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ハァモニィベル

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ソクラテスのアイロニー 二○一四

  ハァモニィベル

ソクラテスのアイロニー 二○一四


  毎日、何十個もの隕石が地球に向かって降ってくる。1cm足らずの小さな星屑が、地球衝突以前に大気中で燃え尽き、それが恋人たちが見上げる夜空をロマンチックに駆けながら流れ星になる。
  そして数年後、結婚し、ベランダでタバコを喫いながら空を見上げ、毎日、何十個も降ってくる女房の小言が、どうかおさまるようにと、密かに願う時もやはり、星は流れるに違いないのだ、涙と共に。
  だが絶対に、いっそ楽にしてくれなどと祈らないでほしい。その小さな塊が、わずか直径100mになるだけで、十分すぎるほど願いが叶ってしまうからだ。それも驚異的な破壊力で。
  1908年6月30日 朝7時、人類史上最大の隕石衝突、ツングースカ大爆発が、中央シベリアの上空を襲った。太陽の如き火球が炸裂し強烈な火柱と真っ黒いキノコ雲が、遥か広大な森林を一瞬で焼き払った。
  もし同じ隕石が東京に飛来したなら、たかだか100mの隕石が実は、広島型原爆1000個分に匹敵することも、関東平野を全滅させてしまったニュースも聞かぬ内に、人間達は熱風によって燃えるより先に蒸発してしまう。それほど凄まじい破壊力を持つ。
  僅かな妻の一言も、DV大爆発の火柱といい、部屋一面の壊滅といい、一挙にダンナを蒸発させることといい、凄まじい破壊力が秘められている。発したのは僅かな破片にすぎずとも、飛来する衝撃波は凄まじいのだ。
  この規模の隕石は、悲しいかないつ会社をクビになるかわからないのに似て、いつ落ちてくるのかわからないという。数百年に一度らしいが、小さくて地球からは接近が見えないのだ。そして見えた時はもう遅い。
  隕石ならぬ漱石が倫敦から日本へ戻ったのは明治36年(1903年)のこと。帝大のほかに一高でも教鞭を執ったが、生徒の中にあの藤村操がいた。授業中に強く叱責した数日後、このエリート一高生は遺書『巌頭之感』を立木に刻んで、不可解にも、華厳の滝に身を投げた。動機は2つの失恋だったのかも知れなかったし、本当の所はわからない。
  しかし、皮肉なタイミングが漱石に衝撃を与える。翌月から極度にノイローゼを悪化させ、家族とは別居、離婚の危機にまで発展した。そして、後々まで後味の悪さを引き摺ったであろう。漱石は愛情の、藤村は自尊心の〈不可解〉に苦しんだ。小言とは不満な相手への形を変えた愛である。自殺とは時に生き恥を背負つづけることを拒絶するプライドである。事件の社会的な波及力も大きかった。奇妙な流行に後追い185名が投身を図り、40名が遂げている。
  小さな事柄から、巨大な波紋が引き起されるのは全く不可解である。ただ、もうちょっと待ってさえいれば、この年、ライト兄弟がはじめて空を飛んだのを知ることができたのだ。
  大昔。「嗚呼、プテラノドンのように大空を飛びたいなぁ」とステゴサウルスが嘆じることもなければ、夕陽を見て涙するトリケラトプスも居ず、雌のティラノサウルスが「海が見たいの」とわがままを言うことも皆無だった。いきなり噛み付くことはあっただろうが。
  かつての地球の王に知性はなかった。寝不足で疲れたイグアノドンが栄養ドリンクを飲んで、なんだ、これはスティック7本分の糖分で血糖値が上って元気が出た気がするだけじゃないのか、と考えたりはしなかった。だが、その分、適応能力がおそろしく発達していた。だから2億年近くもこの地上に生きたのだ。たぶんあの6千500万年前ユカタン半島を直撃した半径10kmにもなる広島型原爆の10億倍という、M(マグニチュード)13の地震と高さ1kmの津波を引き起こした史上最大の隕石が、外から降ってさえこなければ。
  一方、知性的なはずの人類は、わずか10万年で、自分たち一人ひとりを隕石にしてしまった。わずかなボタン操作で大勢を巻き添えにしてしまう危険を誰もが備えてしまったからである。
  ひと昔前であれば、馬を駆るなら一馬力、四頭立馬車でも四馬力のコントロールで済んでいた。それがいまや500人の乗客を乗せたジェット旅客機を2名で飛ばし、1500人の乗客を乗せた新幹線を1人で走らせる時代となった。ボタンの押し間違い一つで、大惨事が引き起こされる可能性が周囲にあふれている。
  有機リン系の殺虫剤マラチオンは、ダニ・ハエ・アブラムシなどの駆除に使われる。はじめて日本に入ったとき、ヘリで畑に散布されたが、地域の子供たちに平衡感覚の異常が認められたのは7年経ってからだった。マラチオンは、空気や太陽光で、マラオキソンという物質に変化して、毒性が10倍から50倍に増幅する。
  精子数を減少させる危惧もあるマラチオンだが、ポストハーベストとして収穫作物に散布され、少子化を騒ぐ日本への輸入食材の多くに含まれている。
  食のチャイナシンドロームに、「疑わしきは食さず」と、自己防衛を貫けば、コンビニの『タラコおにぎり』の海苔とタラコが食べられない。スタミナGETのうなぎからマラカイトグリーンもGET。成長ホルモンと抗生物質を乱用した異常成長のブロイラー鶏肉の唐揚。冷凍しても死滅しない大腸菌が、農薬や添加物とともに残留する冷凍食品等など。
  安ければ毒でもいいのは、買い手より売り手側の最大多数の最大幸福。微量は大きな被害にならないという言葉を、空高く積み重ねる悪魔の見えざる手。
  一枚の「紙を50回切って重ねたら」厚さはどのくらいになるか、というパズルがある。
  タテヨコ 1m 四方の紙で、厚さを0.1mmに設定してみよう。
      2回切ると、50cm四方が4枚になり、
      重ねると、0.1mm ×4 で、厚さは 0.4mm
  さらに、
      もう2回切ると、25cm四方が16枚になり、
      重ねると、0.1mm ×16 で、厚さは 1.6mm
  どうやら、
       0.1mm ×(2の[切った回数]乗)になっている。
  すると、
     0.1mm ×(2の50乗)が答え=1.13億kmの厚さとなる。

  0.1mmという極薄の紙一枚が、地球から太陽までの距離(1.5億km)に迫れてしまう。
  ただ、こんなに切れるハサミがどこにあるのかプラグマティックな疑問もあるけれど。
  日本料理がユネスコの無形文化遺産に登録された。農水省の推計では、いまや世界に5万軒の和食レストランがあるという。
  早速、ツアーに出かけよう。ロンドンのトラファルガー広場に到着し出会うのはB級中華。ピカデリー・サーカスを歩いて、靴を脱がない炬燵式のテーブル着けば、運ばれるのは激辛の親子丼。
  美食の街パリを訪ねれば、そこにはチョコのように甘い刺し身がトレビアン。バスティーユの歓楽街で供される、生臭ドス黒まぐろに舌が悶絶。
  魚介料理が得意なイタリアで口直しだと、出会ったイタリア美人おすすめの懐かしいオニギリを頬張れば、にぎられてるのは、酸っぱい酢飯。
  ふざけやがってとシェフを呼び、わけを質せば都市だけ栄え、見捨てられた田舎で餓死を横目に雑草を食い生き延びてきた、国も宗教も捨てた悲しき味覚音痴の中国人コック。ここにも食のチャイナシンドローム。無形文化遺産のふざけたパロディの繁殖がクール。
  太陽系の最高峰、火星にあるオリンポス山と山頂のカルデラ湖オリンポス湖が、ユネスコ世界遺産に登録されるのはいつだろう。片道180日、宇宙線被曝量の許容範囲1000ミリシーベルトの半分以上を超えるから、観光は片道切符になるけれど。やがて太陽にやられる地球から逃げるため、むこうで芋虫と毛虫を食べて暮らす火星移住計画は、移住者の第一次審査に日本人10名が合格したということだ。
  いま組織論では、パスゴール理論なるものが重視されているらしい。 有能なリーダーは道筋を示して途中の障害を減らしながらメンバー・集団の円滑な目標達成を促すことが要務だというのだ。
  でも大丈夫だろうか。邪なゴールしか描かない年長者と、少しは苦労した方がいいような年少者の集まりの中で、煽った罪を着せられて、またまたソクラテスが毒杯を呷ったりしては気の毒だ。
  太陽が赤色巨星となり、地球も火星も呑まれるか焼かれるかする数十億年が経つ前に、方舟に乗って皆で太陽系を出なくてはいけないというのに。今はまだクモの糸を取り合うゲームにかまけていても。


HAYABUSA

  ハァモニィベル




    晩冬の、めずらしく快晴となった空に、恐ろしく強い風が吹いている。
    右には、頂の近い小さな山々がずっと横に連なって長く、左を見れば、向こう岸の近い細い川がどこまでも流れ、右手側にある山の下裾と、左手側にある川の土手裾に、農家ではないごく普通の住宅が、木々や空き地、むき出しの線路やバス停、野草と花たちを立ち跨ぐ看板などと混じって、密度ほどよく、どこまでも、どこまでも現れては消え、その連続が向かい合っている丁度その真中を貫いて、こんな田舎の街外れには、とても相応わない、贅沢な、かなり新しい作られたばかりの、車幅4台分二車線の舗装道路が、まっすぐに一本通っている。
  この快適な道路には、他にまったく車はなく、私の運転する1台の軽自動車だけが、いま悠然と走っている。好きな速度で、滑るように走りながら、何気なく、ふっと、左手の大きな家のブロック塀から、蜜柑の木が、 <安心しろ、やがて何も変わらない> と告げるように、樹ち繁る濃緑の葉影に沢山の黄色い玉を点灯させているのが見えた。それを過ぎてすぐの辺りで、道はゆるやかに大きく右に膨らんでカーブし、ハンドルを戻し切らぬうちに、今度は、さしかかった陸橋を登りはじめる。道が、跳ね上げるように高々と地面を上へカーブさせると、いきなり、広がった空の右手に、風と直角に翼を広げ、静止飛行する隼が一匹、私と、軽自動車の窓ごしに同じ高さで並ぶ。
    さして大きくはない猛禽の勇者は、風が強すぎるせいだろう、まるで初心者が自転車を練習するときのあの真似できない頼りない揺れ方で、どうにか風に乗るのがやっとだという体で、とても今、話しかける余裕はなさそうだ。だが、力一杯ひろげた小さな翼は、風の強さに、めげることもなく、揺れる我が身に、恥じることもなく、いま、全力で、胸を張り、全霊で、風に向い、カラダひとつで、強風に煽られ、寒そうに揺れながら、だが、当然のように宿命を飛んでいる、彼の、姿。
    ガラス越しのわたしは、「寒くないのか、鳥は・・」 と、ふいに心配が沸く。
    「誕生日には革ジャンをプレゼントしよう、サプライズで・・」
    すぐに、
    道路は大きく下り始める。
    見通しの利かない道が加速する。
    小さな隼を背に、
    1台の白い軽自動車が、悠々と宿命を走り続ける。
    ぐんぐんと、
    滑るように落ちながらも
    目的地を夢見て
    対向車線をハミ出した大型トラックの酔ったクラクションを聞きながらも
    誰かを乗せた救急車のサイレンに道を譲って
    脇でICが搭載されたボールで遊んでいる子どもたちを微笑みながら
    無理矢理連れだされ散歩させられている老犬を憐れみながら
    冷たい光と強い風の中を
    1台の白い軽自動車が、悠々と、当然のように宿命を走り続ける。
    小さな隼を背に。


春/

  ハァモニィベル

めざめると
 あたまが
  ひらがなだけになっていた
 このままでは 
じょじょおがない

いやいや
 そんなことはない

   〈はるのためいき〉

 ほら



ひらがなで、あろうが/なかろうが

ここにある はる

そう ことりも こいをうたう はる
なのに
   きみは、もう いない

     (はねになったきみ〉

 ほら



はなのしたで/ねむると
  もう「めざめなくていい」と
  かたくなった/からだが/かたる
 だけど、せめて/うみが
もういちど/うみが/みたい

  しかいに/もはや/いろは
    いろは/もうないが
  だけど/もういちど/みたい

  〈あのおもいでのあおを〉

 ――あおだったはるを

文学極道

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