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尾田和彦 (ミドリ) - 2007年分

選出作品 (投稿日時順 / 全16作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ヨットハーバーと小さなアルバム

  ミドリ

ハーバーから出て行く
ヨットの数がたちまちに増えていく春
その背泳ぎのような船の航行に
季節の匂いがする

昼ごはんを食べ終えたマチコが
海を見たいといった
ぼくは灰皿を取り替える
ウェイトレスの赤いマニュキアに目を走らせ
それからマチコのスッピンのままの
唇に目をやった

ショートケーキの生クリームが
彼女のほっぺたに付いている

いまはもう想像もしない
明け方の彼女の寝息とその横顔
ベットサイドの窓際で
東から登り始めた 陽の光だけを頼りに
読書するぼく

ベットに横たえる
彼女のからだ以外に
馴染める存在がいない こんな朝
ふたりきりでいることに
こんなにも深い甘美な 孤独を感じることはなかった

逗子駅前は とても明るくって
コンクリート真下に 埋められた地面の熱気が
街をムッと包んでいるような気がした

そんな春に 彼女と聴いた
カーラジオから流れてくる
DJのくだらないおしゃべりも流行の音楽も
今は記憶の切れっ端として 残っているだけ

彼女と出逢ったのは
ぼくがまだ青年期の暗いトンネルを
抜け出したばかりの
25歳
ふたりの間にはいつも
絡みつく舌の
濃厚なキスのような 会話があった

いったいあの頃 あの時
その日その一日を 彼女とふたりで
どうやって生きていたのか わからないほどに
思いだせないほどに

夢中になって何かを抱きしめようとしていた
指先や両腕の 強い抱擁だけが
そこにはあったような気がした

胸の一番奥に 大切しまい込まわれた
決してひずませることのない
心の中の小さなアルバムが 
今もぼくの心の中に しっかりと残されている


仔猫のアリーと二切れのビスケット

  ミドリ


目を閉じてママ
ピアノの鍵盤の上に ほら猫がいるから

わたしはビスケットを持って仔猫を捉まえに行く

「目を閉じていればいいのね」
ママはそういって
読みかけの本を パタンっと閉じた
光の射し込むリビングの縁側

「アリー アリー」って 静かにわたしはそういって
つま先立ち 仔猫に近づいていった
あと一メートルってとこで

アリーは不意にジャラン!っと
ピアノの鍵盤を 指で弾き鳴らしたかと思うと
器用な指先で
バッハを弾きはじめた

それからジャズだ
THESE FOOLISH THINGSだとか
BODY AND SOULだとか そんな曲たちだ

それから仔猫のアリーは すべての曲を弾き終えると
満足そうにこちらをチラリと見て
それからわたしの右手に握られた
二切れのビスケットを見て 微笑んだ

わたしは思わずその二切れを自分の口の中に
思い切り放り込んだ

ママは可笑しそうに 笑ってる

仔猫は右手をポケットに突っ込んだまま
左手でグッと肩を抱き寄せて
わたしの唇にそっと小さな
そして大胆なキスをした


まなみのハーフコート

  ミドリ



ハーフコートのポケットに
両腕を突っ込んで
まなみは神社の中を
ぐるっと一回り 散歩する

鳥居をくぐって石段の
すぐ奥がお稲荷さんだ
1月の風は穏やかで
住宅地の匂いを ここにも運んでくる

この近所にある
老舗の和菓子屋の三代目が
まなみだった

「モカをもう一杯下さい」

よくランチを食べに来る
まなみの店の
常連の青年

彼女はにっこり笑って
灰皿を取り替える
小さな粉雪が
街に降りだした

テーブルの一番隅っこに
座っていた その青年が
読んでいた新聞を斜にして
窓の外に 雪をみる

「いつもこの席ですね」

まなみが声を掛けると
タバコに火を点けた青年が
まなみを見つめて言った

「ここが好きだから」

えっ?て
尋ね返すまなみに
青年はタバコの火をボウっと
大きく膨らまして 
また言った

「この場所が 好きだから」


ナオミから もう一人のナオミへの手紙

  ミドリ

ナオミ
明日の午前11時に成田まで
誘拐犯があなたを 迎えにいくから
電車賃も忘れずに
ちゃんと早起きしていくこと

それから東京中の名所を リストアップして
メモにして渡してあげること
そして彼の好物はコロッケ
もんじゃは厳禁
だって彼は生粋の関西人なのだから

雷門とかで記念写真を撮りたい?
それもダメ
彼は札付きの写真嫌い
それに
ナオミを誘拐したことへの 足がついちゃう
わたしたちは彼を
警察に引き渡すわけにはいかないの

それから彼に会っても
恋に落ちちゃダメ
たとえ1ミリだってダメ
彼はバナナの房から
まるで見境なく一本丸ごと
ぺロっと皮でももぐように食べちゃうような
女ったらし

いい?
成田に着いて
青いパパイヤのスーツケースの
背の高い
陽にやけたサングラスの
ハンサムな青年をみつけたら彼よ

軽く目でお辞儀して
黙って彼の後に ついていきなさい
パークハイアットホテルのスィート・ルームが
彼の部屋

ブラウスはなるべく 清楚な感じのものを着ていくこと
スカートのミ二とかは 絶対にダメ
それに生足も
トートバックと口紅も
落ち着いた色を選ぶこと

あした
わたしたちの彼が
あなたを誘拐しにやってくるから
そしてきっと何かの伝言のような
わたしたちの事件が
夜のTVニュースを賑わすはずよ

思いきり力をこめて言います
最近 コンパニオンの仕事を増やしているようだけど
もうそろそろ
よい年齢なんだし
それに明日からあんたは 彼の人質



       ナオミから もう一人のナオミへ かしこ


追伸 そして彼も わたしたちの人質


プラットホームの女の子

  ミドリ

夕陽をグラスにかざして 汚れをふき取ると まなみは
白い指先で静かに ワイングラスに 赤を注いだ
黒い瞳が どこを見ているのかわからなくて 窓の外の
高速道路の明かりが 光の点滅をフラッシュさせながら
闇を切り裂いて 空の向こう側へ走り抜けていく 世界は 

何のために回るのか 地軸の回転がふたりの座ったソファーに
重みを加えているような気がした晩秋の黄昏 まなみが
バックから取り出したのは ふたつに綺麗に折りたためられた
離婚届けだった ぼくはペットボトルの水を飲み干すと
その夜 二年ぶりに まなみを抱いた

十tトラックのブンっと走り抜ける音 取引先の会社の駐車場で
ぼくは営業車のシートを倒して タバコを吸っていた まなみが
夜の商売をはじめたのは多分 ぼくの知る限り この半年くらいの
ことだ 窓の外に まなみに似た女を見て 思わずタバコを
落としてしまった 火の付いたままのタバコが 車のシートを
ジュっと焦がした 人違い そうに決まってる

アポのあった10時に 会社の受付をくぐると 5階の会議室で
横田専務と 打合せに入った サンプルとデータを見せて
ランニングコストの比較を説明していると 専務は 唐突に
仕事とは関係ない話を繰り出した 

「二木君 一週間前に 娘が家出をしてね 帰ってこないんだよ」
「はぁ」
「仕事をしていても いつもそのことが頭から離れなくってね 
 でもね ぼくは仕事一本で 家庭を顧みなかったかもしれない
 家族の為だった それは妻や娘たちにとって 言い訳にしか
 聴こえないんだ まだ若い君には ピンとこないかもしれないけど」

その夜 ぼくは会社の帰り道で 同級生とバッタリ出会った 真っ赤な
マフラーに 厚手のダッフルコートを着て駅のホームの端っこ設けられた
喫煙コーナーでタバコ吸ってる女の子 寒そうにかじかむ手を白い息で
温めながら 彼女は 電車を待っていた ぼくが彼女の前に立つと
不思議そーな顔でぼくを見た にわかに記憶が蘇ったのか 「二木君!?」
なんてパッと急に顔を明るくして 驚いた目をパッチリと開けてぼくを見る

「久しぶり」
「元気〜ぃ?」
「まぁ なんとかね」
「二木君ってさ ほらこないだの同窓会 こなかったじゃない?!
 でもなんだ 地元に戻ってきてたんだ」なんて

彼女はまじまじとぼくを見た でもぼくは 彼女の名前が思い出せなくて
スーツのポケットから名刺を取り出して 彼女に渡した

「あっ 名刺の交換ね」

彼女は鞄から ゴソゴソと名刺入れを取り出して ぼくに手渡してくれた

「なおちゃん」
「んー わたしの名前 忘れてたんでしょう? きっと美人になって
 見違えちゃった?! なんてところかな〜」なんて

くりくりした目で ぼくを見つめる
不意にぼくは 彼女の肩を抱きすくめた 「何?」って
ちょっと脅えた声で 彼女は言った 誰かを必要としている でもそんな時
そこに誰もいなかったとしたら
ほんの少しでいいから 君の小さなぬくもりを 分けてはくれないか
ぼくはギュッと強くなおちゃんを ずっと強く 抱きしめていた


マリコの宿題

  ミドリ



この街にやってきて
一番に変ったことといえば
ママが朝ごはんを作るようになったこと
冷蔵庫が新しくなったこと
そしてわたしが 17歳になった

ママは英語の教師をしていて
7時半には家を出る

わたしは鞄にお弁当を詰めて
行ってくるからねっていうと
化粧台の前のママは
ひどく濃いアイラインを引きながら

「マリコ 忘れ物ないの?」

なんていつもの調子で言う
本当は
このまま学校へ行くつもりは なかったから
曖昧な相槌を打って
家を出た

朝の街
通勤や通学途中の
忙しない人の流れに逆らって
わたしは郊外へ30分に一本出る
バスに乗った

このままどこへ行こうか?
腕時計を何度も確かめながら
わたしはこの日も
青い空を
バスの窓枠から見上げていた

軽い喪失感と
インモラルな気分に包まれた朝
ひどく傾きながら
走り続けるバスに
わたしは鞄にギュッと 
爪を立てて握りしめた

長福寺という
停留所で
若いサラリーマンが乗ってきた
わたし以外に
誰も乗っていないバスなのに
彼は通路を挟んで
わたしの座席の 真横の席に座る

そして忙しなげに
ケータイで仕事の話をはじめる
鞄から書類を取り出したり
スーツの裏ポケットから手帳を取り出しては
メモを取ったり

ずっとわたしは
そんな彼の横顔を見ていた

三つ目の停留所で彼は降りた
わたしも背を押されたように
彼の後を追って バスを降りた

何もない田舎の風景
日差しはすでに高くなっていて
背の高い彼を見上げると
薄っすらと
首筋に汗が滲んでいた

「ここは どこですか?」

おずおずと わたしは彼に尋ねてみた
彼は横目でわたしをチラッと見て
こう言った

数年前 
ここはダムに沈んだ 村なんだよ

わたしは彼の言ったことの意味が
よくわからなかったけれど
その深刻そうな
彼の横顔を見上げていると

この場所と
彼の心の中の
とっても大きな気持ちとが
強く結ばれているような気がして
その彼の言葉に
二の句を継げないでいた


ガンガーを抜ける

  ミドリ


これがインド洋ですよ そこに座っていた老人が
指をさして言った
さすが広いですねぇ
人っ子一人いやしない
ユリはジーンズの裾を捲り上げて
サンダルのまま 海の中へ入って行った

バラナシ空港に ユリが着いたのは
午後の2時半だった
空港から外へ出ると
ムッと吹きつけてくる風が
体を包んだ

200ミリのズームをいっぱいにして
ファインダーを覗いていると
空港からホテルへ向かう人通りの中に
一匹の仔犬がいた
彼は一軒のレストランの前で躊躇し
立ち止まって座り込んだ

強い日差しで
額の辺りから
汗がこぼれる

私は”ボーイハント”のつもりで
仔犬に声をかけた

ご飯でも一緒にどうですか?
仔犬は私を見上げると
おねーちゃんは中国人かい?って訊いてきた
日本人だよ
見てわかんない?

インドの暦で
3月と8月の11日は
1年のうちでもっとも重要な日なんだ
つまり今日
6月21日は この大切な日にあたる

腹はへってないからさ
一緒にガンガーへ行くかい?

ガンガーってなによ?
仔犬は私の手をギュイと掴んで
ズンズン歩き出した
有無を言わさない感じだった

街を突き抜けると
ふいに巨大な階段が立ち現れ
とても大きな
建物とつながっていた

何よ?此処
やーよ って私言うと
仔犬は私をにらみつけ
お前さっき日本人だって言ったよな
うん
だったらこいよ
ギューっと 引っ張られた私は
建物の中へ引きずり込まれた

なんだ此処 ラブホテルじゃないの?って仔犬に訊ねると
違うね
ファッションホテルって言うんだ
私たちはレセプションで手続きを済ませると
306号室に入った

ピンクの回転ベットと鏡張りの部屋
むかし大阪のミナミでタカシと行ったラブホテルとそっくりだ

ちゃっちゃと服脱げよと仔犬が行った
あなたから先に脱いでよ
俺はもう裸だよバーロ
ポコちんだってこのとーりさ
確かに・・・

私はもうブラを外すしかなかった
仔犬は器用に私の前ホックを左手で外すと
唇を押し付けてきた
やだっ
私ったら もう感じちゃってる!

仔犬はピチャピチャと下腹部へ舌を滑らせる
ホテルの窓の下の
路地を走り抜ける 人と牛と車のリキシャが
行きかう音に私の胸と呼吸は荒くなった

仔犬は私にヨガみたいな格好をさせたり
ハーレーダヴィットソンに乗るような格好までさせた
そしてマンゴージュースのような
ねっとりとしたキスまでくれた

そしてその夜
私たちはガンガーを抜け出した

青い火葬場の白煙を上げる
井桁を組んだ薪のまわりに
十数人ほどの白い服を着た人たちが
丸い円をつくって
燃えついていく遺体をじっと眺めてる

私の手を強くグッと握りしめて仔犬言った
此処がガンガーだよ
胸の内っかわを膨らませる
最高の喜びの場所だよと
仔犬は焼かれていく遺体を指差して言った

私はフレアスカートの裾を捲り上げ
ブラウスのボタンを外し
腰を屈めてパンティーを脱ぎ
腕をグッと掴んだ彼が耳元で囁くのよ私に 
最高に 君は綺麗だよって


サカテカスの殺し屋

  ミドリ

サカテカスの路地を
さちはトボトボと歩いていた
やっと思いで辿りついた
この町の丘の上にある宿の
スプリングの弾けたベットに 彼女はグッタリと横になり
スーツケースとパンプスを投げ出して
細長い部屋に白く塗られている
天井のペンキを見つめていた

あしたのバスで
メキシコシティまで 行こうかな?
なんてぼんやりと 思いながら

さちの泊まった宿は
サカテカスの町から 丘の頂上へと続く
舗装された道のどん突きにあり
部屋の窓からは
町がよく見渡せる
古くって
美しいはずのサカテカスの町が
なんだか
やるせなく見えた
公園や広場や 教会が眼下に広がり
まるで中世のヨーロッパを思わせるのに

そう さちが思ったとき
部屋のドアが ガンガンって
けたたましく鳴った
風かな?
なんて思ったけど
そんなはずはない

さらに何度も 何度も強くドアを叩く音がする
「誰?」
さちは恐々と声に出してみた
よくわからないスペイン語で
少年らしいその声の持ち主が 何かを叫んでる
さちはゆっくりとドアを開けた
ん?
誰もいないじゃん・・
そう思ったとき
冷たいものがさちの首筋に触れた

「アミーゴ おとなしくしな!」

背の高い男がさちの背後にまわり
ドスの効いた声で彼女を脅しつけ
首にアーミーナイフを突きつけてる
声も出なかった・・
男はゆっくりとした調子で言った
今夜 ティアナの森で集会がある
お前も一緒にきてもらう

だって あのすいません
あたし・・
そう言いかけたとき
男はさちの体を離した
乱暴して悪かったよ
俺はソルトといって
要人の暗殺を専門に手がける殺し屋だ
勿論 ソコんとこ暗号ネームだから心配すんな
さちは思い切って訊いてみた

「殺し屋さん ソルトさんでいいのね?暗号ネームだけど
あたしに一体なんの用があるっていうんですか?」

彼は押し黙って
胸のポケットから葉巻を取り出して
その質問には答えられない
おとなしく従ってくれ
それ以外の要求は俺からはしない
それが俺の仕事だからね

さちは 男の顔をじっくりと見ようとした
「一本でんわを入れるから 窓から離れて
立っていてくれ」
男はそういってケータイを取り出し
早口でまくし立てた
「何?」
不穏な空気に さちの背筋は震えた
でんわを終えると男は
ソファーに深々と腰を掛けた
そして葉巻にマッチでボっと火を灯した

「今 ピザを頼んだところだよ
トマトとピクルスは抜いてあるから
心配すんな」
「なんであたしの嫌いなもの知ってるんですか?」
さちがそう言うと
殺し屋は不敵な笑みこぼし
指に挟んだ葉巻を軽く上げてみせた
キューバ産だぜ

「質問してもいいですか?」
「答えられる範囲ならな」

「人を殺めるって
とっても悪いことだと思うんですけど・・
あなたは」
そう言いかけた時 殺し屋はさちの質問を遮った
「その質問は後回しにしてくれ」

葉巻の煙をくゆらしながら男は
ポケットから取り出した
レイバンのサングラスを素早く掛けた
そして浅めの位置へ腰をずらすと
ソファーの中でニヒルに笑った

「じゃあ いいいですか ソルトさん」

彼は大袈裟に両腕を広げ
かまわんとジェスチャーで示した

「好きな女のコのタイプとか教えて下さい!」

ソルトは葉巻の煙にゴホゴホとむせ込みながら
「俺は女に興味はない」
「じゃ ホモってことですか?」
「ホモとか言うな コラっ!?」
「だってホモじゃないですか?」
「・・・」
「ホモっ!」
「アミーゴ 俺は14んの時に 初めて女を抱いた
マリアと言って 姉貴のダチだった・・」

「すいません その話し
全く興味がないんで 次の質問に移らせて頂きます!」
「・・・」

「休日とかは どうされてます?」
「そうだな〜」 ソルトは気分を取り直して
グラサンのブリッジを何度も中指で押し上げながら
メッチャ 遠〜い目をして 静かに語り始めた

「まずはアレだな 教会へ行って 牧師の説教を聴く
遠い故郷の母に 強く想い馳せながら近所の湖畔を散策する
それから自宅プールサイドで 哲学書を読みふける
そして行きつけのバーで テキーラを煽りながら・・」

「すいません その話し長くなりそうですか?」
「タブン」
「じゃー もーいいです もう結構です!」
「・・・」 
「では次の質問に移らせて頂きます」
ソルトは眉間に皺を寄せた

「ソルトさん 暗号ネームですよね」
「暗号だ!」
「じゃー 本名を教えて下さい」
「アミーゴ 俺は世界を股にかける
チョー大物の殺し屋だ」
「だからなんなのよー」
「・・・つまりだなっ」

その時 部屋のドアがバンっ!と乱暴に蹴破られ
5、6名の男たちがダっと!なだれ込んできた

「CIAだ!ソルトだなっ!」

男たちは一斉にソルトに向かって拳銃を身構える

ソルトは微動だにせず 葉巻をくゆらしていた
そして彼はさちの方へ顔を向け
「つまり・・俺には時間がないってことだ」とそう言った

「ソルト!その女から離れろ!」
CIAの一人が低い声で言った

彼がサングラスを外し
ゆっくりとソファーから立ち上がると
複数の拳銃から一斉に 鉛の弾がソルトに向かって飛び出した
さちは その轟音にギュッと目瞑った

ここがティアナの森だよ
さちの肩の上で 男が言った
見上げるとサングラス掛けたあのソルトが キュッと前を見つめていた
さちが彼の目の先に視線を移すと
真っ裸になった男女が 丈高に組まれた櫓の周りを取り巻き
その数ときたら
ザっと百万人はくだらない感じだった

「アミーゴ 君も裸になれよ」
「やーよ」

ソルトはさちのブラウスのボタンに手を掛けた
「ヘンタイ!」
さちは彼の頬をパンっと叩いて サングラスが飛んだ
ソルトは地面に落ちたサングラス拾い上げ
さちの肩をグッと抱いて 「いいパンチだ」
そう言って唇を重ねてきた
その力強い感じに さちは抵抗できないでいた
彼の胸の隙間からさちは言った

「あなた鉄砲の弾に当たったんじゃ・・」
彼は例の不敵な笑みを浮かべながら

「俺について 君が知りたい
最後の質問のことだが」
「人を殺めること?」
「だったよな」
「そんなこと もうどうだっていいよ・・」
そう言ってさちは
彼の胸ん中に強く ギュッと頬とおでこを うずめていた


時のない街

  ミドリ

ポップコーンを奪い合う
スニーカーを履いた犬たちで賑わう通り
そこはタータンチェックの
ミニスカートを穿いた女の子たちの足元に広がる街だ

牧師はいつも
教会の前のデッキチェアに寝そべりながら
コーラを飲んでいた

赤いスニーカーの犬が
牧師に時間を尋ねると
決まって彼はこういった

「菜の花畑で そろそろ彼女が
鍬を手にする頃だ」

犬は腕時計に目をやりながら
ぜんまいをキリキリと巻いて 
その時間に 時計の針を合わせるのだ

この街では
ポップコーン屋はいつもごった返していた
買い物カゴをぶら下げた犬たちが 
奪い合うようにして
カゴの中にポップコーンを詰めこむのだ

牧師はいつも
教会の前で
その光景を見ていた

彼の奥さんはクジラで
この街ではあまり見かけないタイプの動物だったが
牧師は夕刻になると酒場へ行っては
犬たちにそのことを自慢していた
料理が上手いだとか あっちの方も最高だとか
犬たちは黙って聴いていたが
あまりよい顔をするものはいなかった

一匹の犬が
牧師に尋ねたことがあった

「あの奥さんとどこで知り合ったのですかい?」

牧師はいつものように
こう答えた

「菜の花畑で そろそろ彼女が
鍬を手にする頃だ」

犬は黙って頷き
腕時計のぜんまいをキリキリと巻いて
その時間に 時計の針をあわせるのだ


花火

  ミドリ

空は
とても静かな森だと
まなみは感じた
病室の天井を飾る
オレンジ色や青や 黄色や赤やらが
ぶつかっては消えていく音

まなみはサイドテーブルから
果物ナイフを取り出して
刃先を天井に向けた

自分でも何をしているのか
よくわからなかった

でもなんとなく
そうやって果物ナイフの刃先を
天井に向けて突き立てていると
まなみの腕を
誰かがグッと掴んだ気がした

「誰?」って
声を潜めて彼女が訊くと
「俺だよ」って声がした
「あなたは誰?」

  *     *

病室の窓から見える空は
いつになく澄み切った色をしていて
ベットに固定された首から
まなみがようやく覗くことができるのは
この病室の白い壁や天井ばかりだ

「バカ」って書かれた紙くずが
いくつもベットの下に転がり込み
風が窓から入り込むたびに
カラカラと音を立てた

今日は
街の花火大会だ
明かりの消えた
病室の天井を見て
まなみは影に溶け込んでくる
打ち上げ花火の色と音を じっと聴いていた


待ち合わせ

  ミドリ


成田空港で 待ち合わせをしている
クマに逢うために
まなみは化粧室でリップをひいていた
ボストンへ出張していた彼が 帰ってくるんだ
ボブヘアーになっている私を見て
きっと彼は驚くわと
まなみは思った

飛行機の到着時間は
予定通りだった
人ごみの中
一際背の高いクマが 彼が
ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた
彼はネクタイを緩め
サングラスを胸のポケットに仕舞い
はにかんだ笑顔で私をグッと抱きすくめた

「お帰り」
「ただいま」

半年ぶりに出逢う彼の胸の中のぬくもりに
思わず
涙がこぼれそうになった

「元気そうだね」
「あなたこそ」

そういうと彼はまるで
勢いよくプールに飛び込むみたいに
私にキスをくれた

「色々あったよ」
そう言って ウィンクする彼に
私は少し不安を覚え
「全部 全部その話を聞かせてよ」っていうと

「全部を語りつくすには
一生かかっちまうよ」
そう言っておどけてみせた 顔をする彼の肩に
私はギュッて
思い切り抱きついた

通りすがりの子連れの母親が
「クマだ!」って
彼を指差すわが子に
「見ちゃいけません」って注意をしている

彼はポケットからチューインガムを取り出し
子供に手渡した
「何だクマのくせに!」って
その子は彼に悪態をつき
ガムを床に投げ捨てた

母親はあわててキュッと子供の手を引っ張り
その場をそそくさと立ち去ってしまった

ガムを拾い上げる
指先を見つめる悲しげな彼のその横顔が
私には
この世で 一番美しいもののように 見えた


黄色いキャロルのクマ

  ミドリ



駅前に黄色のキャロルを路上駐車するとクマは
ポンっとドアを叩きつけ 身軽に外へ出た

わたしは険しくなってる顔を 上げないよう
キュロットの裾を握りしめた
1時間もよ!

「待った?」
「ううん」
「ヨシっ 乗った!」

そう言ってクマは わたしの背を乱暴に押すと
キャロルの助手席に押し込んだ

クマはスーツのポケットから指輪を取り出して
さっきから 弄んでいる
彼が 夜の海に向かっているのがわかった

高速に乗るとすぐに
窓を開け放ち彼はその指輪をポイっと投げた
たぶん
カルティエかブルガリかハリー・ウィンストンの
ダイヤの指輪だ

窓をギュイっと閉めると彼は
わたしを見て
決心が鈍ったと
そうつぶやいた

「なんのこと?」
「場末のホステスみたいだぜ」

わたしの顔をじっと見るなり
彼はそう言った

「お気の毒サマ!」

そう言うと ふたりはグッと押し黙って
車の中の空気も うんっと重くなった

「もうすぐね」
「え?」

そう言って彼が振り返ると
目の前にフワっと海が広がった
キャロルがスリップして止まると
夜の海が
とても静かで
綺麗だった

わたしたち・・
ここから始められる?
ハンドルを握ったままの彼はとても静かで
さっきまでの悪態が信じられないほど
きれいな横顔をしていた

そしてわたしの肩をグッと抱き寄せると
とても優しいキスをくれた

「指輪 もったいなかったね」

唇を外してそう言うと
彼はその言葉を打ち消すように・・

もっと強いキスを
わたしにくれた


ラッターナ・プーロ・プット(ラフ=テフ外伝)

  ミドリ



ぼくがこの素晴らしい海をみつめていると
カンガルーの船長があらわれ
彼はぼくがいることに気づかぬ様子で
一連の天体観測を始めた

一息つくと
彼は照明の真下のテーブルに肘をついて
じっと 夜の海を眺めていた

ハイランド号の数名ほどの水夫たちが
けたたましく甲板を昇り降りする音が 外で聞こえた
ナムジー海岸に近づくと
曳網が船上に巻き上げられた
それはトロール網の一種で
大きな袋網が
一本の浮桁と下網とを繋いでいる鎖とで
網は 口が大きく開かれたまま船上に引き上げられる

我々はもうすぐ運河に入るよ
カンガルーの船長は
横目でチラッとぼくを見ていった
ハイランド号は運河に入ると間もなく
スクリューの推進力と潜水翼を傾けながら
運河の底に船体を沈めていった

この海底には
5億艘の幽霊船が沈んでいる
カンガルーはアメリカンチェリーとボルドーを片手に
ソファーに深々と腰を掛け
葉巻を吹かしながらいった

ナムジーの街の人たちは
この事実について知らない

君にはこれから大事な仕事に取り掛かってもらう
濃いサングラスを咄嗟に掛けながら彼は ぼくにいった
海洋学者のモリッツによると
このナムジー海岸一帯は 特殊な地形を成していて
その海底には
人間の暮らすことのできる肥沃な大地が広がっているという
伝説だよ
カンガルーは少し上ずった声でいった

それはぼくの専門外ですね
論文を読んだよ
彼は科学雑誌を ぼくの目の前に放り投げてみせた

「ラッターナ・プーロ・プット」

それは古代語で”青い大地”を意味する
運河の底は完全に闇に閉ざされていた
スクリューの不気味な回転音だけが
ぼくらの沈黙を見守った

海底に流れ出した火山灰
溶岩の絶え間ない堆積
海面に噴火山が出現し
地殻変動を示す 絶え間ない海鳴りが今も
このナムジー海岸沖を異常な振動で揺るがすことがある

「船長」

何かとてつもない夢想に耽っていたカンガルーが
ハッと 我にかえりサングラスを外すと
ぼくはすッと 彼に手を差し伸べていた
カンガルーも強いグリップでぼくの手をギュッと
強く 握り返してきた


チョコレートいるかい?

  ミドリ

色々やったさ
何年喰らっても おかしくないようなことをいっぱいね

チョコレートいるかい?

いや いいんだ 気にしないでくれ
一度ガールフレンドに 左目を打ち抜かれたことがある
拳銃でさ
病院の廊下を ストレッチャーで運ばれてくんだ
大したことはなかったよ
3日後には退院してたからね
もちろん深夜に非常階段から こっそり抜け出してさ
友だちにひどいアル中がいるんだが
そいつのアパートに転がりこんだ
俺が知ってるやつの中で 一番サイテーのやつさ
俺が転がり込むなり
やつはこう言うんだ
歴史の本で 首は吊れないものだろうか
マルクスの本なら可能かもよって言ってやったら
そんな本もあるのかって言ってたな

チョコレートいるかい?

オーケー 気にしないでくれ
あんた金持ちそうに見えるけど
俺に奢る気あるのかい?
どうやったらそんな高そうな服が買えるんだい?
まぁ いい
そこにマクドナルドがある
俺は字を読むのが遅くってね
数字もまったくダメで 手先も不器用ときてる
他人に暴力を振るう瞬間だけが
自分の尊厳を保証してくれる

チョコレートいるかい?

2年前に弟がパクられた
ブチこまれたんだよ無期懲役さ
大したことはしてやしない
どうやら神様は
善良な人間と悪人を時々間違えるらしい
人はみんな
幻を飲まされて生きてるんだ
わかるだろ?
毎日ショピングだ
食料品にトイレットペーパー
寒くなれば上着がいる
擦り切れた靴下に穴があけば 替えも必要だ
レジへ行って金を支払う
愛じゃ買えないものばかりだ

チョコレートいるかい?

今日は映画を観に行ってきた
その後 ストリップ小屋に少しね
知り合いの女の子がそこにいるんだ
仕事の合間
彼女にカレンダーを買いに行かされたよ
忙しいんだってさ
予定を書きこむ 空白がもうないんだって
ヒステリーを起こすわけさ
カレンダーに15分刻みの予定を書きこんでいく
メモ帳が入るような服を 彼女は持っていない
ポケットがないんだよ
笑えんだろ?
もっと楽しくやれる仕事が見つかればいいんだが
幸せを見失った後じゃ もう遅いんだ
一年なんてあっという間さ
カレンダーの空白は 少し大き目がいい

チョコレート いるかい?


パティオ

  ミドリ



ぼくは プライマルスクリームを聴いた
リズミカルなストロークで腰を振り
右っかわの乳房を
ぼくの口に含ませるまなみ

磁気嵐のようなホワイトノイズが
彼女の喉から
胸ん中から漏れる
それはまるで150億年前の
ビックバンの残響に
耳を当てている感じで
その亀裂という亀裂から 孤独が溢れ出し
ふたりは融合し
ギュッといつまでも抱きしめていたい
亀裂の中に ふたりは居た

世界は異なるものを出会わせるパティオだ
彼女は左の道から来た ぼくは右の道からだ
すべての出会いは パティオだ
世界はパティオであり
異なるものを出会わせる場所であり 力だ

ベットの中に
ふたりは7時間ばかり居たろうか
コロナビールが2本床に転がっていて テレビでは
隣国のミサイル実験の ニュースが流れ
彼女は裸のまま浴室へ入っていった
そしてそのすべてが
ぼくの目にはクリアだった


小さな町

  ミドリ


小さな町での暮らしは嫌いだ
この町では農場は広くなっていき
農家の人数は減ってきている
農民がいなくなれば
この町もお仕舞いだ

”新しい血をもたらす必要がある”

商工会議所でマイクを握っていた老人が
そう言っていた

    *          *         

ぼくらはコーヒーとケーキで休憩しようと
車を止めた
まなみは対面ショーケースからタルト指差し
ぼくはモンブランを注文した
カフェは畑の匂いがした
ハイウェー沿いの店の周りは一面 
畑だから
ぼくらは窓ガラスの向こうの
畑を見ながら
コーヒーを飲んだ

    *          *         

ペンキの看板の文字も風雨に晒され
ろくに読めなくなっているカフェ
この夏はとても蒸し暑かった
ロッキングチェアーに 手編みのクッション
ピンクのクマのぬいぐるみに カウンターで
ジーンズ地のつなぎを着て豆を挽くマスターは
昔は自動車の修理工だったけど
体力的に長く続けられる仕事じゃないと言って
笑った

    *          * 

ぼくらがこの小さな町に引っ越してきた夏
ジャイアンツの4番打者の一振りが
リーグ優勝を決めた
東京ドームの一塁ベースを
蹴ったところで
右手のこぶしを高々と突き上げる彼
まなみのお腹には新しい生命が宿り
小さな町は
ぼくら夫婦を
黙って迎え入れてくれている気がした

”簡単に決めないで欲しいな 引越しなんて”

そう言ったまなみの言葉が 
この先もずっとずっと
ぼくの中に
残っていくような気がした夏    

文学極道

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