#目次

最新情報


熊谷 - 2014年分

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


メアリー・ブルー

  熊谷


突然リビングの火災報知機が鳴った
あわてて外の様子を見ると
真っ黒な猫がさっと走っただけで
変わった様子は特になかった
どこかで起こっているはずの見えない火の気は
映画のなかのワンシーンで
燃えている家の前でピースサインをしていた
あるアメリカの唇のぶ厚い女優を思い出させた
その女優はたしか「メ」から始まる名前だった
だけど今はそんなことを
思い出している余裕はなかった





保険会社ではたらく彼女は
地味な見た目と裏腹の
きらきらした名前がつけられていた
なかなか人の名前を覚えられない僕でも
君のことはすぐ呼ぶことができた
どんな保険に入ればいいのか迷っていると
あなたにどんな不幸が起こるのか
分かればいいのにねえと言って
にわかに微笑むばかりだった
ところで君はどうして
僕なんかと結婚したいんだろう
プロポーズされた返事をすることができずに
月日が経ってしまっていた





真ん中に出てきたタロットカードは死神だった
占いのことはよくわからない僕でも
きっと何だか良くないということは伝わった
東京郊外にある駅ビルの
レストラン街にあるさびれた占いコーナーだった
当たり前のことをあたりまえのように
中年の太った占い師は忠告して占いは終わった
だけど問題は当たる当たらないではなかった
この日この瞬間、このカードを引いたという出来事は
現実として起こってしまっていた





寝巻きのままケータイと通帳とはんこだけを持って
玄関に飛び出ると
駐車場から煙があがっているのが見えた
君の微笑んだぶ厚い唇と
占い師のたるんだ頬をふと思い出す
雑誌が燃えていたんですってねえ
という近所のおばさんの話声が聞こえた
野次馬に混じって現場を見てみると
結婚情報誌が半分真っ黒になっていた
Marry Me?という表紙を見て
あの女優の名前を思い出した
彼女の名前はメアリー
けれど何だかまったくすっきりしなかった





君の申し出を受け入れる理由も
断る理由も、どちらも見つからなかった
死神のカードを引いたのも過去のはなしで
放火の犯人も未だに捕まらなかった
わかっているのは
あのメアリーという女優は
年上の男と結婚しDV被害にあってから
まったく映画に出なくなってしまったということだけだった
今日は久々に君とデートの待ちあわせをしている
待ち合わせに5分遅れて走ってきた君は
いつも通りの満面の笑みだった
ごめんね、料理中にやけどしちゃって
手当てしてたら遅くなっちゃった
と言った君の左手には包帯が巻かれていて
くすり指には黒猫の指輪がはめられていた


A whole new world in the hole

  熊谷


色とりどりの火花と
生まれたての瞳がひらく
鳴り響いた大きな音
暗い夜は何だか怖いから
泣くか笑うかしてないと
赤ちゃんは落ち着かないようだった
だいじょうぶ
君はきっと大丈夫と言って
ひだり手を離された
ぱらぱらという音をたてて
輝かしい金色の火薬は散った
こどもが欲しいと言ったあなたが
子供みたいな私の手を
つかんで離して
息苦しく生ぬるい
若すぎた夏の焦げた匂いを
二度と忘れさせないようにして
二度と目の前に現れることはなかった
そうして静かになった夜に
赤ちゃんはようやく
眠りにつくことができた





こころに空いた
真っ暗な空間の
その穴からあなたがひとり残って
残業しているのが見える
一通り手術のリスクを
説明し終えた医者は
「元恋人の残業が終わったら
手術を始めます」と言って
承諾書にサインを求めてきた
積もり重なった悲しみに
赤ちゃんはとうとう
眠りから目を覚ましてしまった
そうしてプライドが高い私は
あなたの名前が書かれるはずの
すべての書類に
自分の名前で署名をしてしまった
今すぐ、塞いでほしい
生まれたときから空いていた
心臓の小さな穴を
真っ黒な空間を





赤ちゃんは心臓に穴が空いている
という重い病気を抱えていて
あなたは納期が近い
大事な仕事を抱えていた
終電の時間が近づいても
家に帰ることはできなかった
花火を見に行ったのが
結局最後のデートになったのだけれど
あの日よりもずいぶん
髪の毛がボサボサに伸びていた
このままでは手術が始められない
と焦っていたら
「では、あなたの手術をしましょう」
と言って医者は
聴診器を胸にあて始めた
触れたところから焦げ臭い匂いが
診察室に広がっていくのを感じた
「とてもきれいな花火を見たんですね」
と医者はつぶやいた
開いたものはいつか閉じていく
そうして赤ちゃんはまた
眠り始めようとしていた





誰もいない過疎化した街の
さびれた観覧車に
赤ちゃんは乗っていた
回転する余命に
あわせるようなスピードで
だいじょうぶ
君は大丈夫と言って
小さなみぎ手を握りしめた
こどもが欲しいと言ったあなたは
残業に疲れ果てて
奇妙な夢を見ていた
海外出張で飛行機に
乗らなくてはいけないのだけれど
チケットをどこを探しても
見つけられない夢だった
あなたは呆然と
飛行機に乗っていたはずの
あなたを想像しながら
夢のどこかで
ひとり取り残されていた
チケットはきっと見つからない
なぜならあの時すべて
あなたの名前の書類は
私の名前に書き換えてしまったのだから

観覧車の向かいには
海が広がり、そして朝日がのぼる
手術は必ず成功することになっている
あなたが乗ろうと乗らまいと
飛行機が空高く飛ぶのと同じように


お化けになりたい女の子のはなし

  熊谷


 お化けになりたい女の子は、いつかお化けになれることを信じている。そのうち消えると思っている右足と左足を切なく見つめて、君たちのことは忘れないからね、などと言ったりする。その割に、オリンピックよりパラリンピックに興味があって、車いすバスケットボールの試合を見ては、感動して泣いたりしている。僕がいじわるで、君の右足と左足をあげたらいいんじゃないかな、などと言うと、50m走なんか10秒もかかってしまうから、人にあげるシロモノではないし、むしろ世界中から見放された足なのよ、と言う。そうしてまた、それぞれの両足を切なく見つめて、ため息をつくのだった。そのため息がいつか雲になって、しっかりとした形になって人が乗れるくらいの大きさになったら、いつか君を見放したはずの世界中を、今度は君がその雲に乗って旅行するんだろう。君が望んでいるのは、お化けになることじゃなくて、きっとそういうことなんだろう?



 お化けになりたい女の子は、早く大人になりたいと思っている。金曜日の夕方ドラえもんを見ながら、若い子なんて未来に置いてきて自分だけ勝手に年をとりたい、他の人より速いスピードで年をとる道具を出してくれないのかなあ、などとワガママを言ったりする。そのくせ僕が録りためていた映画を早送りで見ていたりすると、その時間の使い方は何もかも損している、と怒ったりする。燃えている家の前で金髪の女優の笑う演技が、この映画の中で一番の見どころなのよと言って、そのシーンまで巻き戻しをしたりする。不吉なその表情の何が良いのかが分からなかったが、それを見てる君の横顔はお化けというよりも、ふつうの女の子にしか見えなかった。君は不幸とか不吉とか、そういうものをいちいち確認する癖がある。つまりそれって、何よりも幸せな女の子を意味するということを、君は一体いつ気がつくのだろう。



 お化けになりたいということと、死にたいということはイコールじゃないって君は言う。僕はそれがどっちかなんて、はっきり言ってどうでもいいと思っている。例えば、夜に君が目を閉じて開けるまでの間に、世の中で何が起きていたのかなんて知らなくていいし、脱法ハーブはどんな味がするとか、溺死した死体がどんな状態になってしまうとか、アルツハイマー型認知症になった母親がどこをどう徘徊するとか、浮気相手の性器に父親がどんな顔で自分のそれを出し入れしているかとか、君はいちいち真面目だからそういうことをちゃんと知ろうとするだろう。それを知らないでいるという選択肢があるということ、そして知らなくていい権利があるといことを、ちゃんとわかっていてほしいんだ。だって君は死にたいんじゃなくて、ただ単にお化けになりたいんだろう?そうしたらもう考えるのをやめて、早くお風呂に入って眠るといい。そうしたら、君は夢の中でお化けになれるかもしれない。



 お化けになりたい女の子は、本当はお化けになんかなれないことを知っている。騙し騙しやって積み上げてきた自分というものに、お化けになれない女の子がふとした瞬間とり憑いて、君は不安でいっぱいの表情になる。そうして、いろいろなことを少しずつやめていっていいかなあと言って、君は泣き出す。きのう見た映画の女優ばりの演技だったけれど、君は君が望んでる早送りも巻き戻しもできない場所で生活をしているんだよ。いくら君が真面目な生活に疲れ果てて、仕事をずる休みして昼夜逆転の毎日を送ったとしても、世界は君が死ぬまで絶対に見放さないし、しっかりとした形の雲は君を乗せることなく土砂降りの雨を降らせるだろう。そんなときは、雨が上がったころに夜空を見つめて、自分の星座がその空のどこらへんに輝いているのか確かめればいい。そうしているうちにだんだん眠くなってきて、結局君は自分の星座を見つけられずに、夢も見ないで眠ってしまうんだろう。それはそれでいいと思う。そうして目が覚める頃にはまた、お化けになりたい女の子にきっと戻っているのだから。

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.