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選出作品 (投稿日時順 / 全14作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


びくん、ぶぶ

  


スマートフォンが
びくん、びくん、ぶぶ
左手のひらに息づく何かを掬い
柔らかに発光する温かい腹を
人差し指で押して確かめる

びくん、ぶぶ
生きたツールを手中にと
意図された錯覚
省エネモードに変更すれば
大人しくただの道具に戻る
生きることは消費なのだ


年老いた猫が蟹を貪り食った

おいおい、と
甲羅から身を剥がしてやろうとしたら
取り上げられたら俺は死ぬ、
とばかりに抵抗したから
好きなようにさせた

大量に吐いて、次の日死んだ

フローリングに長く伸び
思い出したようにもがいて
びくん、びくん、ぶぶぶ、ぶるる

お取り寄せのタラバ蟹
あんなに貪らなければ
もう一週間は生きたかもしれないけれど
おい、猫よ、贅沢に消費したよな

心臓が動きを止めたら
熱も弾力も失って
お前というかわいい生き物は
別の何かになっちまった

ぺたんこの腹
そっと押しても震えない
皮の袋になっちゃったね


雨上がりの庭で

  


雨上がりの庭で蛇を見ました

小さな頭に長い身体がうねうねと従い
尻尾の先は叢に残されたままでした

頭の先から狂いなく
黒い縦縞模様は編まれているようでした

久しぶりの雨に浴した草花
をかじろうと跳びだしてきたバッタ
を捕まえようと身構えていたカマキリ
をぱくりと飲み込んだ後だったのでしょうか

黒い丸い眼の頭をコンクリートブロックに載せて
実に満足そうでした

私に気がついた蛇はパタンと頭を後ろに投げ
その後を濡れた縞が追ってゆくのでした

頭はどこまで行ったかと百日紅の向こうを覗き込んだ途端
尻尾の先を見失ってしまいました



蛇を見た夜はやはり夢を見るのです


私は

力を奪われ

閉じ込められる

虐げられながらも

次第に力を取り戻し

隙をついて逃げ出し

今にもというところ

しっぽをつかまれて

また閉じ込められ 

力を奪われて

取り戻し

逃げて

何度も


最初は駅のガード下の自販機の前で手首を掴まれ

次には寂れた漁師町の一軒家に閉じ込められ

ある時は暇に飽いた若妻に

または仲の悪い双子の兄弟に見張られ

煤けたアパートの階段を駆け降り

水族館の搬入口で

新興住宅地の空き地で

不安に駆られて後ろを振り返る


こんなにも

力の限り逃げた

から自由になれた

はずだと確信する

手前で ぬらり

忍び込む 疑い

膨れ上がり

漏れ出し

つい

後ろを

振り返る

と必ず待ち受ける 絶望 

嗚呼、やはり 私は逃げられぬ




雨上がりの庭で

黒い丸い眼の頭をコンクリートブロックに載せて
蛇は 実に満足そうでした

突然眠りを妨げられた蛇は
逃げ去る途中の草かげに
トカゲの尻尾をみつけ
迷うことない素早さで呑み込みました
まさか自分の尻尾だなんて
微塵も疑いもせず

そして

消えました


閉じた場所

  


 壁

コンクリートの高い壁に囲まれた道を一輪車で走っている。行き止まりまで行ってみる。見上げるほどの高い壁。行き着く手前でスパンと右の壁が切れているのに気づく。車輪の向きを90度変えて曲がる。

壁の道は遠く真っ直ぐに続いている。壁の上の空は夕方を思わせる灰色で、雲に隙間なく覆われてはいるがすぐに雨になりそうな気配はない。左手の壁は途切れなく先まで続いている。右側の壁には幾つもの切れ目があり、曲がれば違う道がひらけるはずだ。

一輪車はシャリシャリと回りつづけている。いっそ車輪の動きを止めて、じっくり辺りを観察してみようか。そんな思いが幽霊のように頭をかすめはするが、足の回転を止める命令を脳は出さない。進むのはごく自然なのだ。気がついたら漕いでいた。




 部屋

結局僕は真っ直ぐに走っている。一輪車をクルクル漕いで。必然に身をまかせるのが気持ちよくて曲がる気にならない。

左側の壁に道がないのは、壁の外側が外界だからかもしれない。ならば出口はこの先にあるはずだ。饒舌に思考は回るけれども頭の隅ではわかっている。要するに僕は、真っ直ぐに漕ぎ続けたいんだ。

車輪が急に重くなる。道はいつの間にか沈み込むリノリウムに似た床に変わっている。力を入れて漕ぎ続けて足がだるくなった頃、部屋のように長方形にひらけた場所に出て一輪車を降りた。

部屋には入ってきた入り口とその向かい側に出口があって、いつでもまた漕ぎ続けられることが僕を安心させる。柔らかいソファーに深々と身を沈めると背後の二つの映写機が回り出し、壁に四角く一つの映像を写す。


下るのが好きだった
あの坂の上からの景色が見える
海と平行して走る道路が遠く白くきらめく
鳶がゆっくり輪をかいている
庭には水色と赤紫の西洋朝顔が毎日咲いて
玄関のスロープをいつも大股で登るんだ
乗りこなすことのなかった一輪車が
玄関の隅で錆を浮かせている
白い壁を背景に父と母の姿が見える
横切る手と影がある




 中心

いつの間にか僕は眠っている。夢の中で夢見ている。中心へ中心へと曲がり続け、いつしか雲を貫く太い幹にたどりつく。樹木医のように耳をつけ、流れる水音を聴いている。一輪車はいつの間にかなくなっている。僕はもうどこへも行かない。

目を閉じて、ずっと聴いているんだ。


離岸流

  

夏終盤の海でクラゲのようにたゆたっていたら、冷たい流れに捉えられた。陸地へと必死に泳いだけれど、押し戻され、押し流されて、同じ場所でもがくのが精一杯だった。
浜辺には色とりどりのパラソルの下で寝ころぶ大人たち。叫ぼうとして泳ぎやめたとたん私は、沖へ奪い去られるに違いない。



     
肺をふいごのように踏む足
心臓をきゅとつかむ手
のど元につかえる頭
胃の腑に座り込んでいる重さのあるもの
不意に内側から突き上げてくる感触は
腹を蹴る胎児に少し似ている
お前の名は「哀しみ」

のどを割いて這い出そうというのか
捨てられまいとしがみついているのか
私には押し殺すことも
吐き出すこともできない
私が胸に孕んだものでありながら
私を蝕む私でないもの
私を呑み込み溺れさせようとする 
 あの日の離岸流 
      押し戻されて
    押し流されて
      いつまで足掻いている
        いつまで溺れている       
     だけど
      助けてと 力をゆるめたら 
   最後  
            呑まれてしまう

      呑まれてしまえば  
     

あの日、あれからどうなったのか、私は覚えていない。何が変わったのか、何一つ変わらなかったのか。生き延びてよかったのかも明言できない。今、哀しみの中にあっては。
力尽きて、誰もいない浜辺に打ち上げられて横たわり、淡くなり始めた陽光に濡れた身体を乾かしてからであれば、何か言おう。
胎児のようなお前を抱いて。


移りゆくものたち

  


松林の間の小道
まん中に緑の下草が列になっているのは
日に何度かは車が通るから
道の脇にはネコジャラシやらヨモギやら
雑多なものたちが生い茂り
乾いた幹の間から収穫の終わった畑と
畑の向こうにある住宅地が見える
友達の家からのいつもの帰り道
ショウリョウバッタを脅かして
僕が歩くのは砂と小石と茶色い松葉の轍
小道は住宅地のアスファルトにさりげなく連結している
僕には入口であり出口なのだが
小高くなった住宅地から振り返ると
黒々と盛られた松林に
カラスが一羽二羽と舞い降りてゆく


やがて松林も、畑も、水色の空へ吸い込まれ、住宅とアスファルトが水が染みるように境界を伸ばしていった。
トンビは公園や行楽地で弁当を狩ることにしたらしい。
カラスは空で輪を描くトンビの真似して遊ぶのをやめ、夜の電線にぎっしり並んでとまり、コンビニの看板灯に油っぽい羽をぎらつかせている。
僕の住んでいた住宅地では子供の声を耳にすることが稀になり、時折、どこかの家で呼んだ救急車のサイレンや、窓から射し込む赤色灯に慣れてきた。
市街地では電柱が抜かれ、電線は地中に埋め込まれ始めている。美観や利便性のためでありカラスへの嫌がらせではない、と思うがあるいは。


低いところに水は流れる
草木も虫も動物も人も 
与えられた場でせめぎ合い
それぞれの速度と方法で
いつの間にやら遷移する
少しずつ 生き難さを分け合って


落葉の中で

  

この夏 あの夏の 踵
去り続ける 足音たち 
水色の空高く吸い込まれて

消えてしまえばいいのに
何もなかったかのように
なのに

降ってくる 
見上げる頭上に 
はらはらと 肩をうち 
地に落ちて 湿ったまま 
重なって 赤や黄や緑 足元に 
降りつもり 降りつもり 
立ちつくす私の姿など

埋めてしまえばいいのに
誰一人いないかのように
なのに

閉ざされる予感の中に いつも
私だけが残される 

つま先で
蜂の死骸を 踏む


甘露

  

 
 今日も終わろうとしている。冷たい小雨の降る夕方、女は駐車場へと向かいながらため息を吐く。
 吹きつけた風がビルの狭間で渦を巻き、少し前を歩いていた男が手にしていた紙束を舞い上げた。男が集め損ねた一枚を彼女は拾い、無言で手渡す。何かの伝票だった。
 雨に濡れた一枚の紙が暮れていくだけの彼女の一日を差し換える。

 乗り込んでドアを閉めると車はシェルターのように硬く外を阻んだ。女はシートに深く身を沈める。降り注ぐ雨の音を微かに聞きながら、なびく枝と飛び去る落葉に風を見る。そして思い出すのはこの夏のささやかな出来事だ。


・・・・・・
 
「ボールペンがない」
上司が自分の机を探している。
お気に入りのペンをなくしたらしい。
「それ、たぶんわかります。会議室じゃないでしょうか」
私と共に上司は隣接する会議室に戻る。
先程まで使われていた会議室は冷房の名残でひんやりしている。
「たぶんこの辺り」
私は繋ぎ合わされた机と机の隙間に上手くはまり込んだボールペンを見つけだし、取り出して渡す。
「あー、これ。これだよ……ありがとう」
上司は安堵したような、狐につままれたような顔をした。

 私は会議の間、発言している上司をぼんやりと眺めていた。視界の端の転がる動きに違和感を覚え、無意識に記憶していた。上司が探すボールペンがその記憶とリンクして映像となって再生された。 




「そろそろA社に返答を聞いてみようかしら。聞きにくいけどなぁ。」
と同僚。
「あー、あれね。そろそろ返事くると思うけれど。もう少し待ってみたら?」
次の日昼前にA社からの郵便が届いた。
「あんた宝くじ買いなよ。何それ、霊感?」
同僚は郵便物を手にしながら目を丸くした。

 A社に手紙を発送したのは私だったから、発送日から担当者の手元に届くまでに要する時間、検討と返答に要する時間をあらかじめ推測していたにすぎない。たまたまそれが当たっただけ。




 職員駐車場にハザードランプの点滅している車があって、駐車場の係員に連絡しに行ったりもしたっけ。これはよくある話。ハザードランプという単語が出て来なくて両手でグーパーしてピカピカ、のゼスチャーをしたら係員のおじさんが噴き出したんだった。
 
 これも私がちょっと輝いた出来事。以来駐車場のおじさんと顔見知りになった。

 


 夏の終わりの蜘蛛が増える時期を過ぎるとカツオブシ虫が目につき始める。ちょうど秋の衣替えの頃。
 カツオブシ虫は衣類を喰らう。私はクローゼットの防虫剤を総入れ換えし、蜘蛛と同様、見かけたらかならず殺る構えだ。
 カツオブシ虫は古い家の押入れからついてきた負の遺産だ。困ったことに新しい家の珪藻土の壁材も好物であるらしく、彼らにとって我が家はお菓子の家なのだ。なかなか撲滅には至らない。
 カツオブシ虫を潰したときには私はつぶさに観察する。彼らは全身が胃袋みたいな輩だから、直前に何を食したか一目瞭然だ。

 モスグリーンのカーディガンを箪笥から出してきた父に、「たぶんそのカーディガン、虫が喰いがあるはず」と教えることができた。


・・・・・・

 こんな些細な出来事が深まる秋の彼女を暖める。気分のよい折りに一人、反芻するように思い出す。この夕方のように。
 人より秀でている能力といえば、彼女には観察力と観察に基づく推論の柔軟さ、それくらいしかない。発揮できる機会もそうそうないが、誰かの何かの役に立ち、且つ、「不思議なひと」と印象づけることが何より嬉しいらしい。
 そんなささやかな能力も、もっと生かせる場や職があったのだろうと思う。けれども未来を堅実に見積もることをしなかったから、いや、現実的に見積もりすぎたからか、今、彼女は世の中の需要に即した労働力を提供し、僅かな対価をいただいて生活しているにすぎない。小さな甘露が行く先々の葉の上に輝くことを期待しながら。
 
 たぶん明日も書類や伝票の束が机に積まれるだろう。彼女は適切に処理するだけだ。車のエンジンをかけ、ワイパーでフロントガラスを拭う。今日は近くのコンビニに寄って甘いカフェオレを買って飲みながら帰ろう。こんな夕暮れもまた良いものだ。


移りゆくものたち

  

松林の間の小道
まん中に緑の下草が列になっているのは
日に何度かは車が通るから
道の脇にはネコジャラシやらヨモギやら
雑多なものたちが生い茂り
乾いた幹の間から収穫の終わった畑と
畑の向こうにある住宅地が見える
友達の家からのいつもの帰り道
ショウリョウバッタを脅かして
僕が歩くのは砂と石ころと茶色い松葉の轍
なだらかに登る小道は住宅地のアスファルトに
さりげなく連結している
僕には入口であり出口なのだが
住宅地から振り返ると
黒々と盛られた松林にカラスが一羽二羽と降りてゆく


やがて松林も畑も水色の空へ吸い込まれ、住宅とアスファルトが、水が染みるように境界を伸ばしていった。
トンビは行楽地で弁当を狩ることにしたらしい。
カラスは輪を描くトンビの真似をやめ、夜の電線にぎっしり並んでとまり、コンビニの看板灯に油っぽい羽をぎらつかせている。
僕が住んでいた住宅地では子供の声を耳にすることが稀になり、時折、どこかの家で呼んだ救急車のサイレンや窓から射し込む赤色灯に慣れてきた。
市街地では電柱が抜かれ、電線は地中に埋め込まれ始めている。美観や利便性のためでありカラスへの嫌がらせではない、と思うがあるいは。


僕は何処かに居り、選ばされ、選びとる。選択肢は無限ではなく正解もない。俯瞰する目で時を手繰れば、僕らは水が流れるように、いつのまにやら何処かしらへと移ろってゆく。
久し振りに帰省した僕のために母の焼いたマーブルケーキは、見た目いびつでぎっしりとしてナイフで切ってみないと断面の模様はわからないから、僕は思い出したように海を見にゆく。
住宅地から数キロ離れたカフェオレ色の海は、今日も白く波立っているか。


拡がり続ける住宅地をあとに
畑とまばらな家屋を見ながら進み
車も人通りもない舗装された道路を渡る
笹藪にジョロウグモたちが糸をかけまくり
ぞっとしながら僕はくぐる
飛砂を防ぐために植えられた貧弱な松の
薄暗い林を早足で抜ける
やがて、海風が積み上げた砂丘に出くわすが
スニーカーに砂が入り込むのを我慢して
大股で登って越えるまで
まだ海は見えない







※10月に投稿したものを改稿しました。
      


吹くようになったやかん

  

 
 やかん、というかコーヒーを淹れるときに湯を沸かす、ステンレス製のドリップポットなんだけれど。数日前の昼下がり、その日ニ度目のコーヒーを淹れようとして空焚きしてしまった。
 朝沸かしたお湯、残ってたよなって、そのままコンロに点火してのんびり本をめくってみたりして、顔を上げたら焼けていた。ポットの底周辺が、馬の蹄鉄を鍛えるみたいに赤く輝いていた。
 そのとき手にしていた本はトールキンの『農夫ジャイルズの冒険』。子供向けの物語なんだけれど、あんな面白い話が書けたらなぁなんて考えていたら、この始末。
 いや、そもそも空焚きしたのがいけない。一度目に沸かしたお湯はポットにたっぷり残っていたのに、熱湯消毒にちょうどいいからって、まな板に全部かけ流したこと、忘れてた。
 コンロにのったまま冷めていったポットは見た目は何も変わらないのに、それ以来、沸騰するなり熱湯をぴゅっぴゅと吹くようになった。
 沸騰したらすぐ火を消すか、こぼれたお湯を拭けばすむから買い換える気はないんだけれど、なんて、今日もキッチンでケチな胸算用している間に、やかんが吹いた。
 やかんは吹いてカンカン音まで立てて騒ぐ。こんなときは妻が低気圧を背負って近づいている。このやかん、嫉妬深かった昔の彼女からのプレゼントだからか、女の気配に敏感なんだ。
 カンカン、カタ、カタ、今日はやけに騒がしい。料理用ミトンを着けた右手で、飛び跳ねるやかんの持ち手を慌ててつかんだそのとたん、やかんは僕を連れたまま妻の面前へ飛び出した。
 僕はシュウシュウ湯気を吹き熱湯をプップと飛ばすやかんで妻を威圧し(たように見え)、まずは妻の隠していたヘソクリをあらかたテーブルに並べさせた。それから家事を僕にばかり押し付けないと約束させた(せめて半々だ)。ついでになんやかやと口を出してくる妻の両親を追い払わせた。こうして僕は晴れてこの家の、真の主となったのだ!
 やかんを「剣」に、妻を「竜」に取り換えれば、おおよそ『農夫ジャイルズの冒険』の粗筋なんだけれど。でも、愚かな犬と賢い雌馬、妬むかじやにナイスな坊さん、役立たずの騎士たちやドケチな王様が怠惰な農夫を取り巻いて。あんな「オードブル各種てんこ盛り」みたいな楽しさはうまく伝えられないな。
 なーんて、ふざけている間に、やかんがお湯を盛んに吹いていた。
 


立ち止まる三つの詩

  

〈屋根から落ちる雪〉

降る雪が、まつ毛の上に留まるも
溶けて消えるのにまかせ
降る雪が、白い蛾のように視界を閉ざすも
ただ前を見て
降る雪が、濡れたアスファルトに消えるのを
思い描いた
爪先はしんしんと冷え
足音もくぐもってゆくのに
気づかないふりをして
歩かなくてもすむ道程を歩いた昨晩
冷えきった身体を横たえた屋根にやはり
雪は、音もなく降り続いていたのか
枕元に置いた携帯電話が畳に滑り落ちた
屋根に積もった雪が落ちる音に似ていた
淡い予感に身を起こし、拾う
雪崩れたのは、私だった



〈雨をしのぐ〉

朝、傘を持って出なかったから
夕方、シャッターの降りた軒下で
雨と、傘をさす人々を遣り過ごす
大きなしずくが ぽたり
ゆっくり と
落ちてきて
水没する
ああ
もういやだ
うずくまって
泣いても
どうにも
逃れられない
暗い
思いにとらわれる
ごめん
ごめんなさいと
もう、許してと
崩れてしまいたくなる
けれど
小雨になったから
傘のあいだを足早に
歩きはじめたら
ひゅ と
背中を射られて
やぁ
さほど痛くない。
背中に突き立った矢羽に
傘の下から
人が息を呑んで振り返るから
手を伸ばして
乱暴に抜く
へぇ
ボーガンってやつ
血がシャツの背中を濡らすから
尚更目立つみたいで
苦笑

朝、
雲行きが怪しいから
傘を持って出る
そんなこと



〈芝生〉

隣の芝生が青く見えるというよりは
自分の芝生に石ころや雑草が目立ち
ところどころ枯れて剥げているのが
ありありとわかるけれども、それは
この場に立って見ている故の必然で
霧吹くようなじめじめとした雨の中
山を登る君が山頂にかかる白雲の中
にいるがごとくなのだと慰められて
納得したような顔して笑ってみせた
けれども荒れ果てているのが真実で
石を拾い雑草を引き抜き植え付けて
肥料と水を適度に与えればよかった
というのに怠ってきた結果だと知り
これから手をかけ世話をしたならば
この芝生も初夏には幾らかは美しく
生き返ると充分わかっているけれど
私はそれをしないのであり代わりに
生え揃う芝生のような詩を書くのだ


雷雨と雨傘

  

 
 二つ年上の姉は雷を異常なほど怖がった。雷鳴が遠く轟く夜や激しい雷雨の夜には、夕食の後かたづけをしている母親の代わりに、近所にある塾まで私が姉を迎えに行った。
「ふう、結局濡れたー」
追ってくる雨と雷鳴を閉め出し、濡れた手のひらで濡れたおでこをぬぐう。
「あんたはいいね、怖いものなくて」
姉が言った。

 姉は地元の大学へ進学し、二年後、私は東京の大学へと進学した。
 アルバイトばかりして実家に帰らない。浮いた金ができたと思ったら一人旅に出てしまう。そんな私をうらやましそうに、あきれたように姉は言う。
「あんたは自由でいいね」

 私は雷はさほど怖くない。けれども背後から迫ってくるバイクの音の次に、松林の上を吹く風の音が怖い。耐えきれなくなって駆ける。家の近くまで。

 珍しく里帰りする私を「夏休みで暇だったから」と駅に迎えに来た姉。今にも降り出しそうな雨に、クレージュの黄緑色の雨傘を持っている。
 互いによく似た顔が微妙な表情になる。
 …… 色ちがい 。私はひと月前に買ったばかりのクレージュの黒い傘を腕にかけていた。東京を出たときは雨だったのだ。


春から夏へ、聴こえくる、

  


〈森〉


蜜蜂の羽音よりも微かな振動が
辺りを震わせています

木々は丸屋根のようにかぶさり
円い水色のレンズのような
空を指しています

わたしは今、
からだを土に埋葬された
一揃いの眼のような
ひとつの意識です


芽吹きのときです





〈木蓮〉


裸の枝に純白の、繻子を纏う花嫁たちの、

花開く、宴の時は短くて、

はたり はたり はた 

湿った音をたてて地に落ちて茶色く焦れて、

私の足元を汚します

けれど、許してしまいます

見上げればもう柔らかな、緑の子らが遊び、

つかの間のみずみずしさです





〈清流〉


新緑の木々の陰

滔々と流れる色のない水

角のとれた川底の小石

音もなく水面に載った木の葉

   滑るように視界から消えて

水音は止むことがなく





〈夏の駅〉


降り立つと
凛々と鳴る無数の風鈴
くるくると翻るよ青い短冊

売店に並ぶ土産物
荷物を持った人影はまばら 

ふわり 夏の風が渡る
並列するホームと錆びた線路





〈海〉


   風がやんだ

   海が凪いだ  
 

 
         蒼い




*


突風

  


雨になりそうな空模様だった

学校へ行く途中、橋を渡っていたら
突然強い風が吹きつけて
顔から眼鏡が飛んで川に落ちた
音を立てて雨が降ってきた

漫画みたいだね
友だちは笑い
先生も笑い
母は笑い事じゃないけれどと笑った
視力0.1もないからね
眼鏡がないと本当困っちゃうんだけれど
僕も笑った

眼鏡でよかったじゃないか
公園の遊具が飛ばされたことだってあったし
グラウンドのテントや
サッカーゴールだって
家の屋根や
電柱だってあり得たんだから
と帰宅した父が言った
、確かにね

ベッドに入ろうとしたら
再び突風が吹いた
枕も
脱ぎ捨てた服も
マンガ本も教科書も
DSのソフトも本体も
バラバラ、バラに飛び回り
しまいにはベッドまで飛ばされる?
僕は頭まで布団を被った
またどしゃ降りの、雨が降ってきた

雨は降って僕の部屋を立方体に埋め
底に沈んだベッドの上で
固くくるまった布団の下から伸ばした右手を開くと
二つに折れた眼鏡がゆらゆらと
ゆらゆらと、昇っていった


オルゴール

  



コリリ コリリ 
ねじを巻き ひらく蓋
キチチ 押さえが上がり 
白鳥の湖 流れ出す
ビロードの小部屋 
眠っていた バレリーナ
くる、くるり、くる 
鏡張りのステージで
ぎこちなく 踊りだす夕べ


待っている 一度しまった 携帯電話
胸ポケットから 再び出して 
ようやく わたしに繋ぐ あなたの声を
薄暗い部屋 うつろに 眼を開いたまま


扉を開ければテレビの音量を下げて立ち上がるわたしを、あなたは目にする。
リビングのオレンジ色のあかりの下で、わたしの時間にあなたの時間が流れ込み、ともに拍をうち始める。
キシリ、缶ビールのふたを開け、途切れ途切れに言葉を交わす。
バラエティー番組のどこか薄い笑い声を聞きながら、いつもの夜が回りだす。


朝起きると あなたは いない
あなたが わたしを 起こさないのは
オルゴールが 再び 鳴り出さぬよう
カチリと 扉を 閉めるため
あなたの バレリーナは 眠る 
美しいまま


カーテン越しの 淡い光は 
全てを 色褪せたように 見せ
わたしは 眼を開けたまま
こぼれてゆく微かな音を 
聴いている


文学極道

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