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ユーマ

選出作品 (投稿日時順 / 全8作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


柿の木

  望月(望月裕道)

柿の木の腐りゆくさまは、なんとみものであろうか。わずかに、異臭を暗がりに放ち、ほとぼりが冷めるまでの年月を、奇妙なまでに再現しているのだ。村の各所からふらふらとつられるように出てきた衆は、もくもくと煙のように、腐りかけた果実をもぎ取るとやおら振り上げて、その角度を目線で愉しむ。とはいえ究極の快楽であった。腐りつつ、柿の木の周辺に散らばるように生息しておったのだ。そういう手順は必ず守り、たしかなまでに確実に生息しておったのだ。夜になると、鐘のように骨盤が揺れているから外出は控える村人が続出するなか、おぼつかない足取りで、骨盤をゆらしながらあの腐りかけている柿の木に、すこしずつ、すこしずつ、近づいてゆく若者達がいた。絶景かな、柿の香りになずませる呼吸は、目線よりわずかに上辺に位置していたために、若者達のわずかに毛細血管の走った赤い血走った目は、くるめきくるめき遊ぶように、てんてんと落とされてゆくのだ。月の出が悪いから、今夜はすぐにしぼんでしまうであろうと、誰もが思った。しぼむものしぼんで、それとて当然であるのに、若者たちは、とうとうしぼんでしまうに任せてしまったもので、あとには、残骸までもが死に掛けた魚のようにして、ことづけを待っていたものだから、柿の木は余計に腐り、腐りしてしまうのだ。ああ、これこそ絶景かな。そういう道理に、従うべきして従う、そう、絶景かな。柿の木は、いよいよ本調子で腐り始めたものだから、周囲はひえびえとして偽の小雪が降り注いで、それゆえ、ますます腐り腐りしてしまう。若者達も、揺れる骨盤の狭間に、横たわるようにして月の出を待ち構えていたものだから、月は、骨盤と骨盤の狭間で動けぬように固定されて、だから、こうこうと月は激しく、柿は腐りゆくに任されてゆくのだった。まだ、静かに飯の食える、結露の季節であった。


闇は私を取り持つ

  望月 悠 (望月からHN変更しました)

けさはずっとへこんできたのだ。音もなく
餌場にはなやぎをかんじた私は、左手にま
さかりをにぎったまま山に入りました。日
が暮れるよりもさきに雑草のにほいが着物
のすそに入り込んでくる。時代のゆれは激
しく私はなんども揺さぶられたのだ、まだ
なおも。背中に向かって走ってくるものが
突き抜けられずに親指の先で停滞している
捨て駒のかいてんは早いのだ。あまりに早
いので私は目を回す、山のおそろしさが結
局はうるささに負けてしまうとき、餌場の
おがくずに混じっている異物をまさぐる手
がとまる。私の手ではない。もっと白くて
もっと滑らかな回転率だ。私が作業をとめ
ると、そいつも作業をやめておがくずがは
らりはらりと散りゆく。私の重みがかけら
れると、痛みに涙が出てくるだろう、竹筒
につたわってそれは土くれに潜む蟻の親子
に注がれる。ぷかり、ぷかり。 叩かれる
と啼かないが、地面は踏み固められるごと
に泣き叫ぶ、それは私を中心に痛んでゆく
鳴き声だ。私は走った。もう一人のそいつ
がおがくずから抜けてあの密林に逃げ込む
のを目撃した私の足は、自然に踏み固めら
れた美しい軽石の上だけをぬけるようにす
べってゆく。美しいだろう、軽石。臼でつ
いたあとのように湯気の立ち上るような、
軽石、そいつのあとを追って、私の背中は
影になっていた。涙はまだ軽くならない。
林をぬけると、ひときわ際立った沼があっ
た、睡蓮の花のまわりをわっかが、取り成
して、そいつはまだ笑っている、嘘の音楽
がながれているがこれは罠だ。騙されては
いけない。私は、遠い力の引き合いに取り
持たれて涙を糸のようにあの空に舞い上げ
ている。それはそいつも知っていたことで
それは、そいつの髪の毛が伸びすぎたから
静かに静かに、夜の闇に溶かしてゆくので
あって、それはたしかに私の足の重みすべ
てを理解するだけの闇の深さであった。

・・・闇は、私を取り持つ

それは、まだあの暁の先端まで走らなけれ
ばわからない秘密。それは、そいつさえも
知らない秘密。綺麗な森林です。それは、
腕をまぶしくして、目を開けなければいけ
ない速さでまだ、まさかりは、まさかりは
私の左手に、それはそうして、黒光りして
いる。あの星は太古の森林の狼なんだよ。
そいつは、笑っている。ここからどれほど
いっても、何かが軽くなるということはな
いのに、なおも、私はそいつを追いかけて
それは、私の闇を取り持っている。どこに
それはあるのでしょうか………。


首絞め街道

  望月 悠 (望月からHN変更しました)

すまし汁を一杯のむと、もうとっぷり夜は
ふけていた。この家にはこの家なりのやり
方があるようで、何本もの腐りかけの鍬を
軒下からつらねるようにぶら下げているの
にはたまげたが、今夜はとまっていきなさ
い、としきりに泊まりをすすめてくるのに
は、怪しむほかない。わけをきくと、帰り
道には、首絞め街道をとおらなければなら
ないから、妖怪にでくわしてはならぬとい
う配慮であった。おかみさん、大丈夫つす
よ。そんなの信じやしません。かえります
かえります。月のまばらな時間帯であった。



月がいやに眩しい。わけありの眩しさであ
った。くろぐろとひときわ密林のつづく地
帯にさしかかって、音もなく街道のわきか
ら開かれつつあるなにかにたいして、足腰
がふるえてゆくのを感じた。時間が混血さ
れてゆく気色だけが、体を、とくに四肢を
中心に流れてゆくようでみつつ、よつつ、
くらいの気概ではどうにもなりそうもない
力が、周囲からのびあがってくるようであ
った。

せばめて、せばめて、
ゆくしかない
精一杯、せばめて
私、
街道を越えるには
命を懸けて
せばめて
こうして、呼吸のひとつ
みだりに唱えてしまい、
首から
すこし汗が
殺気立ってゆくまで



首絞め街道の周辺は、あきらかに違ってい
た。不穏な力とでも言おうか。おそろしい
力を感じた。体がせばまってゆく気がする
いや、そうしなければこの街道を生きてぬ
けてゆくことなど不可能だろう。月光がま
ぶしい。なにもかも、ひかれるままにつま
されてゆくのだ。私の気概とて例外でない。
死ぬということはすなわちそういうことで、
私は、街道を抜き足でかけてゆく。せばま
る道筋にそって、息がのばされてゆく。生
命の力は、それに反して薄れてゆく。言葉
のひとつや、ふたつ、かけてからの時間の
ほうが、よほど長く感じることをいまさら
気付いて、泣いた。眩しい月に作用して、
どうか命だけは、と泣き崩れた。首絞め街
道は、音もなく、しかしなにか音を成して
いた。月ばかりが眩しくて、私はそのまま
意識が消えてゆくようであった。


すまない・・・
まだなにかしてやれることも、あつたろう
に、このやうないきざまは、くれゆくしげ
みから、すまない。わたしは、すまない。
となきつかれても、おしいくらいに・・・


青い燐光を抱き

  望月悠

青空をみあげると
猫の晴れ着がふんわりとよせられて
階下の乳母が手をうごめかす
光線の薔薇のふとしたやわらかさに
水をしぼりながら
猫の晴れ着が乳母の腰肩をなでてゆく
死にかけの夢にふれて


青い星から燐光が散り
水面のなめらかな海綿質を
なでるように逃げとってゆく
夜空のふれぐあいを確かめると
光りながら沿岸を疾走する
猫の晴れ着が発光をはじめ
美しい燐粉がきらめくと
闇のしろさを強くしてゆく

磨かれてゆけ
あるいは
私たちの

草たちの踏み分けを始点とした
もろみのやわらかさに
磨かれてゆけ
夜空の白さは依然として間近だ
ふみこんだ音楽に踊りながら
溶けそうな白波に
ふみ足をかぎとって落ち果ててゆく

するどく光輝く彼方から
水のよせかけをしめらせて冷たくしてゆく
星の反射光を水に汲みとり
私たちの輝きは全身へと及ぶ
夢の中で猫の晴れ着をきちんときこなし
浮世の白波に頬をよせて
いましも
青い星の燐光が沿岸から
私へと寄せてくる

やはり
磨かれてゆけ
あるいは
私たちの


ハラタキ

  望月 悠

はらたき


からべ湾の入り江に太陽が射した。春の風が匂い立つように肌にふれてき
て透明な足をうごかすようにして風のまわりを風が音もなくつつんでゆくの
であった。なまあたたかい風をやりすごして、少し冷えた磯の岩場に足をは
こぶ。磯の岩は干潮のときには地肌を露わにする。悦子は、磯を泳ぐむすう
の魚にやわらかな眼差しをむける。ごんずいの群れは、悦子が差し出した手
には目もくれず、きらめきながら岩肌の海藻にわけいってゆくのだった。そ
のたびに海藻が、こぼれるように打ち震えては、したたるような艶を張り出
している。ふと、赤い小さな海老が岩から、ゆれるようにして磯の中央まで
泳ぎ出てきて、悦子の心をとらえる。悦子はのびあがるようにして海老の独
壇場を見守る。海老は、わずかにゆれるようにして悦子の鼻先を見つめるま
まに、ふたたび暗がりに消えてゆくのであった。
 からべ湾の朝は早い。悦子がこうしている間にも、幾人もの大人の女が、
浜を通りすぎてゆく。「はらたき」というこの地にしか生息しない奇妙な二
枚貝を掘り起こすことを、女たちは毎朝の日課としているのだ。うつくしい
流線形の形状をゆびでなぞったら、指に血がにじむ。そう言われるほど、鋭
くそれでいて凄絶なほどにうつくしい貝であった。悦子の白く細長い指が、
はじめて「はらたき」に触れたとき、血はにじまなかった。悦子は、そのこ
ろまだ幼く、血がにじまなかったことを悔しがりひとしきり泣いた。なぜか
わからないが、止めどもなく涙が溢れ出てくるのであった。貝にふれて、血
が流れる。その残酷なまでに不思議な感触を早熟な悦子は、感受していたの
かもしれない。実際の貝は、からべ湾の荒波にもまれて、その大抵が、すり
へってやわらかな形状になっている。だから、ふれても血がにじむことなど
なかったのだ。それとなく、そのことを悟った、幼いころの悦子は、まだ生
まれたばかりの、無垢な美しさを保った、「はらたき」にふれてみたいと思
ったのだった。
 今、眼前では大人の女たちがそのささくれだった手で、「はらたき」のい
くつかを洗いながら籠に入れている。実際「はらたき」は、水深二・三メー
トルの浅い砂地に生息していて、その気になれば容易に手に入る貝なのだ。
しかしながら、当時幼かった悦子は、それはとてつもなく深いように感じら
れたし、貝殻のほとんどは、浜辺に打ち上げられた、砕けたものしか、手に
とったことはなかったのである。昔を想起して、悦子は苦笑する。いましも、
磯のごんずいが切り返して悦子のほうへと泳いでいるときであった。


季節のスペクトル 〜果物〜

  望月悠


堕胎のあとの
肉のひろがりを
どうして揉み消すひつようがあろうか
樽にうかぶ
林檎や梨の色彩が
あられのように手に絡みつき
湿りけのあとの
出産のうぶごえが 
樽の響きの底から浮かんで
しまって

肉を掻きわけて
掻きわけて
わたしはなにを望めばよいのか
林檎にふれて
たちこめる香気に
樽が変容し
飛行船のように影の空を飛ぶ
そのプロセス
わたしはとうとう俯く

既婚の果物のもとに走った
かの人は
堕胎の悦びをあじわったのだろうか
樽のそこで
冷えた気配を隠し
しのび目でこえてきたこの日々
わたしはもうなにも
知らないというわけでも
なかった

そろそろ肉がはらはらと降りはじめて
果物のうえに降りつもり
不幸になることを
願うわたしは
堕胎のリズムをそこなうことなく
晴やかな足取りで
すすむ

人々は
そっと手をあてて
歯車をとめる
肉の海峡をこえてしまい接線がきわどい
降りつもった肉の山が
まえぶれもなく崩れ落ちると
透明な青空がみえた

幸せってなんですか


双子のよこで
ひっそりと息をとめると
果物の視力がなくなることがあります
手さぐりの影がうつろで
わたしは
寂しさをまぎらわせて
水を睨む
双子の義眼をもてあそび
視力を舐める
夕日が暮れていくのです
ぷかりと
義眼が水面上にうきあがってくると
双子のかたほう
おそらくは爆音をたてて崩壊する


林檎に抱きすくめられて
人工的な愛をはぐくむ 
あのとき
ふたりは手をつないで
どこまでもいけるものと
テンペラメントあふれる季節
握られた手は
果実のなかでつぶれるかのごとく
プラスティックの
冷たい
ぬくもり


肉をください
肉がなければといいながら
果実の首をしめる
あのとき西のそらに
大蛇の影がうかび
みなで涙をながすことになった
だから金勘定は
絵空事にとどめておけと
あれほど言い聞かせていたものを


桜のきせつ
そっとさしのべた手が
まえぶれもなく柔らかく崩れて
電鉄で南下している
ながいながい旅のとちゅうに
あのひとはいなくなってしまった
車窓でながれていく風景をみながら
額縁のように
記憶するわけでもなかった
桜はそれでもはかなく散っていく
さようなら
そっと叩いた名前が
固有名詞として働くうちに
あなたは
別の世界へと旅立ってしまった
もうなにもいらない
各駅停車の美しい風景に
額縁をあてる
冷凍蜜柑を買った駅に
そっと置いた手紙

雪の季節までのこっている


林檎のなめらかな体をなぞり
そっと影にたれこめる山脈にいきつく
その手つきをあらため
値札をはがした傷跡からは
果実の香りがたちこめる
ねえ
君は値札をはがした傷跡を
男の女の勲章だというけれども
君のような果実には
性別はないだろう
たとえばキュウイならば
雄木と雌木があるが
キュウイの実には
男も女もないんだよ
そういうと
果実はしばらくだまりこみ
いずれ季節の変わり目には
そっと自殺する


コタツに蜜柑
そうして日が暮れる


娘が着物をきこなすようになると
街道をあるく
父はそれをそっと見守る
そうして家にかえると
梨の実をもぎ
妻といっしょに食べる
夜には
野球中継をみてから
風呂に入り
歯磨きをして
寝る
しかし、ときどき
歯磨きをしないこともある
明日も
娘が着物をきこなして
まっしろな道をすすむ


インスピレーションが
林檎や梨を樽から呼びつける
雪は道路わきにかきわけられ
薄汚く変色する
肉のひろがりが
ひとりよがりで展開されて
幸せが音楽のように
ながれはじめる
つらいこともあるよ、と
人生の師がいったことを思い出して
方位磁石を握りしめる
わたしの方位は
狂っていませんか、と
林檎や梨に問いかけても
返答はなし
あのときから体から逃げていくものが
増えているような気がした

幸せって何ですか

もういちどあなたに聞く、ボイスも覚醒して
駅を歩きだす、



「なんなら各駅停車がいいナ…」


水の属性 

  望月悠

雨だれの音を聞きませんか。匂いで感じるのです。目を
閉じれば全てが視える。桜色の木の下で俯く紫陽花の悲
しさがわかる。あなたは手をふりあげて、そうして、ふ
りおろすまでのわずかな時間、雨だれの音を聞きません
か。

「海辺にねっころがって、芳子は肌を焼く。海峡のぬく
もりが肉体を包み、肉感が光線を結晶化する。ふれがた
い水気が、たとえばコバルトブルーの海を深海からもち
あげて、芳子の鼻先の白肌へと続くなめらかな稜線を、
しっとりと濡らす。芳子は持ち上げたなめらかな指から
ひきはなした透明な砂を魚群へと今、放つ。」
   *
「翔は、小さなポケットに千代紙で出来た鶴をいれると、
雨に濡れたジャングルジムをのぼる。翠の鉄がつくる造
形物を翔はやわらかに包み、子どもらしい笑みで立ちす
くむ。ジャングルジムの鉄はところどころ錆びていて、
水の揺れる音がする。」

水脈をたどるシンメトリーの人影が、揺れ動く自由の回
路で、自殺します。光源を睨む自殺でしたから、水がふ
きだした食性のある生き物達が、シンメトリーの輪郭に
あつまりはじめて、そっと口付けをする。水を絶やさな
いように。あなたのための水を絶やさないように。

「芳子は、水平線のゆるやかな風をはねた立体から眺望
する。それはプリズムからの散光をわずかに含み、時に
は、ふりあげた手にやさしい空間を与える。今、押し寄
せた波に続く直線に、ささえられた芳子の四肢が水と一
体化する。接線が滲み、たしかに水は芳子となり、芳子
は水となった。」
   *
「ジャングルジムから聞こえる音は、海の音のようだっ
た。翔はおそるおそる近づく。ぬくもりのポケットに入
っている折鶴をそっと握る。飛翔を阻害するように、あ
るいは、翔の光景をまさぐる視線が手の中で浮かぶよう
に。ジャングルジムの中からは、たしかに海の音がして
いた。」

石英を木の小箱に入れて、そっと持ち歩いています。わ
たしは、紅葉の美しい清流のせせらぎを望む。木の葉は、
はらはらと降ってきて、石英を握る手から血が滲みます。
ほんとうは、こんなもの子ども達に与えてやればよかっ
たのに、遠い昔、子どもなどというものは絶滅してしま
った。今は、水のひとつが石英の光を磨きます。子ども
の進化系があらわれている現代。

「芳子が眠る水平線に垂れ込める己斐山の裾野からは、
四季、紅葉の色彩がこぼれおちる。芳子の白肌には、そ
の折、色彩が念写され垂れこめた波の水は、そのたびに
浮かび上がった芳子の色を洗い流す。冷たい感触が触れ
ては逃げてしまって…」
   *
「ジャングルジムの中に海があるのだろうか。翔は考え
る。ジャングルジムの翠の鉄にそっと耳をあてると、波
の音が聞こえてくる。温かな音が。そして時おり、汽笛
の音が聞こえ、沖のほうから漁船の戯れが広がる。ジャ
ングルジムに海があるのだろうか。翔の中でこぼれた笑
みは、水たまりに映った。」

地下街は、雨の日には、人の足音を吸収します。ネオン
がともり始めた夕暮れ時、こうこうと灯る地下街の中を
数え切れない人影が横断する。たとえば、やわらかな湯
気をあげながら、ほかほかの肉まんが出来ると、ひとび
との笑顔が咲きます。あなたは、蒸したての肉まんを握
った男が、雨だれの曇り空を見るために、地上へとのぼ
っていくのを不思議には思いませんか。雨がふっても、
地上は希望なのです。

「芳子の白浜の向こうから、蝉の声が聞こえてくる。夏
の水は暑い。だからこそ芳子の皮膚はふれると立ち込め、
それを隠すやすらぎがここにはある。波の音を聞いてい
ると時々、汽笛の音も聞こえてくる。芳子は沖に目をや
ると、やわらかな陽光をさえぎる黒い影が一艘だけ、ゆ
れている。」
   *
「ジャングルジムにのぼる。翔の肌は今は夏の装いだ。
雨上がりの公園には、ユリカモメが旋回している。遠浅
の公園はどこまでいっても、コバルトブルーの海が広が
っている。ブランコにのると水しぶきが足に触れ、美し
い瑠璃色の魚がふざけて、根元の鉄をつつく。」

あなたにとっての地上は希望ですか。たとえ、雨がふっ
ている寂しい夜でも。あなたにとって、あたたかい人影
の映る窓のぬくもりの手ざわりが、希望ですか。それな
らば、濃密な空に口を開けたまま、雨を飲もうとする人
が、地下街から、曇った空への階段をかけあがる過程を
否定してはいけない。

「芳子は知っていた。いつまでも海の前にいると、いず
れは海にのまれて海の一部になることを。貝殻を手にと
ってそっと耳にあてると、かたわれの姉妹にふれた悦び
と同じ気持ちを受け取る。そっと白砂にうずめていく貝
の手ざわりは、遠い母の記憶と同じである。」
   *
「公園は海だ。翔は悟った。ジャングルジムから望む木
は珊瑚で、やわらかな桜色の水は透明度を高めている。
シーソーは、片方が水をつつき、コバルトを潜める。そ
うして、貝殻を壊したはかない音を交互たてている。水
はどこまでも広がって、ジャングルジムの下部は、海水
で沈んでいる。」

深海で、そっとこぼれる貝殻をリュウグウノツカイは、
美しい動きでそっと包み込む。尾がなめらかに水脈をさ
ぐる残像をふれて立ち込めるのです。海峡のなかでわず
かに上気した魚群の筆跡が、波頭にひとふでがきで影の
筆跡を書き込むときがあります。リュウグウノツカイは
立ち込めた筆跡で、こぼれた貝殻をつかんでいます。

「芳子は、白浜に長い四肢を投げ出して、たとえば港町
にひろがる海の香りをあつめる。なぎさの光をこめて、
手つきは波に広がり、規則的な音階を成す。そろそろ、
太陽はまわり、陽光が鈍い金属音をたてている。」
   *
「翔は、ジャングルジムから周りを見渡す。自分は船長
で公園を航海している。翠の船にのって、翔は出航する。
やわらかな雨上がりの太陽が、決死隊である翔の首筋に
ふれて匂いを立ち上げ、ジャングルジムの船舶にゆるい
音楽を流している。」

たとえばこの風に色をつけるなら、あなたは何色にしま
すか。木々の隙間で装飾された風が、頬を染めた顔をな
でていく。冬の動画がこれからはじまります。つるされ
た風景をあなたは手を振って避ける。あなたにとって、
風景はわずらわしいのですか。それでも写真にこぼれた
雨だれの水滴を、あなたは取り除くことが出来ない。

「芳子は、そろそろ傾いた夕暮れの浜にねころんで最後
の寝息を立てている。やわらかな光をさえぎる薄い皮膚
のそこで、波が広がっている。肉体が抜け殻となり、ふ
れた音律はそっと雲隠れする。海はひろがり、コバルト
ブルーは翳り、色素を落とす。」
 *
「ジャングルジムに出来た小さな鉄の穴は、錆びて出来
た穴だろう。翔は、そっと穴を覗きこむ。穴の向こうに
は海が広がり、青と白が交互にふれてくる。そうして、
白浜が広がり、そこにはひとりの女が寝転んでいる。翔
の覗くジャングルジムは、そこで映像を途切れさせてい
く。刹那、波しぶきは消えて、航海していた公園は、海
を失う。ただの公園となる。」

雨が降った日には、傘をさして展望台までいきませんか。
ぬかるんだ道を万華鏡のようにはらはらと枯れ葉が振っ
てきて、木枯らしの季節だと気付く。あなたは手を見つ
めて恒常的な色彩の風景を偽造だと云う。傘を捨てます。
あなたは傘を捨てます。雨に濡れるために。

「肌を引き締めて、雨から逃げてはいけません」
「あなたは、ジャングルジムから海へと出航しますから」

そっと広がった音律は、雨だれの音を膨らませた。
――受音の瞬間だった。

雨だれの音を聞きませんか?



※この作品を機に投稿はしばらくお休みします。
 有難うございました。


夏休み

  ユーマ

 塩屋神社の赤い鳥居は、濃紺の闇におぼろげに立ち昇り、明るい期待で人々をみおろしているように思われた。提灯は淡い光を壁面に映し、水木山のふもとに広がる光の群体は、遠く、防波堤におぼろに見える灯台にも光の残像を映した。こぼれる光壁は、うつろに歩く人々の足元に残り、いつまでも蠢く影を広げている。
 出店に目を移すと、金魚の屋台が美しい。透明な裸電球の光が水底に立ち上がり、金魚の影がその動きにあわせて、やわらかについてまわった。赤の残像は、相当数が乱舞をやめない。回転する水の戯れが、時おり差し込まれる白腕をかろやかにすりぬけて、そよぐ水に身体をもたせているようだった。
 私は、いつもこの光景をさわやかな音楽のように感受している。携帯のなる音を無視して、乱舞の水像に目をこめると、そっと清音が耳に流れるのだ。その刹那、手元には新鮮なぬくもりがまみれていた。それは、今しも金魚の彫像を暗やみから引き出して、手にもち、さらには振り回すような妄想が、この手の血流を昂ぶらせたのだろう。
   *
祭りの屋台では、さわがしい交錯があった。人々の黒い影が、流れるように引かれていき、神社の脇で携帯のメールを打ちながら、文字列がさわやかに祭りの影響を受けていることに気付いた。それは、そっと凭れる身体が、神木のぬくもりにまみれて、鬱蒼とした暗がりの跳ねたまろみに、私の手が戸惑ったのだ。

 潮風が神社をかけぬけて、遠くの灯台の光がここまで届いた。回転する光線が皮膚をつらぬき、神社の窓にも光はひろがり、そっと持ちかけた空気がやわらかな崩壊を見せているようなそんな気がしたのだった。
 波は、やわらかな砂浜にいつまでもあたり、筆跡を見つけたように、砂浜の白線をいつまでもなぶった。波が引くと、いつでも新たな筆跡がその姿をあらわしたが、それは次の波にのまれることで、またふり出しに戻る。その筆跡の変化が、祭りの光で余計に露わになったのだった。満潮の水のたわむれは、そっとまろやかな砂地に、浮かんだ月明かりを、祭りの淡い提灯の光壁とまぜて――それはやわらかに流れていき、いずれ消える。


ニュートロンをかきわけてしまえ
消えてしまえば、何でも同じなのだ。
ハマユウは含みすぎた水を滴らせて、北湾に光像を成した。

文学極道

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