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黒沢 - 2011年分

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


限界庭園

  黒沢



蜜の、臭いの漂う限界庭園には、陳列された躑躅のサンプルがあり、押し黙った庭師が敷地をあるく。初めに映し出されるのは、手。接写状態の、傷だらけの手のしわ。老いた猿の知恵深さと、ヒトの狂気と、神の精密さをあわせ持つ。続いて、突如、遠景であるはずの容れものが、つまりは、この限界庭園の全体が、ぼやけて不確かな像を結ぶ。あらかじめ、定義された大気が動き、花粉や虫の糞やらを、あらぬ方位に運び去っている。

ひとつの躑躅をしらべ終わると、次の躑躅が、拡大して顕れる。限界庭園には、近景と、遠景しかないから、視覚は、常に極端をスイッチする。庭師の手は雨垂れに濡れ、断続的な、時の侵食に奇しくも犯されて、架空の神の、魚眼レンズとなる。ヒトにとっての、悔いとなり得る。

ところで、更なる次の躑躅のサンプルは、突如、花ひらく。それから、限界庭園のかたい石床の、水溜りへと花びらをばら撒く。蜜の、臭いで雨を閉じ込め、葉むらの構造の深い底で、夢をむさぼる。青いビニールで補完されている、庭師の極めて長躯のからだ。雨を吸いこむ株の向こうに、それが遠景で時おり見える。温帯の、豹やライオンが持つ疲労尿素と、気高い孤独とが、来園者の胸を打ち、愕かす。

透視図法の、雨垂れの連続は、残酷な手つきでこの限界庭園を、猿と、ヒトと、神がなすこの無意味な実験を、始終、飽きることなく包囲し続ける。雨が弱まると、庭園の敷地の限界が、音もなく膨らむ。雨が強まると、魚眼レンズごしに見た曇り空は暗く、庭師、ライオン、神、来園者、躑躅までを含め、すべてが定位して怖ろしくひき締まる。

さて、終りの躑躅のサンプルは、だんだんに巨大化を止めない。限界庭園にとっては、危機とも、久遠ともいい切れる、あの庭師のビニールの青。ぼやけたそれが近景となる。雨垂れに犯されると、多くの花が、突如、震える。猿の手が、均一に育て上げたあり得ない球。株分けに、株分けを重ねた、躑躅のコピー。いちいち、雨をはじく花びらの芯が、限界庭園の近すぎる空を、勝手に夢見ている。密生に、密生を重ねた大気の密度が、雌しべのひとつに、接写していく。別の、来場者がとおり過ぎ、庭園の記録に改行を増やす。最後に映し出されるのは、手。老いた猿の知恵深さと、ヒトの狂気と、神の精密さをあわせ持つ、という。


亡国

  黒沢




あけ方 火の柱が
空を訊ねるにの腕に見えて
ドアの外では
途が
焼かれているのかと思う

食器
羽をぬらす鳥
みずは地下茎となり
吃音となって
やみへ ひろやかな波形図へと至る




目が、暗たん
という 
非対称は気にしない

焔がはやく 侵入してきて
とまった舌や
雨の予兆を
他愛なくそして生ぐさく思った




今度うまれ直したら 
マジシャンになって 恥じらい
みたいな
悪い 
布でまどを被うの

私は ひと、
となり
よび名を塩ぬきされていく 
真昼のふれる月なのか




目を 見かえすと光りが溢れ
みず雲がはしるように
時間が煙るから
疲れがおりてきたよと火遊びを中断する
指を別のところへ絡めると
今さらなのねとその目が、移ろい
教えが嘘だったらしいとシーツの端に
浅ましい言葉たちを隠した
羊飼いになりたかったけれど
治めるべき故国も
暦すらも持たないから
ふいに誰もが
死びとみたいだと愕いてしまう
光りが溢れてくる
直ぐにそれらが失調することを知っている
居眠りのため
そっとぜん身をずらしていくと
これでもかと、何処かに墜されていきそうだ


シナガワ心中

  黒沢



星が、縺れ
ひきつりながら後退していく
瞳の表てに 何かが
写り、
母と呼ばれる無限のそうしつの
暗いどよめき

― 私と貴方は、同じ階段を、べつべつに下りていく。
上空、どれほどの高さだったか。ほそ長い階段が、ぶきように延ばされた飴細工のように、闇を伝い、宙づりの影を縫って、彼方の市街地へと下降している。色とりどりの立体灯火。貴方は途中、何度も足をやすめながら、軌道の向こう、 滲んで見える品川の全景を、しつこく指差した。



もう 此処でいいですか
かあさん やはり違うんです

― 風が、うごく。
予想外の焦点のゆれ。遅れてきしむこの階段を、何時から下りはじめ、いつになったら、私と貴方は辿り終わるのか。それを考えるにつれ、謂れのない疲労を感じた。

此処でいいですか



年老いた彼女は、汚れの目立つ手すりに掴まり、己れの足運びを何度も反芻して、思い返すみたいに、時間をかけて前へ進んだ。

息をのむ近さで、馬や、ラクダや、いて座や、近未来や、有り得ない生きもの達の星座が流れ、右やひだりを遷移していく。母は時折、見えづらいはずの瞳を伏せ、やみ雲に光りを追いかけて、名前を与える。



教えられる、
発話のしかた
事物の名称
世界のふところ
内奥、
ということ

― 父の顔を捜していた。
彼女に聞かされたその投影は、この上空の何処を求めてもない。あれは、ばら色星雲ですか。私の声を受けて、母がかさねる。あれはお前に、ずっと昔にくり返し教えた、にくの欠片。



かあさん やっぱり違うんです

階段は品川の、時代遅れのネオン街に下りたつ。地上で立ち止まると、却ってぐらぐら視線がみだれた。かあさん、少し、よりすぎだよ。

― よりすぎですよ。
パチンコ屋の裏口が見えた。仕事を終えた勤めにんやら、休憩時間の店員やらが、ごみのバケツを覗き込んでいる。電線の向うには、曲りくねった化学照明が吊るされていて、夢の名残りを辺りにばら撒く。かあさん、ここではないですからね、私は先回りした。



明りのなかで見ると、貴方はぞっとするほどの生めいた瞳だ。水の淡いで星が泳いでいて、ゆれやすい生きものを形作る。父ではない、他のにんげんの顔が横切り、私は嫌悪からでなく、怖れのために先を急いだ。地下道にはいる。銀の移動体が通りすぎていく。列車、だったか。

もう 此処ならいいでしょう
未だなのですか
はは、とは
彼女は
呼び名ではなく、



改札では、足もとの覚束なかった彼女が、今では黙って後ろを歩いている。地下道は、線路を伝い、行方のわからない排水溝や、非常経路を縫って、もう暫らく続くのだろう。見しらぬ花が、咲いている。私はそれに言及しない。綻び、きえた風の見取り図。頭上で駅員のアナウンスが、ひずんだマイクで拡大された。

― 暗いどよめき。
終端にきて、地べたのマンホールをずらすと、また、内奥から闇があらわれた。私と貴方のうす寒い目前に、べつの階段があり、それは飴細工のように、ぶきように引き延ばされて、さらに深くへ下降していく。かあさん、未だまだ、終わりはこないようです。



星が、見える
生きものは
かたむき 死滅して
渦を巻いている
無限のそうしつと
発話したのは私だったか だれ、
だったのか

おそらく品川のビル群が見える。遥か足下で、識別灯が、気が遠くなるほどの疎らさ、じれるような間隔で、明滅を続けていた。

文学極道

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