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Migikata (右肩) - 2011年分

選出作品 (投稿日時順 / 全8作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


キューピーと

  右肩

 君と歩くと、皆にこやかな表情でこちらに目配せをして過ぎます。名前も知らない人たちだけどいい人たちだ。僕も軽く頷いたりして挨拶を返す。なぜだろうね。こんにちは。
 君は首のもげた大きなソフトビニール製のキューピーです。肩の間から穴をのぞき込むと、中に油の浮いた水が溜まっていて、陽の加減で虹色の反射が見えてくる。君が何かを話そうとするとちゃぽんと音がする。君、何をいいたいんだろうか。まったくわからなくて僕はつい笑ってしまう。ちゃぷん。しかし僕の笑いは君の笑いです。
 日干し煉瓦を積んだ家が果てもなく続き、狭い路地に日が当たったり翳ったりするけれど、実際仰いでみて空に雲があった試しはない。総ては人の妄想に兆す影なのだ。影。建物の伸ばす影、黒い折り紙を乱雑に重ねる影の輪郭。そこを外れると、太陽がそのまま零れてきて煎餅のように砂地を四角く灼いている。
 影からも光からも、目を離したわずかな隙にたちまちひとつ眼の悪霊が生まれ、溢れる。それは、瑠璃鳥が鳥という形を崩したような声を上げて徘徊する。手の甲や首筋、耳たぶ、鼻、唇。小さいやつらがところかまわず噛み、もぞもぞと下着の中にまで入ってくる。嫌になります。君はキューピーだから煩わされない、そこのところはとても素敵だ。人でなくなったものの美点の一つに数えてもいいと思います。本当だよ。
 忙しく立ち働く人たちもいる。座り込んだり、寝転んだり。思い思いの姿勢で、濡れたものが乾くというただそれだけの時間をやり過ごす人もいる。唐突に走り出し、また突然に笑い出す子供たちと、その手を引っ張る母親たちがいる。ここへ今夜、光るものの破片が大量に降り注ぎ、僕らがみな感情からも想念からも物理からも隔たった、冥い粒子の隙間へ追い落とされるなどとはとても思えない。思えませんね。
 短い腕を明るい空へ逆八の字に開いている君、バンザイ。生きものバンザイ。頭の失われた君が愛しい。ぴたり揃えた脚。もの言えばちゃぷんと水が鳴る。僕は何かを思い出そうとして果たせないのだけれど、君が好き。風景の中で僕はやがて消えてしまう町の風の一部です。青い空を翼もなく飛ぶ、夜の予兆が僕です。それが遙か中間圏の静寂から滅び去った世界を顧みているのです。君、違いますか?
 僕は君の失われてしまった大きな頭を抱きかかえるようにキスをする。有無を言わさずキスをするのは、つまり、皆が何処にもないものを愛せるようにするために神様の仕立てた最初の実験体、それが僕だからです。

 いかがですか?返事はいらない。だから黙っていて。しばらくは黙って。僕にこんなふうに、好きに言わせておいて下さい。


白亜紀の終わり

  右肩

 アンモナイトは古生代デボン紀から中生代白亜紀にかけて栄えた後、やがて絶滅した。僕らにも馴染みが深い巻き貝だ。
 「ずいぶん長い期間に渡って栄えたんだけど、白亜紀後期に絶滅する頃には、種としての疲労が溜まっていたんだな。それがこれだよ。」
と、彼は展示されている化石を顎でしゃくった。アンモナイトは通常円盤状に巻いているのだが、その化石は出来損ないのクエスチョンマークのように見える。
 「異常巻き、っていうんだ。絶滅期に特に多く見られる。こりゃレプリカなんだけどな。」
もっとへんな形に巻いたものもあるんだ、と彼は言った。大学の付属博物館でのことだ。
 もう二十年近くも前の話。

 そのことと、彼が死んだこととは特に関係はない。彼は住んでいたマンションのベランダから転落死した。何らかの原因による事故死だとされた。大学を卒業して7年目のことだ。彼は故郷の旭川に帰っていた。葬式に行くには遠すぎる。電話帳の見本文を使って、弔電だけ打った。

 彼の妻が初七日の後、首を吊って自殺したという知らせがあった。
「状況からいって後追いだろうね。」
と僕は麦酒を飲みながら言った。
「今時珍しい話だよ。君は僕が死んだら後を追うか?」
妻は酒が飲めないので、テーブルに両肘を突いてぼんやり枝豆を食べていたが、声を出して愉快そうに笑った。
「ばかね、そんなわけないじゃない。まだやりたいことがたくさんあるから。」
 九月の半ば頃の日曜日。まだ暑かった。彼女の背後に、ダイニングキッチンの南側のサッシが開け放ってあった。雨の上がった後、庭の芝生と、隣家の竹藪の緑がしっとりと濃かった。午後の三時頃だっただろうか。時々涼しい風が入る。姿は見えなかったが雀の鳴き声も聞こえた。彼女は瑠璃色の半袖のシャツを着て、今までになく髪の毛を短くしていた。白い首の長さが目立った。六年間一緒に暮らしたうち、その時の姿が一番印象に残っている。彼女はとりたてていうほどの美人ではなかったが、この時は妙に綺麗だった。僕は、彼女の生涯で最も美しい場面の目撃者になっていたのかも知れない。何ということもないこの瞬間がこれから先記憶にずっと残るとは、その時は考えもしなかった。死んだ友人とアンモナイトを見た時もそうだったが。

 妻はそれから二年後に、交通事故でなくなった。僕のショックは大きかった。加害者である運転手は、向こう側から歩道を歩いてきた彼女がふいに車の前へ飛び出したので避けようがなかった、と主張し続けた。「こちらを見て運転席の私と目を合わせながら、身を躍らせてきたんです。あの人の姿がスローモーションのようにはっきり見えました。」事故の目撃者は居ない。僕の周りの人間は誰もが、運転手の都合の良い作り話だと怒った。彼女はそんな人間ではない、と僕も人にはそう言った。仮に飛び出したのが本当だとしたら、急に目眩でも起こしたとしか思えない。
 だが、信じられないことだが、ひょっとして自分から車の前へ飛び出した可能性が絶対にないとも言えないのだ。それは今となっては確かめようがない。

 そんなことを考えるのは、時々僕自身にも特に強い理由もなく死の誘惑が襲うからだ。三途の川の向こう側には何もない、犬一匹さえいるわけがない、と固く信じているのだが。
 その度に僕は、人類も異常巻きを始めているのだ、と考えてその場をやり過ごすことにしている。そう考えるならば、僕も、死んだ三人も、同じ絶滅の歴史の一部に過ぎない。絶滅の大きな流れの中で、僕らは生まれては消えるミクロの現象である。個体の生死は、白亜紀後期のアンモナイトと同じく、種の衰亡を彩る無数のエピソードの一つに過ぎないのだ。種全体が衰亡すると、死の様相はより内部的要因に特化して、今までよりも多少理解しにくい異常性を帯びるというわけだ。

 どのみち人生に悩むほどの意味なんかない。そのことも素直に納得できるようになった。


テーブルで一人パンを食べるということ

  右肩

 ボーンチャイナの皿を見ている。霜の朝。 皿に、食べ終えたトーストの破片が少しと。溶けたバターのしずく。しずくが数カ所で凝固している。凝固。霜の朝。
 魂が皿の周縁を歩く。魂が円周を慕うのは、行き止まらない道程が転生の履歴をなぞるから。だから。
 歩く。足の底が持ち上がると、白磁の地表から光が照り返す。僕をその輝きとする。すると、僕はその輝きとして宇宙のへりをなぞっている。
 歩けど。歩けど。皿は。皿。
 意識から切り分けられた骨。骨が粉砕され、その粉末が焼結する。
 僕はかつて、大野城下の寺の蛇であった。境内の庭の隅、灌木の下で玉になって絡まりあう数十匹の蛇。そのうちの一体が僕だった。濃緑の、丈の高い苔のにおい。蛇であった僕の骨が、ここで皿の光となっている。
 密集した鱗の擦れる音。皿の縁に沿う青い唐草文様。
 唐草の文様が伸びれば伸びるほど、皿の肌理が光るほど、光れば光るほど、僕が歩くほど、歩けば歩くほど。
 記憶の生理が過去を導く。生理。
 僕は大抵のことは信じない。が、既に起こったことが未来に投影されるとき、確信される記憶の触感。触感が掌を濡らす。濡らすのだ。何事もない生活。その生活から吹き出た血液のように。
 しかし引き締まった寒気が僕を硬く包む。しかしまた。そしてまた、関東平野、痩せた小枝の先でも、ものの芽を二重三重の外皮が締め上げている。ものの芽を。外皮が。どうにもできない曇り空が窓ガラスに密着している。吸着している。
 僕は人のひと滴。ひとり。ヒタリ。パン皿のへりを滑る。るるる。未来へ遡る。未来。投影された未来から、食卓の椅子の上から。見ている。どこか。どこだ。バターのにおいがする。

(いつだったか、女の子と始めて舌を絡め、長いキスをした。キスしていたのは町外れの河原だった。唇を寄せるとき彼女も僕も、目を閉じた。キスはほんのりとバターの味がする。目を閉じてしまっているが、さほど水量のない川の中に青鷺が立ってこちらを見ているのがわかる。その鷺と僕らを一直線につないだ川向こう。そこに人物が一人立っていて、やはりこちらを見ている。男か女か、おおよその年、服装もそのときはわかった。が、今、それを思い出すことはできない。キスはずっとずっと続く。終わらない。鷺の目がこちらを見ている。川向こうの人が鷺と僕たちを見ている。キスの相手の彼女も、実は瞬きもせず目を見開いて僕を見ている。僕の視界は二〇メートルほど浮き上がってこの構図を見ている。空の一点を中心に地上の風景が回った。僕と彼女と鷺と、川向こうの人も回った。回るうちにゆっくりと形がなくなって、瞼の裏に薄明るい闇を揺り戻した。)


きゃらめる物語

  右肩

 半びらきの口
 ミルクキャラメル
 ぬれるミルクキャラメルの
 舌のうえの愛らしさ
 かくめいしたい 息と息
 くずれるミルクキャラメルの ながい舌
 のびて ふたつながら のびて
 舌さき を 舌のね とからみあわせ
 ぜつぼうてきに甘いまま
 のどの やわらかなのどの 奥まで
 おしこみおとしこんで
 もらいたい もらい受けたい
 あつい政治のきせつを
 ゆたかさが ろすとばーじんする きせつを
 あめとむちとキャラメルの
 きせつを
 みずと砂とヒトデの きせつを
 裸でくらす
 しろいきいろいきめこまやかなはだ
 はだけて
 あしを あしたを 大きくひらいて
 ぴんくの
 ジャングルから ながす テロップ
 あじてーしょん
 いみてーしょん
 いみねーじゃん
 かた足の太ももを かたに乗せかけて きて
 ごう引にせまる こかん 熱たいの奥そこ
 ふりそそぐ あめ
 あめの中から あめの中まで あめをこえて かすむ密りん
 しょうげきの 走る すこーる
 に おもわず
 あはん 赤はた あふん
 あふれよ ふれよ ふれ
 ふれ はたをふれ いいよる男をふれ すがる女をふれ
 あたたかだった 経ざい成長きを
 ふれ
 しゃしん立てに パリス・ヒルトン
 思いでの フジコ・ヘミングウェイ
 けん盤をとび とびこえて
 ゆびさきが
 ゆびのはらで ひたひたと ささやきかける
 つめたいおしり
 つめたい丸みを ばらばらに ぱらぱらと
 ゆびがたびする
 ゆび 五ほんぷらす五ほんいこーる十ぽん
 の ゆびが
 つらく みじめな たびをする
 白いはとはのあいだ くちびるのはしから
 つつつと
 つつつつつと
 もれる 甘い苦もんの よだれ
 むざん むさん階級
 吐いきも 走れ 玉のしずく
 おもわず あらがえば
 喜びのきふくを ちちとみつのながれる
 はだのきふくを なめて ながれこむ 
 するどいき裂の みずうみを わって
 わたって 中みのない記おくへ
 ぼくがぼくという一人 で なかった記おくへと
 はてなく もぐろうと するそれも
 丸い しへの いざない
 丸い 百おくのあたま が 寄りあい寄せあい
 たかめる 音のない 怒り
 しづかでうつくしい現しょう
 うつくしい
 だけの えねるぎー ぎりぎりと 歯ぎしりも
 する 人とうまれた 不こう
 くやしさ
 もう、我まん 
 しない こらえない
 やけた砂 つぶだつねん膜
 ねん膜を あぶる燐寸
 舌さきあかく とろかせ
 もうそうも にくたいも
 もやせ砂つぶのなかまにみなかえるまで
 砂として 砂を うめよ
 増やせよ 地にみてよ
 砂きゅうが
 砂きゅうの しるえっとが
 さまざま そう似形をきそう
 ゆうぐれの 地へいに
 なるまで
 ふかく 鼻こうふかく
 におう満ぞくと 安そくの
 ため その
 ため その
 こと葉やみ来を すてて
 ばらばらのぶつぶつのこなごなのつぴつぴのつつつつに
 なることができて
 しまう
 ように。


ドーナッツ

  右肩

 後ろから犬がしきりに吠えてくる。僕の歩いているこの通りは実は平板な白さの広がりで、目に映る何もかもが何処かからここに映写されているのではないか、と思える。だから道を歩いたり、立ち話をしたり、駐めた自転車に鍵をかけようとしている大勢の人たちは、見る角度がズレるとすぐに消える。見ている僕の体も映写されている。実体は僕の魂と、姿も見せずに真後ろで吠える犬だけだ。しかし、実体というものが、映写された周囲との間に核心的に重要な差異を持っているとは思えない。思えないでいる。「ミスタードーナッツ」とか「洋服の青山」とか「靴流通センター」とか、目に映る範囲には見慣れた看板もあって、それがどういうものかもわかっているのに、さてその建物に入っていったとして、僕が何をするべきかがさっぱりわからない。たとえば「ミスタードーナッツ」に入っていったとしたら、「いらっしゃいませ」と迎えられ、ドーナッツの盛られたトレーが並ぶ棚の前に立つことになる。ではドーナッツとは何かというと、食べ物であることははっきりしているのだが、どうやらそれは星雲の一部でもあるのだ。星雲の一部を財布から取り出した硬貨で購うとは一体どういうことなのか、がわからない。しかも僕の体は投射された映像なので、犬の声に脅かされてときどき揺れ、かすれ、虫の鳴くようなノイズを立てたりしている。「フレンチクルーラー」や「ポン・デ・リング」は、不定型な星々の集合体としてただ光り、見ているだけでも強烈な磁力線を僕の体へ流し込んでくる。そのはずだ。後ろからは犬の長い舌も伸びてくるだろう。どうすればいい?そう考えると僕は立ち止まってしまってまったく動けない。

 そんな夢から、午前六時に覚めた。ベッドから降りて潰瘍に苦しめられている胃に、いつもの重苦しさを感じながら、周囲の光景以上にその内臓感覚がリアルであることで、ようやく夢から覚めたのだと確信が持てた。そうしてみると夢の世界で実体をなくしていた自分はすがすがしい無重力状態にいたのだと気がつく。あの町並みの中で消えずに残っていた僕の芯、魂。それだって今こうしてポットから湯飲みに注いで飲む白湯の現実感に比べると、吹けば飛ぶような軽さだった。ああ、できるなら吹かれて飛ばされてしまいたい。窓は磨りガラスで何も見えない。けれどこの先には冬の曙光が海霧を輝かせる港があり、その奥から流れてくる、或いは奥へと流れていく漁船の影が、次々に浮かんできているはずだ。それは少し歩けば実際に見えてくる風景なのだ。何度か見たこともある風景、つまり現実の中で展開される幻想である。しかし、それは肉体と共にある僕の慰めにはならない。僕は夢の中の感情をもう一度なぞろうとする。夢の中の僕。世界と馴染むために自分が何をするべきなのかがちっともわからない、その僕。ともすればかすれて消えようとする僕を、僕はどうすればいい?今は記憶と予感の中にしか存在しない疑問と悩みがぐうっと捩れ、起点が終点と繋がって、もうそれは「フレンチクルーラー」なり、「ポン・デ・リング」なりの光るドーナッツに他ならない。とても甘い。

 では、「神」について語りたい。
  「神」はそれらしくまとまった存在ではなく現象です。もしくは現象として顕現するのです。
 と、かつてあなたは僕に言った。不思議だ。だから僕は毎日無意識に「神」を探していたようなのだ。あなたによれば、「神」は何処にでもいる。探せばどんな所にも必ずいる。だから僕を見ていない人、僕のことをまったく考えていない人の表情の中に、僕は「神」を見てとる。僕にとって「神」の依代は、特定の人ではなく、人が時間の中で獲得するフォルムであるようなのだ。たとえば、先日歯医者へ行って治療の始まりを待つ少しの間、仰向けに倒された治療用椅子の上で、歯科衛生士の藤村さんが窓へ向かいすっきりと背筋を伸ばして立つのを薄目を開いて見ていた。藤村さんはもちろん「神」ではない。この時の藤村さんと僕との関係に「神」が依り憑いたのだ。藤村さんは、僕のことや他の人のことをまったく見ていない。窓に貼り付いた虚空を見ていた。その濁りの只中に向け黒目がちな目をややつり上げて、罪あるものの総てを誅戮しようとしていた。はるか上空で水蒸気が凝結し始め、幾層にも重なり、終わりのない豪雨の準備が整っていく。あるいは最初のひと滴、それがすでに殺気を孕んだ弾となり、この地を狙ってひた走っているかも知れない。垂れていた藤村さんの右腕が浅く肘を曲げて持ち上がる。掌が脆い卵を包むようにすぼまり、その中から細い人差し指が伸びて足下の地表を指している。神話の身がよじれ、その蛇の頭を持ち上げた。
 この神話を生成しているのは診療用椅子の上の僕だったが、藤村さんからは遠く疎外されている僕でもある。僕は僕自身の想起する神話の体系自体からも完全に疎外されているが、にも関わらず神話の中心に位置する。今、この文章を記述する僕が診療用椅子の上を見ても、確かに僕自身の姿は見えない。大きな空白が診療機材に取り巻かれて椅子にかけている。その向こうにこの世の終わりを招来しようとしている藤村さんが立っており、「神」の依り坐す物語が、みっしりと鱗の詰まった大蛇となって、空白となっている椅子の上の僕の、小さな脳髄へ回帰しようとしている。瞼のない眼を持つ頭が顎を大きく開いて尾を噛むとき、僕はもう一度先日の夢の手触りを思い出す。新たなドーナッツが現れるのだ。結局僕は渇望する暗い穴だから、とてもお腹が空いている。ドーナッツが食べたい。砂糖でコーティングされた巨大な「フレンチクルーラー」の肌が、僕の周りをぐるっと巡っている。甘い匂いもする。
 物語の円環の中で、僕はこの文章の題名を『ドーナッツ』とすることに決めた。藤村さん、あなたに読んでもらいたい。


見ている。聞いている。

  右肩

 本郷の団子坂であなたがはたと立ち止まるのは、遂に滅びの到来を知ったから。胸ポケットに挿したシャープペンシルで、そのことをメモ帳に書こうとしたら、消しゴム部分のプラスチックキャップが外れて落ちた。跳ね落ちていって、側溝を塞ぐコンクリートの板の隙間から、暗いところへ消えていった。世の中が滅びるとなると日常も全部予兆になって動き始めるんだ、とあなたは多少いらついた。「シャープのキャップが消えていくように、わたしの命も消えていく」と誰にともなく歌の節を付けて呟き、あなたは何も書かないままメモ帳をポーチの外ポケットに戻した。それからキャップが無くなって白い消しゴムを剥き出しにしたシャープを、再び胸ポケットに挿す。あなたの頭の真上には、ファミリーマートのプラスチック看板と東京電力の電柱の変圧器が、距離を置いて縦に並んでいた。ジジジと微かな音を立てて、日本の良くできたシステムの一部が、今日も街で正確に作動している。あなたは歩き始めようとする。しかし歩き始めなかった。地球が凄まじく俊敏にぱかんと割れて、あなたと全人類がほぼ同時に死んでしまったからだ。滅びの予兆を綴ったメモ帳を涙ながらに読み返す、そんな情趣にすらも見放されてしまっていましたね、あなたは。あなたとあなたを含む全人類は。
 それであなたの魂は今、X星人の手元の捕虫瓶の中に、頼りない発光体となって捕らわれている。あなたは今でも多少いらついている。粉砕された地球から一人分だけ吸い上げられた魂として、広口のガラス壜に分厚いガラスの蓋をねじ込んだ、そんな空間でいいようにいたぶられるということ。それは、生前あなたが予想もしなかった末路だからだ。あなたの魂は直径三〜四センチの球状の浮遊する発光体だ。ガラス壜の湾曲した壁面に体をこすりつけるようにしてぐるぐると周回したり、上下の方向に行ったり来たりを繰り返している。それにしてもたかだか1リットルに欠ける程度の容量しかない壜だ。X星人は時々ライターの炎をガラス越しに近づけてみたり、あるいはマイナスドライバーの先をカチンカチンと打ちつけてきたりするが、逃げ場がない。そのたびに否応なくあなたは怯え、青から紫、赤、白、黄色など様々に変色していく。X星人はそんな有様を極真面目に楽しんでいる。また、X星人は剥き出しの魂に、剥き出しの言葉で話しかけてくる。魂の全体を振動させて伝達する言葉なので、耳を塞ぎようのないのが辛い。言葉の内容は、人はライオンの爪に裂かれるのと油をかけて燃やされるのと、通常はどちらを選びますか?とか、右手を真上に伸ばさせてその中指の先からとても細い針金を打ち込んでいったとしたら、それが心臓に届いて大変なことになるまでどんな具合の苦痛があるのでしょうか?とか、そんな益体もないことばかりだ。「英語のリーダーみたいに律儀な翻訳口調だ。恐いけれどつまらない。コワツマラナイってこと。」あなたが生きていたら、そんなふうにメモに書いておくところだ。だが、あなたは死んでいるから、人に関する何事にも直接関係を持てない。聞き流すしかない。
 時々X星人は自分の力を使って、生前のあなたの性的な記憶から夢に似た別次元を作り、そこであなたを遊ばせてくれる。最近あなたは自分からそれをねだるようにもなった。渋谷円山町。あなたはホテルのベッドで男に抱かれている。あなたが忘れてしまったので、このホテルに名前はない。あなたがよく覚えていないので、部屋のレイアウトもぼんやりとしている。鮮明なのは、よく乾いた白いシーツとベッドサイドにあるソファーの革張りの深紅だけだ。あなたを抱く男の顔もはっきりしない。あなたはその男を忘れたかったのかも知れないし、メディアのそれも含め、別の男たちのキャラクターが彼に溶融してしまっているのかも知れない。もやもやとしてよくわからない顔の男が裸体を重ねている。あなたの良いところは、そんなことをちっとも気にしないで、「ああん」とか「うふん」とか、楽しげによがり声を上げたりしているところだ。で、僕がその、あなたの妄想によって作られた、もやもやしてはっきりしない顔の男だ。僕は裸であなたと重なっている。誰だってそうかもしれないが、あなたは自分自身の身体に対してはっきりしたイメージを持っていなかったので、顔や手以外は割合大雑把である。きちんと造形されていない。僕は、それと見当をつけて背中らしきところに腕を回したり、乳房らしきところに顔を埋めてみたり、性器らしきところに性器らしきものを押し込んだりする。僕はあなたに「愛しているよ」と言ってみる。「もっと言いなさいよ」と言うので、僕は「もうやめよう」と答える。「結局僕はあなたの一部なんだからさ。際限もない自慰はみっともないよ」何処かで救急車のサイレンの音がする。数年前の円山町を、実際に救急車が走り抜けたのだろう。ドップラー効果による音の歪みが正確に再現されている。「あなたには、思い出すべきもっと大事なことが他にあるはずだよ」僕は射精らしきものを終えて、上から無遠慮にあなたへ体重を預けながら言った。あなたは重そうな顔を背けて僕から表情を隠そうとする。実際に配慮のない男からのしかかられてしまった惨めな経験があるのだ。「かわいそうに」と僕は言う。「一緒にここから逃げようよ」とあなたに言う。白く乾いたシーツの上で、顔を覆ってすすり泣くあなたの声がする。僕はあなたなので、これからあなたが言おうとすることはよくわかっている。
「やめて。X星人が見ている。聞いているわ」


静物とは言い切れない一連の様態

  右肩

 今日、焼かれた鰤の死骸を箸でちぎり口へ。米粒と一緒に切断し、擂り潰す。さらに擂り潰して、嚥下。消化と言われる活動が始まる。消化、という言葉で理解される一連の活動全体に、不安が兆している。言葉は総て不安なのだから、と納得して立ち上がろうとしたら、すでにもう一人の僕が立ち上がっていた。それが肉体である。

 明治時代に爆殺された兵隊の、指のかけらが頭の中に転がる。

 おとといは挽きつぶされた牛の肉が、刻まれたたまねぎと一緒に自分の手でこねられるのをじっと見た。その後、強い熱を加えた。それがその時の僕だった。加熱される肉とたまねぎを見ていると、顔が火照り、刺激臭を感ずる。夢幻の大地が割れて崩れた。死んだ牛も僕自身も既に幾つかに割られているが、そのことは牛はもちろん、僕にも他の何かにも全く影響を与えない。

 ピュッと短く指笛が鳴った。此岸と彼岸。二枚の世界を貫通すべく飛来する、矢羽根の音。

 TVではピアニストの指が直線的運動を反復する。だが、今この瞬間のどこにも音楽はない、と考えている僕。「ピアノは0.3光年ほど先、銀河系内を震えながら漂流している。」と書いても、その中途半端な現実性が僕を苦しめるだろう。だが、書く。真空。加熱と冷却、宇宙線、重力の作用などにより、ピとアになってノを生まぬまま、つまりピアノだったものが、ピアノになれないまま空間を彷徨している。そう書いて「確かにそうだ」と確信してしまったとき、僕は静止していた。ほんの一瞬だが、幸せなことに僕は一切動いていなかった。

 平坦な雲の大陸。太陽が裏側に回ると、その疎密や濃淡が過度に明晰に浮き上がる。

 花は視覚を持たない。自分の色を色としては知覚していない。視覚以外のすべての感覚においても、人間とは異なった自己認識で世界を構成している。
  藤波の宙を飛びかふ眼や無数
植物に限らず、他の生物と人間は決定的にずれた世界を共有している。三日前この句を作ったとき、僕は藤の花になって世界を知覚した。「飛びかふ眼」とは、藤の花の意識が捉えた外部世界を人間の意識に翻訳し、そこへ仮定的に言葉を割り当てたものだ。

 月面には石と記憶が転がっている。見分けがつきにくいが、記憶には総て血が付着している。

 やがて死ぬ指が、やがて死ぬ胸へ動いて、やがて死ぬ乳首へ隆起をたどった。やがて死ぬ者がやがて死ぬ者へ、やがて死ぬ声を上げた。やがて死ぬ感情。感情とも言えぬ感情から、やがて死ぬ者を産み落とすために僕は生きる。この日、シーツに転がる重量は、やがて別の重量に換算されて死にます。
 やがて乾いてしまう汗。やがて拭われてしまう愛液、脳内分泌物。よかった、と津田さんは言いました。気持ちいいと。
 総て嘘だった。カラッとした濁りなき空気が空間をかたちづくる、例のあそこへと、やがて僕ら、みな走る。ステンレスのシンクの排水溝へ、引き寄せられて滴が一滴また二滴と走る。
 パイプの向こう側のあそこについて、「きっちりした場所です。あなたはわかっているはずです」と津田さんは言い、ほら、と足の間の尿道口や膣口や肛門を開いて見せる。やがて死ぬものたちの、やがて死ぬための直截な営み。僕は僕の総ての骨格の現在形を意識しながら、股間へ屈み込んだ。それはやがて死ぬ者がやがて死ぬ者として産み落とされてしまったことを、やがて死ぬ者に対し謝罪する姿勢であった。やがて許されるでしょう、と津田さんは言った。

 二十六度の室温、七十一%の湿度、知覚されるものとされないものとその中間との、数十種類の匂いが微かに部屋を満たしている。


ロマンス

  右肩

 ロマンは傷を負っている。縦長の深い亀裂から赤黒い内奥を見せ、不規則な感覚で汚れた血を吹き上げてくる。そういう経験的な事実をすべて承知しながら、僕も周りの誰彼も、溺れてあがく人のように何かを求める。「何か」に正体はないのだから、僕は無音のうちに展開する精神的な動作の経緯そのものを冒険と呼ぶほかはない。
 だから、こうして僕がスーパーの棚から卵のパックを取り下ろす行為も確固としてロマンである。ロマンでしかない、たとえ卵が一ダースの絶望であると考えるにしてもだ。そうに違いない。それは滑らかな白い光沢を持った絶望で、食せば美味でありセックスと家族の味がする。そして僕が、今手に取ったこの一群の卵の殻を割り、冬光の中で輪郭を保ったまま微細に揺らめく白身と黄身の総体を食する、ということはもうない。二度とない。僕はロマンを演じながら実は死へつながるロマンの、一直線の軌道から脱輪し、転覆してしまっている、そういう人間だからだ。
 血は乾いているけれど、数時間前に誤って切った左掌の、その傷が痛い。卵の入った透明なプラスチックケースを、バスケットの中の入浴剤と歯ブラシの間に置いたあと、しばらく傷口を見つめている。その間、感覚的にずいぶん長い時間、僕と、僕がいるのと同じ通路に立つ四人、それぞればらばらな間隔で立つばらばらな存在の男性二人と女性三人が、それぞれのポーズで立ったまま動かないでいたのだった。複数の肉体が同じタイミングで静かに動きを止めている、という非常に希な現象が、なんの含意もなく唐突に成立した。こんなことに僕は驚いてしまっている。
 この五つの主体を一〜二メートルの線分で繋ぐと五芒星が現れるか、というとそんなこともない。不揃いな線形が雑に交錯し、視界から進入して僕の心臓を包む薄膜を掻きむしるだけだ。そこに浅い傷が交錯して走る。その傷もむろん五芒星ではない。なおも掻きむしろうとする。
 程なく僕らは動き始める。僕の背後を横切り卵の棚の向こうにある精肉のコーナーへとゆっくり移動していく女、女の骨格を持った抽象がいつの間にか換骨奪胎され変換され革命され転覆され吊し上げられてもの寂しく寒い。それが向こうで寒々と豚バラ肉のパッケージを手に取っているらしい。
 一方男は身体をするする伸ばして伸びきってほぐれ始め、さっさと一本のテープになって躍り上がり、天井付近を走る配管に巻き付いてからきゅるきゅると縮んで短い包帯に、つまり病夜の胸苦しい思い出になる。思い出はちょっと中空を仰ぎ見てから鼻を啜り、「焼き肉のタレ」の瓶をつかむ。それが僕かも知れない。そう思ってまじまじと男の顔を見るが、どうしても彼は眼球を裏側から押し出すような嫌な痛みの思い出でしかなく、肺が破けるような恐ろしい咳の感覚のフラッシュバックでしかない。結局、とても顔とは言い表せない包帯の切れ端であって、僕自身とは似ても似つかない。
 残りの女性二人については、あっけなく見失ってしまったのだが、その一人が調味料と味噌のコーナーへとフロアを曲がっていく後ろ姿だけがちらっと見えた。赤いダウンのベストを着ていた。肩口からブルーのモヘヤのセーターの袖が覗いている。
 僕は押していたカートのハンドルを静かに離してその場へ置き去りにし、女の後を付けようとして歩き出したはずなのに、実はまったく違った方向、ロウソクと線香と祝儀不祝儀の袋の並んだコーナーへ入り込んでいた。足は止まらず猶も歩く。

 僕は何も買わずにスーパーを出て、とぼとぼと夜の運河沿いの道を歩いた。建物の暗いシルエットの作る平野のスカイライン。寒風は北辰が穿つ天蓋の小穴の向こうから吹きつけ、光に濁る水面を掻き乱しながら自らも乱れる。小さな旋が地上を彷徨い、僕の首周りでは襟がはためく。柔らかいわりに先端の尖った細長い希望が幾筋も流れていて、掃き寄せられたプラタナスの枯れ葉の溜まりに墜落し、消える。顔を上げたら見えるはずの、遠い赤信号の下の交差点を左に渡って僕はマンションの部屋に帰るのだが、もちろんそこにも貧弱な希望が絶えることなく降り注いでいる。それだけだ。傍らを幾台もの車が通りすぎ、僕よりも遙かに先に交差点を通過していく。僕の未来というものは既に誰かが消費している過去である、ということを僕はまた、たちまち理解しようとしている。

文学極道

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