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ともの - 2008年分

選出作品 (投稿日時順 / 全6作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


お茶を飲む

  ともの

一心に書き物をしているとき、
お寺の鐘の音がかすかに聞こえた。
順当な、而して唐突な午後の終わり。
その報せの音。
鉛筆をおいて、
冷たいお茶を飲む。

子供たちが帰る。
時に歌い、話し、笑いながら。
ボールを蹴りながら、帰ってゆく。
窓の外の風景が、
手にとるようにわかる。
眼鏡を外し、
甘納豆を食べる。

夕暮れ時、
ひとりなんだ、と思い出す。
自分はひとりなんだ、と思う。
人はみんなひとりなのか否か、
考えて、しばらく逡巡する。
西日が遠のく。
また、お茶を飲む。

宅配便が届いた。
母から届いた。
手紙が入っている。
ありがたく読み終える。
だが、いまここにいる自分は、
やはり、ひとりだと感じる。
谷底ちかくに、
誰にも気づかれず、
佇んでいるような自分だ。
西日は消えかかり、濃ゆく燃えている。
送られてきたばかりの、饅頭を食べる。
そして、またまたお茶を飲む。


夜を歩く

  ともの

夜の道を、ゆく。
季節を愛おしむわけではない。
散歩のための、散歩だ。
ほの白い街灯を頼りに、ただ進む。
あたりに自分の歩みを散らしてゆく、散歩だ。
道の真ん中に、拳がひとつ落ちていた。
蛙だ。
怯えて、奴をそっと避けながら、ゆく道だ。

夜を、歩いた。
生まれ育った街ではなくとも、何年か暮らした街を。
そこかしこに、小さな地雷が埋まっている。
除去されていないことを、また確かめる。
ずれた靴下を、直しながら見上げたそこは、
覚えがある場所だ。
いたたまれず、逃げながらも振り返る。
逃げながら、小学校をのぞく。
誰もいない校庭が見えて、
銀杏の葉っぱの揺れる音に、
追い立てられる。
早歩きで、懸命に、逃れる。

月のない夜だ。
星も見えない街の中、電気の明りが空に反射する。
漆黒ではない、濃紺の空が、わたしの夜だ。
時折人とすれ違い、この世界の存在を知る。
朝も昼も、おおよそ社会でいきている自分は、
胡麻粒だ。
けれども、いまここにある自分は、胡麻粒ではない。
何かは未だ知らないが、
たしかなことは、
胡麻粒ではない、何かであると、いうことだ。

ジョキングのおじさんに追い越され、
ウォーキングのおばさんとすれ違い、
教会の前で懺悔をし、お稲荷様に手を合わせ、
神社の鈴を鳴らし、お寺の石段を登る。
よそ様の表札を一軒ずつ読む。
右足、左足、右足、左足。
進み、戻り、進み、戻る。
蛙がまだ、さっきの場所にいる。
濃紺の空の下、胡麻粒ではない自分を、
この夜の世界に位置づける。
散歩することで、位置づけてみる。
夜を歩きながら。


よそ見

  ともの

夏の嵐、というにはまだ早いけれども、
今日ここに、また嵐の予感がある。
ビルの窓から見える西の空、
雲が黒く、渦巻いてきている。
黒い雲の間隙をぬって、
時おり明るみがのぞく。

蛍光灯の白さがいやらしいオフィスのデスクで、
ゆっくりとキーボードを叩きながら、
空が、移り変わる様子を、盗み見ている。

墨で硯を摺って、
薄墨色の雲を、もっと黒く、
ぬらぬらと、黒くして。

そこから、
雷(いかづち)が届くのを、待っている。
鬼が慰みに刃を振り下ろすのを、
剣を突きつけてくるのを。

鋭利な、鏃のような雨が放たれる。
攻められるその場所で逃げ惑う人々を、
眺めている。

空気の濁った室内で、
ひぃ、ふぅ、ひぃと息を吐きながら、
外が、掻き乱されるのを、見ている。

雨水が、溜まってゆく。
この街が水槽になる。
街路樹が水草になり、揺れる。
建物の隙間から水が滲みこみ、
わたしもいつしか水に取り囲まれている。

やがて水槽に蓋がかぶされて、
世界が真っ暗になる。

もう、逃げられないね。
もう、逃げられないよ。

けれども、
わたしは、変わらずPCのディスプレイに向かう。
勤務時間が終わるまで、
ここに、このまま座っている。

それが、仕事なのだから。


はらり (改)

  ともの

ずり落ちたキャミソールの、白い肩紐を直さない。
ナノの単位の動きさえ鬱陶しい今ならば、
砂利を食んでも眉さえ動かさずして、
泥水を飲んでも吐き出すことはないだろう。
生活時間の表層は、剥落する雲母片岩のようなもので、
行動様式という波状堆積は、はらり、はらりと落ちてゆく。

いなかの山、ひとり頂上を目指したことがあった。
高い木々に囲まれた細い道を、慣れない足取りで進んだ。
中腹に東屋を見つけて腰を掛ければ、
黒い大きな鳥が一羽、頭上を高く飛んでいった。
登りきった山頂には古墳の址があり、複製の埴輪が並ぶ。
そのひとつひとつを丹念に眺め、
戯れに蹴飛ばしてみるが割れはせず、
古代の人への冒涜が、疼痛となって撥ね返る。

この地における他人の不在がよろこびに思える。
大きな円筒形の埴輪に抱きつき、耳を当てて音を聞いた。
埴輪は黙っているばかりで、かわりに鳥が一声あげる。
覆うものは何もない山頂を、太陽がやわらかく炙っている。
拾い上げた石ころをひとつ放り捨てれば、
木の幹に当たり、その葉がはらり、はらりと落ちていった。

そのときわたしは、生への気概を持っておらず、
石棺の中の御仁に一緒に眠らせてくれと乞うたが、返事はなく、
埴輪の横に立ち続けたがそれもまた昼間の夢でしかなく、
あきらめて山を下った。
時に振り返り、山の木々を、山肌を見つめてみた。
ひとり歩く細い道の上で、みたび鳥が姿を見せ、声をあげた。
上滑りする人間の言葉ではない、動物の叫び。
黒い影が山道を、天から隠していた。

あの山の日は、いつのことだったか。
薄暗い部屋の片隅、壁にもたれてじっとしている。
カーテンの向こう、朝のひかりが薄く近づいている。
投げ出した両脚の剥げたペディキュア。
生への気概が、また今ここにない。
読み上げた字が声になって、耳底にまとわりつく。
くさったヘドロのように。

面倒さに目をつぶり、ペットボトルの水を飲む。
しばらく口に含み、おもむろに喉に通す。
飲み込んで首をゆすれば、前髪がはらり、はらりと落ちてくる。

掬い上げた時間がこぼれてゆく。
拾い上げた空間が転がってゆく。
掴めず。
封を切った封筒が、白い紙切れが床に横たわってこちらを見据えている。


団欒

  ともの

わたしは咳をしている
風邪の症状ははすぐに消え、咳だけ残るのは、相変わらずの体質だ
日曜日
止まらない喉のかゆみを携え、部屋から抜け出る


国道をのぞむ駅近くのカフェ
外を眺めている2階
高校生はおしゃべりに夢中
隣の人は台本のせりふ覚えに没頭
今日に限っては 強く感じる
大きな窓のもったいなさ

雨に濡れた路面、統一感のない傘の動き
看板の字を読み始めればきりがない
咳が出始めればきりがない
ココアを喉に染ませ、べったりと、砂糖の膜を張ってやれ

だれかに偶然会うことなどない街で
だれかに偶然会うことを期待して
だれかに偶然会ったら困る普段着の自分
だれかなんて特定多数を描いてみれば嘘
だれかなんて特定少数にすぎないという真
だれかに偶然会うことなど決してない街の
カフェの椅子に腰掛けても 相変わらず
思い出さないと決めたことを思い出す
肺とは違う 胸の奥のどこかしらがが緊縛され
また咳をする
深すぎる雨雲が導く強大なマイナスの力 
追い詰められて
逃げよう 席を立つ 逃げる 

駅の上の高いビルの展望台にのぼろうか
高いところから見下ろして
雨の街に動いているものを見てみようか
思案した
国道がわかれる三叉路を 小雨の日曜を
俯瞰しようか
ひとりで

ひとり高い所に行くのが好きだったことが
過去のものになってしまったように思えた
手を添えて喉を鳴らした 一度で終わった
展望階ゆきのエレベーターには 乗らない

 
 あのときのあそこは 三叉路どころか 六叉路だった
 行く先がわかれすぎていて 惑わされてしまったのだ
 
 あのときの風邪は何も残さず
 由来不明の風邪が咳を残した

 
救急隊員がひとり、ふたり、走っていった
年季の入った白いヘルメット
わたしはゆっくりと、歩いた
余白と区別のつかない、手帳の今日のページ


傘を差す手はこごえたが
部屋に帰れば頬は熱く 熱があるようだ
また咳をして 
止まらず 止められず 腹が筋肉痛だ
ほおっておくほかないので
抱き枕を抱えてPCに向かい

団欒をした
日曜日

わたし 抱き枕 PC 

今日は咳を招いて

いつものみんなと 団欒をした


女神

  ともの

高架から見える自由の女神に
砂粒のような願いをこめた
今日

君 下着姿の女が30分に1回のサービス
暗転
柴咲コウは歌がうまい
雪が降りだしそうな冬の朝
鏡に映る背中
温水器が壊れてお湯が出ない
ホテルニューヨーク
コピー用紙が肌をなめあうような
つるつるの恋愛小説からは
経血のにおいがしない


お寺には必ず仏舎利、すなわちお釈迦さまの骨が埋められているように、世界に無数にある自由の女神のレプリカにも、なにかしらの縁がある。だから、お台場の自由の女神や、赤羽の自由の女神のことをそんなに馬鹿にしちゃいけない。高架を走る電車から見える、あの自由の女神もちゃんとした女神さまなのだと、成長著しいBRICsの国々のガイドブックには書いてあるらしい。テイラーが海岸でみつけた女神の生首と全部、ぜんぶつながっているのだ。
片手で数えられないくらい前の冬、翌日から雪が降った夜。ホテルニューヨークの部屋ではお湯が出なかった。お腹の精液をティッシュでぬぐって、水で湿らせたタオルで拭けば、もちろんのこと「つめたい」。そこらへんじゅうに張ってある鏡みたいに、意味を問いたいほどに、つめたかった。ぼんやりして、そのまま眠って、起きてブラのホックを留めていたわたしに、これでおしまいだと、勝手に男は告げた。ホックが爪と指の間に入って、痛かった。沈黙が続く部屋の中、「ばか」と言い返してみた。「ばかって言う奴がばか」なんてことは、だれが言い出したのだろう、と考えた。


ここには 自由があるらしい
自由すぎないかな ホテルニューヨーク
ビルの頂上に 女神が立っている

真横を避け 男の半歩うしろを歩く帰路
駅の近くで歌が聞こえた
(柴咲コウ、歌うまいな)
男が言った
(柴咲コウ、歌うまいな)
わたしは返事をしなかった

(柴咲コウ、歌うまいな)

彼のことはすっかり忘れた今も
柴咲コウの歌は 時折口ずさむ

すぐには電車に乗れなかった。落ち着きたいがための消費を求め、駅ビルの書店で恋愛小説を買った。電車に乗ってめくる。乗換駅。月経が始まった感触を覚え、手当てをしたあとは動けず、ホームのベンチで文庫本を抱えたまま、何本も何本もの電車を見送って、泣いた。小説がつまらなすぎて、下腹部が痛くて、泣いた。12本目の電車に乗るとき、ゴミ箱に文庫とティッシュを捨てた、祝日午前11時。吐く息が、鼠色に、変わった。


桜咲く夜に美しく見えた川が、落葉を満たしてドブ川に戻る。美しかった精神の交わりが粘膜の接合としてしか捉えられなくなる。恍惚とした瞬間を思い出せばうすら寒い。君の言葉と行動とわたしの生活と意識、その分離、乖離、思い出す遠心力に、錯綜。混濁の谷間で出会った君にとって、わたしは轍のような存在。それならば、プラスチックの人形になりたい。猫のあたたかさもシリコンの柔らかさも持ち得ないわたしを、君、どうか本棚の横に置いていて。いつしかほこりが積もるからだ。つるつると化学のにおいのする手のひら。西日が当たり、変色する。

「プラスチックにしてください」

高架から見える自由の女神に
砂粒のような願いをこめた
今日

経血のにおいがしない
つるつるの恋愛小説は
コピー用紙が肌をなめあうようだ
ホテルニューヨーク
温水器が壊れてお湯が出ない
鏡に映る背中
柴咲コウは歌がうまいと言った
雪の降りそうな冬

君 下着姿の彼女と約束するアフター
不実を嘘であがなう
わたしも嘘で応じる


高架から見える うすよごれた女神に
祈りを捧げてみた
車窓
今日もまた、
流動する風景。

文学極道

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