある
「叡智」と名付けられたシーソーを大きく揺さぶって
その中心に立って動じぬ遠い母の
臀部は経血に濡れていた(青い、)


裏路地の排水に浮かぶ廃油
涌きあがる昆虫たちには骨がない
着飾った裸体で
たかく父の名を呼ぶ(空には、
にぶく絡まりあう臍の緒が
幾重にも走っているのがみえる、)
切り分けられた空の断面から
あおい蝶が滴っているのが
みえる、(いまでも花びらのようだよ/母さん、)
強烈な逆光に彫りこまれた影のなか
醜く罵りあった、紫痣だらけの
砂が尽きたらまたしずかに時計を返して
はじまりの帰路のうえに溜まった細やかな砂が
真冬の額をどこまでも汚しながら
ギムナジウムの瞳の凪いだ深淵の底
あざやかに宿る白昼へいつまでも残響している

 


matria

  紅月

あやまちなどひとつもなく、
おそろしい精度で
どこまでも正しく列べられた
タイル、いちめんに咲く文脈と、
そこへかたくなに交わりつづける
いくつかの脊椎が灯火する街は、
放射のみどりにあおられながら、
より大きなまちのなかに遍在する、
正しく遍在する、


(母の骨格を、
(抱きかねる、語り手、
(を、抱きかねる、かたりて、


雲ひとつない快晴、
海底から見上げる水際を
鳥の影絵が旋回している、
風、波の幻視のさなかへ
祈るように目を閉じたまま、
次々に身を投げる
鳥ではないとりたちの列、(分岐図、


がらんどうの記号たちの
比喩、あるいは胎盤のなかで、
がらんどうのきごうたちが
豪雨しているのが、
わかる、明るい空へと
私は腕を伸ばす、
濡れた音が鳴る、途端に、
腕が縦に裂ける、
(噴き出す青い血液、)
凍えるような豪雨のなかで、
あたたかい、すなわち、
温度のない血は、
うそぶく祈りに触れ
しだいに日本語されていくから、
ちの飛沫もまた豪雨する、
おとが鳴る、私は裂けた腕を
伸ばす、(いらない、)
おとが鳴る、途端に、
うでがさらに細かく裂ける、
(信仰が流血するのを留めることができない、)
裂けたうでを持つわたしはもはや記号だった、
記号はきごうだった、(いらない、)
切り分けられていく
影絵には体温がない、
ただ凍えている、
凍えてすらいない、


(まどろみのなかで、)


乱立する白い建物のひとつに
母は眠っている、酩酊の、
母は抱かれている、
より大きなははの遺言に抱かれている、
陽がおちることのない窓辺の
ひどく鮮明な母の黎明のうえで
風にもてあそばれる薄いカーテンが
昏睡と覚醒の波を繰り返し描いている、
(わたしはそれを観ている、)
延々と、
他殺に晒される母の隣に、
遂げられない自殺が積もっていく、
水気を失って干からびた、
からからに乾いた記号たちが、
私が、わたしのうでが、
母の細い首を絞めている、
(わたしはそれを観ている、)
彼女の病理は、
より大きな病理に蝕まれつづける、


晴れわたる空、
音叉の産声、浸水、
声ではないこえ、が
仄暗い臓器に残響している、
塹壕している、
(の、)


誤った日本語をすり抜ける
誤った対話だけをここに留めて、


白いとり、 黒いとり、
(あらゆるとり、)
散乱する寓話たちの
産卵、に、灯が点って、
鬼火と呼ばれるようになったら
やがてそれらは数列するのですか、


散華の花弁の中心から溢れだす、
黒蝶の片翅はみな壊死しているから、
まばゆい快晴のしたには異形ばかり、
影絵、奇形の影絵は繁茂して
腕のないわたしはどこまでも正常だった、
(ゆるされるということ、
その斥力の彼岸へと伸ばした
わたしのうでは縦に裂ける、


割り算は数字が可哀想だから、
といって、ただ、
ただ掛けあわせていくわたしも、
割られる、割れる刹那の
便宜的な数字でしかない、(いらない、)
延々、わたしを
わたしで割りつづける母、母の
過失がこの身体をすり抜けて、
軽い金属の落ちる音が
何度も私の身体に触れた、
わたしのからだに触れた、
雲ひとつない快晴のしたで
タイルの秩序を繕う腕が
さまよって、
累加する
幾千もの無精卵から
孵るひなどりには嘴がない、
交わりもないまま、
奇形の影絵たちは
文脈の勾配に沿って
日本語の墓場へと巣立ち、
やがて、ここには
うつくしさへと復讐を
つづける卵の殻だけが留まる、
(それら破片を、
(繋ぎあわせ、
(元のかたちに
(戻そうとする私は、
(母と同じように、
(かげをかげの係数で割りつづける、


割りつづける、


(とりは鳥の訃報をたかく歌い、
音もなく歌われたうたが
ぱらぱらと結晶し、そそぐ、
豪雨、
の中心で、
あやまちは、
誤った形式を通過しながら、
影絵で遊ぶわたしの
青い血液を焚書していく、)


つぎはぎの神話は、
病室であわく灯りながら
しだいに暮れていく波紋の中心で
いつまでも小刻みに震えつづける母の
わずかな呼吸さえ止めてくれない、
言葉を失って久しい母の
よごれた利き腕が
さらさらと赤い砂になって
窓辺からの風にさらわれていく、
青い血液の枝が渦を巻く、
罪はゆるすことも、
ゆるされないこともなく、
ただ窓辺から空の水際へと
さかしまに投身自殺を繰り返す、
繰り返す影色のとりの、
はねが、さらさらと赤いすなに
なって、かげはかげを
映せないから、といって、
さかしまにとうしんじさつを
する、めいし(たち)が、
絶えるから、絶えてから、
それでも、変わりはない、
といって、ははの細い首に、
ゆびを絡める、はくちゅうに、
ははの、となりに、
今更、立ち尽くしている私の、
私の身体は赤い砂にかわる、
わたしのからだは赤いすなにかわる、
(凪いだはずのかぜにさらわれ、)
ははのはな、(留めて、)
ははのはね、(留めて、)
ははのはは、(留めて、)
物語性は、
血を吐いて横たわっている、
乱立する白い建物のひとつで、
(あちこちで、)
ひのてがあがる、
つめたく燃えるみなそこ、
うでを伸ばす、
おとが鳴る、(途端に、)


ただひとつの自殺は
既に遂げられていたのだと
気づく、陽が、
暮れることのない窓辺で、
私の、母に似た、
ははの、
瞳の、深淵の、
水のなかで泳ぐ
日本語たち、


黎明の背中が
裂けては産声が響き、
またひとつ、またひとつ、
手折っていく、水際から、
ぱらぱらと赤い砂がおちて、
しだいに、罅割れた
タイルの街に積もっていく、


(影絵はより大きな影絵の逆光へと呑まれ、
記号はより大きな記号の失語の前に無力だった、
だった、と、こうして、
語りはじめたきごうが、
ぱらぱらと空から降る、
降ってくる、豪雨する、
そのさなかで、夜を待つ、
待つ私の、青い血の飛沫、
ひらがなが洪水する、
洪水する、母が、
翳した、利き腕から、
ひらがなが洪水する、
わたしの、
背中から、ひらがなが、
洪水する、まるで、
とりのはねみたいに、
すみずみまでゆきとどいて、
母が、母する、母に、
かしずく、鳥の生身だけが、
赤い血を流している、
ちを、流す、という祝日に、
かしずく、わたしの生身が、
あたりには散乱している、
産卵している、)


昏睡と覚醒の波を描くようにして
凪いだ風にまどうカーテンの
はざまから片翅の黒蝶があらわれ、
ははのはなに留まる、
ははのはねに留まる、
吐血する、
ははの口からは、
青い液体が垂れている、
音もなく黒蝶はそれを吸う、
ははの、ははの、ははの、ははは、
街の正しさを水で充たしていくから、
乾いてしまったははの身体は、
水から逃れるようにして、
みずから空の深淵へと
さかさまに投身していく、
落ちていく、
(わたしはそれを観ている、)
よく晴れた日、(豪雨、)
水面にぷかぷかと浮きあがるははの、
とりの、平たいからだ、(影絵、)
それを底からわたしは見上げ、
また、しだいに浮かび上がっていくわたしの、
ははの、とりの、平たいからだを、
こどもたちが底から見上げている、
(それはわたし、)(あなた、)
(ひらがなが旋回している、)
(流転している、)
鳴りやまない雨音が、
ゆるやかに肥大して、
タイルを打つ、たびに、
あざやかな喧騒を取り戻していく
眩暈のさなか、
母が投げこまれた空、
異形を拒まなかった空の、
正しさ、は、乱れ、
しゅんかん、拡がる、
うつくしい、と、
形容できる、波紋、
音叉の、図形が、
拡がる、空の、枯れ枝を、
見上げ、
呆然と、
意味もなく、
その意図もなく、
鳴く、響く、
がらんどうの、
タイルのまちの、
元の高さに、
戻っていく、
正しさへと、
浮かびあがって、


 

文学極道

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