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Migikata (右肩) - 2013年分

選出作品 (投稿日時順 / 全6作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


エチュード 1

  右肩

これは、鼓膜が震えている。

連なるということ。
地上を充たすものが
連なって震えを拡げる。

何だ、この幸福は。

エリアの片隅で
大きな動きの余波を
耳に
受けること。

目の前が暗くなるほど、幸せ。

それ。

ガラス窓で
しわくちゃに乾いた葉っぱの
死骸が、
枝を離れようとしている。

それ、を聞いている。

枝。
または一本の棒といい
あれも
死んでいる。


LED(或いは「雪の砂漠」)

  右肩

 一人で車に乗ってショッピングセンターにやってきた僕。その僕と、僕に直接の関係を持たないが、僕とよく似た環境を共有すると思われる人々。ここにいる個々人を一括する、浅いが広範な関係性。
浅き心を我が思はなくに、と。
時間に映り込んだ影。それを覗くために、僕はここに立っている。
 僕は騒がしさを抱えていた。
僕は一人で歩き、立ち止まり、何も言葉を発していなかった。
しかし、センターの流す音楽や呼び込みの声、家族連れや友人、恋人同士の会話に紛れて、マクロな視点から見れば、確かに騒がしい群衆の一部をかたち作っていた。僕は僕自身の意識に関わりなく、非常に騒がしい僕だった。
 僕は切れてしまったベッドサイドの読書灯の電球を探そうとして、
(電球はないか、電球はどこだ)
と頭の中で喚き続けているのだから、自らそう規定してみせることに抵抗はない。
電球はこの広大な売り場の何処かに特定の位置を持ち、流通の関係性の波に乗って時間の海を遊弋している。つまり、空間的には安定しているが、時間的には不安定であることになる。今はどうしようもなくそこにあるものが、いつかどうしようもなく移され、売られ、捨てられる。
美しい。
「何だ、俺のことか、それは」
と僕の傍らを通り過ぎながら、数人の若い男たちの中の一人が言う。僕は動揺しない。それが僕とは関係のない、彼らの仲間うちの会話の断片であるとわかっているからだ。男はフリースの上から赤黒いダウンジャケットを羽織っていた。スニーカーの足元にソックスが覗くほど、丈の短いパンツ。
どこか非常に近いところで、固いものを噛み砕く音がする。フードコーナーから油の臭いがしてくる。昨日の淵ぞ今日は瀬になる。
飛鳥川。
ここからもう少し遠いところに、川が流れている。
 南の突き当たりは、嵌め殺しのガラス壁。僕がその前に立つと、僕の傍らの床に、一本の長い影が伸びている。それが周到に用意され、この世に送り込まれた奇跡の一つであること、そのことが段々とわかってきていた。
そういうふうに作られているからだ。
携帯電話のキャリアチェンジや、海外旅行の申し込みに来た人々が、一瞬その影に貫かれ、もちろん表情に何の変化もないまま僕の傍らを歩き過ぎて行く。奇跡とはそういうものだ。みんなもとへは戻れない。
それは木の十字架の影ではない。
銀色に塗られた金属製のポールの影であった。センターの前庭に立てられ、剥き出しのスチールワイヤーが二本、上下して張り渡されている。雪はそのワイヤーとワイヤーの間で降っている。それはここでこの時に降る雪ではないので、目を凝らしても見えてこない。「ワイヤーとワイヤーの間」、そんなものはどこにもないと言った方がむしろ正しい。
 だが、僕は逃れようもなく「ワイヤーとワイヤーの間」にいて、息もつけないほどの激しい吹雪に巻かれている。吹雪で遮られた視界に唯一、LED電球が煌々と光を放ち僕を導くのだ。僕は取りあえずここを離れ、電球を買いに中央エスカレーターを昇ればいい。(これでいいのだ。)
暗きより暗き道にぞ入りぬべき。

 だから、遙かに照らせ。


静物の台座

  右肩

彼女は石膏で、ものを置く台座を作るのだ
バナナだとか、オレンジ、ブドウ
静物画の題材となるような果物を置きたい、と言う
四肢のないトルソを更に切り詰めた、女性の下腹部だけの形
そんな格好をした台になるの、と

秘密だけれど
部屋の椅子に裸で座って
自分の性器をじっくり見たのね、鏡も使ったのよ
指で
開いたりつまんだり、色々とやってみて
一番ぐあいの良いところを作ってみることにしました
おへそのだいぶ下、腰椎の終わる辺り、そこから体が器になって
皿状の浅い凹面にものを載せるの
色々載せて試してみたいな

尿道口か、膣口から
香油のようなものが滲み出る仕掛けができれば
面白いけれど
そこまでやったら、さすがにあざといかな
要は体から分泌するものと
載せてあるもの、果物などの匂いが入り混じった幻臭を
みんなに感じさせられたら、それでいいんです

アトリエの窓に引かれた白いカーテンから
春の午後の光が溢れている
彼女は椅子から立ち上がって
僕の周囲を歩き回って見せた

私とモノが繋がっていることが大切
石膏の台座を誰かが見ている間も
こうして動いている私の性器は
ちょっとずつ形や湿り具合を変えながら
日常の流れの中で老いていく
変わらない石膏を通して
変わる私のことを、みんなが見ているのね
それ、
どう思いますか

そんなふうに聞かれて目を覗きこまれた
もちろん僕は困ってしまう
僕は椅子に掛けたままだから
正面に立ち止まった彼女の
腰の辺りが、丁度
目の高さになっている
現実の肉体は襞の深いスカートと
その下に重ねたロングパンツに隠れているが
ペニスの勃起を、どうしても
僕は止められない
ただし
もうすぐ二十五歳になって
何人かの男性経験を持つのに
男たちは誰一人、彼女の体にその痕跡を残さない
透明な影だけが、通り過ぎてはただ消えてゆく
その体
僕と彼女が肉体関係を結ぶことは
一〇〇パーセントあり得ない
彼女は僕を愛の対象として見ていないし
僕も、そこをどうかしようとは思わないからだ
なんと優雅な
孤独とは本来こんなふうに
優雅なものなんだ

ルソーのジャングルへ行きたいな
赤っぽい熱をはらんだジャングル
果物や動物たちがみっしり詰め込まれた土地
その中を私、ひとり川船に乗って流れるの
私の子宮はからっぽで
月に一度の血を落とすだけですけど
バナナやオレンジやブドウや
この世のものならぬ果実の甘さが
快感となって渦巻いています
気持ちよさに絶息して漏らしたおしっこが
たらたらと床を流れるような川
目をつむって横たわったまま
快楽の川をボートで下ると
岸辺では
黄金の猿が鳴くんですね

僕は立ち上がって
アトリエの窓辺に立った
カーテンを少し引いてみると
暮れかかった陽射しに
数本のサクラの木が枝を広げ
まだ固い蕾を光らせているのが見えた
庭の向こうにコンクリートの塀があり
その向こうは崖になっていて
遠い海の方角へ
この街の家並みが延々と続いている
僕の後ろには
作業台に乗った粘土像があり
陰唇の半ば開いた女性器が形になりつつある
その脇に彼女が立ち止まっているのがわかる
アップした髪のあたり
彼女の首筋の細い後れ毛は
今金色に輝いているのだろう
僕はそのまま目を閉じてみた

もう一度言うと
孤独とは
こんな優雅なものなのだ
僕にも
彼女にも


感情

  右肩

紙カップのヨーグルトと
バターの入った箱の間に
完熟した大きなトマトがあり
冷蔵庫を開けた手が
それを掴んだとき
わずかに指が沈み込む、赤い柔らかさ
その指がどうも僕のより
ずっと長く綺麗なもののように思え
逃れられない痛みが
怒りに似た感触で甦ろうとしているけれど
指が本当は誰のものであるのか
それが思い出せない

五年前、半年ほどブダペストに赴任したとき
空港へ見送りに来た同僚の中に
荻野さんと並んで立つ三崎さんを見た
つながれていた二人の手、三崎さんの指
その時の記憶かも知れない
それから三ヶ月ほどして二人は入籍した
僕が向こうのアパートで
ベーグルをかじって暮らしていた頃だ
少し先の、そんな未来を予感しながら
空港で見た三崎さんの指の形が
甦って僕自身の指に重なっているかと思ったが
そうでもないようだ

帰国途中に寄ったパリで
藤田嗣治の回顧展にあった絵
そこに
面相筆で描かれた繊細な輪郭線を持つ女性の
アンバランスなまで大きな手を見た
それかもしれない

絵の中に小鳥が飛んでくる
この絵の二十数年後
日本に帰り戦争画を描いた藤田は
戦後のバッシングで祖国を追われるが
既に鳥は未来の怒りと絶望を咥えて
天平の菩薩像のようにふくよかな
女の手にとまっていた
僕の感じた痛みは
手の印象に藤田の感情が憑いたものか
どうか

一週間ほど前、僕は夢を見ていた
画用紙に美しい線で描かれた手が
僕のペニスや睾丸をどこまでも
白く柔らかに押し包む夢だ
目覚めると実際にそこにある手は
僕のもので、僕はしげしげと
夢に対して圧倒的である現実を
見つめた
行為のあと
萎縮した僕の性器を
掌で包むようにするのが好きだったのは
三崎さんだったが
僕は彼女の愛を失い
「お世話になりました」
とボールペンで添え書きされた入籍通知の葉書が
まだ机の引出にしまい込まれている

今、僕の手は
水の張り詰めたボウルへ
トマトとキュウリを沈め
表皮の感触を確かめながら洗っている
強からず弱からず
指で揉み、
擦り、
洗う
処理できない感情と向き合っている
僕の感情のようだが、僕のではないものだ

このキッチンの窓の向こう、庭の隅で
遊びに来た三崎さんが鳥を見つけたことがある
「この子
 ホオジロ?
 ホオジロかな?」
と彼女は言った
もう小鳥はどこにもいないが
未来の感情
未知の感情を咥えて
またやって来る
僕の掌へ
これを読む君の手元へ
たぶん、鳥は何度でも


怯え

  右肩

 捩れて落ちているビニールの袋のようなものを、立って見ていた。それは皺の寄ったメロディーだった。それは文字らしいものを変形させて露出と隠蔽のリズムを奏でていた。また、それは凹凸によって構築された光の明度の差異を外形として造営された小さなカテドラルだった。祈りなさい。空気が移動するとそれはまた簡単に転覆し、大手食品会社が製造する菓子パンの袋に戻っていった。戻りながら四つの座標軸に指定された特定の位置から遠ざかろうとするように思えた。だが、違う。メロディは時間と空間の軸をずらして鳴り続け、何かの、完成した楽曲の総体から解体され続けている。だから僕はほぼ十年が過ぎた今、それを思いだし怯えている。聖歌。神は確かにいるが、その座は空白であり、形の失われたカテドラルにはやがて蝿がとまり脚を摺り合わせたであろう。僕はその場面を見ていない。もしそれが実際に起こった事実だとしたら、「ほぼ十年」と語られる時間経過の中の微細な皺の中に、もう埋もれてしまっている。埋もれてしまっているはずだ。奇跡は微細な時間の襞に潜って、僕の視線の追求をかわし続けている。商工会議所として建てられ商工会議所として使われているその建物の正面の空間に、門塀に囲繞されたアスファルト舗装の駐車スペースがあり、おそらくそれは十年くらい前の八月下旬あたりにそこに転がっていた。だが、その事実は僕の視界を塞ぐだけであり、信仰に関することどもについて、明晰なるものは何一つ示されない。僕は怯えている。


夢の中で何度も繰り返しながらその都度忘れてしまう「僕」の体験

  右肩

 四つ辻を過ぎるとどくだみの茂み。花が白い色を放射している。花は重なっている。
その西角、垣根の奥に、土壁の崩れた旧家が建つ。

 この家は、先祖が撲殺した馬に、代々祟られているとのこと。
一族の誰一人として五十歳まで生きた者がいない。しかも、事故死や業病による最期ばかりだ、と。

 先代の当主は五十歳を目前に、浴衣の紐を鴨居に掛けて首をくくった。
生涯独身であった。
家系は絶えるはずであったが、嫁いでから亡くなった妹がいて、その子どもがあとを継いだ。

 数日前、床屋が僕を調髪しながら鏡の中からそう話していた。僕は散髪用の椅子の上、半眼で、うとうとと話を聞いていたのだ。
顔を剃るから首をねじってくれと言われて床を見ると、頭髪の切り屑の広がりの中に血だまりがあった。しかし、すぐにそれは光の反射による誤認だとわかった。
 たぶん誤認だった。

 その時の浅い眠りが未だに心身を蔽い、僕の意識は朦朧としている。

 苦く臭う草むらの向こうの大きな木造平屋建。いつしかそこを垣根の隙から覗いていた。
昼下がりの直射日光。雑草が繁茂する庭と傾いた家に、暗い輝きが宿る。

 風景はエロチックに穢れている。

 建物の手前、人影が中空に表れ、煙のように流れ、消える。
誰でもあってもよさそうな、誰か。繰り返し、現れ、現れる以上の数で、誰かが消える。

 そんな気がする。
 そんなでもない気もする。
 どちらでもない気もする。

 混濁は快感だった。そこへ実在の核心が白い指のように僕を撫でる。眠れよい子よ。
だが、指ではない。指には見えない。

 感覚と感情と思考とが、熱を持って分厚く重なる意識の襞。薄桃色の襞。
 柔らかに襞を押し広げて物語の指が動いてくる。
 隠された記憶の空穴が開かれ、生暖かい恐怖のエッセンスが噴きこぼれてくる喜び。浮かされて視界が濁った。

 「その家、木村さんと言いますね?」と僕は床屋に聞いのだった。瞼の上あたりを剃られながら、「失礼しました。お知り合いでしたか?」と聞き返された。

 二十年ほど前、僕はこの町に住んでいた。陰鬱な谷間の町。幼かった僕はこの家の先代に抱き上げられたのだ。こいつが俺の子だったらなあ。両手で高々と僕をさし上げ、彼は明らかに怒気を含んだ声で言った。僕は泣かなかった。男の顔は記憶にない。僕の背後で母が冷たい笑いを浮かべるのがわかった。この商店街の路上だった。

 ほんとうにそんなことがあったのか。
 僕に母などいるのか
 僕はほんとうに生きてここにいるのか。

 特に何ということもないが不安になる。
 昔、馬を撲殺した棍棒が、血の跡を黒ずんだ染みにして、ごろんと転がる場所がある。
 どこかにある。
血を吸った棍棒は黒ずみ、節々の凹凸は摩耗して滑らかである。握りには朽ちかかった荒縄が巻かれているかも知れない。鵯が留まりにやってくる。棒も飛行の可能性を持っている。
 棒だけではない。記憶も飛行するのだ。

 僕は僕を信用してはいけない。記憶も理性も羽を生やして行ってしまった。

「お先に失礼します」

 僕もまた不信という靴を履き、絶望のバッグを肩に掛けよう。
出掛けるのだ。

この町に長くいてはいけない。

 そんな気がする。
 そんなでもない気もする。
 どちらでもない気もする。

文学極道

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