#目次

最新情報


桐ヶ谷忍

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


「花の骨」

  桐ヶ谷忍



なぜ、花には骨がないのでしょう
  

僕が持ってきた白百合を
すっかりやせ細ってしまった両手で持ちながら
真白い部屋の中央に置かれたベッドの上で
半身だけ起きた彼女はそう呟いた

僕は一瞬、冗談かと思ったが
彼女の顔に笑みはなかった
植物には植物の機能があるから、と
答えにもならない返事をしたが
彼女はうつむいたままだった

もし、花に骨があれば
こんな風に切り売りされることもなかったでしょうに

常人の声の大きさではもう話せない彼女のしずかな声に
僕は戸惑うことしか出来なかった
見舞う度に少しずつ影の薄くなってゆくような彼女は
ふと、ちいさく笑んだ

もし私が次に生まれ変わることができたら
骨のある花になりたい

僕はぎくりとしてしまった
取り繕うように苦笑する
花なんかになったら、
と言いかけて口をつぐむ
花なんかになってしまったら、すぐ散ってしまうじゃないか
代わりに、なぜと問いかける

花は
花というだけで愛されるでしょう

白い部屋
白いシーツ
白くなってゆく彼女
僕は首を振った
君だって、充分に愛されているよ

彼女は僕を見つめた
そして僕の後ろの窓の外を見やった
彼女がこの病室で過ごし始めたのは春だった
今、窓の外は初冬
季節を移ろうごとに彼女を見舞う人は少なくなっている
彼女の、両親でさえ

ひとりでもうつくしく咲き誇って、潔く散る
花になりたい

違う、と言いたかった
君をひとりさせてしまっているのは
日々見舞う人が足遠くなってゆくのは
君が愛されてないからじゃない
愛されていればこそなのだと
愛されていればこそ
君を見舞うのが辛くなるばかりなのだと
けれど
僕には、何も、言えなくて

骨のある花に生まれ変われたら
無下に手折られることもないでしょう
そうして
短い命でも、私、納得できる

無表情を保つのが精一杯の僕に
彼女は白百合を差し出した
花瓶に、と言いかけたその手の百合の花びらが
一枚
ほとり、とシーツの上に落ちた

彼女は無言で
その一枚を摘むと
しずかな一息をはき
窓から放って、と言った

僕は言われた通りに
その一枚を窓の外に放した
花びらは風にそよいで一瞬上昇したものの
ひらりひらりと
病院を囲むように植えられた花々の中に
落ちていった


水鏡

  桐ヶ谷忍

梅雨の晴れ間の夕暮れ
灰色の路地に
茜色の空を映した大きな水溜り

跨げずに立ち止まると
水溜りの中に鳥がいた
電線に止まっているのが映されている
羽を広げては閉じていて
飛ぶのか飛ばないのか
飛べないのか
焦れながら見ていてふと気が付く

眉間に力を入れている
慌てて力を抜く
眉間にシワを寄せていたら、取れなくなってしまう
私が子供の頃から
喧嘩ばかりしていた両親の眉間は
鬼のようにくっきりとシワが刻まれている
あんな風にはなりたくない
いいやなるものかと
私は微笑んでいるよう心掛けている

そうしてまた気が付く
今日も一日、シワが寄らないように寄らないように
のっぺりと笑って過ごした事を
昨日も一週間前も十年前も
のっぺりと
顔に手を遣る

自分がどんな顔をしているのか分からない
水溜りに向かって顔を突き出してみた
真っ黒な顔だった
シワどころか目も鼻も口もない

真っ黒に塗り潰された顔だった

逆光だからだ
橙が強すぎるせいだ、だから
その時、鳥が私の顔を突っ切って行った
飛べたのか
なぜだか悔しくて情けなくて
こわくて
衝動的にヒールで思いっきり水鏡を割った

飛び散ったひとつひとつの飛沫に
私の靴の内側に
黒い顔が映っている
私の
私の顔が、顔は、

悲鳴をこらえて走った

頭上を何羽も鳥が飛び回っている

* メールアドレスは非公開


凍える蝶

  桐ヶ谷忍

夏の終わり

弱々しげな、うつくしいアゲハを捕まえた
微弱ながら生きているアゲハを
私は冷凍庫に入れた
なぜそんな残酷なことをしたのか自分でも分からない
分からないまま翌日
恐る恐る冷凍庫を開けてみる

アゲハは凍っていた

必死に出口を探そうとしたのだろう
開き口の側で壁に張り付く形で凍り付いていた
私は包丁を持っていき
蝶と壁の接合部分をうやうやしく
少しずつ削り取った

冷凍庫で冷やされた私の手の平の上で
凍りついたアゲハを見詰め
何かが可笑しかった
可笑しくて笑った
笑いながら

一気に手の平を閉じた

閉じた手の平を開けると
アゲハの細切れが零れていった
そうして
ようやく何故アゲハを凍りつかせたか
思い至る

夏の終わり
もうすぐ何らかの形で終えるはずだった
アゲハの最期
その、何らかの、どうやって死を迎えるのかを考えると
私には耐えられなかったのだ

うつくしいアゲハ

弱り切っている所を外敵に襲われるのではないか
あるいは人に踏みつけにされやしないか
花の下で安らかに死んでいくのか
分からないからいっその事
うつくしいまま

殺してしまった

私は床に落ちたアゲハの残骸をかき集めて
ユリの鉢植えに弔った
ユリもまた、枯れ始める前に凍らせよう
ぼんやりとそんな事を考える

うつくしいものは
うつくしいままに殺し
ありえない形で死体を壊す
自分の中の冒涜心に初めて気がついた

夏の終わり

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.